閑話 義理の弟(ウィリス・ガングード視点)
ウィリス ……ミリスの義理の弟
「ガングード家を手に入れろ」
夜。
僕を呼び出した父・ウィルクード家現当主さまはそんなことを口走った。
分家の息子でしかない僕に本家を手に入れろなど……ずいぶん思い切ったことをほざいたものだ。
父はガングード分家としての力を自らの力であると過信している男であるが、まさか妄想癖がここまで悪化しているとは……。
しかし、いくら父とはいえ何の『きっかけ』もなしにこんなことはほざかない。はずだ。
考えられる可能性としては……本家の一人娘であるミリス・ガングードは同い年だし、僕との婚約が決まったのだろうか? 本家の跡取り候補の結婚相手を分家から見つけるというのは珍しいが、ありえない話ではない。
「デンニッシュがお前を義理の息子に迎え入れたいそうだ」
「そうでしたか」
デンニッシュ卿――ガングード公も思い切ったことをする。まだ自分の子供を諦める歳でもないだろうに、野心溢れる父から息子(僕)を迎え入れるなど……ガングード公も従兄弟の野心くらい見抜いているはずなのに……。
いや、むしろ不穏分子は早いうちから手の内に入れておきたいと考えたのか? 僕が養子入りすれば、父が悪巧みをする際も僕を通そうとするだろうし、想定外のことをやられる危険性は減るはずだ。
(さすがは氷の宰相。冷静にして大胆不敵な)
僕もこの父を補佐するため歳に似合わぬ落ち着きを有していると自覚しているが、やはりまだまだ歴戦の公爵には敵わないようだ。
「お前が養子に入り、あの娘が死ねば、ガングード家は俺のものだ!」
おっと、とんでもない妄想を垂れ流し始めたぞこのバカ。
「……父上。私が養子入りしたあと、すぐにミリス様が亡くなられては私や父上が疑われてしまいます。最低でも数年は様子を見ませんと」
「ぬ、そうか。それもそうだな。ふん、お前に言われるまでもなくそうするつもりだったさ!」
「……さすが父上。深謀遠慮ですね」
だんだん頭痛がしてきた僕は適当なところで話を切り上げて執務室をあとにした。
まったく、アレが自分の父親だと考えるだけで全身の血を入れ替えたくなるな。
気だるく肩を回しながら廊下を進み、自分の部屋に戻る。
室内には先客がいた。
我が家の家令、ジークスだ。髪には白いものが混じり始めているが背筋は伸びており、年齢よりも若々しく見える。
室内に入り、扉をしっかりと閉める。防音の結界が施されているのでここでの会話を盗み聞きされる危険は無い。……いや、噂に聞くリリア・レナードが相手では分からないが、そもそも彼女と敵対するような状況になった時点で『負け』だろう。
椅子に座り、背もたれを軋ませる。
「ジークス。話は聞いていたか?」
父の執務室にも防音の結界は施されているので、本来であればジークスが聞いているはずがない。
だが、今さらそこを気にする必要は無い。ジークスは屋敷を管理する側の人間なのだ。当然『抜け道』も知っているのだろう。
「はっ。中々に愉快なお話をされていたようで」
「愉快か。僕はアレがあそこまで愉快な脳みそをしているとは思わなかったよ」
「ウィリス様もまだまだですな。こちらはとっくの昔に見切りを付けたのですが」
そうして現当主である父ではなく僕を選んだと。
「7歳――いや、見切りを付けたのはもっと前か。そんな子供に自分の人生とウィルクード家の未来を任せるのは相当のギャンブルだと思うけどな」
しかしジークスはギャンブルに勝利し、今ではたった7歳の僕が実質的にウィルクード家を取り仕切っている。
呆れるべきか感心するべきか。僕がため息をついているとジークスは悪びれる様子もなく頭を下げた。
「いえいえ、ウィリス様の才覚は幼少のみぎりより抜きん出ておられましたから。子供とは思えぬほどの理解力に発想力。まるで一度別の人生を経験したかのような素晴らしさでありました」
「……ふっ、面白い冗談だ」
不敵に笑う僕だが、おそらくジークスには白々しい演技に見えていることだろう。
この世界では前世の記憶を持ったまま生まれてくる人間はそれなりにいるし、ある日突然思い出す人間もそれなりにいる。何かと噂のリリア・レナード嬢も前世の記憶を有しているというし、『前世の記憶持ち』は特段隠すような情報ではない。
しかし、この世界の前世ならとにかく、異世界“日本”の知識があるなどと話しても信じてはもらえないだろうから適当に誤魔化しておく僕だった。
重要なのは前世で何をしてきたかではなく、前世の知識を今世でどう活かすかだ。
「父の暴走はしばらく押さえ込んだ。……いや、押さえ込めることを祈ろう」
「ミリス様の暗殺とは穏やかではありませんからな。アレでは証拠も残してしまうでしょうし」
まるで自分なら証拠も残さないとでも言いたげなジークスだった。彼ならやりかねないのが何よりも恐ろしい。
「ガングード家に養子入りか。となると、この家の実権は父に戻るのか。弟はまだ5歳だしな」
「たとえ30歳でも、任せるのは不安ですな」
「そう言うな。素直で良い子なんだぞ?」
「素直で良い子。貴族にとっては最大級の侮辱ですな。……わたくしが失業しましたらガングード家でお雇いいただければと」
父と弟に任せたらウィルクード家は潰れる。と、この家のことを誰よりもよく知る家令が判断しているらしい。
「無論だ。お前には90まで働いてもらう予定なのだからな」
「ははは、さすがにそれはご勘弁願いたいですな。いまから弟君に鞍替えいたしますか」
「そうすれば数年で職無しだな。借金で没落するような家の家令など誰も雇用しないだろう」
なにせ家令とは資産管理が主な仕事だ。
「人生とはままならないものですなぁ」
「ウィルクード家を意のままに操るお前がよく言ったものだ」
「近年はウィリス様のおかげで操る必要もなくなりましたがね」
「よく口が回ることだ。……とりあえず、そちらでも父を押さえておいてくれ。バレなければ何をしてもいい」
あと数年。
その間ミリス・ガングードを守り切れば、父とウィルクード家に『本家の娘を暗殺する』などという愚挙を実行する力は無くなるだろう。
そのあとは、さて。どうしたものか。
今までのミリス・ガングードへの評価は『バカな女』というものだった。自分では何もできないくせに偉そうに振る舞い、執事やメイドに当たり散らかす愚か者。彼女があのままであったのなら父に言われるまでもなく本家の乗っ取りを画策していただろう。
けれど、この一年でミリス・ガングードは大きく変わった。
突如としてドレスのデザインなどをする会社を立ち上げたという。公爵夫人やあの優秀なセバスの力添えがあったとはいえ、その名声は王都に響いていると聞いている。
さらには石鹸などの販売で大きな利益を上げ、にもかかわらず、その売り上げを丸ごと公爵家に渡そうとしたらしい。……これは以前ガングード公が嬉しそうに語ってくれたので事実なのだろう。
(まるで別人だな。別人に入れ替わったか、前世の記憶を思い出したと言われても信じてしまいそうだ。いい方向への変化だから別に構わないが)
優秀であればあるほど王太子の婚約者に選ばれる可能性は上がるだろう。
このまま順当に行けばミリス・ガングードは王太子の婚約者としてガングード家を離れることになる。そうなれば(父が妄想するようなミリスの暗殺という危険を冒さずとも)ガングード家は手に入る。
問題は、ガングード公夫妻に子供ができ、それが男児だった場合だ。幼い実子と、仕事のできる養子。御家騒動をしてくださいと言わんばかりの状況だ。
無用な混乱を避ける一番の方法は僕が実家であるウィルクード家に戻されること。
しかしその時にはもう弟が跡取りになっているだろうし、そもそも(父の放蕩で)ウィルクード家がなくなっている可能性もある。
帰る場所はない。が、食い下がれば『処分』される危険性が高い。それを避けるために実子を暗殺するという道も――さすがにそれは避けたいところだ。
(……無闇に抵抗せず、用済みだと追い出されてみるのも一興か?)
元々前世では庶民として生活していたのだから、追い出されても何の問題も無い。今から貯金をしておけば(平民としてなら)一生困らない金額を捻出できるだろう。父が浪費している金額に比べれば可愛いものだ。
(それに、そうすれば“彼女”と……)
意外と悪くない未来を予想した僕は思わず口元を緩めてしまった。
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次回、10月28日更新予定です。




