閑話 少し前のミリス様・2(ミリス視点)
10歳となり。お父様の仕事を手伝う機会も増えた結果。私はガングード家に設置された禁書庫に入ることを許されました。
禁書と名前がついていますがそこは天下のガングード家、さすがに所持しているだけで法律違反となるような魔導書などは保有していません。
あるのは主にガングード家の歴史に関わるもの。スクナ様と初代勇者様に付き従い『巫国』を建国したと伝わる初代ガングード公から現在に至るまでの家系図や歴史、個人が書き記した日記などが保存されています。
ガングード家の歴史。
だからこそ、ここにはあります。
二千年前。
初代勇者様が撃退したと伝わる、世界最初の世界の終わりに関する記録が。
二千年前。
遙か昔に記されたとは思えないほどに劣化がない豪華な装飾。きっと大魔術師であった初代勇者様が状態保存の魔法を掛けてくださったのでしょう。
表紙に踊るのは見たことのない文字。おそらくは『巫国』で使われていた文字なのでしょう。
そう、見たことのない文字。
であるはずなのに、私は不思議とその文字を理解することができました。目で見ても読めないのに、頭の中では分かるという不可思議な状態……。
『ミリスは転生特典で言語翻訳のスキルを持っているからねー』
『ちょっと豪華だけど、リリアも持っているものねー』
『ミリスが持っていないのは不公平というものさー』
妖精様が楽しげに私の周りを飛んでいます。よく分かりませんが、読めるのだからいいとしましょう。
『ミリスも案外神経図太いよねー』
『図太くなっちゃったよねー』
『あの頃のミリスはもういないのかー』
人がグレたみたいな言い方、止めていただけませんか? もし私の神経が図太くなったのだとしたら、それは妖精様のせいですからね?
妖精様の抗議の声を聞き流しながら資料を読み進めます。
むかし むかし そのまた むかし
星の降る村は危機に瀕していました。
迫り来るは、大地を覆うほどに増殖した魔物の群れ。
それらを率いているのは、この世界に初めて発生した“魔王”
幾千、幾万……数えることすら不可能な数の魔物と、それらを率いるに足る実力を備えた魔王。その光景を見て誰かが『世界の終わり』だとつぶやいて……。生まれたばかりの小さな小さな村では、抵抗することすらできずに飲み込まれることが“運命”でした。
しかし、この村には“彼女”がいました。
ユーナ・アベイル。
後に初代勇者と称えられる英雄。
二千年後も語り継がれる神話。
今はまだ、初めて恋を知ったばかりの乙女。
彼女の瞳は怒りに燃えていました。
あかいあかい、血を啜ったかのような赤色の瞳で、迫り来る『世界の終わり』を睨め付けていました。
「――汝ら罪あり」
残された資料にいわく。
彼女は、たった一睨みで『世界の終わり』を殲滅したといいます。一匹の例外もなく殺し尽くしたといいます。
建国神話にも、子供向けの物語にも。ユーナ・アベイル様の“一睨み”は記載されていません。
それはそうでしょう。
たった一度睨んだだけで。大地を覆い隠すほどの魔物の群れを殺し尽くすことなど。きっと神様にだって不可能なのですから。
勇者様のご活躍により世界の終わりの危機は去りました。
しかし。
けれども。
世界の終わりを指揮していた魔王は未だ健在であり。
そして。
ユーナ・アベイルと魔王は七日七夜に渡る一騎打ちを演じ、ユーナ・アベルは、とうとう魔王の肉体を深い深い地下へと封印することに成功しました。
(……ん?)
わずかな違和感に私はページをめくる手を止めました。
初めて読む物語でした。
勇者様の『一睨み』など初耳でしたし、もちろん原作ゲームにもそのような設定はありません。
しかし、私の手が止まった理由はそこではありませんでした。
(地下に封印?)
神話にいわく。
初代勇者ユーナ・アベイルは初代魔王を討ち取りました。
物語にいわく。
ユーナ・アベイルと魔王は七日七夜に渡る一騎打ちを演じ、ユーナの力を称えた魔王は二度と悪事を働かないと誓いました。
細かな違いがあるとはいえ、結末はこの二つのパターンです。魔王を討ち取るか、和解するか。魔王を封印するなどという終わり方はないはずです。
(魔王を、封印した?)
どこに?
神話によれば、初代魔王の侵攻と世界の終わりはスクナ様の降り立たれた星の降る村近くで発生したことになっています。
しかし、今となっては星の降る村の正確な場所は不明となっています。『巫国』の建国宣言がされた大神殿周辺だという説もあれば、リリア様の故郷であるレナード領だという説もあります。
神話の言い伝えを信じるならばレナード領だということになるでしょう。なにせ初代勇者様と初代魔王の決戦によって放出された大量の魔力が土壌に染みこみ、二千年以上経った今でも魔石として産出されているのですから。
しかし、それは、どうなのでしょうか?
いくら勇者様と魔王が規格外だとはいえ、二千年以上も影響を残すほどの魔力を放出できるものなのでしょうか? レナード領における魔石採掘が本格化したのはここ100年と言われていますが、100年も採掘し続けられるだけの魔石が、採掘し続けてもなお尽きる気配すらない魔石が、7日間の戦いで生まれたというのは無理があるのでは……?
もしかしたら。
レナード領から魔石が産出するのはまったく別の原因があって。勇者様と魔王の戦いは関係ないかもしれなくて。
であるならば。
いったい、勇者様と魔王の戦いはどこで行われたのかという問題が出てきてしまうのですが……。
そんなこと、考えるまでもありません。
原作ゲームにおいて世界の終わりが発生したのは……ここ、ガングード領なのですから。
二千年前。
星の降る村の近くで世界の終わりは発生し。その世界の終わりは、初代魔王が率いていました。
そして、今から数年後。
ガングード領において世界の終わりが発生するのなら。それを率いることになるのは……。
可能性でしかありません。
しかし、可能性はあるのです。
初代魔王は打ち倒されることなく。和解することもなく。初代勇者様に封印されて、今もなお生きているのだとしたら。二千年もの間、勇者様に、人類に、世界に対する悪意を募らせているのだとしたら……。
そうであるならば、世界の終わりの発生は、同時に、初代魔王の復活も意味することとなります。
初代魔王が復活し、世界の終わりを率い、ガングード領に襲いかかってくる。
最悪の未来が脳裏に浮かんだ私は血の気が引きました。
原作ゲームにおいて。
魔王によって世界の終わりは操られ、王国やガングード領に甚大な被害をもたらします。それを撃退するのはヒロインであり、攻略対象であり、愛と勇気の力なのです。
でも。
初代魔王が復活するなんて設定はありません。世界の終わりを率いるのは新たに誕生した新参魔王であるはずで……。
どうすれば、いいのでしょう?
初代勇者様の逸話は事欠きません。いわく、世界の終わりを殲滅した。いわく、海を割って巨大なる竜を討伐した。いわく、落ちてくる星を砕いた。など、など……。そんな初代勇者様と互角に戦い、七日七夜ものあいだ決着がつかなかったのが初代魔王なのです。
原作ゲームには初代魔王など登場しませんから細かな実力は分かりませんが、少なくとも、原作ゲームの魔王などよりは強力でしょう。ゲームのラスボスは『打ち倒されるべき運命』なのですから。
(い、いえ、落ち着きましょう私)
まだ推測の域を出ません。私の想像でしかありません。そもそもこの本に記載されていることが事実である証拠も……。
『あれー? 魔王のことを調べているのー?』
『最初の魔王は強かったよねー』
『危うく死ぬところだったよー』
『あのユーナでさえ痛み分けだものねー』
妖精さんが舞い踊ります。愚かな私を煽るように。滑稽な運命を嘲笑うように。
『そっかー。もう二千年かー』
『じゃあそろそろ復活する頃かなー?』
『逃げた方がいいよー?』
『最近はユーナも楽隠居を気取っているしねー』
『スクナに危害が及ぶならともかくー』
『それ以外なら今の人間に任せるだろうしー』
『それで滅びるならしょうがないよねー』
『リリアもまだちょっと無理だろうしねー』
苛つくほどのデフォルメ顔。
無表情のはずなのに、なぜか笑っているように感じられました。笑われているように感じました。
滑稽でしょう。
平々凡々な私が“運命”に逆らうのは。何の力もない人間が滅びの運命に逆らうのは。超常的な存在からしてみれば暇つぶしに丁度いい娯楽でしかないでしょう。
でも、
それでも、私は……。
『“運命”はいつだっけー?』
『ミリスが16歳になったときだったかなー』
『魔法学園に引きこもっていれば安心かなー?』
『その頃ならリリアも強くなるだろうしねー』
『この辺は踏みつぶされるけど、まぁしょうがないよねー』
『ミリスは思ったより楽しいから、教えておいてあげるねー』
運命。
私程度にどうにかできるはずがありません。
たとえ避難を呼びかけても効果はないでしょう。そもそも生活基盤がこの地にある人々は、ここを捨てても生きていける補償はありません。この世界は、驚くほど簡単に人が死ぬのです。
……ですが。
見て見ぬふりはできません。
私は公爵令嬢ですから領民の方々との交流はほとんどありませんが、屋敷に勤める使用人の家族は多くが領地で暮らしています。世界の終わりスタンピードは、そんな皆様の生活を、家族を、運命を、蹂躙し破壊し消し去ってしまうのです。
死なせたくない。
ひどい目に遭って欲しくない。
力があるとか、ないとか、そんなことは関係ありません。
天才だとか、平凡だとか、もはや関係ないのです。
私は知っている。
悲劇の運命を知っている。
ならば動きましょう。
足掻きましょう。
たとえどれだけみっともなくても。
どれだけ滑稽であろうとも、構わない。
もう、決めたのです。
笑われてもいい。
叱られてもいい。
呆れられてもいい。
死んでしまっても、いい。
それで一人でも多くの人が救えるなら。
一人でも多くの笑顔が守れるのなら。
私は、それで、いいのです。
「――妖精様」
覚悟を決めて向き合います。
思えばこうして対面するのは初めてかもしれません。いつも私が振り回されてばかりで。妖精様は敬う存在であると同時に恐怖の対象でもありましたから。
妖精様が私の顔を覗き込みます。感情のない黒い目で。地獄の底にまで繋がっているかのような深い瞳で。
しかし私は負けません。
私の知る限り、初代魔王と世界の終わりについて一番知識があるのは妖精様なのですから。
「お願いします。教えてください。初代魔王の封印場所を。世界の終わりが、一体どこで発生するのかを」
私の問いに妖精様は笑いました。無表情のまま、確かに笑いました。
まるで新しいオモチャを見つけたように。
まるで雨に濡れる捨て犬を見つけたかのように。
『……人間って面白いねー』
『ミリスって面白いねー』
『楽しませてくれたなら、対価を払わないとねー』
『――祈りには救いを』
『――悪には天罰を』
『――望むのならば与えよう』
『――望みのままに与えよう』
『なぜならそれが――――の存在理由であるから』
そうして。
わたしは。
その場所を知りました。
次回、7月6日更新予定です。




