表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/15

肆ノ幕 雨天防衛線3 起死回生の直滑降

 ドムッと。

 くぐもった音が響き、(あずさ)の目の前の簡易ダムが決壊(けっかい)し始めた。

「(進路上の妖気(ようき)を活性化、荒れ踊る水と土の精霊を導き、統制(とうせい)せよ)」

 (あずさ)の目が現実には見えないものを見透かすように細められる。

 見えるモノには見えただろう。(がけ)(くだ)りだした土石流(どせきりゅう)の両側に妖気(ようき)でできた岸壁(がんぺき)がそそり立つ。

 どおおおおという地響きと共に(くだ)っていく土石流(どせきりゅう)に振り仰いだ人間が何人居たか。

 そして、逃げだそうとした人間が。

 無謀にも自然の驚異に立ち向かおうとした人間が。

 全ての人間があっという間に土石流(どせきりゅう)に飲み込まれる。

 あっけなく。

 無慈悲に。

 そのまま炬香(こか)たちを追いかけようとした人間も居たが、そんな人間たちを尻目に炬香(こか)はふわりと浮かび上がって、垂直に近い(がけ)を上っていく。

 その炬香(こか)の瞳が信じられないものを捉えた。

 流れ落ちていく石のひとつ。その上に白いモノが乗っている。

(あずさ)っ?」

「……っ!」

 炬香(こか)の声に反応して顔を上げた美烑(みあ)の瞳にもその姿が映る。(あずさ)が石の上に乗って土石流(どせきりゅう)の流れを(くだ)ってきているのが。

(あずさ)?何して、って美烑(みあ)様!?』

 問いただそうとした炬香(こか)の背中が突如軽くなる。

 美烑(みあ)が居ない。

 慌てて炬香(こか)が探すと美烑(みあ)は落ちていた。土石流(どせきりゅう)の流れに沿って下に。

 炬香(こか)は焦って手を伸ばすが、届かない。

『お兄……ちゃん』

 直後土石流(どせきりゅう)を滑空してきた(あずさ)に、美烑(みあ)がしがみつく。炬香(こか)(あずさ)を追おうとしたが、双方の間を再び流れてきた大量の土砂が遮ってしまった。

美烑(みあ)!?何してんだっ?炬香(こか)と一緒に神社に向かったんじゃ……」

「お兄ちゃん……こそ、上で、待ってる……って……」

「……、お前が刺された時点で俺達にできる攻撃はこの土石流(どせきりゅう)が最後だ。つまりこの攻撃で人間を全滅させられなければ、ほどなく反撃されてこっちが全滅する。全ての人間を飲み込むためには実際に目で見て修正していかなければならない。

 だから俺もここに居るんだ」

「でも……このまま、落ちたら……」

「俺はこの土石流(どせきりゅう)を操るためにここに居るんだぞ?着地のことぐらい考えてある」

 (あずさ)は再び目を細めて前を見る。そして手を前へ真っ直ぐに伸ばし、跳ね上げる。

 すると土石流(どせきりゅう)の一部が跳ね上がって、辛うじて進路から逃れて安堵している人間を飲み込んだ。

「(次は……あっちか)」

 (あずさ)は逆側に手を伸ばし今度は左から右のほうへ手を動かす。

 普段から妖気(ようき)を扱っている美烑(みあ)には見えた。土石流(どせきりゅう)の流れの中……正確には土石流(どせきりゅう)が流れていく崖の中腹辺りに、妖気(ようき)(かたまり)みたいなものがある。その妖気(ようき)を変化させることによって土石流(どせきりゅう)にうねりを生み、流れを変えてで人間を飲み込んでいく。

「すっご……」

「こんな事もあろうかとってね。いつかは美烑(みあ)に対応できない人数になると予想して、いろんなところに仕掛けてある」

 そういうと、再び手を振るい新たなうねりを生み出していく。

 一度は難を逃れた者も、炬香(こか)たちを追いかけず、遠巻きに傍観(ぼうかん)していた者も、全てを巻き込むべく土石流(どせきりゅう)が降っていく。

 ごごごごごご、と。

 上のほうから低い地響きが聞こえた。もうほとんど水は残っていないはずなのだが。

「あれも……?」

 首に手を回してしがみついている美烑(みあ)が、まだ奥の手があるのかという期待とある種の尊敬を込めて聞くが、(あずさ)にそんな覚えはなかった。

「いや、何もしてないぞ。……なんだ?」

 (あずさ)が振り返ると、(がけ)全体がせり出してきていた。

「なっ?」

 いや正確にいえばちょっと違う。もし真横から見ることができたなら、岩壁(がんぺき)に斜めにヒビが入っているのが確認できただろう。雨による侵食と、(あずさ)が使った火薬、そして土石流(どせきりゅう)が流れ落ちる衝撃で生じた歪み。そのひびに沿って(がけ)の上半分が地滑りを起こしているのだ。

 確かに奥の手としてこれ以上のものはない。戦場となっている崖下の台地、そのすべてに覆いかぶさるように崖がまるごと落ちてくる。避ける術などない。

 しかしながら、それは(あずさ)も同じ。

「でええええええっ!」

「えっ?……ほんとに……お兄ちゃんじゃ……ない……の?」

「できるかあんなもん。あれができたらわざわざ一緒に飛び降りる必要ないだろ?」

「……」

 背中の美烑(みあ)が沈黙した。(あずさ)は不穏な気配を感じて、首に回された美烑(みあ)の手を押さえる。

「お兄……ちゃん?」

「お前、また自分が守ればとか思ってんだろ?少しは自分の体を心配しなさい。死にかけてんだぞ?」

「でも……、あれ、どうにか……できるの?」

 そう言って振り仰いだ崖は先ほどより近づいていた。幅は長さにして200m超え。

「避けるのは不可能。足場も悪い。とすれば……砕くしかないだろうな」

「できるの……?」

「ふむ……」

「詰めが……甘いよ」

「腹を刺されたうかつ者に言われる筋合いはない」

「ううん……お兄ちゃんは……詰めが、甘い。……あたしを……抑えて……おきたかったら、もっと、ぎゅって……してくれなくちゃ……ちゅっ」

「んっ!?」

 美烑(みあ)は自分の手を押さえている(あずさ)の手に唇を押しつけた。

「んっ、んんっ」

 そして無数に走っている傷から(にじ)んだ血を()めとり、自身の中で妖気(ようき)へと変換する。それはもちろん、自分の肉体を回復するためではない。

 美烑(みあ)は十分に精気(せいき)を得ると血が出ない程度に()みつき、痛みに驚いて(ゆる)まった(あずさ)の手から抜け出した。(あずさ)の背中を蹴って跳躍(ちょうやく)。尻尾でバランスをとって、倒れてくる(がけ)に正対する。

美烑(みあ)っ!よせっ!そんな体で……」

 (あずさ)の静止の声も空しく、(がけ)は加速しながら美烑(みあ)(あずさ)に迫っていく。

「(火は使えない。『火生土(かしょうど)』……火は土を生むから、むしろ(がけ)が固く大きくなるだけ。それに『水剋火(すいこくか)』……この雨じゃ全力の火は出せない。今の妖気(ようき)じゃあっという間に鎮火(ちんか)しちゃう)」

 実のところ美烑(みあ)にも策があったわけではない。(あずさ)を守りたいという想い、自分は妖怪で人間である(あずさ)より頑丈だという自負と引け目。それだけでここに立ちはだかっている。

「(どうしたら……)」

 悩む間にも(がけ)は加速していく。

美烑(みあ)っ、もういいっ、戻って来い!!」

 (あずさ)崖下(がけした)から叫んでいるが美烑(みあ)は耳を貸さない。

「(お兄ちゃんこそ、自分の事を大事にして欲しいんだよね。こんな(がけ)を滑り降りようとするし、ギリギリまで精気(せいき)くれたりするし……。

 ほんと、どうしようかな。あたしは妖怪だから潰されても死ぬことはないんだけど……)」

 よほど霊的な気を(まと)った攻撃でない限り美烑(みあ)は死なない。

 今問題なのは(あずさ)のほうなのである。

 通常であれば。

 美烑(みあ)は現在、妖気(ようき)が極端に減っている。

 ちょっと妖気(ようき)を使いすぎただけで存在が消えてしまうほどに。

 だから(あずさ)は戻って来いと叫んでいるのだが。

美烑(みあ)様―っ!!」

 どうしようかと悩んでいた美烑(みあ)の右手・下方。姿が見えなくなっていた炬香(こか)が、その手に幾振(いくふ)りかの刀を携えて上ってくる。

 美烑(みあ)(あずさ)に乗り換えた直後、その後を追うつもりで(がけ)(くだ)った炬香(こか)だったが、土石流(どせきりゅう)に視界を奪われたため、2人を追い越し、崖下(がけした)まで到達していたのだ。振り仰げば崩れてくる(がけ)とそれに立ちはだかる美烑(みあ)の姿。炬香(こか)咄嗟(とっさ)にあたりに散乱している刀を集めて(がけ)を上ってきた。

炬香(こか)……ちゃん……(ああ、そうか。『土生金(どしょうこん)』……金属は大地より生まれる。それはすなわち、金属は土を砕く)」

美烑(みあ)様っ!」

 既に落ちかけていた美烑(みあ)炬香(こか)がはっしと受け止める。

炬香(こか)……ちゃん……逃げなきゃ……危ないよ」

「そんな体で何を言ってるです?……と言いたいところですが、炬香(こか)も守りたい気持ちは同じです。美烑(みあ)様と炬香(こか)(あずさ)を守るです」

 そう言って美烑(みあ)に日本刀を手渡した。

炬香(こか)妖気(ようき)を使うです」

「でも……そんな事……したら……」

炬香(こか)はさっき(あずさ)にいっぱい精気(せいき)もらったですから、消えちゃうことはないです。美烑(みあ)様のほうが消えそうなくらいなんですから、使ってくれなくても押し付けるですよ」

 炬香(こか)美烑(みあ)を抱きしめたままゆっくりと妖気(ようき)を流し込み始めた。

 炬香(こか)という存在は美烑(みあ)妖気(ようき)から生まれたモノだ。(ゆえ)に別の固体とはいえ、妖気(ようき)の相性がいいのである。

 ただし妖気(ようき)の量は美烑(みあ)よりはるかに少ない。与えられるのはせいぜい攻撃のための妖気(ようき)を肩代わりする程度で、美烑(みあ)の肉体を補修できるほどの量ではない。そんな量を与えてしまえば炬香(こか)のほうが消滅してしまう。

 炬香(こか)妖気(ようき)を得た美烑(みあ)は両手に携えた日本刀を自分の正面に構えた。しばらく炬香(こか)(あずさ)の背に背負われて体を休めていたが、未だその動きは緩慢(かんまん)だ。

「……(刀……鉄……金属……、鍛冶(かじ)ということは天目一箇神(あめのまひとつのかみ)なんだろうけど…、『火剋金(かこくきん)』の特性が邪魔をしちゃうから、使えない……かな)」

 次第に迫ってくる(がけ)を前に美烑(みあ)は考えを巡らせ続ける。

「(……違う。お兄ちゃんがたしか、『火剋金(かこくきん)』とは、火は金属を切り裂くという意味じゃないって言ってた。『火剋金(かこくきん)』とは、火気(かき)金気(こんき)を制するということ。つまり炎で鉄を自由自在に扱えるということ……!)」

 美烑(みあ)の瞳に妖気(ようき)が宿る。やがてそれは両手に、そして携えた刀へと伝っていく。

踏鞴(たたら)の炎は鉄をも切り裂き(はがね)を生む、天目一箇火炎爪あめのまひとつかえんそう・応用版、『岩戸砕(いわとくだ)きの炎刀斧(えんとうふ)』!」

 美烑(みあ)の両手が炎に覆われる。それは『天目一箇火炎爪あめのまひとつかえんそう』。ただし今回は敵を焼ききるためのものではない。鉄を溶かし、鋼を製す。踏鞴場(たたらば)の守護神、鍛冶(かじ)の神様としての火力と技術を宿した灼熱の腕。

 美烑(みあ)が自身の正面で日本刀をクロスさせると、それはドロリと熔けて融合する。切っ先から順に、刃も(みね)も、そして柄まで真っ赤に液状化する。

「んっ!」

 美烑(みあ)が再び構え直すと、それは巨大な斧に姿を変えた。

 柄尻(つかじり)には狐の尻尾を思わせる飾り、そして刀で言うところの(みね)の部分、刃とは逆側の部分には真っ赤な炎が()られている。それは美烑(みあ)の「火気(かき)」という属性を示すと共に、たとえ刃こぼれしても何度でも(きた)(なお)すことができる、「鍛冶(かじ)」という属性を宿す。

「……っ、うぐっ!?」

 フラリと傾いだ美烑(みあ)の体を、慌てて炬香(こか)が支え直した。

「はーっ、はーぅ、……あ、ははっ。さすがに……きついや。……ごめんね、炬香(こか)ちゃん……1人じゃ、持てそうに、ない……から、一緒に、持ってもらって……いい?」

 美烑(みあ)のオレンジ色に変わった瞳が苦しそうに歪められている。無理もない。常時火炎爪(かえんそう)を発動しているということは、その間ずっと妖気(ようき)を消費しているということだ。

「わかったのです」

 美烑(みあ)の様子を見て早く終わらせたほうがいいと判断したのだろう。炬香(こか)はすぐに頷くと(ふところ)から妖符(ようふ)を取り出して「天目一箇火炎爪あめのまひとつかえんそう」を発動した。

 いくら炬香(こか)人外(じんがい)であっても、ドロドロに()けた金属には触れない。それが妖気(ようき)を帯びているのであればなおさらである。

 炬香(こか)は左手で美烑(みあ)の背中を支え、右手で「岩戸砕(いわとくだ)きの炎刀斧(えんとうふ)」を振り上げた。

「行きますよ、美烑(みあ)様っ」

「はーっ、はーっ、うっ、うん、任せる……よ」

 炬香(こか)は迫ってくる(がけ)めがけて突進すると、真上から一直線に炎刀斧(えんとうふ)を叩きつけた。

 ぎゃいぃぃぃん、と。

 金属同士が(こす)れるような甲高い音があたりに響く。それは大地が避ける音。鉄が()り減る音。しかし炎刀斧(えんとうふ)はいくら()こぼれしようとも、その度に炎の浮き彫りが(きら)めき、(きた)え直されていく。

「はーっ、はーっ、はーっ……」

「……ああああああぁぁぁっ!」

 炬香(こか)は徐々に炎刀斧(えんとうふ)(がけ)にめり込ませていく。正確には(がけ)の方が倒れてきているので炬香(こか)はほとんど動かしてはいないのだが、しかしその位置を維持しているだけでも既に半分以上の妖気(ようき)を消費してしまっている。

 美烑(みあ)も息が荒くなっていくが、炬香(こか)もそろそろ辛くなってきた。

「ぃえいっ!!」

 炬香(こか)は何かの拍子にビシッと(がけ)に亀裂が入ったのを見逃さず、一気に振り下ろした。

 ごおおおおっと。

 耳を塞ぎたくなるような莫大(ばくだい)な音量の(がけ)の断末魔。実際、集音能力の高いえ人の狐耳は音の洪水に耐えきれずにぺたんと頭に張り付いている。それでも体に直接叩きつけられている空気の振動は防ぎようがない。

『や、やりましたよ、美烑(みあ)様っ!』

 耳が塞がれているため、伝話(でんわ)での会話だ。

『まだ、だよ炬香(こか)ちゃん。2つに割っただけじゃまだ足りない。下に落ちたら砕けて、破片があたりに飛び散るの。その破片だけでも人間は……お兄ちゃんは死んじゃうから。

 ……せめてあと半分ずつぐらいには割らないと』

 炬香(こか)は、はっとなって下を見るが、巻き上がる水が(もや)のようになって見通す事ができない。

『大丈夫、水がある限りお兄ちゃんには何か対策があるみたいだから。まずは、この(がけ)が下に落ちる前に可能な限り細かく砕こう』

 美烑(みあ)の意志は固いようだが、体の方はそろそろ限界だ。一応、炎刀斧(えんとうふ)(つか)を握ってはいるが、今にもずり落ちそうなほど弱々しい。

『あと2回。それで何とかするのです』

 くずくずしていると(がけ)は落ちてしまうし、美烑(みあ)にも限界が来る。2人が持っている手段のうち、土属性に対し最大の攻撃力である炎刀斧(えんとうふ)が失われれば、最悪(あずさ)を失うことになる。

 炬香(こか)美烑(みあ)を抱え直して、まず右の(がけ)を砕きにいった。

「はあああああっ!」

 

「(2つに割ることには成功したか……。しかし、あれでも俺は死ぬだろうな。……ああ、くそっ!少し前なら自分が死んでも構わねぇって言えたのに。

 ……むしろアイツと、アイツらと居ることで死に場所を求めていたフシすらある。

 でも今は、生き残りたいと、アイツらを失いたくないと願っている。

 だからっ、俺はっ!)」

 (あずさ)が右腕を前に突き出すと、向かってきていた岩が水の流れにさらわれる。さらに水平方向に腕を巡らせると、進行方向の人間と岩がまとめて流れに飲まれた。

「っ!!」

 目に見えないような速度の石、あるいは見えないほど細かな破片までは防げない。(あずさ)は人間だ。物理攻撃に絶対の耐性を持っているわけでもく、人間離れした動体視力を持っているわけでもない。

「ふぐっ!」

 自身の身長をはるかに越す岩を排除し、他の人間にぶつけていく(あずさ)の体には、次第に無数の傷ができていく。小さな擦り傷だった、ただの赤い線でしかなかった傷から血が溢れて、それが雨に(にじ)んで広がっていく。

「はーっ、はーっ、はーっ」

 (あずさ)の体力も限界が近い。そんな(あずさ)の後方に一際水しぶきが上がった。

「なっ……?」

 それは(あずさ)が引き起こした水のうねりではない。

 そして、ひとつだけでもない。

 振り返って驚く(あずさ)の顔に影が差す。

 ついに崩壊した(がけ)の破片が降り注ぎ始めたのだ。炬香(こか)美烑(みあ)がある程度細かくはしたものの、ひとつひとつが(あずさ)10人分以上の質量と体積を誇る。受け止めることはおろか、避けることすらできはしない。

 為す術もなく見上げる(あずさ)に直撃コースの岩を見上げる。

(あずさ)――っ!!」

 その岩が2つに割れた。真っ直ぐに(あずさ)に向かっていた岩は左右に分かれ、それぞれに水しぶきをあげる。その岩の影から炬香(こか)と、彼女に支えられた美烑(みあ)が飛び出して、(あずさ)の乗る岩の上に降り立った。

「無事ですか、(あずさ)?」

「なんとか、な」

 (あずさ)はよろけた炬香(こか)を支えつつ、美烑(みあ)を引き受ける。既に美烑(みあ)の両手から炎は失われ、瞳の色も赤に戻っている。

 炎刀斧(えんとうふ)炬香(こか)が握っているが、既に鍛冶(かじ)の能力はない。刃こぼれしても直せないし、亀裂が入ればそこから割れる。炎の浮き彫りもすでに色あせて、ただの戦斧(せんぷ)になっている。

「下にいた人間はほとんど巻き込んだんだが……、あの鎖男(くさりおとこ)はどこに居るかわかるか?」

「鎖……、ああ『把音(たばね)』です?」

「そんな名前なのか、アイツ」

「はいです。タントーがなんとかって言ってたです」

「『丹刀』?まさかな……」

 何か考え込むような素振りの(あずさ)だったが、破片を迎撃するのに忙しい炬香(こか)は気づかない。

「場所まではわからないのですよ、他の人間たちが乱入してきたらすぐいなくなったですし」

 戦斧(せんぷ)1本では足らないために、足も使って岩を(さば)いていく。

「そうか、じゃあアイツはほっとこう」

 そう言って(あずさ)も乗っている岩の操作に専念する。実際に動かしているのは岩の下を流れる水のほうだ。(がけ)の破片が落ちてくるエリアからなんとしても脱出する。

 そんなえ人の上に影が差す。確認するまでもなく(がけ)の破片だ。そしてサイズも言うまでもなく巨大。3人が乗っている岩など軽く越える大きさを誇っている。

炬香(こか)っ!」

「えっと……ごめんです。斧が……」

 振り返って持ち直した炎刀斧(えんとうふ)(つか)と刃の間にひびが入っている。あと一回、何かを受け止めてしまえば折れてしまいそうなほど頼りない。

 炎刀斧(えんとうふ)美烑(みあ)だけが作ることのできる特殊な武器だ。しかし、その美烑(みあ)は気絶中。しかも材料である日本刀も近くにはない。

 一度壊れたら新たに作り直す事ができない。

「……っ!」

 代案が見つからないままに岩が3人の上に()ってきた。

 ズゥゥゥンという重低音(じゅうていおん)。受け止めたのは炬香(こか)(あずさ)炬香(こか)炎刀斧(えんとうふ)で、(あずさ)懐刀(かいとう)で。

 水の上であったのは幸運だった。何もしなくても水が落下の衝撃を殺してくれただろうし、さらに(あずさ)が水を動かしたおかげで2人にはほとんど負担がなかった。

 しかし、それはインパクトの瞬間だけの話。ずっと支え続けているその重さまでは軽減できない。

次第にというか、既に最初から(あずさ)は限界だった。ただ美烑(みあ)炬香(こか)を守りたいという想いだけで支えている。そして、炬香(こか)もそれは変わらない。(あずさ)を、美烑(みあ)をここで失いたくないという気持ちだけで支えている。

 しかし、

炬香(こか)っ、すまん!」

「えっ?」

 (あずさ)は少し重心(じゅうしん)をずらして岩の間に隙間を作ると炬香(こか)()っ飛ばした。炬香(こか)は岩の間から飛び出すと、風に(あお)られてあっという間に空中に取り残される。

 物質の落下速度は重量に関係なく一定の法則にしたがって加速していく。ただし重ければ重いほど空気抵抗による減速をしにくい。

 ズズン、と。

 炬香(こか)がいなくなった空間を岩が押しつぶした。これで支えているのは(あずさ)一人。

「ぐっ、ぎぎぎぃ……」

 しかし相変わらず(あずさ)が限界であることに変わりはなく、打開策もなかった。そんな(あずさ)の視界の隅で動くものが。

「よ……せ、美烑(みあ)……今……動い……たら」

 (あずさ)の声は届かず、美烑(みあ)の手は(あずさ)が握る懐刀(かいとう)に。

踏鞴(たたら)の……炎は……鉄をも、切り裂き……」

「止めて……くれ。妖気(ようき)を使いすぎたら……お前はっ!」

 美烑(みあ)の両手に炎が生まれる。

(はがね)を……生む」

妖狐(ようこ)としての、お前は残っても……『美烑(みあ)』としてのお前は、……俺の知るお前は……」

 美烑(みあ)の両手を覆う熱気は懐刀(かいとう)伝播(でんぱ)して、

「『岩戸砕(いわとくだ)きの炎刀斧(えんとうふ)』っ!」

 炎刀斧(えんとうふ)へと変化した。ただし、炬香(こか)に持たせたものより小さい。元にした刀……鉄の量が少ないのだ。

「ふんっ!!」

 支えられていた岩を一瞬で真っ二つに。さらに、その2つをみじん切りに。

「もう止せっ!」

 ふたりの方へ向かってくる岩も、炬香(こか)に向かっていた岩も残らず砕く。

美烑(みあ)っ、もう止めてくれ、お前を失いたくないっ!」

 そして最後に進行方向にあった岩に投げつけて進路を拓く。美烑(みあ)はそのまま前のめりに倒れた。

美烑(みあ)――ッ!」

 2人の乗る岩は終に崖下(がけした)に到達。美烑(みあ)を抱えた(あずさ)を、水が、岩が飲み込んだ。

 

 そして、崖下(がけした)の全てを土石流(どせきりゅう)が飲み込んだ。


「――ほう、君が(あやかし)側の人間か」

 土やら岩やらが積み重なって(ほこら)のようなった穴。その最奥に(あずさ)は居た。ぐったりと体の力を抜いて気絶する、美烑(みあ)を抱えて。

 その¥ほこらの入り口から鎖の男――把音(たばね)(のぞ)き込んでいた。これほど大規模な土砂崩れがあったにも関わらず、着ている服には汚れがほとんどない。

 その手には2振りの日本刀。

「やっぱり生きていたか」

 はっきり言って絶体絶命だ。美烑(みあ)は気絶中で、(あずさ)に戦う術はない。

「で、俺達を殺す気か?」

「いや、そのつもりはない。もう闘いは終わった。それに、私は本気の君と戦いたいのだよ」

「……何しに来た?」

「顔を見に。あとは警告だ」

「警告?」

「この土石流(どせきりゅう)は近くの村をも飲み込んだ」

「……?だから何だっていうんだ」

「君らが作為的にやったにしろ、自然に発生したにしろ、(あやかし)がいるという山から起こった土石流(どせきりゅう)。人間が黙っているわけがない。じきにここを(おさ)める大名あたりが討伐隊を派遣するはずだ」

 国民感情を(なだ)めるために、そして自身の威光(いこう)を高めるために。

(ゆえ)に、その時に戦わせてもらおう」

 把音(たばね)は言いたいことだけ言うとくるりと(きびす)を返して立ち去ろうとする。

(あずさ)だ」

「ん?」

「俺の名前、『賀茂有義(かものありよし)(あずさ)』だ」

賀茂(かも)……、なるほど。

 ではこちらも返答しよう。『武蔵七刀(むさししちとう)一刀(いっとう)丹刀(たんとう)鎖刃(さじん)把音(たばね)』だ。よい戦いができることを期待する」

 それだけ言って今度こそ把音(たばね)は雨の中へ消えていった。

 後には雨の音と、美烑(みあ)を抱きしめる(あずさ)嗚咽(おえつ)だけが残った。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ