第13話 運命の破壊者(ヒュンスター侯 視点)
キラース・ヒュンスター ……侯爵。マリーの父親。
ガングード公 ……公爵。宰相。悪役令嬢ミリスの父。
ゲルリッツ侯 ……侯爵。騎士団長(総団長)。息子はリリアにぶん殴られ、修行(?)の旅に出た。
ガングード公とゲルリッツ侯。
昔なじみの二人ではあるが、それぞれが実家を継いだ以上昔のような付き合いは中々できない。そんな二人が足並みを揃えて私の元を訪れると知ったとき、「とうとう来たか」といっそ清々しいような不思議な心持ちになった。
自分の頭の良さを鼻に掛けて周囲にケンカを売ってばかりだったガングード公は、ずいぶんと性格が円くなった。
戦闘において真っ先に突っ込むことしかできずガルド殿に叱られてばかりだったゲルリッツ侯は、騎士団長となって以降は腹芸ができるようになっていた。
二人とも、その地位や役職にふさわしいだけの人間へと成長している。
変わっていないのは私だけだろう。
……それでいい。
8年前の決着を付けなければ、私は前に進むことなどできないのだから。
…………。
ヒュンスター邸の応接間で。私、ガングード公、ゲルリッツ公が向かい合う形で座った。旧友同士とは思えぬほど緊迫した雰囲気が漂っている。
「キラース。そろそろ止めにしないか」
そう切り出したのはゲルリッツ侯。ここは王宮というわけでもないので普段よりも砕けた口調だ。
「止める、とは?」
「とぼけるな。奥方の復讐を考えているのだろう? だが、真に恨むべきドラゴンはもう討伐されている。……確かに騎士団の到着が遅かったのは事実だが、国王陛下は即座に騎士団の派遣を命じられたのだ。陛下に――王家に罪はない」
王家がもっと早く騎士団を派遣してくれればマリアは死ななかったはずだ。
私はそう考えている。
と、ゲルリッツ侯は考えているのだろう。
「もしも責めるならばのんびりと行軍したミレッジ騎士団長――前任の騎士団長ということになるが、彼も死んだ。お前さんの復讐相手はもういない。王家を恨むのは筋違いだと分かっているはずだろう?」
「…………」
私が沈黙を返すとガングード公が話を引き継いだ。
「王家への反逆は斬首。一族連座。マリットやマリーも巻き込むのだぞ? あの『漆黒』に何を吹き込まれたかは知らないが、今ならまだ間に合う。間に合わせる」
「変竜の書は騎士団が『漆黒』の拠点を襲撃した際に押収した、という形にして返却すればいい。俺は総団長なのだからそのくらいはしてやれる」
変竜の書の強奪。『漆黒』との接触。二人はすべて分かっているのだろう。
だが。
だが。
根本的に分かっていない。
こいつらは何も分かっていない。
だからこそ私は喉を揺らした。
「貴様らに何が分かる」
「キラース!」
ゲルリッツ侯が拳を握りしめながら立ち上がった。
殴られる。
思わず身構えた私だが、ゲルリッツ侯がそれ以上近づいてくることはなかった。彼が行動に移す前に応接間の扉が開かれたからだ。
「――ごきげんよう、皆様」
奇妙なほどに清浄な声。決して大きいわけではないが、それでも無視できない“何か”があった。
室内にいた私たちはほぼ同時に扉の方へと視線を向けた。
入り口にいたのは、屋内にあってもなお光り輝く白銀の髪をした少女。
この国に銀髪の子供など1人しかいない。
リリア・レナード子爵家令嬢。
王太子妃筆頭候補と目される存在。
ドラゴンすら瞬殺してしまう武力。
神授の薬であるポーションを再びこの世界にもたらした聖女。
そして、マリーの『変竜の呪い』を解いてくれた子。
マリーがお姉様と呼び慕っている子。
「失礼いたします」
スカートの裾を少し持ち上げてからレナード嬢が近づいてきた。
淑女の見本のような歩み。
しかし、ガルド殿に鍛えられたことのある私には恐怖しか感じられなかった。どこの世界に体幹を微塵も揺らさずに歩ける9歳児がいるというのか。
そして確かに感じる殺気。
殴られる?
いや、殺される?
本能が『逃げろ』と警告を発し、しかし身体は恐怖で指一本すら動かすことができなかった。
私が絶句しながら近づいてくるレナード嬢を見つめていると、
「お、お姉様! さすがにマズいですわ!」
マリーが部屋に駆け込んできて、レナード嬢に手を伸ばした。
そして、
「へぁ!?」
扉の沓摺り(下枠)に足を取られたマリーが、転んだ。前のめりに。レナード嬢へと手を伸ばしたまま。
マリーの伸ばされた手が、レナード嬢の後頭部にわずかに触れた。
まるで運命のように。
マリーの手によって。
レナード嬢の左目の眼帯。それを支えるヒモが解けた。
光り輝く瞳が露わになる。
神話に語られる伝説の金。
主神スクナ様と同じ色。
すべてを見通し、未来すら読み解いたと伝わる――世界最高の鑑定眼だ。
「………………あら」
レナード嬢は金瞳で私をじっと見つめたあと、王族もかくやというほど見事な所作で頭を下げた。
「まずは謝罪いたしますわ。申し訳ございません」
「は? え?」
突然頭を下げられても混乱してしまう。
「ヒュンスター侯はご存じなかったのですね」
「な、なにを……?」
「私、考えすぎていたようです。竜人としての力の制御方法。そのような重要なことは書物に残して代々受け継いできたはずだと。口伝では何かの拍子に受け継がれなくなる可能性がありますし、だんだんと伝えていく内容が変わっていってしまいますもの」
竜人という単語にガングード公とゲルリッツ侯がざわめいた。竜人。そんなものは神話に出てくる幻の存在であるし、当然、マリアやマリーがドラゴンに変身できることをこの二人は知らない。
そんな二人のことを気にも留めずにレナード嬢は言葉を続ける。
「力の制御方法を記した本がないのは誰かが隠したから。隠せるのはヒュンスター侯しかいない。と、短絡的に考えてしまいました。でもあなたは知らないだけだった。知らないから教えられないだけだった。よく考えてみればそうですわよね。ヒュンスター家についての正確な知識があれば、マリット様ではなくマリーを後継ぎに指名するはずなのですから」
「ど、どういうこと――」
「ドラゴンに変身できるヒュンスター家の“血”は女性にのみ発現します。ゆえにこそ、竜人である女性を他家に嫁がせるわけにはいきません。“竜人”の血がヒュンスター家以外に広まってしまいますし、下手をすれば迫害の対象になってしまいますから」
「そんなこと……」
「婿入りしたあなたは知らなかった。知らないからこそマリット様を後継者にして、マリーが他家に嫁げる状況を作り出してしまった。そして、元々の知識がないからマリーの『変竜の呪い』をどうすることもできなかった。――ですから、申し訳ございません。私はあなたが諸悪の根源であると勘違いしていました」
謝罪を口にしながらも。
彼女は神にも等しき金の瞳を半月にゆがめた。
笑っている、と表現するにはその表情は恐ろしすぎた。
「8年前の真相をマリーに教えなかったのは、恐れたから。マリーの兄であるマリット様がそうなったように、マリーも王家への復讐に心を囚われるような事態を避けたかったから」
「…………」
8年前。私の妻は黒いドラゴンとの戦いで瀕死の重傷を負ったところを当時の騎士団長に殺された。あの男のことは今でも恨んでいる。
しかし、ヤツはもう死んでしまったし、どうすることもできない。私にできることはマリーに嘘を教え、マリーの恨みが(マリットのように)王家に向くことを避けることだった。
……自分が『変竜の呪い』を受けたのだとマリーが勘違いしてしまったことは想定外だったが。
「自分がドラゴンに変身してしまうのはヒュンスター家がドラゴンを討伐したせい。討伐したドラゴンに呪われたせい。竜の聖女の昔話を読んだマリーはそう勘違いしてしまった」
「…………」
「もちろんあなたは否定した。したけれど無駄だった。あなたは肝心の制御方法を――変竜の呪いの解き方を知らなかったから。マリーからしてみれば親からの優しい嘘にしか聞こえなかったのでしょう」
まるで見てきたかのようにレナード嬢は語る。
いいや、実際にその瞳で“視た”のだろう。
すべてを見通す金瞳で。
私の失敗を。
娘一人救えなかった駄目な男の愚行の数々を。
「愚行などと自分を責める必要はありませんわ。あなたは娘を救うためにできることをしたのですから。……マリーが私と接触できるよう、街に繰り出せるよう取りはからったのもその一つ。普通の貴族令嬢が庶民の多くいる街に出かけることなんてできないのですから」
「…………、……慰めは止めてください。結果を残せなかった身としては惨めなだけですから。結局マリーを救ってくださったのはレナード嬢であり、マリットの復讐を諦めさせることはできていないのですから」
あるいは。
私も心のどこかで王家を恨んでいるのだろう。
やろうと思えばマリットを軟禁してでも止めることはできるはずなのだから。
それをしないのは私自身も王家への復讐を望んで――
「ふふ、“竜使い”であるマリット様を軟禁するのは現実的ではありませんわね。さすがにドラゴンは無理でしょうが、ワイバーンくらいなら操れるでしょうし。……それに、愛する女性との子供に酷いことなどできるはずがありません。あなたは復讐を望んでいるのではなく、期待しているだけ。もう少し大人になれば、もう少し時間が経てばマリット様も王家への恨みを薄めてくれるに違いないと」
くすくすとレナード嬢が笑う。意固地になった子供に向けるように。
「変竜の書を強奪したのはマリット様の独断ですのね?」
レナード嬢の発言にゲルリッツ侯が絶句した。変竜の書強奪事件は国家の重大機密であり、9歳の子爵家令嬢が知っていていい情報ではないからだ。
ガングード公はさほど驚いていなかったので、自慢の情報網によって『知っていることを知っていた』のかもしれないが。
二人の様子を横目で確認してから私はレナード嬢に頷いてみせた。
「……そうです。王城で私の仕事の手伝いをしているときに変竜の書の輸送計画に目を通したらしく。マリーは、兄が『変竜の呪い』を解くために強奪したと勘違いしたらしいですが……」
「実際は復讐のためだったと。マリット様は、竜人である母の血を引いている自分なら何かの“きっかけ”があれば竜に変身できるはずだと考えたのですね。“竜使い”としての力でワイバーンを操れたとしても王城を破壊し王族を害することは難しい。でも、ドラゴンならばと」
変竜の書を使えば自分もドラゴンになれるはずだと。ドラゴンになれば自分の手で王城を落とすことも可能だと。そう考えたマリットは変竜の書を奪い、そして――ドラゴンに変身することはできなかった。「どうして……どうしてだ?」と頭を抱えていた。
「あなたは期待していた。師匠――初代勇者であるユーナ・アベイルであればドラゴンへの変身を制御する方法を知っているに違いないと。マリーの『呪い』は解けるはずだと。しかしマリット様は別の期待を抱いていた。変身を制御する方法を知れば、逆に、自分もドラゴンになれる方法のヒントになるのではないかと」
「…………」
レナード嬢の前で隠し事は無用。金の瞳の前ではどんな嘘も暴かれる。もはや私には何も言うことはなかった。
「――違うでしょう?」
金の瞳が一瞬輝いた。
胸の鼓動が乱れる。
「――私なら、力になれますよ?」
救いをもたらす聖女のように。人心を惑わす悪魔のように。彼女は奇妙なほど純粋無垢な微笑みを浮かべながら、言った。
すべてを視たのだろう。
私の“真の目的”も視たはずだ。
けれども、それはしょせん彼女には関係のないこと。私やマリットの悪事を暴くのは王国に仕える貴族であれば当たり前だ。
しかし、私に協力したとして彼女に利点はない。私は今でこそヒュンスター家の当主であるが、しょせんは入り婿。マリットが成人するまでの繋ぎでしかないし、後継者であるマリットが『変竜の書』強奪に関わった以上ヒュンスター家がどうなるか分からない。そんな私に協力しても百害あって一理なし――
「ゴチャゴチャとうるさい」
レナード嬢がきっぱりと私の葛藤を切り捨てた。貴族令嬢らしからぬ乱暴な口調で。
あぁ、これが彼女の“素”なのだろう。
「私は気に入らない。そんな結末は受け入れない。だから協力しましょう。そんな運命は破壊して。そんな悲劇は塗り替えましょう。えぇ、えぇ、きっと御二方も喜んで協力してくださるでしょう。大事な友人のためですから」
そう言って彼女が見たのはガングード公とゲルリッツ侯。さしもの二人も状況が理解できないのか目を白黒させている。
その口調に。
その態度に。
私は、今は亡き“彼女”の姿を見た。そういえば彼女も生前はああして二人を振り回していたなぁと。
「……ははっ」
思わず笑みがこぼれる。
何とかなるんじゃないかと希望を持てた。確信を抱くことができた。
だから私は頭を下げる。
9歳の少女に。
30をとうに過ぎた男が。
子爵家の娘に。
侯爵家の当主が。
必要であったから。
なにより、私がそうしたかったから。
「リリア・レナード嬢。……お願いします。私たちを助けてください」
深くお辞儀した私を前にして、レナード嬢は――
「――現役の侯爵に頭を下げさせるとか……どうしてこうなった?」
そんな、なんとも頼りないことをつぶやいた。
勘違いしたり失敗したりもするさ、にんげん(9歳児)だもの。
もちろん、変竜の書強奪事件のことをリリアに話したのは姉御と姉弟子です。
次回、2月6日更新予定です。




