9.リリア・レナードという少女。 (リュース視点)
9.リリア・レナードという少女。 (リュース視点)
終わったと思った。
ギルスがリリア嬢にケンカを売ったのだ。
いや、分かる。
将来の側近候補であるギルスたちには教えてあるが、私が女であることは絶対の秘密。それが暴かれそうになったのだから(いやすでに暴かれたのか?)ギルスが過剰な反応をしてしまうのも仕方がない。
でも、相手を見てケンカを売って欲しかったなぁ!
リリア嬢だぞ!? ポーションを作った聖女だぞ!? 何でそんな相手にケンカを売ってしまうのだギルスは!?
リリア嬢の重要性を説明していなかった私が悪いのか? ……いやいや、私の側近になる人間なら、私がお忍びで会いに行くほどの人物について事前に調べる程度のことはするはず。してくれなければ側近は務まらない。
私が横目でサリアの姿を捕らえると、彼女は今にも倒れそうなほどに蒼い顔をしていた。理解。サリアは当然リリア嬢について調査済みであり、彼女の性格からしてギルスにも伝えていただろう。ただ、ギルスがことの重大さを理解していないだけで。
「控えろギルス!」
お願いだから謝罪して! 今すぐ!
もちろん私の内心をギルスが察してくれるはずもなく、ギルスは私の命令を聞かなかった上に流れるような動きでリリア嬢のメイドにもケンカを売っていた。
黒髪であるというだけで危険視するなど時代錯誤も甚だしい。しかも陛下(父上)の主導の下、黒髪の人間に対する差別根絶を推進しているこの時期に、王太子の側近候補が斯様な行動をするなど言語道断だ。
もうダメだ。
ギルスは側近候補から外す。
そう決めたが、だからといって事態が好転するはずもない。
もはや王太子である私の直接謝罪しか道はないだろう。リリア嬢も貴族の娘。私が謝ることがどれだけ『重い』か理解してくれるはず。
「り、リリア・レナード嬢! 貴女のメイドに対する無礼は私からも謝意を――むぐ!?」
背後から近づいてきたキナに口をふさがれた。
今さらキナに対して不敬罪がどうとか口うるさく言うつもりはないが、どういうつもりだ?
私がキナに視線で問い詰めると、彼女は小さな声で『アホは殴られなきゃ分かりませんぜ』と口にした。
殴る?
ギルスを?
彼、一応は父である騎士団長からしごかれているのだが? 騎士団長は“神槍”ガルド殿が認めた数少ない弟子なのだが?
ギルスは少々(いや、かなり)頭の出来が残念だが、それを補えるほどの槍術の腕があると判断されたからこそ私の側近兼護衛に抜擢されたのだ。
そんな男が相手なのだ、いくらガルド殿の孫で“神槍を継ぐ者”と評されているはいえ、9歳の少女が殴るというのは無理な話では……?
「――そっちから槍を出したんだ。死ぬ覚悟はできているんだろうな?」
ありえない口調が聞こえた気がした。
え? 今、リリア嬢が言ったんだよな? キナじゃなくて? 9歳の、貴族令嬢が、あんな乱雑な言葉を?
唖然とする私は、動けなくなった。
槍を構えるリリア嬢の立ち姿に目を奪われてしまったからだ。
……否。目を奪われた、というのは少し違う。
目を離せなかった。
目を逸らせば、死ぬ。私の本能がそう告げてきていた。
遠くで見ている私ですらそう感じたのだ、正面で向かい合うギルスが一歩退いたのも当然の話なのだろう。
「あ~らま、リリアがキレてら。珍しい。まぁ、初めてできた同年代の友達を侮辱されれば当然っすかね?」
なぜキナはそこまで平然としているのだ? これ、下手をすればギルスが死なないか?
「大丈夫ですぜ。リリアは手加減ってものを知っていますからね。その証拠に殺気は向けていない。……逆に言えば死なない程度の痛い目に遭いますが、まぁ、阿呆にはいい薬でしょう」
いやまて、あれほどの威圧感なのに殺気は出していないのか? 彼女が殺気を発したらどうなるのだ? それだけで死人が出ないか?
私たちの会話を聞いたのだろう、サリアがギルスの周りに聖魔法の結界を展開した。神職に進んでいれば未来の大神官になっただろうにと才を惜しまれた彼女だ。聖魔法の強靱さは子供ながら並の神官たちを圧倒している。
そんな援護を受けたギルスがリリア嬢に攻撃する。目にもとまらぬ速さの突き。で、あるはずなのにリリア嬢はため息をついた。見間違いではなく。とても退屈そうに。
一瞬、何が起こったか分からなかった。
数秒後に理解したのは、ギルスの槍が弾き飛ばされたということだけ。
そして――
「――姉御直伝! 姉御パンチ!」
ぶん殴った。
ギルスの顔面を。
9歳の貴族令嬢が。
ギルスの周りを覆っていた聖結界は粉々に砕かれた。リリア嬢の、聖結界を纏わせた拳で。
……はい? 聖魔法の結界は時間停止系。たとえぶつかり合ったとしても双方の動きが止まるだけで、片方が砕かれることなんてない。キナも『聖魔法ってそういうものじゃねぇんだけどなぁ』とつぶやいているので私の認識は間違っていないはずだ。
ギルスの歯は何本か折れたようだが、同情には値しない。自業自得だ。というか私の心境的にそれどころじゃない。
「あれが、姉御パンチ? え? 私ってあんなのを喰らう可能性があるのか?」
主にキナから。リリア嬢の姉御であるキナから。
私、一応女の子なんだけど……。
私の不安に答えるようにキナはにこやかな笑顔で親指を立てていた。その親指の意味は分からないが、祝福でないことは分かる。
私が乾いた笑みを浮かべている間にリリア嬢はメイドの元へ歩いて行った。……今気づいたが、ギルスの弾き飛ばされた槍がメイドの足下に刺さっている。
リリア嬢は自分の行いでメイドを危険にさらしたと理解し、そして――
「マジすみませんでした」
――土下座していた。
主神スクナ様が伝えたといわれる最上級の謝罪を。メイドに対して。
貴族がメイドに謝る? しかも、スクナ様の関わる神聖なる謝罪方法で?
「…………」
神槍を継ぐ者という評価に嘘偽りはなかった。
聖女であることも間違いはないのだろう。
1,500年ぶりにポーションを作成し、たった一人でワイバーンを倒せる実力者。
さらに言えばギルスを一発で戦闘不能にできるだけの武力も有している。
そんな彼女が、今、メイドの機嫌を直そうと必死に『おべっか』を使っている。その光景に最初は違和感しか抱けなかったのだが、しばらくして、すとんと納得する。
思い出したのはキナの言葉。
『リリアの姉貴分として助言するなら、あの子は特別扱いされるよりは年相応の子供として接した方が好感度は上がりますぜ?』
子供なのだろう。
まだ9歳の少女なのだろう。
やっていることは規格外で、すでに歴史に名を残すことは決定づけられているけれども。それでも、彼女は“普通の”少女なのだ。一人の人として、一人の少女としての扱いを望み、一人の少女として生きたいと願っているのだ。
彼女を知れば知るほど、周りの人間は彼女を祭り上げるだろう。『人を超えたもの』として扱うだろう。
それを彼女は望まない。
ならば、私のするべきことは一つだろう。
なぜなら私は、リリアという少女が『そういう子』だと気づいてしまったから。
――気づいた上で、何とかしてあげたいと思えたから。
ポーションとか、聖女とか、婚約者候補などという“煩わしい”ものはいったん脇に置いておき。私は、9歳のリリアという少女に『提案』しなければならない。
メイドへの謝罪が一段落したリリア嬢に近づく。当然のように彼女は私の接近を察知したので、私はまず胸に手を当てた。この国の貴族がよく使う挨拶の姿勢だ。誠意を示すという意味も込められている。
「リリア・レナード嬢。彼の無礼を私からも謝罪させてほしい」
治療中のギルスを横目で見てからそう口にすると、リリア嬢は9歳らしくない完璧な一礼で答えてくれた。
「殿下の御心のままに」
素晴らしい。
ここで『許します』と発言すると、王族を許す=王族を下に見たとして不敬罪になりかねないからな。
自分で謝っておいてそれはどうなのだと思うが、王族なのだから仕方がない。本来王族とは謝ってはならない存在なのだ。失敗を認めず、だからこそ決して失敗できない存在……。
リリア嬢はそれを理解し、最も無難な返しをしてくれた。いやがおうにも好感度が上がるというものだ。王太子としての命令に逆らったギルスを見たあとだと尚更に。
そんな彼女だからこそ。私は迷うこそなくその『提案』をすることができる。
私は彼女の前まで歩み寄り、地面に片膝を突いた。
そっとリリア嬢の手を取る。
「リリア・レナード嬢。どうか、私の“友達”になって欲しい」
「…………、……………………、……はい?」
目をぱちくりさせて驚いている彼女は、こういう言い方も何だが非常に可愛らしかった。
やはり彼女は“普通”の少女だ。
だからこそ、
「私は王太子としてではなく。リリア嬢は聖女としてではなく。今の地位も、未来に獲得する名声もいったん脇に置いておいて。ただ、一人の女と、一人の女としてキミと友情を築きたいのだ」
「…………」
私からの提案を受けてリリアはメイドを見て、キナを見て、そして最後に青空を見上げた。
「――どうしてこうなった?」
片膝を突いて、手を取りながらの『友達になりましょう』は、『結婚を前提に友達からはじめましょう』的な受け取られ方をします。この国の貴族的には。
もちろんリュースは無自覚です。無自覚女殺しなので。
次回、13日投稿予定です。




