閑話 ピタゴ〇スイッチ異世界ver.
ガングード公は悩んでいた。
娘であるミリスから冒険者ギルドに行きたいと相談されたためだ。
ガングード公とて愚かではない。最近のミリスが図書室などで『世界の終わり』について調べていることは知っているし、だからこそ禁書庫への立ち入りを許可したのだ。
無論、危険な行動をしないよう影ながら護衛に監視させている。
まずは父に相談し、一人で行動するような無謀をしなかったことは喜ばしいが、しかしどうしたものか……。普通の子供相手であれば『バカなことを考えるな!』と頭ごなしに叱りつければいいだけなのだが……。
自分一人で決めかねたガングード公は信頼できる執事・セバスに相談することにした。
「そもそも、お嬢様はなぜ世界の終わりを調べておられるのでしょうか?」
セバスから改めて問われたガングード公は少し頭を悩ませた。ガングード公であればここ数十年の魔物の出没傾向を把握していて、最近の増加数が異常であることと、それを世界の終わり発生の可能性と繋げることができる。
しかし、ミリスには開示していない情報だ。
たとえ家中の噂話を聞いて魔物の出没が増えていると知ったとしても、いきなり世界の終わりを連想することはないだろう。魔物が急増することなど以前にもあったのだから。
子供らしい妄想で領内の危険と物語の世界の終わりを繋げてしまった……? その可能性もないではないが、しかし、あれだけのことを成し遂げてきたミリスがそのような短慮を起こすだろうか?
今のミリスの行動は、まるで世界の終わりが起こることを最初から知っていたかのような……。
ありえない愚考だ。
くだらない妄想だ。
しかし、ガングード公は「何をバカな」と切って捨てることはできなかった。
未来を読み。
運命を変え。
多くの人々を救ってみせた『救世主候補』を知っているがゆえに。
(リリア・レナード。彼女と会ったときのミリスの様子は尋常ではなかった。あのとき、なにか『通じ合うもの』があったとしたら……)
それがたとえば、ガングード領を襲う悲劇だとしたら?
(……いや、考えすぎだな)
一個人のする空想としては興味深いが、宰相という身分でやっていいことではない。
「ミリスが世界の終わりをどうやって知ったかは追々調べるとしよう。場合によって防諜を見直すことになるかもしれないからな」
「えぇ、それがよろしいかと」
「問題は冒険者ギルドの視察だ。最近はミリスの会社で冒険者用の皮鎧なども作っているから、冒険者たちに使用感を聞きたいというのは理にかなっているが――」
「おそらく、世界の終わりを見越してギルド長や有力な冒険者と知己になっておきたいのでしょう。……あるいは、発生場所にも見当がついており、ギルドに調査依頼を出すおつもりかもしれません」
世界の終わりの発生場所の推測。普通に考えればありえないが、ミリスの側につけているセバスがわざわざ口にしたのだから何らかの『動き』があったのかもしれない。
いくらミリスでもさすがにありえないと思うが……可能性があるのならミリスの行動を制限することも憚られる。もし発生前に場所を特定できれば防御陣地の作成や住民の避難などの対処をしやすくなるのだから。
ミリスを冒険者ギルドに向かわせるのを止めることはできない。
ならば、身の安全を最優先に考えなければ。
ガングード公の考えなどお見通しであるのかセバスが深々と腰を折った。
「お嬢様も見ず知らずの護衛ばかりでは心安まらないでしょう。視察の際はぜひ同行する許可を戴きたく」
「……いや、お前は働き過ぎだ。少しは休むことを考えろ。ただでさえ執事の仕事とミリスの手伝いを両立させているのだから……」
「ご安心を。お嬢様からは午後五時以降は決して働くなと厳命されておりますので」
ミリスの相手は午後五時まで。
その後に執事としての残業をしていることなど当然ガングード公も知っている。
どうにもセバスという男は自分がまだまだ若いと勘違いしているきらいがある。
「それでも、今回は見送ってくれ」
セバスが食い下がろうとするが、何かを言う前にガングード公が機先を制す。
「うむ、王都散策程度ならミリスの自由にさせてやれるが、冒険者ギルドのあるリッツラルトではそうもいくまい」
辺境都市リッツラルトは領土防衛の最前線。王都に比べて冒険者の数は多く、昼夜関係なく魔物が出没し、必然的に治安も悪い。貴族令嬢が出歩けるほど治安のいい王都と同じ感覚で『散策』されては不要な危険を招き寄せてしまう可能性が高い。
もちろんすべての状況に対処できるよう護衛の数も増やす予定だが、わざわざ危険を放置する必要もあるまい。
その辺はセバスも理解しているらしくガングード公に提案してきた。
「護衛の数を増やすのはもちろんですが、お嬢様にも『町歩き』の基本を知っていただく必要があるでしょう。まずは町歩きに慣れたご令嬢との交流の場を設け、お話を伺うのはいかがでしょう?」
「なるほど、ミリス本人に危険な場所を避けられる知識を与えると。……う~む、町歩きに慣れた令嬢か」
ガングード公がまず真っ先に思い至ったのは王宮大神官のキナ・リュンランドだ。しかし彼女は色々な意味で刺激が強すぎる。初回の相手としては不適格だろう。
そもそも貴族には自分の派閥との兼ね合いもある。ご令嬢に“もの”を頼むということは、ご令嬢の実家に頭を下げることを意味してしまうのだ。
「そうなるとうちの派閥か、個人的に親しい相手となるが……」
「マリー・ヒュンスター侯爵令嬢はいかがでしょう?」
「……そういえば、貧民街にすら出入りしているのだったな」
マリーの父であるキラースを調査した過程でその辺の情報は得ているガングード公だ。
マリー関係の事件が一段落した今、同じ派閥であるキラースならば頼み事をしても問題にならないし、マリーが貧民街の歩き方を熟知しているのならうってつけだ。どんなところに近づいてはならないのか、どんな人物を避けるべきなのか。経験則も交えて語ってくれることだろう。
さらには同じ派閥であり年も近い侯爵令嬢マリーと公爵令嬢ミリスが親しくしておくのも将来的には悪くない。
さっそくガングード公はキラースに連絡をとることにした。
◇
後日。
王宮に出仕したガングード公はキラースの元を尋ねた。
キラースの仕事部屋には偶然にもマリー・ヒュンスターがいたので、これ幸いにとガングード公はマリーにも事の次第を話すことにした。
もちろん、世界の終わりのことは触れずに、ミリスのワガママに答える親バカという設定で。
普通の貴族令嬢であれば公爵令嬢との繋がりを持てることを素直に喜ぶだろう。
聡明な貴族令嬢であれば、何か裏があると察しつつ自分の立場を弁え、話を受けるだろう。
そして、マリーはというと――
話を聞き終わったマリーは鋭く目を輝かせた。ような気がした。
「ミリス様はとても聡明な方であると記憶しておりますが、そのようなお願いをすることもあるのですね。町歩きならば王都で十分な気もいたしますが」
遠回しな言い方であるが、貴族的な翻訳を掛けると『あのミリス様が強く望まれるのですから、辺境都市でなければならない理由があるのですね?』と問いかけられたことになる。
マリー・ヒュンスターは最近の(主にリリアに対する)言動のせいで生暖かい目で見られることも多いが、歴とした侯爵令嬢であり、高位貴族の娘としての教育を受けてきた身だ。けっして愚かではないし、裏の事情を読み解くこともできる。
もちろんマリーもガングード公が素直に裏の事情を説明してくれるとは考えていない。だからこそこれは牽制だ。――自分はいいように操られる愚者ではない、利用するならその辺は覚悟しておけと。
公爵にして現役宰相に対する何とも不敵な態度。ではあるが、『竜人』としては当然の警戒であり、そういうことのできる人間こそ『王妃候補』に相応しいだろう。
「マリー嬢。こちらとしてもいきなりの『お願い』で心苦しいと思っていましてな」
これを翻訳すると『現役の宰相が頭を下げるのだ。その意味と重大さを察して欲しい』となる。
現在のヒュンスター侯爵家は不安定な立場であり、元からガングード公からの『お願い』を断ることなどできない。さらには察して欲しいと言明されてしまったのだ。マリーとしてはこれ以上とやかく言うことはできない。
マリーはわざとらしく顎先に人差し指を当てて悩み始めた。
「そうですわね……こちらとしましてもミリス様と交流を深めることができるのは喜ばしいですわ。お呼びがかかればすぐにでも参上いたしましょう。……しかし、拙考ではありますが、わたくしよりも適した人物がいるかと」
「ほぅ? 貧民街に通っていたマリー嬢よりも?」
「えぇ。その御方はわたくしよりも貧民街に通じておられますし、冒険者への対応も熟知しておられます。対人戦闘経験も豊富ですから、ミリス様に同行し、いざというときはミリス様をお守りすることもできましょう。およそわたくしなどよりも適した人物であるかと」
「…………」
マリーよりも貧民街に通じていて、冒険者に関する知識もあり、護衛もできる人物?
しかも侯爵令嬢であるマリーが『その御方』などと丁寧な言い方をするのだからまず間違いなく高位貴族、あるいは王族であろう。
さて、そのような人物はいただろうか? 首をひねるガングード公であるが、どうにもキナ・リュンランドの顔しか思い浮かばなかった。
しかしキナの対人戦闘が豊富かどうかマリーが知る由もないはずだし、それ以前にキナに任せるくらいならまだガングード公本人がミリスの護衛をした方が穏当に物事が進むだろう。
(マリーもキナ・リュンランドの破天荒さは知っているはず。さすがに推挙してくることは無いと思いたいが……では、他に該当する人物はというと……)
ガングード公が頭を悩ましている間に。
マリーの悪い癖が出た。
良く言えば巧遅拙速。悪く言えばノンストップ・ノーブレーキングガール。
「いきなりガングード公が向かわれては驚かせてしまいますものね! “お姉様”にはわたくしからお話しさせていただきましょう!」
有無を言わさぬ勢いで部屋を飛び出すマリー。竜人としての脚力を存分に活かしたのかその姿は一瞬で見えなくなってしまった。
唖然としてその様子を見守るしかできなかったガングード公は、しばらくしてやっと思考が再起動した。
途端に冷や汗が全身から流れ出す。
……お姉様。
ヒュンスター侯爵家長女であるマリーがそう呼ぶ人間は二人しかいない。
リリア・レナード宮廷伯。
ナユハ・レナード騎士爵。
ナユハならまだいい。まだ、常識も良識も持ち合わせている。
だが、
もしもマリーが言う『お姉様』がリリア・レナードだった場合……。
きっとひどいことになる。
たぶんひどいことになる。
ぜったいひどいことになる。
「ま、待つのだマリー!」
思わず幼少の頃のように呼び捨てにしたガングード公。しかしもう遅い。たとえ勇者パーティの一員であった彼ですらもはやマリーには追いつけないだろう。転移魔法を使おうにも、マリーの目的であるリリアがどこにいるか分からないのだ。
ちなみにであるが。
国家的な重大事案であるとして、リリア・レナードが“救世主候補”であることは国王派の重鎮には情報共有されている。
もちろんガングード公もその情報は得ているし、だからこそ今のガングード公は『リリア・レナードが救世主候補と知りながら愛娘の護衛をさせた不敬者』になりかねないわけであり。
「ど、どうしてこうなった……」
最近はリリアと仕事をする機会が増えたせいか、彼女の口調が移ってしまったガングード公であった。
◇
「お姉様! ガングード公がミリス様の相談相手と護衛を探しておられますわ! もちろんお姉様を推挙いたしましたのでご安心を!」
「おぉん? どうしてそうなった……?」
ミリス → ガングード公 → マリー → リリア → ミリス → どうしてこうなった?
ちなみにマリーさんはものすっごいパワープレイなので護衛には向いていません。
次回、7月13日更新予定です




