第18話 襲撃(ナユハ視点)
お茶というものは意外と奥が深い。蒸らし時間や使う水、茶葉の保存状態などによって味がガラリと変わってしまうからだ。
ちなみに私たちが普通に『お茶』と呼んでいるものは、リリアに言わせると『紅茶』らしい。他にも緑茶やら麦茶やら色々と種類があるらしいけれど、まぁ貴族が飲むお茶は紅茶だけだと思う。
もちろん貴族令嬢だった頃の私はお茶の入れ方なんて全然知らなかったけれども、リリアのメイドさんになってからは日々勉強を続けている。リリアに「今日のお茶も美味しいね」と言ってもらえると嬉しいからね。
メイドとしての基礎教養としてお茶菓子の作り方も勉強中。ただ、私の腕前はまだまだなので今日のところはヒュンスター家のメイドさんたちにお願いする。
ちなみに。リリアはいくら毒を飲んでも死なない(加護と自動回復)から毒味の必要はなかったりする。……「毒ってピリピリして美味しいよね?」と言われたときはゲンコツしたけれど。
焼きたてのお菓子。
応接間への移動時間までも考慮して丁度いい温度で湧かされたお湯。
最適に管理された茶葉。
我ながらいい仕事している。
メイドとして大満足。
ヒュンスター家のメイドさんたちとも声は出さないまま自然に頷き合う。メイドとして、『ぷろふぇっしょなる』として誇れる仕事だ。
と、そんな満足感を抱きながら応接間に向かったというのに。
応接間には誰もいなくて。
途方に暮れていると、ふくれ面をしたマリー様がやって来て教えてくれた。
リリアは出かけてしまったと。
「…………」
冷えて硬くなっていく焼き菓子。
ぬるくなっていくお湯。
「……………………」
その瞬間。私の心にわき上がった感情は何とも表現しにくいものだったけれども。ただ一つ確かなのは、次にリリアと会ったときに彼女が「どうしてこうなった!?」と叫ぶということだった。
◇
リリアはリュース様の護衛に向かったらしい。
そういう事情はあるならまぁしょうがないかな?
うん、しょうがない。
しょうがないよねリリアは『とらぶる・めいかー』だし。
「ナユハ様。顔が恐いですわ」
マリー様がなぜか怯えていた。顔が恐いのはきっとリュース様の身を案じているからだね。きっとね。
「きっと違うと思いますわ……」
天真爛漫なマリー様らしくもなく歯にものが挟まったような物言いだった。
それはともかくとして。
竜使いだの『漆黒』だの不穏な単語が飛び交う中、ガングード公とゲルリッツ侯は王城へ戻り事態の収束と万が一の襲撃に備えるらしい。王城の警備や防護結界は強力なのでいきなり王城を襲撃することはないだろう、というのはゲルリッツ侯の推測だ。
マリー様とヒュンスター侯はこの屋敷に留まり、監視下に置かれるとのこと。
まぁ監視下と言ってもゲルリッツ侯の従士 (騎士)二人が残るだけなので、軟禁状態みたいなものだろう。息子が王城襲撃を企て、実際に行動に移しているとは思えないほど甘い対応だ。たぶん、それだけヒュンスター侯のことを信頼しているのだろう。
私は転移魔法を使えないし、マリー様のことも気になるのでお二人と一緒にこの屋敷に留まることにした。いくら私の右手が超握力だからといって、空を飛ぶワイバーンを相手にできるわけではないし。下手に動いて邪魔をするわけにもいかないもの。
そうしてガングード公とゲルリッツ侯は王城へと転移し。私たちが少し冷えたお湯で紅茶を入れていると――事態は動いた。
「――動くな」
そんな発言をしたのは監視役として残されたゲルリッツ侯の従士。そのうちの一人。騎士らしく鍛え上げられている、いかにも『武人』然とした顔をした茶髪の男性だ。
そんな従士はヒュンスター侯の背後に立ち、ヒュンスター侯の喉元に短刀を当てていた。
……どういうことだろう?
従士の主であるゲルリッツ侯の言動や、戸惑いを隠せないもう一人の従士の様子から、このような荒事が命令されたとは考えがたい。
となると、あの従士の独断ということになるのかな?
身代金目的?
あるいは、個人的な復讐?
私が首をかしげていると荒々しく応接間の扉が開けられ、黒いローブに身を包んだ男三人が部屋に入ってきた。……いやローブで顔が隠されているのでハッキリとした性別は分からないけれど、体格からしてたぶん男性だと思う。
そんな男性三人は手際よく手錠を取りだし、私やマリー様、ヒュンスター侯や残りの従士を拘束していった。
魔力を集中させようとしても霧散していく感覚があるので、これは『魔鉱石製の手錠』だろう。鉱山で働いていたときに話を聞いたことがある。労働刑を受けた者に付けられるもので、魔法が使えなくなってしまうらしい。
物質としての固さも鉄に近いので物理的に破壊するのも困難だろう。
そして、手錠と共にマリー様の首に取り付けられたのは、もはや用済みとなったはずの『制御の首輪』だ。ご丁寧なことに三つも巻き付けて、それぞれに鍵を付けていく。
たしかあの首輪はドラゴンへ変身するための魔力を強制的に放出させ、その代償として壊れる代物だったはずだから……マリー様は三回ドラゴンへの変身を無効化されることとなる。こうなってはもうマリー様がドラゴンに変身するのは無理だろう。
「…………」
自らの両腕、重さ数kgはある手錠を見つめてから私は事の発端――ゲルリッツ侯の従士へと視線を向けた。
「おやおや、そんな恐い目を向けないでいただきたいものですな、ナユハ……いいや、ナユハ・デーリン伯爵令嬢」
何とも気安い、真摯さをまるで感じられない声だった。わざわざ『デーリン伯爵令嬢』と呼んだのは嫌味かな?
「……私の名前を知っているのですか?」
「えぇ、もちろん。よく知っていますとも。おっと、無駄な抵抗はしないでくださいね? 私はあなたを傷つけたくはありませんので」
「?」
思わず小首をかしげる私だった。私はこれでも元貴族令嬢。リリアほどの記憶力はないにしても、「よく知っている」とか「傷つけたくありません」とまで言われるほどの関係になった人物の顔や名前なら覚えているはず。なのに、どう記憶をひっくり返してみてもこの従士のことを思い出すことはできなかった。
「……キミの目的はなんだい?」
そう問いかけたのはヒュンスター侯。首に短刀を突きつけられたままだというのにその目には一切の恐怖が浮かんでいない。さすが現役侯爵といったところか。
「決まっていますとも。――復讐を。この腐った国に、復讐を」
その言葉は聞いたことがあった。私は直接耳にしたことがないけれど、リリアやマリー様から『そういう発言をした人物がいた』と聞かされている。
国家転覆を謀り、愛理を拘束し利用していた死者の王。
元魔導師団長ながら国家への復讐を誓い、暗躍を続ける『漆黒』という男。
彼もまた復讐を誓った狂者なのだろうか?
この部屋にいる人間の目線が従士の男に集まり……それを待っていたかのように男は自らの顔を右手で覆い隠した。
一秒か二秒。
わずか時間を経て顔を覆っていた右手が離された。
「!?」
顔が、変化した。
先ほどまでの武人然とした顔ではなく、線の細い研究者じみた顔へ。
さらには髪色も茶髪から金髪へと変色し、背丈や体格まで変化している。
――変身魔法。
その名の通り変身する魔法。
と、説明だけは簡単だけど、実際はそう単純なものではない。なにせ長ずれば(この漆黒のように)顔や背格好まで自在に変えることができるのだ。犯罪に使われれば犯人の特定が不可能になるし、暗殺者が暗殺対象の身内にでも変身したら一大事だ。
その危険性から術者は徹底的に弾圧され、書物もすべて焼却処分。使用者は問答無用で極刑に処されるという“禁術”だ。
それに、変身中は常時魔力を消費するので、魔力的な問題でも難しい魔法となる。
もちろん『ちーと』なリリアでも変身魔法は使うことができない。……はず。たぶん。きっと。おそらくは。彼女ならその場のノリと勢いでできてしまいそうだけど、さすがに使わない程度の分別はある。と思う。と信じている。
うん。リリアは意外と貴族的な常識はある子だからね。
……魔術的な常識は皆無だけれども。たぶん大丈夫。きっと大丈夫。おそらく大丈夫。
私が心の底からリリアを信頼していると、
「……レイス先生?」
マリー様が驚愕を込めた声を上げた。
「知り合いなのですか?」
「え、えぇ。わたくしとお兄様の家庭教師ですわ。主に魔法学を教えていただいていまして」
ここでいう『魔法学』とは座学だけではなく実践も含まれることが多い。
ヒュンスター家の家庭教師になれるのだから実力はもちろんのこと、身分も明らかな人物であるはず。さらに言えばマリット様やマリー様が家庭教師を必要としなくなる年齢になっても『以前ヒュンスター侯爵家で家庭教師をしていた』という肩書きがあれば再就職も引く手あまたなはず。そんな彼がどうしてこんなことをしているのだろうね?
…………。
……ただ一つ確かなことは。
今ここで正体を明らかにしたということは。彼はもう『ヒュンスター家の家庭教師』として活動するつもりはないということだ。つまり彼にとってヒュンスター家は用済みということになり……。もしかしたら、マズい状況なのかもしれない。
「くっくっくっ、いい反応をいただけて光栄ですよ」
嫌らしく笑った彼は再び自らの顔を右手で覆い隠した。……数秒。右手が離されるとまた違う顔がそこにはあった。
金髪であることは変わらず。顔つきは少々気むずかしげに。眉間の皺さえなければそこそこの『いけめん』であると思う。
私に心当たりはない。
マリー様の知り合いというわけでもなさそう。
一体誰だろうと首をかしげていると――
「――見事な変身だな、『漆黒』よ」
貴族らしい威厳のある声が部屋に響いた。
ヒュンスター侯の言葉に私とマリー様が息を飲んだ。マリー様は貧民街で一度『漆黒』に会っているはずだけど、ローブを深く被っていたそうなので彼の顔を見るのはこれが初めてなのだろう。
「従士と入れ替わっていたのか。一体いつから?」
ヒュンスター侯の質問に『漆黒』はどこか自慢げな様子で答えた。
「あの男が厠で用を足しているときに、ね。あぁご安心を。死んではいませんから。王国騎士の血などで我が手を汚したくはありませんので」
犠牲者がいなければ一安心、なのかな?
しかし、厠で入れ替わった?
となると漆黒はガングード公やゲルリッツ侯が今日この屋敷に来ることを知っていて、前もって屋敷に侵入。そして従士の男と入れ替わったのだろうか?
彼の目的は何だろう?
ドラゴンの力を使えるうえ、一度痛い目に遭っているマリー様と敵対する危険を冒してまで今この場所に姿を見せたのだから相応の意味があるはずだ。
それは一体……。
私が頭を悩ましていると、ふと、階下の方からいくつかの音がしていることに気がついた。叫び声はおそらく『漆黒』の仲間がメイドさんたちを拘束しているもので……他には……物音? 何か重いものを地面に置くような……。
耳を澄ませるけれどそれ以上の情報を得られることはなく。そうこうしているうちに漆黒の仲間らしき男が応接間に入ってきた。
「さて、準備が整ったようですね。私はこれで失礼しますが、どうか大人しく待っていてください。あなた方には特に恨みはないのでこれ以上の危害を加えるつもりは――いや、マリー嬢には貧民街で壁に叩きつけられた恨みがありましたか。……しかし、“あの女”を敵に回すのはまだ早いですね。ここは大人の余裕を見せる場面ですか」
あの女、とはリリアのことだろうか?
その表現からはリリアに対する敵対心や嫌悪の感情を読み取ることができた。リリアはそんな感情を向けられていい人物じゃないのにね。
まったく。リリアの素晴らしさが理解できないとは、きっとこの男は誰もが同情する悲惨な人生を送ってきたに違いない。かわいそうに。おかわいそうに。
と、それはともかく。『まだ早い』という言葉からは、時間を掛ければリリアとも互角以上に敵対できるという確信がにじみ出ているけれど……。
「……あの、リリアを敵に回すのはオススメしませんが」
思わず助言してしまう私だった。何をしているのだろうね、私?
私の発言が意外だったのか漆黒は目を丸くして、何度か瞬きしたあとに笑い出した。
「はは、はははっ、ご忠告感謝しますよ、ナユハ嬢。私としても無駄な労力は費やしたくはないのでね、あの女が田舎にでも引っ込むというのなら敵対などしませんともさ」
「あ~……」
漆黒はあり得ない話として語っているのだろうけれど。リリアをよく知る私としては「充分あり得るよなぁ」と妙な納得というか諦めというか、何とも表現しにくい感情を抱くはめになってしまった。
「ではごゆっくり。――ここからは王城がよく見えますからね」
応接間の窓へ視線を投げかけてから漆黒は部屋を出て行った。
ドアの前には屈強な男が二人が残っている。監視役だろう。武闘派ではなさそうなヒュンスター侯や竜化の力を封じられたマリー様ではとてもじゃないが突破できない戦力だ。そもそも全員魔法が使えなくなる魔鉱石製の手錠を付けられたままだしね。
さて。漆黒がわざわざ「王城がよく見えますから」と言い残していったのだから、十中八九これから王城を襲撃するのだろう。
(リュース様はリリアが直接向かったから大丈夫。王城は……どうだろう? ガルド様やリース様たちは魔物狩りの応援にガングード公の領地まで出向いているはずだし。キナ様やフィー様はいるかなぁ? 漆黒は計算高いという話だし、どこかに出張していても不思議じゃないか)
本来なら今頃はお茶会が開かれていて、リリアに美味しいお茶を入れていたはずなのに……。
はぁ、どうしてこうなった……?
ナユハはリリアや愛理の(悪)影響で前世日本の横文字を多用するようになっています。
『制御の首輪』を魔鉱石で作ろうとしても、霧散する量<<<ドラゴンに変身するときに使う魔力なので、魔力を放出しきる前に壊れてしまいます。
次回、3月1日 お昼頃更新予定です。




