閑話 とある公爵夫人。
王都で開かれた夜会も終わり、ガングード公爵夫人マカミア・ガングードは王都の公爵邸へと戻ってきた。
彼女は普段領地に留まり、宰相として忙しく働く夫に代わり領地を取り仕切っている。今日も夜会が終わったあとはお抱え魔術師の転移魔法で領地に戻る予定だったのだが……こうして、夫の待つ公爵邸へと足を運んでいた。
夫であるガングード公が、愛する妻との穏やかな時間を望んだためだ。
普段は容赦の無い手腕で『氷の宰相』と恐れられるガングード公も、家族の前ではよき夫・よき父であるということだろう。
今年領地で作られたワインを傾けながらガングード公は蕩けるような目を妻に向けた。
「素晴らしいドレスだな。普段のお前ももちろん美しいが、今日のドレスはその美貌を一層際立たせている」
夫からの褒め言葉にマカミアは軽い足取りで立ち上がり、その場でくるりと一周した。
骨組みのないスカートは風をはらんで柔らかく広がり、その優美さにガングード公は思わず息を飲んだ。
「ふふ、お褒めにあずかり光栄ですわ。ミリスにも伝えておきますね」
「ほぅ? では、ミリスが絵を描いたというドレスがそれか?」
「えぇ。今日の夜会でも予想以上の注目を集めましたわ。あの子は、もしかしたらそういう道に進ませるのがいいのかもしれません」
公爵家の娘であれば家のために最適な相手と結婚し、子を成して……。そんな『常識』など当然マカミアも承知している。
それでも。ドレスの絵を描いていたミリスの姿を見たマカミアは――キラキラと目を輝かせながらペンを動かしていた娘を見てしまったマカミアは……叶うならば、と。そんな思いに囚われてしまったのだ。
もちろん夫は否定するだろうし、否定されればすぐに撤回するつもりではいた。
だが、予想に反してガングード公は悩むように顎へと手をやった。
「お前がそれほど言うのなら、そうなのだろうな」
「あなた……?」
ガングード公は手にしていたワイングラスをそっとテーブルの上に置いた。
静かな動きでその両手が挙げられる。大事なものを持つように。消えゆく思い出を離さぬように。……まるで、赤子であったミリスを初めて抱いたときのように。
「王太子殿下の婚約者は、家格や年齢を考えればうちのミリスかリーンハルト公爵家のラミィ嬢となるだろう。だが、王家としてはレナード子爵家のリリア嬢を王妃として据えたいはずだ」
「…………」
リリア・レナード。
その名はデビュタントさえ迎えていない現状でも王国中に鳴り響いている。神と等しき金の瞳。神話に語られる赤き瞳。そして、強大な魔力を持つ証とされる銀の髪。
元王女リースと勇者ガルドの孫娘。王国最大の商家レナード家の長女。それらを勘案すればリリア・レナードが次代の王妃になることは決定事項とすら言えた。
ただ一つ、『下位貴族である子爵家の娘』という問題点を除けば。
「子爵家の娘が王妃になることは難しい。だが、正妃として上位貴族の娘を据えるならば話は別だ。――ミリスを正妃に。リリア嬢を第二妃に。表向きはそうしつつ後継者は殿下とリリア嬢との間に生まれた子供が望まれるだろう」
王家は今までも『銀髪持ち』との婚姻を繰り返してきた。魔術師としての大成が約束された銀髪の血を王家に引き入れるために。王家の権勢を強化するために。
さらに言えばリリア・レナードは神と等しき金の瞳持ち。建国神スクナの直系を自称する王家としてはなんとしてもその血を得なければならない。
逆に言えば、正妃となる上位貴族の娘は、正妃でありながら“王太子”を生むことが許されない。下手をすればリリアが男子を生むまで『待機』させられるだろう。
正妃となりながら、子供は望まれない。それの何と残酷なことか。
自らの子供に。自ら抱き上げた赤子に。そんな苦しみの未来を与えることなど――彼にはできそうもなかった。
何と甘い男であるか。
公爵であるとは思えなかったし、宰相という職責を有するとは信じられない。……だが、そんな彼だからこそマカミアは惚れたのだ。政略を越えた愛を育むことができたのだ。
「ミリスは他にも何かデザインしたのか?」
「えぇ、ティアラや指輪なども素晴らしい意匠ですわ。いっそのことあの子がデザインした装飾品を専門で取り扱う店を作るのも面白いかもしれません」
「お前のことだから、もう『準備』はしているのだろうな」
「もちろんですわ。今日の夜会でもどこで売っているのか聞かれましたし。手応えは上々。生産は委託すればどうとでもなりますから、今はとにかくミリスに多くのデザインをしてもらい、社交界で話題にしませんと」
夫からはミリスの将来について予想外の好反応を得ることができた。あとはドレスをはじめとした服飾事業が軌道に乗れば、冗談ではなくミリスはそちらの道へ進むことができるだろう。
愛する娘の未来を祝福するようにマカミアはもう一度立ち上がり、軽やかなステップを踏んだ。スカートは再び風をはらんで膨らみ――
「――っ!」
躓くような動きを見せたマカミアはそのまま床に片膝を突いた。
「マカミア!?」
ワイングラスを放り投げてガングード公が駆け寄る。そんな夫に向けてマカミアは気丈に微笑んだ。
「ふふ、酔ってしまったかしら? 若い頃はボトルの一本や二本楽に開けられましたのにね」
「……あまり無茶をするな。今日は無理に帰らずこの屋敷に泊まってくれ。それと、領地経営も任せられることは他の者に任せて構わん。そろそろセバスの後継者も育てなければならないしな」
「安心してください。休むときには休んでいますから。それより今はあの子の未来に乾杯しましょう?」
「……あぁ、そうだな」
ガングード公はマカミアの身体をソファに預けてからワイングラスに手を伸ばした。続くようにマカミアもグラスを手にするが、その顔は病人のように蒼い。
肉体と神経をすり減らす領地経営に加えて、遠い王都での夜会。疲れが溜まっているだけならいいのだが……。
(セバスに鑑定士の手配をさせておくか)
科学的な医療技術が未発達なこの世界にはもちろんレントゲンやCTスキャンなどの設備は存在せず、症状の出ていない病気を発見するには肉体透視の訓練を積んだ鑑定士を頼るしかない。
ガングード領にはランクAの鑑定眼持ちが在籍しているが、肉体特化となるとランクC相当しかいない。あまり初期の病巣は発見できないが、定期的に診断させれば手遅れになることはないだろう。
「ミリスの未来に乾杯」
「……家族の未来に、乾杯」
わずかな不安を押し殺しながらガングード公はグラスを打ち鳴らした。
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次回、9月10日更新予定です。




