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壱ノ幕 それぞれの想い

 時は平安末期――。

 (みやこ)(いま)だ貴族達により支配され、(ぜい)の限りを尽くした貴族文化が残っていた。しかしそんな繁栄にも(かげ)りが見えてくる。かねてより発生していた妖怪のかかわる不可解な事件、ここ最近その頻度(ひんど)が爆発的に上がった。

 それに呼応するように全国各地に不穏な空気が漂い始める。

 (みやこ)威厳(いげん)失墜(しっつい)した今、地方を治めていた国衙(こくが)領家(りょうけ)それに準ずる豪族たちが、己が領土を広め天下統一を画策し始めるそんな時代。

 列島の最北端に位置する蝦夷(えぞ)。その複雑な地形と自然環境から人を寄せ付けず、長い間人外の王国となっていた大和の国随一の危険地帯。

 古くは毛野氏と呼ばれる豪族がここを支配し比較的平和な地ではあったが、蝦夷(えぞ)の首長が逃げ帰ると、阿倍比羅夫(あべのひらお)大伴駿河麻呂(おおとものするがまろ)などが朝廷(ちょうてい)の指示のもと征討(せいとう)のために乗り込み、三十八年戦争と呼ばれる戦火が広がることになる。

 さらに最近は南方の陸奥(むつ)を治める安倍氏が勢力を拡大し、徐々に北上、蝦夷(えぞ)を少しずつ併呑(へいどん)し始めた。

 彼らが求めるものは、人・田畑、そして領土だ。

 山深いド田舎、それも険しい山の上にある美烑稲荷(まみあかいなり)など見向きするはずもない。

 しかし、そこに住む人にとっては違う。身近な場所に、人を襲うような存在が居て安心して暮らせるはずもない。

 実際に被害が起こっていなくても、だ。

 熊がすぐそこの山に居て安心して暮らせる人はそうはいない。結果、そこに危ない存在が居ると喧伝(けんでん)しだすようになる。

 それが泰平(たいへい)の世ならば、命知らずや物好きしか寄っては来ないだろう。しかし世は戦乱の気配が漂いはじめている。召抱(めしかか)えられた際、武功(ぶこう)があるほうが厚遇(こうぐう)される。

 ここ最近、美烑(みあ)を狙ってくる人間が増えたのはそういうわけだ。


「……そもそも(あずさ)は何でここに来たです?美烑(みあ)様を倒しに来たって言ってたですけど、他の人間たちほどこだわってるようには見えないです」

 ここは美烑稲荷神社まみあかいなりじんじゃ社殿(しゃでん)内。といってもお賽銭(さいせん)箱が置いてあったり、大きな鈴がぶらさがったりしている拝殿(はいでん)のほうではない。そのとなりに併設されている――平成の日本で言うところの社務所(しゃむしょ)、神主や巫女さんなんかが寝起きしている建物のほうだ。

 元は人間も住んでいたのであろうが、今は(あずさ)の他に人間はいない。美烑(みあ)炬香(こか)、それといわゆる魑魅魍魎(ちみもうりょう)と呼ばれる雑霊(ざつれい)やら浮遊霊(ふゆうれい)やらが住み着いている。

 その社務所(しゃむしょ)の一階、境内(けいだい)が見える広間に炬香(こか)(あずさ)が居た。畳なんて上等なものは敷かれていない。板間に茣蓙(ござ)……植物で編まれたカーペットが人一人分だけ敷かれている。

 引き戸もすべて木でできており、障子ではないため、明かりを得るためにほとんど開けっ放しになっている。

 美烑(みあ)は近くの川へ水浴びに行っていて、今はいない。当たり前だがこの時代、風呂なんて設備は地方神社に存在しない。

 そこで二人っきりになって、ふと思い出したように炬香(こか)(あずさ)に問いかけた。何のためにここに来たのか、と。

「……別に。ただ守るべきものを失って、生きる目的も失って、それでも生きなきゃなんなくて、……このあたりに来てみたら、人を食う化け物がいるっていうから、自分の知識で人の役に立てるかも、って思って来てみたんだ」

 と、(あずさ)は思い出すように語りだした。思い出したくない、というよりはあきらめたような、……まるで遠い過去を懐かしむ老人のような、そんな表情。

 顔を照らす月明かりが、顔の影を色濃くしている。

「そしたら、目の前にもっと困ってる奴が居てさ。人を食う化け物とか言われてるくせに、そいつ涙目でおろおろしてたんたぜ?

 ……気が付いたら手伝ってた」

 そこでふと言葉を切って。

「実をいうと楽しかったんだ。そして嬉しかった。こんな自分でも、まだ救えるものがあるんだって思えたから。美烑(みあ)と一緒に地縛霊(じばくれい)調伏(ちょうぶく)して、そして美烑(みあ)が笑顔になってくれて……」

 そこでふと、言葉を切る。

「……?」

 炬香(こか)が不思議そうに首を傾げた。

 (あずさ)はしばらく逡巡(しゅんじゅん)していたが、話を続けた。

「……ここに来た目的。

 ほんとのほんとは……、死にたかっただけなのかもしれない。美烑(みあ)に、……いや、人を()らうっていう化け物に殺されたかったのかもしれない」

 そこで(あずさ)は目を伏せて、(うつむ)いた。

「……あ、(あずさ)は、……(あずさ)は今でも死にたいです?」

 炬香(こか)(あずさ)の背中に向かって小さく問いかけた。

「何だよ、お前らしくない。聞かなきゃよかったとか思ってんのか?」

「だ、だって……」

 ゆっくりと近づいてきた炬香(こか)を、(あずさ)は自分の膝の上に座らせた。

 炬香(こか)は素直に従う。

炬香(こか)にも、記憶があるのですよ。……炬香(こか)炬香(こか)になる前の記憶。あの地縛霊(じばくれい)から解放してもらって、炬香(こか)の中心になった魂の、記憶の欠片」

 そこまで(しゃべ)って言い(よど)んだ炬香(こか)の頭を、(あずさ)が静かに()でる。

炬香(こか)は……あたしは、赤子(あかご)だったのです。いいえ、赤子(あかご)ですらなかった。記憶と呼べるほどはっきりしたものでもない……です。

 あたしは、生まれる前に死んでしまったのですから」

 きゅっと炬香(こか)の小さな手が(あずさ)の服を掴んだ。何度も確かめるように結んで開いてを繰り返す。

「だから、はっきり記憶と呼べるのもはただのひとつ、です。

 ……ただ、『生きたい』、と」

 ただひたすらに生きたかった、と。炬香(こか)はそう(つぶや)くと(あずさ)の胸に顔を(うず)めた。

「だからっ!だから炬香(こか)は嬉しいのです!こうして()れられる事がっ、こうして話せる事がっ、お休みって言って、おはようって言える事がっ!

 炬香(こか)は人じゃないっ、だけど確かにここに、こうして生きているのですっ!それがたまらなく嬉しいのですっ、泣きたいくらい楽しいのですっ!

 だっ、だからぁ……」

 (あずさ)は必死に生きたいと叫ぶ少女をぎゅっと抱きしめた。

炬香(こか)……」

(あずさ)にはわからないですか?伝わらないですか?

 炬香(こか)は生きたかったのです。人として生きて、愛されたかった。それができる(あずさ)は、そうして生きてこれた(あずさ)は、それでも死にたいのですか?殺されたいと言うのですか?」

 炬香(こか)は泣いていた。腕の中から(あずさ)を見上げる炬香(こか)の瞳は、怒りと、(かな)しみと、(ねた)みと、(うらや)みと、そしてやっぱり(かな)しみで。

(あずさ)……?」

 考えるように、思い出すように目を閉じてじっくりと言葉を捜す(あずさ)に、炬香(こか)が不安そうに声をかける。

炬香(こか)、言っただろ?俺も嬉しかったって、楽しかったって。お前と、美烑(みあ)と三人で暮らすこの生活を壊したくないって思ってるよ。

 この美烑稲荷(まみあかいなり)に来て、またそう思えるようになったんだ。お前たちのおかげでさ」

 (あずさ)はそこまで言って炬香(こか)の涙を(ぬぐ)う。

 今の炬香(こか)はされるがまま。

「ほんと、おとなしいなお前。眠くなってきたか?」

「そ、そこまで子供じゃないのですっ!……でも、今はそれもいいかもって、思ったりしてるのです」

 炬香(こか)(あずさ)の肩にあごをのっけて頬を()り寄せる。そして(あずさ)の髪の毛の匂いをかいだり、()めてみたり、手で遊んでみたり。

 いつになく甘えていると、そこへ。

「あれ、炬香(こか)ちゃんもう寝ちゃった?」

 美烑(みあ)が水浴びから帰ってきた。

 さすがに湯気が立つようなことはないが、しっとりと髪の毛や尻尾の毛が濡れている様は色気があると言えなくもない。

 しかもこの時代の服、平成の日本にある和服とは違いそれほど丈夫にできてはいない。美烑(みあ)が来ている白い上着は、美烑(みあ)の髪から垂れてくる水で肩の辺りが透けている。とは言え炬香(こか)(メス)だし、(あずさ)美烑(みあ)のことを家族……妹ぐらいの感覚でしか見ていないので、特に反応もないのだが。

「ああ、お帰り」

 炬香(こか)より先に(あずさ)が反応した。

「みみみ、美烑(みあ)様っ!?」

 と一拍遅れて炬香(こか)が振り返る。

 その顔は真っ赤。

「あれ?まだ起きてたんだ?何~お兄ちゃんに甘えてたの?」

 炬香(こか)は振り返っているものの、手は(あずさ)の肩と髪の毛に、体も胸に寄り添っている。

「ち、違っ!こ、これは(あずさ)がっ……。

 そ、そう!(あずさ)が落ち込んでたから炬香(こか)がなぐさめてやっていたのですっ!

 だっ、だから……」

 美烑(みあ)(あずさ)の顔をひょいと見るが、落ち込んでいたようには見えないし、美烑(みあ)の記憶にある限り、(あずさ)は落ち込んではいなかった。

「えっと……」

 困ったように戻された美烑(みあ)の視線に耐え切れず、炬香(こか)が飛び出した。

「ふえぇぇぇ~んっ!(あずさ)ごときに甘えているところを美烑(みあ)様に見られるとはっ!炬香(こか)一生の不覚なのですぅ!!」

 そのまま庭に飛び出して、森の中へ消えていったが、(あずさ)美烑(みあ)も追いかけたりはしない。炬香(こか)は小さいとはいえ人外(じんがい)。夕方に(あずさ)から精気(せいき)を補充したために飢え死にすることはないだろう。

 加えてこの神社周辺は美烑(みあ)の勢力圏内である。常に美烑(みあ)の近くに居る炬香(こか)に手を出せばどういうことになるか、妖怪はおろか獣も知っている。

「ごときって……」

 炬香(こか)の言葉に密かに傷つきつつ、(あずさ)は視線を美烑(みあ)に戻した。

「あの……、あたしもそこに行っていい?」

 そう言って美烑(みあ)が指差すのはさっきまで炬香(こか)が居た場所。

 (あずさ)の膝の上だ。

「え?何だよお前ら、二人そろって今日は甘えん坊か?」

「そういう日もあるんだよ~」

 のんびりしゃべりつつ(あずさ)の膝の上に腰を下ろす。腕とは別に、2本の尻尾がそれぞれ左右から(あずさ)美烑(みあ)自身を包む。

「どうしたんだ、今日の美烑(みあ)様は?」

「お兄ちゃんまで『様』とか言わないでよ。ん……、こうしてたいの」

 さっきまで炬香(こか)がしていたように、(あずさ)の肩にあごをのせ髪の毛の中に鼻を突っ込む。

「お前さ、さっきの話聞いてたろ」

「ふぇっ!?な、何のこと」

 しなだれかかるように甘えていた美烑(みあ)の体が硬直する。

「トボけるなよ。この大きい耳は飾りか?炬香(こか)のはお前の妖力で生まれたって理由で()えてるみたいだが、お前のこれは自前だろ?」

 そう言って(あずさ)美烑(みあ)の狐耳をイジリはじめた。

「う……あ……ん」

 耳の(ふち)や、その中の柔かい毛を触られて、美烑(みあ)が身をよじる。

「お狐様(きつねさま)の耳はかなり遠くまで音が聞こえるはずなんだけど?」

「ん……んぁ……、くすぐった……い……よぉ」

 身じろぎはするものの本格的に嫌がってはいない。その証拠に、ちょっと耳から手を放すとその(あずさ)の手を追うように美烑(みあ)の狐耳もそちらにたおれる。

「まだ白状しない気か?それじゃあ、次は……こうだ」

 そう言って美烑(みあ)(わき)の下に手を入れる。

「へ?ちょっ……それ、反則うぅ……うひゃひゃひゃっ?!やめっ!あじゅしゃっ!そ、そこっ!ひゃめっ!!……むねっ!胸触ったぁっ!」

「触るほどないだろ?つうか、いつもんなこと気にしてねえじゃねぇか?」

 本気で嫌がっていない言葉などで止まる(あずさ)ではない。ますますくすぐりの手をエスカレートさせつつ、次の獲物を探す。

「ほんとっ、やめっお兄ちゃっ、息できなきゅっ!?」

 仰向けでくすぐられていた美烑(みあ)が、四つん()いで逃げの態勢に入る。

「俺に尻向けていいのか?尻尾がら空きだぞ?」

 言われた美烑(みあ)咄嗟(とっさ)に手で隠したり、尻尾を振ったりして(あずさ)の手を避けようとするが、(あずさ)が狙うのは2本の尻尾の付け根。

「まっ、待っへぇ、それほんとに……」

「せぇーのっ!」

 (あずさ)は軽く声を出すと2本の尻尾の下側、比較的柔かい毛の生えているほうを、付け根から先のほうに向けてぐぐっと指で押し込んだ。

「にょほおおおっ!?」

 とたんに美烑(みあ)はぴんっと手足、ついでに尻尾も伸ばして絶叫。

 しばらくプルプルと震えていたが、突然ぴくんっと何かに気が付いたように体を震わすと、森の中へ一直線。

 5分ほどで帰ってきた。

「おしっこ漏らしたのか?」

「漏らしてないっ!普通に出しただけっ!!」

 美烑(みあ)が顔を真っ赤にしながら、再び部屋に上がってくる。

「だいたいお兄ちゃんが変なとこ触るから……」

 そのまま再び(あずさ)の膝の上へ。

「それで?白状するのかな」

 (あずさ)は再び美烑(みあ)の尻尾を手に取った。今度は強く持ったりはせず、やわやわと(いた)わるように()でたり()んだりしている。

「……聞こえてたよ。お兄ちゃんの声はよく聞こえなかったけど、炬香(こか)ちゃんの声は……」

 少し寂しそうな顔。

「どした?」

 上から(のぞ)き込もうとする(あずさ)の視線を避けるように、美烑(みあ)の視線は板間を這う。

「何であたしに話してくれないのかなって」

「あいつは美烑(みあ)大好きだからな~。心配かけたくないとか、不安にさせたくないとか思ってんだろ?」

 (あずさ)は不機嫌そうに(ゆが)美烑(みあ)眉間(みけん)を撫でる。

「話してくれないほうが不安だよ。炬香(こか)ちゃん自分のこと全然話さないから、記憶がないんだと思ってたし……。それに、あんなに『生きたかった』って……」

「成仏させたほうが良かったとか思ってんのか?」

 輪廻転生(りんねてんせい)。人や動物だけではなくこの世にある全てのモノには魂が宿り、産まれ、生きて、死んで、肉体は()ちて、魂は成仏(じょうぶつ)し、また新たに生まれ変わる。

 そんな当たり前を、美烑(みあ)(あずさ)阻害(そがい)して生み出された命。

 美烑(みあ)は唇を(とが)らせて押し黙っていたが、

「少し……」

 ポソリと呟いた。

「バカだなぁ、お前」

 その美烑(みあ)の唇を一指し指でつんつんとつつく。

「何だよぉ……カプッ」

 その(あずさ)の指を美烑(みあ)(くわ)えた。といっても甘噛(あまが)みだ。幼児がするような弱さではむはむと(もてあそ)ぶ。

炬香(こか)は言ってただろ?こうしてここで生活しているのが嬉しいって。いいんだよ、それで。いろんな幸せの形があるんだ。

 当たり前に生きることを幸せだって思うヤツもいれば、自分だけの経験を幸せだと思うヤツもいる」

 美烑(みあ)は不安そうに(あずさ)の服を掴み、こてんと頭を倒す。

炬香(こか)は言ったんだ。この生活が嬉しいんだって。(さわ)れる事が、話せる事が、泣きたいくらい楽しいんだって」

「ん……」

「だから、大丈夫。炬香(こか)は生まれたことを後悔してないし、俺たちを恨んだりしていないよ」

「……お兄ちゃんは?」

「ん?」

 未だ不安そうな美烑(みあ)が消えそうな声で問いかけた。表情は(あずさ)の胸に顔を押し付けているためにわからない。

「お兄ちゃんは後悔してない?あたしたち……あたしと炬香(こか)ちゃんと、ここに住んでるみんなとの、この生活……楽しい?

 来なきゃ良かったとか思ってない?」

 言いながらも不安が(つの)っていくのか、美烑(みあ)の声が震えている。

「楽しいよ。炬香(こか)じゃないけど、たまらなく楽しいよ。そして嬉しいんだ」

 (あずさ)炬香(こか)に言ったことを繰り返す。大切な人を失ったことも、ここには死ぬために……正体の知れない化け物に殺されるためにここに来たことも。

 それでもそんな化け物と呼ばれる少女……美烑(みあ)に出会い、炬香(こか)が生まれて、3人での生活が始まった。

 一度は()くした、生きる意味、目的、自信。

 (あずさ)が捨ててしまった、忘れたふりをしていた想いや願い。

 美烑(みあ)炬香(こか)との生活は(あずさ)に再び希望を見せてくれた。

 また生きたい、と。共に在りたいと思えるようになった。

「だから嬉しいんだ。こうして美烑(みあ)と話せる事が」

 しばし、ぽーっと(あずさ)の顔を見ていた美烑(みあ)がぽつりと。

「じゃあ、ずっと一緒に居てくれる?」

 すごく、すごく(さび)しそうな瞳で(つぶや)いた。

 それは多くの別れを経験したモノの目。

 出会うモノ全てが老い、死んでいく。家族も、友人も、つがいも、自身の子供さえ己を残して先立っていく。

 (しかばね)の荒野にただ一人、残されたモノの目。

「……」

 (あずさ)は軽く答えたりはしない。それほどまでに真剣な、必死な、悲痛な美烑(みあ)精神(こころ)

 じっくり考えて、そしてゆっくり答える。

美烑(みあ)……、俺は人間だ」

「……っ」

 美烑(みあ)の身体が強張る。

「どんなに頑張ったって、100年も200年も生き続けることはできない」

 (あずさ)は「永遠に一緒に」なんて事は言わない。人間の言う永遠なんてせいぜい自分が死ぬまでか、その子供が死ぬまでというのがいいところだ。美烑(みあ)は既に200以上を生きている妖狐(ようこ)。彼女にとっての「ずっと」は500年や1000年先の話。

 それがわかっているから、美烑(みあ)の願いをかなえてやる事ができないから、(あずさ)はゆっくり真剣に話す。

「俺はいずれ老い、美烑(みあ)を残して死んでいく」

「で、でも……(あずさ)の知識とか、風水(ふうすい)とか……陰陽道(おんみょうどう)とかを使えば……」

 (すが)るような声で問いかける美烑(みあ)に、(あずさ)は思い出すようにしながら別の話を始めた。

「……かつて大陰陽師(だいおんみょうじ)安倍晴明(あべのせいめい)って奴が居た。コイツは俺が使っている風水(ふうすい)以外にも暦法(れきほう)や・占星術(せんせいじゅつ)兵法(へいほう)なんてのまで収めていて、朝廷――人間の一番偉い人がいるところだな――そんなところにも強い影響力を持っていた。

 ある時その晴明(せいめい)泰山府君(たいざんふくん)っていう命を管理してる神様にお願いだか、調伏(ちょうぶく)だかして永遠の命を手に入れたらしい」

 泰山(たいざん)というのは中国に実在する山の名前で、当時の世界の果てだった。そこを超えるということは現世と離れるということであり、その山の向こうは現世とは違う世界と考えられていた。泰山府君(たいざんふくん)はこの世とあの世の境目を守るもの、閻魔(えんま)大王に近い存在である。

 つまり輪廻転生(りんねてんせい)を司る神様を支配下に置くことで、肉体が滅んでも今の記憶と経験を受け継いだまま、次の肉体で新たな一生を迎える事ができるようになったということだ。

「その人と同じことをすれば(あずさ)も『永遠の命』を得られるんじゃ……」

 (あずさ)は首を振る。

「いや、そもそも俺は泰山府君(たいざんふくん)にどうやって会えばいいのか知らない。それ以前に、永遠の命を手に入れたのなら、安倍晴明(あべのせいめい)は今どこにいる?」

「あ……」

安倍晴明(あべのせいめい)は永遠の命を手に入れるほどの天才だ。彼が生きていればそれとなく(うわさ)は流れてくるだろう。

 でも、そんな話は聞かない。

 彼がそれを手にしてから300年、朝廷内に君臨したわけでもなく、また大名の軍師になったわけでもない」

 美烑(みあ)の耳が目に見えてシュンとなった。

「……つまりさ、ただの(うわさ)。伝説とか御伽噺(おとぎばなし)の類なんだよ。……まぁ、お前や炬香(こか)が存在しているあたり、まるごと全部(うそ)ってことでもないんだろうけど。

 美烑(みあ)が俺の知識をすごいって思うように、他の人間たちも安倍晴明(あべのせいめい)や他の陰陽寮(おんみょうりょう)の連中に対してもすごいって思ったんだよ。

 そしてやっぱり今の美烑(みあ)と同じように彼らは思ったんだ。

 あれだけの知識と技があれば『永遠の命を手に入れられたはずだ』って」

 そこまで話して、美烑(みあ)が暗い顔で黙りこくっているのに気が付いた(あずさ)は、美烑(みあ)を胸に抱きしめて、

「『永遠の命』っていうのを手にすることはできない。やっぱり俺は美烑(みあ)より先に老い、死んでいく。

 でも、この心臓の音が続く限り美烑(みあ)と一緒に居る。

 例え全ての人間がお前の敵になったとしても、俺はお前の隣に立っていよう、……この命続く限り」

 人間にとって死ぬまで一緒にいる、という事はほぼ告白と同義だが、物の怪(モノノケ)にとっては意味が大きく違う。心や精神は共にあっても生きる時間が違う。

 (あずさ)は人間で、美烑(みあ)(あやかし)

 それはある意味で決別の言葉とも言える。お前と俺は違うのだと、(あずさ)は言い放ったに等しい。それがわかっていながらもはっきりと宣言したのは、美烑(みあ)が今までに多くの別れを経験してきたことを知っているからだ。

 ごまかす事に意味はない。

 別れてきたモノの中には人語(じんご)(かい)せないモノも居ただろう。いや、むしろそれが大多数か。いずれにしろ心で、言葉でずっと一緒に居ると誓ったモノたちは、残らず美烑(みあ)の前から姿を消した。

 あるいは死に、あるいは敵となって。

「うっ……ふぐっ……ふぅうぅぅぅ」

 (あずさ)の胸に抱かれてる美烑(みあ)の口から嗚咽(おえつ)が漏れる。

 「敵にならない」って言ってくれたのは嬉しくて。

 「一緒に居る」とは言ってくれなかったのは悲しくて。

 はっきりと別れの時が訪れることを宣告されたのは(さび)しくて。

 少しでも離れたくないと(あずさ)の服をぎゅっと握り締め、2本の黄色い尻尾が(あずさ)を包む。

美烑(みあ)……」

 これ以上の言葉は不要、……既に言うべきことは言ったし、「老いの壁」を越える術はない。ただ死ぬその時までずっと居ると、(あずさ)は想いを込めて美烑(みあ)を抱きしめる。頭を撫でて、頬を撫でて、肩を撫でて、腕を撫でて、背中を撫でて、尻を撫でて、腿を撫でて、脚を撫でて、尻尾を撫でて。

 それから強く抱きしめる。

「うぅ……ふぐぅ……」

 自分にはこの小さな()(なぐさ)めることすらできない、という無念。

 それでも共にありたいという自分の我侭(わがまま)にして、切なる願い。愛おしさとも言える感情を乗せて美烑(みあ)を撫でていく。そんな2人に向かって冷たい夜の風が一迅(いちじん)、内庭から吹き込んだ。ふと顔を上げた(あずさ)の髪を撫でていく。

 しかしすぐに視線を胸元に戻して、美烑(みあ)を撫で始めた。

 しばらくそうしているうちに、美烑(みあ)がおとなしくなる。

美烑(みあ)?」

「すー、すぅーっ。んぅ……、すー」

 手の力と尻尾の力はそのままに、美烑(みあ)は眠っていた。

美烑(みあ)……、って、やっぱ力強いな……」

「んにゅ……、おにぃちゃ――んぅ……、すーすー」

 (あずさ)が体を起こそうと身じろぎしたが、美烑(みあ)の力はますます強くなるばかりで動けない。

「はぁ……、まぁ仕方ないか。起こしてもまた泣き顔見るだけだろうし――。

 炬香(こか)、出てこいよ」

「うわっ!?バレたですっ!!」

 庭のほうから声が聞こえて、葉っぱがこすれる音がした。ほどなくして林の中から炬香(こか)がやってくる。

 ゆるりゆるりと近寄ってくると、美烑(みあ)の隣に座った。

「お前ら、互いに遠慮してのぞき合って……、何やってんだよ?」

「む~、(あずさ)が変な空気生み出すからなのです」

「変な空気ってなんだよ?」

 炬香(こか)は少し考えて、……それから顔を赤くして、

「……み、(みだ)らな?」

(みだ)らって……、どこで覚えてくるんだそんな言葉。ただじゃれてただけだろ?そんなんで遠慮して隠れてるくらいなら、さっさとこっちに来いよ」

 (あずさ)はぽんぽん、と自分の膝を叩く。美烑(みあ)が寝ているために少ししか空いていないが、小さな炬香(こか)には充分な広さだ。

 炬香(こか)は素直に這い上がってきた。

「別に隠れてたわけじゃ……そういえば何でわかったです、(あずさ)?」

 (あずさ)は腿に上ってきた炬香(こか)を空いている手で支えた。

「何でって……妖気(ようき)()らぎが……、ふむ――妖気(ようき)の……振動か……」

(あずさ)?」

 ふと何かに気づいたように(あずさ)が考え込む。それから美烑(みあ)の身体……いやその周りを(おお)っている妖気(ようき)のほうを見て、

炬香(こか)ちょっと目を閉じてくれ」

「ひゅえぇえ?何でです?」

「なに変な声出してんだ?いいから目ぇ閉じろ」

「は、はいです」

 炬香(こか)はなぜか顔を赤らめながらも素直に目を閉じた。

 相変わらずおとなしい。

「これでいいです?」

「あぁ。……今の状態で俺の声は聞こえるよな?」

「?はいです、普通に聞こえるですよ?」

 炬香(こか)は瞳を閉じたまま不思議そうに首を傾げて、耳をぴくぴくと動かした。

『じゃあコレはどうだ?』

「???(あずさ)の声が……響いてるです?」

 炬香(こか)は再び不思議そうに首を傾げた。普通に耳から聞こえたにしては妙な響き方だ。まるで筒を通したような、身体が音を(とら)えているような不思議な感覚。

『言葉の意味は伝わってるんだよな?』

「はいです。これは……?」

「もう目を開けていいぞ」

 炬香(こか)が目を開ける。すると、(あずさ)の人差し指が目の前につきつけられていた。炬香(こか)が指に目を留めたのを確認すると、(あずさ)はついとその指を自分の口に向けた。

『こういうことだ』

 また身体に響くような(あずさ)の声。しかし、(あずさ)の口は動いていない。

「え?何で?」

『わからないか?』

 今度は炬香(こか)にも見えた。(あずさ)の方から炬香(こか)に向かって妖気(ようき)が流れた。

 そう、妖気(ようき)だ。

 よく見ると、膝の上で寝ている美烑(みあ)から(あずさ)のほうに妖気(ようき)が流れている。どうやら(あずさ)はその妖気(ようき)を利用しているらしい。

妖気(ようき)を使ってるです?」

『あぁ……』

「さすがにちょっと疲れるな」

 (あずさ)は普通に口で(しゃべ)り始めた。風水士(ふうすいし)とはいえ(あずさ)も人間、妖気(ようき)を使い続ければ当然ながら疲れる。えら呼吸……とまではいかないが、常に走り続けているような息ぐるしさ、といえばわかり(やす)いだろうか。

妖気(ようき)を震わせるんだ。(しゃべ)ってるときみたいに」

「よくわからないですよ?」

 炬香(こか)(まゆ)を寄せる。

「今こうして(しゃべ)ってる時に自分の周りの妖気(ようき)が震えるだろ?その振動を相手に伝えようとすればいいんだよ」

「えっと」

 炬香(こか)はしばらく口で(しゃべ)りながらその振動を確認してから、ひょいと(あずさ)のほうを見た。

「おい、ちょっと待ていきなり……」

『こんな感じです?』

「うるさいわっ!!」

 ヘッドホンをつけた状態で音量を最大にされたような、鼓膜を突き抜けて脳を直接揺さぶられるような衝撃が、(あずさ)の全身を叩いた。

「ふぇぇっ!ごめんですっ!」

「お前らは俺より使える妖気(ようき)が多いんだから加減しろよ。美烑(みあ)が起きるぞ」

 話題に上った美烑(みあ)はというと、さすがにうるさかったのだろう。うにゅうにゅと(うめ)いている。しかし起きる様子はなく、耳をぱたんと倒したまま、再びおとなしくなった。

「もっと妖気(ようき)少なくていいんだよ。(ささや)くようなつもりでやってみ」

 はいです、と小さく(つぶや)いてもう一回、炬香(こか)が集中してやってみる。

『これでどうです?』

「まだ大きいんだが……まぁ、さっきよりはましか。お前ができるってことは、美烑(みあ)もできるだろうし……これは使えるな」

「使える……って何にです?」

「戦いだよ、人間との。今までは美烑(みあ)だけが戦ってたけど、これからは俺達も手伝える」

「……」

 炬香(こか)は何か言おうとして、止めた。

 本当は、それは人間と決別するという事だとわかってるのとか、自分たちと生きる覚悟ができてるのとか、聞きたかったのだけれど。(あずさ)の顔を見れば、そしてさっきまでの話を聞いていれば炬香(こか)にだってわかる。

 それでも、それでも人間として生まれたかった少女は思う。

 寂しくないのか、と。

 自分たち妖と生きる道を突き進んでいいのか、と。

(あずさ)……」

 結局、小さな(つぶや)きが炬香(こか)の口から漏れただけだった。


伝話(でんわ)?」

 美烑(みあ)に押さえつけられて――尻尾まで使って抱きしめられていたために動けなかった(あずさ)は、炬香(こか)と他の雑霊たちが持ってきてくれた布団でそのまま雑魚寝した。

 翌朝三人は、朝食を調達するために近くの川へ。炬香(こか)は応援、(あずさ)は釣りで、美烑(みあ)は川に直接入り魚を(すく)っている。

 既に6匹(すく)い上げた美烑(みあ)は休憩がてら(あずさ)の近くに来ていた。丁度炬香(こか)も近づいてきたところで昨晩の話が出た。

「あぁ、こう妖気(ようき)を震わせてだな……」

 (あずさ)炬香(こか)に対してした説明を繰り返した。

 そして、

「えっと……」

「よっと」

 (あずさ)炬香(こか)を抱えて飛び退()いたその先、

 ドゴオオオオオォォッ

 大気が震え、川の水が半分くらい吹き飛んだ。舞い散る魚や沢蟹(さわがに)たち。

「ひゅえぇぇ……」

「うっ……あ……」

「あ、あはははっ」

 乾いた笑いを浮かべた美烑(みあ)(あずさ)が詰め寄った。

「お前は俺らを消滅させる気か?」

 炬香(こか)の時とは比べ物にならない妖気(ようき)が駆け抜けていった。あんなもの()らったら(あずさ)炬香(こか)もはじけ飛ぶ。

 悪意がないだけたちが悪い。

「ごめん、加減がよくわからなくて」

「お前の場合は、(ささや)くよりもずっと小さな声で言う感じで頼む。……俺達が死なない程度で」

「う……」

 美烑(みあ)としてはかなり抑えたつもりらしい。困った表情で固まった。

「と、とりあえずこの川が吹き飛ばないくらい妖気(ようき)を抑えられたら大丈夫だと思うです」

 炬香(こか)が助け舟を出して、練習の指針は立った。

「ところで、……何で『伝話(でんわ)』が必要なの?」

 川に向かって練習を始めようとしたところで、美烑(みあ)が振り向いた。

「ん?そうすれば戦いを手伝えるだろ?」

『ダメだよぉっ、お兄ちゃんはっ!!危ないでしょ?』

 振り向いた美烑(みあ)から殺人級の妖気(ようき)が迸る。

「危ないのはお前だっ!」

 転がって逃げた(あずさ)の後ろを妖気(ようき)が通過、大木を2、3本軽くなぎ倒した後、林の中へ消えていった。

「で、でもさっきよりは加減できてたですよ?」

「すまん、炬香(こか)は黙っててくれ。話が進まない」

「何で炬香(こか)だけ除け者ですか、(あずさ)ぁっ!」

 頭から突っ込んでくる炬香(こか)を片手でどけて美烑(みあ)に向き直る。

美烑(みあ)ばかり戦わせるわけにはいかないだろ?」

「で、でもお兄ちゃん、その……戦えないでしょ?」

「っ……、そりゃそうなんだけどさ。別に直接戦うってわけじゃないんだ。

 これから冬に入ると農家が休みになる。そうなると襲ってくる人間は増えるはずだ。今までのようにお前1人で戦ってたら、あっという間に囲まれて袋叩きだ。

 だから、作戦を考えて……」

「そうじゃないよ。お兄ちゃんが戦ったら……、あたし達(あやかし)に味方して人間と戦ったりしたら……、もう戻れなくなっちゃうよ」

 そういう美烑(みあ)はすごく寂しそうだった。

「あたし達と一緒に居るところを他の人間に見られたら……」

「言っただろう?ずっと美烑(みあ)達と一緒に居ると。もう俺は戻る気なんてないよ」

「でも、でも……」

 美烑(みあ)はあたふたと(あずさ)を見て、炬香(こか)を見て、それから胸元に視線を戻してとせわしない。

「お前は……いい加減自分を守ることを考えろよ。俺達を必死に守ってきたお前ならわかるだろ?傷ついてほしくない、怪我してほしくない、……死なないでほしい」

「……」

 ぐに~っと美烑(みあ)の顔を引っ張る。そしてぷにぷにと美烑(みあ)の頬を撫でると、

「いい加減覚悟を決めろ。俺は美烑(みあ)炬香(こか)とここで生きていく覚悟をしたぞ。

3人で生きていく。

 向かってくる人間は誰であろうと俺達の敵だ」

「お兄ちゃん……」

「勝つんだよ、俺ら3人で」

 美烑(みあ)はそれでいいの?というような顔をしていたが、(あずさ)が強く頷くと。

『わかった、あたしがんばるっ!』

 ドッゴォォォォォォッ

「何をがんばる気だ、お前はっ!」

 美烑(みあ)の放った妖気(ようき)の塊を(あずさ)は紙一重で回避した。

「あっ……はは、はははは……」

 その隣では炬香(こか)が引きつった顔で木に張り付いていた。

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