肆ノ幕 雨天防衛線3 起死回生の直滑降
ドムッと。
くぐもった音が響き、梓の目の前の簡易ダムが決壊し始めた。
「(進路上の妖気を活性化、荒れ踊る水と土の精霊を導き、統制せよ)」
梓の目が現実には見えないものを見透かすように細められる。
見えるモノには見えただろう。崖を下りだした土石流の両側に妖気でできた岸壁がそそり立つ。
どおおおおという地響きと共に下っていく土石流に振り仰いだ人間が何人居たか。
そして、逃げだそうとした人間が。
無謀にも自然の驚異に立ち向かおうとした人間が。
全ての人間があっという間に土石流に飲み込まれる。
あっけなく。
無慈悲に。
そのまま炬香たちを追いかけようとした人間も居たが、そんな人間たちを尻目に炬香はふわりと浮かび上がって、垂直に近い崖を上っていく。
その炬香の瞳が信じられないものを捉えた。
流れ落ちていく石のひとつ。その上に白いモノが乗っている。
「梓っ?」
「……っ!」
炬香の声に反応して顔を上げた美烑の瞳にもその姿が映る。梓が石の上に乗って土石流の流れを下ってきているのが。
『梓?何して、って美烑様!?』
問いただそうとした炬香の背中が突如軽くなる。
美烑が居ない。
慌てて炬香が探すと美烑は落ちていた。土石流の流れに沿って下に。
炬香は焦って手を伸ばすが、届かない。
『お兄……ちゃん』
直後土石流を滑空してきた梓に、美烑がしがみつく。炬香も梓を追おうとしたが、双方の間を再び流れてきた大量の土砂が遮ってしまった。
「美烑!?何してんだっ?炬香と一緒に神社に向かったんじゃ……」
「お兄ちゃん……こそ、上で、待ってる……って……」
「……、お前が刺された時点で俺達にできる攻撃はこの土石流が最後だ。つまりこの攻撃で人間を全滅させられなければ、ほどなく反撃されてこっちが全滅する。全ての人間を飲み込むためには実際に目で見て修正していかなければならない。
だから俺もここに居るんだ」
「でも……このまま、落ちたら……」
「俺はこの土石流を操るためにここに居るんだぞ?着地のことぐらい考えてある」
梓は再び目を細めて前を見る。そして手を前へ真っ直ぐに伸ばし、跳ね上げる。
すると土石流の一部が跳ね上がって、辛うじて進路から逃れて安堵している人間を飲み込んだ。
「(次は……あっちか)」
梓は逆側に手を伸ばし今度は左から右のほうへ手を動かす。
普段から妖気を扱っている美烑には見えた。土石流の流れの中……正確には土石流が流れていく崖の中腹辺りに、妖気の塊みたいなものがある。その妖気を変化させることによって土石流にうねりを生み、流れを変えてで人間を飲み込んでいく。
「すっご……」
「こんな事もあろうかとってね。いつかは美烑に対応できない人数になると予想して、いろんなところに仕掛けてある」
そういうと、再び手を振るい新たなうねりを生み出していく。
一度は難を逃れた者も、炬香たちを追いかけず、遠巻きに傍観していた者も、全てを巻き込むべく土石流が降っていく。
ごごごごごご、と。
上のほうから低い地響きが聞こえた。もうほとんど水は残っていないはずなのだが。
「あれも……?」
首に手を回してしがみついている美烑が、まだ奥の手があるのかという期待とある種の尊敬を込めて聞くが、梓にそんな覚えはなかった。
「いや、何もしてないぞ。……なんだ?」
梓が振り返ると、崖全体がせり出してきていた。
「なっ?」
いや正確にいえばちょっと違う。もし真横から見ることができたなら、岩壁に斜めにヒビが入っているのが確認できただろう。雨による侵食と、梓が使った火薬、そして土石流が流れ落ちる衝撃で生じた歪み。そのひびに沿って崖の上半分が地滑りを起こしているのだ。
確かに奥の手としてこれ以上のものはない。戦場となっている崖下の台地、そのすべてに覆いかぶさるように崖がまるごと落ちてくる。避ける術などない。
しかしながら、それは梓も同じ。
「でええええええっ!」
「えっ?……ほんとに……お兄ちゃんじゃ……ない……の?」
「できるかあんなもん。あれができたらわざわざ一緒に飛び降りる必要ないだろ?」
「……」
背中の美烑が沈黙した。梓は不穏な気配を感じて、首に回された美烑の手を押さえる。
「お兄……ちゃん?」
「お前、また自分が守ればとか思ってんだろ?少しは自分の体を心配しなさい。死にかけてんだぞ?」
「でも……、あれ、どうにか……できるの?」
そう言って振り仰いだ崖は先ほどより近づいていた。幅は長さにして200m超え。
「避けるのは不可能。足場も悪い。とすれば……砕くしかないだろうな」
「できるの……?」
「ふむ……」
「詰めが……甘いよ」
「腹を刺されたうかつ者に言われる筋合いはない」
「ううん……お兄ちゃんは……詰めが、甘い。……あたしを……抑えて……おきたかったら、もっと、ぎゅって……してくれなくちゃ……ちゅっ」
「んっ!?」
美烑は自分の手を押さえている梓の手に唇を押しつけた。
「んっ、んんっ」
そして無数に走っている傷から滲んだ血を舐めとり、自身の中で妖気へと変換する。それはもちろん、自分の肉体を回復するためではない。
美烑は十分に精気を得ると血が出ない程度に噛みつき、痛みに驚いて緩まった梓の手から抜け出した。梓の背中を蹴って跳躍。尻尾でバランスをとって、倒れてくる崖に正対する。
「美烑っ!よせっ!そんな体で……」
梓の静止の声も空しく、崖は加速しながら美烑と梓に迫っていく。
「(火は使えない。『火生土』……火は土を生むから、むしろ崖が固く大きくなるだけ。それに『水剋火』……この雨じゃ全力の火は出せない。今の妖気じゃあっという間に鎮火しちゃう)」
実のところ美烑にも策があったわけではない。梓を守りたいという想い、自分は妖怪で人間である梓より頑丈だという自負と引け目。それだけでここに立ちはだかっている。
「(どうしたら……)」
悩む間にも崖は加速していく。
「美烑っ、もういいっ、戻って来い!!」
梓が崖下から叫んでいるが美烑は耳を貸さない。
「(お兄ちゃんこそ、自分の事を大事にして欲しいんだよね。こんな崖を滑り降りようとするし、ギリギリまで精気くれたりするし……。
ほんと、どうしようかな。あたしは妖怪だから潰されても死ぬことはないんだけど……)」
よほど霊的な気を纏った攻撃でない限り美烑は死なない。
今問題なのは梓のほうなのである。
通常であれば。
美烑は現在、妖気が極端に減っている。
ちょっと妖気を使いすぎただけで存在が消えてしまうほどに。
だから梓は戻って来いと叫んでいるのだが。
「美烑様―っ!!」
どうしようかと悩んでいた美烑の右手・下方。姿が見えなくなっていた炬香が、その手に幾振りかの刀を携えて上ってくる。
美烑が梓に乗り換えた直後、その後を追うつもりで崖を下った炬香だったが、土石流に視界を奪われたため、2人を追い越し、崖下まで到達していたのだ。振り仰げば崩れてくる崖とそれに立ちはだかる美烑の姿。炬香は咄嗟にあたりに散乱している刀を集めて崖を上ってきた。
「炬香……ちゃん……(ああ、そうか。『土生金』……金属は大地より生まれる。それはすなわち、金属は土を砕く)」
「美烑様っ!」
既に落ちかけていた美烑を炬香がはっしと受け止める。
「炬香……ちゃん……逃げなきゃ……危ないよ」
「そんな体で何を言ってるです?……と言いたいところですが、炬香も守りたい気持ちは同じです。美烑様と炬香で梓を守るです」
そう言って美烑に日本刀を手渡した。
「炬香の妖気を使うです」
「でも……そんな事……したら……」
「炬香はさっき梓にいっぱい精気もらったですから、消えちゃうことはないです。美烑様のほうが消えそうなくらいなんですから、使ってくれなくても押し付けるですよ」
炬香は美烑を抱きしめたままゆっくりと妖気を流し込み始めた。
炬香という存在は美烑の妖気から生まれたモノだ。故に別の固体とはいえ、妖気の相性がいいのである。
ただし妖気の量は美烑よりはるかに少ない。与えられるのはせいぜい攻撃のための妖気を肩代わりする程度で、美烑の肉体を補修できるほどの量ではない。そんな量を与えてしまえば炬香のほうが消滅してしまう。
炬香の妖気を得た美烑は両手に携えた日本刀を自分の正面に構えた。しばらく炬香や梓の背に背負われて体を休めていたが、未だその動きは緩慢だ。
「……(刀……鉄……金属……、鍛冶ということは天目一箇神なんだろうけど…、『火剋金』の特性が邪魔をしちゃうから、使えない……かな)」
次第に迫ってくる崖を前に美烑は考えを巡らせ続ける。
「(……違う。お兄ちゃんがたしか、『火剋金』とは、火は金属を切り裂くという意味じゃないって言ってた。『火剋金』とは、火気が金気を制するということ。つまり炎で鉄を自由自在に扱えるということ……!)」
美烑の瞳に妖気が宿る。やがてそれは両手に、そして携えた刀へと伝っていく。
「踏鞴の炎は鉄をも切り裂き鋼を生む、天目一箇火炎爪・応用版、『岩戸砕きの炎刀斧』!」
美烑の両手が炎に覆われる。それは『天目一箇火炎爪』。ただし今回は敵を焼ききるためのものではない。鉄を溶かし、鋼を製す。踏鞴場の守護神、鍛冶の神様としての火力と技術を宿した灼熱の腕。
美烑が自身の正面で日本刀をクロスさせると、それはドロリと熔けて融合する。切っ先から順に、刃も峰も、そして柄まで真っ赤に液状化する。
「んっ!」
美烑が再び構え直すと、それは巨大な斧に姿を変えた。
柄尻には狐の尻尾を思わせる飾り、そして刀で言うところの峰の部分、刃とは逆側の部分には真っ赤な炎が彫られている。それは美烑の「火気」という属性を示すと共に、たとえ刃こぼれしても何度でも鍛え冶すことができる、「鍛冶」という属性を宿す。
「……っ、うぐっ!?」
フラリと傾いだ美烑の体を、慌てて炬香が支え直した。
「はーっ、はーぅ、……あ、ははっ。さすがに……きついや。……ごめんね、炬香ちゃん……1人じゃ、持てそうに、ない……から、一緒に、持ってもらって……いい?」
美烑のオレンジ色に変わった瞳が苦しそうに歪められている。無理もない。常時火炎爪を発動しているということは、その間ずっと妖気を消費しているということだ。
「わかったのです」
美烑の様子を見て早く終わらせたほうがいいと判断したのだろう。炬香はすぐに頷くと懐から妖符を取り出して「天目一箇火炎爪」を発動した。
いくら炬香が人外であっても、ドロドロに熔けた金属には触れない。それが妖気を帯びているのであればなおさらである。
炬香は左手で美烑の背中を支え、右手で「岩戸砕きの炎刀斧」を振り上げた。
「行きますよ、美烑様っ」
「はーっ、はーっ、うっ、うん、任せる……よ」
炬香は迫ってくる崖めがけて突進すると、真上から一直線に炎刀斧を叩きつけた。
ぎゃいぃぃぃん、と。
金属同士が擦れるような甲高い音があたりに響く。それは大地が避ける音。鉄が磨り減る音。しかし炎刀斧はいくら刃こぼれしようとも、その度に炎の浮き彫りが煌めき、鍛え直されていく。
「はーっ、はーっ、はーっ……」
「……ああああああぁぁぁっ!」
炬香は徐々に炎刀斧を崖にめり込ませていく。正確には崖の方が倒れてきているので炬香はほとんど動かしてはいないのだが、しかしその位置を維持しているだけでも既に半分以上の妖気を消費してしまっている。
美烑も息が荒くなっていくが、炬香もそろそろ辛くなってきた。
「ぃえいっ!!」
炬香は何かの拍子にビシッと崖に亀裂が入ったのを見逃さず、一気に振り下ろした。
ごおおおおっと。
耳を塞ぎたくなるような莫大な音量の崖の断末魔。実際、集音能力の高いえ人の狐耳は音の洪水に耐えきれずにぺたんと頭に張り付いている。それでも体に直接叩きつけられている空気の振動は防ぎようがない。
『や、やりましたよ、美烑様っ!』
耳が塞がれているため、伝話での会話だ。
『まだ、だよ炬香ちゃん。2つに割っただけじゃまだ足りない。下に落ちたら砕けて、破片があたりに飛び散るの。その破片だけでも人間は……お兄ちゃんは死んじゃうから。
……せめてあと半分ずつぐらいには割らないと』
炬香は、はっとなって下を見るが、巻き上がる水が靄のようになって見通す事ができない。
『大丈夫、水がある限りお兄ちゃんには何か対策があるみたいだから。まずは、この崖が下に落ちる前に可能な限り細かく砕こう』
美烑の意志は固いようだが、体の方はそろそろ限界だ。一応、炎刀斧の柄を握ってはいるが、今にもずり落ちそうなほど弱々しい。
『あと2回。それで何とかするのです』
くずくずしていると崖は落ちてしまうし、美烑にも限界が来る。2人が持っている手段のうち、土属性に対し最大の攻撃力である炎刀斧が失われれば、最悪梓を失うことになる。
炬香は美烑を抱え直して、まず右の崖を砕きにいった。
「はあああああっ!」
「(2つに割ることには成功したか……。しかし、あれでも俺は死ぬだろうな。……ああ、くそっ!少し前なら自分が死んでも構わねぇって言えたのに。
……むしろアイツと、アイツらと居ることで死に場所を求めていたフシすらある。
でも今は、生き残りたいと、アイツらを失いたくないと願っている。
だからっ、俺はっ!)」
梓が右腕を前に突き出すと、向かってきていた岩が水の流れにさらわれる。さらに水平方向に腕を巡らせると、進行方向の人間と岩がまとめて流れに飲まれた。
「っ!!」
目に見えないような速度の石、あるいは見えないほど細かな破片までは防げない。梓は人間だ。物理攻撃に絶対の耐性を持っているわけでもく、人間離れした動体視力を持っているわけでもない。
「ふぐっ!」
自身の身長をはるかに越す岩を排除し、他の人間にぶつけていく梓の体には、次第に無数の傷ができていく。小さな擦り傷だった、ただの赤い線でしかなかった傷から血が溢れて、それが雨に滲んで広がっていく。
「はーっ、はーっ、はーっ」
梓の体力も限界が近い。そんな梓の後方に一際水しぶきが上がった。
「なっ……?」
それは梓が引き起こした水のうねりではない。
そして、ひとつだけでもない。
振り返って驚く梓の顔に影が差す。
ついに崩壊した崖の破片が降り注ぎ始めたのだ。炬香や美烑がある程度細かくはしたものの、ひとつひとつが梓10人分以上の質量と体積を誇る。受け止めることはおろか、避けることすらできはしない。
為す術もなく見上げる梓に直撃コースの岩を見上げる。
「梓――っ!!」
その岩が2つに割れた。真っ直ぐに梓に向かっていた岩は左右に分かれ、それぞれに水しぶきをあげる。その岩の影から炬香と、彼女に支えられた美烑が飛び出して、梓の乗る岩の上に降り立った。
「無事ですか、梓?」
「なんとか、な」
梓はよろけた炬香を支えつつ、美烑を引き受ける。既に美烑の両手から炎は失われ、瞳の色も赤に戻っている。
炎刀斧は炬香が握っているが、既に鍛冶の能力はない。刃こぼれしても直せないし、亀裂が入ればそこから割れる。炎の浮き彫りもすでに色あせて、ただの戦斧になっている。
「下にいた人間はほとんど巻き込んだんだが……、あの鎖男はどこに居るかわかるか?」
「鎖……、ああ『把音』です?」
「そんな名前なのか、アイツ」
「はいです。タントーがなんとかって言ってたです」
「『丹刀』?まさかな……」
何か考え込むような素振りの梓だったが、破片を迎撃するのに忙しい炬香は気づかない。
「場所まではわからないのですよ、他の人間たちが乱入してきたらすぐいなくなったですし」
戦斧1本では足らないために、足も使って岩を捌いていく。
「そうか、じゃあアイツはほっとこう」
そう言って梓も乗っている岩の操作に専念する。実際に動かしているのは岩の下を流れる水のほうだ。崖の破片が落ちてくるエリアからなんとしても脱出する。
そんなえ人の上に影が差す。確認するまでもなく崖の破片だ。そしてサイズも言うまでもなく巨大。3人が乗っている岩など軽く越える大きさを誇っている。
「炬香っ!」
「えっと……ごめんです。斧が……」
振り返って持ち直した炎刀斧の柄と刃の間にひびが入っている。あと一回、何かを受け止めてしまえば折れてしまいそうなほど頼りない。
炎刀斧は美烑だけが作ることのできる特殊な武器だ。しかし、その美烑は気絶中。しかも材料である日本刀も近くにはない。
一度壊れたら新たに作り直す事ができない。
「……っ!」
代案が見つからないままに岩が3人の上に降ってきた。
ズゥゥゥンという重低音。受け止めたのは炬香と梓。炬香は炎刀斧で、梓は懐刀で。
水の上であったのは幸運だった。何もしなくても水が落下の衝撃を殺してくれただろうし、さらに梓が水を動かしたおかげで2人にはほとんど負担がなかった。
しかし、それはインパクトの瞬間だけの話。ずっと支え続けているその重さまでは軽減できない。
次第にというか、既に最初から梓は限界だった。ただ美烑と炬香を守りたいという想いだけで支えている。そして、炬香もそれは変わらない。梓を、美烑をここで失いたくないという気持ちだけで支えている。
しかし、
「炬香っ、すまん!」
「えっ?」
梓は少し重心をずらして岩の間に隙間を作ると炬香を蹴っ飛ばした。炬香は岩の間から飛び出すと、風に煽られてあっという間に空中に取り残される。
物質の落下速度は重量に関係なく一定の法則にしたがって加速していく。ただし重ければ重いほど空気抵抗による減速をしにくい。
ズズン、と。
炬香がいなくなった空間を岩が押しつぶした。これで支えているのは梓一人。
「ぐっ、ぎぎぎぃ……」
しかし相変わらず梓が限界であることに変わりはなく、打開策もなかった。そんな梓の視界の隅で動くものが。
「よ……せ、美烑……今……動い……たら」
梓の声は届かず、美烑の手は梓が握る懐刀に。
「踏鞴の……炎は……鉄をも、切り裂き……」
「止めて……くれ。妖気を使いすぎたら……お前はっ!」
美烑の両手に炎が生まれる。
「鋼を……生む」
「妖狐としての、お前は残っても……『美烑』としてのお前は、……俺の知るお前は……」
美烑の両手を覆う熱気は懐刀に伝播して、
「『岩戸砕きの炎刀斧』っ!」
炎刀斧へと変化した。ただし、炬香に持たせたものより小さい。元にした刀……鉄の量が少ないのだ。
「ふんっ!!」
支えられていた岩を一瞬で真っ二つに。さらに、その2つをみじん切りに。
「もう止せっ!」
ふたりの方へ向かってくる岩も、炬香に向かっていた岩も残らず砕く。
「美烑っ、もう止めてくれ、お前を失いたくないっ!」
そして最後に進行方向にあった岩に投げつけて進路を拓く。美烑はそのまま前のめりに倒れた。
「美烑――ッ!」
2人の乗る岩は終に崖下に到達。美烑を抱えた梓を、水が、岩が飲み込んだ。
そして、崖下の全てを土石流が飲み込んだ。
「――ほう、君が妖側の人間か」
土やら岩やらが積み重なって祠のようなった穴。その最奥に梓は居た。ぐったりと体の力を抜いて気絶する、美烑を抱えて。
その¥祠の入り口から鎖の男――把音が覗き込んでいた。これほど大規模な土砂崩れがあったにも関わらず、着ている服には汚れがほとんどない。
その手には2振りの日本刀。
「やっぱり生きていたか」
はっきり言って絶体絶命だ。美烑は気絶中で、梓に戦う術はない。
「で、俺達を殺す気か?」
「いや、そのつもりはない。もう闘いは終わった。それに、私は本気の君と戦いたいのだよ」
「……何しに来た?」
「顔を見に。あとは警告だ」
「警告?」
「この土石流は近くの村をも飲み込んだ」
「……?だから何だっていうんだ」
「君らが作為的にやったにしろ、自然に発生したにしろ、妖がいるという山から起こった土石流。人間が黙っているわけがない。じきにここを治める大名あたりが討伐隊を派遣するはずだ」
国民感情を宥めるために、そして自身の威光を高めるために。
「故に、その時に戦わせてもらおう」
把音は言いたいことだけ言うとくるりと踵を返して立ち去ろうとする。
「梓だ」
「ん?」
「俺の名前、『賀茂有義梓』だ」
「賀茂……、なるほど。
ではこちらも返答しよう。『武蔵七刀が一刀、丹刀、鎖刃の把音』だ。よい戦いができることを期待する」
それだけ言って今度こそ把音は雨の中へ消えていった。
後には雨の音と、美烑を抱きしめる梓の嗚咽だけが残った。