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拾ノ幕 炬香の咆哮

 現実世界では炬香(こか)が戦線を分断していた。

 最初につくった土の壁、それを基点に罠を作動させ人間の侵攻ルートを左右に振り分ける。

(一度に多くの敵を相手をしないように、です)

 炬香(こか)(あずさ)の忠告を確認して、戦場を飛び回る。基本的に無敵状態の炬香(こか)は罠の作動を間近で確認しながら、人魂(ひとだま)……に偽装した雑霊(ざつれい)たちに指示を出していく。

 傍目には人間達が勝手に穴に落ちたり、突き出した岩や木に吹き飛ばされたりしているように見えるが、実際には炬香(こか)妖気(ようき)を送り込んで起動させているものだ。

「はっふぅぅ……」

 エネルギー体である炬香(こか)にとって連続での妖気(ようき)の使用はそれなりに負担だった。おまけに妖符(ようふ)にも妖気(ようき)を使用しているために、減り方が激しい。

 しかし今回はいちいち(あずさ)の元に戻るわけにはいかない。

 炬香(こか)(ふところ)から妖符(ようふ)とは別の……黒い札を出して口に含んだ。

「んっく……、んくっ……ふうぅぅ」

 それは(あずさ)の血を染み込ませたもの。さすがにそのままでは腐ってしまうので、ある種の結界が張ってある。炬香(こか)はそれを少しだけ(かじ)るように口に含むとすぐにしまいこんだ。生ではないとはいえ濃縮(のうしゅく)してあるが故に、一度に大量に摂取(せっしゅ)するのは危険なのだ。

「ふうっ、行くです。……守るですよ」

 妖気(ようき)を回復した炬香(こか)は再び前線へと飛び込んだ。

「突破は許さないです!喰らえ『妖符(ようふ)冥府(めいふ)篝火(かがりび)』!」

 運よく罠の効果範囲から逃れた人間を穴へと叩き落とし、突出した人間を火達磨(ひだるま)にする。

炬香(こか)、反対側が突破しそうだ』

『はいです』

 敵の左翼(さよく)を食い止めた炬香(こか)(あずさ)の声で、反対側へと飛翔する。その小さい身体で人間の足元を()うように飛び、拾った刀でその生身の足を斬り付ける。

「がっ!」

「ぎゃあっ!」

 無謀にも追いかけてこようとする人間に刀を投げつけて牽制し、(とど)めに罠に放り込んでから飛び去った。

 そのまま右翼まで到達すると横凪に罠を作動、先鋒を足止めする。

「『妖符(ようふ)・灼熱の狂岩(きょうがん)』!」

 驚いて止まったところに美烑(みあ)由来の大岩を叩きこむ。直撃を免れた者も岩の余波を受けて昏倒(こんとう)し、低く飛び込んだ炬香(こか)の撫で斬りで戦闘不能になっていく。

「うっ……はむっ」

 炬香(こか)は一度上昇したところで妖気(ようき)が足りなくなったのを感じて、再び黒い札を口に含んだ。(のど)が熱くなり、その熱が胃の辺りから体中に伝播(でんぱ)する。

 くらり、と。まるで酔っぱらったかのように体が(かし)ぐ。純粋な破壊衝動が意識を(かす)め。

「負けるわけには……いかないです」

 ヒュイイイイィィィ。

 突如台地に甲高(かんだか)い音が響く。伝令の吹く笛の音だ。

「何……です?」

 警戒した炬香(こか)は距離を取るためにさらに浮かび上がる。その瞳が捉えたのは、急に動きを変えた人間の群。

「引け、引けーっ!」

「生きている者は声を上げろー!」

「歩ける者は連れて行けー!」

 馬に乗った本職の武士達がさながら牧羊犬(ぼくようけん)の如く群集の前を横に駆け抜けて、その進行を止める。さらに左右両翼の外側を走り抜けて最後尾に回ると、今度はそちらを先頭に退却を始める。

「え?勝った……です?」

 見る間に引いていく人の群れ。後に残るのは既に死に絶えた人間と、ところどころ穴の空いた無毛の台地。

『ここに来て戦法を変えたか……』

(あずさ)?」

『気を抜くなよ、炬香(こか)。まだ第一波を(しの)いだだけだ。すぐに次が向かってくる』

「はいです……」

 炬香(こか)はしょんぼり気味だ。

『けど、よくやった。負けなかったのはお前の頑張りのおかげだ』

(あずさ)……」

『帰ってきたら満足するまで撫で撫でな~』

「~~~っ。はいですっ!」

『そのためには勝たなきゃいけない。今のうちに罠の確認と……。

 っ。

 まだ生きてる人間に止めを刺してくれ』

 (あずさ)が一瞬躊躇(ちゅうちょ)したのは自分が人間だからではない。炬香(こか)に「殺し」をさせることに、それを命令することに呵責(かしゃく)を覚えたからだ。

 炬香(こか)は人間ではない。しかしその身体に宿っているのは「生きたい」という願い。この命令は彼女の存在そのものを否定するようで。

『(いや、それは言い訳だな。人外であることは分かっていても、俺たちが人間の敵だとしても、俺が自分の娘に人殺しを指示する人間であることに変わりはない……)

 炬香(こか)……頼む』

「っ……。はいです」

 炬香(こか)は再び地上へ降下し、雑霊たちと共に罠の確認を始めた。今居る場所の周辺を確認し終えると、今度は左の方へ。最初に敵陣を分断したために中央部分はほとんど無傷で残っている。それでもここまでに全体の3割を使ってしまった。

(下手に使いすぎると、安全な道ができてしまうです……)

 そうなれば、数で勝る人間に押し切られてしまう。

(やっぱり、炬香(こか)も……)

 (ふところ)から取り出すのは黒い(ふだ)。しばらく口に含んで何かを思案していたが、小さく首を振って(ふところ)に戻す。

(まだです。……まだ、持ちこたえるですよ)

 確認を終えた雑霊たちの報告を聞いて、台地の中心に陣取る。(にら)()える炬香(こか)の視線の先で人間に動きがあった。まずはさっきと変わらず、土の壁を起点に左右に展開した人の群。炬香(こか)は雑霊たちを散開させ、再びその先鋒(せんぽう)(くだ)きにかかる。

 雑霊たちが罠を起動させようとしたその瞬間、人の群の向こうから矢が放たれた。通常の物理攻撃に炬香(こか)を傷つける力はない。だから炬香(こか)は多少驚いたものの、回避行動を取ることなく雑霊たちへの指示を続けようとした。

「っ!?」

 突然走った痛みに動きを止める炬香(こか)に、さらに無数の矢が殺到する。

「っ、くぅっ!」

 さらに足にも痛みを感じるに至って、ようやく炬香(こか)は回避行動に出る。

(気を(まと)った矢……。全部じゃないのです。でも……)

 通常、物理攻撃が効かないが故に、炬香(こか)は攻撃を()け慣れていない。一時的に矢の雨から脱出するものの、すぐに追いつかれて逃げ惑う。

 厳密に言えば達人級の人間が放つ、「気を(まと)った矢」だけを回避すればいいのだが、やはり慣れていない炬香(こか)にそれを見分ける技術はない。

「ううっ……」

 さらに矢を浴びた炬香(こか)は、一気に失速して地面すれすれを通過していく。

炬香(こか)っ?何かあったのか?』

 炬香(こか)の動きに疑問を感じた(あずさ)から伝話(でんわ)が入る。

「あ、(あずさ)……矢っ、気っ、(まと)って……」

 慌てる炬香(こか)伝話(でんわ)の出力も内容もぐちゃぐちゃだ。さらに伝話中も3条の「気を(まと)った矢」を追加で食らってバランスを(くず)す。

炬香(こか)、落ち着け。飛んでくる矢は物理的なものなんだ。石の壁で防御すればいい』

「っ!はいです」

 慌てて自身の周りに炎を発生させる。

 火生土(かしょうど)

 地面から伸び上がった土の壁が炬香(こか)の姿を覆い、矢の雨からその身を守る盾となる。

 しかし、それは同時に炬香(こか)の視界を覆う「目隠し」になる。

「くうううぅぅっ!」

 さらに自身を()い付ける足枷(あしかせ)にも。

「(ま、ずいですぅ。このままじゃ、他の人間が……)」

 炬香(こか)が矢の雨に足止めを食っている間に、人間達は台地の半分を超えた。そこから先は未だ未使用の罠が多いため、雑霊たちだけでも暫くは対応できる。

 しかし、長続きはしない。雑霊たちは特に指示を出さなければ、一定の間隔で罠を起動するだけだ。どうしてもムラは出るし、下手に使ってしまえば安全な道ができてしまう。

「あ、ずさぁ……」

 削られた土を火で補修しながらの炬香(こか)は、苦しさを(にじ)ませたまま、(あずさ)に指示を()う。

『土の壁をもっと出せるか?』

「どういう、事、です?」

『神社に向かって隧道(ずいどう)状に壁を伸ばせ。その中を抜ければ無傷で敵の先鋒(せんぽう)に追いつける』

「んっ!」

 既に妖気(ようき)を尽きかけていたため、黒い札を口に含んだまま炬香(こか)は頷いた。一時的に出力を増した火によって前方の壁の厚みを増し、続いて後方へ伸びた火の下に発生させたトンネルの下を高速で抜ける。

(あずさ)っ!」

 トンネルを突破した炬香(こか)の目に飛び込んできたのは、蹂躙(じゅうりん)されている台地だった。侵攻されたのは未だ半分を少し超えたくらいだが、人間側の台地に設置した罠はほぼ使い切ってしまっている。

 つまり、押し返したとしてもすぐに同じところまで侵攻されてしまう。

「ど、どうすれば……」

『仕方ない……。最後の手段だが、アレをやるぞ』

「でも……、まだ人間を全て巻き込めるわけじゃないですよ……?」

 読んで字の如く、「最後の手段」は使えば後がない。

 そして人間側はまだ雑兵(ぞうへい)が大半を占めている。本命であるところの本職の武士たちはそのほとんどが陣幕の中だ。

『大丈夫だ。炬香(こか)と違って人間は飛べない』

「でも……」

 逡巡(しゅんじゅん)している間にも人の群れはじりじりと神社の(ふもと)に近づいていく。一度は目標を見失った矢の雨も、再び炬香(こか)(とら)えて放たれ始めた。

美烑(みあ)はまだ起きていない。今攻め込まれたら俺達の負けだ』

「っ……」

『大丈夫だ。俺たちは勝つ。また3人で一緒に遊んで、のんびり暮らそう』

「はいです」

 そうだ。

 また3人で暮らすんだ。

 美烑(みあ)様と(あずさ)と一緒に。

「っ!邪魔するな、ですっ!」

 尚も飛んでくる矢に対して火を放つ。命中した火は矢羽を火種に燃え上がり、周りの矢にも引火して、炬香(こか)の姿を(くら)ませる。

 一方の炬香(こか)は、火を放つと同時に神社へと延びる階段に向けて後退を始めた。向かう途中に雑霊たちに指示を出し、人間を囲い込むように――側面の罠を起動して迂回(うかい)を制限し、正面を一定以上に進ませないよう妖符(ようふ)による弾幕を張る。

「そこと……、そこもです」

 事前に立てた作戦通りに要となる罠を起動させていく。

 ぼこぼこと口を開ける地面、上がる悲鳴。再び炬香(こか)が優勢になるが、それも一時的なものだ。今は罠と妖符(ようふ)を併用しているために善戦できているものの、罠が減ってくれば直に劣勢に追い込まれる。

「逃げるなですっ!『妖符(ようふ)・灼熱の狂岩(きょうがん)』!」

 罠の間を()(くぐ)った人間たちを攻撃しつつ、その時を待つ。

「おおおおおっ!」

 しかしそれよりも先に、武士の一人が肉薄してきた。

 炬香(こか)に物理攻撃が効かないところを目撃していないのか。それともさきほどの炬香(こか)の様子を見て実は物理攻撃にも効果があると思ったのか。

 ともかく接近してきた武士は、躊躇(とまど)うことなく渾身(こんしん)の力を以って刀を振り下ろす。

(普通だったら痛くないのです。でも……あの矢みたいに……。

 でも、妖気(ようき)を無駄遣いするわけには……。使いどころを間違えれば……。

 ……それでも、生きるです。何としてでも……)

「くっ!天目一箇火炎爪あめのまひとつかえんそう!」

 本気モード。

 両手に妖気(ようき)を集中させて、炎の爪を顕現(けんげん)させる。

 武士の目が驚愕に見開かれた時には、炬香(こか)は既に次の標的に向かっていた。一瞬の間を開けて武士の身体が炎に包まれる。炬香(こか)はそのままの勢いで近くに居た人間を切り裂いた。

 恐怖に(すく)む別の人間を、すれ違いざまに火達磨(ひだるま)にする。

「っ!」

 人間の集団から少し離れるとすぐに矢が飛んできた。しかし、そのほとんどは火炎爪(かえんそう)の甲に触れて燃え落ちる。

 炬香(こか)は遠距離攻撃を避け、再び突出し始めた人間の群に突っ込んだ。腕を振るう度に妖気(ようき)が目減りしていく。

「くぅっ!まだっ!?」

 雑霊からの合図は来ない。気配を探ってみると、起動させなければいけない罠は残り2つ。しかし人間たちが固まっているせいで雑霊たちが思うように近づけないでいるようだ。炬香(こか)は一度火炎爪(かえんそう)を解除すると、減ってしまった妖気(ようき)を回復するために黒い札を口に含み、火炎爪(かえんそう)を再顕現(けんげん)させて突進する。

「ひぃっ!」

 慌てて刀を向けてくる者もいるが、その刀を一瞬でドロドロに融解(ゆうかい)させて、(ひる)んだ隙に棒立ちの足を狙う。

「このっ、化け物めっ!」

 隣にいた人間が炬香(こか)に刀を振り下ろした。炬香(こか)は一瞥すると尻尾を揺らして、横軸に回転……いわゆるバレルロールを行い、最初の人間と加勢した人間を同時に切り裂いた。炬香(こか)にとって普通の人間の攻撃は避ける必要がない。しかし、今のうちに「回避する」ことに慣れておけば、本職の武士達が出てきたときに対処しやすくなる。

 実は(あずさ)との戦闘訓練ではこの対武士の訓練ができていない。(あずさ)に実戦能力が無いからだ。

 今日がぶっつけ本番。

それでも、

「負けるわけには……、いかないのですよぅっ!」

 炬香(こか)は人間を()き分ける。足元を一気に駆け抜け、

「そこですっ!」

「ぎゃっ!」

「ぎっ!」

 炬香(こか)妖気(ようき)を送り込むと同時に地面に穴が開く。さらに炬香(こか)が放り込んだ妖符(ようふ)によって発生した岩の(くい)が人間達に襲い掛かる。

「あと1つ、です」

 炬香(こか)は追いすがる人間たちを雑霊に任せて、次の目標へ飛来する。

 最終目標は、距離としては近い。しかし、集団の反対側だ。何度か切り込むものの、その度に邪魔されて思うように進めない。

(まずいです。このままじゃ……囲まれる)

 結局直進をあきらめて、集団を大きく迂回(うかい)する。集団から離れると同時に、やはり矢が放たれた。同時に集団から飛び出した人間が槍を向ける。

「くっ!」

 炬香(こか)はまず眼前の槍に向けて右手の火炎爪(かえんそう)を向けた。同時に後方の矢に対しては空いた左手を(かざ)すことで対処する。100パーセント撃ち落せるわけではないが、火さえつけてしまえば後は勝手に燃え落ちる。

「んっ!」

 耳で後方の矢に引火したのを確認した炬香(こか)は、目前の人間に爪を突き込んだ。

「かふっ?……あ、れ……?」

 引っ()いたはずの人間の首に傷はない。突き出した火炎爪(かえんそう)は解除され、自身の小さな手が露出している。そして何かをごっそり持っていかれたような違和感を辿って向かった視界には、自分の腹を貫いている矢が(うつ)った。

 うっすらと残っていた気が霧散すると、炬香(こか)の身体をすり抜けて地に落ちる。

(横から……です?)

 矢は、前後の攻撃への対処でがら空きになった炬香(こか)の背中側から放たれたものらしい。

 しかし、そこまで思い至ったところで炬香(こか)の意識が急速に遠のく。ただでさえ火炎爪(かえんそう)を使うことで妖気(ようき)の消費量が増加していたところに、矢によって残っていた妖気(ようき)も削られてしまった。

(あ……まだ、このままじゃ……)

 慌てて手を伸ばすも、その手は半透明になりつつある。妖気(ようき)が減って実体化もままならなくなっている。このまま放っておけば霧散して、炬香(こか)という存在が消えてしまう。

(やだ……消えたくない。美烑(みあ)様……。(あずさ)……お、父さん……)

 視界は真っ暗で何も見えなくなり、人間たちが刀を突き立てる音だけが耳に響く。そのほとんどは炬香(こか)に触れることなく地面を削っていたが、気を(まと)った刀が突き込まれれば今度こそ消える。

(おとうさん……)

 こんなことなら、もっと素直に。

 もっと甘えておけば。

 美烑(みあ)様はいっぱい愛してくれたのに、勝手に遠慮して。

 (あずさ)はいっぱい慈しんでくれたのに、意地を張って拒絶して。

 それでもやっぱりもっと一緒に居たい。

 このまま死んじゃうの?

 そんなの嫌だ。

 生きたい。

 死にたくない。

 消えたくない。

 生まれたい。

 カサリ……

「?」

 口に触れた何かを、炬香(こか)は無意識に口に含んだ。

 もう鼻も利かなくなった炬香(こか)にはそれが何かわからなかったが、本能に導かれるままに口を動かし、()み千切り、飲み込む。

 それは(あずさ)の血を染み込ませた黒い(ふだ)

 炬香(こか)の実体化が出来なくなると同時に炬香(こか)の衣服もまた実体化が解けてしまう。貸与品(たいよひん)である黒い(ふだ)は服が無くなると同時に、(ふところ)から抜け落ちたもの。

「んぐっ、ごっきゅ、んんん……」

 体も妖気(ようき)の容量も小さい炬香(こか)にとっては直接血を吸うのと同じくらい危険な行為。

 身体が発熱して、意識が沸騰する。

 破壊衝動が鎌首をもたげる。

「ぉぉぉ……ぉおぉおぉぉぉおおおおおおおおおおっ!」

 一気に回復した妖気(ようき)で頭が白熱し、生きたいという願いが暴走する。ほぼ無意識で両手両足に天目一箇火炎爪あめのまひとつかえんそう顕現(けんげん)させる。

 しかし火炎爪(かえんそう)を形作っている炎の一部が黒い。

 妖気(ようき)の変質。化け物に落ちる兆候(ちょうこう)だ。

 炬香(こか)は痛みに似た不快感を感じて顔をしかめた。それでも目標となる罠に驀進(ばくしん)する。

「おおおおおおおおおっ(意識があるうちにっ)!」

 障害となる人間を一気にケシ炭にして罠まで到達すると、すぐに起動させた。

(これで……)

 起動させた罠は単純な落とし穴。すぐに他のものと同様、直径2メートルほどの穴が開き、上に居た運の悪い人間を飲み込む。しかし、それだけでは終わらない。空いた穴の縁に生まれた亀裂が地面を走って近くの罠に到達。亀裂は幅を広げ、あっという間に二つの穴が繋がる。

 台地の亀裂は、要の罠を中心に放射状に広がった。

「なっ!?」

「お侍様あああぁぁっ!」

 飛行能力のない人間は突然空いた亀裂に飲み込まれ、隆起した台地を転がり落ちる。何とか刀を突き立てたり、爪を立てたりして(しの)いでいた者たちも、続く振動に耐えられず次第に数を減らしいく。

「はーっ、はーっ、はーっ、はーっ、はーっ」

 そんな様子を炬香(こか)は冷たい目で見下ろしていた。しかしその身体は炎に包まれ、全身を巡る有り余る妖気(ようき)とは裏腹に、額には脂汗が浮かんでいる。そして火炎爪(かえんそう)はその半分ほどが黒い炎に変わっている。

(意識が……。美烑(みあ)様は今もこんなのと闘ってるですか?)

 手放してしまいそうになる意識を何とかつなぎとめて、眼下の戦場を確認する。

(まだ……です。まだ……)

 フラフラする視界のなかで動くものが居る。

 馬に乗った武士だ。

 あちこち隆起してまるで崖のようになった台地を、見事な手綱捌(たづなさば)きで馬を操り、右に左に跳ねながらどんどん超えてくる。

「はーっ、はーっ、んんっ、はーっ……」

 炬香(こか)は右手だけ火炎爪(かえんそう)を解除すると懐から8枚の「妖符(ようふ)」を取り出す。発言する力は「灼熱の狂岩(きょうがん)」。しかしすぐには発動させずに、無造作にバラ撒いた。炬香(こか)の手を離れた「妖符(ようふ)」は亀裂の走っている台地に向かってほぼ均等に散らばると、するりと亀裂に吸い込まれる。

(行くです……、んっ……)

 一瞬の静寂(せいじゃく)

 ドゴオオオオオオオッ

 激震と共に再び台地が揺れた。炬香(こか)が放った妖符(ようふ)は地下の空洞内で起爆。炎と熱風はあっという間にその空洞を埋め尽くし、地上へ顕現(けんげん)した。

「うああああっ!」

 今まさに亀裂を飛び越えようとしていた馬を、その上に載っている人間ごと炎が包み込む。あちこちの亀裂から伸び上がる炎で、参道前はまるで火の川だ。

 亀裂に飲み込まれたの人間はもちろん、踏みとどまっていた人間も炎に巻かれて黒い塊に変わっていく。

「はーっ、はーっ、はーっ……(これで、しばらくは美烑(みあ)様と(あずさ)を守れるです)」

 やや安堵しつつも、息の荒いままの炬香(こか)が階段の前に陣取った。火の川を抜けてくる人間が居ないことを確認しつつ、追加で妖符(ようふ)を亀裂に放り込んでから、神社の方を振り仰ぐ。

「……え?」

 山の頂上付近……神社のある辺りから黒い煙が上がっていた。

 自分が出した炎の音に紛れて気がつかなかった。耳を澄ませばはっきりとわかる、ぱちぱちと言う音。木が燃える音。

 間違いなく、神社が燃えている。

 そういえば、途中から(あずさ)からの伝話(でんわ)が途絶えている。

「あ、ずさ……?……っ、お父さんっ!?」

 動揺して肉声のまま叫んでみたが、もちろん返事は返ってこない。伝話も試してみたが同じく返伝(へんでん)がない。

「あ、あぁぁあああっ!」

 大量の妖気(ようき)に充てられている上に、2人が危ないかもしれないという不安が炬香(こか)の精神を掻き乱す。

 じゃり……。

「っ!」

 石を踏む音に反応して振り向けばそこには人間が居た。皆首の辺りに(いかり)のような印の入った布を巻いている。

(なんで?まだ……火は消えていないのに……)

 彼らの背後の火の川は未だ燃え上がっている。渡れる状態ではないはずだ。

 動揺から立ち直れていない炬香(こか)に人間の1人が放った槍が突き刺さる。

「こっ、ふ……?」

 本職の武士でも無いのに気を(まと)った攻撃。

(なんで……?

 ……関係、ないです。この人間達は危険。

 今炬香(こか)がここを離れたら、神社に侵入させちゃう……)

 炬香(こか)は槍を無造作に抜いた。

 炬香(こか)の足を覆っていた炎が一気に黒く変わる。

(このままじゃ、炬香(こか)は化け物になるかもしれないです……。意識が……無くなって、何も分からなくなって……それでも、炬香(こか)は二人に生きて欲しいです)

 黒い炎が勢いを増す。

 何事かと警戒する人間の前で、小さな炬香(こか)の足が腰が胸が飲み込まれ、

美烑(みあ)様……お父さん……、炬香(こか)は……)

 (つい)炬香(こか)の全身を飲み込んだ黒い炎は一気に巨大化する。1メートルを越え、2メートルを越え、3メートルを越えて、妖気(ようき)を撒き散らして成長した炎は突如消失した。

 消失した炎の中にはやはり巨大な……化け物。

 全身は黒く、人間と獣を足したような歪な存在。

(あ……れ?以外に意識はあるです……?)

「((にく)い、(にく)い、(にく)い、(ねた)ましい)」

(うっ?)

「(生きている人間が(ねた)ましい。動いている人間が(うら)めしい)」

(これは……炬香(こか)の中の……)

「(生まれたかった。生きたかった。笑いたかった。泣きたかった)」

炬香(こか)の……願い)

「(何で私が……。何でアイツらハ生きテいル。(にク)い。(ニク)イ。妬まシイ)」

「(奪え、命を。アイツラの命ヲ)」

「(ソウダ)」

「(ソウダ)」

「(殺セ、奪エ、殺せ、コロセ、コロセ、コロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセ)」

 化け物が目の前の人間を捉えた。

「ルゥオオオオオオオオオオオオオオオッ!」

 叫ぶと同時に脇腹辺りから伸びた触手が、人間の心臓を、頭を打ち抜いていく。

「(足りない、タリナイィィィィィィッ!)」

(止めるですっ!炬香(こか)の役目はここを守ることです。逃げる人間まで……っ!)

「(ウルサイッ!生まレタ事のアル存在ガッ!)」

(っ!)

「(奪えエえェェッ!)」

 触手に絡めとられた人間が数人、黒い獣の口へ放り込まれる。

「や、止めっ!ぐべっ!?」

 メキッ、ボギッ、グジュッ、ジュビッ、ジュチュッ

 固いモノが折れる音、柔らかいモノが()じ切られ、すりつぶされる音。そして赤くて粘っこいモノが泡を立てる音がして、

「う、わあああああああああっ!」

「ひぃっ!」

「逃げっ、逃げろおおおおおおっ!」

 硬直していた人間たちが、ようやく動き出した。我先にと台地の入り口へ駆けていく。しかし、その眼前には炬香(こか)が巻き上げた岩と亀裂。幸いにして火は鎮火していたが、隆起した台地は人間の行く手を阻み、必然的に岩の隙間に隠れる者と左右へ迂回(うかい)する者に分かれた。

 最初に餌食になったのは岩の隙間に隠れた人間たち。黒い獣の触手が岩の隙間に潜り込み、(から)め取っては引きずり出す。

(止めるですっ!これ以上……、止めてええええええっ!)

「ルオオオオオッ!」

 炬香(こか)の叫びは()き消され、生臭(なまぐさ)い音があたりに響く。

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