第七章 エピローグ 少女を最も愛した神 その2
蒼天の霹靂。
「――神穿天変」
その一撃は、文字通り、神すら穿ち世界をも変える一撃だった。
リリア本人は『神殺し』に至らぬ未熟な攻撃だったと勘違いしていたが、そんなバカな話はあるまい。
リリアの槍は、『神』として異なる次元に存在していたウィルドへ確かに届き、次元の壁のみならず、運命の糸の重なりによって作られた『繭』までをも破壊したのだ。
ただ『運命』を切り裂いたわけではない。スクナが活躍するよりも遙か以前より、幾星霜の時を経て、重なり続けた運命の糸たちが『繭』の正体だ。それを切り裂いたというのなら、それは、この世すべての『運命(悲劇)』を薙ぎ払ったのと同義なのだ。
その少女を、知識では知っていた。
その少女を、目にするのは初めてだった。
眩い。久しぶりに『世界』に触れたウィルドにとっては眩しすぎるほど鮮やかな銀髪。
紅玉すら比較にならないほど光り輝く赤い瞳。
そして、どこか懐かしい金色の瞳。
――リリア・レナード。
世界の『はじまり』を切り開く者。
運命なき世界を進む者。
自ら運命を作り出す者。
世界に。神々に。御方に愛された少女はしかし、御方によって定められた運命を拒絶した。
ウィルドは語る。リュースの辿るべき運命を。
『彼女は、人類を先に進めすぎる。回天を誘う者。人類種の特異点。早すぎる発展を“神”は望まれない』
世界の『はじまり』に関することは話さない。人に理解されるはずがないのだから。
なのにリリアは不敵に微笑んだ。まるで世界の理をすべて見抜いたかのように。かつての親友と同じ金色の瞳を輝かせながら。
「キミがリュースの運命を狂わせようって言うのなら、私はリュースのことを守ってみせるから。そこのところよろしくね」
不敵に。
大胆に。
神すら恐れず。
リリア・レナードは宣戦布告をした。
御方の定めた『運命』へ。
他者の運命を狂わせ続けたウィルドへ。
そして。定まった方向に進むしかなかったこの世界へと。
御方すら越えようというのか。
人類にとっての神、ウィルド。
そんなウィルドにとっての神、御方。
御方すら越えるというのなら、それは、もはや、真なる神に他ならない。
そう、例えば。御方の憧れた北欧神話の主神、オーディンのように。
まるで実際に本人に会ったことがあるかのように憧れていた、オーディンのように。
「――――」
――しょせんは一目惚れだと、笑いたければ笑えばいい。
ウィルドは心奪われた。
そもそも心という機能があるのかすら不明瞭な彼女が、一瞬で、心奪われた。
最高神としての神格を有しながら。
人として泣き、人として笑い。
絶望するに足る人生を送りながらも。
なお、未来への希望を捨てないその姿に。
――ウィルドは、恋に、落ちたのだ。
『……アンスール』
そう呼んだのは、二つの理由から。
オーディンの神格を有するリリアなのだから、そう呼ぶべきであろうと判断したから。
そして、ただ単に、名前で呼ぶのが気恥ずかしかったから。
……その後リリアに抱きついたり頭をなでなでした方が恥ずかしいはずなのだが。良くも悪くも経験の絶無なウィルドにはそのような自覚はなかった。
御方はスキンシップをためらわない人だったから、その辺も影響しているのかもしれない。
◇
後日。
珍しくリリアと二人きりになれた夜。この機会を逃してなるものかとウィルドが自分の過去語りをした後。
リリアは『きらりーん☆』とばかりに目を輝かせた。
ウィルド含め、リリアの嫁であると自覚している者であれば嫌な予感を覚えるだろう。こういうとき、こういう顔をしたリリアはろくなことをしないのだ。
「人の運命を狂わせ続けたウィルド……。なるほど。ここは私が素晴らしくも心温まる言葉をかけてウィルドの心を救えばいいんだね?」
リリアって結構アホだよな、とウィルドは心の中で呆れかえった。そういう『いい話』をする前にそんなことを口にしたら意味ないし、それ以前にウィルドは救われる必要などない。
『否定。私は別に後悔していないし、やり直すつもりもない』
確かにウィルドは『御方』を神として慕っているし、御方の望んだ世界を作るという使命を持っていた。
けれど、たとえ使命がなかったとしても、ウィルドは行動していたことだろう。
御方の夢見た世界のために。
そのためならば。何でもしようと心に誓った。
誓ったのは、ウィルド自身の意志なのだ。
たとえ時間を巻き戻しても、ウィルドが別の道を行くことはない。そんな半端な覚悟で他人の人生を狂わせられるものか。覚悟など、御方の夢見た世界をもたらす誓いと共に済ませている。
……まぁ、そんな誓いも、リリアを前にすればすべて吹き飛んでしまったのだが。御方の夢見た世界が予定より数年早まりそうだと考えれば悪くないだろう。
淡々と答えたウィルドにリリアが目を丸くした。
「え? あれ? ここは傷ついたウィルドの心を私が優しく包み込み、ウィルドが一筋の涙を流す場面じゃないの?」
「苦言。アンスールはドラマやアニメの見過ぎである」
「…………あっれー? でも普通はそうじゃないの?」
「回答。ドラマやアニメの見過ぎである」
「反応が手抜きじゃない!? あとこの世界にドラマやアニメないから! 世界観を大切にして!」
「抗議。世界そのものを破壊しているアンスールにだけは言われたくない」
「破壊してないよ!? むしろ世界救いまくってない私!? ドラゴン退治とか悪魔退治とか!」
「疑問。ところで私の心をどうやって救うつもりだったのか?」
「盛大にスルーされた!? ……いや、それはあれだよ、こう、いい感じにいい言葉を並び立てて、いい感じにね?」
「結論。つまり何も考えていないと」
「ウィルドはもう少し手加減してくれませんかね色々と……。く、そこまで言われたら私も本気を出すしかないね!」
存分に中二病的ポーズをとってからリリアは左目の眼帯を外した。ウィルドと同じ、そして、ウィルドと最も親しかった友人と同じ色をした瞳が露わになる。
金色の瞳。
たとえ『神』であるウィルド相手であろうともすべてを読み取ることができるだろう。
幸いなことに、まだリリア自身が使いこなせていないから『すべて』を見抜かれることはないだろうが。
その瞳であれば、それでも、リリアが望んだことを『視る』ことはできるだろう。ウィルドが抵抗しなければ尚更に。
「……ふんふん? 火薬を開発するかもしれなかった人間が……あ~、結構いたんだね。まぁ異世界転生したらまず火薬を作ろうとするよね普通」
普通は作ろうと思わないし、そもそも作り方を知らないはず。末期の中二病以外は。というツッコミを我慢したウィルドだった。いいお嫁さんである。
「……それに、民主主義をもたらそうとした人間もそれなりに、かぁ。まぁ前世でもアレだったのに、中世的な世界観をやってるこの世界だとまず無理だよねぇ。民主主義なんて有権者すべてが必要な教育を受けてやっとスタートラインに立てるような制度だし」
おぉ、リリアが難しいことを言っている、とウィルドは心底感心した。
「なんだかアホの子扱いされている気がする……」
「残念。どうやらその“左目”でも間違えるらしい」
「……おかしい。ここはウィルドの今までの行為を認め、褒めて、感謝して、ウィルドからの好感度が一気に上昇する場面じゃないの? どうしてこうなった……」
なんとも締まらないリリアであった。
◇
リリアが寝入ったあと。
今日は同衾の順番ではないのでウィルドが大人しく引き下がり、翼を羽ばたかせて廊下を漂っていると。
翼があるわけでもなく。
足を浮かせて。
リリアの友にして愛人。使い魔にして幽霊である愛理がふよふよと漂っていた。
……今さらまだ『愛人』を名乗っているのは、まぁ、ウィルドがリリアを『アンスール』と呼び続けているのと同じ理由だろう。下手に変なことを始めると中々修正できないのだ。
実質的にリリアの『嫁』であるし、他の人もそういう扱いをしている。
『おっ、ウィルドちゃんも真夜中のお散歩かなー?』
神と呼ばれるウィルドに臆することなく。ウィルド『ちゃん』と呼ぶことのできる愛理の胆力の強さには感心するしかない。
あるいは、『御方』に近しい存在であるが故の言動か。
それとも単に何も考えてないだけか。
呆れるべきか感心するべきか。ウィルドがそこそこ真剣に悩んでいると、愛理がそこそこ真剣な目で問いかけてきた。
『前から疑問だったんだけどさー。ウィルドちゃんは少しばかりリリアちゃんに対するスキンシップが過剰じゃないかな? 何? もしかして小さい子が好きな特殊性癖なの?』
神すら恐れぬ言動。やはり何も考えていないだけかとウィルドはそっとため息をつく。
『失礼。私は別にロリコンではない』
『……私がせっかく直接的な言葉は避けていたのに……』
『解説。ただ、アンスールに寿命の概念がないとはいえ、『少女』である期間は長くてあと数年なのだから存分に堪能しておくべきと考える』
『…………』
とても呆れた目を向けてくる愛理であった。『ウィルドちゃんって、けっこう頭の中ピンク色だよねー……』という内心が透けて見えた。“金瞳”の力を使うまでもなく。
リリアであれば「どうしてこうなった」と嘆く場面であろう。
璃々愛
「つまりウィルドちゃんはロリコンだったんだよ!」
オーちゃん
「……前世女子高生だった愛理もロリコンだと思うがなぁ。同世代のナユハやマリーたちはしょうがないとしても」
次回、6月2日更新予定です。
新章は悪役令嬢編の続きをやる予定です。




