閑話 王太子と王宮大神官
キナ = リリアの姉御
閑話 王太子と王宮大神官
“神授の薬”であるポーションが1,000年ぶりに確認された。
しかも、保存されていた遺物ではなく、作られたばかりの新品だという。
もしも本当に新品だとしたら実に1,500年ぶりの作成となる。
当然のことながら王宮は大混乱。騎士団は他国の密偵が潜んでいないか大規模な捜査線を張り、魔導師団は防諜魔法の再確認や関係者へ吹聴防止魔法を施し、さらには国中からランクAの鑑定眼持ちを召集するなどの準備を重ねて……今日、やっとポーションが王宮に持ち込まれることとなった。
鑑定の場にはもちろん王太子である私も呼び出されることとなり……。準備期間に比べるとあまりにあっさりとポーションは本物であると認定された。
ポーションを製作したのはレナード子爵家。王国一の商会であることはもちろんのこと、“神槍”のガルド殿や“白銀の魔王”リース殿、伝説のエルフであるアーテル殿など武力的にも目を離せない勢力だ。
正直、レナード家が反乱を起こしたら数日で王国は無くなると思う。
そんなレナードが相手なのだから対応は慎重に慎重を重ねないとならない。ならない、はずなのに……。あの、父上――じゃなくて陛下。なぜこの件の責任者が私になっているのでしょうか?
確かに私も9歳になり、王太子としてそろそろ執務の補助だけではなく一つの仕事を任されるべき年齢となったのは理解していますが、いきなりこれは責任が重すぎるのでは?
私の抗議に陛下は『問題ない』と一言だけ。この瞬間私がポーションとそれに関するレナード子爵家との交渉を担当することになった。
……どうしてこうなった?
◇
私は王宮の廊下を歩きながら頭を悩ませていた。
私は王太子ではあるが、レナード家とさほどの交流があるわけではない。相手は子爵家なので当然と言えば当然。夜会の際、現当主と何度か会話をしたことがあるくらいだ。
その時に受けた印象は――恐い人。というものだった。
ダクス・レナード。
彼を相手にするとき、王太子という地位すらも意味を持たないだろう。その気になれば謀略のみで私を追い落とすことも可能であるはずだ。
神槍のガルド。白銀の魔王。二人から娘婿と認められた男が平凡であるはずがないのだ。
さて、そんな彼をどう攻略するべきだろうか?
まず、勅命によってポーションの製造方法を強奪することは絶対にしてはならない。そんなことをしたら冗談じゃなく王国が滅ぶ。
わざわざ王宮に話を持ってきたのだからレナード家も王家の力を欲していると見るのが自然だろう。
レナード家ができずに、王家にできることなど限られている。販売の独占権か、あるいは本物であるという保証か。保証が欲しいのなら教会に行くだろうし、ここはレナード家に販売の独占権を与えることを軸に交渉を――
「――おやぁ、殿下。またずいぶんと難しい顔してんじゃねぇですか」
背後から何とも気の抜ける声がかけられた。
振り向くと、そこにいたのは予想通りの人物。
キナ・リュンランド侯爵令嬢。
二十代でありながら王宮教会の大神官に抜擢された天才。黙ってさえいれば完璧な修道女。なのだが、口を開けばどうなるかはご覧の通りだ。
「大神官。その口調はもう少しどうにかならないのか?」
年上に対して敬語を使わないのは少々心苦しいが、王太子という立場なのだからしょうがない。
「んあ~、すみませんねぇ、ちぃっとばかし訛っているかもしれませんが、田舎出身だからと大目に見てくださいや」
リュンランド侯爵家の領地が田舎とは、とんでもない謙遜もあったものである。
「それに、あたしから言わせりゃあ殿下が堅苦しすぎなんですわ。もっとあたしみたいに肩の力を抜いた方がいいですぜ?」
「…………」
私だって、できることなら彼女のように自由に生きてみたい。
でも、そんなことはできない。
私は生まれたときから男として――王太子として生きることを決められていたのだから。
「……それで、大神官。今日は何の用だ?」
「いやいやご用なんて大層なもんじゃありませんよ。ただ親愛なる殿下のお姿が見えたんでお声がけしただけでしてね」
「そんな理由で声をかけてくるような殊勝な人間か? 王族などという面倒くさい連中からはなるべく距離を取る。それがキナ・リュンランドという女性だと思っていたのだが」
「おやおやあたしのような人間のことを理解してくださっているようで嬉しいですねぇ。んじゃまぁ遠慮なく本題に入らせてもらいまして、と。――殿下、お見合いしませんか?」
「……は? 見合い?」
「殿下も9歳ですからねー。そろそろ見合いの10や20はこなしませんと」
10や20のお見合い。王太子ならあり得ることが恐ろしい。
「王太子として、婚約者がいてもいい年齢だということは理解しているが、大神官が紹介するのか? ……あぁ、リュンランド侯爵家に縁がある者なら不自然ではないな」
「いやいやあたしと侯爵家は絶縁状態みたいなもんですからね。紹介する義理はありませんわ。紹介したいのはあたしの妹分でしてね」
大神官はポケットから額縁を取り出した。額縁と言っても壁に飾るような大きいものではなく、片手で持てる程度の小ささだ。
受け取って目を落としてみると、少女の肖像画が入れられていた。
いや、肖像画という表現は正しいのだろうか? 描写は驚くほど精緻であるし、使われている顔料も私が今まで見てきたものとは一線を画す。まるで、時間をそのまま切り取ったかのような一枚ではないか。
そして、描かれている少女。
ぐわん、と。頭を横から殴られたような気がした。
光り輝くような白銀の髪。
神話に語られる深紅の瞳。
そして、これまで見てきたどんな淑女よりも整った顔つき。
美しさだけでも息を飲み心奪われる存在。
でも、なぜだろう? 私は何か別の理由で肖像画から目を離せないでいた。
いつか、どこかで見たことがあるような……?
「頭痛ですかい?」
大神官の言葉で我に返る。自覚のないまま頭を押さえていたらしい。
「いや、この肖像画の出来に驚いてしまってね。つい呆然としてしまったようだ」
「あたしとしてはリリアの美少女っぷりに驚いて欲しかったんですがね。ま、いいでしょう。彼女の名前はリリア・レナード。今何かと話題なレナード家の長女っすわ」
レナード家。
1,500年ぶりにポーションを作った家。
しかし、鑑定の場にいなかった大神官にそのことを知る由はない。特に教会の関係者なら尚更だ。王権と宗教勢力との対立が表面化しつつある今、ポーションという“神授の薬”の存在は教会側に伏せておきたいのだから。
「……何かと話題、か。たしかレナード家は先月新しい魔術理論を献上したのだったな。商売だけでなく魔法研究にも力を入れているのは素晴らしいことだと思う」
王太子としては当然の誤魔化し。
だが、キナ・リュンランドは笑った。まるですべてを見通しているかのように。
「それじゃなくてですねぇ。ポーションを作っちまったでしょう? あぁ、とぼけたんですかね? その年で腹芸を使いこなすとは立派立派。……ま、“神授の薬”を教会ではなく王家が手にしているとあらば、神の名の下に無茶をする“神聖派”連中への切り札になりますからねぇ。とぼけるのも当然っすよ」
「…………」
素早く周囲を見渡すが人影は無し。防諜の魔法は魔導師団がかけ直し済み。そして大神官の右手に光る指輪はおそらく盗聴防止の魔導具だろう。
すべて承知の上で大神官は話をしたのか。
しかし、だからといってベラベラと喋っていいものではない。
「大神官。ポーションについては箝口令が敷かれているはずだが?」
「ははぁ、そうなんですか? いや~知りませんでしたわ~あたしは隠し事をされた教会の人間なんでね~。ま、これからは気をつけますわ」
「誰から教えられた?」
「おっと、別に箝口令が破られたわけじゃありませんぜ。あたしはポーション制作者本人から聞いただけなんでね。箝口令の対象外ってヤツですわ」
「…………」
「ご安心を。あたしは“人道派”の人間だ。“神聖派”には、言葉は悪いが滅んで欲しいと思っている。だからこそあたしと殿下はいい協力関係を築けると思うんですがねぇ?」
「私に何をさせるつもりだ?」
「いやいや、そんな。敬愛すべき殿下に何かしてもらおうだなんて思っちゃいませんよ。恐れ多いってヤツですな。今のところはあたしが味方であると認識してもらえれば十分。ポーションの件はあくまでついでで、今日の本題はお見合いですわ」
見合い。
レナード家は子爵家であるが、王国の現状を鑑みれば悪い話ではないだろう。“邪神討伐”の褒賞として、元々は公爵にするべきという話が出ていた家であるし、国王の姪も嫁いでいる。その上さらにポーションを作ったとなれば文句も出まい。
「……リリア・レナード嬢についてはうわさ程度なら耳にしている。銀髪で、赤目。しかも眼帯の下にはスクナ様と同じ金色の瞳を有しているそうだな?」
「ついでに言えばさっき話題になった新しい魔術理論を完成させた人間で、あと数年経てば正式に“聖女”に認定される存在。それと、ここだけの話、ポーションを作った張本人っすわ」
聖女?
「……待て。色々と指摘したいことはあるが……、そんなリリア嬢と私との見合いがどのような意味を持つか理解しているのか?」
私の戸惑いを楽しむかのように大神官は口の両端を吊り上げた。
「教会――いや、教会の“人道派”は聖女であるリリアと殿下がくっついてくれた方が後々やりやすい。ここだけの話、陛下とガルド様の間で見合いの件は進められていますし、陛下が殿下を今回の件の責任者に任命したのもその一環ですね。ポーションについて調べを進めれば、自然と制作者であるリリアにたどり着きますから」
「この件をきっかけに私とリリア嬢との顔合わせを済ませ、できることなら親交を深めてもらいたいと?」
「ご明察」
「……想定外の情報ばかりで少々頭が痛くなったが、一つだけ確認したい。キナ・リュンランド侯爵令嬢。それらの情報はどこから仕入れてきたのだ? いくら教会の大神官とはいえ、できることとできないことがあるだろう?」
ただの大神官が得られる情報ではない。
ならば、逆説的に、彼女は大神官以外にも何かをしているのだろう。一番可能性が高いのは『諜報員』か。
私の思考を読み取ったかのように大神官は不敵な笑みを浮かべた。
「おっと、それは企業秘密ってヤツですね。ただ、変に疑われるのも何ですから一つだけお約束できるとしたら……。殿下が“陛下”になれられたらすべてをお伝え致しましょう」
つまり、父上の直属であると。
対立関係にある教会内部に諜報員を潜り込ませ、しかもその人材を王宮教会の大神官に据えてしまうのだから――我が父親ながら、恐ろしい人だ。
「ま、何の心構えも無しに話を進めるのも可哀想ですし、最低限知っておくべきことは伝えました。あとは殿下の頑張り次第ということで。……リリアの姉貴分として助言するなら、あの子は特別扱いされるよりは年相応の子供として接した方が好感度は上がりますぜ?」
銀髪赤目。神と等しい金目持ち。9歳で新しい魔術理論を編み出し、聖女となる人間。さらにはポーションを再び人類の手に取り戻してみせた存在を、年相応の子供として扱えと? 中々に無茶ぶりをされたものだ。
「……忠告感謝しよう」
「ま、大丈夫でしょう。これはあたしの勘ですが殿下とリリアは気が合いそうですし。ただし、リリアを泣かせたら“姉御パンチ”をさせてもらいますけどね」
「大神官に殴られたらそれだけで昇天してしまいそうだな」
「ははっ、浮気しなきゃいいんですよ。……あ~。でもそうか。殿下がやらなくてもリリアはアレなのか」
「アレ?」
「生来の女たらし。しかも無自覚。この前も同い年のメイドを落としていましたね。野郎に興味がないのがせめてもの救いか」
「…………」
「なのでリリアに手を出すならその辺は覚悟しておいて欲しいですな。ま、王太子なのだから嫁が“百合ハーレム”の一つや二つ作ることくらい許容できる器を持つべきってもんでしょう」
何とも無責任なことを言いながら大神官は私に向かって歩を進め、すれ違った瞬間、
そっと囁くような言葉を発した。
「――それに、リリアならあなたの秘密も受け入れてくれるでしょうし」
一瞬思考が止まった。
その意味を理解し私が振り返ったとき、大神官はすでに廊下の端まで足を進めていた。
角を曲がる直前に見せた笑顔に果たしてどんな意味があるのか……。
ポーション。
見合い。
聖女。
そして、キナ・リュンランドという存在。
めまぐるしく飛び込んでくる情報に私は確かな頭痛を感じてしまい、額に手を当てながら思わずつぶやいてしまった。
「どうしてこうなった……」
次回更新、12月18日予定。




