閑話 とある男の物語・3(???視点)
竜殺しの剣を授かった俺は、陛下より正式に出撃命令を告げられた。
しかし、陛下からの出撃命令が下ろうと、すぐすぐ出撃できるものではない。休暇中の騎士を呼び戻したり、警備の配置を組み直したり、武器の整備や足りない装備の補充、そして何より輜重――万単位の人間が毎日消費する食料の準備、輸送手段の確保をしなければならないのだから。
輜重を軽視する軍隊は、戦う前に敗北する。
輜重こそが騎士団の要だ。
それらの準備を終えるまでかかった時間は、二日。騎士団として見れば早い方だが、民からしてみれば遅すぎるだろう。
二日。
この間にどれだけの犠牲が出ただろうか? 俺のような悲劇がどれだけ繰り返されただろうか?
悔やんでも、悔やみきれない。
行軍速度は遅かった。
今からドラゴンと戦うという恐怖が騎士団に蔓延していた。
おそらくはどこからか“英雄”マリア・ヒュンスター侯の行方不明が噂として広まっていたのだろう。
そんな中。
ただ一人、野獣のように目を輝かせる男がいた。
名前は知らなかったし、副官から名前を教えられたあともすぐに忘れてしまった。万単位の人間を率いる俺がそんな『名もなき騎士』の名前を覚えている余裕などないのだ。
ただ、その経歴と、その目が強く印象に残った。
まだ年若きその騎士は単身でワイバーンを倒したのだという。
その騎士の目を俺はよく知っていた。今まで多く出会ってきた『出世欲』に取り憑かれた者の目だった。
きっとあの男はドラゴンを少しデカいだけのワイバーンだと考えているのだろう。ドラゴンくらい一人で討伐できて、出世の足がかりにできると思っているのだろう。
バカな男だ。
ドラゴンの恐ろしさも知らないくせに。
だが、好都合だった。
あの男であればドラゴン相手に大暴れしてくれるだろう。大暴れして、派手に死んでくれるだろう。
果敢にドラゴンへと立ち向かい、壮絶な戦死を遂げた騎士。危機的な状況の中で駆けつける勇者ガルド。それなりに見られる『物語』となるだろう。
その考えが瞳に出ていた訳ではないと思いたいが……俺を見たその騎士は、対抗心を燃やすように俺を睨め付けてきた。
「はっ」
どうやら俺のことを『戦功を取り合う敵』と認識したらしい。
想定外だが、好都合だった。功を焦ったあの騎士であれば恐れることなくドラゴンに立ち向かってくれることだろう。
出世欲にまみれた騎士に注意を払いつつ進軍は続き……ヒュンスター領のとある寒村に到着した。
まず見えたのは猛々しく燃える炎。記憶にある氷の世界とはまるで異なる惨劇に、俺の思考は停止した。
いや、思考が止まったのはブレスのせいだけではない。
――ドラゴンは、2体いた。
1体は漆黒の鱗に覆われた四つ足のドラゴン。その体躯は見上げることすら困難なほどに高く、まるでこの世界すべてを憎んでいるかのような荒々しい瞳が印象的だった。
対するは蒼い鱗、蒼いたてがみをしたドラゴン。
そう。蒼い。
蒼い。蒼いドラゴン。
両親を殺した。
兄弟を殺した。
使用人たちを、領民たちを殺した。
蒼い、ドラゴンだ。
胸の鼓動が乱れる。
心が憎しみに支配される。
落ち着け。
俺は騎士団長。
俺が冷静さを失えば、必要以上の犠牲を出してしまう。
深呼吸をしながら、なおも落ち着かない鼓動を無視して戦況を見極めようとする。
2体のドラゴンは明らかに争っていた。黒いドラゴンがブレスで攻撃し、蒼いドラゴンは避けることができずに鱗を焼かれるという一方的な展開。蒼いドラゴンの鱗は毛羽立つようにめくり上がり、肉の焦げたような臭いが辺りに充満している。
蒼いドラゴンの背後には村の中でも家が密集した場所があり、まだ避難できていない住民たちが右往左往していた。
俺は騎士になった。
力なき民を守るために騎士となった。
なのに、俺は動けなかった。
臭いがする。
家の焼ける臭い。
血の臭い。
肉が焦げたような臭いは蒼いドラゴンのもの、だけではなく。――人が焼ける臭いでもあった。
記憶が蘇る。
両親の。
兄弟の。
使用人たちの。
領民たちの。
最後の光景が、脳裏に蘇ってきた。
臭いがする。
生活が壊れていく臭い。
人が死んでいく臭い。
未来が燃やし尽くされていく臭い。
なのに、俺は動けない。
何もできない。
神槍のような技もなく。
白銀の魔王のような魔力もなく。
マリア・ヒュンスターのような“力”もない。
何の力も持たない俺は、ドラゴンという名の“力”を前にして何もできなかった。
……なのに。
「――おい! 早く逃げろ! あっちだ! はやく!」
あの男は、動いていた。
俺がさっきまで馬鹿にしていた男が。
利用することしか考えていなかった男が。
出世欲の塊でしかなかったはずの男が。
拳を握りしめ。
震える足を必死に押さえながら。
騎士のように。
いいや、正真正銘の騎士として。
民を守るために、行動していた。
男が剣に手を伸ばした。
瀕死の蒼いドラゴンを脇目に、漆黒のドラゴンと対峙する。
その姿は間違いなく“英雄”のものであり。
……あぁ。
しょせん俺は騎士ではなく。
しょせん、俺は英雄になれない男なのだ。
「――おぉおおおぉおっぉおおおおおおっ!」
男の絶叫が響き渡る。
人間の領域を越えた跳躍。
そんな騎士をドラゴンが尻尾を振るい叩き落とそうとする。
城壁すら崩す一撃。
喰らえば即座に肉片となるだろう。
けれど騎士に恐怖などない。
尻尾の動きを見極めて。男は尾を踏みつけた。
尻尾を足場としてさらなる跳躍。
手にしているのはただの剣。大量生産された支給品。鋼鉄より硬いドラゴンの鱗を貫けるはずがない。
しかし男は剣を突き刺した。深々と。まるでそれが当然のことであるかのように。
鮮血が降り注ぐ。
眼前には倒れゆく黒いドラゴン。力なく倒れるその姿を見て俺は自らの使命を思い出した。
俺は英雄にはなれない。
騎士にもなれない。
だが、俺は騎士団長なのだ。
悪しき竜から民を守る使命があるのだ。
黒いドラゴンは真なる騎士によって打ち倒された。
だが、まだもう一匹。蒼いドラゴンが生きている。
黒いドラゴンとの戦いによってもはや瀕死。
しかし、生きている。
ならば殺さなければならない。
人里に降りてきてこれだけの破壊をもたらしたドラゴンを見逃すことなどできないし、民も、王も納得しないだろう。
なにより。
こいつは蒼いドラゴンなのだ。
俺の実家を。両親を。兄弟を。使用人たちを。領民たちを。殺し尽くしたブルードラゴンなのだ。
異なる固体であることなど関係ない。蒼いドラゴンであれば殺さなければならない。ブルードラゴンは殺さなければならない。
もはや騎士の男は動くことすらできそうにない。
ならば俺がやらなければならない。
悔しさ。
憧れ。
敬意。
すべてを込めた声で俺は褒め称えた。
「――よくやったぞ、名もなき騎士よ!」
今となっては英雄たる騎士の名前を覚えておかなかったことが悔やまれる。
けれど、問題はない。これだけの功績を残した騎士なのだ。これからその名を知る機会はいくらでも訪れるだろう。
その功績に敬意を表し、もう一匹のドラゴン討伐も譲りたいところだが、あいにく騎士の方も瀕死。すぐさま治癒術士に治療を命じたが、まともに動けるようになるまではしばらく時間がかかるだろう。
その間に蒼いドラゴンが飛んで逃げる可能性も充分にある。それだけは絶対に避けなければならなかった。
「一匹は取られたが、もう一匹は俺がもらおう」
蒼いドラゴンは殺さなければならない。
ブルードラゴンは殺さなければならない。
あの日。俺は、誓ったのだ。
ドラゴンを倒せるくらい強くなる。
民を守れるくらい強くなる。
……蒼いドラゴンを殺せるくらい、強くなる。
腰の剣を引き抜きながらドラゴンの元へ向かう。陛下から賜った竜殺しの剣だ。このように無才な俺でも、こと“ドラゴン”であれば殺すことができるだろう。
「――、――」
騎士が何かを口にするが、かすれて声になっていない。
不満はあろう。彼にとって俺は、後から出てきて獲物を横取りにする卑怯者なのだ。
恨むなら恨めばいい。
だが、ドラゴンは、ここで確実に殺さなければならない。
蒼いドラゴンと対峙する。
蒼い。蒼い鱗。蒼いたてがみ。
その姿に、俺は、不思議とあの“少女”の姿を思い出してしまった。強くなりましょうと俺に言った少女を。俺が騎士になるきっかけとなった少女を。……もはや叶わぬ想いを抱いてしまった少女を。
そうして。
俺は。
――蒼いドラゴンの首元に、深々と剣を突き立てた。
人の主観って当てにならないよねって話。
次回、12月25日更新予定です。




