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参ノ幕 雨天防衛線2 鎖の音

 美烑(みあ)はしばらく炬香(こか)を見送ってから男を振り返る。このやり取りの間、不思議な事に男は攻撃してこなかった。

「えっと……、待っててくれてありがとう……?」

「我が武士道に不意打ちと言う文字はない、それだけだ。……時に、あの(あやかし)は少女の眷属(けんぞく)か?」

「けん……何?よくわかんないだけど……、それとっ!『(あやかし)』じゃなくて『炬香(こか)』ちゃんだよ。変な名前で呼ばないでよ」

「ふむ……独立したひとつの存在、ということか。それで狐の少女、名は?」

美烑(みあ)、『従五位(じゅごい)豊穣明神(ほうじょうみょうじん)美烑御前(まみあかごぜん)』だよ」

「……長いな」

「む……、それであなたは?」

「そうか……まだ名乗っていなかったか?」

「聞いてないよ。いきなり人間の首飛ばし始めたじゃない」

「名乗ったのはあの天幕の中だけだったか。

 では改めて名乗ろう、武蔵七刀(むさししちとう)が一刀・丹刀たんとう加治把音(かじのたばね)、通称鎖刃(さじん)把音(たばね)だ」

「長いよっ!ちょっと予想してたけど、予想していた以上に長いっ!」

 鎖の男――把音(たばね)は薄く笑うと鎖刀(くさりがたな)を構える。

「名乗りは済んだ……。決闘を始めるとしよう。鎖刃(さじん)把音(たばね)、いざ尋常(じんじょう)に参る」

美烑御前(まみあかごぜん)、受けて立つ。()()ませいっ!」

 把音(たばね)の放った鎖刀(くさりがたな)は一直線に美烑(みあ)眉間(みけん)へ。

「ふんっ!」

 美烑(みあ)はこれを素手……正確には爪で事もなく弾いた。

 しかしその真後ろにもう一本の鎖刀(くさりがたな)炬香(こか)の岩を割ったときと同じく、縦に並んで飛んできたのだ。

 美烑(みあ)眉間(みけん)に迫る2本目を見据え、頭を引き、上体を反らし、後ろへ宙返りして回避した。さらに着地と同時に大地を蹴り、把音(たばね)めがけて飛び掛る。

「ほう……、今のを回避するだけでなく反撃まで行うか」

 (つぶや)いた把音(たばね)鎖刀(くさりがたな)を操作。美烑(みあ)の眼前に格子状(こうしじょう)に行き来させ、即席の鎖帷子(くさりかたびら)を生み出す。

「こんなものっ!」

 鎖目がけて振り下ろした美烑(みあ)の手は、軽く押し返されただけであっさりと貫通。

「え?」

「しかし、浅はかだ」

 破れた鎖帷子(くさりかたびら)の向こう側から刀本体が飛び出した。顔に向かった一本は強引に首を反らして、(ほほ)から(あご)の付け根を薄く()られるにとどめる。

 腹へ向かっていた一本も手で押すことで軌道を反らすことには成功したが、その切っ先は美烑(みあ)太腿(ふともも)をとらえていた。

「ああああっ!!」

 バランスを崩し、ずしゃあと音を立てて大地を転がった美烑(みあ)は直ぐに跳ね起きた。

「はぁっ、はぁはっ、っはあっ、はぁっ」

 しかし、息が荒い。傷つけられた傷はすぐに()えたものの、だいぶ体調が悪化してきている。

 もともと炬香(こか)のほうが攻撃力はないものの、機動性には優れている。ある程度の負傷も気にしなくていいほどの頑強さこそが美烑(みあ)の強さなのだが。

 今はそれも怪しい。

「ふむ……。さっきの――『炬香(こか)』だったか――あの娘もそうだが、一撃でここまで弱体化するとは、……どうにも期待外れだな」

「っはあ、っはあはっ。それはっ、悪かったっ、ねぇっ、……ふぅ」

 美烑(みあ)は少しフラついているもののちゃんと前を見据(みす)えて息を整えた。

「あなたは、……なんか変」

「どういう意味だ?」

「殺気はあるのに、他の人間みたいにあたしを倒すことに執着していない感じ。全然真剣勝負している気がしないだけど?」

「君が素手だからでは?」

「とんちじゃなくてっ!」

 美烑(みあ)はちょっとむくれた顔になる。一方の把音(たばね)の方はまだまだ戦えることへの喜びの表情。

「もういいや、じゃあ次はこっちからっ!」

 どん、と地面を脚で踏むと美烑(みあ)の周りに火柱が立ち、その頂に拳大の岩が生まれた。時間と共に大きくなる。

「これならどうだっ!『灼熱狂(しゃくねつぐる)いの殺生岩(せっしょうがん)』」

 できあがった火の玉……もとい、火炎に包まれた岩が二つ、白い尾を引きながら把音(たばね)に向かって飛んでいく。

「なるほど……確かに私の鎖刀(くさりがたな)では受け止められるものではないな。だが」

 把音(たばね)はひょい、と横に移動してこれをかわした。

「ああっ!()けたっ!」

「当たり前だ。まともに受けきれないのなら、回避するのが上策。まして、単純に真っ直ぐ来るだけの攻撃など……」

 そこで把音(たばね)の背後からしゅわしゅわという音が近づいてくるのが聞こえた。

 それは炎に当たった雨が蒸発する音。

「もう一回行くよーっ!」

 美烑(みあ)がどん、と地面を踏むとさらに2つ岩が生まれ、把音に向けて飛んでいく。

 合わせて4つ。

「ようやく……面白い」

 把音(たばね)美烑(みあ)に向かって走り出した。

 しかしそれは美烑(みあ)を攻撃するためではない。タイミングをずらすためだ。

 把音(たばね)の持つ刀は2本。対して向かってくる岩は4つだ。(さば)くには手数が足りない。鎖の部分も使えないことはないが、さすがに大きな岩を防ぎきるほどの力はない。

 (ゆえ)に前に走ることによってタイミングをずらし、2つずつ相手をする。

「ふんっ!」

 ガィンキィィン

 さすがに一撃で砕けることはないが、2度3度と攻撃すればいかに大きな岩とて砕ける。

「次ッ!」

 あっという間に正面の岩を砕くと後方へ向き直る。次は戻ってきた方の殺生岩(せっしょうがん)だ。

「多方面同時攻撃は有効な手段の一つではある。だが、軌道が単純であることに変わりはない」

 把音(たばね)は淡々と岩を砕いていく。ふと美烑(みあ)のほうを見ると、居ない。

「ふあっ!!」

 把音(たばね)が岩の対処をしているうちに美烑(みあ)が肉薄、真下から鋭い爪を振り上げた。

「うっ!」

 体を反らすことでこれを回避した把音(たばね)は、自分と美烑(みあ)の間に鎖を()わせる。それをぴんと張ることで美烑(みあ)を弾き飛ばした。

「ぐっ、惜しい。あとちょっとだったのに、ふぅ……ふぅ……」

 美烑(みあ)は空中でくるりと一回転。何とか踏みとどまるが、肩で息をしているのを隠せない。

「ふん、ああ驚いたぞ、少女。まさか君からの攻撃を受けるとは」

 殺生岩(せっしょうがん)の破片を振り払った把音(たばね)の左肩、服の一部が破れている。

「これで1勝1敗。仕切りなおしだね」

 美烑(みあ)はぴっと人差し指を把音(たばね)に向けた。

「ああ、仕切り直しといこう」

 把音(たばね)は構え直した鎖刀(くさりがたな)を、美烑(みあ)に向かって投擲(とうてき)する。


 一方その頃、炬香(こか)(あずさ)の元まで到達していた。

(あずさ)っ、美烑(みあ)様が、ってええええぇ!?どうしたです(あずさ)っ、流れ矢にでもあたったですか?」

 (あずさ)(ひたい)は自身の血で赤黒くなっていた。全員で生き残る作戦のためとはいえ、炬香(こか)を見捨てるような発言をした戒めとして近くの木に頭をぶつけた結果である。

 予想以上に血が出ていたようだが、鏡がないので自分で確認できない。頭をぶつけた直後、炬香(こか)に指示を出していてそれどころではなかった、というのもある。

「ああ、大したことないよ、これくらい。……それより、ごめんな炬香(こか)

 (ひたい)血まみれの(あずさ)に頭を下げられた炬香(こか)は何が何だかわからない。

「え、突然何です?」

「こんなにボロボロになるまで闘わせて……、お前を殺しちまうところだった」

 (あずさ)炬香(こか)を胸に抱き上げた。端から見ると赤ん坊を抱き上げるお父さんの図である。

「あ、(あずさ)……」

 炬香(こか)はどこに手を置いていいかわらなくて、自分の胸の前で右に左に動かした後、結局(あずさ)の胸に置いた。

炬香(こか)美烑(みあ)があの男と闘っている。お前にもまた戦ってもらわなければならない」

「わかってるのです。炬香(こか)はそのために戻ってきたのですから。だからはやく精気(せいき)を……」

 そこまで言って思い出した。

美烑(みあ)がどうやって精気(せいき)を摂取していたのかを。

炬香(こか)……?」

「あう……」

 炬香(こか)は顔を真っ赤にして固まっている。今までは美烑(みあ)のおこぼれをもらっている程度だったのだが、今回は自ら(あずさ)接吻せっぷんをしなければならない。

炬香(こか)?」

「ひゃ、ひゃい……」

「あ~とりあえず、目つむって口開けてろ」

「本当にしちゃうですか?」

「他にどうやって精気(せいき)摂取するつもりだ。……下からじゃ無理だろ、お前の場合」

「下って……どういう意味です?」

「いや、忘れてくれ。なんか後で美烑(みあ)に怒られそうだ」

「???」

 炬香(こか)は自分の足や尻尾のほうを見ながらしきりに疑問符を浮かべていた。

「緊張もほぐれたところで目瞑(めつむ)れ」

「あの(あずさ)……見てていいです?」

「見てるってお前……恥ずかしいんじゃないのか?」

「えと……そ、そんな気分なのですっ!」

 既にだいぶ目がうるうるしているが(あずさ)から目を離さない。

「は~わかったよ。これでも結構恥ずかしいんだけどな」

 (あずさ)はそう言ってゆっくり炬香(こか)に口づけた。

「んっ!?んん……んあ……。んんっ?ん、んん~、ん、ん、ん、ん、ちゅぅ」

 唇に広がった未知の感覚に戸惑っているうちに、精気(せいき)を含んだ唾液が炬香(こか)の口に流れ込んでくる。炬香(こか)は最初こそ戸惑っていたがすぐに舌を伸ばして求め始めた。

「んあっ、ん、んん~」

 最終的に自ら手を伸ばして(あずさ)の顔をがっちりホールド。思う存分()めとってから口を離した。

「ぷはっ……、んぁ、ん」

 しばらくの間(なまめ)かしい流し目で(あずさ)の口を眺めていた炬香(こか)だが、我慢できなくなったのか再び吸い付いた。

「ちょっ……炬香(こか)っ、んむっ」

 結局炬香(こか)は5分以上吸い付いたままだった。

 彼女がようやく口を離すと、体がオレンジ色に光りだす。

 (あずさ)は大規模な回復をしているのだろうと思って見守っていたのだが、どうも様子がおかしい。そもそも炬香(こか)が回復する際、光を(まと)ったことはない。おまけにただの回復にしては時間がかかりすぎている。

 目を凝らしていると薄っすらと見えていた炬香(こか)のシルエットに変化があった。

 大きくなっている。

 だいたい3尺――90㎝くらいのサイズになったところで、光りが弱まった。

「えっと……炬香(こか)、だよな?」

 襟足(えりあし)が伸びたり、体に合わせてバランスがかわったりしてはいるものの、服装は基本的に変わらない。白い衣と黒い袴、その下から伸びる狐足と狐尻尾。

 ちょっと大人びた――とはいっても幼稚園児ぐらいの背格好。

「何を言ってるです(あずさ)炬香(こか)炬香(こか)なのです。……何か(あずさ)ちっちゃくなったです?」

「お前が大きくなってんだよ。……まあまだ腰にも届いてないがな」

 そう言ってあらためて炬香(こか)を抱き上げた。手にはそれなりに重さを感じる。

「よくわからんが、体に変なところはないな?」

 (あずさ)の腕から離れてふわりと浮かび上がる。

「問題ないのです。じゃあ行ってくるのですよ」

「待て」

「ん?何です」

 飛び出そうとした体勢で炬香(こか)が振り返った。体が成長しているせいか、動きが早くて速い。

「これ持ってけ、とりあえず『妖符(ようふ)』って名づけた」

 (あずさ)は懐から十数枚の短冊(たんざく)状の紙を取り出した。

「えっと『妖符(ようふ)』?」

「読めるか?」

 その紙の表面には鳥居の模様や五芒星(ごぼうせい)、それを結ぶ線と無数の文字が刻まれている。

「読む……?ああ、なるほどです……これってひょっとして」

「ああ、美烑(みあ)が使っている技を、お前用に書き直してみた。あと少ない妖気(ようき)で使えるようにもしてある」

「すごいのです……、いつの間に」

 炬香(こか)はしばらく妖符(ようふ)をひっくり返したり、なぜか(にお)いを嗅いだりしていたが、美烑(みあ)が闘っているのを思い出して戦場を見下ろした。

「それじゃ行くです、(あずさ)。……ああ、そうです」

 炬香(こか)はふわりと(あずさ)に寄ってくるとその(ひたい)にちゅっと口づけした。

「はやく拭いたほうがいいのですよ」

 ぺろりと舌を出してから飛び去った。

「あ……、何やってんだ俺は」

 ぐしぐしと血で汚れた(ひたい)()くついでに、思わず赤面してしまったのをごまかして戦場を確認する。

 美烑(みあ)は戦闘中。

 炬香(こか)も今しがた戦場に到達した。

「『妖符(ようふ)灼熱(しゃくねつ)狂岩(きょうがん)』っ!!」

 叫ぶと同時に妖気を注入、妖符が光り輝き灼熱の炎に覆われた岩が八つ生まれる。

「いくですっ!」

 美烑(みあ)を追いかける人間の列目がけて燃え盛る大岩が打ち込まれた。舞い上がる人間を尻目に美烑(みあ)の元へと急ぐ炬香(こか)

美烑(みあ)様っ……」


踏鞴(たたら)の炎は鉄をも切り裂く、『天目一箇火炎爪あめのまひとつかえんそう』」

 美烑(みあ)の両手に炎が集まり、巨大な腕のようになる。炎の獣・狐の真骨頂だ。

 ちなみに「天目一箇神(あめのまひとつのかみ)」とは日本における製鉄・鍛冶の火神で、隻眼(せきがん)である。その性質をなぞらえているのか、美烑(みあ)の緋色だった右目が、黄色がかったオレンジに変わっている。

「せいっ!」

 美烑(みあ)は大きく広げた右手を把音(たばね)の真上から振り下ろした。

「ふっ」

 把音(たばね)はそれを左手の鎖刀(くさりがたな)一本で受け止める。しかし普通のサイズの刀で、巨大化した美烑(みあ)の爪全てをカバーすることはできない。あぶれた部分が把音(たばね)の服や髪を焼く。

「(ほう……、炎自体は本物。しかし元々体格が小さいためか、攻撃は軽い)」

 把音(たばね)美烑(みあ)の手を弾いて押し返す。すると次は左手が迫ってきた。

「相変わらず、単調だな」

 把音(たばね)は真横から迫ってきた左手に対して斜めに刀を構える。インパクトの瞬間、剣先に炎の手を引っかけるように切り上げると、その手の甲を刀の柄でとん、と押した。

「うわわっ!?」

 途端にバランスを崩す美烑(みあ)。横なぎの勢いそのままにくるりと半回転。把音(たばね)に背中を向けてしまった。

「ガラ空きだっ!」

 その小さな背中目がけて鎖刀(くさりがたな)が振り下ろされる。

 しかし、その切っ先は炎の壁に阻まれ美烑(みあ)に届くことはなかった。美烑(みあ)の左手に触れた瞬間、膨れ上がった熱と光に把音(たばね)は目を細めた。

「なるほど、その(てのひら)は武器ではなく防具、というわけか。しかし……」

「っ!?」

 気がつけば美烑(みあ)の周りを鎖が巡っていた。把音(たばね)鎖刀(くさりがたな)を引くと一気に締まる。両腕ごと胴体に絡みつかれたせいで、火炎爪(かえんそう)も意味をなさない。

生来(せいらい)の打たれ強さ故か、君はあまりに迂闊(うかつ)過ぎる。技は大振り、その後の動きもまるで隙だらけ」

 何とかその場に踏みとどまる美烑(みあ)だが、それもわずかな時間。

「君の動きには連続性も計画性もない。(ゆえ)に読みにくいものではあるが、攻撃と攻撃の間に確実に隙があることがわかれば反撃は容易いものだ」

 把音(たばね)(しば)り上げた美烑(みあ)を地面に叩きつける。

「ぐっ!がっ……はっ!」

 右に左に振り回され、顔に、胸に、腹に、足に次々に傷が増えていく。

 把音(たばね)はひとしきり美烑(みあ)(なぶ)った後、自身の正面に正対させた。

「はーっ、はーっ、はーぅ、うぅーっ、はーっ」

 前にもまして息が荒い美烑(みあ)の顔を覗き込んで、

「終わりか?」

 じゅっ、と。

 何かが高熱でどろりと溶ける音がする。と同時に美烑(みあ)の背後から黒い煙が上がった。

「んああああああっ!」

 咆哮(ほうこう)する美烑(みあ)の2対の尻尾の先端は炎に覆われていた。両手に(まと)っているものと同じ「天目一箇火炎爪あめのまひとつかえんそう」。まあ厳密言えば「爪」ではないのだが。

 その特性は「火剋金(かこくこん)」。

 すなわち、炎は鉄を斬り裂く。

 あちこち振り回されている間に少しずつ鎖刀(くさりがたな)の「鎖」を斬っていたのである。

 そして美烑(みあ)はその(ほころ)びを広げるように全身で鎖を断ち切る。

「このぐらいでっ」

「はあ、だから隙だらけだと」

 一方の把音(たばね)は焦りも同様もせずただ当たり前のように刀を構え、

美烑(みあ)様っ!」

 ようやくたどり着いた炬香(こか)の目の前で、

「言っているのだよ」

 鎖を断ち切って大の字になっている美烑(みあ)の、腹から背中に向けて斜め上に把音(たばね)の刀が貫いた。

「かっ、は……?あ、あれ?」

 美烑(みあ)の口から赤い鮮血が(こぼ)れる。口からだけではない。貫かれた腹や背中、その貫いた刀を持つ両手――既に炎は消えてしまっている――からも、どろりとした血が雨に流されていく。

 妖狐(ようこ)である美烑(みあ)の血は、生身(なまみ)の動物のソレとは厳密言えば違うのだが、枯渇(こかつ)すれば生命活動を維持できないと言う意味ではかわらない。

 次第に目の焦点が合わなくなり、刀を(おさ)えていた手はダラリと滑り落ちた。

 把音(たばね)はつまらなそうに刀を抜くと、美烑(みあ)の体を地面に放り投げた。

「オマエ―――ッ!!!!」

 打ち捨てられた美烑(みあ)を見て激昂(げきこう)した炬香(こか)把音(たばね)に突進した。

 光り輝く一枚の「妖符(ようふ)」。

 その両手、そして両足までもが炎に包まれ、さながら炎の獣と化して把音(たばね)に喰らいつく。

 その片目は黄色がかったオレンジに。

 天目一箇火炎爪あめのまひつかえんそう

「あああああぁぁぁっ!」

「ふっ」

 勢い込んで振り下ろした炎の爪は把音(たばね)にあたらない。続く横薙(よこな)ぎも、踵落(かかとお)としも、回し()りもヒラリヒラリとかわされて。

()けるなですっ!」

「フッ、無茶を言うな。その少女の攻撃で鎖は切られて、刃はボロボロだ。そんなわけで今日の私はこれで幕引(まくひ)きとしよう」

 そう言うと把音(たばね)はあっさり身を引いた。

「待っ!!」

炬香(こか)、深追いするな。周りを見ろっ!』

 追いかけようとした炬香(こか)(あずさ)()めた。

炬香(こか)はその声に反応して周りを見回す。

「……っ」

 2人は人間たちに囲まれていた。

 美烑(みあ)が刺されて好機と判断したのだろう。既に美烑(みあ)を倒すことを諦めて傍観(ぼうかん)していた人間までも集まってきている。

 一度も攻撃があたらないばかりか、一方的に人間たちを(なぶ)り、殺害してきた美烑(みあ)が攻撃を受けた。その事実は人間たちに期待を持たせてしまった。

 自分たちの攻撃が効くかどうかもわからない相手と闘うのと、攻撃を受けるかどうかはわからないが、確実に有効である相手と闘うのではその意味合いが大きく違ってくる。

 ましてや手負い。それも戦闘不能状態の相手だ。

 (こう)(あせ)る人間たちにとって今の美烑(みあ)は格好の獲物だ。

『あ、(あずさ)……どうするです?』

 炬香(こか)の声は震えていた。

 美烑(みあ)が死に掛けているという事実。そして手負いの美烑(みあ)を抱えて数十人の人間を相手にしなければいけないという現実が、炬香(こか)を焦らせる。

『無理を承知で頼む。美烑(みあ)を担いで俺のところまで戻ってきてくれ。全員を相手にする必要はない。「狂岩(きょうがん)」でこちら側の人垣を吹き飛ばして突破。「篝火(かがりび)」で牽制しながら、帰って来い』

『で、でも、ほとんど全員連れて行くことになるですよ……』

『こっちは予定通り水が()まってる。炬香(こか)が帰ってくるころにはもっと量が増えているだろう。むしろ全員引き連れて来たほうがいい』

 そもそも最初の作戦では全員崖崩(がけくず)れに巻き込む予定だったのだ。

『お……兄――ちゃん、炬香(こか)ちゃん……に、これ、いじょ……う……』

 2人の間に美烑(みあ)が割り込んだ。しかし集中できないのか送られてくる言葉が途切れ途切れだ。 炬香(こか)が確認する限り美烑(みあ)は気絶した状態から動いていない。

 もう、体を動かす余裕もないのだろう。

『怪我人は黙ってなさい』

美烑(みあ)様、今は妖気(ようき)を回復に当てておいてほしいのです』

 炬香(こか)は周りを通常の狐火(きつねび)で牽制しつつ、美烑(みあ)の元へ走り寄った。そして体を動かせない美烑(みあ)の体の下へ入り込む。

 少しフラついたが、美烑(みあ)の足を脇に抱えて背負いあげた。

炬香(こか)……ちゃ…、無理、しちゃ……」

「無理はするのです。炬香(こか)だって美烑(みあ)様に死んでほしくないのです。お守りいたしますです」

 そう言うと足を抱えたまま器用に妖符(ようふ)を取り出した。

「炎に焼かれて大地へ還れ、『灼熱の狂岩(きょうがん)』!」

 「灼熱の狂岩」は美烑(みあ)の扱う「灼熱狂いの殺生岩」の劣化版だ。本当は元の威力を持たせたかったのだが、どう再現しようとしても消費する妖気が多すぎたので炬香(こか)が使い易いように威力を抑えた使用になっている。そんな炬香(こか)の左右から生まれた燃える大岩は、炬香(こか)の進路を塞ぐように待ち構えていた人間の直前にぶつかり、大量の土砂を巻き上げた。

 炬香(こか)はその土塊(つちくれ)(まぎ)れて囲みを突破、(あずさ)の待つ目標ポイントへ向けて走り出した。さすがに美烑(みあ)を抱えている以上、飛んでいくことはできそうにない。

 それでも妖怪の足、イヌ科の動物である狐を原型とするモノノケの足だ。自分より重たい美烑(みあ)を背負っていても普通の人間よりは速い。

 あくまで普通の人間よりは。

 平均タイムより速い人間はいくらでもいるものだ。

炬香(こか)、迫ってきてる』

「っ、我が手に宿りし燈火(ともしび)は、怨敵喰(おんてきく)らい黄泉路(よみぢ)(いざな)う、『冥府(めいふ)篝火(かがりび)』っ!」

 不用意に近づいてきた先頭の人間に炎が喰らいついた。

 しかし全ての炎を制御できるほど炬香(こか)の技術は高くない。残りの火球(かきゅう)は他の人間の間を右往左往するばかりで、あまり牽制(けんせい)の意味をなしていない。人間のほうもそれほど危険ではないと判断すると、再び追走(ついそう)を始めた。

炬香(こか)、矢が()たれている、もう1回だ』

 普通の人間が放つ矢は炬香(こか)には当たらずとも、美烑(みあ)には当たる。

「っ……(これ以上は、頭が……)」

 混乱した炬香(こか)の速度が目に見えて落ちた。

炬香(こか)……ちゃん、全部の……火を……操ろうとしなく……ていいの……。十……くらいにまとめて……」

 動揺したのが伝わったのだろう。途切れ途切れだが美烑(みあ)が助け舟を出す。炬香(こか)の耳がくいっと美烑(みあ)の口へ――頭の後ろ側に向いた。

「いくですっ、『冥府(めいふ)篝火(かがりび)』」

 今度は先頭を走る人間だけでなく、その後方の人間にも命中していく。

「矢……は、炬香(こか)ちゃんの……走る先を……予想して……放っているはず……。だから、軌道を……ずらせば、進行方向を……変えれば……」

 炬香(こか)美烑(みあ)の言葉を信頼して大きく右へ、本来走るはずだったところに矢が刺さるのを横目に身ながら、斜めに走っていく。

「ひょっと……したら、こっちにも……飛んでくる……かも、……だから、後ろに……篝火(かがりび)を、3つ……くらい、集めて……」

 炬香(こか)が展開した背後の篝火(かがりび)からじゅっという音が聞こえた。

 それが何の音であるか、炬香(こか)が理解し、反応する前に体が傾いだ。美烑(みあ)炬香(こか)の左腕を下へ引いたのだ。

 そうは言ってもすでに気絶寸前……、いや一度は気絶した身だ。せいぜいバランスを崩すぐらいのことしかできない。炬香(こか)の背中は、今も流れ出す美烑(みあ)の血液で染みが大きくなっている。

美烑(みあ)さっ……?」

 何事か問おうとした炬香(こか)の右……、髪の毛の間から羽根を(くゆ)らせた矢が飛び出して、地面に突き刺さった。美烑(みあ)が懸念したとおり、いくつかの矢がこちらに飛んできていたのだ。

「止まっちゃ……だめ、お兄ちゃんの……ところに……」

「はいですっ!」

 一瞬呆けていた炬香(こか)だが、すぐに美烑(みあ)を抱え直して走り出す。人間たちもすぐに2人の後を追う。

「狙いは……人間、の……少し、前」

 追ってくる人間の前方、今まさに足を着けようとしている地面を炬香(こか)の操る炎が(えぐ)っていく。ちゃんと狙っているわけではないため、ときどき直撃を受けて吹っ飛んでいる運の悪い人間がいるが、基本的に倒すには至っていない。

 いくら妖符(ようふ)で攻撃力が上がっているとはいっても炬香(こか)の妖気は少ないし、一回一回照準を合わせる余裕もない。

「きええぇいっ!」

 そして照準を(しぼ)っていないからこそ、そこを突破してくる人間が存在する。槍を突き出し炬香(こか)に肉薄。何とか回避はするもののその切っ先が炬香(こか)の右足を引っ()いた。

「あぐっ、ぐっぎっ……、ああぁぁぁあああっ!」

 炬香(こか)は突然の痛みと脱力感に傾いていく体を叫び声と共に強引に立て直す。しかし襲ってきた人間はそのままだ。前に走る余裕しかない炬香(こか)を再び狙う。

「はーっ、ぐっ、うぅぅ……」

 ぼわっと。

 美烑(みあ)の2対の尻尾の先に炎がともる。その尻尾を勢いよく振り回して人間を吹き飛ばした。

美烑(みあ)様……」

「このぐらいは……ね」

「ありがとうです」

「ごめんね……こんな、事しか……できなくて」

 炬香(こか)は答える代わりに美烑(みあ)をきゅっと抱え直して(あずさ)の元へと向かう。

 ぬかるみに足を滑らせながら、ときどき飛んでくる矢を避けて、人間の攻撃をかわす。

 そうしているうちに(あずさ)の待つ崖が近づいてきた。

炬香(こか)、少しずつ右へ寄ってくれ』

 (あずさ)から炬香(こか)伝話(でんわ)が届く。

『右?』

『林を迂回(うかい)するように、だ。斜め前から大量の土砂をぶつけるから、無理してでも崖を這い上がれ』

 炬香(こか)の進路が右にそれ始めた。

「また……炬香(こか)……ちゃんに、無理、させて……」

炬香(こか)は嬉しいのですよ。美烑(みあ)様と(あずさ)と、3人で戦っている事が。それより、ちゃんと(つか)まっていてくださいです、そろそろなのです」

 炬香(こか)美烑(みあ)、双方の耳が斜め上……崖の上を向く。

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