閑話 リリアという少女(国王リージェンス視点)
ガルド リリアの祖父。神槍。
リース リリアの祖母。元王女。白銀の魔王。
ガイサン リリアの年上の友達。貧民街の門番。
愛する妻であるエレナと一刻も早く会いたい。そして王宮に連れ帰りたい。そんな国王らしくない理由で“俺”はレナード邸へと馬車を走らせた。
それと、娘の婚約者となったリリア嬢とも改めて顔を合わせておきたいという思いもあった。宮廷伯に任命して以降、何だかんだで会うこともなかったからな。
本来なら宮廷伯としての実績作りも兼ねていくつか仕事をしてもらいたいところなのだが、王宮が半壊した今はそれどころじゃないので仕方がない。
む、そういえばリリア嬢はゴーレム使いとしても一流だったはず。宮廷伯として、王宮の再建に力を貸してもらうのもありか。
修復のための石材を運び込むだけでも大仕事だというのに、『王宮の再建に怪しい人物は使えない』という理由でそこらの身分不確かな労働者を使えていない現状。リリア嬢が協力してくれれば再建は目に見えて速まるだろう。
そんなことを考えていると馬車はレナード邸に到着した。
「……陛下。リリアは庭で鍛錬をしているようですね」
勝手知ったる。
馬車から降りたリュースは迷うことなく玄関ではなく庭に歩いて行った。耳を澄ませれば甲高い音や鈍い音が響いてくるので、リュースもそれを聞き分けたのだろう。
屋敷の裏庭に出ると、リリア嬢とガルドが槍による手合わせをしていた。そう、手合わせ。あの“神槍”ガルドと……槍に関しては一切の手加減をしない男と、10歳になったばかりの少女が槍を合わせているのだ。
たとえ近衛騎士でも数合持たないのが神槍相手。だというのに五回六回と穂先や柄のぶつかり合う音が鳴り響く。
「――あっ!?」
思わず声を出してしまう俺。だがそれも仕方ない。ガルドの槍がリリア嬢の左腕を翳め、少なくない出血をしたのだから。
練習用であろう分厚い生地の服は大きく切り裂かれ、鮮血に染まっていく。しかしガルドやリリア嬢が鍛錬を止める様子はないし、近くで見守っていたナユハ嬢たちもさほど驚いていない。
そしてリュースも顔色一つ変えていないのはどういうことだ? 未来の妻が深めのケガをしたのだぞ?
「りゅ、リュース。リリア嬢は大丈夫なのか?」
「? あぁ、平気ですよ。自動回復ですぐ治るみたいですから」
そういう問題か? 貴族令嬢だぞ? 10歳の少女だぞ? そもそも槍を振るうのが間違ってねぇか?
ついついキナのように乱雑な口調になってしまう俺だった。
そんなやり取りをしているうちにリリア嬢の腕からは出血が止まり、不思議と、服を赤く染めていた鮮血も消え去っていた。
自動回復。
自身の魔力を消費して、怪我を一瞬で治すスキル。さすがに腕の欠損などは無理だろうが、切り傷や刺し傷であれば(魔力が残っている限り)瞬時に回復するという。
知識としては有していたものの、実際に目の当たりにすると驚くことしかできないな……。
と、ガルドが槍を止めてこちらを向いた。釣られるようにリリア嬢も視線を寄越してくる。
「……なんでここにリュースと陛下が? どうしてこうなった……」
いつも通り過ぎる口癖をこぼすリリア嬢だった。そう、いつも通り。自動回復持ちでも痛みは感じるはずなのだが、痛がっている様子はない。
……………。
10歳の少女が、貴族子女が、そして王太子の婚約者が。槍を振るって出血をするなど黙って見ているわけにはいかない。
「リリア嬢。キミの槍の腕が一流であることはガルドから聞いている。しかし、リリア嬢はもう王太子の婚約者という立場なのだから、槍を振るうのは――」
やめなさい。
その言葉は飲み込んだ。かろうじて、飲み込むことができた。
にっこりと。
リリア嬢が笑っていた。無表情のまま、笑っていた。
この笑顔には見覚えがある。
かつて。
王女でありながら邪神討伐に向かうガルドたちに同行すると言い出し、当然のように反対され、ならば王女を辞めますと絶縁状を叩きつけてくる直前の、リースの笑顔。
これは、すべてを捨ててしまう笑顔だ。
「……ごほん。リュースの婚約者になったのだから、ケガをしないように気をつけなさい。俺としても、娘のように可愛がっているリリア嬢が傷つくところを見たくはない」
全力で誤魔化す俺だった。
リリア嬢は今度こそ裏のない笑顔を浮かべてくれた。
あ、危なかった……。
◇
「あんなところまで似なくてもいいだろうに」
子供は子供どうしで遊んできなさいとリュースたちを送り出したあと。応接間でガルド、そしてリースにぼやく俺だった。
ちなみにエレナとミヤィスンは部屋の隅でなにやら話し込んでいる。うん、あそこだけ気温が低く感じるのは気のせいだろう。そういうことにしておこう。
「だから言っただろうが。リリアは目的のためならすべてを捨ててしまえる子だって」
「その目的の一つが『神槍』だなんて想像できるか。最初に教えておけ、バカ者が」
神槍の槍に憧れて。神槍を目指し。槍を振るい続け。その道のりの邪魔になるなら王太子妃の地位さえ捨ててしまえる。何とも厄介ではあるが、納得もしていた。
ガルドのこと以外では模範的な貴族(元王族)であるリースが、いずれは王妃になると見越して教育を施していたリリア嬢から槍を取り上げなかった理由。ガルドとの鍛錬を許していた理由。
それは夫であるガルドがリリア嬢を“神槍の後継者”として育てたいと願ったかったから……だけではなく、無理に禁止すると『捨ててしまう』と理解していたが故か。
リースが優雅に紅茶を傾ける。
「あの子は基本的に飽きっぽいものね。日記も三日以上続いたためしがないし。そんなあの子がずっと槍を手放さないのだから……“血”でしょうね」
やれやれ誰に似たのやらとガルドを見るリースだった。いや俺が「似なくてもいいだろうに」と言ったのはリースの頑固さなんだがな? 少しは自覚してくれると叔父さん嬉しいなぁ。
「……今後のために、リリア嬢が他にどんな『目的』を持っているのか聞いてもいいか?」
「それはあの子に直接聞かないと分からないわ。ただ、あの子は基本的に優しい子だから、逆鱗に触れてもすぐ撤回すれば『聞かなかったこと』にしてくれるでしょう」
あの笑顔かー。なるべくなら二度と見たくない類いの表情だ。寿命が縮まるかと思った。相手はまだ10歳だというのに。
我が娘ながら、あのリリア嬢にべた惚れで嫁にする気満々なのは神経図太いというか何というか。
いやリリア嬢が王家との友好関係を築いてくれたのだから祝福するべきか。ただでさえ『漆黒』の捜索や王宮の修復、マリット・ヒュンスターの説得など頭の痛い問題が山積みなのだ。最大の懸念事項であったリュースとリリア嬢の婚約成功は喜ばしい。
俺の苦悩を読み取ったかのようにガルドが鼻を鳴らす。
「辛気くさい顔をしているな」
「やることが多すぎるからな。まったく『漆黒』も余分なことをしてくれたものだ。さっさと見つけ出さねばならないが……」
「手がかりはないのか?」
「ない。というより探す余裕がないという方が正確か。騎士団は王都の治安維持のために警戒を強めているし、魔導師団は崩壊した王宮結界の再建に大わらわ。討伐したドラゴンの御魂封じもやらなければならないしな。……あぁ、そうか。ガイサンを何としてもつれてきて、騎士爵にしなければ。同じく“竜殺し”で功績のあったナユハ嬢は騎士爵になったのに、ガイサンに与えないというのは筋が通らない」
ナユハ嬢はただでさえ黒髪黒目で批判に晒されやすい。騎士爵にしたって「ガイサンは辞退したのに、なんと強欲な……」という陰口が囁かれていることは俺も知っている。
「なんだ、あの男はまだ逃げているのか?」
「居場所は分かっているし何度か使者もやっている。だが、「自分が騎士爵となり、貧民街を離れたらここに住む子供たちが危険にさらされてしまいます。騎士として、そのような事態は許せません」と言われては無理強いできなかったのだ」
貧民街をなくせればいいのだが、現実はそう簡単にいかない。ただでさえガングード領で魔物が頻発したり王宮が半壊したりした現状、貧民街にいる人間すべてを養えるだけの予算などどこにも存在しないのだ。
それと、貧民街の住人は『安価な労働力』、『やりたくない仕事をやってくれる存在』として王都の経済を支えている面もあるので単純に無くしにくいという理由もある。他の国であれば奴隷を労働力として使えるのだが……。
「あ~、騎士爵はよほどの理由がなければ騎士団に所属しなければならないからな。貧民街で門番を続けさせるのは難しいか」
本来ならばナユハ嬢も女性騎士として騎士団に配属されるべきところ。だが、彼女の場合は『王太子の婚約者の護衛』という名目でレナード邸での生活が許されている。……本人たちに自覚は薄そうであるが。リリア嬢に護衛が必要な場面は思い浮かばないが。
「ガイサン様はリリアのお友達なのよね? リリアに頼んでみてはどうかしら?」
そんな提案をしたのはリース。今さらだがリリアが貧民街に出入りしていることを咎める気はなさそうだ。まぁリースも王女時代から炊き出しなどで貧民街に行っていたからな。貴族として貧民救済は当然と考えているのだろう。
しかし、リリア嬢に頼む、か。
10歳の少女に頼りすぎな気がしないでもないが、しかし、現状では手詰まりなのだから『ガイサンの友人』に説得してもらうのもありか? リリア嬢は柔軟な発想をするし、騎士爵と門番とを上手いこと両立できる案を提示してくれるかもしれない。
リリア嬢が屋敷に帰ってきたらさっそく頼むことにしよう。……「どうしてこうなった!?」と嘆かれるだろうが、まぁ、断られないことを祈ろう。
ガルド → 可愛い孫娘が貧民街に出入りするなんてとんでもない!
リース → 富める者が施しをするのは当たり前のことです。
次回、9月23日更新予定です。




