ゴージャスお嬢様登場 #8
黒い風の刃が私を襲う。
粘性を持った腐臭と共に体に絡み付こうとするが、それらは全て、私に辿り着くまでに虚空に消え、消滅していた。
私は当然に結界を張っていたのだ。おかげで何のダメージも受けず、気になる臭いもしてこない。
しかし、奴の魔法の威力は大したものである。結界のあちこちにヒビが入り、結界自体が腐り果てて今にも壊れそうになっているではないか。
結界が完全に崩壊するのも時間の問題だろう。
だが、私にはそれで十分だった。必要な時間は稼いだのだ。奴を殺さずに倒すイメージは、すでに出来ている……
「はあ、はぁ、ぶしゅ~~そ、そふぃあタソ、も、もう、降参したほうがいいお、ぶしゅるる~~」
ニートが何かほざいている。さっきからでかい剣を頭の上でぶん回しているせいか、息も絶え絶えだ。
苦しそうにぶしゅぶしゅ言っているが、すでに全身汗でぐっしょり、気持ち悪さ全開だ。
ああ、オゾマイ……
それにしても、もう疲れ果てているんじゃ? なんか泣きそうな顔になっているぞ。放って置いても勝手に倒れるんじゃないだろうか……
「ぶしゅ、ぶしゅ! そ、そふぃあタソ、もう結界は壊れるんだお! は、はやく降参して楽になるんだお!!」
お前が早く楽になりたいんだろうが!
「ソフィアさん、はやく降参して下さい! 怪物とのデートとパンツの件は私が何とかしますから!!」
雫さん、何とかって、何をどうするの?
「心配後無用! 今から片付けます」
「ぶしゅ?」
奴め、この状態で私が何か出来るとは思っていないな? 全く……。
倒すだけなら剣で一瞬なのだ。一応は人類の端くれであるお前を、なるべく傷つけずに、ついでに、このド汚くド臭い試合場を何とかしようと考えていたのだ。
感謝してもらいたいよ……いや、感謝なんかされたら気持ち悪くて死ねるな、さっさとやっちまおう。
「待たせたな、不細工よ。今、楽にしてやるぞ」
「ぶしゅる? な、何を言っているんだお?」
「そうですよ、何を言ってるんですか!? それより早く逃げて下さい!」
ニートと雫の発言が一致している様だ。
雫よ、口が腐るぞ?
真っ黒に汚れた空間の中、ただ一つぽっかり開いた光の場所から、私は魔法を放った。
「全ての精霊達よ、力の限りを尽くし、穢れを浄化せよ。
アーグリィ・ デオドライドスイーパー!!! 」
魔法が発動された瞬間、私の周りから青と緑の光の渦が巻き起こり、私を中心にして凄まじい勢いで旋回し始める。
それらは瞬時に莫大な量となって、黒い渦をあっという間に掻き消した。光の渦は今や試合場全てを飲み込み、観客席にまでその直径を大きくしている。
さて、奴はどうなったか。
ニートの方を見ると……うぶっ!?
『モザイク!!』
思わず光の反射を様々に屈折させて、不可視化してしまった……
奴の汚い部分、まあ全部だが……それが綺麗さっぱり消滅し、全身素っ裸で仰向けに倒れている。
汚さが奴の力の源なのだろうか? 今や汚い髪の毛は無くなって丸坊主で、醜さも大幅に軽減されてはいるが。
ぶよぶよに垂れた腹が股間にまで伸びているし、これはかなわん。
うう、なんちゅう気持ち悪さ、夢に出てきそうだ……
そんな、吐き気を我慢している私をよそに、観客席の連中はゴキゲンにもはしゃいでいる。おちこちで驚きと感嘆の声が聞こえてきた。
なにこれ――いいにおい――
すがすがしいキブン――
精霊王キタ―――!!!
やはりやってくれたか――さすがはオレのヨメ―――
最後の奴!お前はもういいよ!!
それはそうと、会場全てに森林の中に居る様な爽やかで清々しい感じがするのは本当だ。
試合場を綺麗にするついでに森林の匂いを付加し、マイナスイオンも発生させたからな。雫も安心してくつろいでいるだろう。
そう思って見てみたが、アレ?
「ソフィアさん、これ程までのお力をお持ちとは……。ああ、またしても私は愚かにも思慮浅く行動してしまいました。ソフィアさん程の美貌と実力をお持ちのお方ならこれ位はやってのけて当然な筈だと、何故分からなかったのでしょうか? ああ、穴があったら入りたい……」
手を合わせて何やら懺悔している。完璧に一人の世界に入っている様だ。とりあえずそっとして置こう。
それよりも、司会の狐娘に早く勝敗を決めてもらわねば。万が一、素っ裸の奴が復活でもしたら、次は殺してしまう自信が有る。
「あのぉ――、司会のお姉さん、判定は?」
「えっ? 判定ですか?」
狐娘は試合場の隅っこでモザイクを掛けられた物体を、嫌そうにチラッと見た。
「え――、ニート選手は戦闘不能。よって、勝者はソフィア選手です!!」
その瞬間、観客席から大歓声が沸きあがった。様々な美辞麗句、感嘆の声が聞こえてくる。
観客達が狂喜乱舞してる姿を後に、私は試合場を出た……
「えっ? こんなに頂いていいのですか?」
私は控え室でトレブ氏と話しをしていた。そのトレブ氏が優勝賞金を私にくれようとしたのだが、その額が大きすぎた。1000万ギルもあるのだ。
「いやいや、これは正当な額なのですよ。貰ってくれなければ、金の行き場が無くなって困りますわな」
「では、刀の代金としてトレブさんが受け取って下さい」
「何をおっしゃいますか! アレはアレ、コレはコレです。あの刀はすでに、ソフィアさんの物になっちまってるんですから。それに今回の賭けで、アッシは2000万ギルも儲けさせて頂きました。十分すぎますわい」
なるほど……それは確かに、十分義理を果たしたといえよう。
「分かりました。では、有り難く頂いておきます」
「ははは、助かります。それはそうと、今日はここの運営理事長の領主様が、娘さんと一緒に見に来られていたんですがね。その娘さんが、ソフィアさんの事を大層お気に入られたようでして、夕食を一緒にしたいと仰ってるんですよ。どうしますか?」
うーむ、貴族か。偉いさん達との付き合いには慣れてはいるが、今はマズイ。なんせ、住居不定で親類縁者も無しだ。不興を買ったら今後の情報収集がやりにくくなる。
もう少し地盤を固めてから会う事にしよう。
「申し訳ありませんが断っておいて下さい。連れと会う約束をしていますので」
適当に言ってみたが、言った後に思い出した。雫と落ち合うほうが良いのではないか? 何やら私に会いに来た様子に見えたが。
「ああ、分かりました。伝えておきます。ナニ、お嬢さんも食事の話し相手が欲しかっただけでしょうから、特に気にする必要も有りませんよ」
そうして私達は控え室を出た。トレブ氏は自分の店に戻り、私は雫を探しに行く事にする。
闘技場の外で待っていようとしたが、凄い人の多さでどこに雫がいるか全く分からない。
それなのに探し始めて僅か数秒、反対に私が群衆に発見されてしまった。
女神様だ、妖精王だ、など今や聞き慣れたフレーズが飛び交っている。
そのくせ、人々は決して私に近寄ろうとはせず、遠巻きに見つめているだけだ。まるで珍獣にでもなった気分がしてきたぞ。
しかし、これはマズイかも。
何だか騒ぎが大きくなってきたようだ。所々で私の名をコールしだす連中も現れている。
キャーという悲鳴の様な声も聞こえるし、既に私の周りには人だかりで壁も出来ているし、どうしよう……
「ソフィアさ――ん!!」
雫だ!
おお、鬼の形相で人垣を割って現れるその姿、救世主登場か!
雫は私の腕を自分の腕でがっしりと掴み、先頭に立って人垣に突進していく。
「女神様はお疲れです、道を開けなさい! 開けない者は不細工になりますよ!」
すんごいセリフを堂々と仰っている。
”それだけはヤダ――”
悲壮感溢れる悲鳴があちこちで挙がった。
だが、そのお陰で人垣が海を割ったようにスパッと左右に分かれ、一本道が出来上がったのだ。
こうして私達は人の群れから退場したのだった。
一方、ここは闘技場の貴賓室。
ネイサン・ウェザース卿はデスクに座り、書類に目を通していた。闘技場の収支報告書を確認していたのである。莫大な資金源こそが、ミスカトニック領主たる彼の地位を磐石なものにしていたのだ。
V字カットの短髪に細面の顔。その表情は険しく、眉間には深い皺が寄っている。公爵たる地位を僅かにでも揺るがす様な事が起こっていないか、彼は真剣に書類を見つめていた。
やがて満足したのだろうか、目元が僅かに緩み、書類を机の上に置く。その時、ドアをノックする音が聞こえてきた。
「入れ」
低いが、よく通る声で短く返事をする。
「失礼します、旦那様」
そこには燕尾服に似た正装をした、初老の男が立っていた。頭髪は寂しいがよく手入れされており、清潔感がある。加えて丸眼鏡をかけたその顔は、温和そうな性格を隠そうとはしていない。
「ハミル、どうしたね?」
ハミルと呼ばれた男は、ソファーで寝そべっている人物に視線を向け、一瞬返事を躊躇した。
「今日の優勝者との夕食はキャンセルになりました」
「そうか。それは残念。先約でも有ったのかね?」
「その通りで御座います、旦那様。連れと会う約束をすでにしているとの事でした」
「なんですってぇ――――っ!?」
壁際のソファーに寝そべっていた人物が飛び上がって起き上がり、悲鳴に近い絶叫をした。
「爺、それは本当なの?」
今にもハミルに飛び掛りそうな勢いだ。
「え、ええ、お嬢様。擬宝珠寺の巫女と連れ立って帰る所を大勢の人間が見ておりますので、約束は本当の事だと……おそらく連れというのはその巫女、雫様かと思われます」
「あんのミコミコ女~~、いつの間に私の妹と知り合ってんのよ! なんて腹が立つ、がるる!」
お嬢様はクッションを齧っている。
「これ、止めないか、はしたない」
ウェザース卿は呆れた顔で少女に言った。
「だって―—! 私の妹を独り占めしようなんて許せないわ! お父様も腹が立たないの!?」
「何故私が腹を立てねばならんのだ。もちろん、あの様な美貌の持ち主と直接話が出来ないのは残念だが、またの機会にすれば良いだけではないか、違うかね?」
優しく少女を諌めるウェザース卿。
「しかしレイチェル、お前はよほど彼女を気に入ったのだな。なにせ試合中も、妹、妹と喧しかったものな、はははは」
そう! レイチェルと呼ばれた少女。この少女こそが試合中、「カワイ――わたしの妹になって――!!」とか「妹に決めた――!!」とか叫んでいた張本人だったのだ!
レイチェル・ウェザース、16歳。雫と同じ9年製学校を卒業し、今はネクスタの街の魔法学校に通っている。
その容貌はゴージャスそのものだ。見事なプラチナブロンドを、顔の左右で大きな巻き毛(縦ロール)にし、根本には紫色のリボンを巻いている。整った顔に大きなエメラルドグリーンの瞳。かなりの美人だと言えよう。
体の線も見事で、将来はナイスバディになる事は軽く想像できる。薄紫のフリルが所々に付いた白の服に白のスカートを着ているレイチェルは、すでに貴婦人の貫禄があった。
「お父様、私も雫の所に行って参ります!」
「なんだって!?」
突然のレイチェルの申し出に、驚くウェザース卿。
「雫にだけいい思いはさせませんわ。私も混ざって、仲良くしてこようと思いますの! おほほほ!」
手の甲を口下に当てて、高らかに笑うレイチェル。
ウェザース卿とハミルは顔を見合わせて、ゆっくり顔を左右に振り合った。もう、こうなったらレイチェルはいう事を聞かないのを二人は良く知っている。
「分かった。好きにするがいいよ……だが、雫君は阿羅多教の当主だ。くれぐれも失礼の無い様にな」
「もちろん分かっていますわ、お父様。ウェザース家の名に泥を塗るような事は決してしませんわ!」
本当に分かっているのか怪しいもんだ、とウェザース卿は思った。だが、レイチェルの身に何かあるという事は無いだろうと考える。雫君の下には、あの優勝者がいるのだから……
「爺、行くわよ!」
颯爽と歩き出すレイチェル。ソフィアと雫は、この闖入者がやって来る事をまだ知らない…………




