拾壱ノ幕 梓ーにんげんー
「くそっ!……何だ?」
明かりの消えた社殿内。
直前に起きた振動で蝋燭が倒れ、火は消えてしまった。外はまだ夕方と呼ぶのも早すぎるくらいの時間だが、一番奥にあるこの部屋には外の明かりは届かない。
いや、明かりはあった。
「火をつけられたのか……?」
壁の数カ所から小さな火が上がっている。最初は小さな火だったそれは壁を伝って徐々に燃え広がっていく。
(すぐに消すべきなんだろうけど……、火のせいで影が多い。既に侵入されて物陰に誰か潜んでいる可能性が。くそっ、俺じゃ対応しきれないぞ)
結局、下手に動き回るよりは対処しやすいだろうと判断し、待ち構えることにした。炬香に渡したのと同じ妖符を利用して簡易の罠も設置する。
(美烑の妖気は十分すぎる程に回復している。あとは精神的に回復すればもう起き上がれるはず……。少し借りるぞ)
妖符を起動させるためには妖気が必要。自身で生み出させない梓は美烑が纏っている妖気を使うしかない。
梓は御神刀を左手に携えて、美烑の眠る布団の端に座った。
目を閉じて気配を窺う。
家屋の内側に壁はないから、簾や衝立で仕切られているだけで物音がよく聞こえる。その簾も、暗い内側から見れば廊下にいる人も容易に見つけられるほどに薄い。
「(5、6……? もっと? ……いや、数えることに意味はないか。1カ所破られれば、どんどん入ってくるだろうし)」
梓は『妖符・地獄の篝火』の効果範囲に入った人間を迎撃した。ぎゃっ、という悲鳴とたんぱく質が焼ける臭いが鼻を掠める。社殿にも火がつくが、いまさらだ。梓は気にせずに反対側から近づく人間にも火をお見舞いした。
(警戒して引いてくれればいいんだが、どうも本職……把音と同業者っぽいな)
当初警戒して動きが鈍くなったものの、次第に連携を取って迫ってくる。例えば左側で火を浴びたとみれば、反対側が前進するといった具合だ。
(そろそろマズいか。……妖符が残り少ない。炬香の事を笑えないな)
絶体絶命の状況だが梓の心は穏やかだった。
梓の最大の目的は美烑と炬香を守る事。
炬香が少し心配だが、無茶しない限り死ぬことはない。美烑が覚醒して台地へ合流すれば確実に勝てるし、すでに燃えてしまっているこの神社を守る理由は無くなった。
ザンッ、バラララララッ。
「っ……」
突如右の簾が切り裂かれ、男が数人入ってきた。手にはボロボロの刀を持っている。
敵だ。
「てめえがあの化け物たちを操ってるのか?」
「ああ……」
(化け物? ……炬香に何かあったのか? いや、人間にとっては十分に化け物か……。
何にせよ、万事窮す。
もう少し美烑たちと一緒に居たかったけど、ここまでか)
梓は覚悟を決めて御神刀を抜くと人間たちに相対した。両足を踏ん張り、美烑を庇って布団の前に陣取る。
(実に10年ぶりか。刀を振るうのは。幼かったとはいえ……姉ちゃんが盗賊に太刀打ちできないと判断する程度の実力でどこまでできるか)
正眼に構えて刀を揺らす。微妙にリズムを変えながら相手の呼吸を乱す。
「っ!」
相手の呼吸が乱れたと感じた瞬間、足を踏み出し刀を振り上げる。
結論から言えば、あっという間の敗北だった。
一太刀目は相手の腕を捉えた。二太刀は足を。
しかし善戦できたのはそこまで。元々が多勢に無勢。右の人間を攻撃している間に反対側から斬りつけられて体勢が崩れる。おまけに切れ味のよかった御神刀も人間の油で鈍ってしまい、もはや「なまくら」。相手の服の上を滑った刀を弾き飛ばされて、がら空きになった脇腹に灼熱が走った。続けて足に、手に、胸に。鉄の棒があてられ続けているような感覚。
一瞬ののちに一気に冷えて、体の感覚が麻痺する。
「うっあ……」
踏ん張ろうとした足は力が入らず、何かに滑って布団の上に倒れ込む。
「ぐっくうぅぅ……」
足元には赤黒くて粘っこい何かが転がり、その赤い線を辿って自分の腹まで視線を向ければ、血が溢れているのが確認できた。白っぽいのは多分骨だろう。普通の人間なら卒倒しそうな状況だが、普段から死体の山を見慣れている梓の頭は冷静だった。
冷静に、自分の死を見つめ、もう助からないだろう、と認識した。
「美烑……」
何とか身体を動かし、ずりずりと布団の上を這う。痛みに顔を顰めながら枕元へ。
「ごめんな……俺は、ここまでみたいだ」
伸ばした手で美烑の頬を撫でる。
温かい。
自分の手の冷たさから、死が近いことを冷静に感じている自分と。
この少女の命が繋がっていることに歓喜する自分と。
「何で、俺たちは争ってるんだろうな……」
ただ生きたい、と願って、抗って。
今の自分にとって美烑や炬香も人間と同じ、1つの命であることに変わりはない。むしろ、人間よりも大切で、一緒に居たいと強く願う。
失いたくない。
「美烑……」
思考が滅裂になり始めた。手の感触が消えていく。下半身はとっくに感覚がない。
「んんぅ……?」
意識が途切れかけた梓の視界の中。
美烑の口がむにゅむにゅと動き、瞼がゆっくりと開かれる。
「……あれ?おにぃちゃん……?」
ゆっくりと開いた瞳に映るのはいつものお兄ちゃんの顔。
「戦いは……?」
お兄ちゃんは億劫そうに口を開く。密着しているせいよく見えないが、自分が寝ている間もお兄ちゃんたちは戦っていたのだろう。お兄ちゃん着ている服は背中しか見えないけどボロボロだし、その下の体にもいくつも傷が出来ているはずだ。
「負けてる……。だが、まだ終わっちゃいない。……後は頼めるか? 美烑なら……この状況を……ひっくり返せる」
お兄ちゃんの目が眠そうに閉じられる。そして上半身が力を失い、あたしの方に体重が預けられた。
「あ……うん。わか……」
支えようとしたあたしの手が生暖かい感触に滑る。
「……え?」
お兄ちゃんの頭は布団に座っている私の胸……お腹辺りに力なく預けられている。お兄ちゃんの身体が倒れたお陰で部屋の全体像を見渡す事ができた。
燃えている床と。
壁と。
柱と。
天井が。
赤く。
緋く。
部屋が、神社が燃えている。
そして部屋の中に立っている、知らない人間たち。
「お兄……ちゃん?」
震える手で身体を揺するけど、お兄ちゃんは目を開けてくれない。
「や……だよ」
流れる血はあたしの手も、お兄ちゃんの服も、布団も染めていく。
「やっと……、守れるのに……」
今更のように傷口を抑えたけど、血は全然止まってくれない。
「戦いに勝ったって……」
視界が歪む。
「お兄ちゃんが……居なかったら、意味ないよぉ……」
頬に触れた手は力なく首筋へ滑る。
もう、脈もない。
「あ……、ああっぁぁあぁ……」
認めたくない。認めたくない。認めたくない。
やだ。やだ。やだ。やだ。
どんなに否定しても、お兄ちゃんの身体は冷たくなっていく。
「ああぁぁあぁぁぁぁあ……」
少しでも一緒に居たくて。少しでも近い場所に居たくて。離れたくなくて。お兄ちゃんの身体に縋り付く。
ドサッ
音のした方に視線だけ向けると一人の人間が近づいてきた。
「おいおい、このちみっちぇのが親玉か?」
「兄貴、小さくても妖ですぜ」
もう1人、人間が近づいてきて何か喋っている。
どうでもいい。
「はっ、なんだかよく分かんねぇが、戦意喪失してんだから、今のうちだろう」
大柄な人間がさらに近づいてきた。倒れているお兄ちゃんに無造作に手を伸ばす。
「邪魔な死体はさっさと片付けて……」
精神が一気に沸騰した。
目の前が真っ赤になって、はじけ飛ぶ。
「お兄ちゃんに、触れるなああアアアアアァァァァァァッ!」
叫ぶと同時に近づいてきた人間の腕と、肩と、頭をむしり取る。
「ひっ!」
もう1人に投げつけて、炎を飛ばし、2人ともケシ炭にした。
「グルゥゥウアアアアアアァァァッ!」
悲しくて。
哀しくて。
全身が熱くなる。
「アアアアアアァァァッ!」
怒りにまかせて伸ばした腕がさらに2人分の命を奪った。
その腕は獣の腕で。化け物の腕で。お兄ちゃんを跨ぐように、守るように踏ん張る四肢は狐のそれで。逃げようとする人間の足を切り裂いて、引きずり倒して踏みつける。廊下一面に炎を撒き散らし、部屋から出ようとする人間を飲み込む。
気が付けば、ほとんどの人間が死んでいた。
それでも哀しみが収まらない。怒りが炎を上げている。憎しみが体を巡って、全身の毛孔から噴き出ている。
「あぁぁ、うぅうあ……」
床に倒れ伏した人間が呻いている。
なんだ、まだ生きているのか。あたしからお兄ちゃんを奪った人間が。
どう殺せば、この憎しみは収まってくれるのだろう。体を少しずつ灼いてやろうか。目玉をくりぬいてやろうか。ゆっくりと踏み潰してやろうか。
「グルゥゥゥ……」
口がいやらしく歪むのが自分でも 分かった。どうやって苦しめるかを決めたあたしはゆっくりと近づいて。
チュイイイィィン
ザシュッ
「グルゥ?」
突如聞いたことのある金属音がして、人間の頭から刀が生えた。違う、そうじゃなくて……目にも止まらない速度で飛んできたんだと思う。ともかく驚いて止まった瞬間に、あたしの身体に鎖が巻き付いていた。
「落ち着け、狐の少女」
あたしの首筋にもう1本の刀を添えているのは把音だった。別に首を斬られたぐらいじゃ死なないけど、何度も斬られればそのうち妖気が尽きてあたしという存在は消滅する。
それでもいいかな、とそう思って目を閉じる。
「あきらめるのか? 少年はまだ生きているぞ」
びくり、と体が震えた。
「生キテる?」
「虫の息ではあるがな。だが、まだここに居る。……あきらめるのか?」
もう一度、聞かれた。
「だっテ、アタシは馬鹿デ、オ兄チャンミタイな知識モナクて……」
獣の口で吐き出された言葉は震えていた。
「少女の思いはその程度か? 馬鹿だからと考えもせずあきらめて、知識がないからと探ろうともせず当り散らす」
「デも……」
「それで少女の無念が晴れるのなら、少女の願いが叶うならそうすればいい。私にはどうでもいい事だ。
だがこれだけは言える。
放っておけば少年はこのまま死ぬ」
びくり、と再び体が震える。今度は恐怖で。
「ア……えぅ……ド、ドウスレば……」
「言っただろう? 私にはどうでもいいことだ。自分で考えるがいい」
ここまできてそれはない……と思ったけど、把音は人間だ。たしかにあたし達がどうなろうと関係ない。
……でも、少し冷静になれた。
そうだ、お兄ちゃんはまだ死んでない。
「……だが先ほどの口振りだと、その少年にはその知識があるのだろう? それを使えばいい」
あたしが沈黙したことで再びあきらめたと思ったのか、把音が何か言い出した。
「……」
そうだ、血を飲めばお兄ちゃんの記憶が入ってくる。でもそれは確実にお兄ちゃんの残りの時間を縮めることになるし、あたしが今以上に化け物に落ちる可能性が高くなる。
ひょっとして把音はそれを狙っている? 完全にあたしを化け物化させてから殺す……でもなんで?
少し思考が逸れたけど、それはどうでもいい。お兄ちゃんが生きていてくれれば。それが最優先。仮にあたしが化け物化してもお兄ちゃんがなんとかしてくれる。
「……?」
いつの間にか鎖は解かれ、首元からは刀も消えていた。把音の姿を探すと少し離れたところでこちらを見ている。
血を飲んでいる間は無防備で、何かされるかもしれないけど、それでもかまわない。
あたしは大きくなった自分の身体でお兄ちゃんの身体を包むように横たわると、その傷口に鼻を突っ込み、こじ開ける。
(教えてお兄ちゃん……)
血の臭いと、お兄ちゃんの匂いが一気に口に滑り込んで、それと同時にお兄ちゃんの記憶が流れ込んでくる。
『これは……そうだ。家族を失った時の記憶。隠れていろと言った姉は庭に打ち捨てられ、両親は家の中で斬り殺されていた。
姉に縋り付く幼い俺の背後で家が焼け落ちた。
そこから先は獣のように生きた。
屍肉をあさり、泥水をすすり、虫を貪り、草を食む』
なんだ。人間も――お兄ちゃんも――獣のあたしと変わらないじゃないか。少し安堵する気持ちが湧きあがったけど、欲しい情報はこれじゃない。
もっと先へ……。
『それでも俺はあきらめなかった。宮中の偉い人間は、この世のものと思えない多種多様な術を使うらしい。きっとその中には人を生き返らせる術があるはずだ。だが、下賤の俺にそうやすやすと教えてくれるはずもない。だから、勝手に忍び込んでは書簡を読み漁った。この時ばかりは読み書きを教えてくれた両親に感謝する。
そして求めていた情報は手に入り、俺は歓喜した。
しかし、すぐに絶望に変わる。それは人を生き返らせる方法ではなく、死にかけの人間を救う蘇生法。さらに蘇生させたい存在の肉体がなければ意味はないし、生気や妖気といった俺の知らない物質が必要であった。
俺は……』
これだ。
文字自体は読めないけど、意味はわかる。妖気を注ぎ込んで体を補修する。そこまではわかった。だけど、具体的なところがわからない。この頃のお兄ちゃんもまだ妖気とかは知らないみたい。
でも、もう待っていられない。お兄ちゃんの命は尽きようとしている。
失敗するかもしれない。
それでも、お兄ちゃんには生きていてほしいから。
「グゥルゥゥゥ……」
あたしはもうだいぶ冷たくなってしまったお兄ちゃんの身体に、妖気を注ぎ込む。
大好きなお兄ちゃんの姿を思い浮かべながら。
生きて。生きて。生きて。
強く念じながら。
強く願いながら。
「フッ……」
誰かが……嗤った気がした。




