第20話 蒼いドラゴンと、黒いドラゴン(ナユハ視点)
ヒュンスター家の庭に出て、門までの道半ばでマリー様は変身した。
リリアすら感嘆した美しいたてがみ。美しい鱗。思わず見惚れそうになってしまうけれど、残念ながらそんな暇はない。
ドラゴンの姿になったマリー様が手のひらを地面に置いた。その意を察した私はマリー様の手のひらに上り、指の一本にしがみつく。
私が乗ったことを確認したマリー様は翼を広げ、王城に向けて飛翔した。
侯爵家から王城への道のりなどドラゴンにしてみれば一瞬だ。突き抜ける青い空を楽しむ余裕すらない。
本来城には多数の結界が張り巡らされていて容易に近づくことはできないのだけど、黒いドラゴンによってそれらは破壊されたのかマリー様はあっさりと王城上空に到着した。
黒いドラゴンの背中が見える。全長は100メートルを超えるだろうか? いかにも不機嫌そうな鳴き声を上げながら城の壁を破壊していた。あのレンガ一つ一つにも防御術式が刻み込まれているはずなのだけど、さすがにドラゴンの力の前には破壊を免れないようだった。
『――――』
黒いドラゴンの首がこちらを向いた。途端に頬肉を吊り上げて牙を剥き出しにする。……威嚇しているのだろうか?
翼を広げ、今にも飛び立たんとする黒いドラゴン。対するマリー様もここまで来て逃げるつもりはなさそうだ。
私が手に乗ったままではマリー様も全力で戦えないだろう。私は身体強化の魔法を全身に張り巡らせてから飛び降りた。
「――とぅ!」
着地の瞬間に超握力の右手を地面に叩きつける。落下の衝撃を相殺した形だ。……ちょ~っとだけ中庭がえぐれてしまったけれど気にしないことにする。うん、リリアなら確実に「どうしてこうなった……」とうなだれる規模の陥没だけど、気にしない。黒いドラゴンの破壊跡のおかげで目立たないし。
『……ナユハ様、陛下をよろしくお願いしますわ』
マリー様が念話でそんなお願いをしてから黒いドラゴンとの戦いを開始する。
自分の身よりも陛下の心配。貴族としては至極真っ当なのだけど少女としては間違っている。まだ8歳なのだから難しいことは考えなくてもいいのに。
『……ナユハがそれを言うかー?』
『鏡を見ろー』
『無自覚って恐いよねー』
妖精様がワラワラと寄ってきたけど何のことか分からなかった。まぁ妖精様が訳の分からないことを言うのはいつものことなのであまり気にしなくてもいいと思う。
『妖精さん傷ついたー』
『ちょっとは気にしろよー』
『ま~今は許そうかー』
『先に脳筋共を何とかしなくちゃねー』
妖精さんが指し示す先を見ると、重厚なマントを身に纏った板金鎧の騎士――近衛騎士たちが中庭の隅で陣形を組み、待機していた。
騎士たちは防御を固めるだけで、マリー様と黒いドラゴンとの戦いに介入する様子はない。
近衛魔導師団が攻撃していないように見えるのは王宮の中心部や騎士団のために防護結界を張っているからだろうけど……騎士たちが攻撃していないのは(上空で戦っているので攻撃が届かないという理由はもちろんのこと)黒いドラゴンと蒼いドラゴン(マリー様)がお互いにつぶし合って消耗するのを待っているのかな?
王城が破壊されている現状でそんな悠長なことをしていていいのかと少し疑問に思うけれど、下手に意識をこちらに向けると二体のドラゴンを同時に相手取らなければならなくなるかもしれないので賢明な判断となる。我が国の騎士は人間相手より魔物退治をする方が多いので騎士道よりも合理性を優先しがちなのだ。
……たとえ騎士たちから攻撃を受けてもマリー様(蒼いドラゴン)が反撃することはない。けど、彼らからしてみれば、王宮を破壊したドラゴンとマリー様の区別などできないはずだ。
今は静観している騎士たちもどちらかのドラゴンが倒れれば介入するだろう。もしマリー様が黒いドラゴンを打ち倒しても、今度は近衛騎士を相手取らなきゃならなくなる。それを防ぐためにも私は慌てて騎士たちに近づいて説明をした。
「騎士様! 恐れながら申し上げます! あの蒼いドラゴンは味方です!」
「はぁ? 何を言って……」
騎士の一人が訝しげな声を上げながらこちらを向く。すると、意外な言葉が返ってきた。
「キミはたしか……ナユハ嬢?」
私の名前を知っている?
私が思わず目を点にしていると騎士が兜に手をやり、顔を覆っている鉄板を押し上げた。厳しい訓練を積んできたであろう精悍な顔が露わになる。
あれ? どこかで見たことがあるような? どこだっけ?
…………、……あぁ! この前王宮で(リリアのせいで)騎士たちと連続で試合をしたとき、右手首を握りつぶしてしまった騎士様だ!
あのときは八つ当たりにも似た感情で手首を握りつぶしてしまったのでかなりの罪悪感が。いや回復魔法で問題なく治ったはずだけど、それはそれとして罪悪感は消えないのだ。
騎士様も手首を握りつぶされた恨みを抱いていてもおかしくないはずなのに、なぜだか嬉しそうな顔をしている。まるで旧来の戦友に再会したかのような。
周りにいた騎士たちもワラワラと集まってくる。
「お、あのときの強い子か!」
「いやぁ、あの一撃は女子供とは信じられないくらい重かったぜ!」
「お前なんて一発で伸されてたものな!」
「うっせぇ! てめえだって瞬殺されてたじゃねぇか!」
「瞬殺じゃねぇよ一分は持ったぜ!」
「それを瞬殺って言うんだよ!」
わははと笑いあう騎士様。上空ではドラゴンが戦いを繰り広げ、余波で王城が破壊され続けているというのに暢気なものだ。普通はドラゴンを前にすれば恐怖心で前後不覚になりそうなものなのに。いくら近衛騎士が騎士団の中でも最高の練度を有しているとはいえ……
あまりにも場違いな騎士たちの雰囲気に愕然としてしまう。今、王宮はドラゴンの襲撃を受けているんだよね? 空を見上げればマリー様と黒いドラゴンが戦っているんだよね?
「おっと、今さらだがナユハ嬢、こんなところに来ちゃいけないぜ? ま~あんたの強さなら俺らなんかより役に立ちそうだがな。それでも女の子なんだから、こういうときは騎士様に任せて欲しいところだな!」
「おいおい! かっこつてけるなよ!」
「こんな少女を口説くつもりか!」
「近衛騎士が淫行で捕まるとか冗談にもならないぜ!」
「はははっ! 表出ろこの野郎! ドラゴンのついでにボコってやるよ!」
軽口を言う騎士様の表情からは“死”への恐怖は感じ取ることはできない。
「……あの、騎士様たちは恐くないのですか?」
思わずそんな馬鹿げたことを聞いてしまう私だった。ドラゴンが目の前にいるのに恐くない人間なんていな――リリアやガルド様がいるか。いやああいう規格外は置いておいて。
「ん? あぁ、もちろん恐いが、ドラゴンとは八年前にも一度戦っているから慣れているのさ。……いや、戦ったなんてのは烏滸がましいか。俺たちはガイサンがドラゴンを倒すところを見ていることしかできなかったのだからな」
「…………」
八年前。ガイサン様が“英雄”となった戦いに際してヒュンスター領には騎士団が派遣され、本来は王宮と陛下を守る近衛騎士団からも一部戦力が送られたという。
あとキナさんによると別件でドラゴンと戦った第二騎士団からも近衛騎士団に栄転した人がいるらしいし……近衛騎士の中でドラゴンと戦った経験のある人は以外と多いのかもしれない。
いや、でも、ドラゴンって一度や二度戦ったくらいで慣れるものなのかな? 逃げ出したいと思わないのかな?
私が首をかしげていると。最初の騎士様が思い出したようにこちらへ向き直った。
「おっと、あの蒼いドラゴンが味方だ、だったか? にわかには信じられないが……ま、本当なんだろうな。ナユハ嬢が嘘をつくとも思えないしな」
騎士様がそんな発言をし、他の騎士様も次々に同意した。そう、騎士道よりも合理性を重んじるはずの我が国の騎士様たちが。『私が嘘をつくとは思えない』なんていう非合理的な理由で信じたのだ。
「…………」
なんだか奇妙な感じだった。
私は不吉の象徴である黒髪で。罪深いデーリン家の一人娘で。忌み嫌われることは当然だとしても、このように温かく迎え入れてもらえるはずなんてないのに。
もしかしたら。
この世界は私が思っているより優しく、温かいのかもしれない。
ついついそんなことを考えてしまう私だった。
リリアと一緒にいると色々なことが“緩く”なってしまうね。
「よし! そうとなれば蒼いドラゴンを援護するぞ!」
「「「おうっ!」」」
騎士様たちの鬨の声に釣られるように私は顔を空へと上げた。
黒いドラゴンとマリー様は先ほどと同じく頭上での戦いを継続していたけれど、どうやらマリー様が劣勢であるらしい。黒いドラゴンが容易に攻撃を当てているというのに、マリー様は反撃らしい反撃をしていない。
たぶん、黒いドラゴンの攻撃から私や騎士団の皆さんを守ってくれているのだろう。マリー様はそういう子だ。貴族としての義務と少女としての優しさを併せ持った子……。
ここにいては戦いの邪魔になる。マリー様が味方であると伝えるという本来の役目を終えた私は騎士様たちから距離を取った。
すると――
「――ナユハ! ここでなにをしている!?」
先に王宮へと転移してきていたガングード公とゲルリッツ侯が駆け寄ってきたので、私はメイド服の裾を少し持ち上げながらカーテシーをした。
「はい。陛下の身を案じられたマリー様が馳せ参じた次第にございます」
「それは分かる! マリーも幼いとはいえ貴族の娘だからな! しかし、キミは――」
そこまで叫んだゲルリッツ侯が口をつぐんだ。「もう貴族じゃないのだから、こんな場所に来る必要はないはずだ」と続けるつもりだったのだろう。
大罪人であるデーリン伯爵の娘。連座による貴族籍の剥奪。普通の貴族令嬢にとっては悲劇でしかない。……まぁ私はリリアのおかげで色々受け入れることができたので平気なのだけど。
難しい顔で黙り込んだゲルリッツ侯の背中をガングード公が叩く。
「何をぼさっとしている! 近衛騎士の指揮を執らんか! 貴様は騎士団長だろうが!」
「お、おう! そうだったな!」
ゲルリッツ侯は一度私に頭を下げてから近衛騎士の元へと駆けていった。
そんなゲルリッツ侯の様子を眺めながらガングード公がため息をついた。次いで、短い詠唱。私とガングード公の周囲に結界が張り巡らされる。ドラゴンの攻撃は難しいにしても、飛んでくる飛礫くらいは防いでくれるはず。
建物の中はドラゴンに崩されたとき瓦礫の下敷きになる危険性があるので庭にいる方が安全なのだ。……もちろん一番安全なのはさっさと逃げることだけど、私はマリー様を置いて逃げるつもりはないし、宰相であるガングード公にも避難する様子はない。
結界を張り終えたガングード公が眉間に皺を寄せた。
「ナユハ。あまり危険なことは止めなさい。ドラゴンに変身できるマリーとは違うのだから」
呼び捨てにされた。
貴族や騎士の男性が女性を呼び捨てにすることなど普通ありえない。……いや、たとえばガイサン様などは私を名前で呼ぶけれど、それは(出会ってから短いながらも)それなり以上に親交があるからこそだ。特殊な事情でもない限り、いくら私が9歳の子供とはいえ呼び捨てされることなどまずない。
それは上位貴族である公爵であっても同じ……むしろ、面倒くさい揚げ足取りを避けるために公爵こそ気を遣っているはずなのだけど。
そして。思い返してみれば先ほどのゲルリッツ侯も私を呼び捨てにしていた。
考えられる可能性があるとすれば――親同士が親しくて、子供の頃からよく知っているから。といったところだろうか? ガングード公やゲルリッツ侯がマリー様のことを呼び捨てにしているように……。
「ナユハに何かあったら、俺は地獄であいつに顔向けできん」
ちょっと不自然なほどの無表情でガングード公がつぶやいた。
「…………」
かつて。
家を継ぐ前のガングード公とゲルリッツ侯は“勇者パーティ”の一員としてガルド様と共に戦っていたという。
そして。
私のお父様は、ガルド様を兄のように慕っていたとか。
もしかしたら。
面識があったのかもしれない。
だとすればお父様と私の裁判の時いろいろと気を揉んでくださったことも納得できる。
私がそんな考えに及んでいると――轟音と砂埃が襲いかかってきた。
身を伏せながら周囲を警戒する。……どうやらマリー様が黒いドラゴンの攻撃で地面に叩きつけられたみたいだ。
マリー様は大きなケガこそないものの、そこそこ損傷を受けているみたい。逆に黒いドラゴンは意気軒昂。地面に転がるマリー様を見て鼻を鳴らしている。
はて、と私はわずかに首をかしげた。
いつだったかリリアは言っていた。マリー様のドラゴンとしての力は強大で、普通のドラゴンなら貪り喰らうもの一本か二本で拘束できるところを、マリー様は四本も必要だったらしい。
単純計算で二倍から四倍の戦力差。そんなマリー様であるはずなのに、一方的に攻撃を受けているように見える。
考えられる可能性としては、やはり――
「……守っている?」
「そうかもしれないな」
私の呟きにガングード公が答えた。
「ここにはナユハをはじめとして、多くの人間が残っている。戦う者。避難する者。そして国王陛下。皆を巻き込まないよう意識を割かれていてはまともに戦えはしないだろう」
「…………」
……いや。
いやいや、ちょっと待って?
「陛下? 陛下とおっしゃいました? ま、まだ避難されていないのですか?」
「うむ。最初は地下通路から避難されるおつもりだったのだが、突然止めてしまわれたのだ」
「ど、どうしてですか?」
「どうやら“悪寒”がしたらしい」
「…………」
いやいや、いやいやいや、何ですか悪寒って? 風邪の心配をしている暇があったらさっさと逃げてくださいよ最高権力者。
なるほど。騎士様たちが積極的な攻勢を掛けず、さりとて避難もしなかったのはそういう理由もあったのか。陛下が王城に留まっている以上なるべく地上にドラゴンの意識を向けたくないし、陛下が留まっているのだから近衛騎士たちもこの場に踏みとどまらなければならない。
つまり、陛下がさっさと避難すればいいだけの問題だ。
何が悪寒か。もういっそのことぶん殴って気絶させて引っ張っていこうかな? 緊急事態だから許されるはず。きっと許される。許されるはずだと信じている。時には命を賭けて諫言するのも忠臣のあるべき姿だと言うし。
私が右肩を回して『諫言』の準備を始め、そんな私の様子からこの後の展開を察知したガングード公が私を羽交い締めにしたりしていると――再びの轟音。地面に叩きつけられたマリー様のすぐ近くに黒いドラゴンが着地したのだ。
『――――っ!』
黒いドラゴンは容赦なくマリー様に爪を振り下ろした。幸いにして鱗によって爪による切り裂きはさほど効果はなかったけれど、ドラゴンの腕という大質量の一振りはマリー様の肉体に少なくないダメージを与えていく。
腹部への蹴り上げ。
首の踏みつけ。
とどめを刺すためと言うよりはいたぶることが目的のような攻撃が続く。
近衛騎士や近衛魔導師たちもマリー様を援護しているけれど、黒いドラゴンは意にも介さない。少しくらい気が散っても良さそうなものなのに視線をマリー様から外すこともなく。……まるで、最初から目的がマリー様であったかのように。
限界に達したのかマリー様の変身が解ける。蒼い鱗のドラゴンから、蒼い髪をした少女へと。
ドラゴンに変身した際に服は破れたのか一糸まとわぬ姿だけれども、その柔肌には所々に痛々しい傷が残されている。
みんな、みんな、あの黒いドラゴンが付けた傷痕だ。
私の心が怒りに満たされていると、黒いドラゴンがマリー様から少し距離を取った。
付近の魔力が荒れ狂う。
黒いドラゴンの口の隙間から蒸気が上がる。
これはマズい、と私の背中に冷や汗が伝った。
――竜の息吹。
ドラゴンの鱗すら焼き尽くすと言われる攻撃。人であれば直撃する前に蒸発し、王宮の城壁すら一瞬で溶かされるという恐ろしき技。ガングード公の防御結界も、王宮の結界も、竜の息吹を前にすればいとも簡単に破壊されるだろう。
何よりも恐怖べきなのは、そんな攻撃をドラゴンは連射できるということか。
変身が解除され人の身に戻ったマリー様が竜の息吹を耐えられるはずがない。
なんとかしなければ。
なんとかしなければと思った私は、考える前に駆けだしていた。
眼前にはガングード公の防御結界。結界とは外からの攻撃を防ぐのと同時、内部からの干渉も無効化する。守りの壁であり、私を外に出さない檻でもあるのだ。
ガングード公ほどの魔術巧者が編み上げた結界を私程度がどうにかできるはずがない。
どうすればいいのか、なんて分からなかった。
ただ自然と右手で触れた。
途端。
結界が割れた。
破片が太陽の光を反射して美しく舞い踊る。
理屈は知らない。
でも、結界はなくなった。
それだけを理解した私は振り返ることなくマリー様の元へと走った。
「――あれは、まさか『聖痕』か!?」
ガングード公の叫びを気にしている余裕はない。近衛騎士すら身動きが取れなくなるほどの魔力の暴風の中を駆け抜け、私はマリー様と黒いドラゴンの間に割り込んだ。
「ナユハ、様……?」
息も絶え絶えに声を絞り出すマリー様。すぐに治癒魔法を掛ける必要があるけれど、その前にまずドラゴンを――竜の息吹を何とかしなければならない。
私が割り込んでも黒いドラゴンに動揺はない。……それはそうだ。ドラゴンにとって人間など耳元で騒ぐ虫と同じ。邪魔をするなら一緒に焼き払ってしまえばいいだけの話なのだから。
「ナユハ様……早く、逃げてください。ドラゴン相手に何ができるのですか?」
「そうだね、たぶん何もできないけど……マリー様を見捨てることなんてできないよ」
右手が熱い。
拳を握りしめる。
荒れ狂う魔力が暴風となって私に襲いかかり、メイド服の裾を揺らした。
……そう。リリアが用意してくれたメイド服を。
かつてリリアは言っていた。このメイド服には彼女が直々に物理防御やら魔法防御やらの術式を組み込んだのだと。
それこそ――竜の息吹すら防げるほどに。過剰なまでの防御力を。
だからこそ私に絶望はない。リリアが大丈夫と言ったのだから大丈夫なのだ。心配する必要なんてないし、恐怖もない。
でもマリー様はこのメイド服の“力”を知らないわけであり。
「なぜ、なぜ立ちふさがるのですか? なぜわたくしを見捨てて逃げないのですか?」
マリー様の疑問に私は深く考えることなく答えた。
「同じ人に救われて。同じ人を好きになったから。かな?」
我ながら馬鹿らしいし理屈も通らないと思う。
この行動にあえて理由を付けるなら。
「……ここでマリー様を見捨てたら。見捨てて逃げるような女には。――リリアの側にいる資格はない。私はそう思うんだ」
『――――』
マリー様が口を開いて何かを言おうとした、その直前。
『――よくぞほざいたナユハ・レナード!』
『――キミの覚悟に神は泣き!』
『――人は真なる愛を見た!』
普段の間延びした声ではなく。
流暢な言葉遣いで。
妖精さんたちが舞い踊っていた。歓喜を表現するかのように。祝福をこの世に振りまくように。
『――運命は変わる』
『――ヒトが変える』
『――古き時代の遺物など、消えてしまえ』
妖精様の一人が私の右手に触れた。
右手の甲が光を帯びる。
読み解けぬ、されども見覚えがある文字が躍った。
あのとき。
スクナ様から“祝福”していただいたときに浮かび上がったものと同じ文字が。
黒いドラゴンが息吹を吐く。
すべてを焼き尽くす竜の息吹が迫る。
されど。
されども。
私の右手には神の祝福が存在し。
私の身体は、大好きな人の気持ちで包まれている。
ならば。
今ここに。
悲劇の運命は否定される。
魔力の暴風が髪を揺らす。
熱風が頬に吹きすさぶ。
でも、それだけだ。
竜の息吹の直撃を受けようと。
肉体に損傷なし。
視界は良好。
耳は正常。
私の後ろのマリー様も怪我一つなく。
眼前には、状況を理解できていない間抜けが一匹存在するのみ。
ドラゴンが再び口元へ魔力を集中させた。
二度目の竜の息吹。
私を簡単には倒せない敵と認識して。しっかりと視界に納めて。先ほどよりも出力を上げた息吹で焼き尽くそうとしている。
集中して。
意識を割いて。
私だけに敵意を向けて。
だからこそ。
ドラゴンは、自分に近づく災厄たちに気づけなかった。
――稲光が走る。
突き抜けるような青空を。蒼天の霹靂が引き裂いた。
光と轟音が黒いドラゴンに直撃する。
本来であれば『雷』程度の直撃でドラゴンが被害を受けることはない。そもそもドラゴンは幻想種。条件さえ揃えばいくらでも発生する自然現象の一つなどとは『格』が違うのだ。
なのに。
黒いドラゴンは明らかに動きを止め、肉体の先端は痺れるように痙攣していた。
そして――
『――うむ! うむうむ! よくぞやったぞナユハ・レナード!』
崩れた尖塔。わずかに立っている残骸の一番高いところに立ち。王妃の幽霊ミヤィスン様が自信満々な様子で腕組みをしていた。
『口だけならば何とでも言えよう! そんな佞臣をわらわは幾人も見てきた! 綺麗事も、勇猛な言葉も、いくらだってほざける! ――だが! おぬしは見事に竜の息吹を耐えてみせた! たとえ住まう国が違おうと! おぬしのような“勇者”にこそ勇猛にして神聖なる雷神の加護が与えられるだろう!』
ミヤィスン様はそれはそれは嬉しそうに頬を吊り上げて、
『9歳とは思えぬその度胸! 竜の息吹に耐えたその力! リリアを信じてみせたその心! 見事! 見事! まことに見事! うむうむ! 貴様がいるのならば、わらわとて一番を譲ってやってもよいぞ! 遠慮するでない! 時には寛大な心で『伴侶』の浮気を許すことも必要だろうて!』
「あ、はぁ……?」
『まぁ許すにしても“数”が多すぎるきらいがあるがな、リリアは善き女ゆえ致し方なし!』
ミヤィスン様の歓喜に呼応するかのように二度三度と雷が黒いドラゴンを打ち据えた。
彼女の発言には意味の分からない部分もあったけれど、その雷撃は確かにドラゴンの動きを止めている。
けれど、とどめを刺すまでには至っていない。
何かが足りないのだ。
神雷でもなお足りない、あのドラゴンを絶命させるに足る、聖剣に匹敵する特別な“力”が……。
『……ほぅ? あれが噂の……』
ミヤィスン様が小さく呟き、不意に雷撃を止めた。
黒いドラゴンですら動けなかったわずかな間隙。
その間隙を見逃さなかった“英雄”は、空高く飛び上がり大地を揺らすほどの声量で叫んだ。
「――複合! 身体強化!」
救国の英雄。
竜殺し。
様々な異名で呼ばれる“貧民街の門番”は、手にした剣を、黒いドラゴンの頭部に突き刺した。
魔導師団の大規模魔術すら跳ね返す鱗を貫き。魔鉱石よりもなお硬い頭蓋を貫通し。脳まで至った“竜殺し”の刃はドラゴンにすら致命傷を与え。
「いい加減に死ね、クソ野郎が」
英雄らしからぬ言葉を吐き捨て、彼――ガイサン・デンヒュールドは剣を引き抜いた。
璃々愛
「ナユハたんの主人公力が強すぎる件」
オーちゃん
「ガイサンにおいしいところ持って行かれたけどな」
璃々愛
「ヤローに負けてられないね! 次回から魔法少女リリカル☆なゆは! 始まります!」
オーちゃん
「少し頭冷やそうか?」
次回、4月14日更新予定です。




