20.キミが守ると誓った日。(リュース視点)
20.キミが守ると誓った日。(リュース視点)
リリアたちが国王に謁見している最中。
私とナユハ、愛理は謁見の間近くの控え室で時間を潰していた。
ナユハは(実際はともかく)メイドという立場なのだから控え室など準備せず、廊下で待たせておけばいい。それをしなかったのは『黒髪黒目』のナユハが廊下を通る人間から好奇の視線――いや、嫌悪の混じった視線を向けられることを避けるためだ。
同じく黒髪である愛理はいざとなれば幽霊らしく姿を消せばいいが、ナユハはそうもいかないだろう。
国王主導で黒髪への差別根絶が推進されているが、この国に長く根付いてきた差別感情を消し去ることは簡単なことではないらしい。
(聖女であるリリアのメイドが黒髪黒目なのだから、いずれは……いや、施政者として、そして友人として、少女一人に問題を丸投げするのは避けるべきだ)
私が首を横に振ると、ふとナユハの姿が視界の端に映った。私が勧めたソファに座ることもなく、部屋の隅で待機する少女。9歳とは思えぬほど立ち姿が美しいのはデーリン伯爵家の娘として惜しみない教育を施されたがゆえか。
……こういう言い方はあれだが、黒髪黒目であるナユハに貴族としての高度教育を施していたのだから、デーリン伯爵――元伯爵のナユハに対する深い愛情は容易に察することができる。
そしてナユハも、黒髪黒目である自分は貴族社会で受け入れられないであろうことを理解しながらも元伯爵からの教育に答えてみせた。
それもまた親子の愛の形なのだろう。
私がそんなことを考えていると、視線に気づいたのかナユハがこちらを向いた。
「殿下、一つ伺ってもよろしいでしょうか?」
「あぁ、構わない」
細かいことを言えば元貴族であるナユハが直接“王太子”に声をかけるなどありえないし、たとえ伯爵家の娘だったままでも同様だ。身分制度とは規律。王が絶対的な権威を有するからこそ、王が保証する行政と司法が成り立つのだ。
いずれはもっと優れた統治方法が生まれるのかもしれないが、現状、王権こそが国の運営方法として最も優れているのだから、私が無意味に混乱させる必要はないだろう。
だが、私はリリアの友人だ。
友人の友人に細かいことを言うつもりはないし、私が許しているからこそナユハも声をかけてきたのだ。
もちろん、個人的な場に限られるが。
「恐れながら申し上げます」
ナユハは深々と頭を下げてから、
「――殿下は、リリアをどうするつもりなのでしょうか?」
リリアを呼び捨てたのは親しさゆえか。
いいや、違うか。
ナユハは見せつけているのだ。
身分が違いながらも名前で呼び合う、自分とリリアの絆の深さを。
…………。
「どうする、とは?」
意識しないまま少し不機嫌な声を上げてしまった。
そんな私を嘲笑うかのように淡々とナユハは続ける。
「殿下は、表向き男性であられます。女性同士で子供を作れる昨今、結婚相手も女性が選ばれることでしょう」
その可能性は非常に高い。男として通しているのだから、普通、女性が妻になるはずだ。
そして、その“妻”に選ばれる可能性が最も高いのは……リリアだ。
「いくら殿下が『ただの友人だ』と主張したところで、周りの人間はどう見るでしょうか? 同い年の、銀髪赤目。しかも実家はレナード商会の娘であるリリアと、殿下の仲を」
婚約者、あるいは婚約者筆頭候補として見るだろう。その点を否定するつもりはない。父上も、ガルド殿も、それは織り込み済みであるはずだ。「子爵家の娘では家格が足りない」という理屈などレナード家の財力とポーションを作ったこと、そして聖女であることを考えれば吹き飛んでしまう。
問題など何もない。
レナード家も、王家も、他の貴族も。リリアとの婚約に反対することはないはずだ。
……リリアはどうだろう?
ふと不安に襲われた。
彼女は、そう見られることについて、どう思っているのだろう?
「リリアは“スローライフ”を望んでいます。この国の言葉で言えばのんびりまったりとした生活、でしょうか。いずれは貴族籍も返上するおつもりのようです」
「…………」
領地経営の悪化などにより貴族としての勤めを果たせなくなった者や、領地を相続できなかった次男や三男などが貴族籍を返上する事例はそれなりにある。
この国の貴族には“高貴なる者の義務”として個人に課せられる貴族税があり、それが払えなくなるためだ。
しかし、レナード家の娘であり、ポーションの作成者でもあるリリアが貴族籍を返上する必要などないし、必要となる未来などありえないだろう。
なのにリリアは貴族から抜けるつもりだという。
平民となり、貴族としての責務から解放され、のんびりまったりと“すろーらいふ”を送るつもりなのだという。
「…………」
正反対だ。
私の友達になり、婚約者になり、王妃となる。そんな未来は、リリアの望む“すろーらいふ”とは真逆に位置している。
私は、彼女に、何を強いようとしているのだろう?
「リリアは王妃という立場など望まないでしょう。殿下は、リリアに王妃としての立場をお望みですか?」
「……私、は……」
「リリアは、目的のためならすべてを諦めてしまえる人間です。“スローライフ”のためならレナード家の財産も、ポーション作成者という栄誉も、王妃としての未来すらも簡単に捨てて田舎にでも引っ込んでしまうでしょう」
その光景は容易に想像することができた。彼女なら『今度引っ越すことにしたんだ~。何もないところだけど、そこがいいよねぇ。暇つぶしに小さな畑でも作ってみようかなー』と口走っても不思議ではない。
「殿下は国王になられるのですよね?」
「…………」
思い出したのはリリアの言葉。
『逃げ出したくなったら、私に言ってね。誰にも責められない。誰にも求められない。そんな場所に連れ出してあげるから』
リリアならできるだろう。
王太子ではない私が生きていける場所を準備してくれるだろう。きっとその場所にはリリアがいて、ナユハがいて、愛理もいるはずだ。
絶対に楽しい。
絶対に笑顔が絶えない。
そんな日々を送れる。
そんな日々を送れると分かっていながらも。それでも、私は……。
「…………、……あぁ。私は、王になる」
脳裏に浮かんだのは父上の姿。
心を傷つけ、身体を酷使し、時には非情な決断を下しながらも……。それでも国のため、民のために日々戦い続けている『国王』の姿を。
私では、父上のような素晴らしい王になれないかもしれない。
それでも、私は、父上に憧れた。
民のために。そして、この国のために。戦い続ける父上を手助けしたいと思った。
そしていずれは、父上が守り続けたこの国を自分自身の手で守りたいと願うようになった。
私に王としての資格があるかは分からない。
キナは保証してくれたが、まだまだ力不足であることは理解している。
でも、
それでも。
私は、王になるのだ。
そんな私の覚悟をナユハは問う。
「王となれば、リリアとは自然と距離ができるでしょう。子爵家の娘ですし、なにより、彼女自身が『国王』との過剰な交流を望みません。リリアと別れることになろうとも、それでも、王になられるおつもりですか?」
「…………」
リリアは凄い人だ。
褒め称えようとすればどんなに言葉を尽くしても不可能なほどの功績を彼女は残した。
この国への復讐を誓った死者の王の討伐。
王妃を呪っていた上級悪魔の消滅。
そして、これから数多の民の命を救うことになるポーションの作成。
しかし。
しかし、だ。
そんな功績も、彼女の笑顔を見れば霞んでしまう。
普通の少女だった。
楽しいときには笑い、悲しいときには泣き、想定外の事態が起きたら『どうしてこうなった……』と嘆く少女。
どこまでも普通で、どこまでも可愛らしい子。
そんな“普通”の少女を、これ以上巻き込むわけにはいかない。
王妃になりたい女性など他にもたくさんいる。リリアの夢を否定してまで、彼女に無理強いすることはない。
たしかにリリアを王妃にすれば私の『力』となるだろう。
けれど、それはあくまで私の都合だ。リリアを巻き込んでいい理由にはならない。
だからこそ。
その決意は淀みなく発することができた。
「……私は、王になる。それがたとえ、リリアと別れる道であったとしても」
「…………」
ナユハは床に片膝を突き、胸元に右手を当てた。この国における最敬礼だ。
「数々のご無礼、まことに陳謝のしようもございません」
最敬礼。頭を下げるその姿は、元々は首を切られても構わないという意思表示だったと言われている。
覚悟の上だったのだろう。リリアのために、ナユハは命がけの諫言をしてみせたのだ。
「……謝るな、ナユハ嬢。キミの諫言のおかげで私は大切なことに気がつくことができたのだ」
無意識のままリリアを私の“王道”に巻き込もうとしていた。
……いいや、違うか。
心の奥底では気がついていたはずだ。このまま行けば、リリアを私の人生に巻き込んでしまうと。
そして。
きっと、私はその展開を望んでいた。
リリアという少女が側にいてくれる未来を欲していた。
だが、ナユハからの諫言があった以上、見て見ぬふりはできないだろう。
「これ以上リリアを私のワガママに付き合わせるわけにはいかないな。リリアとの友情は見直さなければ――」
『――はい、そこまで』
そんな声を上げたのは愛理だ。
『リリアちゃんのいないところで話を進めるのは止めようね? また『どうしてこうなった!?』って叫んじゃうから』
愛理はまず私を見た。
『リュースちゃん。友達とは一人で作るものではなく、二人の意志があって初めて完成するものなんだよ?』
「それは、……そうですね」
自然と私は敬語を使っていた。王太子としてはありえないが、愛理の雰囲気が私にそうさせたのだ。
普段の言動がアレなので忘れがちだが、愛理の享年は今の私たちより十歳ほど離れている。だからこそ、このような『お姉さん』のような雰囲気を漂わせるのも自然なのだろう。
『リュースちゃんが勝手に友情の終わりを決めちゃいけないよ。まずはリリアちゃんの意思を確認しなくちゃ』
「し、しかしですね、私と友情を続けては、いずれは王妃という話が出てくる――」
『――大丈夫。たとえ王妃になっても、リリアちゃんはリリアちゃんのしたいようにするから』
「…………」
リリアとは短い付き合いであるが、それでも『まぁ、そうだろうな……』と納得してしまえるのがリリアという少女だった。なにやら王宮で毎日大爆発が起きる未来が見える。
『ふふ、見える、見えるよ。王妃なのに東へ西へとフラフラして、しまいには『流浪の王妃』とか呼ばれちゃうリリアちゃんの姿が! というかおまけifシナリオにそういう話があったし! 私の妄想よ、現実となれ!』
最後の方は何を言っているのか理解できなかったが、『流浪の王妃』という言葉は妙にしっくりときた。行く先々で騒動を巻き起こし、槍一本で解決してしまう王妃……。普通に考えればありえないのだが、否定しきれないのがリリアという少女だ。
あり得そうな未来を空想して。
私は、思わず吹き出してしまった。
そんな私を見て愛理は満足げに頷いたあと、ナユハに視線を移した。
『ナユハちゃん。いくらリリアちゃんのことが心配だからといって、あまり無茶をしてはいけないよ? ナユハちゃんが不敬罪に問われたとき、一番悲しむのはリリアちゃんなのだから』
「……いえ、私は……」
『あと、リュースちゃんは優しい子だけど、あまり虐めてはいけないよ。自分でも言い過ぎたって思っているでしょう?』
「…………」
『うん、自分が悪いと認めたのなら謝って――は、いるのか。うん、じゃあ、握手。握手しよう。それで今日はとてもいい日になるよ』
愛理に促される形で私と愛理は握手を交わした。『王太子』と握手することをナユハはためらっていたが、私が押し切った形だ。
手を握り合ったまま、私はナユハに確認する。
「ナユハ嬢は、ずっとリリアの側にいるのかな?」
「えぇ。メイドとして、そして友として。……できることなら“嫁”として。私は、リリアが望む限りお側にいたいと考えています」
「…………」
迷いなき答え。
きっとナユハは言葉の通りリリアの側にいるのだろう。立場など関係なく。身分の差など気にすることなく。死が二人を別つまで……。
羨ましくない、と言えば嘘になる。
この胸のモヤモヤを嫉妬と呼ぶのなら。私は、今、ナユハに嫉妬していた。
――負けたくない、と思った。
なぜかは分からない。
けれど、私はナユハに負けたくないと思ってしまった。
「ナユハ嬢。……いいや、ナユハ。私のことはこれから『リュース』と呼んで欲しい」
「は? いえ、しかし……」
「キミの戸惑いももっともだ。常識的に考えればありえない。でも、なぜかは分からないが、私はキミと対等な間柄でいなければならないと思うんだ。対等な立場で、正々堂々と競わなければならないのだ」
何を競うのか。それは、自分でも分かっていなかった。
……いいや、違うか。
分かっていながらも、気づいていないふりをした。今ここで自覚してしまえば、あらゆる手を使ってしまいそうだったから。父上のように……。
それはダメだ。
重要なのはリリアの意志。周りに流されたわけではなく、いつの間にか『嵌められて』いたわけでもなく。自分自身の意志で、リリアに選んでもらわなければ。
私の言葉を受けてナユハが空いた左手でスカートをつまんだ。
「……御心のままに。これより、個人の場に限りまして『リュース様』と呼ばせていただきます。さっそくですが、リュース様」
「うん? 何かな?」
「たとえ王太子殿下が相手であろうと、――私は、負けません」
握手したままだった手に力が込められた。ナユハの右手は特殊であるらしく、私の手が握りつぶされなかったのは力加減をしてくれたからなのだが……それでも、明確な『対抗心』は伝わってきた。
「ははは、何のことかは分からないけれど。うん、自分でも驚いてしまうね。――私は、誰かに負けることが嫌いらしい」
にこやかに笑いながら。私とナユハはかなり長い時間“握手”することになった。
国王になる=どんな手段でも執らなきゃいけない=どんな手を使ってでもリリアを嫁にしなければならない。
の、ですけれど。そこでリリアの意志を最優先させてしまうリュースはまだまだ『甘い』のでしょう。
そんなリュースだからこそリリアは守ろうと決めたのですが。
次回、26日更新予定です。




