閑話 国王リージェンス
閑話 国王リージェンス。
余の前に現れたリリア・レナード嬢は、何というか……普通の貴族令嬢だった。
いや9歳にしてあれだけの挨拶ができるのは驚きに値するが、そんな驚きは大したものではない。むしろリースが教育していると考えれば拙さが目立つ、かもしれない。
リリア嬢が去った謁見の間で、余はついつい頬を緩めてしまった。
「あらあら、ずいぶんと楽しそうですね。ニヤニヤとして気色悪い」
そんな本音をぶちまけたのは魔導師団長のフィー。
「あんだけビビっていたくせになー。リリアの可愛らしさに心奪われちまったか?」
そんな無礼きわまりない発言をしたのは王宮大神官のキナ。この二人はもう少し余のことを尊敬してくれてもいいのではないだろうか? いや事情が事情なので仕方ないが、それにしたって……。
ほんとうに、この二人に比べれば、リリア嬢の何と常識的なことか。
「……話だけで判断するのは間違っていたな。リリア嬢は十分模範的な貴族令嬢ではないか」
余の発言を受けてキナとフィーは顔を見合わせ、同時にやれやれと肩をすくめた。
「国王陛下ともあろう方が騙されてやんの」
「仕方ないわよ、リリアちゃんは礼儀作法だけなら完璧に近い貴族令嬢なのだから」
何とも不安になることを言ってくれる二人。おかしい、人を見る目には自信があるのだが……。
フィーが余の心を読んだかのようなことを口走る。
「いえいえ、陛下の目は確かですよ。リリアちゃんは国王であるあなたに敬意を払っていますし、リース様に鍛えられたおかげで礼儀もわきまえていますもの。私やキナのように普段の言動で陛下を困らせることはないでしょう」
フィーよ。困らせているという自覚があるのならもう少し何とかして欲しいのだが? あと、遠回しに余に敬意を払っていないと自白していないか?
余がフィーに批難の目を向けていると、隣にいたキナが会話を引き継いだ。
「ただなぁ、リリアは無自覚にやらかすからなぁ。それはもう、あたしらの想定を軽く越えて。聖女に選ばれたことや、上級悪魔を完全消滅させたこと、さらにはポーションを作成したことなんかもリリアにとってみれば“普通”のことだからなぁ」
なにやら信じられないことを口走るキナ。
「は、話が理解できないのだが?」
「理解したくない、の間違いでしょう? 勘違いしたままなのは可哀想だからハッキリ言っておきますがね、リリアには期待しない方がいいですぜ? その期待は絶対に裏切られますからね」
キナの言葉にフィーが頷く。
「そうね。いい意味で裏切られるわね。こちらの期待を100だとしたら、あの子は1,000や2,000の結果を残してしまうもの」
「リリアが聖女としての力に目覚めるのは、早くて数年後だと思っていたんだがなー。まさか9歳で死者の王やバフォメットを完全消滅させるとは……」
「リリアちゃんならいつかポーションを作成できると期待していたわ。現存するポーションを“左目”で鑑定させれば、原材料は分かるかもしれなかったから。あとは試行錯誤を繰り返せばと……。まさか、9歳で上級ポーションまで作成するとは……」
疲れ果てたように頭を抱えるキナとフィー。正直、この二人がそんな態度を取るのが意外すぎて目の前の光景が信じられない。
……いや、ここは“非常識”なリリア嬢を普通の貴族令嬢に見えるほどまでに鍛え上げたリースの手腕を褒めるべきか。
そう、非常識。
何を今さらの話だ。
そんなこと、余は6年も前に知っていたではないか。
玉座に肘を突き、余は珍しく頭を痛めているキナとフィーを眺めながら6年前の出来事を思い出した。
◇
――王家は呪われている。
そんな噂が現実味を帯びてきたのは、俺の3人目の子供が夭逝した時だった。
子供が3人生まれ、全員が幼くして死んでしまう。
この国は他国に比べれば幼児の生存率が高いが、それでも珍しくはないことだ。
ただ、限度というものがある。
俺だけではなく、王弟2人の子供も次々に死んでしまった結果、“呪い”という与太話が事実として語られるようになった。
俺だって何もしなかったわけではない。暗殺の可能性はまず真っ先に思いついた。
王弟のどちらかが自分の息子に王位を継承させようと――というのは考えがたい。その王弟の子供も全員死んでしまったのだから。
となれば、他の者がという話になるが、疑い出すとキリがなかった。妾、高位貴族、外戚連中、あるいは竜列国に至るまで。証拠は出ないのに容疑者ばかりが増えていった。
毒を感知する魔導具の性能向上を魔導師団に命じたり、怪しい人物がいないか城内を徹底的に精査したり……。そんなときに生まれたのがリュースだ。
性別は女。
だが、女でもいい。生きてさえいてくれるなら。王位など、いよいよとなれば元王族(公爵)か嫁に行った王族の子供に任せてしまえばいいのだから。
王妃の身体の負担を考えれば、リュースが最後の子供となるだろう。
あのときの俺は憔悴していた。
狂っていたと言ってもいいかもしれない。
とにかく、リュースに生きていて欲しかった。
死んで欲しくなかった。
……『男の子は女装させると、女の子は男装させると健康に育つ』という民間伝承を本気で信じ、実行してしまうほどには。
結果としてリュースは2歳まで無事に育ち、そうなると今さら『実は女なんだ』と言い出せなくなってしまった。
事実を知る高位貴族の連中も、次の王が男よりは女の方が操りやすいと考えたのか口をつぐみ……。3歳の誕生パーティーで、リュースを王太子として正式に紹介することとなった。
少々早い話ではあるが、王家の子供がリュースしかいないのだから仕方がないだろう。俺もだが、周りの人間も焦っていたのだ。
そして3歳の誕生パーティーがやってきた。もちろん近衛騎士団と魔導師団がリュースを護衛しているし、厨房や道中の監視も徹底的にやっているから毒を混入することも不可能。それに、万が一があっても毒検知の魔導具があるから心配する必要はない。
ないのだが、俺は奇妙なほどの“悪寒”に襲われていた。
気のせいならいいのだが、この“悪寒”には幾度となく助けられている俺は不安で押しつぶされそうだった。
もしかしたらリュースに何かあるかもしれない。
いやしかし、できることはやった。完璧だ。万が一も、億が一も存在しないはずだ。
だというのに――
「――よう、リージェンス。めでたい席だってのに不景気な顔をしているな」
そんな声をかけてきたのは俺の悪友、ガルドだった。
国王と、神殺しの英雄。さらに言えば学生時代からの旧友。そんな俺たちに気を遣ってか周りの人間は距離を取っている。多少砕けた口調で接しても問題はないだろう。
「そういうお前も不景気な顔をしているな、ガルド」
当たり前の話だ。先日、ガルドの娘であるアリアが出産の際に亡くなったのだから。娘を溺愛していたガルドが部屋に篭もらず、この場に来ていることが奇跡だと思えるほど。子供だけでも生き残ったのは不幸中の幸いだが……。
「そうかもな。……お互い富も名声も、愛する人も得たはずなんだがな。人生ってのは中々うまくはいかないみたいだな。若い頃はもう少し希望にあふれていたと思うんだが……」
「……そうだな」
俺たちがしみじみと昔を思い出していると、そんな暗い雰囲気を吹き飛ばすようにガルドが明るい声を上げた。
「今日は、お前に孫娘を紹介しようと思ってな」
「ほぅ、噂のリリア嬢か?」
リースと同じ銀髪。
神話に語られる赤い瞳。
そして、神にも等しき金色の瞳。
年齢はリュースと同じ3歳。同性であるし、将来的には(レナード家との繋がりも考えて)リュースの友人になってくれればと考えている。
まぁ、まだ顔合わせすらしていないのだが。
本日の主役であるリュースは王妃と共に挨拶回りをしているから、運が悪ければまた会うことはできないだろう。
しかし、
「お前からリリア嬢を紹介してくれるとは意外だったな」
ガルドはリリア嬢が生まれたときから『リリアは嫁に出さん! 王太子に会わせて、王太子が惚れたらどうする!?』と親バカならぬ祖父バカを発揮していたのだが。
それに祖母であるリースも『まだ王族の前に出すには修練が足りません』とぼやいていたし。……我が姪ながら、3歳児に高望みしすぎだと思う。
そんなガルドとリースがこの場にリリア嬢を連れてくるとは意外だった。何か企んでいるのだろうか?
俺が訝しみの視線でガルドを見ると、ヤツは困ったように後頭部を掻いた。
「あぁ、俺も会わせるつもりはなかったんだがな。リリアがどうしても会いたいと言い出してなぁ」
「……3歳児が? 国王に?」
「変だろう? 変だからこそ、会わせなきゃいけないと思った」
「…………」
俺の“悪寒”と同じように、ガルドの直感はヤツ自身と、この国を幾度となく救ってきた。今回もその直感が『会わせろ』と告げたのだろう。
ガルドが身体を横にずらすと、高位貴族でも中々着られないほど上質なドレスに身を包んだ少女――いや、幼女が立っていた。
明かりを反射して煌めく銀髪。
右目は宝石のように輝く赤目。
リースの子供の頃そっくりな美貌。
そして左目は、伝説上でしか存在しないはずの、金瞳。
鼓動が乱れた。
すべてを見通された気がした。
嘘をついてもすぐに見抜かれるだろうし、嘘をつくこと自体が“神”への反逆にしか思えなかった。
「お初にお目にかかります。わたくし、レナード子爵が長子、リリア・レナードでございます」
「…………」
コレはなんだ?
俺の目の前には何がいる?
完璧。
完璧なカーテシー。
いや、細かく言えば所々に正式な挨拶とは異なる動きがある。だが、それは未熟さゆえではなく、むしろまったく異なる文化の礼節を究めたからこその動きであるように感じられた。
3歳児ができていい挨拶ではない。
これは……そう、まるで、完璧な大人の淑女を3歳児の身体に詰め込んでしまったような……。
あまりの驚きに挨拶を返すことすら失念した俺。
そんな俺の様子を気にすることなくリリア嬢は口を動かした。
「殿下に赤い実を食べさせるのは止めた方がいいですわ」
「……なに、を?」
言っているのだ、という声は不思議と喉を出なかった。本能が、“彼女”の言葉を遮ってはならないと警告を発している。
「ハチミツが赤ん坊にとっての毒となるように。蜂に刺されて平気な人間と、死んでしまう人間がいるように。赤いトルマの実は幼児に食べさせない方がいいですわ。特に、王家の血筋は過剰反応してしまうみたいですから。大人なら平気だとしても、幼い子供には“毒”となりますわ」
リリア嬢が柔らかく微笑んだ。まるで数十年を生きた人間であるかのように。
「信じていただけなくても結構ですわ。しかし、子供が大切なら食べさせない方がいいでしょう。別にトルマの実を与えなければ死んでしまうわけでもないのですから」
あれるぎぃ、みたいなものとリリア嬢は説明した。
「……トルマの実は、栄養があると聞いている」
「えぇ、そうですわね。大人にとっては最高の食べ物でしょう。実際、食べてみると身体の調子がよかったのですわよね? ……なるほど、元々身体の弱かった王妃様の体調も改善し、そんな事実があったからこそトルマの実を紹介した料理長のことを信頼するようになったと。ヨウリン公爵家の血縁者であれば身元も確かですし」
リリア嬢の発言に、俺は今までにないほどの怖気に襲われた。
王妃の体調が改善した?
料理長を信頼?
ヨウリン公爵家?
そんなもの、調べようとして調べられるものではない。
いや、レナード家の力を使えば王妃の体調や、料理長がヨウリン公爵家の血縁者であることくらいは分かるだろうが、その二つの事柄を一つに繋げることはない。
さらに言えば、俺が『彼』を料理長に据えた理由など誰にも話していないはずだ。
金の瞳が輝いた気がした。
まさか、すべてを『視た』のだろうか?
「料理長ですが、もう一度身元を洗い出した方がいいですわね。ヨウリン公爵家からの情報は当てにせず、自らの手の者を使って調べませんと。あぁ、ヨウリン公爵家ですが、地下室の調査をオススメいたしますわ。本邸ではなく、先代の隠居用の屋敷です」
料理長に関しては採用前にこちらでも調査はした。だが、建国以来の忠臣であり、王家との血縁も深いヨウリン公爵家からの推薦ということで、調査に『穴』があった可能性は否定できない。
ヨウリン公爵家の、地下室?
そこに何があるのだ?
そこに何が隠されているのだ?
分からない。
分からないが、とんでもないものが隠されていることだけは分かる。
手の震えを必死で押さえつけた。
俺は国王。
3歳の幼女の言葉で取り乱すなどあってはならないことだ。
「…………、……情報、感謝する」
俺が何とか声を絞り出すとリリア嬢はにっこりと微笑んだ。
「陛下より賜りし玉音、まこと恐悦至極にございます。子々孫々へと語り継ぎ、未来永劫の宝といたしましょう」
◇
6年前を思い出し、余はつい笑みをこぼしてしまった。あのときと比べて今日のリリア嬢の何と常識的であったことか。
推測になるが、6年前のアレはリリア嬢ではなく、噂に聞く前世の人格だったのだろう。
前世の人格が現世の身体を操るなど聞いたこともないのだが、まぁ、そんなことを言い出したら“神”以外に金瞳を持つ者など存在しないはずなのだ。リリア・レナードという少女に常識を語っても無駄だろう。
6年間。
9歳。
リリア嬢は健やかに成長しているらしい。先ほどキナも言っていたが、持っている“力”から考えれば奇跡的なまでに善人だ。
子供が善き成長を遂げられるように。そっと道を整備してやるのも大人の役割だろう。
「……キナ。ヨウリン公爵に関する調査はどうだ?」
余の問いかけを受けてキナは瞬時に表情を真面目なものに変える。
「何もありません。えぇ、不自然なほどに」
キナの言うとおり、不自然でしかない。
我が王国の諜報部が6年もの歳月をかけて調査し、何も発見することができなかったのだ。
リリア嬢の語った地下室はあのパーティーの夜に火災で焼失。おそらく彼女とのやり取りに聞き耳を立てていた者がいたのだろう。
その後、密かに人員を派遣しているが、何もない。
普通の貴族であるなら不正の一つや二つしているものであるし、後ろ暗いことの十や二十あることが普通だ。
それがまったくない。
ヨウリン公爵家は王国にとって重要な地位にあるから調査がしにくいことも否定しない。だが、裏からも表からも調べ上げて何も発見できないということ、それこそが『何かを隠している』証拠であるようにしか思えなかった。
あのパーティーのあと、ヨウリン公爵家の血縁者であった料理長は謎の死を遂げた。トルマの実を推薦したことが偶然だったのか、それとも悪意あってのことなのかは永遠に謎のままだろう。
ただ、トルマの実について調べると人によっては吐き気がしたり、痙攣したりする事例があることが分かった。トルマの実自体に毒があるわけではなく、食べた人間の身体――身体の中の魔力が過剰反応を起こす、らしい。
さすがに子供を使っての実験をするつもりはないが、大人ですら吐き気、痙攣などと言った症状が出るのだ。トルマの実を食べさせられた子供が死んでしまっても不思議ではないだろう。
たとえトルマの実で死ななくても、身体が弱ってしまえば他の病気に罹る危険性は増すものだしな。
厄介なのはトルマの実自体に毒性があるわけではなく、食べる側の人間が過剰反応してしまうことか。それではいくら毒味をしようが、毒検知の魔導具を使おうが分かるわけがない。
トルマの実は竜列国の特産品であるという。ならばあの国ではトルマの実についての知識があったとしても不思議ではない。
そして、我が妃を苦しめていた悪魔のツボも竜列国からの贈り物……。
どうしてこうなった、と嘆くつもりはない。
これらの件は、元を辿れば余の不実が引き起こした事態なのだから。
トルマの実
→ 魔力が反応するアレルギーのようなものです。王家の子供は特に過剰反応します。
次回、16日更新予定です




