第21話 竜殺しの英雄。(ナユハ視点)
ガイサン様のことはよく知っている。リリアがよく行く貧民街の『門番』さんだ。リリアのやらかし被害者同士ということでかなり親しい付き合いがあるし……私が貴族令嬢だった頃から、彼の英雄譚は何度も耳にしてきた。
今。
救国の英雄は舞い戻り。竜殺しの伝説は目の前で繰り広げられた。
リリアよりも人間らしく。
リリアよりも荒々しく。
確かに。
間違いなく。
人間の手によってドラゴンは討伐された。
英雄たるガイサン様が剣を引き抜き、地面に降り立った。私が少し興奮気味に彼に駆け寄ると――
『――――――――っ!』
この世のものとは思えぬ絶叫が王城に響き渡った。
黒いドラゴン。
討伐されたはずのドラゴンが、にじみ出る怒りを宿しながら咆吼した。
もはや致命傷。
致命傷であるはずだ。
剣の引き抜かれた傷口からは鮮血が吹き出し、手足は痙攣し目の焦点も合っていない。すでに意識があるのかすら疑わしい。
だというのにドラゴンは叫び、よろめきながら、這いずりながらこちらへ向かってくる。
そこから感じられるのは圧倒的な怨念。恨み。怒り。憤り。
その感情はなぜか、なぜかマリー様に向けられているような気がした。
「ひっ」
マリー様の口から小さく悲鳴が洩れた。
彼女とて貴族令嬢。まだ幼いながらも嫉妬や貶みといった感情を向けられることは数多く経験しているはず。
しかし、あのように真っ正面から恨みや怒りといった感情を叩きつけられたことは……たぶんないのだろう。
マリー様が一歩後ずさる。
目元にはうっすらと涙が浮かんでいて。
そんな彼女の姿を見て、私は『ぷつん』ときた。
今にもドラゴンに吶喊せんとしていたガイサン様の手から剣を奪い取る。予想外の方向から予想外の行動をしたせいかガイサン様はあっさりと剣を手放した。
剣の柄に括り付けられた銀色の組み紐が揺れる。……何となくだけどリリアから力を貰えた気がした。
私は剣を右手で握りしめ、大きく振りかぶり――渾身の力でぶん投げた。
「女の子を泣かせるな! この駄トカゲが!」
私とは歳が1つしか違わないけれど。
1つとはいえ年上なのだから。
未来に希望を抱けずに死を望むしかなかった少女を。好きな人に救われてやっと明日を見つめることができるようになった女の子を。泣かせるヤツなんて私が許さない。
超握力の右腕のせいか。
あるいは、スクナ様の“祝福”のおかげか。
私の投擲した剣は、音の壁を越えた。
ドラゴンの下顎を貫き、なおも勢いを弱めず脳髄を破壊した剣は、その刀身のほとんどを後頭部から突き出した状態でやっと止まった。
今度こそ生命活動を停止したドラゴンの体勢が崩れ、長い首は城壁をなぎ崩しながら倒れていった。
轟音。
のちに静寂。
砂埃が晴れた先にいたのは、もはや動くことのなくなった黒いドラゴン。
近衛騎士や近衛魔導師が状況を理解するより早く。
「この阿呆が!」
私のすぐ近くにいたガイサン様が、私の頭にゲンコツを喰らわせた。微塵も容赦のない、筋肉から放たれた一撃だ。首が身体にめり込むかと思ったよ。ちょういたい。
「ナユハ! バカかお前は!? リリアじゃないんだから無茶をするな!」
「よ、鎧も着けずにドラゴンに吶喊した人にバカとか阿呆とか言われたくないです! この暴力筋肉男!」
「阿呆でバカな子供を叱るのは大人の役目だ!」
ガイサン様が再度ゲンコツをしようとし、私が超握力の右手を構えて牽制していると――
「――ナユハ嬢! そしてガイサン! ガイサンじゃないか! やはり来てくれたのか!」
先ほど私とやり取りをした騎士様たちが駆け寄ってきた。ドラゴン退治の英雄を称える、というよりは戦友の帰還を喜んでいるような顔だ。
対するガイサン様は微妙な表情。嬉しそうな、申し訳なさそうな。誇らしげでありながら罪悪感がありそうな。なんとも器用な顔をしている。
そんなガイサン様が騎士様たちから目を逸らし、私の肩を両手でガッシリと掴んできた。
「ナユハ。後は任せた」
「……はい?」
「いや~ナユハは凄いな~わずか9歳でドラゴンを退治してしまうなんて! 俺も英雄だなんだとは言われていたが結局今回は倒しきれず、ナユハがとどめを刺したものな! これからはお前が救国の英雄だな!」
「は? い、いやいや、致命傷を与えたのはガイサン様で――」
私の反論をかき消すように肩をばんばんと叩いてくるガイサン様。
「よく考えたら俺って8年前、陛下直々の騎士爵叙勲式典をすっぽかしたんだよな。今さら王城に来るのもマズいというか不敬罪というか……。というわけで! まかせた! 頑張れよ新たなる救国の英雄! ではさらば!」
そう言い残してガイサン様は人間とは思えぬ跳躍で城壁の上に飛び移り、そのまま王城をあとにしてしまった。
いや王宮を襲ったドラゴンを討伐した“英雄”を陛下が不敬罪にするはずがないし、8年前の時も陛下は「名誉を望まず、民のために戦った。彼こそまさに救国の英雄である」とガイサン様を褒め称えていたので無用の心配だ。
しかし、私のツッコミなどすでに逃げ切ったガイサン様に届くはずもなく。
ガイサン様に駆け寄ってきていた騎士様たちが私を取り囲むようにして止まった。
「ち、ガイサンの野郎。さっさと行っちまいやがったぜ」
「かっこつけやがって」
「お礼ぐらい言わせろっての」
ぶっきらぼうな口調だけれども。彼らの瞳は憧れの英雄を見るかのようにキラキラと輝いていて。
まぁドラゴンを退治し王宮と陛下の危機を救ったにも関わらず名誉も賞賛も求めずに去るなんて、物語に出てくるような清廉潔白な騎士様そのものだものね。騎士の誇りよりも合理性を優先しがちな我が国の騎士からしてみれば憧れるに足る存在。……の、ように見えるのかもしれない。
うん。こんな目で見つめられたら恥ずかしいよね。逃げたくなる気持ちも何となく分かるよ。9歳児に竜殺し(と書いて後始末と書く)を押しつけて逃げ出す気持ちはまったく微塵もこれっぽっちも理解できないけれど。
「…………」
おっと、ガイサン様に呆れている場合じゃない。私だって英雄扱い(という名の後始末)はゴメンだ。騎士様たちの意識がガイサン様に向いているうちに逃げだそう。
そーっと。気づかれないように騎士様たちの輪から抜け出した私。このままマリー様を回収してヒュンスター邸に戻ろうとしていると、
「さて。ナユハ」
後ろから声を掛けられた。ガングード公と、ゲルリッツ侯だ。
「とりあえず陛下に報告しなければいけない。一緒に来てくれるね? マリーは治療が必要。ガイサンはさっさと逃げた。事情説明に一番適しているのはキミなのだから」
「…………」
9歳児が陛下に説明って、何ですかその拷問? いやあのそういうのはリリアだけで十分なので私は結構です。
「……わ、私、罪人の娘でして。本来なら王宮に来ることすら許されない身分ですのでこれで失礼し――」
ガッシリと。ガングード公とゲルリッツ侯に両肩を掴まれた。
「あの件に関してナユハは無罪。陛下も追認されたのだから何の問題もない」
と、ガングード公。
「い、いえしかし平民が陛下に謁見するわけにも――」
「よく考えればレナード家に養子入りしたナユハはレナード子爵家令嬢だ。そして、まだ内定とはいえ騎士爵の叙勲が決まっている。貴族籍に復活するのだから何の問題もない」
と、ゲルリッツ侯。
いやあの私の精神的にというか胃の安寧的に問題があると言いますか……。
「というか、」
「そもそも、」
「「竜殺しの英雄を、何の歓待もせず帰すわけにはいかないな」」
左右からまったく同じことを口走るガングード公とゲルリッツ侯だった。言葉だけなら祝福なのだけど、「絶対逃がさん。後始末くらい手伝え」という副音声(?)が聞こえたのは気のせいかな?
ど、どうしてこうなった……?
璃々愛
「……ナユハたんのスペックでドラゴン倒せたっけ?」
オーちゃん
「普段は無理だが、『神の加護が活性化させられた』状態で、『救世主の銀髪が変化した右腕』を使い、『救世主の髪で作ったミサンガが括り付けられた竜殺しの聖剣』をぶん投げたのだからドラゴンの一匹や二匹は倒せるだろう」
璃々愛
「すごいな魔法少女リリカル☆なゆは……」
ガイサンは『リリアやらかし被害者の会』会員同士としてナユハの名前を呼び捨てる仲です。
次回、4月24日更新予定です




