閑話 ヒュンスター侯と、幽霊。(ヒュンスター侯視点)
「……行ってしまったな」
慌ただしく出て行ったマリーを見送った私は小さくため息をついた。
『行っちゃいましたね~』
どこか気の抜けた声を上げたのは一人の少女。……たしか、名前は愛理嬢だったか。
不吉の象徴たる黒い髪。
不幸を呼ぶといわれる黒い瞳。
この国において忌み嫌われる要素を持ちながら、それでも『美しい』という感想しか抱けない奇妙なる幽霊。
侯爵である私にも物怖じることなく会話をしているが、すでに死んでいる者にとって生きている者の地位などあまり気にならないのだろう。
こちらも不思議なことに穏やかな心境で言葉を紡ぐことができた。
「愛理嬢、でしたよね? 先ほどの技で私の手錠も外していただけると嬉しいのですが?」
『外してどうします? 今さら、王宮へと急ぎますか?』
「……なるほど。たしかに私が今さら王宮に向かってもどうなるものではないですね。むしろこの場で手錠を付けられたまま待機していれば『漆黒の陰謀に巻き込まれた被害者』になれると。愛理嬢は中々の策謀家ですね……」
『……………、……幽霊の人そこまで考えてないと思うよ』
愛理嬢が何事かつぶやいたが、小さな声だったので聞き逃してしまった。
「しかし、マリーは大丈夫でしょうか?」
貴族の娘として護身術を教えてはいるが、あくまで対人技術。ドラゴンとして戦ったことがないマリーが本物のドラゴンを前にして真っ当な戦いができるものなのだろうか?
『大丈夫ですよ』
愛理嬢は断言した。
『マリーちゃんは幸せになります。リリアちゃんが幸せにします。だから大丈夫です。あんな大きいだけの黒トカゲなんて『物語』には必要ないのですから。『幸せな結末』を汚すことなんてできないですから』
まるで読み古された脚本を示すように。
まるで定められた運命を語るように。
くすくすと愛理嬢が笑う。
『マリー様はともかく。マリット様の心配はなさらないので?』
「……あれでも一応は貴族の息子。まだ成人を迎えていないとはいえ、自分のやった責任は自分で取らねばなりません」
もう少し成長すれば、と考えてはいたが。残念ながらマリットがこれ以上成長する道は断たれた。自分で断ってしまった。
『王太子を襲撃したとなれば斬首間違いなし。むしろマリーちゃん――マリー様やヒュンスター侯が巻き添えとなるでしょうね』
反逆罪は一族連座。何も不思議なことはない。国によっては『族滅』の場所もあるのだからこの国はまだ甘い方だ。
しかし。
『漆黒』に乗せられ、利用されていると気づかないまま行き当たりばったりに行動を起こしたバカ息子に付き合うつもりはないし、マリーを付き合わせるつもりもない。
「いざとなれば領地を捨てて別の国に逃げるしかありませんね。私は妻を蘇らせるまでは死ぬわけにいきませんので」
『その際は是非ご相談を。私からリリアちゃんに話を通しておきましょう』
「リリア嬢ですか……。私の逃亡に協力してくれるとでも?」
『えぇ、彼女ならきっと。たとえ王宮の地下牢からでも逃がしてくれるでしょう』
「……なぜリリア嬢がそこまでしてくれるのですか? 先ほども、マリアを蘇らせることに協力してくれると申し出てくれましたが……さすがに高貴なる者の責務という訳ではないでしょう?」
百歩譲って(民草のために戦った)マリアを蘇らせることは理解できても、私を助けることなど高貴なる者の責務を逸脱している。いくら9歳とはいえ、リリア嬢もそのくらいは理解しているだろう。
『もちろん、マリー様のためですよ』
「マリー?」
『えぇ。お母様に加えてお父様まで失ってはマリー様が悲しみますから。まぁマリット様は難しいですが、それでもリリアちゃんなら何とかしてしまうかもしれませんね』
「マリーが悲しむ……そんな理由で、ですか?」
マリーだって貴族として生まれ、貴族としての教育を受けてきたのだ。こうなった場合にどんなことが起きるかなど予想できるし、何が起こっても大丈夫なよう覚悟をしているはずだ。
しかし、そんなことは関係ないとばかりに愛理嬢は首を横に振る。
『リリアちゃんは何だかんだで甘いですからね。自分を慕ってくれる女の子のためなら何でもしてしまいますよ。「どうしてこうなった!?」なぁんてうそぶきながらね』
「慕ってくれるなど、そんな、演技の可能性だってあるのに」
リリア嬢は将来の約束された銀髪であるし、レナード商会の娘でもある。今のうちから取り入っておこうという人間は多いだろうし、利用しようとする人間もいるだろう。そもそも貴族であれば演技の一つや二つできて当たり前なのだ。なのに、慕ってくれているという理由で行動するなどあまりにも貴族らしくない。貴族失格とすら言える。
けれど。
愛理嬢はかぶりを振った。
私の意見を全否定するために。
『リリアちゃんには“左目”がありますから。他人の本音なんてすべて視えてしまいますよ』
「…………」
そうだった。
彼女には神にも等しき金の瞳があるのだ。取り入ろうとする者、利用しようとする者、など、など。人々の悪意はすべて見通してしまうのだろう。
彼女はいったいどれだけの悪意を視てきたのだろう?
どれだけの嘘に晒されてきたのだろう?
今までも。そして、これからも。彼女には貴族の心が突き刺さり続けるはず。
貴族として生きる上で、あの瞳は残酷に過ぎる力だ。
『逆に言えば』
愛理嬢が目を閉じながら語る。慈愛に満ちた聖女のように。子供の成長を見守る母のように。
『悪意も、打算も、なにもなく。ただただ単純なる好意によって近づいてきたからこそリリアちゃんはマリー様を受け入れたのでしょう。受け入れて、だからこそ彼女のためなら何でもするでしょう。あの子はそういう人間です。不器用で、大げさで、……まだまだ子供なのですよ』
「…………」
『さて、いい機会なのでマリー様とリリアちゃんの出会いからお話ししましょうか』
両手を一度打ち鳴らしてから愛理嬢は微笑んだ。唐突すぎる提案。だが、策謀家である彼女のことだ、何か目的があるに違いない。
愛理嬢の目的が何であるかは杳として知れないが……。彼女の話を聞くにつれて、私は一つの決意をすることとなった。おそらくは愛理嬢の目論んだとおりに。
マリーが望むのなら、私は――
璃々愛
「愛理、そこまで考えてないと思うな」
オーちゃん
「真顔でなんてこと言うんだ璃々愛」
次回、3月25日 19時頃更新予定です




