拾参ノ幕 もう一度3人で
ダンッダンッダンッ。
たたんったたんったたんっ。
2つの音が疾駆する。
「炬香ちゃん……」
「大丈夫だよ、美烑」
梓と美烑だ。不安そうに呟く美烑を、先行する梓が振り返った。
「前とは違う。前はよくわからない霊気の塊だったけど、今回はちゃんと『炬香』っていう核が居る。ちゃんと話せば伝わるさ」
「でも……」
「まあ、まずは冷静になってもらわなきゃいけないから、多少殴るかもだけど」
「ちょ……」
「娘の教育は親の役目だろ?」
「えっと……娘殴るの?」
「え? うちの親父には結構殴られたぞ? 俺も姉ちゃんも」
「そうなんだ……」
狐が子供に危害を加えるのは巣立ちの時だけ。本気で威嚇し、時に噛みついたりもするが、それ以外は献身的に子供を育てる習性を持っているために美烑の表情は複雑だ。
「……おしゃべりはここまでかな」
梓の声に階段の先に視線を向ければ、人間が数人階段の途中でへたり込んでいる。運よく炬香の目を逃れた者たちが、ひとまず炬香が進む台地の入り口とは逆方向である神社に避難してきているのだろう。
皆、階段下に視線を向けていて、こちらに気が付いている様子はない。
「どうするの?」
「ほっといていい。戦意喪失してるだろうし、あの神社を守る理由はもうない」
美烑が頷いたのを確認した梓は速度を上げた。既に人間の域を超えている。
疾走する銀と金の影は座り込んだ人間の間を抜け、台地へ向かう。
「ルオオオォォォォォォ……」
一方、炬香――の制御を離れた黒い獣は触手の届く範囲の人間をほぼ狩り尽くしていた。
それでも渇きは癒えない。
望みは叶わない。
生きたい。生きたい。
視線を巡らせれば左右に逃げた人間と、運よく亀裂を超えた人間の後姿。
奪え、奪え。命を。
にたり、と。
黒い獣は口元を歪めると、四肢を曲げて這いつくばり、勢いよく跳躍した。狙いは亀裂の向こう側の人間たち。黒い巨体は易々と起立する岩を超え……。
「はい、そこまで」
真横から飛んできた銀色の影――梓に殴られた黒い獣はバランスを崩し、台地へ降下する。舞いあがる土煙が黒い獣の姿を覆い隠した瞬間、土煙の中から伸びた触手が梓に殺到した。
「おおっ!?」
梓は驚きつつもこれを迎撃。あるものは刀で斬り落とし、あるいは身を捻って回避する。人間の梓であればあっという間に串刺しになっていただろうが、半妖となった今はまだ余裕ですらある。
「ルゥアアアアアァァァァッ!」
雄叫びとともに、土煙を破って黒い獣の口が迫る。
「はっ!」
梓がその牙を無視して、地面に向かって垂直に拳を突き立てる。すると黒い獣の動きが強制的に止まった。
「グァッ!?」
同時に一気に晴れる土煙。
黒い獣は口を突き出した姿勢のまま動かない。いや動こうとはしているようだが、身体に巻かれた半透明の鎖がその動きを封じているのだ。そして台地には2重の円がやはり半透明の線で描かれ、その中心には五芒星が浮かんでいる。
「なんとか間に合ったな」
「うん……」
梓の傍らにはいつの間にか美烑の姿が。その手には金属の棒のようなものが握られている。黒い獣を縫いつけているこの術を強化するための道具だ。梓が黒い獣を足止めしている間に、周囲に五箇所――丁度五芒星の頂点にあたる位置に3本ずつ刺さっている。
「さて、とりあえず動きも止まったみたいだし……。おーい炬香、もう戦うのは十分だから元に戻ってくれ」
「そうだよ、あたしはもう大丈夫だから、いつもの優しい炬香ちゃんに戻って!」
「グゥウウウゥアアアアアアアッ!」
「いや『ぐあああ』じゃなくてだな……」
「炬香ちゃん……」
しばらくなんのかんのと声をかけてみたが、反応は変わらない。唸り声を上げて、自由になろうともがくばかりである。何か考えなければ。
時間が経って結界が破られれば再び暴れ出すのは目に見えている。
それは2人にもわかっているから、今も美烑が声をかけているが、黒い獣はうるさそうに顔を歪めるだけだ。一方の梓は考え込んでいた。
(反応を見る限りこの黒い獣は炬香じゃない。でもこの妖気は炬香のものだ。まだ炬香はここに居る。どうすれば炬香まで声が届く?……)
「炬香ちゃんお願い、声を聞かせてっ!」
(ん? 声……か)
梓は黒い獣の目を真っ直ぐに見た。
目の奥。
もっと奥。
届けという願いを込めて。
『炬香っ!』
――声が聞こえたです。
『炬香ちゃんっ!』
今度は美烑様の声。
体が、動かないです。
何も、見えないです。
でも、聞こえるです。
一緒に居たい人の声が。
愛しい人の声が。
楽しいはずです。美烑様と一緒に居ることは。
嬉しいはずです。梓と一緒に居ることは。
なのに。
なのに。
「生きたい。生きたい。生きたい」
「奪え。奪え。奪え」
そんな事望んでないです。でも、求める声は頭の中に響いています。
人間として生きたい。
人間が恨めしい。
命を奪え。
『炬香ぁっ!』
梓……。
『炬香ちゃんっ!』
美烑様……。
『炬香っ! お前がどんな姿だって、人間じゃなくたって俺たちはお前を愛しているっ!』
『炬香ちゃんっ! 人間より楽しい生活を一緒に過ごそうよっ!』
梓と美烑様の声が聞こえる方に目を向ける。
『『炬香(ちゃん)は、俺達の娘だーーーっ!』』
おとーさん。
おかーさん。
そうです。人間になりたいわけじゃないです。
ただ、一緒に笑って。精一杯甘えて。
光が見える。
体が動く。
体に纏わりつく黒い感情を引きちぎって。
そうだ。
あきらめてやるもんか。
炬香は生まれるんだ。
絶対に。
絶対に。
「お父さんっ、お母さーんっ!!」
光が弾けた。
梓と美烑の2人が伝話で中の炬香に話しかけ始めた途端、苦しみだした黒い獣。鎖の隙間から湧き出した触手が、自身の身体の中へと潜り込んでいく。
最初は腹の下側から突きこまれていたが、その場所が徐々に脇腹へと上がっていく。
そして、
「「炬香(ちゃん)っ!」」
黒い獣の背中が盛り上がって弾ける。その中から飛び出したのは炬香だ。
しかしその姿は黒く、最初の……赤ん坊サイズに戻っている。おまけにその尻尾に当たる位置からは触手が絡まるように生え、黒い獣につながっている。
「お父さ……ん、お母さん……」
既に梓と美烑は動いていた。黒い獣の頭を踏み越え、首を通って背中に至る。
「はああああああっ!」
「邪魔ぁぁっ!」
立ち塞がる触手を切り裂いて、断ち切って、引きちぎって。
そのうちの何本かは梓の頬を掠め、美烑の腕に傷を作る。よく見れば触手の先端には牙のような刃のような硬質な物体がくっついている。
しかし2人とも止まらない。
自身の身体がどれだけ血に塗れようとも、自分の身体がどれだけ壊されようとも。
歩みは止めない。
腕は止まらない。
止めてなるものか。
どれだけ体が悲鳴をあげても、炬香を失う痛みに比べれば。
「「はあああああああああああっ!」」
繋ぎ留められた炬香の前に立ちふさがる一際太い触手を左右から切り裂いて、ようやく炬香の元に至る。
「炬香ちゃんっ!」
「美烑様……お母さん」
「うんっ、うんっ!」
抱き着いた美烑に炬香が頬を寄せる。その間も触手の猛攻は止まらない。立ち止まってしまったがために、全方位からの攻撃にさらされる。
妖符を駆使してなんとか踏ん張っているものの、半妖化した梓もそろそろ限界だ。
「踏鞴の炎は鉄をも切り裂く、『天目一箇火炎爪』」
美烑も炎を纏って応戦を始めると、なんとか均衡を保つくらいには持ち直した。
「お兄ちゃん、このままじゃ……」
「ああ、厳しいな」
人外である2人だ。体力的にはまだ問題ない。
しかしいつまでも続く攻撃というのは精神的な疲労がどんどん蓄積していく。そして疲労の蓄積はミスを呼び、積み重なれば致命的なダメージにつながる。
ましてや今は炬香を守りながら戦っているのだ。このままではいずれ触手は2人を絡めとり、炬香もろとも体内に引きずり込まれてしまう。
「美烑、少し頼めるか」
「え? ……うん、信じてる。行ってお兄ちゃん。あたし達を助けて」
美烑は頷き、信頼を込めた笑顔で送り出す。さらに『冥府の篝火』を発動して、周囲に迫る触手を焼き落とした。
「必ず守ってみせる」
梓は頷いて一気に加速、囲みを突破すると黒い獣の後ろ足を伝って地上へ向かう。
「全力で行くよ。『四炎灼熱・天目一箇火炎爪』」
美烑の両足が炎に包まれる。その両足を踏み鳴らして『灼熱狂いの殺生岩』を生み出す。
その数は8。
さらにその周囲を『冥府の篝火』が漂う。
「絶対に炬香ちゃんを守る」
炎に怯んだ触手が再び美烑と炬香に迫る。両手で引きちぎり、両足で引き裂く。届かないところには殺生石を叩き込み空間を灼く。それでも打ち漏らした分は篝火で落としていく。
炎の盾にして炎の壁。
「くっ」
いくら美烑でも全方位を完全に防ぎきれない。打ち漏らした触手が服を破って、足に突き刺さる。慌てて引きちぎって貫通した場所を妖気で塞いで応急処置。
(いちいち治療なんかしてられない。動けば良い)
明らかに体勢が崩れた美烑を前に、触手たちも黙って見ているわけではない。数にまかせて突っ込んでくる。対する美烑は『殺生岩』で面制圧。しかし爆炎を迂回するように左右から別々の触手が突っ込んでくる。
「ふっ、はっ、くぅうぅっ」
美烑は左右の『火炎爪』で器用に迎撃。一方を押さえている間にもう一方を引きちぎっていく。さらには足も使って半円状に触手群を叩き斬る。
「っ! お母さんっ!」
炬香の叫びに反応して何とか身体を動かした美烑は、後方から頭を狙う触手を回避することには成功した。しかし狙いを反れた触手は美烑の左の二の腕を貫通。
「っ、ああああっ!」
さらにコレを好機とばかりに反対側、右足にも別の触手が突き刺さる。両方とも炎で焼き切ったが、触手の攻撃は終わらない。全方位に炎を放ってもすぐに次が迫ってくる。
そして回復の間に合っていない身体はうまく動かない。
触手の動きについていけない。
(これ以上は……。でも!)
「グゥゥゥアァァァウッ!!」
狐の姿に戻った美烑はその巨体で炬香を覆った。
「美烑様っ?」
「ごメンね。でも……絶対守ルから!」
「やめっ!」
炬香の静止の声は轟音に掻き消された。美烑が全方位に連続で炎を叩き込み始めたのだ。体を維持する為に使っていた集中力も全て攻撃に回す。
それでも炎の隙間を通ってきた触手が美烑の身体に突き刺さる。
「ぎぐっ……? ぐううぅ」
1本や2本ではない。放つ炎の量が減ってできた炎の隙間。そこから、無数の触手が迫る。
「ああああああああっ」
「お母さんっ!」
身体に突き刺さる痛みに声が出る。それでも、絶対に貫通だけはさせまいと全身の筋肉を振り絞る。
「だイ、ジョうぶ……だいっ!?」
自分の正面。
一本の刃の生えた触手が鎌首をもたげていた。狙いは頭だろう。
「っ! あ……」
串刺しにされた体は動かない。炬香だけでも守ろうと尻尾も使って覆い隠す。
(お兄ちゃんっ!)
目を見張り、衝撃に身構えた美烑の視界が白く塗りつぶされた。全てがゆっくりと感じられる。何度か味わった死の間際。
「ごめん、お兄ちゃん……」
目をぎゅっと瞑ってその瞬間を待つ。
が……いつまで経ってもその時は訪れない。それどころか、全身に刺さっていた触手の感触まで霧散していく。最初は身体の感覚がなくなるほど死に近づいたのかとも思ったが、お腹の下に居る炬香の感触ははっきりと感じるからそういうわけでもないらしい。
「あれ?」
周囲を見回してみれば、触手たちが今まさに飛びかかろうとする状態で静止している。
そして、自分たちのいる黒い獣の背中の中心からやや頭よりのところには赤い壁ができていた。
「えっと?」
「間に合ったーっ」
そう声を上げたのは梓だ。黒い獣の頭の真ん前に陣取り、左手を掲げ右手を添えて仁王立ちするその表情は疲れをにじませながらも、安堵に満ちていた。
彼の正面には巨大な白い鳥居。さらに黒い獣を囲むように、同様に真っ白な鳥居が4つ並んでいる。そしてその中心、黒い獣の身体をまたぐように出現した鳥居は紅色だ。
鳥居は現世と神域を隔てる門であり、鳥居で囲われた空間はすなわち異界である。結界で覆われた空間は、神域として浄化される。
そして鳥居は空間を隔て、断つもの。
すなわち断空。
故に鳥居で隔てられた黒い獣の上半身と下半身は空間的に分断される。
「ギャアアアアアアアアアッ!」
黒い獣の触手が溶けるように消え、鳥居によって分断された身体がさらに細かくなっていく。
「グルルルゥ、たダ、生まレて、生きテ……」
「お前らに恨みがないとは言わない。よくもうちの娘を苦しめてくれたな。……だが、安心しろ。死ねばお前らの魂は輪廻の輪に戻れる」
「グァ……」
「しかし、ここまで人を殺めたんだ。いきなり転生できると思うなよ。
――地獄に落ちて反省して来いっ!」
梓が突き出していた左手を地面に下ろすと黒い獣の消える速度が増した。
「オオオオオオォォォォォォ――」
そして、黒い獣は消え、美烑と炬香と梓だけが残った。




