むかしばなし とある悪役令嬢の物語・5(ミリス視点)
お母様のドレスをデザインしてから、およそ一年。七歳となってしばらく経過した今、お金を稼ぐのって難しいなぁと私はそっとため息をつきました。
いえ、お金儲けそのものは順調です。お母様やセバスさんの助力もあってドレスや装飾品などをデザイン・販売する会社を設立することができましたし、売り上げも上々。
最近ではそれで得た資金を元手に転生者らしく石鹸を開発・量産して、こちらも軌道に乗ってきました。特に趣味でカービング(彫刻)したものが大好評なのです。
また、前世の知識を元にした『悪役令嬢小説』を執筆してみたところ意外と好評をいただき、少なくない印税収入を得ることができています。……公爵家令嬢が庶民向けの小説を書いていると知られると色々マズいので、これは秘密ですけれど。
それに関連して、執筆活動を始めてからはどうにも羽根ペンが不便に感じられてしまい魔物の毛を使った筆を試作してみました。
羽根ペンはすぐにペン先が潰れてしまいますし、書ける文字数も少なめ。執筆にはあまり向いていない筆記用具なのです。筆も不便なところはありますが羽根ペンよりはマシでしょう。
元々は自分のために製作したものですが、こちらも意外と売れているようです。羽根ペンより多くの字を書くことができますし、文字の強弱を調整できて美しい文字を書きやすいのが好評なのだとか。
現在はガラスペンか万年筆ができないものかと試行錯誤中です。
これらの商売によって、こういう言い方は何ですが、慎ましい生活を心がければ一生困らないほどの資金は得られると思います。前世知識のおかげで平民的な生活にも抵抗はありませんし、前世日本ほど生活にお金はかかりませんから。
しかし、騎士団を養い、魔物との戦いに当てるとなるとまったく足りません。税金って凄い。軍事費って凄い。金は天下の回りもの。いっそのこと軍需産業を立ち上げますか……?
それともう一つの問題としましては、せっかく稼いだお金をお父様とお母様が受け取ってくださらないことです。「これはミリスが自分のために使いなさい」と。
世の中には子供を奴隷のように使い、稼がせたお金をすべて自分で使う親もいますから、そう考えると私は幸運なのでしょう。
けれど、公爵領を守ることは私の願いでもありますので、何とか受け取ってもらいたいところです。
まぁ、どうやって説得すればいいのかも分かりませんので、今のところは貯金という形で私が管理していますけれど。
そんなうまくいっているのかいないのか微妙な今日この頃。お父様が久しぶりに領地へと戻ってきました。
私としては遊んで欲しいのですけれど、お父様もお忙しい身。領地経営についてお母様や執事のセバスさんと難しい話をしているのに割って入ることなんてできません。本当ならお父様のお膝の上に乗って絵本を読んで欲しい……。
前世を含めれば30を越えているのだから、と自分に言い聞かせて甘えるのはグッと我慢する私です。
そんな私の我慢が天に届いたのかは分かりませんでしたけれど、執務室にいるお父様に呼び出されました。うきうきしながら執務室へと向かうと室内にはお父様とお母様、セバスさんのお姿が。どうやらお仕事の最中だったようです。
お父様が椅子に座ったまま膝をぽんぽんと叩くので遠慮無くその上に乗っかりました。まだ7歳なのでそれほど重くない……はずです。
あとは絵本があれば完璧なのですけれど……お父様が手にしていたのは書類でした。どうやら領内の治水に関する資料のようですね。
いえ、いいのです。お父様はお忙しい身なのだからいいのです。こうしてお膝の上に載せてくださっただけで……。
「さて、ミリス。これをどう思う?」
優しい声で私に資料を手渡してくるお父様です。いくら身内で、将来は女公爵となる(かもしれない)とはいえ、要職についていない私に重要書類を見せていいのでしょうか?
前世日本の記憶を思い出した現在、普通の6歳児よりは治水などの知識はありますが、専門教育を受けたわけではありません。
「ええっと……」
なんとか当たり障りのない答えを口にすることはできましたが、我ながら何とも素人考えな意見……。もしかしたらお父様たちに呆れられてしまったかもしれません。
私はただ絵本を読んで欲しかっただけなのに、どうしてこうなったのでしょう……?
閑話 とある執事
貴族が自分の子供に仕事を手伝わせ、意見を聞くことはままある。理由としては『これが将来の自分の仕事だ』と自覚を持たせることと、子供がどれだけ成長したか確かめるためだ。
あまりに『成長』していないと後継者から外されることもあり得るし、逆に後継者となる可能性もある。
主人であるガングード公からミリスを連れてくるよう指示されたセバスは、廊下を歩きながらそっとため息をついた。
考えるのはミリスのこと。
一年ほど前までのミリスはお世辞にも『いい子』とは言えなかった。メイドや執事に辛く当たり、気に入らないことがあれば怒鳴りつけることも日常茶飯事。貴族令嬢として必須の勉強も真面目にやっているとはとても言えなかった。
しかし、ミリスを幼い頃から知っているセバスとしては、そんなワガママなミリスを安易に批判することもできなかった。
……このままガングード夫妻に男児が生まれなかった場合、ミリスはガングード公の後を継ぎ女公爵となるかもしれない。婿を迎えて公爵位を譲るにしても、領地経営において大きな発言力を有することとなる。
そう考えたとき、ミリスはお世辞にも『優秀』とは言えなかった。
愚かではないことが唯一の救いではあるが、同い年の“天稟”リリア・レナード子爵家令嬢や“天賦”ラミィ・リーンハルト公爵家令嬢と比べるとどうしても見劣りしてしまう。
そして。ミリスは家族や家来からの『期待』、『不安』を敏感に感じ取った。けれども自覚したところですぐすぐ能力が伸びるはずもなく……。もっと貴族らしく、もっと公爵家の後継ぎに相応しく。そんな存在であろうとしたミリスはまず父母の気高さを真似したのだろう。
無論、公爵夫妻が『気高く≒偉そうに』振る舞って許されるのは実力が伴っているからこそ。今までの実績があるが故。何の力も無く、結果も残していない少女が居丈高に振る舞っても反発を招くだけだ。
セバスとしても何度か諫言したが聞き入られることはなく。むしろ反発するようにミリスの偉ぶりは悪化していった。
このままではミリスが巷間の庶民小説で流行している『悪役令嬢』になってしまう。断罪されるような悪事にも平気で手を染めてしまう。ミリスが焦る気持ちも理解できるが何とかしなければならない。
セバスがミリスの再教育を決意し、ガングード公への許可をもらおうとしていた矢先……ミリスに変化が起きた。
自分が考えたドレスの絵を描く。
6歳の少女ならばありきたりな遊びだ。母親の誕生日にドレスを送るためという理由には年相応の可愛らしさすら感じられる。
けれど、その絵が、そのデザインが、母であるマカミア・ガングードを動かした。
マカミアからデザイン画を見せていただいたセバスは驚愕に目を見開いた。ミリスにこのような才能があったのかと。
残念ながらその才覚は公爵家令嬢として不要なものだ。ガングード家にとって不必要なものだ。貴族の中にもそういう道に進む者もいるが、下級貴族であることがほとんど。公爵家であるガングード家の娘に許される道ではない。
けれども、『自分にも才能があった』と気づいたことが、ミリスの自信に繋がったのだろう。
この一年。ミリスはとても『いい子』になった。
高飛車な態度はなりを潜めた。
メイドや執事たちにも穏やかに対応するようになった。
勉学にも真面目に打ち込むようになった。大人たちに自分のドレスを認められたことにより、「自分でもやればできる」と考えるようになったのだろう。
できることなら、そちらの道に進んで欲しい。
近ごろのセバスはそのような詮無い思いに囚われるようになっていた。だからこそ忙しい合間を縫ってミリスの会社経営の手伝いを申し出た。少しでもミリスの助けになればと思って……。
意識改革が起きた結果としてミリスは真面目に勉強をするようになったが、貴族としての学習がうまくいっているとは言えない。いや、普通の貴族令嬢として考えれば優秀な方なのだが、デザイン方面への才能を見せつけられたあとだと、どうしても見劣りしてしまう。
なにより。
礼儀作法の勉強をしているときより、ドレスの絵を描いているときの方がミリスの目は輝いているのだ。きっと、ミリス自身もそちらの道を選んだ方が『幸せ』なのだろう。
王太子殿下との婚約すら考えられる身の上では、不可能なのだが。
……実際問題として。ミリスが強く望めばガングード公もミリスがそちらの道へ進むことを許すだろう。だが、まだそのことについての相談を受けていないセバスにとっては『不可能な妄想』でしかなかった。
悔しさすら感じながらセバスはミリスを執務室へと案内した。嬉しそうに父親の膝の上に乗ったミリスは年相応の少女であり。社交界で噂になっている新進気鋭のデザイナーであるとは到底信じられなかった。
ガングード公が治水に関する書類をミリスに見せ、意見を聞く。正直言って7歳になったばかりの少女が解決策を提示できるとは誰も期待していない。重要なのは問題に対してどれだけ真剣に向き合い考えるかであって――
「――ええっと……そうですわね。この川が氾濫するのでしたら、近くにもう一本川を作ればいいのではないでしょうか? そうすれば大雨の際にも一本一本の流量は抑えられるはずですし、川を掘った際に出た土で堤防を築けば、さらなる氾濫対策になるでしょう」
ミリスの答えにセバスも、マカミアも、ガングード公も目を丸くした。いきなりこのように具体的な意見が返ってくるとは予想していなかったためだ。
驚きを声に乗せないままガングード公が娘に問う。
「な、なるほど。暴れ川に対する方策としては一考の余地がある。しかし、川をもう一本作るとなると莫大な時間と費用が必要になる。そのあたりはどう考えるかな?」
7歳の少女に対するものではない。セバスが口を挟もうとするが、ミリスはしばし考えてからたどたどしく答えた。
「……川の流れに沿うように、いくつかの貯水池を掘るのはどうでしょうか? たとえば5キロおきとか、10キロおきとか……。川が溢れたら貯水池に水が流れ込むようにして……これをとりあえずの応急処置としまして、少しずつ貯水池と貯水池を水路で繋げていき、最終的には川にすればいいの、では、ないかと……」
「…………」
「…………」
「…………」
予算の問題もある。人手の問題もある。だが、それらを調整するのはこちらの仕事だ。
まさか、そちら方面の才覚も有していたとは……。
もう時間も遅いからとミリスを寝かしつけたあと、ガングード公とマカミア、セバスは執務室に再び集まった。話題はもちろんミリスのことだ。
「私としては、ミリスを無理に王太子の婚約者に据える必要は無いと考えている。いや、いたのだが……」
ガングード公がなぜか憂鬱そうな声を絞り出す。
「あの才は惜しい。あの歳であれだけのことを考えられるのなら、今から相応の教育を施し、将来は王妃として殿下をお支えするべきではないだろうか……」
ミリスはデザイナーとして成功を掴み、生涯の仕事にしていけるめどはついている。
また、今日見せた才能があれば、次期ガングード公として立派に勤め上げることができるだろう。
しかし、ミリスの能力が真に活かされるのは――国家という大舞台ではないだろうか?
「わたくしとしてはデザイナーの道も諦めさせたくはありませんわね」
貴族社会において家長の言葉は絶対。夫の決定に異を唱えることは許されない。だが、マカミアは平然とその言葉を否定した。まるで夫との間で事前に話し合いがされていたかのように。
二人の視線がセバスに向けられる。
本来であれば発言権など無い。ミリスの将来に口を出す権利などない。
しかし、セバスは口を動かしてしまった。
「……お嬢様の、望まれるままに」
長く仕えるセバスの言葉を受けてガングード公はゆったりと背もたれを軋ませた。
「エイリヒの息子がいい年頃だったな。養子に迎えるとするか」
ガングード公の従兄弟、エイリヒは分家の一つを任されている男だ。その息子は確かミリスと同い年だったはず。
ミリスがデザイナーとしての道を進むのであれば、別の誰かが公爵家を継がなければならない。
女公爵となるにしても、信頼できる腹心は必要だ。血が繋がっていればなおいいし、従兄弟の息子であれば婿にするという選択肢もある。
そして、王妃となってこの地を離れるならば、やはり別の誰かに公爵家を任せる必要があった。
ミリスがどの道を選ぶにしても、エイリヒの息子を今から養子として迎え入れ、相応の教育を施すのは必須と言えた。
「私から直接話を持って行くか。さて、優秀だと噂の息子を、エイリヒは大人しく手放してくれるかどうか」
どこか楽しそうにガングード公は椅子から立ち上がった。その顔に浮かぶ感情は期待か、あるいは――。付き合いの長いはずのセバスでも、読み切ることはできなかった。
一週間後。
エイリヒの息子はガングード本家の養子として正式に迎え入れられることとなる。
公爵家の一員となったその少年の名は、ウィリス・ガングード。
乙女ゲームの攻略対象。悪役令嬢ミリスの義理の弟。ほとんどのルートにおいて悪役令嬢ミリスを断罪する一員となる人物。
そんな情報を、この世界の人間が知る由もない。
ミリス・ガングードを除いては。
※この時点で、リリアさんはまだゲーム知識を思い出していません。
ミリスさんが前世の記憶を思い出さず、セバスの諫言も受け入れられなかった場合、『リリア・レナード』への劣等感を抱いたまま魔法学園に入学することとなります。
次回、10月7日更新予定です。




