弐ノ幕 雨天防衛戦1 3人で生き抜くために
「っくう……、こんな時に……、ぐしゅっ」
今日も今日とて人間からの襲撃を受けている美烑稲荷。その山裾の台地で美烑が大立ち回りを演じている。
しかし、その様子がおかしい。
『美烑、まだ保つか?』
剣戟を避け、狐火を叩き込む美烑の頭の中に梓の声が響く。
例の「伝話」だ。妖気を感知できない普通の人間には声を聞きとることはおろか、感知することもできない。
『うん、生きて勝つんだから、あたし達が!』
数日間の練習で、梓に痛みを与えない程度には妖気を抑えることには成功している。
『無理すんなよ、風邪引いて本調子じゃないんだから』
しかし、美烑はその練習で風邪を引いてしまった。
有り体に言えば「無理をした」から。
もっと詳しく言えば、「伝話」に使う妖気を抑えようとした結果、自身を覆っている妖気の防護膜みたいなものまで薄まってしまった。
そのために美烑の体内に彼女以外の妖気やら、生気やらが流れ込んだ。それが彼女の体調を狂わせているのだ。
『耳の中は大丈夫か?雨が入ると悪化するぞ』
おまけに雨が降っていて足場が悪い。
美烑の着る襅の袖は破けて抜けているため、腕を振り回すのには苦労しない。それでも雨水を吸った分だけ服が重くなって動きにくくなる事に変わりはなく、小柄な美烑にとってその重さは成人以上に負担となる。
『美烑、予定位置からズレ始めている。北へ八間移動して仕切り直し……できるか?』
『うんっ!』
美烑が振り下ろされた刀を打ち砕き、右の囲いを突破。襲ってくる人間を引き連れるように北へ戦線を引き伸ばしていく。
「(とりあえずはまだ保つか……。死ぬなよ美烑……、そんなの俺達は望んでないからな)」
一方。さっきから指示を飛ばしている梓は、戦場が見える山の中腹、その林の中。木だけでなく下草もかなり茂っているところで、美烑や他の人間たちからはその姿を捉える事ができない。
『炬香、そっちはどうだ?』
梓は美烑のほうを目で確認しつつ炬香に連絡をとった。
『六地蔵は越えたです。……それより、美烑様は大丈夫なのです?風邪引いているですよ?』
『あぁ、ちゃんと確認してる。ヤバそうだったらちゃんと引かせるから、炬香は穴掘りに専念してくれ、美烑のためにさ』
『べ、別に梓のために働いてやってもいいのです……』
目の前にいたら確実に赤面していそうな炬香の呟きが聞こえた。
『そ、その美烑様が「あたし達で勝つ」って言ってたです。だから、だから炬香も美烑様だけじゃなくて、梓のためにも戦ってやってもいいのです』
炬香は照れ隠しなのかぺらぺらと喋りだした。
しつこい様だがこの伝話、妖気を感知できないモノには聞く事ができない。しかし、妖気を感知できるモノは聞き放題だったりする。
『あ~炬香?何か勘違いしているようだが、コレ聞いてるの俺だけじゃないぞ?』
『え?』
『炬香ちゃん可愛い~!神社に帰ったら思いっきり抱きしめてあげるからねーっ!!』
2人の間に戦闘中の美烑の声が響いた。
『み、美烑様?何で?』
『この「伝話」は妖気を感知できるヤツなら誰でも聞けるんだ。しかも美烑は俺達より妖気を扱うのがうまい。離れた場所に居ても俺達の薄い妖気を感知できるほどにな』
『な、にゃ、な』
『炬香ちゃん最近、どんどん可愛くなってるよね~。っと、危なっ!?……あたしにももっと甘えてくれればいいのに~』
どうも戦いをこなしながら2人の会話に割り込んできているらしい。
『美烑は目の前の戦いに集中してろ、命取りになるぞ。……こっちの会話は聞いてていいから』
『は~いっ!』
元気のいい返事を最後に美烑の巨大な気配が弱まった。こちらに向かってくる妖気の量が減ったらしい。
『お~い、炬香?』
『あ、え、……』
『呆けてないで穴掘り再開。俺のために、さ』
『は、はい……です』
炬香のほうも作業を再開したようである。
今回は美烑、炬香、梓の共同作戦。
美烑が人間を所定の位置まで引きつけ、炬香が川の水を引き込み、梓がタイミングを見て崖を爆破、土砂崩れを起こして人間をまとめて押し潰す。
本来ならもっと襲ってくる人間が増えてから使うつもりだったのだが、美烑の不調に加えての悪天候。作戦にとっては好条件だったために強行した。
一見梓の仕事は簡単そうだが、爆破のタイミングが難しいことに加えて、炬香の進捗状況と美烑の戦況を見なければならない。
さらに言えば梓に戦闘力はない。人間に見つかったら最期、抵抗する術がないのだ。
「(問題は美烑がどこまで粘れるか……だな。炬香が雑霊たちを有効に使っても、まだ一刻はかかるだろうし)」
梓は戦場を確認しながら視線を背後に向けた。
木の葉がうっそうと茂った林の中、そこに起爆装置がある。
「南蛮渡来の火薬に、越後の燃える水……臭水は準備完了。後は雨に濡れなきゃいいが……」
木の根元に設置してあるうえに大きな葉で覆っているため、直接雨があたる事はないが湿気までは防ぎようがない。
特に火薬が問題だ。
ちなみに臭水とは石油のことである。さすがに生成しているわけではなく、いわゆる原油状態の代物。こちらも雨水が混じると極端に爆発力が落ちる。
まだ雨に濡れていないことを確認して、美烑が見える位置に戻る。
「はああぁぁっ!!」
美烑は未だ健在。30人を超える人間に囲まれながらも孤軍奮闘。振り下ろされる刀を避け、打ち出される拳を払いのけ、強靭な爪で腕を落とし、燃え盛る狐火を叩きつける。
しかしその動きにはキレがなくなってきている。足を滑らせてバランスを崩したり、タイミングを外して服を破かれる事が増えてきた。
それでも梓は止めないし、美烑もあきらめたりはしない。
「きぇいっ!」
髪も尻尾も振り回し、美烑は闘い続ける。
その戦いのやや後方、美烑を囲っている人間からやや離れたところにも別の人間の集団がある。美烑の反撃を受けて辛くも命を取り留めた者が治療を受けている場所、いわゆる野戦病院だ。
梓も美烑も何回か前の襲撃から気づいてはいたが、基本的に戦意喪失・満身創痍の者ばかりで、治療が終わってもそのまま戦線離脱するものがほとんどのため放置していた。生きて帰った人間が美烑の強さを喧伝し、人間の襲撃の抑制になればという考えもある。
その野戦病院の幌が設置してある地面が、突如轟音と共にまくれ上がり土煙が上がった。
チュイイイイィン
何か金属が高速で軋むような音がする。
美烑も音に気づいて耳がそちらを向くが、梓に「目の前の戦いに集中しろ」と釘を刺されているため戦闘を継続。騒ぎに反応して動きの止まった人間を何人か薙ぎ倒して囲みを突破。距離をとってから、音のしたほうを確認する。
「何……?」
幌が張ってあるせいで地面が濡れず巻き上がった土煙だが、雨に濡れてあっという間に引いていく。
「う……あぁ……、ぐぼっ」
「痛えぇ、痛ぇよぉ……、ぐべっ」
まだ治療の途中だったのであろう、うめき声を上げている人間の首が次々に落とされていく。
刈っているのは黒い影。
「ふんっ。たった一人の小娘に、これだけの数の男が寄ってたかって攻撃するというだけでも興醒めだとうのに、負けて尚、醜態をさらすとは……」
扱っているのは長髪痩身の男。
「き、貴様、何と罰当たりなことを……っ!」
食って掛かるのは坊さんの格好をした壮年の男性だ。美烑も何度か見た事がある。この野戦病院ができたころから治療に当たっていた。美烑を調伏しようとしない珍しい人間の一人である。
「『罰当たり』……か、確かにその通りだろう。
しかし、……今は私の武士道を優先させてもらう」
チュイイィィン、キィン
さらに地面に伏している別の人間の首を刈り取った得物が、男の手に戻ってくる。
「士道は死ぬことと見つけたり、武士道の基本すら解さぬか……」
男が手にした武器は日本刀に似ている。しかしその刀には鎖がつながっていた。その鎖は男の腰のあたりにぐるりぐるりと巻かれ、両腕にもまた螺旋状に巻かれている。
鎖鎌の刀版、……鎖刀といったところか。
「貴様、同じ人間同士で……」
坊さんとは別の、日本刀を構えた人間が男に迫った。
「何を今更。東の国々は血で血を洗う乱世の時代、妖なんかと闘ってる貴君らのほうが異常なのだ。だいたいそこの妖を倒したら、貴君らも人間同士で闘うのだろう?」
男は語りながら再び鎖刀を投擲した。立ち塞がった人間に向かってまっすぐに飛んでいった刀はしかし、その人間の持つ日本刀に弾かれて明後日の方向へ飛んでいく。
「貴様の武器は俺には通用しない、覚悟するんだな」
「フッ、浅はかだ。軌道の読みやすい攻撃を防いだだけで天狗になるか……」
くいっと男が指を動かすと、鎖刀の軌道が急に変わった。弧を描くように急旋回すると得意がっている人間の首を後方から斬り落とす。
「次は誰か?」
男は戻ってきた鎖刀を構えなおした。辺りを見据えたその視線が、足元に座り込んでいる坊さんを捉えた。
「私も……殺すか?」
「いや、貴殿は武士ではない、故に殺さぬ。貴殿は貴殿なりの道を貫いている者と見た。
……私の武士道を阻むというのなら容赦はしないが、貴殿に戦闘力はないだろう?
そこで刮目しているがいい、我が武士道を」
男はキッと目を前方に向けると両手の鎖刀を投擲した。再び響き渡る金属音。武器を構えている者の首が次々と落とされていく。
「死にたくなければ去るがいい。神聖なる戦場からっ!!」
『お兄ちゃんっ!あの人間……』
『ああ、こっちでも確認してる。なんだあの強烈な自己中男は……。
美烑、危険だから注意だけしておいて、あまり近づくなよ』
『どうしよう、お兄ちゃんより個性が強い……』
『他に言うことないのか美烑』
『炬香も見たいです』
『炬香は穴掘りしてなさい』
『また炬香だけ除け者ですか、梓ぁ!……ま、いいのです。穴掘りはこれで……終わりっ』
炬香は最後に小川の淵に繋がる穴を空けた。最初は小さな穴だったが、水圧に押されて徐々に大きくなってく。
『注水開始です』
『よし、よくやった。後で撫で撫でしてやろう』
『……っ』
『そこで言い返されないと気まずいんだが?』
『だだ、だって、……です』
『あん?』
『楽しみなのですっ!(照・恥・怒)』
『あはは、炬香ちゃん可愛い~。あたしも抱きしめてあげるよ~』
『うわわ、尻尾が止まらないのですよ~』
『あ、そうしたら、あたしもお兄ちゃんの膝の上だよ。尻尾が止まらな~い』
『お前らな……、今は戦闘中だぞ。特に美烑』
炬香が送ってくる、ある意味桃色な妖気に当てられたのか、梓も美烑もちょっぴり赤面している。
『……ったく、仕切りなおしだ。作戦は第2段階に移行。炬香はちゃんと溜め池まで水が通ってるか確認した後、美烑に合流。
美烑はゆっくり目標地点まで人間を引っぱれ。あの鎖野郎はほっといて良い。今はまだ美烑を攻撃するつもりもなさそうだからな』
『はい、です』
『うん、わかった』
答えると同時に美烑の動きが少し変わった。
今までは反撃をしてもそのまま突き進まず、元の位置に戻って人間の集団を釘付けにするような動きだったのを、囲いを破るように切り込む動きに変えた。
すると徐々に囲いが動き始めた。
「(よし今のところ順調か……、不安要素はあの鎖の男。攻撃してくるのは時間の問題だろうし……)」
ついと視線を美烑の後方へ向けると、既に野戦病院は壊滅状態。鎖の男は未だ武器を向けてくる人間を相手に戦っている。
ガササッ
「梓っ!」
炬香が自分で作った水の道をつたって降りてきた。
「漏れてるところはなかったか?」
「当たり前ですっ!……危なそうなところはみんなにお願いしてきたです。一刻ぐらいならもつですよ」
炬香の言う「みんな」とは雑霊たちの事だ。
「そんなに時間はかからんから大丈夫だな……。
炬香、釣られてこなかった人間を美烑のまわりに押し込めるか?」
「えっと、具体的にどうするです?」
「適当に狐火で驚かせたり、攻撃したりすれば良いよ」
「ん~?」
炬香はあまりイメージがわかないようだ。
「集団の動きに合わせるようにな……美烑が追い込まれる前に頼む」
「梓に言われるまでもないのですっ!」
炬香は叫ぶと一気に崖を下る。張り付くように降った後、地面すれすれを飛んで美烑が引き連れている集団の後方へ。
「ぐずぐずするなですっ!のんびり歩いていると炬香の炎で焼いちゃうぞ、です!」
他の人間が邪魔で攻撃できず、遠巻きに歩いていた人間に炬香は攻撃を開始した。最初は小さな狐火で軽く驚かせ、振り向いたところに本格的に炎を浴びせる。
さらに反撃をしようとした人間には、土を浴びせる。
火生土。
火はあらゆるモノを燃やし、生物を育む大地を生み出す。
陰陽五行説の基本である。
美烑は元来「狐」という生物であったため己の肉体による物理攻撃を主体とするが、炬香はそもそも霊体、エネルギー体であるため、妖気を攻撃の主体とする。
それでも長年妖気を使ってきた美烑のほうが扱いに長けてはいるのだが。
炬香の攻撃は炎による妖気攻撃と、土による半物理攻撃に大別される。
「やああああ、ですっ!」
慌てて反撃しようとする人間の顎に、巻き上げた土やら石やらをクリーンヒットさせるが、その隙を突いて別の人間が炬香に斬りかかる。
「この化け物があぁぁぁぁ!」
そして炬香の最大の特徴が絶対的な防御力。いや、正確には防御力ではない。炬香を殺すべく振り下ろされた日本刀はしかし、炬香の体どころか身にまとっている黒い巫女服をも破く事もなく透過した。
普通の武器では炬香を傷つけることができないのだ。さらに言えば普通の人間には炬香に触れることすらできない。
霊体である炬香は厳密に言えば肉体がない。物質的な存在ではないのだ。人間である梓も自分の周りに微量の妖気をまとわせることで、炬香と触れ合う事ができているのである。
「なっ……」
「そんなもの効くか、です!」
もちろん例外は存在する。物質的な武器でもその周りを霊気や妖気で覆っていたり、何か霊的な加護を受けていたりすると、普通に負傷する。
厄介なのが達人級の人間だ。
俗に剣気や殺気といわれるものを無意識に発散しており、それが武器も覆っているために攻撃を受けやすい。
炬香を前線に出せない理由は他にもある。
まるごとエネルギー体である炬香は、その源である妖気がなくなると自然消滅してしまう。燃えるものがなくなれば火が自然に鎮火するように。当然ながら、闘えば闘うほど妖気を消費し、体内保有量が減っていく。
『炬香、あんまり飛ばすなよ。少し息苦しくなったらすぐこっち戻って来い』
『わ、わかったのです』
「(とはいえ、あまり頻繁に戻ってこられるとこちらの位置がバレるんだけどな……)」
警戒されてしまえば不意を突く事ができなくなり、作戦が失敗する可能性が高くなる。
「さて、こちらはこれで終了、私も戦場へ向かうとしよう」
戻ってきた刀を両手に携え、ついに鎖の男が動き出した。
「ふむ。増えているな……。アレはあの妖の能力か、あるいは新たな妖か」
誰が見ているわけでもないのに、ジャラリと鎖を奏でてポーズを取る。
「さて、私も参戦しよう……」
とん、と軽く跳ねるような足取りにも関わらず、1足で2メートル以上を走破する。そのまま他の人間の間を飛び回る炬香目がけて鎖刀を投擲した。
「ぐべっ!」
「ぎゃっ!?」
その直線状に居る他の人間の首を落としながら、鎖刀は炬香へと突き進む。
人間の声に反応した炬香が振り向くと、既に鎖刀は目前に。
「っ!?」
咄嗟に炬香は空中で後方に宙返り。小さな炬香の体スレスレを鎖が抜けていく。
「ほう……」
感心したような男の声に視線を向ければ、さらにもう一本の鎖刀が炬香の体目がけて向かってきていた。
「またっ!」
もう一度宙返りしようとして、後方から迫る風切り音に気がついた。
音は前から来るものと同じ。
つまり、さっき避けた一本がこちらに戻ってきている。炬香はそう判断して一気に急降下した。さっきまで自分がいた場所を見上げた炬香の視界に、前後から迫ってきた鎖刀がぶつかるのが見えた。
ガギィンという金属音に混じって男の声が聞こえた。
「白刃の滝」
刃と刃をぶつからせた鎖刀は衝撃で左右に弾かれることはなく、まるで見えない人間が打ち合っているかのように何度も金属音を立てながら下に――炬香に向かって降りてきた。
「ふえぇっ!?」
炬香は慌てて軌道修正。急降下していた身体を強引に水平方向へ、地面を何度か蹴って再び浮かび上がる。
一方の鎖刀は地面を軽く抉った後、男の両手へ帰っていた。
「面白い。前後左右はおろか上下移動まで可能とは……」
男は再び鎖刀を構えて投擲した。
「だが、それは私の得物も同じことっ!」
再び炬香へと向かっていく鎖刀。タイミングを見て避けようとした炬香の視界が突然奪われた。
「え?」
まっすぐに向かっていた鎖刀が90度回転、腹を向けたことで炬香の視界を塞いだのだ。
炬香は小さいが故に攻撃があたらない。しかし今回はその小ささが裏目に出た。身体が小さい分炬香の視界は狭い。故に眼前で細い日本刀が横を向いただけで前が見えなくなる。
『炬香、後方へ急速移動』
「っ!?」
頭に響いた梓の声に反応して後ろへ身を引き始めた炬香の真下から、もう一本の鎖刀が斬り上げた。
『炬香っ!!』
鎖刀は炬香の左足から右肩にかけて真っ直ぐに線を作る。
「ほう……、何なのだその体は?」
巫女服を破られ、肌に赤い線をつけられた炬香は顔を歪めた。しかしそれは身体を傷つけられた痛みに、ではない。自身の妖気を削られた苦しみで、だ。
視線が安定していない。妖気を失ったショック症状で前が見えていない。
「っ……、自身の回復を優先……です。はやく……」
炬香の破れた服は元に戻り、肌についた赤い線もすぐに消えていった。しかし、失った妖気は回復しない。
「確かに斬ったはずだ……、だが手応えがまるでない。おまけに斬ったはずの服まで再生するか……。これが妖というものなのか。
……だが、一度斬りつけて死なないからと言って、何度斬られても死なないというわけではないだろう?」
じゃらんと鎖を構えなおして鎖刀を投擲した。
対して炬香の動きは緩慢だ。男が再び鎖刀を繰り出してきたのはわかったのだろう。少し身体を斜めにして攻撃が当る確立を減らし、膝を曲げてすぐに移動できるようにする。
しかし、それでも見えない。
『梓……』
『右へ五寸』
炬香は梓の声に反応して右へ15センチほど移動。
『左へ八厘、下へ七寸、前へ二分、後へ三厘、左……』
梓の声に反応して炬香が動く、虚ろな視線を前に向けたまま。鎖刀もその炬香を追って縦横無尽に動き回る。
『お兄ちゃんっ!ひょっとして炬香ちゃん……、あの変な人間と戦ってるの?』
2人の伝話から炬香が闘っているのに気がついたのだろう。美烑が再び割り込みをかける。
『お前はそのまま引き付けろ。今動くと作戦が崩れる』
炬香に指示を飛ばしながら美烑にも指示を飛ばす。
『美烑?』
反応がない美烑に梓は聞き返した。
『お兄ちゃん、本気で言ってるの?』
『え?どした美烑……?』
美烑の声が低い。
『その作戦は何のためなの?
あたしたち3人で生き残るためでしょ?
炬香ちゃんが死んじゃったら意味ないよっ!』
悲しみと怒り……そんな感情を伴った妖気が梓を叩く。
梓は自分の頭を木に打ちつけた。
『そうか……、そうだな、いや……そうだ。美烑、作戦中止!炬香の救援の迎え、場所は北に一間っ!』
『うんっ!』
美烑は頷くと急ブレーキ。止まりきれなかった人間は置き去りに、目の前に居る人間は押し退け、切り裂き突き進む。
「邪魔ぁぁぁぁっ!」
「ほう、ここまで攻撃して命中は最初の一撃だけとは。ならばこれはどうだ、『鎖縛百景』」
炬香を攻撃していた鎖刀の動きが変わる。
まず動きが速くなった。ただ順番に攻撃していた刀も規則性が無くなり、その柄に繋がっている鎖までも炬香の周りを取り巻き、行動範囲を狭めていく。
『炬香、これじゃ俺の目では……』
『大丈夫、もう見えてるです』
『そうか、……美烑を向かわせた。もう少しがんばれるか?』
『っ、美烑様は風邪引いてるですよ、それなのに』
『俺達3人で生き残るんだ。お前がいなくなったら、美烑も、俺も悲しい。それだけは絶対にできない』
『……わかったのです。梓も無理するなです』
炬香は周りを見回す。
「(とは言っても、炬香にも見切れるものではないのです。ならば)」
炬香は自分の足元から火を吹き上げた。自身が隠れるほどの巨大な炎。
「そんな子供だましで、私の心眼をかわせるとでも?」
「……」
炎で覆われるのは一瞬で、わずかに動いた炬香の口から発せられた言葉は届かない。
「まあ、よい。これで幕引きとさせてもらうぞ、妖の娘」
炎に包まれた炬香に2本の鎖刀、そしてそれに繋がる鎖が殺到した。
ガキンッ
「む?」
硬いものを叩いたような衝撃が鎖刀に伝わって男が顔をしかめた。視線を前に向けると、炬香の居た場所に大きな石が浮かんでいる。
火生土。その応用で、土を押し固めることで頑強な岩としたのだ。
「何と、岩すら自在に生み出すとは……。しかしいつまでも防げるものでもない。圧倒させてもらおう」
再び放たれた鎖刀は縦に並んでいた。もし炬香に前を確認する事ができたら、刀は一本につながっているように見えただろう。
1本目の鎖刀はガキンという金属音を奏でて岩の表面に当たると、上へ跳ね上がった。直後に2本目が寸分たがわぬ場所に刃を突き立てる。しかし、岩を割ることはかなわず、1本目と同様上へ跳ね上がる。
すると跳ね上がった1本目が降下。1回目、そして2本目の刃が突いたのと同じ場所に刃を刻む。
ガキン、ガィン、キィンと。
何度も金属音が鳴り響き、徐々に炬香の作り出した岩の表面が削られていく。
炬香にもこの防御方法では不十分であることは分かっていた。
土生金。
金――すなわち金属は、鉄鉱石しかり、水晶しかり地中より生まれる。別の捉え方をすると、金は土を割り裂いて生まれるものとも言えるのだ。
つまり、いかに土を押し固め頑強な岩をつくる事ができたところで、「土」属性である以上「金」属である刀に割り裂かれてしまうものなのである。
さらに今は雨が降っている。
水剋火。
当たり前のことだが、水は火の熱を奪い鎮火させてしまう。土を生み出すための火の出力が上がらない。
そして、その時はすぐにやってきた。
「ぎっ!」
炬香のつくった岩を割った刀はそのまま直進。炬香の右脇と右肩を撫で斬りにして後方へ飛んでいく。と、突如右へ急旋回。刀につけられた鎖も引っ張られて、炬香に襲い掛かる。
「がふっ!?あああぁぁぁぁぁっ!!」
鉄の鞭と化した鎖に打たれ、炬香の身体が岩から飛び出した。そのまま2度3度と大地を跳ねた後、水溜りに落ちてようやく止まる。
「うっああぁぁぅ……、はぁっ、はぁぅっ!」
何とか起き上がるものの、呼吸がおかしい。たった2、3回攻撃を受けただけだが、それでも小さな炬香の体内妖気は半分以上減らされてしまった。
『炬香、もういい戻れ。可能な限り全力で』
『ダメ、なのです。今戻ったらこの人間に梓の位置が知られるです』
『それでもかまわない。もう作戦もへったくれもないからな』
『そうじゃないのですっ!梓を守れるほど炬香は強くないのです。梓に死んでほしくないのです。だから、だから……』
ジャラリ
炬香は金属の擦れる音に反応して前を向いた。そう炬香はそこで初めて自分が振り返っていることに気がついたのだ。
梓が隠れている方向を。
「仲間はあそこか」
男が呟いた瞬間、炬香は火を放ち、土を振り掛けた。
「おっと……」
「ダメっ……ダメェェェッ!」
「む?」
炬香が男の視界を遮るように立ち塞がり……、もとい浮かび塞がった。しかしそのボロボロの身体は右に左に揺れて、安定しない。服の破れも補修されず、体の傷も全く治っていない。
妖気が少なくなっているにもかかわらず、さらに妖気をつかったせいで回復が間に合っていないのだ。
「はぁっ、はあっ、だめ……です。行かせないの……です」
「無茶は止せ、そんな体で何ができる?」
「ここは行かせないのです。どんなに斬りつけられたって、どんなに鞭打たれたって、炬香は動かないのです。
炬香は殺されてもいい。調伏されてもいい。
それでもここは通さないのですっ、うぅうう」
涙を流しながら、息を荒げながら、フラフラになりながら、それでも炬香はそこに留まり、腕を広げる。
「……致し方ない。小さな童子を殺すのは武士道に反するが、引導を渡すは戦場に立つモノの定め」
男は片方の鎖刀を投擲した。ただ無造作に、しかしまっすぐに炬香の眉間を狙う軌道で。
「うあっ……」
単純な軌道だが、疲弊した炬香にとっては十分な脅威。避けなければと思ったときには既に鼻先に。
「……っ!(美烑様、梓……ごめんなさい。炬香は……)」
「我が手に宿りし燈火は、怨敵喰らい黄泉路へ誘う、冥府の篝火」
真上から降ってきた無数の炎が炬香に向かっていた鎖刀を叩き落とす。さらに別の炎が虚空に生まれ、鎖刀を放った男に殺到した。
「っ、なんのっ!」
男はもう片方の鎖刀を高速で振り回すと向かってきた冥府の篝火を残らず叩き落した。そして次の瞬間には両手に鎖刀が戻っている。
ずざぁぁっと音を立てて炎の舞台に狐の少女が飛び込んだ。
「っはぁ、はあっ。……助けに来たよっ、炬香ちゃんっ!」
「美烑様……、そんな体で無理しないでほしいのです。炬香なんかのために……」
「無理するよっ!死んでほしくないもん。炬香ちゃん……守らせて?」
フラフラと揺れている炬香を掴まえて、ぎゅっと抱きしめる。ついでに少し妖気も分けた。今のままでは梓のところまで戻るのもおぼつかない。
「美烑様っ!」
守られただけでなく、妖気まで与えられことに恐縮する炬香だが、
『炬香、とりあえずこっち戻って来い』
『でも、梓……』
『それ以上そこに居たら戦いに巻き込まれる。美烑を助けたいなら早く戻ってきて妖気を回復しろ』
『ちょっと、ちょっとっ!まだ炬香ちゃんを戦わせる気なの?』
『お前が俺達を守りたいように、俺達もお前1人戦わせる気はないんだよ』
『でも、炬香ちゃんボロボロだし……』
割り込むように反論し始めた美烑だったが、
『美烑様だって十分ボロボロなのです』
『炬香を危険な目にあわせたくなかったら、さっさとソイツを倒せ』
『あたし結構ボロボロなのに、無茶言うな~』
『とりあえず炬香は戻って来い。……戻れるな?急がず慌てず確実に戻って来い』
『わかったのです』
炬香はそこで肉声に切り替えて、
「必ず戻ってくるのですよ」
美烑を振り返りながら梓のいる林の中へ向かった。