閑話 神聖会議、その後。(とある大神官視点)
レイジス大神官が神聖会議を開くつもりだと知ったとき、何をしているのでしょうかあの男は……と心底呆れたものです。
いえ、『聖女リリア』を守るため、リリア・レナードが大した存在ではないという偽情報を流したのは人道派でしたが、まさかこんな身の程知らずな行動に出ようとは……。
人道派の共通意志として『聖女リリア』を守ると決定されたこと自体は喜ばしいことでした。レナード家に縁のある神官として、かねてよりリリアと交流のあった私としても、持っている力からすればごくごく『普通』の常識的な少女であるリリアを権力抗争から距離を置かせることには賛成でしたから。
……持っている力からすれば普通の常識的な少女だと言えたとしても、一般人から見れば奇人変人の類いになってしまうのですが。それはまぁ置いておくとしまして。
しかし、まさか、リリアを守るために人道派が流した偽情報をまるっと信じ、ろくに調べもしないまま対立する道を選ぶとは思わないですよね普通。噂か真実かどうか調べてくれれば、こちらもその動きを察知して何かしらの対応ができたのですけれど。
まぁ、事ここに至っては仕方がありません。神聖会議を開催するのは神官長の権利であり、たとえ神召長様でも開催自体に反対することはできないのですから。そもそも『聖女リリアの追認』はやらなければならないことですし。
問題は、神聖会議で神聖派が何をやらかすかということ。
神召長様が『聖女』として認め、さらには王太子の婚約者となった現状。リリアが聖女になることに反対することはないでしょう。
となれば、やはりナユハでしょうか?
レイジス神官長とナユハが(ごく短時間とはいえ)接触したという情報は入ってきていますし、その際にレイジス神官長はナユハにリリアから距離を取るよう口にしたらしいです。
何という身の程知らず。何という恐いもの知らず。自滅するなら勝手にしろという感じですが、下手をすれば大聖教自体が巻き込まれかねない愚行は止めてほしいです正直。リリアは力に溺れ力を乱用するようなことをしない子ですが、それも敵対しなければの話。むしろ敵には一切容赦しないのですから。
もはや他人の心配をしている余裕はありません。リリアはナユハ関連なら簡単にブチ切れるでしょうし、そうなれば余人にどれだけの被害が出るか分かったものではありません。
ともかく、神召長様に何かあっては大変ですから何とか欠席していただくようお願いするとしまして。防御系の魔導具は持てるだけ持って行きましょう当日に。
◇
大聖教内の勢力図としましては、神召長様はどちらかと言えば人道派寄り。ですが、公平中立を宣言されているので表立っての助力はいただけません。
神召長様に次ぐ権力者となると三人の神官長となりますが、こちらは二人が神聖派、残り一人も別派閥なので人道派は除外されている形。大神官の数も神聖派より少ないです。各地の神官を合わせれば人道派が最大規模ということになりますが、やはり権力で考えると神聖派が抜きん出ている現状です。
レイジス神官長の考えとしては、神聖会議の場で『黒髪黒目』のナユハの存在を糾弾。他の神官長や大神官も同意することで『聖女リリア』に圧力を掛けようとしているのでしょう。
普通ならその圧力に屈してしまいます。
普通の神経をしていれば、国教である大聖教の神官長や大神官のほとんどを敵に回してまで『黒髪黒目』の少女を側に置いておくことなどしないです。
レイジス神官長としてはここで圧力を掛けることで今後『聖女リリア』を意のままに操ろうとしているのかもしれません。なにせリリアは聖女であると同時に王妃候補なのですから。
リリアからしてみても、政治に宗教勢力が深く関わっている現状、将来のことを考えれば大聖教と敵対する道を選ぶはずがありません。
ですが、甘いです。
甘過ぎです。
砂糖より甘く、果実より甘く、蜂蜜より甘いです。
リリアという少女の本質を理解していません。
大聖教との友好関係?
聖女としての地位?
王妃としての未来?
そんなもの、大切な人のためなら迷うことなく捨てるでしょう。捨ててしまうからこそリリアはあれだけの女性から慕われるのです。
「……先輩、どうしましょう?」
神聖会議の開かれる会議場にて。最近大神官に昇進したばかりの後輩が不安そうに眉を下げました。彼も人道派の神官としてリリアの凄さ(恐ろしさ)はよく知っていますので、これから何が起こるか何となく察しているのでしょう。
どうしようもありません。せめてリリアの怒りが自分に向かないよう神に祈りましょう。
そう告げると彼は絶望したように頭を抱えました。可哀想なので結界魔導具を一つ貸してあげましょう。……リリアが本気で怒ったら何の意味もない装備ですけれど。
そうしているうちに神聖会議は始まりまして。いつもより『神気』を放っているリリアを見てほとんどの神官は「本物だ」と認識したようです。
ただ一人、レイジス神官長を除いては。
なんともまぁ、ろくな修行もしないで金集めに精を出す、実家の権力だけで神官長の地位に上り詰めたつまらない男だとは思っていましたが……。まさかあれだけの『神気』にすら気づかないとは……。
求道よりも金儲けを優先していると断言できる他の神聖派の神官たちですら『神気』を感じ取れているのですから、それすらできないレイジス神官長はどれだけの悪事を重ねてきたのやら。
神気を感じ取れないからこそ。レイジス神官長は何も恐れずにリリアとナユハ、そしてマリーまでをも批難しました。
考え得る中で最悪の事態です。リリアは口でこそ「女の子に興味なんてない!」だとか、「口説いてないから!」などという妄言を口走る子ですけれど、実際はナユハやマリーたちのことをとてもとても大切に思っていることは見ているだけで分かりましたから。そんなナユハやマリーと引き離されそうになったなら――
「――私の、ですよ」
終末を告げる笛の音が鳴り響き。世界は一人の少女に支配された。そう錯覚してしまうほどに空気が一変しました。
リリアの発した威圧によって神官たちは混迷に叩き落とされて。悪徳を積み重ねた神聖派だけではなく人道派の神官たちも行動不能に陥りました。
私は(かき集めた魔導具のおかげもあって)なんとか弾き返すことができましたが、あと数年すれば抵抗することすらできなくなるでしょう。末恐ろしくもあり楽しみでもあり。
私ですらこうなのですから、私の隣で泡を吹いて失神している後輩(貸した魔導具は弾け飛びました)のことは見て見ぬふりをするべきでしょう。えぇ。
しかしアホ面を晒し続けるのも可哀想なので後輩の足を踏みつけて覚醒させる優しい私でした。
ほんと、神召長様を連れてこなくて良かったですね。いえ、あの方の『格』であればさすがに行動不能になることは無いと思いますが、斯様な情けない神官共の姿をお目にかけるわけにはいきませんから。
自分のもたらした阿鼻叫喚を気にも留めずリリアが微笑みます。未来の『白銀の魔王』を感じさせる笑顔で。
「ナユハは、私のもの。マリーは、私のもの。もしも奪おうとするなら――滅ぼしますよ?」
あら、あら。
とうとう認めましたか。開き直りましたか。呆れるほどの天然女たらしが自覚をしたらどうなるか……。ナユハたちの幸せを思えば良かったような、悪かったような。
私は祝福8割不安2割くらいの心持ちでリリアを見守っていましたが、他の神官たちは蛇に睨まれた蛙状態。普段神聖派を率いているレイジス神官長は失禁して腰を抜かしていますから、もはやこの場を纏めることはできないでしょう。
ここは私が動くしかないでしょうか、と考えていますと――
「――なるほど。他ならぬ聖女様が御意志を示された。ならば我々から何も言うことはないですね」
一人の中年男性が立ち上がりました。エイダス・キュテイン神官長。三人いる神官長の中で唯一神聖派に属さない人物。キュテイン公爵家の次男にして、王妃エレナ様の実弟にあたる御方。
彼の率いる『中庸派』は所属する人数が少なく、金銭的な優位もなく、当然にして権力もほとんどありません。しかしながら(いくら公爵家の次男とはいえ)そんな弱小派閥の人間が神官長に選ばれるのですから、その世渡り術というか調整術は目を見張るものがあります。
エイダス神官長はリリアに深々と頭を下げました。神官長にして、キュテイン公爵家の次男が。その意味を、この場にいるほとんどの者が理解しました。
「聖女リリア様。このたびは我々のお目見えのため、わざわざご足労戴きありがとうございました」
「……いえいえ、ご足労だなんてそんな。忠実なるスクナ様の使徒にして、民の安寧を祈り続けている方々に挨拶をさせていただくのはこの上ない栄誉ですわ」
お~、『聖女への諫言』の場を『高位神官たちからのご挨拶』にして纏めようとしていますね。もちろんそんな建前に本気で騙される人間などいないでしょうが、大事なのは取り繕いです。たとえ上辺だけでも体裁を整えることは重要なので――
「え? 今日ってリリア様のお披露目会だったんですか?」
隣に座った後輩が素で驚いていました。あとでお説教……じゃなくて反省会ですね。
最後の最後で少々白けてしまいましたが、エイダス神官長のおかげで(表向きは)穏当に会議を終えることができました。あとで感謝の意を伝えないといけないでしょうね。
◇
神聖会議から一週間。
多くの神聖派大神官から人道派へ接触がありました。主立ったものとしては『聖女リリア』への言祝ぎ。人道派を通じて聖女就任の祝意を伝えることで、リリアとの繋がりを得たいと考えているのでしょう。
そして。わずかではありますが、これからは人道派と友好を深めたいという大神官も現れ始めました。まだ数人ではありますが、神聖派の代表であるレイジス神官長があれほどの失態を犯したのです。この動きはだんだんと大きくなっていくことでしょう。
もはや人道派や神聖派を越えた『リリア派』ができそうな勢いです。
リリアが知ったら「どうしてこうなった……」と口走りそうな事態ですね。
私がくすくすと笑っていると……王宮内の教会に入ってくる人影がありました。
エイダス・キュテイン神官長。
いくら小規模とはいえ一派閥の長。そんな彼が、人道派の『領地』である王宮教会にやって来るのはかなり珍しく、異常とすら言えました。
「レイジス神官長ですが、どうやら神聖ゲルハルト帝国と接触を図っているようですな」
挨拶すらせずにとんでもないことを口走るエイダス神官長でした。我が国と神聖ゲルハルト帝国は共にスクナ様を信奉していますが、両者の仲は険悪。聖地をめぐって何度も戦争をしてきた敵国なのです。
当然我が国の国教である大聖教と、神聖ゲルハルト帝国の国教も相争う関係にあり……そんな帝国と接触を図るなどと……。
いえ、神聖会議における大失態によってレイジス神官長の求心力は低下していると聞きますし、それならばいっそ、という思考は理解できなくもないですが。
そもそもそのような情報はまだ人道派も把握していないのに。はたしてどこから掴んだのやら。そしてその情報をこちらに伝えてどうするつもりなのやら。
どういうおつもりですか?
腹芸もなしに問うた私でした。率直に聞き過ぎたせいで少々神官らしくない言葉遣いになったのはご愛敬でしょう。
「いえいえ、姉からリリア・レナード様のご活躍は聞き及んでいましたが、この前の一件で本物の聖女であると確信できましたからね。これからは私と、中庸派にご慈悲を戴きたいと愚考しているのですよ」
姉とは王妃エレナ様のことでしょう。リリアはエレナ様に取り憑いていた悪魔を退治していますし、元々好意的な感情を抱いていたとしてもおかしくはありません。
ともすれば、あの会議の場でリリアは「あの程度で怒りを発露するとは聖女らしくない」と批判されてもおかしくなかったのです。そうならずにすんだのはエイダス神官長が上手く場を治めてくださったから。
今度、リリアを紹介しないといけないですね。
素のリリアを見てどのような感情を抱くかは……まぁ、エイダス神官長にお任せするとしましょうか。
私が少々腹黒い笑みを浮かべていると、エイダス神官長は興味深そうに自らの顎を撫でました。
「ふむ、しかしながら。そちらも人道派を率いる身の上。老婆心ながら助言させていただければ、もう少し淑女に相応しい言葉遣いをするべきですな。――キナ・リュンランド大神官殿?」
「……淑女じゃなくって悪かったっすねぇ。なにせ下賎の生まれなもんでして……」
本来ならいくら私でも神官長を前にすればもう少し猫を被った言動をするところ。ですが、もうバレているのだから気にしても仕方がないでしょう。
「リュンランド侯爵家のご令嬢が何を世迷い言を。……いや、私が口を出すべきことではなかったですな。その親しみやすい言動によって多くの民の悩みを聞くことができるのだと神召長様も評価されていましたし」
「……神召長様は買いかぶりすぎっすよねぇ……」
えぇ、買いかぶりすぎです。
このような砕けた言動は民と視点を同じくするためにやっているのではありません。ただ、一人の少女と『友達』になるためにやり始めただけなのです。
シャーリーの勇気ある行動によってその少女は『神』から『人』になりましたけれど。それでもまだまだ他者に対する警戒心は強いままで。どうにかしたいと試行錯誤しているうちにこのような『姉御』みたいな言動になってしまったのです。
えぇ、あくまで後天的なもの。決して、元々の私がこのような乱雑な言葉遣いをする人間というわけではないのです。ないのです。
「ほほぅ」
なにやら訳知り顔で頷くエイダス神官長でした。彼には心を読む力などないはずなので、ただ単に私が分かり易いだけなのでしょう。
とある大神官・キナ視点でした
次回、5月16日更新予定です。




