第1話・転生しました、武田家に!
遅くなりすいません。
何とか書けました。
第1話
天文12年1月2日(1543)
■甲斐国 山梨郡 躑躅ヶ崎館
甲斐国の守護、甲斐武田氏第19代目当主である、武田 従五位下・大膳大夫晴信と継室である三条の方との間に男児が生まれた。
晴信にとっては3人目の子供である。
嫡男の太郎、次男の二郎は生まれつき盲目だったので、三男が生まれたと言うのは晴信にとっても、武田家にとっても大変喜ばしいことだった。
「御屋形様、おめでとうございます。三条の方様が元気な男児をお産みになりました」
「そうか、でかしたぞ!そうじゃ、傅役を決めねばならぬな…ふむ、誰が良いか……。
景政、お主が傅役じゃ。そなたが傅役になれば立派な武将に育ってくれるに違いない。景政頼んだぞ!」
「はっ!勿体無いお役目ありがとうございます。この景政、若様を立派な武将に育ててご覧にいれましょう」
「うむ、頼むぞ」
「それと、お館様、お名前は如何為さいますか?」
「名前は既に決まっている。三郎じゃ。ゆくゆくは武田一族である西保氏と安田氏を継がせるのもいい」
「三郎様でございますか、良い名でございますな。しかし西保氏はわかりますが、安田氏とは安田義定公の安田氏でしょうか?」
「そうだ。三郎には義定公が遠江守だったように東海道を切り取ってもらわなくてはならぬ」
「東海道ですか…では今川相手にですか?それはさすがに…」
「今とは申してない、三郎が元服して武田の力が強くなったらの話じゃ」
「では信濃を早々に統一しなくてはいけませんな」
名門、甲斐源氏の武田家に生まれた赤子、三郎は物心がつく頃には聡明さを発揮し、晴信を始めお付きの家臣達を驚かせる事となった。
天文十二年1月4日(1543)
■甲斐国 山梨郡 躑躅ヶ崎館
戦国時代にやってきて2日が立っていた。まぁかなり驚いた。
この言葉で始まるのだが何を言っているか判らないのは当然だと思うが、仕方がない。
実際に来てしまったのだから。
いやだってね、いきなり気がついたら体が小さくなってたからね。
つまり転生というやつだ、前世の記憶もある。まず戦国時代に来ての目標はこの記憶、いや知識を活かして生き残る事が出来るかどうかだ。その知識を活かして忠実通りの歴史にするか、それとも歴史を変えるか、その2つしかない。まあ取り敢えずは歴史を変える方向に目標を立てて、自分の名前が教科書などに残る活躍が出来ればいいと思っている。とにかく今は自分が誰なのか、ここが何処なのかを調べる必要がある。
少しだけだが調べによると俺も含めて周りの侍女らしき人たち、みんな和服を着ている。
喋り方も時代が違う喋り方だからと思って侍女に聞いてみたのだが、なんと自分が生まれた家は甲斐源氏の宗家である、守護・武田家に生まれた3番目、つまり三男として生まれたということらしい。
武田氏、よっぽどの事がない限り知らない人はいないくらい甲斐の虎や上杉謙信との川中島の戦いで有名な、あの武田信玄の家で俺の父親なのだ。戦国オタクとしてはこんなに嬉しいことはない。越後の龍と言われた上杉謙信、海道一の弓取りといわれた今川義元、相模の獅子と言われた北条氏康といった名将と互角に渡り合ったというのが普通にはむりだ。それに俺は山梨で生まれたので甲斐国、現在の山梨県を中心に強くなっていったというのが嬉しい。
武田氏は四方を山々に囲まれた山国である。
甲斐国、現在は山梨県であり北と東は関東山地であり2千メートル級の山々が連なっている。そして西には白根北岳を最高峰とする南アルプス、赤石山脈が南北に横たわっており、南には富士山もある。そんな山々に囲まれた甲府盆地には釜無川、笛吹川、御勅使川、荒川などの川がある扇状地が特徴であるが決して豊かな国ではなかった。
江戸時代前期の石高(米の量)は約24万石なので、武田信玄が治めていた時代は20万石以下で甲斐国は貧国なのだ。
そんな甲斐国を治めてきた守護大名、武田氏。歴史は古く河内源氏の一門の源義光始祖とする名門甲斐源氏である。
その本拠地が甲斐国 山梨郡 躑躅ヶ崎館 城主(山梨県甲府市)が武田信玄を筆頭にキラ星の如く優れた家臣たちがいたので、甲斐国、信濃国、駿河国、上野国西側、飛騨国や遠江国、美濃国、三河国の一部を領有するまでに至り京へ上洛しようとした信玄は次々と三河遠江にある徳川家康の徳川方の城を落とし三方ヶ原の戦いで家康を圧勝したかその後持病が悪化して甲斐へ戻ろうとしたが4月12日、信濃国・駒場にて膈の病でなくなった。
まぁこれには傷が原因で亡くなった説や暗殺説があるが病死説が有力なのだが。
そのあとの信玄が死んだ武田家は滅亡の道を転げ落ちることになる。
信玄の死から2年後、後を継いだ勝頼は織田信長・徳川家康の連合軍との長篠・設楽ヶ原の戦いで大敗し重臣をたくさん無くした。
次々と徳川と織田に城を取られ、信玄が死んでから僅か9年後に天目山で滅亡したのだ。
まあそれを止めるのが俺みたいだよね。史実じゃあ武田信玄の三男、武田三郎信之は僅か11歳で亡くなってしまったのでどうにかしなくてはいけない。
でも本当は生きていて下総国の武田氏に養子に入った説もあるからね…
後々、信長相手に戦わなくてはいけないのでその前に勢力を広げなければいけない。
それと越後の龍、上杉謙信と決着をつけないとな一回でそうしないと4回目の川中島で信繁叔父上と山本勘助が亡くなってしまう。
上杉謙信を敵にすると面倒なこと間違いなしだけど避けては通れない道だからな。
怖くて出来ないと言っている場合ではない。そんなことを言っていたら戦国時代なんて生き抜くことは出来ない。
それに北條氏と今川がいるのから油断は当然出来ない。出来れば北条氏の多摩川上流の森林資源とか今川氏の所にある鉱山の権利を早めに抑えておきたい。その為に俺の立場を利用して父上や家臣に相談して行動に移してもらわなくては…
とまぁ長い話しはこれぐらいにして母上、三条の方はすごくきれいだった。さすが貴族の娘です。いつかは俺もそういう貴族の娘を妻にしたいものです。
それと、母上ともう1人の女性が来たのだ。
会話を聞いてわかったことはその女性は俺の叔母上、禰々さんだった。可愛い顔をしていたが、元気がなさそうだ。ここは出来るかぎり元気にしなくては!
忠実では今から1カ月後ぐらいに亡くなってしまうから…
読んでいただきありがとうございます。
ブックマークや評価、ユーザー登録を頂けると大変励みになります。
また、誤字脱字に限らず感想を頂けると嬉しいです。
次回も、よろしくお願いします。