閑話 教会で
薬指の指輪は外れませんでした。
リリア様が引っ張っても、異変に気づいたセバスさんが引っ張っても、神様(?)であるウィルド様が引っ張っても抜けませんでした。そろそろ薬指の耐久力がゼロになりそうです……。
『関心。非常に興味深い。ハティ・フローズヴィトニルソンは月を喰らう悪狼であり、神々の黄昏 (ラグナロク)においては天を血で染めて世界を滅ぼす一助となった』
なにやらウィルド様が解説を始めました。驚くほどの無表情ですが背中の羽根がわさわさしているので興奮している……のでしょうか?
『神話におけるハティの記述には『麗しき、天の花嫁の前を行く』という一文がある。この天の花嫁とは太陽のことであり、太陽の前を行き、月を追いかけていると解釈される』
あ、はぁ、そうなんですか?
話の流れからするとこのハティが『悪狼ハティ・フローズヴィトニルソン』であると?
『肯定。本来であれば生きているだけで月を追い始め、いずれは世界を滅ぼすことになる』
私の腕の中にいるハティがじっと私の顔を見てきます。くりっくりのつぶらな瞳で。
…………。
ふふふ、分かってませんねウィルド様。
こんな可愛い子が世界を滅ぼすはずがないでしょう?
「……ミリス様ってやっぱり『おもしれー女』ですよねー意外と」
『……同意。やはり類は嫁を呼ぶ』
「嫁ってなんやねーん」
リリア様の雑なツッコミをスルーしてウィルド様が解説を続けます。
『しかし、ミリスの指輪が外れない理由がハティの能力によるものだと仮定すると、ハティには『花嫁を祝福する』能力があると考えられる。つまり『天の花嫁』とは太陽のことではなく、そのまま麗しき花嫁という意味となる』
あ、やっぱり指輪が外れないのはハティのせいなんですか? ハティにつけられて外れなくなったのだから自然な考えですけど……。
『うまくいけば結婚式において花嫁の手を引き、夫となる人間の元へと案内する者……つまりは『月を喰らう悪狼』ではなく『花嫁の手を引く祝福者』として世界に刻まれる可能性がある』
なるほどつまりどういうことなんです?
『……このままミリスが『花嫁』としてアンスールと結ばれれば、ハティもこのまま『祝福者』となり、世界を滅ぼさない可能性が高い』
うん?
それは?
もしかして?
『世界の存亡はミリスとアンスール(リリア)に託された』
「託さないでくださいよ!? 私! 平凡な! 悪役令嬢!」
「……いやぁ平凡な悪役令嬢はハティを使い魔にできないと思うな私」
「使い魔なんですか!? 契約なんてしていませんけど!?」
「そりゃあ真名を名付けちゃったうえに、世界を滅ぼすほどの悪狼が『誓おう。我が力は彼女のために』と宣誓しちゃったんですから。多少の手順なんて無視して契約完了ってなもんですよ」
「何という押し売り使い魔! というかリリア様落ち着きすぎじゃありません!? 結婚ですよ!? 同性ですよ!?」
「いやだって今さら一人増えたところで……。それにウィルドは神様だしミヤ様も皇女だもの。もういっそ公爵令嬢でも驚かなくてもいいかなー慣れちゃったなーこういう展開ー、なんて?」
「驚いてください! それは! 慣れちゃ! いけません!」
聖女でヒロインで宮廷伯で王太子殿下の婚約者であるリリア様に全力のツッコミをしてしまう私でした。どうしてこうなりました?
◇
そのうち私は考えることを止めました。
いやだってキャパオーバーですもの。リリア様じゃないのですから世界の存亡とか託されても困ります。私にできるのは自分の破滅フラグを回避するために頑張ることくらいで……。
『指摘。普通の人間は自分の運命も変えられない』
「しぃー、いま一生懸命自分に言い聞かせているんだから邪魔しちゃダメだよ」
リリア様から哀れみの視線を向けられてしまいました。誰のせいだと……。
「いやぁ、誰のせいかと問われれば、ハティを助けちゃったミリス様が根本的な原因なのでは?」
「よく考えればそうかもしれないですけど……助ける前に、もうちょっと事の重大性を教えてくださっても良かったのでは?」
「だって『その子犬、世界を滅ぼすから見捨てなさい』とか説明しても信じないでしょう?」
「……信じるか信じないかと言われれば、『またリリア様が変なことを言い出したな~』くらいにしか感じないと思いますけど。主に今までの行いのせいで」
「ぐふっ、K.P.(心・ポイント)に絶大なダメージ」
「いやなんですかK.P.って……」
「精神の耐久度を数値化したものです。精神ダメージが一定量を超えるとぶっ飛ばされます。ぐはぁって感じに」
「精神ダメージなのに?」
リリア様にツッコミしている間に目的地の教会に到着しました。どこにも変わったところのない石造り。建物に痛みが少なく見えるのはウィリスが寄付をしているおかげでしょうか?
原作ゲームにおけるウィリスの初恋相手、レイナさん。
私の破滅フラグになるかもしれない人。
そんな人をこれから見ることになると思うと、リリア様に対するときとは違った意味で胸の鼓動が乱れますが……今気づきました。私、レイナさんの顔知りません……。
だって原作ゲームでも回想シーンの立ち絵は黒塗りでしたし。メタ的に言えば脇役なのでビジュアル設定もありませんでしたし。知らなくてもしょうがないと思いませんかリリア様?
「こういうのって写真は無理でも外見的特徴くらいは調べておくものなのでは?」
リリア様から真っ当すぎるツッコミを入れられてしまいました。リリア様から。あのリリア様から。ぐふぅ、K.P.に絶大なダメージです……。
「ミリス様からの評価が非常に気になるなー私」
『忠告。世の中知らない方がいいことはある』
「うちの嫁が辛辣すぎる件……」
そんなやりとりをしつつ教会から少し離れた路地に陣取り、ちょっとだけ顔を出して様子をうかがいます。
教会の庭にいたのは孤児であろう子供たちと、我が弟ウィリス。そして、白い修道服に身を包んだ女性でした。
この世界は汚れのなさを現すために修道服が白いんですよね。唯一黒い修道服を着ることが許されるのは神様と最も近しいとされる聖女様だけ……。あれよく考えると私のすぐ側にいますねそんなお偉いさんが。ツッコミしまくったせいでちょっと実感が薄くなってしまいましたけど。
「リリア様、あの修道服の女性がレイナさんでしょうか?」
なんというか、ものすっごい美少女です。髪色こそ平凡な茶髪ですし畑仕事をしているのか少し日に焼けていますけれど、ともすれば欠点となり得るそれらの要素を『素朴で健康的』と肯定的に捉えてしまえるほどの美貌の持ち主でした。
眼帯を外して様子をうかがっていたリリア様が頷きます。
「そうですね。年齢は十二歳。将来の夢は神官になって孤児院を引き継ぐこと。男子から変な目で見られることが多くなったのが最近の悩み。おっ、ウィリス様のことは憎からず思っていますね。お貴族様なので最初から諦めている感じですが」
「いやリリア様、視すぎです。プライベートに配慮してください。個人情報保護法です。この世界にはそんなものがないことは分かっていますけど! 前世の記憶があるんだから配慮してくださいよ!?」
「いやぁなんだか最近また“左目”がレベルアップしたみたいで? 読む気がなくても読んじゃいました。この眼帯は邪視封じなんですが、そろそろ新調しなきゃですかねー姉弟子は『これ以上の術式は無理よ!』と嘆いていましたけど」
「姉弟子って魔導師団長ですよね? その人が作った魔導具で押さえきれないんですか? やだこの人原作よりチートなんじゃ……?」
「ま~私のことはどうでもいいとして。どうします? 『平民なんかに弟は渡せないわ! この虫けらめ!』とかやっちゃいます?」
「まんま悪役令嬢の言動じゃないですか……。う~ん、レイナさんもウィリスのことを憎からず思っているのなら現状維持でいいのでしょうか? 正妻は無理でも側室なら大丈夫ですし。ウィリスならその辺も弁えてくれるでしょう」
「貴族って面倒くさいですねー」
「いやまったくです――じゃなかった。私たちは貴族なのですから家のため国家のために最善の選択をしませんと」
思わず本音が漏れてしまいましたが、仕方ありません。前世のフリーダムな身分制度が知識として存在するのですから。
リリア様が眼帯を元の位置に戻しました。
「……う~ん。まぁ現状維持ならそれでもいいんですけど。護衛くらい付けておいた方がいいと思いますよ?」
「え? 何か危険なものが視えたんですか?」
「危険というか……なんだかレイナさんが攫われる場面が視えたような……。あれマジでレベルアップしすぎた? スクナ様は未来視もできたらしいから“金の瞳”で視えても不思議じゃないんだろうけど……。とりあえず姉弟子に相談かな?」
「…………」
聞こえなかったふりしていいですか?
いや無理ですよね。だってレイナさんの危機ですし。でもとりあえず突っ込ませてください。あなた原作ゲームでも未来視とかできませんでしたよね!? どうしてそうなりました!?
「習得したばかりなんで自信を持っては言えないですけど……まぁスクナ様と同じ“金の瞳”ですからね。未来を視ちゃった可能性はあるかと」
「…………」
どこかしみじみとした様子で語るリリア様を見て、私はツッコミを続けることができませんでした。
人の心が読める上に未来も視えてしまう……。そんなの、大変じゃないのでしょうか? もしも私だったら一日で発狂する自信があります。特に心が読めちゃうことが。貴族なんて言ってることと本音が違って当然の生き物ですし。
「…………」
私みたいな凡人に何かできるとは思えません。
それでも、私は口を動かしてしまいました。
「……あの、リリア様。何かあったら相談に乗りますので……いえ私なんかじゃ頼りにならないのは分かっていますけど、話せば楽になることもありかもしれませんし……」
私の発言を聞いたリリア様は目を丸くして驚き、そして、柔らかく目を細めました。
「ミリス様マジ萌える」
「……は?」
『苦言。照れ隠しでふざけるのは感心しない』
「いやだって真っ正面から口説かれちゃったし? そういえば好きだとか愛してるとか言われることは多いけど口説かれる経験はそんなになかったなーとか結構恥ずかしいなこれーっていうか?」
「く、口説いてませんけど!?」
「天然なんですか? なんとまぁ私を超える女たらしがいたとは……ミリス様、恐ろしい子!」
「たらしてなどいませんが!?」
『同意。アンスールを超える女たらしなど存在しない』
「断言されてしまった……。いやいると思うよ? わたしの弟とか……」
リリア様の反論はウィルドの『やれやれコイツ分かってねぇなぁ』と言わんばかりのため息で封殺されてしまいました。ウィルド様は独自のペースで話に割り込んでくるのでそれまでの流れをぶった切られてしまいますね……。
リリア様もペースが狂ったのか話題を元に戻しました。
「ま、とにかく。誘拐犯なんて腕利きの護衛がいれば撃退できるんですから、テキトーに腕の立つ人を見繕えばいいんじゃないですか?」
何でもないことのように言うリリア様ですが。誘拐犯って対象を生かしたまま攫わないといけないから結構腕が立つと聞いたことがありますよ? リリア様、ドラゴンとかの強敵と戦いすぎて感覚狂ってませんか?
「で、ではお父様とも相談してガングード家から腕利きの方を――」
「あ~。ガングード家からというのは止めた方がいいのでは? ねぇセバスさん?」
私分かってますよと言わんばかりにセバスさんを見るリリア様でした。え? どういうことですか?
苦々しく、といった風にセバスさんが口を開きました。
「……ウィリス様とウィルクード伯が密談している可能性がある以上、公爵家から護衛を出すと警戒されてしまうやもしれません」
そういえば。
ウィリス様が実父と秘密裏に接触しているかもしれないというのが今回の話の発端でしたっけ。破滅フラグのレイナさんとか、ハティとか、リリア様への怒濤のツッコミとかですっかり忘れていましたけれど。
リリア様がどこか小馬鹿にしたような笑みをセバスさんに向けました。
「ま~貴族なんで疑いたくなる気持ちは分かりますけど? ウィリス様はあの残念男の暴走をのらりくらりと押しとどめているんだから疑っちゃ可哀想ですよ? ――家族なんだから、ちゃんと信じてあげませんとね?」
「…………」
家族。
そうですよね。私たちは姉弟なんですから、ちゃんと信じてあげないといけないですよね。
そして。
レイナさんが私の破滅フラグであることはもちろんですが、それと同時に、ウィリスの思い人であるのも変わらない事実なんです。誘拐されたりひどい目に遭ったりなんて許せません。
「ガングード家からの護衛が難しいなら、私個人が護衛を雇いましょうか?」
これでも会社を経営していますからね。護衛費は経費で落としますよ経費で。
私の提案にリリア様は呆れたように、それでもどこか嬉しそうに目を細めました。
「ほんと、底なしの善人ですね」
もうやめて! 魔導師団長(姉弟子)のライフはゼロよ!
ウィルドさん、興奮しすぎて普段の口調を忘れていました。
さらに言えばミリス様はリリアと付き合いだしてから口調がちょっと乱暴になっています。
次回、9月14日更新予定です




