第12話 ヒュンスター侯
――夢を見た。
竜化の呪いを受けた少女。本来であれば王家に恨みを抱き、王太子であるリュース・ヴィ・ヴィートリアを亡き者にしてしまうマリー・ヒュンスターの物語。
おそらくは原作ゲームにおける一場面。
だけれども、妙にリアリティがあった。
まるで本当にあったことみたいに。
マリーは、恨んでなんていないはずなのに……。
マリーに会わなければいけない。
夢のせいか。あるいはマリーの父・ヒュンスター侯の不穏な発言のせいか。私は、そう思わずにはいられなかった。
◇
今日はリュースがどこかに出かけるらしい。噂では宰相から遠出を反対されたのに押し通したほどの重要な用事があるとかないとか。
リュースを守ると誓って以降の私は、リュースが王都から離れる際はなるべく同行するようにしている。
ただまぁ毎回必ず同行しているわけではないし、護衛に近衛騎士団から精鋭が派遣されるわけだし、なによりリュースに渡した指輪型の魔導具は暗殺者をダース単位で相手にしても傷一つ付けさせない代物なので問題はない。
あの指輪は細々とアップグレードを重ねているので、なんだったら(ナユハのメイド服みたいに)ドラゴン・ブレスすら弾き返してくれますよ?
あと、お爺さまたちが魔物退治の応援としてガングード公爵領(最近魔物の動きが活発化している場所)に向かってしまったので、なるべく私は王都にいてくれるよう頼まれているし。なんでもワイバーンやらドラゴンやらが王都にやって来る可能性があるそうだ。
ごくごく自然に9歳児(もうすぐ10歳)をドラゴン退治の秘密兵器扱いしないで欲しいのだけれどね。どうしてこうなった?
まぁとにかく、私は今回リュースに同行しないので、ナユハたちを伴ってヒュンスター家でお茶会をすることにした。マリーに会わなきゃいけない気がしたし、ヒュンスター家の図書室で調べ物をしたいと思っていたので丁度いいだろう。
◇
「――お姉様! お久しゅうございます!」
ヒュンスター家に到着し、私、ナユハ、愛理、ウィルドが馬車から降りるとマリーが出迎えてくれた。ちなみにマリーは数日前レナード家に押しかけてきたばかりなので全然「お久しぶり」ではない。
勢いよく私に抱きついてきたマリーは容赦なく私に頬ずりしてきた。夜会に出席するレベルの高価な衣装。気合いが入りすぎである。
そのスカートの裾からはドラゴンの尻尾が顔を出しブンブンと振られている。
普通は人間からドラゴンの尻尾が生えていれば驚くはずなのだけど、マリー付きのメイドさんに驚いた様子はない。良くも悪くも慣れてしまったのだろう。
いやこの短期間に慣れるとか、マリーは四六時中尻尾を出しているのではなかろうか?
「ま、マリー。あまり人前で尻尾を出しちゃいけないよ?」
マリーが『竜人』であることは一応秘密なのだ。竜人の力を手に入れようと事件に巻き込まれるかもしれないし、実験目的で誘拐されかねないし、下手をすれば『貴族の義務』として王国から召集され戦場送りというのもあり得るのだ。ドラゴンが一匹いれば大抵の戦場は何とかなるだろうし。
まぁドラゴンに変身できるマリーをどうやって誘拐するんだって疑問はあるけれど、私を誘拐しようとするバカも結構多いからね。マリーだけはありえないと考えるのは早計だろう。
「ご安心くださいお姉様! これでもわたくしは貴族の娘! 尻尾を出すのは家族の前だけですわ! つまり尻尾を見せているお姉様はもはや家族! わたくしとお姉様は赤の他人では踏み込めないほど深い絆で結ばれているのですわ!」
なんかもう擦り切れるんじゃないかって勢いで頬ずりしてくるマリーだった。正直痛い。発火しそう。
「…………」
見かねたナユハが私とマリーを引きはがしてくれた。うん、それは嬉しいのだけどねナユハさん、引きはがすときに超握力の右手で私の頭を掴むのは止めてくれませんか? 頭蓋骨から『ミシッ』って音がしましたよ? マリーの頬ずりよりダメージ大きかったですよ?
『提案。自動回復のスキルですぐに回復するのだからその程度で文句を言うのは止めるべき。むしろ一度くらい割れた方がいい』
なんだか少し不機嫌そうなウィルドだった。
『ふふ、嫉妬。嫉妬だねナユハちゃんとウィルドちゃん』
なんだか少し嬉しそうな愛理だった。この恋愛脳め。
あと神様(?)なウィルドを『ちゃん付け』している愛理の神経はかなり図太いと思う。
『呼び捨てにしているリリアちゃんにだけは言われたくはないかな~』
「むっ。いやでもウィルドだしなぁ。色々と残念だしなぁ。他の神様ならとにかく、今さら様付けするのも何だし……」
『抗議。いわゆる“神”の中でも私はかなりマシな方だと自負する。少なくとも残念度合いではユルの足元にも及ばない』
ユルって、最高神ユルのことだろうか?
最高神ユルが残念とか、大丈夫だろうかこの世界?
私が世界の心配をしているうちに話は進み。ナユハたちはヒュンスター家のメイドさんたちとお茶会の準備をしてくれることになった。実情はともかくナユハたちは私のメイドという扱いだからね。よそ様のお家では普通のメイドさんとして行動してもらってるのだ。
準備が終わるまで地下の図書室で調べ物をすることにする。
地下への階段を目指しながら私はふと思い出したことがあったのでマリーに質問した。
「あれ以降『漆黒』の男から接触はあった?」
なんでもマリーはガイさんから8年前の真実を聞いた直後、怪しげな男に色々と吹き込まれたらしいのだ。
いわく、ヒュンスター領を黒いドラゴンが襲ったのは王家が恨みを買ったから。
いわく、マリーの母親を殺したのは先代騎士団長。
そして、そんな騎士団長を派遣したのは王家なのだから、王家を恨み、復讐しましょうと。
マリーから報告を受けた私は姉御と姉弟子に相談して。結果、『漆黒』という元魔導師団長の男が暗躍していることを知ったのだ。
何が目的かは(左目で視たことがないので)知らないし、もしかしたら王家を恨むに足る理由があるのかもしれないけれど……マリーを利用しようとして、リュースに危害を加えようとしているのなら私の“敵”だよね。
「いいえ、ありませんわ。あの男にはそれなりに無礼を働かれましたので、今度会ったら尻尾で叩き潰して差し上げたいのですけれど」
「……あ~、うん、そりゃあもう出てこないよね。『漆黒』って危機察知能力が優れているらしいし」
いくら優れた召喚術士でも、ドラゴンを召喚するよりマリーの尻尾に叩き潰される方が早いだろう。
ちなみに私は召喚術が苦手だったりする。いや召喚自体はできるのだけど、なぜか召喚した獣に怖がられてしまうのだ。解せぬ。
「お姉様、理由は明白と言いますか、ドラゴンすら瞬殺してしまうお姉様は本能的に怖がられても仕方ないのでは?」
マリーから真顔で指摘されてしまった。あのマリーから。真顔で。どうしてこうなった?
辛い現実から目を逸らすために窓の外を見ると、駐車場の様子が目に入った。私たちが乗ってきたレナード家の馬車の他に、3台。1台はヒュンスター家の馬車で、他の2台は別の来客のものだろう。
何となく車体横の紋章を確認すると――ガングード公爵家と、ゲルリッツ侯爵家のもの。
うん、現役宰相と、現役騎士団長の家だね。文と武の頂点。我が国でも屈指の権力者。原作ゲーム的に言えば攻略対象(宰相の息子と騎士団長の息子)の実家となる。
地位的にも、ヒロイン的にも、あまり関わりたくない2家だ。
「本日はガングード公とゲルリッツ侯がいらしてますわ。お父様と大切なお話があるとかで」
「ふ~ん」
なるべく興味なさそうな声を出したはずなのだけど、マリーは構わず話を続けてしまう。
「きっと、御二方はお父様を止めようとなさっているのですわ。古くからの知り合いだそうですし」
地下への階段を降りながらマリーが少し寂しそうな顔をする。
「止めようと、とは?」
階段を降りきり、マリーが地下室の扉を開ける。
マリーと私が中に入ると重厚な音を立てながら扉は閉められた。
魔鉱石でできた壁と、扉。魔鉱石は魔力を通さないので遠聞の魔法は使えないし、ここでの会話が誰かに聞かれる心配はない。いや私はこの前普通に転移魔法を使っちゃったけど、普通の人は魔法を使った盗み聞きとかはできない。だからこそマリーも話そうとしているのだろう。
「8年前の真実を知って確信できましたわ。――お父様は、きっと、王家に復讐しようと考えています」
「…………」
さほど驚かなかった私。
この左目は特別だから、望む望まぬに関わらず色々な裏事情が視えてしまう。当然のように私は8年前のことを知っているし、マリーのお母様が王国の(前)騎士団長にとどめを刺されたことも知っている。
愛する妻を。命を賭けて領民と子供を守ろうとした人を。前任の騎士団長は自分の栄誉のために殺してしまった。
怒りを抱くのは当然だ。
王家を恨んでしまっても仕方がない。
ガイさんから話を聞いて。マリーは8年前の真実を知った。
そして今までの父親の行動を鑑みて、そういう目的で動いていると察したと。
きっとこれまでもおかしな行動はあったのだろう。マリーの『変竜の呪い』の解除方法を探すだけなら行う必要のない言動があったのだろう。
(王家への復讐、ね……)
原作ゲームにおいては王家への復讐のためにドラゴンへと変身し、王都を襲撃したマリー。そして、そんな彼女を止めるために自らを犠牲にした王太子リュース。
確認しなければいけないだろう。
「……マリーはお母様の死因となった騎士団を恨んでいるかな? 騎士団を派遣した王家を恨んでいるかな?」
ちょっとストレートすぎる質問かなと思ったけれど、マリーは少しだけ悩んでから答えてくれた。
「恨んでなどいませんわ。唯一恨むべき存在といえる先代騎士団長も亡くなられていますし。ヒュンスター領を救うために戦ってくださった騎士団や、騎士団を派遣してくださった王家を恨むなどお門違いですわ。……いえ、もしかしたら恨みに支配されるような『道』もあったかもしれませんけれど」
その道は確かに存在した。ウィルドに言わせればそういう運命があったのだろう。
「わたくしは恨んでいません。でも、お父様とお兄様はたぶん恨んでいますわ」
「…………」
愛する妻を失ったヒュンスター侯。
愛する母を失ったマリット・ヒュンスター。
2人は同じく8年前に心を囚われているのだろう。
小さく唸りながら目的の資料を探す私。
探していたのはドラゴンへの変身を制御する方法。
そして、制御の首輪の製作方法。
ヒュンスター家の女はドラゴンに変身する“血”を持っている。それは成長すれば制御できるようになるものだとしても、少し前までのマリーのように子供の頃はうまくできるとは限らない。というか、できないからこそ『制御の首輪』という魔導具が作製させてきたのだろう。
代々語り継いできたとはいえ、そういう重要なことは書物にも残しておくはず。口伝では何かの拍子に受け継がれなくなる可能性があるし、だんだんと伝えていく内容が変わっていってしまうからだ。伝言ゲームの最初と最後がまるで別の中身になってしまうように。
でも。
ヒュンスター家の書庫にはそれに関する本はなかった。
「…………」
あるはずのないものが、ない。
ならば、どこかに隠されているのだろう。
なぜ隠したのだろう?
マリーは苦しんでいるのに。
ドラゴンに変身してしまう自分を疎み。『変竜の呪い』を嫌い、自ら死を望むほど悩んでいたのに。
……決まっている。
マリーが恨みを抱くよう誘導するためだ。
変竜の呪いはドラゴンを討伐したせいで降りかかった。
ヒュンスター領をドラゴンが襲撃したのは、元々は王家が恨みを買ったせい。と、『漆黒』は広めている。
つまり、ドラゴンがヒュンスター領を襲ったのも、そんなドラゴンを迎撃したマリーのお母様が亡くなられたのも、元を辿れば王家の責任。と、そういう風に吹き込むつもりだったのだろう。
マリーがもっと精神的に追い詰められ、限界に達し、もうどうしようもなくなったときに『真実』を吹き込み絶望を王家の恨みへと変換させるために。
きっとそうして原作ゲームのマリーは国家を恨み、王家を恨み、王太子であるリュース・ヴィ・ヴィートリアを殺めるに至ったのだろう。
……よく考えればおかしな話。
8年前にヒュンスター領に現れたドラゴンを討伐したのはガイさん。なのにマリーは自分に変竜の呪いが降りかかったと信じていた。ヒュンスター家がドラゴンを討伐し、だからこそヒュンスター家の娘である自分が呪われたのだと認識していた。本当に変竜の呪いがあるのなら、ドラゴンを殺したガイさんこそが呪いを受けるべきなのに。
生まれたばかりのマリーが8年前のことを覚えているはずがない。
ならば、誰かが教えたのだ。
誤った知識を。
勘違いするように。
マリーが竜に変身するのは血筋のせいではなく、変竜の呪いであるのだと。故意に。間違えるように。恨みを抱くように。そういう風に誘導した人間がいるのだ。
そして。そんな誘導をできるのは一人しかいない。
図書室の本を隠して。マリーに『成長すればいずれ竜への変身は制御できるようになる。キミの母親がそうだったのだから』と教えなかった人物。
8年前。多くのヒュンスター家使用人が戦死した以降でも。その知識を有していて、なおかつ教えないという選択ができる人物は一人しかいない。
ヒュンスター侯爵。
マリーの、実の父親だ。
ちなみにリリアはヒュンスター侯を“左目”で視たことはありません。
ガイさんは視たことがありますので、その経緯で8年前の事情は知っていました。(蒼いドラゴン=マリーの母親だとは最近まで知らなかったですが)
璃々愛
「もしや、リリアちゃんは名探偵になれるのでは? 次回からは新番組『名探偵リリアちゃんの事件簿♪』はじまります!」
オーちゃん
「はじまらんから。無理だから」
次回、2月1日更新予定です。




