拾弐ノ幕 それぞれの戦場へ
生臭さが鼻を突き、ついで何かが焦げるような臭いがして顔を顰める。
「……っく、ひっく、……ぐしゅ」
誰かが泣いている。
その涙を止めたくて伸ばした手がその誰かに触れる。
「……っ、お兄ちゃぁぁぁんっ!」
声と、抱き着かれた衝撃に見開いた目が捉えたのは美烑だった。腰のあたりに縋り付いて体を震わせている。
(あれ? 腹斬られたはずなんだが……)
痛みも感じない程に死にかけているのかとも思ったが、そうでもないらしい。体には今まで以上の力が溢れている。
周囲を見回すとおびただしい量の血が床に広がり、布団も服も真っ黒に染まっていた。生臭さの原因はこれかと、さらに視線を巡らせると半壊したり、黒焦げにされたりした人間の残骸がそこかしこに転がっている。
「これ全部美烑がやったのか?」
いつまでも縋り付いたままの美烑を引き剥がして、覘き込んだその顔はやたらと獣っぽかった。
「美烑、ひげ生えているぞ? あと口と鼻も伸びてる」
よく見ると抱き着かれている手にも毛が生えていた。鼻の頭を撫でるとすぐに元の――人間の少女ぐらいの低さなったが、鼻の頭は黒っぽいまま。ひげも生えたままである。
「うん? 確か俺は死んだはずなんだけど……」
「ふっ、えぐっ……そうっ、だよ。お兄ちゃんは……死にかけて……。あたしもあきらめてたんだけど……、把音が……」
「『把音』?……っ!」
チュイィィィン
ギィンッ
「ほう?」
後方から聞こえた金属音に無造作に右手をかざす。その手にあるのは白木の御神刀。しかし梓を驚かせたのは、自身の腕だ。
その手は記憶にあるよりはるかに多くの毛で覆われている。
銀色の、毛で。
「その口調、やはり少年か?」
把音が刀を引いて構えを解く。
「他に誰がいるって言うんだ。不意打ちで頭狙いやがって。お得意の武士道はどうした?」
梓も少し警戒を緩めた。
「間違いなく受け止められると踏んでいたのでな。失礼を承知で刀を向けさせてもらった。――だが、今の少年の姿を見て『人間』と断じられる者は少ないだろうな」
「どういう……」
「ご、ごめんね、お兄ちゃん」
未だ目を赤くしたままの美烑が見上げてくる。その後方にはいつもどおり2本の美烑の尻尾が揺れており、さらにその向こうに銀色の大きな尻尾が揺れていた。その尻尾を辿っていくと、梓の尻の方に繋がっている。
「まさか……」
梓は開いている方の手で自身の頭を撫でた。触りなれた髪の間から突き出る2つの獣耳。さらに視界の端に映る髪の毛は銀色になっている。
おまけにさっきから両目の間にみえる細長いものは……自分の鼻だ。自分の姿は確認できないが、さっきの美烑と同じような見た目なのだろう。
「お兄ちゃんの身体を直すのに、あたしの妖気を使ったの。……それで」
銀色の尻尾が自分の意思で動くことを確認した梓は、美烑の顔を見る。
「つまるところ、妖怪化あるいは半妖化した、という事か」
「お、お兄ちゃん……あたし……」
「美烑……」
美烑の耳が怯えたように垂れ下がる。おずおずと見上げた視線は力なく床へと戻る。
生き返ってくれたのは嬉しいけど、それは結局自分の都合だ。
人の道を外れてまで自分と一緒にいてくれるかなんて。それを喜んでくれるかなんてわからない。
(怖い。
怖い、怖い。
でも聞かなくちゃ。
嫌われても、それでもあたしはお兄ちゃんと一緒にいたい。
できれば喜んでくれれば嬉しいけど、でもお兄ちゃんが生きているだけで……でも、本当は)
「う、うん」
「よくやった」
「え?」
「少なくとも人間の枠は超えたって事だろ。今なら言える」
梓はそこで一拍置いて、呼吸を整える。
「愛してるよ、美烑。ずっと一緒に居よう、世界の終わりまで」
「あ……」
実際のところは寿命がどこまであるのか分からない。でも生身の肉体を妖気で動かしているのは、美烑のそれと同じもの。少なくともあと200年は生きていられるだろう。
でもそれは、自分以外の全ての人間が先に老いて死んでいく、ということ。
人間だけじゃなく、動物も、木々も、そして時代すらも己を残して変わっていってしまう。
世界に独り取り残される。
「うぅ……、う~」
そんな寂しさを梓に感じてほしくない。でも、自分と共に生きることを望んでくれた事は嬉しくて。よくわからなくなった美烑は再び梓の腰に縋り付いた。
「なんと、兄妹のようなものだと思っていたが、夫婦だとは」
「『め……おと』?」
美烑は片目を把音に向けて、縋り付いたまま器用に炬香がするように小首を傾げる。
「『つがい』って事」
「~っ!」
顔を真っ赤にすると三度腰に縋り付く。梓はそんな美烑の頭をひとしきり愛おしく撫でた後、向き直った。
「それで? 俺達と戦うのか?」
「当然だろう? 私はそのためにここに居るのだから」
把音は鎖刀を揺らす。
一方の梓も刀は構えているものの、自分から斬りかかるつもりは無い。
「2対1だぞ? 勝てると思っているのかよ。俺はともかく、全力の美烑に人間が勝てるわけ無いだろ」
「ほう? それは楽しみだな」
「っ……。把音、お前は何のために戦ってるんだ?」
「言ったはずだ。戦うのが好きだ、と。少年もそうなのだろう?」
「俺は守りたいだけだ。お前らが勝手に攻めてくるから……」
「守りたいのであれば、逃げればいい。ここに留まる理由は何だ?」
「……俺が守りたいのは美烑と炬香……、3人の暮らしだからな。……それに、俺はもう人間じゃない。獣が縄張り守るのは当然だろ」
「自ら人外を認めるか。……面白い」
「なあ、死ぬのは怖くないのか? 失うのは悲しくないのか?」
把音がいかに強くとも、美烑が本気を出せば簡単に死ぬ「人間」でしかない。
「闘いの無い人生など、死んでいるのと変わらない。戦いこそ私の人生。私の生きる理由だ。
たとえここで命尽きようとも、私は最期まで戦っていたことを誇りに思うよ」
「……」
梓は不快そうに顔を歪める。
その視界の隅で、美烑が動いた。耳をぴん、と立てた後、梓に背中を向けて中腰になる。
「何を躊躇しているのかは知らないが……」
「ならばその命、俺様が受け取ろう」
声と共に天井が吹き飛んだ。美烑が寝ていた部屋と屋根裏を隔てる板が崩れおちて、空が垣間見える。
「お兄ちゃん……」
「っ……」
「奇遇だな。鬼堂」
天井に視線を奪われている間に囲まれていた。
喋っているのは大柄な男だ。さらに柱の影から現れた複数の人影――その数ざっと20人。梓たちが居る部屋を取り囲んで武器を向ける。
その首には錨……いや鬼をかたどった模様が端に織り込まれた布を巻いている。
「相変わらず白々しい……。だがそれも今日までだと思うと心地いいもんだ」
「誰だ、コイツ?」
「彼らの首領だよ。そして下の武家に雇われている者達でもある」
「……はあっ? 下の連中に雇われているのはお前だろ?」
「いや、そんな事を言った覚えは無いが?」
「ちょっと待て。お前らどういう関係だ」
「「敵」」
把音と鬼堂の言葉が重なった。
「ぐっ、完全にとばっちりかっ!」
「え? 何? 今のだけで何か分かったの?」
「ああ、コイツの今までの行動……。全部繋がった」
「悪いとは思っている。だから助けただろう?」
把音はイマイチ理解していない美烑に視線を送った。
「前回派手に暴れたのは自分の所在をコイツらに掴ませる為か?」
「ああ」
把音が首肯する。
「前回見逃したのは俺達をダシに、コイツらの雇い主を誘い出す為」
「……」
無言の肯定で先を促す。
「この前神社に登ってきたのは、俺達に裏道があることを教えるためじゃない。コイツらにわざと尾けさせて、ここにおびき出すためだ」
「お見事。さすがだな少年」
「嬉しくねえよっ! 嘘ばっかつきやがってっ!」
「私は真実しか語っていない。聞かれなかったから、答えなかっただけだ」
「天性の嘘つきじゃねえかっ!」
「お兄ちゃん」
美烑の少し硬い声に周囲に注意を向ければ、輪が狭まっている。把音と言い合いをしている間に距離を詰められたようだ。
「……何でお前、当たり前のようにこっちについてんの?」
気が付くと把音は梓と美烑の間に入り、肩を並べて他の人間に対峙していた。
「おや? 私と彼ら……両方相手にして、生き残れるつもりか?」
「当たり前……」
「そちらの少女はともかく……下に居る童の方はもう時間が無いぞ?」
「っ! やっぱりこの気配は……」
梓はさっきから嫌な予感がしていた。神社の下の方からかつて感じたことのある気配が伝わってくる。それは炬香が炬香になる前の……。
「ああ、童は『黒い獣』に変わったぞ。急ぐべきだと思うがな」
炬香が負けることはないだろうが、早くいかないと「炬香」という存在ではなくなってしまう。
「くっ……、散々時間稼ぎした人間がよく言う」
「感謝しているよ。ようやく彼らをおびき出すことができた」
把音は鎖の部分を持ち、刀を垂らす独特の構えで前傾姿勢になる。
「どうするの、お兄ちゃん。……この人たちは殺しちゃっていいんだよね?」
「おう。あと俺達には助太刀無用な」
「え? でも……」
美烑が心配そうに一瞬振り返る。
「大丈夫だ。俺は多分心臓刺されても死なないし、……今のうちにどれだけ戦えるのか知っておきたい。
……把音は大丈夫だろ。普通に強いし、この状況作った張本人だ。責任とって自分の身くらい自分で守ってもらおう」
「フッ、信頼と受け取っておくよ、少年」
「作戦はそうだな……とりあえず『各個撃破』で」
それは作戦とは呼べないだろう、という2人分の視線が梓に集まる。同時に無策で勝つつもりか、という20人分の怒りの視線も。
「……あの親玉は?」
把音が「鬼堂」と呼んだ男は戦列に加わらず、輪の外で高みの見物を決め込むつもりのようだ。普通の人間にこの包囲は突破できない、と踏んでいるのだろう。あるいは、包囲を突破した瞬間の隙を突くつもりなのか。
どちらにしろ、梓たちは「普通の人間」ではない。
「早いもの勝ち」
「わかった」
「了解だ」
3人とも眼前の敵に集中する。
「ああ、そうだ。……生き残れよ、美烑、把音」
「うんっ!」
「承知っ!」
把音が鎖刀を振り回し、美烑が爪と炎で屠っていく。一拍遅れた梓はまず小手調べ。普通に刀で受けて斬り返す。
(やっぱり動体視力が上がっているのか……)
妖怪化したせいで耳が鋭くなっているのか、いちいち目で確認しなくてもなんとなく敵の動きがわかる。
(これが美烑の見ている世界……)
直後に足を斬られて血が流れたが、だからどうした、という感じだ。
(いける!)
梓は構えを腰溜めに変えて、敵陣に斬りこんだ。
「ォォォォォォォォォォォォォォォッ……」
台地から黒い化け物と化した炬香の鳴き声が届いてくる。
ここは神社の入り口、階段を上りきった鳥居の立って居る場所。
タタタタッ
そこに駆けてくる3人が居る。
「お~、久しぶりだな炬香のあの姿」
梓と。
「でも、前より大きいよ。……それだけ悲しみも大きいって事だよ」
美烑と。
「ほう。あれが童の真の姿、といったところかな」
把音だ。
服が破れていたり、燃えていたり、あるいは体に擦り傷ができていたり。それぞれ神社を抜けるときに付いた汚れが目に付くが、大きな外傷はない。
一番傷が多いのは梓で、ぱっくり斬られた袴は置いてきたものの、その下の太股にできた傷はどうしようもない。全身を覆っている毛が大きく抉られ、のぞいた地肌に生々しい刀傷が見えている。毛が銀色だから、そこに滲んだ血の赤さが目立って痛々しい。
「本当に大丈夫?」
「ああ、もう塞がっている。そのうち傷痕も消えるだろ……」
梓は自分の傷を撫でた後、振り返った。
「……それより、お前はいつまで一緒に居るつもりだ」
視線の先に居るのは把音。
「問題ないだろう、少年? 私は敵ではないし、なんの恨みも無い」
「こっちにあるんだよっ! 勝手に巻き込みやがって。おまけに親玉に逃げられてんじゃねえか!」
3人が囲みを突破している間に、鬼堂は姿を消していた。
化け物じみた……妖そのモノの戦闘力を見て、勝てないと踏んだのだろう。
しばらくは美烑を先頭に臭いで追いかけていたが、煙や炎に遮られてその姿を見つけることはできなかった。
「あの男を探したほうがいいんじゃないのか? ここまで巻き込まれて逃げられたんじゃ、何のために神社焼かれたのかわかんないんだが」
「ふむ。一理あるか。……では私はここまでだ。
……少年、生き残れよ。『闘いこそ人生』という言葉に偽りはない。いずれまた闘りあおう。また戦場でな」
「お前こそ死ぬなよ。次会ったときは余裕たっぷりのその顔面、殴りつけてやるから」
「フ……ではな」
「じゃあな」
梓は視線で美烑を促すと階段を降っていく。
「その……ありがとう?」
「君はそればかりだな。私は住処を失う原因を作った男だぞ? なぜ感謝する?」
「いずれここを離れる日が来るのは分かってたから、神社は別にいいよ。把音たちが火をつけたんじゃないんでしょ?
……それよりも、お兄ちゃんを救ってくれてありがとう。あたしを助けてくれてありがとう。お蔭で、あたしは、あたしたちはまた一緒に歩ける」
「君は人間とともに生きることに不安はないのか?」
「……不安だよ。
人間はあたしたちを傷つける。
違うから。
違う生き物だから。
食べ物が違う、寿命が違う、強さが……。
それでもあたしは、お兄ちゃんと一緒に居たいんだ。
……今回のことで寿命のことは何とかなったしね」
「それは、責任感……あるいは『引け目』というやつではないのかな」
「……そういうのは感じてる。でも、そんなの後付だよ。あたしがお兄ちゃんと一緒に居たいのは、好きだからだもん。
一緒に居ると楽しい。
ずっと甘えていたい。
こんなあたしを『愛してる』と言ってくれた」
少し頬を熱くしながらも、しっかりと前を見据えて謡う。
「あたしとお兄ちゃん、そして炬香ちゃんはずっと一緒に歩いていく。
……いろいろあったけど、本当にありがとう」
美烑は軽く会釈すると梓の後を追いかけた。
「把音たちか……」
把音は面白そうに2人の背中を見送った。
「本当に、次に戦うのが楽しみだよ」
「頭……」
振り向いて神社に向かう把音の足元には、全身を布で覆った……後の世に、いわゆる忍装束とか呼ばれる衣装を纏った人間が1人傅いていた。炬香よりは大きいが、美烑よりは小さい。年の頃は7、8才といったところか。
その他に10人。
同じく忍装束に身を包んだ大人程の背格好の人間が、音もなく、半円を描くように傅いている。
「報告、鬼堂配下は全て処分しました」
「奴は?」
「こちらに……」
ドサッという音と共に足元に控えている小柄な忍の手の下に、鬼堂の大きな体が現れた。まるで虚空から取り出したようだが、把音も他の者たちも驚く様子はない。
「ぐぅっ、きっ、貴様ああああああっ!」
「喋る元気はあるようで何より。全く、お前を生かしたまま捕えるのには苦労させられたよ。……さて、早速だが質問に答えてもらおうか。
わかっているとは思うが拒否権は無い。頭だけになっても喋ってもらうぞ」
「くっ……」
把音は刀を垂直に構えて、鬼堂を睥睨した。




