プロローグ2 実験開始
タンカーに乗り込み、まずは上甲板に直行する。
全長約460m、幅約70mのこのスーパータンカーは、現在船体のあちこちに通常では見られない蜘蛛の足の様な装置が取り付けてある。それらの装置がこの船を莫大な磁場で包み、一種の亜空間を作り出して瞬間移動をしようというのだ。当初の移動距離目標としてはたった10mだが、これ程大きな船をテレポートさせるなんて本当に出来るのだろうか? 否が応にも不安が増してくる。
そうこうする内に道田1佐と合流した。
向こうに見える船尾楼甲板には、望月健1尉と豪田雄一郎准尉が船体に取り付けてある磁場発生装置を点検している。アーゼル大佐はすでに船橋に移っていた。
「道田君、問題は起こっていないかね?」
少し緊張気味な彼に対し、意識して穏やかに話しかける。
「ええ、何も問題無く予定通りに仕上がっています、白鳥司令官」
部下にあたる美月君に軽く会釈しながらハキハキ答える彼は、私も信頼している部下の一人だ。
頭脳明晰にて武芸にも秀でており、数度の海外派遣の際には優秀な成果も収めている。
40歳後半の年齢で1佐に登り詰めた彼も、彼女に劣らず十分にエリートだと言えよう。
それに、剣道の達人でもある。
この道田君には、武芸達者で特に剣道を得意とする美月君でさえも全く敵わないだろう。なにせ、彼は私が引退した後の全国大会連続覇者なのだ。私は引退後真剣の稽古一本に絞っているが、彼もそろそろ誘ってみようかと思っているところである。
ぼんやりとそんな考えをしている内に、スピーカーから大音量で連絡が入った。
「白鳥司令官、艦橋にお越しください」
いよいよ始まるという訳だ。
私もそうだが、周りで作業している者達にも緊張が走ったのを空気で感じる。
「さて、私はアーゼル君と合流することにするよ。諸君はカウントダウンが始まるまで最後の点検をしておいてくれ」
軽く帽子のつばを摘んだ私に、周りの部下達が敬礼で答える。
そして、私と美月君はアーゼル大佐のいる艦橋へと向かった。
「やあ、白鳥司令官。心の準備は出来たかね? そちらの綺麗なお嬢さんも」
日焼けした赤ら顔の笑顔で挨拶するのはアーゼル大佐。
身長は私と同じくらいの185cm程だろうか。60歳近い年齢からは考えられない程に筋骨粒々で若々しく、私好みのクリント・○ーストウッド張りの渋いイケメンである。
「ああ、大丈夫だよ大佐。私も部下達も心の準備は万端だ。それより原子炉の方は大丈夫かね?」
同じく笑顔で返事をし、気になっていた事への反応を確かめる。
そう、今回の実験に使うエネルギー発生装置は原子炉を使っているのだ。
しかし、その設計や設置などはわが国は関わっていない。というより、核兵器にも即座に転用できる技術には一切関わらせないという方が正解であろう。
理論構築はともかく、今回の実験では我が国はエネルギーを集約、制御する装置の開発の一端を担い、各部品の作成や設置を任されているに過ぎない。精密機械の製作は我が国の方が向いていると上の連中は考えたのだろう。
「全てノープロブレムだよ、白鳥司令官。磁力発生装置も正常に運転しているし、磁場発生装置へのエネルギー送達も完璧だ。それに放射能漏れも全く起きていない。後はこのボタンを押すだけだよ、ポチッとなってね」
冗談っぽく言いながら、艦橋に特別に設置された台に有る、核ミサイル発射ボタンのような物に人差し指を置く大佐。
「結構。さて、もうすぐ予定時間だ、カウントダウンを始めようか。良いね、大佐? 美月君、頼む」
「了解です、司令官。総員配置に着け、実験を開始する!」
全艦に向けて支持を出す美月君。
私はすかさずカウントダウンのボタンを押した。
10分前からのカウントダウンが始まった。
艦橋の左右にある左側の椅子に座って甲板を見渡す。右側はアーゼル大佐だ。
美月君は私の後ろに立って計器を見つめている。
見渡す限りは特に問題は無いようだ。
各装置にはスタッフ達が張り付いて最後まで点検をしようとしており、A国のスタッフもそれを見守っている。
しっかり任務を遂行している彼等の姿に、不安感も少しは癒された。
ただ、多少は問題も有ったかも知れない。
美月君の友人である安藤君が、シュワちゃんの様なごついA国の隊員に寄り添い、腕に手を回して何やら話しているのだ。
「あいつ、こんな時に何やっているのよ、後で絞めてやる!」
どうやら美月君にも見えていたらしく、物騒なことを口走っている。それに気付いた大佐が、
「ナイスグラマーだね彼女。言い寄られた男はいちころだろうね、私もいちころにされたいよ。いや、その前にワイフに本当に殺されるだろうけどね」
と豪快に笑っている。
全く、皆肝っ玉が据わっている様で結構な事だ。
…………テン、ナイン、中央磁力発生装置エネルギー100パーセント充填!、エイト、セブン…………
テンカウントが始まった。
すでに私とアーゼル大佐は、磁場発生装置のセーフティーモードの解除コードを入力し終え、艦橋の中央に作られた実験開始ボタンが有るコンソールボックスの前に立っている。
気分はまるで核ミサイル発射の様だ。
後は直径5cm程のこの赤いボタンを押すだけ……
今回の実験では双方の責任者、つまり私とアーゼル大佐が同時にボタンを押すことになっている。人類初の月面着陸同様、栄えある実験の栄誉は一応我々2カ国が分かち合おうという訳だ。
…………ファイブ、フォー…………
船体のあちこちに取り付けられている、直径2mほどの磁場発生装置が薄青く輝き始めている。
奇妙なこの装置は傘の柄の部分だけを不均等に円状に並べており、パラボラアンテナに似ていなくも無い。だが、それぞれの柄の部分は僅かに前方に折り曲がったり後方に反り返ったりしており、真っ黒な肢体も相まって蜘蛛の足と言うのが最もふさわしい表現方法だろう。
計200個を越えるそれらが船体の方に向けられたり、船外の方に向けられたりしている光景は、見る者をして神の領域へと踏み込む禁断の儀式に思いを向けさせる事だろう。だが、今はそれらの装置を中心に船体自体が発光しており、幻想的な光景を生み出している。
…………スリー、トゥー、ワン、ゼロ、
「イグニッションオン!!」
その瞬間…………
全てが白に変わった。僅かに船体が揺らいだだろうか。
隣にいるはずのアーゼル大佐の姿も見えない。
誰の声も聞こえない。
目を瞑っているのか、開いているのかも分からない……
立っているのだろうか? それとも座ってる? どうにも体の感覚が伝わってこない。
ボタンを押してからどれほど時間が経過しているのか。一瞬のはずだが、時間感覚も失われている様だ。
意識もはっきりしなくなっている。
いかん、私がしっかりしないとどうする。だが、このままでは意識が…………。
そうして私の意識は完全に閉ざされた。