閑話 亡き友の忘れ形見(ガングード公視点)
なぜだか憎めない男だった。
まだ俺が青年だった頃。
勇者パーティの一員として『勇者』ガルド殿の側にいた俺は、必然的に“あの男”と関わり合うことも多かった。
アインリヒ・デーリン。
デーリン伯爵家の嫡男にして、ガルド殿の教え子。ついでに言えば、俺と同時期に魔法学園に通っていた男だ。
ガルド殿が魔法学園で戦闘指導をしていたときに可愛がっていた男で、(俺は遠くで見ていただけだったが)ガルド殿と一緒になって何かと学生らしいバカなことをしていた。
いつも調子のいいことをほざいている男だったし、ガルド殿は「悪い男じゃない」と言っていたのだが、俺は疑いの目を向けていた。
なにせあいつは『デーリン伯爵家』の後継ぎだ。
デーリン伯爵家。
王国の闇。
詐欺や略奪はもちろんのこと、密猟や国家機密の漏洩、果てには人身売買まで。ありとあらゆる犯罪に手を染めていると見なされ、しかし証拠は何一つ掴ませてこなかった大悪党。ほとんどの大臣に賄賂を送り、おそらくは宰相である俺の父すらその毒牙にかかっていたのだろう。
そんな大悪党、デーリン伯爵家の嫡男だ。演技の一つや二つは当然するだろうし、『勇者』に取り入るためガルド殿に近づいているに違いなかった。
疑いの目で監視していたし、『影』を使って調査をした。
結果は白。
父であるデーリン伯爵は限りなく黒に近い灰色。証拠が出ていないだけ。にもかかわらずあの男――アインリヒは完全に白。驚くほどに純心で、呆れるほどにバカ正直な男だった。
自分もいつか勇者パーティに入るんだと目を輝かせていた。素振りのしすぎで手のマメが潰れたのは一度や二度ではなかったし、そんなアインリヒをガルド殿も弟子として可愛がっていた。
いつの頃からか俺もアインリヒのことを信頼するようになっていて……。何だかんだで『友人』と呼んでも差し支えない関係になっていた。いつか、共に世界を救う旅をするときが来るかもしれないと期待してもいて。
残念ながらアインリヒには俺たちほどの才能はなかったし、邪神の復活が予想よりも早まったせいでその未来が来ることはなかったが。
邪神を倒し。俺は幼少からの婚約者と無事に結ばれ、アインリヒも妻を迎える年になった。
その『妻』は国王(先代王)のお下がりであり、あきらかに父であるデーリン伯爵が国王に媚を売るためにアインリヒにあてがった女だったのだが……アインリヒは幸せそうだった。根っからの善人であるからきっと『妻』の境遇に同情し、守らなければと思ったのだろう。
……いや、「俺の妻は世界一可愛い!」と会うたびに熱く語っていたから、単に一目惚れしただけか?
俺が公爵の地位を継ぎ。アインリヒもデーリン伯爵になったころには直接会う機会も少なくなっていた。俺は宰相の仕事にかかり切りになっていたし、アインリヒも歴代のデーリン伯が犯してきた罪を償うために奔走していたためだ。
風の噂でアインリヒにも娘が生まれたとの話は聞いたが、直接会う機会はなかったし、こちらに連絡もなかった。
出産の際に愛する妻を失ったのだからそのような余裕もなかったのだろう。『友人』として励ますべきかとも考えたが、『公爵』であり『宰相』である俺が直接出向けばいらぬ気を遣わせてしまうと考えて動けずにいた。
それに。俺にも娘が生まれたが、こちらは母子共に健康だったことへの罪悪感というか後ろめたさもあった。
(……せめて、あいつの娘にはいい婚約者を斡旋してやるか)
アインリヒの娘は『黒髪』だという。普通にしていては良い婚約者は望むべくもない。ここは俺が一肌脱ぐべきだろう。
政務の合間にそれとなくいい男がいないか探すこと、数年。宰相としての激務にもやっと慣れてきた頃……アインリヒが――デーリン伯爵が拘束されたという情報が飛び込んできた。
あの男が犯罪を?
そんなはずがない。
愛する妻を失って自暴自棄に――いや、あの男に限ってそれはないか。
きっと何者かに嵌められたのだろう。アインリヒは伯爵とは思えないほど純情だし、歴代のデーリン伯の罪を償うということは、それに寄生して甘い汁を啜っていた連中の罪を明らかにすることに繋がるから、おそらくそのあたりで敵を作りすぎたのだろうと同情した。
会うことが少なくなったとはいえ、それでも『友人』だ。嵌められたのならば少しくらい助力してやろう。
俺は『影』にアインリヒについての調査を命じて――その報告に愕然とした。誘拐に、人身売買。いや人身売買は未遂であったが、関係ない。建国神話の時代から奴隷解放と人身売買の禁止を掲げているのがこの国だ。我が国の貴族が、未遂とはいえ人身売買に関わったというのなら、一罰百戒も兼ねて処刑は免れないだろう。
(何を、バカなことを)
俺は牢に繋がれたアインリヒと面会した。宰相として、重大な犯罪を犯した貴族を取り調べるという名目で。
アインリヒは、狂っていた。
狂気に支配されていた。
愛する娘を守るために。
愛する妻が命を賭けて残してくれた娘。そんな娘を『黒髪』だと否定した世界を、否定するために。
(愛とは、ここまで人を変えるのか?)
はたして俺にここまでの『愛』はあるだろうか?
愛する妻と、生まれたばかりの娘。もしも失うことがあっても、俺はきっとここまで狂うことはできないだろう。俺には責任があり、成すべきことがある。俺はこの国の公爵であり、宰相なのだ。
……そう、宰相だからこそ。
助けることはできなかった。
俺はアインリヒの友人だが、宰相なのだ。人身売買に手を染めようとした貴族を許すわけにはいかない。
(アインリヒの妻が死んだとき、俺が会いに行けば何か変わっただろうか……?)
あるいは、もっと密に連絡を取り合ってさえいれば……。
辛いときは側にいてやるのが友人だというのに。
…………。
せめて。
せめて、残された娘だけは助けなければならなかった。
貴族の中には娘も連座して処刑するべきとの声も多かった。そんな声が出るほどにデーリン家は恨まれていたし、都合が悪かった。無実の『黒髪の少女』を助けようとする貴族も驚くほど少なかった。
ガルド殿に頭を下げた。ゲルリッツ侯にも協力を頼んだ。国王陛下にもそれとなく話を通し……やっと、貴族籍の剥奪で話を収めることができた。
ナユハ・デーリン。
貴族籍を剥奪され、ただのナユハとなった少女。
俺が引き取るつもりだった。
いずれは養子としてガングード家に迎え入れ、『黒髪』だからと、『デーリン家の女』だからと差別しない立派な男に嫁がせるつもりだった。
諸々の準備を整え、ナユハに会いに行った俺は……愕然とした。
「――私は、罰を受けなければなりません」
真っ直ぐに背筋を伸ばし。
公爵相手に視線を逸らすことすらなく。
迷いなく、堂々と。これ以上ないほどに貴族らしくナユハは断言した。
罪深きデーリン家の娘。
暴走する父を止められなかった。
すべてを知っていたのに、何もできなかった。
だから私は罪を受けなければと。罰せられなければならないと。
静かに。
父によく似た狂気を宿した瞳で。
ナユハは罰を求めていた。
無罪であると説明した。
子供なのだから止められなくても仕方がないと説得した。
親の罪を子供が受けなければならない道理などないのだ。
何度も何度も面会した。公爵として、宰相として鍛え上げた弁論を駆使した。なのに、子供一人納得させることができなかった。
何が公爵だ。
何が宰相だ。
どんなに出世しようが、どんなに権力を得ようが、少女一人救うことができないではないか。
こんな地位に何の意味がある? 友人の娘一人助けられない俺に、何の価値がある?
自らの無能さから目を逸らし、無理やりにでも養子にしようかと考えた。時間が経てば、大人になれば、デーリン家のことも忘れるだろうと。忘れないまでも記憶が薄れるだろうと期待した。
そんな俺の暴挙を止めたのはガルド殿だった。「あまり強引なことをすると自ら命を絶ちかねない」と。
子供一人助けることもできず。
そうして。
俺は無力感を引きずったままナユハのことをガルド殿に任せた。ガルド殿なら安心して任せられる思ったし、宰相として家を空けることが多い俺よりはナユハに愛情を注いでくれるだろうと判断したのもあるし……これ以上、自分の無力さを味わわされるのが恐くもあったからだ。
そう、俺は、逃げ出したのだ。
こんな俺がナユハのことについて口を出す権利はない。……ないが、それでも気になった。罪悪感があった。『影』の一部を割いてナユハの様子を見させ、護衛もさせた。もちろん、ガルド殿の許可を得た上で。
ナユハは自らの意志で鉱山での労働を選んだ。ガルド殿やリース殿は何度も止めたのだが、ナユハの頑固さは子供とは思えないほどだった。
もちろん黙って見ているわけにはいかなかった。
同じ鉱山で労働させられていたデーリン家の家令だった男を抱き込んだ。アインリヒの罪を告発し、取り調べではナユハを庇い続け、自らは労働刑を望んだ男。ナユハとはもちろん顔見知りであるし、彼女を見守らせるにはうってつけの男だった。
ガルド殿の庇護と、元家令による見守り。そして、数人の『影』による護衛。完璧な布陣だった。……油断していた。慢心していた。
その頃には立派な会社経営者になった娘のミリスが少し遠くの街に視察へ行くことになり、ナユハに付けていた『影』の配置転換をした時の不手際で少し目を離した隙に、ナユハがならず者たちに誘拐されかけたと知ったときは肝が冷えたが……幸いにして大事には至らなかった。
ナユハを救ったのは、生まれたときから何かと話題に上る少女だった。
リリア・レナード。
ナユハの『ともだち』になった子。ガルド殿の孫娘。9歳ながらすでに数体のドラゴンを討伐し、新たな魔術理論を王宮へ献上した天才。
そんなリリア嬢が、ナユハを自分専属のメイドにしたという。
ナユハが大人しく受け入れたことは驚きだったものの、鉱山で働くよりはよほど安全であるし、ガルド殿の孫であれば人格的にも問題はないはずだ。
と、理屈で納得させようとしたが、安心はできなかった。直接会って確認しなければ気が済まなかった。
その機会は思ったより早く訪れた。ウィリスを陛下に紹介するという体で、ミリスを王太子殿下に紹介した直後。『影』からリリア嬢がすぐ近くにいると報告が上がったのだ。
我々が陛下と殿下に謁見する前。殿下はリリア嬢たちとお茶会をしていたらしい。すでに殿下とリリア嬢の間には厚い親交があるらしく『婚約者争い』という意味で見ればミリスは出遅れているのだろうが――さほどの問題はない。
そもそも今回の紹介も公爵兼宰相として必要だっただけで、ミリス本人にその気はなさそうなのだから。
だからこそ、ここで重要なのはリリア嬢とナユハだ。
会わなければならない。
会って、直接確認しなければならない。
リリア嬢の人柄を。
ナユハの無事を。
もしもリリア嬢には任せられないと判断したときは……ガルド殿を敵に回すことになるかもしれない。そうならないことを願いながら俺はウィリスとミリスを引き連れてリリア嬢の元へと向かった。
「……これから私は“黒髪の少女”に挨拶をする。分かっていると思うが、差別することは絶対に許さん」
二人にそう警告する。表向き黒髪に対する差別は禁止されているが、貴族の中にも黒髪に対する差別感情は根強いからだ。
ウィリスは俺の息子になってから二年ほどしか経っていないので黒髪に対する差別感情がどれほどのものか分からなかったし、ミリスにしても、最近は立派になったとはいえ数年前までは荒れていたので黒髪に対してどのような言動をするか未知数だったためだ。
そして俺は見つけた。
銀髪の少女と、彼女の隣を歩く黒髪の少女を。
あぁ、『ともだち』というのは本当なのだろう。そうでなければ貴族子女であるリリア嬢が平民でメイドのナユハを隣で歩かせるわけがないのだから。
本当なら真っ先にナユハに声を掛けたかった。しかし、人の目のある場所で『公爵』が子爵家令嬢であるリリア嬢を差し置いてメイドに挨拶するのは不自然すぎるし、無意味にレナード家を敵に回してしまうだろう。
リリア嬢に声を掛けると、まずはリリア嬢が、少し遅れてナユハが振り返った。
――大きくなった。
最後に会ったのは数ヶ月前だというのに、どこか大人びたように感じられた。誰も近づかせまいと気を張っていたナユハが、今は穏やかな目をしていた。
大丈夫だろう。
リリア嬢に任せておけば大丈夫だろう。
緩みそうになる頬を必死に押さえ、結果として不自然なほどの無表情になってしまったのは俺もまだまだ未熟ということか。
上手く表情を作れなかった気恥ずかしさと、俺にはできなかったナユハの救済を成し遂げたことに対するわずかな嫉妬もあり、ついついリリア嬢を試すようなことを口にしてしまう。
「……失礼ですが、リリア嬢。あなたの侍女はずいぶんとお若いですな。何かと苦労されることも多いのでは?」
ナユハは黒髪だ。貴族から敵視されることもあるだろう。そんな苦労を背負ってまでナユハをメイドとして側に置く覚悟があるのか? そう回りくどく問い詰めてしまった。
9歳の少女がこんな貴族的な言い回しに対応できるはずがない。と、思ったのだが、意外や意外、リリア嬢は貴族らしい笑顔で対抗してきた。
「えぇ、同い年の侍女というのは珍しいでしょう? 9歳でこれほどの礼儀作法を身につけている子は中々いないのですよ?」
ほぅ、十全な教育を施されてきたナユハを『黒髪だから』という理由で蔑む輩などこっちから願い下げだと? さすがはガルド殿の孫娘、気性の荒さは祖父譲りか。
……いや、むしろ祖母譲りか?
「うむ、過干渉でしたな。しかし、リリア嬢のような銀髪持ちが護衛無しで移動するのは何かと不安。こちらで良い護衛を紹介いたしましょうか? もちろん、リリア嬢と同い年くらいの男子も用意できますが」
もしも不逞の輩に襲われたとき、ナユハを守ることができるのかと問う。貴族であればメイドを盾にして難を逃れるのが当然だが、もしもそう考えているのなら……。
リリア嬢は笑った。笑ったが、その表情の裏に隠しきれない激情が、嘆きが渦巻いていた。
おそらく、俺ごときが試したことが許せなかったのだろう。ナユハを盾にして逃げるような女だと思われたのが気にくわなかったのだろう。
それを表に出してしまうとは、いくらガルド殿とリース殿に鍛えられているとはいえ、まだまだ9歳の少女ということか。
「あら、ガングード公閣下から護衛をご紹介いただけるとは光栄の極みですわ。ですが、いきなり男性の護衛というのは気恥ずかしいです。それに、ご安心ください。この子は中々強いですから」
ナユハも、もはや俺に庇護されるだけの存在ではないと?
一人の人間として歩み始めていると?
そして、『公爵』相手にこのような発言をしたからには、ナユハの強さを『リリア・レナード子爵家令嬢』が保証したことになる。もしもナユハが『強くない』と証明されることがあれば、それはリリア嬢だけではなくレナード家の名声までもが傷つくことを意味するのだ。
ナユハに対する圧倒的な信頼。
そして、公爵に対する若き挑戦。
ここは受けなければならないだろう。
確かめなければならないだろう。
「ほほぉ、かの“神槍”の孫娘であるリリア嬢が認めるとは、事実確かな腕前なのでしょうな。ぜひ息子のためにご教授いただきたいものです」
さすがに公爵であり勇者パーティの一員であった俺が直接相手をするわけにはいかないが、次期公爵候補と見なされているウィリスであれば格は充分。むしろ過剰なほど。
そして、そんなウィリスが直接対峙した――対峙するに値したとなれば、『黒髪』であり『デーリン家の娘』であるナユハの格も上がることとなる。
まさか、そこまで考えて?
わずか9歳にしてなんという神算鬼謀。陛下が王太子殿下の婚約者に推すのも必然か。
「ふふふ、かのガングード公爵家の次期当主となる御方と剣を交えるとは光栄の極みですわ。この子もきっと喜ぶでしょう」
こうして。
ナユハとウィリスの試合は行われ……予想以上に早く、あっさりと、ウィリスはナユハに敗北した。
ナユハがレナード家に引き取られてからさほど時間は経っていない。だというのにあれだけの動きができたのだから良い指導者から教えを受けたのだろう。つまりレナード家とリリア嬢はそれだけナユハに目を掛けているということだ。
そしてあの装備。
あのメイスはかなりの高級品だし、動きを阻害しないメイド服はいい生地を使用した、体格に合わせた専用仕立て(オーダーメイド)だろう。ただのメイドに与えるものではないし、ともすれば下手な貴族令嬢のドレスよりも金がかかっているはずだ。
(大切にされているのだな、ナユハ……)
ホッとしているとリリア嬢は頭を下げていた。ナユハに。メイドに。「どうしてこうなった……」と嘆きながら。おそらく無理に試合をさせたことへの謝罪だろう。
仲がいいのは結構だが、ここが王宮ということを忘れていないかあの二人?
あとでそれとなく注意しておくことにしよう。
璃々愛
「ナユハちゃんが連座で処刑されなかったのも……野郎だらけの鉱山で無事に働けていたのも……全部、月島さん――じゃなくてガングード公が居たからじゃないか……!」
オーちゃん
「ネタに走るなせっかくのシリアスなんだから」
※ミリスの話が収まりきらないので、予定を変更して先にマリア様復活辺りの話をやります。
次回、2月25日更新予定です。




