閑話 神官長レイジス(ナユハ視点)
リリアが慌てた様子で転移していった。
どうやらマリット・ヒュンスター様に何らかの危機が迫っているみたい。
なんでマリット様の危機を知ることができたのだろう? と、いう疑問にさほどの意味はない。だってリリアだもの。
何かとお忙しいリュース様やガングード公たちは公務に戻り、一人王城でリリアとマリー様の帰りを待つことになった私。そう、王城で。一般人が足を踏み入れてはならない場所で。王権の象徴の地で。
愛理が教えてくれた『すとれす』というもので胃が死んでしまうのではないかと不安になってしまう私。
気を紛らわせるためにメイドらしく掃除でもしていようかな?
でも、万が一調度品に傷でも付けたら一生働いても返せそうにないし……。
どうしたものかと悩んでいると、なにやらドタドタと足音を立てて三人の騎士様がやって来た。
「やや! ナユハ嬢! これは偶然ですな!」
「どうやら暇をもてあましているご様子!」
「ここは我らと一緒に訓練でもしませんか!?」
近衛の衣装に身を包んだ騎士様。よく見ると黒いドラゴンが王城を襲ったときに共に戦った(?)方たちだ。
偶然と言ったって、王城という場所で、近衛騎士という職業の方が目的もなくうろうろしているはずがないし……。たぶんリュース様かガングード公が気を遣ってくださったのだと思う。
気の使い方が間違っています、というツッコミをしてもいいですかダメですよね……。
私が苦笑いしている間にも騎士様たちは何だかんだと言いながら私を練兵場へと連れて行こうとして――
「――むさい野郎共が! 女の子を怖がらせるな!」
騎士様三人の脳天にゲンコツが落ちた。かなり痛そうな音で。……さらに言えば手甲 (鋼鉄製)をしたままのゲンコツが。
悶絶する騎士様三人から目を逸らすために視線をゲンコツの主へと向ける。
近衛服。
華麗な近衛服を着た女性騎士様だった。年齢はたぶん十代後半から二十代の前半くらい。燃えるような赤い髪が印象的な美しい人だ。凜とした、というのは彼女のためにある言葉だろう。
「ごめんなさいねナユハ・デー……いえ、ナユハ・レナード嬢。うちの三馬鹿が怖がらせてしまったみたいで」
「い、いえ、驚きましたが恐くはありませんでしたので」
むしろ手甲をしたままゲンコツしたあなたの方が恐いです。というツッコミはしません。最近の私は命を惜しむようになったのだから。
「あら。さすが、その歳でドラゴン退治を成し遂げただけあって肝が据わっているわね」
心の底からの笑みを浮かべてくださる女騎士様。そういえばまだ自己紹介していませんでしたね。
「遅くなりましたが……。ナユハ・デーリンと申します。現在は不相応ながらナユハ・レナードを名乗らせていただいております」
「ドラゴン退治の英雄なのだから『不相応』なんてことはないわよ。……改めまして。ケリィ・リーンハルトよ」
リーンハルト?
四大公爵家であるリーンハルト公爵家の?
そういえば、燃えるような赤い髪色は『ヴィートリアン王国の剣にして盾』であるリーンハルト家の特徴であると聞いたことがある。
となると、最近何かと話題の『剣劇少女』ラミィ様の……お姉様だろうか?
「悔しいことに、ドラゴンが襲撃したときは実家のごたごたで帰郷していたから駆けつけられなかったわ。悔しいことに」
本当に悔しそうな顔をするケリィ様。普通は「ドラゴン襲撃に巻き込まれなくてよかったー」ってなるんじゃないですか? さ、さすがは「建国戦争の際に受けた返り血が髪に染みこんだ」と恐れられるリーンハルト家の一員ですね……。
「その歳でドラゴンを打ち倒した腕前、是非私にも教授して欲しいわ!」
ガッシリと私の手を掴んで懇願してくるケリィ様。あ、これ断れない案件ですね? 相手は歴とした公爵家のお嬢様。しかも近衛騎士。私は騎士団所属ということになっているので訓練を断る訳にはいかないし、なによりものすごい握力で手を掴まれているので逃げられない……。
いや私の超握力の右手ならふりほどくことは可能だろうけど、相手は公爵令嬢なのだからそんなことをできるはずもなく。私は半ば強引に練兵場へと引っ張られて行くのだった。
ど、どうしてこうなった……?
◇
「いい時間を過ごせたわナユハ嬢! またやりましょうね!」
幾度かの練習試合を終えて。
とてもいい笑顔のケリィ様に見送られながら適度……いや過度な疲労で動きの鈍い身体を引きずるようにして城内を歩く私。
強かった。
ケリィ様、とても強かった。どうして私を気に入ってくださったのか分からないほどの圧倒的な実力差。またやりましょうって、私は正直やりたくないです……。
そういうのは意外と脳筋で『ばとるまにあ』なリリアに頼んでくださいお願いします。
リリアといえば。そろそろリリアも何かやらかして帰ってくるかな、なぁんて考えていると――背後からの視線に気がついた。
特別な修行を受けた人間が気づくのはともかく、私のように平凡な人間が後ろからの視線に気がつくことはできたのは……『黒髪』のせいで、他者から不躾な目で見られることが多かったからだ。経験が多くなればそれだけ気づきやすくもなるというもの。
「――やぁ、キミはたしかリリア・レナード様のメイドでしたな?」
声を掛けられた。名乗りもせず、後ろから。貴族としてはありえないほどに無礼なのだけれども、まぁ私はただのメイドだし、『彼』にしても表向きは聖職者になった時点で貴族籍からは抜けているので貴族的な無礼を口にするつもりはない。
私が立ち止まってから振り向くと、先ほど出会った男性――神官長のレイジス・ヨウリン様がニコニコとした笑顔を向けてきていた。
ニコニコと。
全体的には笑っているのに、目はまったく笑っていない。むしろ侮蔑の感情を浮かべているという器用な表情をしていた。心の底から笑ってくださっていたケリィ様とは正反対。
侮蔑の目を向けられるのは慣れている。
私は黒髪だし、黒目だし、デーリン家の娘だから。真っ当な貴族からしたら本来視界に収めることすら度しがたいことだろう。歴史あるヨウリン公爵家の長男様なら尚更に。
とりあえず、貴族的な礼儀作法に則った当たり障りのない挨拶をする私。
「…………」
レイジス様の目元がぴくりと動いた。どうやら『黒髪』の私が貴族的な礼儀作法を習得していることがお気に召さないらしい。
ちゃんとした挨拶をしたのにそんな反応をされるのは、ちょっとだけ面白くない。
と、そんなことを考えてしまう私に自分で驚いてしまう。少し前の私だったら「黒髪だからしょうがない」とか「デーリン家の娘なのだからしょうがない」と自虐していたはずなのに。
どうやら。
自分でも気がつかないうちに。
リリアから影響を受けてしまったようだ。
それが良いものか悪いものかは分からないけれど。
少なくとも、目の前の男性からしてみれば『悪いもの』だったみたいだけれども。
「リリア様は聖女であり、いずれは王太子殿下の伴侶となる御方。そんなリリア様のメイドが黒髪というのはよろしくないですな」
おぉ。
いっそ感動するくらい『すとれーと』に批難されてしまった。
うん、そうですよね。
リリアは聖女であり、いずれは国母となられる御方。そんなリリアのメイドが黒髪黒目というのは非常にまずい。リリア本人に非がなくても、批判される材料となってしまうだろう。
普通に考えれば離れるべきだ。
メイドなんて辞めて、また鉱山で働けばいい。
そうすれば誰にも迷惑を掛けない。
黒髪で、黒目で、デーリン家の娘である私でも、細々と生きることができる。
そう、リリアと離れて。
…………。
それは、とても、嫌だった。
驚くべきことに。
呆れるべきことに。
私は、ワガママを通そうとしていた。
リリアのためではなく。
私自身のために。
リリアと離れたくないと。そう願ってしまった。
「……ご忠告感謝いたします、神官長様。しかし、私はリリア様に拾われた、リリア様の所有物でありますので。所有物に自由意志などありません。――リリア様が望まれる限り、私はリリア様のお側にいるしかないのです」
なんともまぁ自分でも驚くほどにすらすらと言い訳を口にしてしまう私だった。なんだかんだで私も貴族の娘ということなのだろう。
「…………、……なるほど、理解いたしました。所有物ですか、自分の分を弁えているようでなによりです」
なにやら陰険な笑いをするレイジス様。たぶんリリアの方に圧力を掛けるつもりなのだろう。
あの、リリアに喧嘩を売るのは止めた方がいいですよ?
ひどいことになりますから。
主にレイジス様が。
そして周りの人たちが。
ついでになぜかリリア本人も。
私の内心での警告などもちろん届くはずもなく。レイジス様は挨拶すらなしに踵を返してしまうのだった。
う~ん、一応リリアに報告しておいた方がいいかな?
またリリアが「どうしてこうなった!?」と嘆く事態になりそうだねこれは。
◇
「――ふん、しょせんは汚らわしい『黒髪』か」
教会の私室に戻った神官長・レイジスは憎々しげに吐き捨てた。
本来なら生きていることすら許されない黒髪黒目。レイジスから声を掛けられたならばその光栄さに涙を流し、床に頭をたたきつけて喜びを表現するべきところ。だというのに貴族の真似をした挨拶をし、さらには高貴なる自分に意見してくるなどと……。
やはり黒髪は滅びるべき存在だ。
そんな人間が、いくら『人道派』に担ぎ上げられただけとはいえ大聖教の聖女にメイドとして仕えるなど、許されるはずがない。
「神官長様。聖女様の様子はいかがでしたか?」
レイジス付きの神官がどこか飄々とした風で疑問を口にした。
「ふん」
神官の差し出した紅茶で喉を潤したレイジスはつまらなそうに鼻を鳴らす。
「受け取った『情報』通りだったな。リリア・レナードは人道派が祭り上げただけの偽物。人道派でありながら私と「信教の道を共にできる」など、頭の中に花畑が咲いているに違いない。銀髪で保有魔力は多いのだろうが、それだけだ」
リリア・レナードはニセ聖女。
レナード家からの支援を目的に人道派が祭り上げただけ。
ドラゴン討伐などの非常識な戦果は祖父であるガルドから譲られたもの。
ポーションの作製もレナード家が行った。
黒髪の少女を哀れに思い、友達になるほど心優しい人物であり、争いごとを望むような人間ではない。
と、いうのが神聖派の得た『情報』だった。
それは自分たちの権力争いにリリアを巻き込みたくないというキナの『親心』によって流された偽情報なのであるが……皮肉なことに、その情報によってリリアは『与しやすい相手』として認識されてしまっていた。
リリアの今までの戦果が非常識すぎることも原因ではあるのだが。
……偽情報はともかく、真っ当な神官がリリア本人と接触すれば、リリアといつも『イチャイチャ』しているウィルドの神気とでも言うべきものを感じ取ることができるはずなのであるが。残念ながら破戒僧ならぬ破戒官であるレイジスではそのような神気を感じ取ることはできないようだった。
ゆえにこそレイジスは判断してしまう。実家の財力はともかく、リリア・レナード本人は大したことない、と。
「ここは早いうちに『神聖派』の権威を教えておくべきだな」
いくら偽物とはいえ、リリア・レナードが聖女として認められたのは事実。であれば今のうちから神聖派の恐ろしさを見せつけ、大人しくさせるべきだろう。
そうしていずれは神聖ゲルハルト帝国の『聖女』へ平和的に聖女の座を譲らせればいい。
「えぇ、それがよろしいかと」
太鼓持ちの神官からの同意を得たレイジスは上機嫌に策を組み立て始めた。
心優しい少女であるリリア・レナードは黒髪の女の友達になり、自分付きのメイドにしたという。あの不躾な女を……。
(まずはあの女と引き離すか)
そうすれば自分の無力さと神聖派の権威を実感することになるだろう。
誤った情報と、黒髪に対する差別感情。それが自らの判断を誤らせているなどつゆ知らずレイジスは紅茶を傾けた。
深い笑みを浮かべる傍らの神官に気づきもせず。
璃々愛
「レイジス……無茶しやがって……」
オーちゃん
「まだ死んでないから。死亡フラグ立てまくってるけど死んでないから」
次回、5月5日更新予定です。




