閑話 剣劇少女
※すみません、予約投稿できていませんでした
その高名はかねてから耳にしていた。
王太子の婚約者に選ばれ、聖女に選ばれた奇跡の少女。
かの『神槍』の愛弟子であり、すでに複数体のドラゴンを退治しているという。
ラミィが最近やっと倒せるようになったドラゴンを、数年前から……。
――戦ってみたい。
ラミィにとって、それはドラゴンを倒す前からの望みだった。
公爵令嬢である自分が望めば、あるいはリリア・レナードと手合わせをすることくらいはできたかもしれない。
けれどもドラゴンすら倒せていない自分がリリア・レナードと戦うことなど許されるはずがなく……。修行に励み、“見切る”力を手に入れ、やっとドラゴンを討伐できたときにはもうすべてが手遅れだった。
王太子の婚約者。
大聖教に認められた聖女。
いくら『考えなし』と姉にたしなめられるラミィでも、そう簡単に手合わせを願える存在ではないことくらいは理解できた。
……実際は『そう簡単に』どころではない難易度なのだが、そのあたりの認識の甘さはやはり『考えなし』なのであろう。
しかしそんな甘い彼女にもさっそくチャンスがやって来た。王宮に出現したというダンジョンの調査。王宮という場所柄貴族しか乗り込めないであろうそのダンジョンに、リリア・レナードもやって来るという。
いくら『甘い』ラミィとはいえ、リリアと戦えるとは思っていなかった。ただ直接目にできればどれほどの実力かくらいは分かるだろうと考え、ダンジョン調査を受け入れた。
そして中庭へと移動したラミィは、とうとうその少女を目にすることができた。
――美しい少女だった。
もちろん見た目も美しい。尊敬する初代勇者と同じ銀糸の髪に、白い肌。宝玉のように輝く赤い瞳など『芸術作品』と評しても惜しくはない綺麗さだ。
しかし、何よりも美しいのは、その立ち姿だった。
隙がまったくない。
貴族子女らしい細さでありながらも、鍛え上げられていることが分かる肉付き。微塵もブレがない大樹のような体幹……。
リリア・レナードは槍使いだとは聞いているが、あれだけの鍛練を積んでいるのなら、たとえ強化魔法を使わずとも大人を圧倒することができることだろう。
――戦いたい。
ラミィが凜然と輝く目でリリア・レナードを見つめていると、なにやら状況が動き出した。リリアと比べ、あまり強くもなさそうな男子がリリア付きのメイドに求婚したのだ。
途端。
不意に襲いかかってきた威圧に、ラミィは思わず息を飲んだ。
求婚した男子は泡を吹いて気絶し、周囲にいた近衛魔導師団員も混乱に陥る。あまり強くなさそうな男子はともかく、近衛魔導師団とは王と王宮の守りを任されるべき存在。国中から集められた凄腕の魔導師の中から、さらに上澄みだけを集めた天才集団。
であるのに、たった一度の怒りで、たった一度の威圧でそのほとんどが戦闘不能になってしまった。
…………。
威圧が風となったのか、突風が中庭を吹き抜け、ラミィの髪を揺らした。
視界の端に映ったのは平々凡々とした茶色の髪。どこにでもいて、無才の証明で、リーンハルト家伝統の『赤髪』ではない髪の色。
父からは早々に見切りを付けられ、母からは別の道を進められた。『ヴィートリアン王国の剣にして盾』であるリーンハルト家に生まれながら、剣を握らず、戦場に出ず、有利な家に嫁入りすることを期待された。
ボクには、剣があればいいのに。
ボクには、剣しかないのに。
ボクには、赤い髪がないのだという。
――才能がないのなら、努力で何とかしなければならなかった。
頑張って。頑張って。頑張り抜いた先に強くなれば、きっとどうにかなると信じていた。
そんなラミィの目の前にいるのは、才能の塊。まさしく天稟。天に愛された少女。
魔術師としての大成が約束された銀髪。
初代勇者と同じ色の右目と、主神スクナ様と同じ左目。
邪神を討伐せし勇者ガルドと、白銀の魔王リースを祖母に持つ血統。
――天才。
その言葉だけではとても言い表せず、そうとしか表現のしようがない少女。そんな少女が目の前にいて、剣の届く範囲にいる。
ならば、倒さなければならなかった。
無才の者として。天才である少女を。
ラミィは、倒さなければならなかった。
◇
――リリア・レナードは暴風雨のような少女だった。
一撃が重く、速く、なによりも容赦がない。
あれだけ鍛練を積んでいるのなら真っ当にやるだけで敵を圧倒できるだろうに、当然のようにフェイントを織り交ぜてくる。
誇りなどなく。意地などなく。ただ、ただ、勝つことだけを追い求めた戦い方。先ほどの男子とはまるで違う、ともすれば『卑怯』と罵られかねないのがリリア・レナードの槍捌きだった。
――面白い。
直感で剣を振るう自分とはまるで違う、理を追求し尽くした技の数々。あまりにも合理的すぎて簡単に予測ができるはずなのに、鍛え上げられた筋肉と体幹によって繰り出される強撃は受け止めることすら困難だ。
――ここまで強くなるか。
たった十歳で。
自分と同い年で。
人間とは、ここまで強くなれるものなのか。
ただの才能ではない。
努力しなければ。
陳腐な表現だが、血のにじむような努力をしなければ。
ここまでの高みには至れないはずだ。
…………。
自分の認識が間違っていたとラミィは理解する。
リリア・レナードは努力の人だ。
努力して、努力して、努力を積み重ねて今の力を手に入れたのだ。
ラミィと同じく……。
努力しかできない凡人が、努力も出来る天才に勝てる道理はない。
だが、負けない。
負けるわけにはいかない。
努力。
鍛錬。
自分にはそれしかないのだ。
貴族としての教育に加え、王妃教育に、聖女としての活動……。鍛錬に割ける時間が限られる女に、冒険者として、好きなだけ鍛錬に時間を割ける自分が。
負けるわけには、いかないのだ。
まるで決意を反映したかのようにラミィの瞳が爛々と煌めいた。
――閃く。
道が見えた。
剣を振るうべき軌道が。
勝利できる未来が。
光の弧という形で、ラミィの“瞳”が捕らえた。
――勝てる。
確信を抱いて右手の剣を振る。
視えたのは至るべき未来か。あるいは相手の生んだ隙か。
ラミィにはどちらかは分からないが、迷いはない。
今まではそうして勝ってきた。
先輩冒険者にも、巨躯なるオークキングにも、強大なるドラゴンにも。
幾度となくラミィに勝利をもたらしてきた。
幾度となくラミィの命を救ってきた。
だからこそ、全身全霊。最高最速の一撃をリリア・レナードに振り下ろした。
槍による防御は間に合わず。回避もできず。反応すらできないはずの一振りをリリア・レナードは確かにその赤い瞳で捕らえて――
槍を、手放した。
空いた右腕で、剣を受けた。
鮮血が視界を埋める。
リリア・レナードの右手を。中指と薬指の間を切り裂いて。刃は手の甲の半ばでやっと止まった。
寸止めするつもりだった。
首筋に刃を押し当てて、終わりにするつもりだった。
そんな言い訳に意味はない。
事実としてリリア・レナードの右腕は切り裂かれ、鮮血が中庭を赤く染めているのだから。
愕然とするラミィに、リリア・レナードは笑いかける。
大丈夫。気にしないで。
と、許しを与えるほど彼女は甘い人間ではない。
引き裂けんばかりに口端を吊り上げて。
その一言を、口にした。
「あぁ、やっぱり――」
――ラミィ様、人を斬ったことがないんですね。
人を傷つけたことがあれば。大量出血するほどの深手を負わせた経験があれば。致命傷でもないこんな傷で、ここまで動揺することはない。
すでにリリア・レナードに槍はなく。しかし彼女は攻撃を選択した。
無事な左手をラミィの腹に押しつけての、掌底打ち。
踏み込みと捻り、身体の『流れ』を左手に集中させた一撃は、振りかぶりがないながらもラミィの内臓に深刻なダメージを与えた。
「ぐぅ……っ!?」
薄れゆく意識の中。
ラミィは見た。
もうすでにほとんどふさがった右手の傷と、平然とするリリア・レナードの顔を。
いくら自動回復のスキルがあろうとも、痛みを感じないわけではない。だというのに迷うことなく勝利のために右手を『犠牲』にしてみた彼女に――
――あぁ、負けたのか。
心底納得したラミィはあっさりと意識を手放した。
次回、1月20日更新予定です。




