閑話 救国の英雄
・ガイさん
リリアの友達。貧民街の門番。8年前、ヒュンスター領に現れたドラゴンを討伐した『救国の英雄』ガイサン・デンヒュールド。
・タフィン
リリアの友達。貧民街の顔役。
――その光景は、王都の南端にある貧民街からもよく見ることができた。
王とは絶対。
王城とは王権の象徴。
揺るぎない“力”
巨大であるということは“力”であり、強固であることもまた“力”である。
そんな王宮の城壁が、揺れた。
レンガは波のように崩れ落ち、石積みが崩れ、尖塔は傾き倒れていく。
そして。
そして。
鎌首をもたげた漆黒のドラゴン。城壁を越える高さを持つそれは巨大なる“力”であり、強固なる“力”であり、圧倒的な破壊の象徴として王都に君臨した。
その光景を前にして、人々の間に動揺が広がった。
貧民街とはいわば王国の暗部。王国というシステムから弾かれた人々の集まり。王国を恨むことはあっても、好意的な感情は希薄だ。……であるはずなのに、それでも、彼らの瞳に浮かぶ感情は絶望であり。
王宮の破壊。王権の失墜。絶対にして不変と考えていたものの否定は、貧民街から希望を奪うに十分な光景であった。
……しかし。
斯様な絶望を前にして。それでも瞳の光を失わない男がいた。
その目に浮かぶ感情は、怒り。
男は、英雄だった。
救国の英雄であった。
裏にどんな事情があったとはいえ、男がドラゴンを討伐したのは紛れもない事実であり。
竜殺し。
ドラゴンスレイヤー。
英雄であるならば。
一度でも英雄として名を馳せたならば。
崩れゆく王城を目にして。
絶望に包まれる人々を前にして。
――やるべきことは、一つだけだった。
自らの住居……住居とすら呼べないあばら家に駆け込み、一本の剣を手にする。
8年前。
あの黒いドラゴンの首に突き刺した剣だ。
「…………」
蒼いたてがみのドラゴンを思い出す。民草を守るために戦い、汚い欲望によって討ち取られた悲劇の女を。
蒼い髪をした少年を思い出す。死に絶えた母親の死体を前に、絶対の復讐を誓っていた憤怒の姿を。
そして。蒼い髪をした少女を思い出す。あの蒼いドラゴンのたてがみと、あの少年と同じ髪色をした少女の姿を。何度も貧民街に足を運び、何度も門番と対立した少女の姿を。
「…………」
今度こそ死ぬかもしれない。
味方となるドラゴンもいないし、幸運が二度も続くとは思えない。
だが、しかし、見て見ぬふりなどできなかった。あの黒いドラゴンを放置しては、多くの人が死ぬだろうから。
あの蒼いドラゴンのような悲劇を。
あの少年のような怒りを。
あの少女のような哀感を。
これ以上、生み出すわけにはいかないのだ。
覚悟を決めるように鞘から剣を引き抜く。8年間。まともな手入れをしていないというのに刀身には錆も曇りもない。
いける。
特別な素材を使ったわけでも、伝説の鍛冶師に鍛えられたわけでもない量産品の剣であるはずなのに、なぜだか男は確信を抱いた。この剣であればドラゴンを殺せると信じることができた。
そして――
「――ガイサン・デンヒュールド」
剣を手にあばら家から出たガイサンの背中に、まだまだ幼い声がかけられた。
振り向くまでもない。この貧民街で暮らす人間で、彼女の声を聞き間違える者などいないはずだ。
貧民街の世話役。
いつでも貴族に拾ってもらえる美貌を誇りながら、それでも貧民街に留まり続ける変人。ゆえにこそ『街』に住まう人々から圧倒的な支持を受ける“顔役”
タフィン。
名字などない。……いや、あそこまで美しい金髪を持つ彼女のことだ、その血に貴族の血が流れていても不思議ではないが……それでもタフィンに姓はないし、あったとしても名乗らないはずだ。
「行くのか?」
「……えぇ。行かねばなりません」
タフィンが平語で。ガイサンが敬語。年齢や実績で言えば逆であるはずなのに、それでも二人は言葉遣いを改めるつもりがない。
タフィンはガイサンを貧民街の仲間と認めているからこそ敬語など使わないし。タフィンが貧民街の人々のためにどれだけのことをしているか知っているからこそガイサンは敬語を使い続ける。
「リリアじゃないんだ、そう何度もうまくいくわけはない。――お前さん、今度こそ死ぬぞ?」
「……でしょうね。しかし、私は行かなければなりません」
「騎士としての使命か? それか英雄としての矜持? いや、8年前の因縁に決着を付けるつもりか?」
「さぁ。自分でもよく分かりません。分かりませんが、あのドラゴンを見たときに私が抱いた感情は『怒り』でした。今もその気持ちは揺るぎません。であるならば行かなきゃいけないでしょう」
「……お前なぁ、こういう時は嘘でも『陛下のため』とか『民草のため』って答えとけばいいんだよ。ほんとーに不器用な人間だな」
「器用に生きられるなら、8年前に騎士爵になっていますよ」
「そりゃそうか。……ま、お前さんはバカな男だがな、それでもこの『街』の仲間だ。それに私が鼻を垂らしていた頃から門番をやってもらった恩がある。この街の顔役としては少しくらい報いなきゃならないな」
そう言ってタフィンは懐から何かを取りだし、ガイサンに投げ渡した。
反射的にガイサンは受け取り、手のひらに収まったそれを凝視する。
銀色の糸で編まれた組み紐。
もしもガイサンに前世地球の知識があれば『ミサンガ』であると理解したことだろう。
「これは?」
「リリアの髪で編まれたものだ。『みさんが』と言うらしい。邪魔になるものでもないから持って行け」
その言葉にガイサンが目を丸くした。ただでさえ魔術師の髪とは優秀な蓄電池ならぬ“蓄魔池”だというのに、それが銀髪であれば希少性が跳ね上がる。
そもそもこの国の銀髪持ちは国王の姪(つまりは王族)だったり魔導師団長だったりするのだ、おいそれと髪の毛を手に入れることなどできない。そんな銀髪をそれなりの長さ・それなりの量を使った組紐だ。もしも競売に掛けでもしたら……一生遊んで暮らしてもお釣りが来るほどの金が転がり込んでくるだろう。
「タフィンさん。このような貴重なものは貰えません」
「バカ、誰がやるって言った。貸すだけだ。……絶対に返しに来い。返しに来なかったら地獄の果てまで取りに行くからな」
「……………、……わかりました。それでは遠慮なくお借りします。必ず返しに戻りますので、しばしお待ちください」
「へぇへぇ。相変わらず生真面目だねぇ。やっぱお前さんは貧民街にいるよりは騎士をやっている方が似合いそうなものだがな」
「門番はクビですか?」
「冗談の通じないヤツだ。そういうところが騎士向きだって言っているんだ。……ほら、さっさと行け。あの野郎は生き汚いから大丈夫だと思うが、それでもドラゴンに踏みつぶされれば死ぬだろうからな」
タフィンが顎で王城を示したのでガイサンは一礼してから駆けだした。
右手には剣。左手にはミサンガ。固く握りしめながらガイサンは魔力で身体強化を行い……、まさしく風のように王城を目指した。
あるいはミサンガに込められた魔力が彼の身体強化を後押ししているのかもしれない。そう信じるしかないほどの速さであった。
「…………」
そんなガイサンの背中を見守りながらタフィンはどこか面倒くさそうに後頭部を掻いた。
思い出すのはいつだったかリリアとしたやり取り。どういう経緯かは忘れたが、リリアがあの“左目”でガイサンの剣を鑑定したのだ。
いわく、数打ちの安物。
特別な素材を使ったわけでも、伝説の鍛冶師に鍛えられたわけでもない。ドラゴンの首に突き刺して折れなかったことは奇跡としか思えない粗悪品だそうだ。
しかし。
あの剣は間違いなくドラゴンを討伐した。
救国の英雄の手によって、悪のドラゴンを打ち破った。
それだけで『伝説』になるには十分で。
リリアいわく。
あの剣には『竜特効』が纏わり付いているらしい。
であるならば、ことドラゴンに対しては天下の名剣たりうるだろう。聖剣にすら匹敵する威力を発揮するだろう。
ドラゴンの鱗を割り、肉を断ち、骨すら両断し。幻想種たるドラゴンの命すら奪ってみせるだろう。
ゴキリ、と。首を一度鳴らしたタフィンはどこか皮肉げな笑みを浮かべた。
王城にドラゴンが現れたのだ。偶然であるはずがないし、噂に聞く防護結界をどうにかできるほどの準備や才能が費やされたのだろう。どれだけの金額、どれだけの時間が投入されたかなど想像することも難しい。
しかし――
彼女の瞳に浮かぶのは『門番』に対する圧倒的な信頼。『英雄』に対する純粋な期待。
「誰が暗躍したかは知らないが、頭をかきむしって叫ぶ準備はしておいた方がいいぜ? ――どうしてこうなった、ってな」
璃々愛
「あ~ミサンガね。懐かしいなぁ子供の頃はよく付けてたっけ」
オーちゃん
「……最近の子供に『ミサンガ』って通じるのか?」
璃々愛
「ぐはっ!!!!!!?」
次回、3月18日 17時頃更新予定です。




