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 さて、これでようやく「地下室の手記」に言及する事ができそうだ。「地下室の手記」こそはドストエフスキーの物語のその始まりに当たる。ここで作家ドストエフスキーは始めて、自分自身を発見した。自分が生涯、主題とするテーマを彼は、四十年近くかけてようやく知るに至った。そして後期五部作ーー人類史に燦然と残るーーは全て、この中編小説の爆発を起点としている。


 「地下室の手記」は知っての通り、一人の孤独な小役人の中年男がただ延々と毒づく描写で半分は占められている。もちろん、こういう作品の構成は意図されたものではないし、作品の骨格としては全く破綻している。しかし、ドストエフスキーは作品の構成の破綻など全く恐れずに進んでいった。ドストエフスキーの作品、あるいはトルストイの作品などは、一見すると、それが古典であり名作であるから、一行一句揺るがせにできないように感じるが、そんな事は全くない。むしろ、それは逆であって、彼らの作品ほど波間に浮かぶ船のように右に左に揺らいでいる文章はない。特に、ドストエフスキーはそうである。彼がもう一度、カラマーゾフを書いたなら、それは全然違う内容になっただろう。しかし、ドストエフスキーやトルストイにとって何より大切だったのは、彼らの重厚な思想であった。彼らは思想を表現する為に小説という形式を利用したのであり、その他の方法で彼らが満たされていたのなら、おそらく彼らは小説を書かなかったに違いない。ドストエフスキーに「作家の日記」という長大な時事エッセイがあるが、これによって満たされていたなら、ドストエフスキーは小説を書かなくても済んだに違いない。しかし、数学において、式、過程が、結論や答えと並んで極めて重要なものとして存在するように、ある思想はその結論だけでは足りない何かなのだ。だから、そこには物語の発生の余地がある。だからこそ、彼らは小説という形式を利用して、自らの思想を語った。あるいは、彼らの長い小説そのものこそが、彼らの「思想以上の思想」であったと言った方が適確だろうか。


 「地下室の手記」は作品として全く破綻している。しかし、これは存在しなければならなかったものである。この孤独な小役人ーー主人公の男のくだらない毒舌がなければ、ドストエフスキーはその後の一歩を踏み出させなかったのである。おそらく、大半の読者には退屈で無意味な饒舌だろうが、しかし、作家というのはこのように、他人からは無意味と見えても、本人には意味ある一歩を隠し持っていたりするのだ。


 「地下室の手記」の前半部から引用しようと思ったが、どこも「くだらぬ」饒舌ばかりでとりつくしまがない。しかし、この小役人の言っている事、あるいは言おうとしている事は一貫している。それは一貫して、人々の言葉を先取りして(バフチンの言うように)、それに対して抵抗し、迎撃しようとしている。そして、それはまたバフチンの言う通りに、他人から自分を定式化されている事を誇大に恐れた結果なのであり、そしてその結果、「真理」という、世界の物象化の最たるものたいする徹底した攻撃となっている。

 この四十がらみの小役人は、世界を一つの真理と化してしまう水晶宮に対して徹底的に反抗している。そしてそれが当時、興隆していたであろう社会主義の風潮、その源泉に抵抗し、反撃している事は確かだ。ここに社会的な意味、あるいはドストエフスキー自身の人生の物語、シェストフが指摘するようなドストエフスキーの「転向」を見る事が可能だ。


 ドストエフスキーがこの作品でそれまでの、甘ったるいロマン主義、西欧史上主義を放り出した事は明白だ。今日でも、我が国では、知識人と言えば、未だに左翼的な雰囲気を身につけている印象がある。その事とドストエフスキーにいかなる関係があるのか? もともと、ドストエフスキーは知識人であり、貴族であり、人間に対する信頼、理性、そして西欧からやってきたある種の信念、哲学を信奉していた。そしてそこには師としてのベリンスキーがいたのだろう。しかし、時は代わり、ドストエフスキーはペトラシェフスキーサークルの一件で死刑になり、危うく死ぬ目にあった。死刑は結局免れたものの、彼はシベリアに送られ、そして、そこでロシアの民衆と直に接する。そしてその事がドストエフスキーに「転向」を迫る事になる。

 こういう事はもう解読済みだろうが、先を続ける。元々、インテリゲンチャ達が、大衆を救おうという社会主義に傾いたのは、いわば彼らの良心の発露からであった。しかし、知識人やインテリが社会主義を信奉し、そして大衆なるものを救おうとする時、そこにはすでに、大衆と知識人との間には絶対に越えられない溝があると想定されている。大衆を賛美するにせよ、こきおろすにせよ、結局そこには、大衆とインテリ、貴族と下賎な人間という重大で明確な差異があった。差があるからこそ、一方は一方を救う事ができる。そこでは、救うものと救われるものという確定した、明瞭な線が引かれている。そして、この線(知識人ーー大衆に限らず)こそが、人間個別のアイデンティティを形成するのに役立つ。誰しも、自分が何十億と存在する人間の中の、何の独自性もなく、何の見識も能力もない平凡な人間であり、そこに溶けている一つの分子であると認識するのに耐えられない。誰しもが、自分と他者との間に、線を引こうとする。精神病者から総理大臣まで、誰しもが様々な物事や因果を動員して、自分と他者との間に線を引く。しかし、それによって、自分は自分として存在する事がなんとか可能なのだ。


 余談だが、現在の日本ではその線があやふやになっている。インテリ的な立場であった、朝日新聞やフジテレビのような存在が最近では、視聴者から猛反発を食らっているが、これは、受け取る側と与える側との分水嶺が、時代の変化によって崩れてきた証拠である。我々の社会も当時のロシア社会と同じように、様々な線の消去と同時に新たな線の発生により、一つの混沌的世界に入りこもうとしているのだ。


 ベリンスキー的な世界においては、それらの世界の線引きははっきりしていた事だろう。大衆と知識人、あるいは民衆と貴族と言うような。人々は憐れむべき存在であり、彼らの為に涙を流す事さえも、インテリ達の一つの義務かもしれない。苦しむ大衆に対して、涙を流す知識人。そこには正確で美しい関係が結ばれているように見える。救うものと救われるもの。しかし、ベリンスキーはそのまま死に、ドストエフスキーは牢獄に入った。そして、ドストエフスキーは変化するに至った。ドストエフスキーは師から離れなければならない運命にあった。


 小林秀雄は「ドストエフスキイの生活」において、(ドストエフスキーは牢獄生活という経験から様々なものを学んだ)という風に簡潔にまとめているが、この辺りには小林秀雄の「思想音痴」的な面が見えている。実際、ドストエフスキーはここで何かを学んだのではない。ここで、ドストエフスキーは自らの、知識人ーー大衆との間の引かれていた線を消去される事を余儀なくされたのであった。これは、ジョージ・オーウェルなどともおそらく似たような経験だろうが、彼らは単に大衆を理想化したり、賛美したりしたのではない。むしろ、彼らは自分が単に「大衆の一人である事」を悟ったのである。自分は救う側の人間だと思っていたが、どうやら救われる側だったらしい。こういうものが自嘲や諦念、絶えざる憤懣という形から、キリスト教的理想に結晶するまでにはしかし、随分と長い時間がかかった。


 「地下室の手記」の前半部を占める、あの絶えざる愚痴は何だろうか。これこそは、ドストエフスキーが長年、自分の魂の奥底で養い育ててきた言葉の数々、無限の駄弁であり、そしてこの言葉達はこれまで、理性によってずっと閉ざされていたのだった。大衆を罵るにしろ、大衆を救うにしろ、そこには知識人と大衆との、明確な差異がある。そしてそれは絶対に越境できない何かである。そしてそう考える事こそが、人間のアイデンティティの造成を助けている。シェストフ的な言い方で言うなら、カントが「物自体」の領域に追い払っていたあらゆる世界の闇がここで再び、光と合一したという事になる。…自分はどうやら、救う側ではなく、救われる側らしい。だとしたら、救われるなど、まっぴらだ。水晶宮など叩き壊してしまえ! これが、「地下室の手記」の様々な雑言の意味だ。


 ここに実存主義の発露があるのだが、しかし、例えばフッサールやサルトルやハイデガーなどは、実存主義の名に値しないであろう。実存主義とは本来、ニーチェ、キルケゴール、そしてドストエフスキーに与えられる称号であり、フッサールら三人はそれを対象化し、そしてまた、新たに生まれた闇を形象化し、そして彼らが取り扱いやすい形に変えているに過ぎないのだ。(無論、それは時代の変化により必要な事だったが) 実存主義という名が何であるかという定義はさしあたりどうでもいいとしても、しかし、近代に確定したかに思える絶対真理に抵抗する、しかも、集団ではなく個人として孤独に抵抗する事、これこそが本当の意味での実存主義に値する。それに比べれば、ハイデガーからサルトルまで、そしてフーコーがサルトルに反逆したにせよ、結局、彼らは「大学の先生」にすぎない。彼らがどれほどカント的なものに抵抗したり、排撃したりしても、それは結局は、懐疑主義、あるいはニヒリズムを自分達の理性によって鎮めたという、そういう姿勢を相変わらず保持しているのだ。彼らは、往路の真ん中で地面にくちづけする、世界よりもずっと孤独なラスコーリニコフとはほど遠い存在だ。彼らがラスコーリニコフに言及するとしても、彼らはそれを自分達とは違う「他人」として扱う。しかし、元々、「地下室の手記」からスタートしたドストエフスキーの思想というのは、他人などというものがこの世に一人も存在しないという、そういう哲学に貫かれているのだ。ドストエフスキーにおいて、あるいはシェイクスピアにおいて、理解できない「他人」などというものはこの世に一人としていない。いや、それどころか、彼らは化け物や妖精や悪魔や、精神異常者が見る幻覚ですら、自分達の中の一人の実在する存在として認可し、そしてそれを理解しようとする。だから、彼らの思想は「これこれだ」と言う事ができるものではない。彼らの思想とは結局、世界と同化する事。あるいは世界そのものをこの手に収め、「我はこれなり」と言う、そういうものなのだ。究極的には。


 「地下室の手記」の言葉は、ドストエフスキーの世界に対する絶えざる反抗である。そしてそれは過去の自分自身への決別である。確定した真理、わかったような顔、理性による世界改変ーーーしかし、大衆なるもの、人間なるものは今生きて運動し、そして何事かを語り、行動しようとする。牢獄の外側で、罪人を理解する事はできる。それはおそらく、各種学問によって「ほとんど」あます所なく理解できる。一流の人物も皆、様々な事をそうやって対象的に理解している。しかし、実際、牢屋に入ってその人々を見るとーーーそこには、書物で、あるいは人の言葉で見聞きしていた真実とはほんのすこしだけ違う、「本物の真実」が現れる事がわかる。それは何か?ーーーそれこそが実存であり、あるいは実存という定義ですら言い表す事ができない、生命の流れる力である。つまる所、彼らは罪人でありながら、自分達と同じ「人間」であるのだ。彼らはどれほどの愚か者、クズ、あるいはその中には立派な人物もいるだろうーーその彼らというのは、驚く事に、自分と変わらない一人の人間なのである。ドストエフスキーは牢屋の中に入っていた時に、「自分はこいつらとは違う。自分は貴族だ」という観念に取り憑かれていたらしい。それはドストエフスキーが我が身を守る為に、必要な観念の衣装だった。そして、貴族は大衆を憐れむ事ができる。しかしながら、もし貴族も大衆も同じ一人の人間だとしたら、このアイデンティティは崩壊してしまう。自分は貴族なのか?ーーノー。自分は大衆なのか?ーーこれもノー。大衆の方は大衆で「旦那衆」とは違うというアイデンティティを持っているからだ。だとしたら、この人物はなにか? 全てのアイデンティティを喪失したこの人物は何か? つまるところ、ドストエフスキーの物語というのは、この喪失したアイデンティティを取り戻しに行く話である。そこでは余ったるいロマン主義はもう必要ない。甘い物語では救われぬ。そして、自らを救う為には、救われる物語など書いている場合ではない。まず、自分を主張する事。自分とは何か。この全てを失われた自分とは何か? この問いに答えなければならない。そして、それこそが「地下室の手記」のあの憤懣、愚痴、世界への反抗のその意味なのだ。


 しかし、「地下室の手記」は後半においては、前半とは異なった転回をする。この事についても是非、徹底的に書いて置かねばならない。

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