C‐0105 独り
優也は折れた左腕だけでなく全身から感じる痛みに泣きそうになりながら川から這い上がる。
幸い見える範囲に魔物がいなかったので、近くの木に寄りかかり〈アイテムボックス〉から上級ポーションを取り出す。
試験管そっくりのガラスの容器に白いゴムのようなもので蓋がしてある。右手だけで何とか蓋を開けて中身を飲む。
おいしくも甘くも苦くもまずくもなく味が無いわけでもない、とてつもなく微妙な味が口いっぱいに広がる。同時に体中の痛みが引いていく。
左腕は骨折したままだが、今魔物が来ても走って逃げられるくらいには回復した。逃げ切れるかは別として。
ポーションは効果の強さで四段階に分かれる。下級は切り傷や打撲、中級は骨に届くほどの怪我、上級は骨折や内蔵の損傷、最上級は複雑骨折や部位欠損を一週間から一月掛けて治す。下級ポーションだけは数分で効果が出る。
また、一段階下のポーションで治せる程度の怪我は即座に治せる。ただし、最上級ポーションでも死者蘇生だけはできない。
「あ~、どうすれば良いんだろ。盾は無いしポーションもあと…六本だったっけ?ステータスも低いしスキルも……。ほんと………どうすれば…………」
川のせせらぎと揺れる木々が奏でる自然の音楽にのんびり耳を傾け、時折吹くそよ風を頬に感じながら呟く。
川に流されたとき、〈アイテムボックス〉に入れられていなかった物。下級ポーションが四本、中級ポーションが二本、ステータスカード、盾、守の首飾り――二日に一度、中級までの魔法攻撃を防ぐ――が無くなっていた。
いま〈アイテムボックス〉に入っているのは、一週間分の食料と水、鍋、鉄製のナイフ二本、木の皿四枚、下級ポーション四本、中級ポーション二本、ゴブリンの魔石六つ、予備の剣二本、替えの服三着、高校の制服、生徒手帳。
殺される予定だったために、優也は強力な武器や防具を持っていない。スキル保有者が死ぬと〈アイテムボックス〉に入っている物は空間の狭間に消えるので便利な道具――結界や空間拡張のされたテント――も持たされていなかった。
電気もガスも家もGPSもコンビニも無く、しかも危険な魔物達がいつ襲ってくるかも分からない異世界の森で、サバイバル技術を身につけたわけでもないただの高校生が夜に周囲を警戒してもらえる仲間もいない状態で生き残れるかといえば、ほぼ無理だろう。
優也のステータスではゴブリンから逃げ切れるかも怪しい。おそらく、夜も神経を張り詰め続けて寝不足で動きが鈍ったところを背後から襲われて死ぬのがおちだと優也自身が理解していた。
そんなわけで、優也は半ば生きることをあきらめのんびりと自然を満喫?しているのである。
それでも、常に周囲を見回して警戒している様子からは死にたくないという相反する思いも見て取れる。
そんな中、右手側からゴブリンが二体やってきた。ゴブリンは木に隠れるようにやってきたうえ、優也はちょうど左を見ていたために見つけたときにはあと数レクの距離まで近づかれていた。
視界にゴブリンが移った瞬間、優也は前へと転がる。
そのままの勢いで二十レクほど走り、後ろを振り返る。そこには明確な殺意とともにこちらへ向けられる片手剣が見える。
その剣は騎士の持っていたものに似ていた。それを認識したとたん腰の剣を抜こうとしていた右手が石になったかのように止まり、襲われたときの記憶が蘇る。
左腕がまた激しい痛みを伝えてくるように感じ、今にも崩れ落ちそうなほど脚が震える。
(なんで僕だけぼくがなにをしたっていうのファンタジーなのに皆は勇者僕は邪魔者あいつらが召喚なんかしなければ家に帰りたい魔物怖いやだいやだ嫌だ嫌だ嫌嫌死にたくないしにたくないぼくはわるくないのにだれかたすけて)
それでもゴブリンは待ってくれない。すぐに駆けてきて切りつけようとする。右から更に二体やってきた。
(でも………………どうせ死ぬのが明日から今になるだけ。だったらせめて刺し違えよう)
そう思うと足の震えは止まり右手も動かせるようになった。もうどうでも良くなった優也は、左から迫る剣を自身の剣で受け止め一瞬止まったゴブリンを蹴りよろめいたところを心臓を突き刺して後ろにいたゴブリンに向けて倒す。
抜きざまに右からやってきたゴブリンの顔目掛けて突き、口に刺さったのでそのまま押し込む。
後ろにいたゴブリンが突きを放ってきたのでしゃがんで回避し〈アイテムボックス〉から予備の剣を取り出して顎の下から剣を突き上げる。<レベルが上昇しました>今までに二回聞いたことのある無機質な声がした。
ドサッという音がしたので振り返ると、自分の上にのっていた死体をどかして起き上がったゴブリンが、グギャギャギャ、という耳障りな声を発しながら向かって来る。
ナイフを二本出して適当に投げ、左腕をかざして顔を守ろうとして一瞬止まったところを左手で殴り、踏鞴を踏んで倒れたところを最後の剣を〈アイテムボックス〉から取り出して逆手に持ち胸に刺して剣に全体重を掛ける。
数分後、骨折していることも忘れて思いっきり殴った左腕からの痛みで我に返った優也は、刺し違えようと思っていたのに生きている、生きてしまっていることに気付く。
死の恐怖を味わいそれでも死ななかった。ゴブリンに勝ってしまった。生き残る可能性を見せられた。自分はまだ生きようとしていると自覚させられた。
優也はもはや、死んでもいいや、楽になろう、もうどうにでもなれ、と思えなくなった。
(僕は死ななかった。どうせすぐに死ぬはずなのに死なせてくれなかった。死の恐怖を見せつけてきやがった。もういい。だったら、全力で生きる、生き抜いてやる。生きるためなら何でも捨ててやる。魔物の肉を喰らい、泥水を啜ってでも生き延びる。誰がなんと言おうが、生きる邪魔をするなら―――たとえ国でも魔王でも神だろうが殺してやる!)
そう固く心に誓った優也は、どうやって生きるか考え始めた。
(夜はどうしよう。洞窟に住むか?いや、何かあったとき入り口を封鎖されたら逃げられないし、いつまでも森の中ですごすわけには行かない。
剣はゴブリンのやつを使えば良いとして、服はいつかぼろぼろになる。
食べ物が十分にあるかもわからないし、皿やナイフも限りがある。ナイフは剣を使えば良いかもしれないけど、ゴブリンの使っていた剣で切った料理………精神衛生上良くないな。かといってその辺で寝るとか魔物がいるこの世界なら自殺志願者のすることだな。
うーん、試しに今日の夜は木の上で過ごすか。水は二週間分はあるし空の皮袋に川の水を入れれば良い。
食料もどうすっかなー。一週間分あるからしばらくはいいとして、問題はその後なんだよな。変な果物食べて弱ったところを背中からグサリ、とかは嫌だけど、そうも言ってらんなくなるだろうし、ポーションがある今のうちにいくつか齧ってみるか。
あと塩なんだよなー。そう都合よく岩塩が見つかるわけないし。―――ま、あんま悩みすぎるのも良くないな。とりあえず周囲の様子を確認するか)
半径五百レクほどには特にこれといったものは無かった。正しくは、生存確率を上げるものが見つからなかった。
一目見てやばそうな魔物はいたが、二百レクほど離れたところからこっそりと覗いただけだ。
そのほかにはここが迷宮の中でないことが分かった。なぜなら異界迷宮で森のある階層は第十一層からで、今の優也ではどうやったって勝てない上そもそもゴブリンがいない。
あたりを探索するだけで日が暮れたので、〈アイテムボックス〉から白パン、よく分からない野菜、何かの干し肉を取り出して適当にはさんで食べる―――〈アイテムボックス〉の中は外の十分の一位の時間が流れていて、生のままだと腐る―――。その後は木に登って夜を過ごす。
比較的高い木の上にいれば魔物に襲われなかったので、次の日から優也は人の住んでいる場所を探して南のほうへ行くことにした。
実は木の上にいる優也を襲える魔物もいたが、幸いなことにそのどれもが高い知性を持っていて、わざわざ木に登ったり根元からへし折ったりしてまで殺しても得る物がまったく無いと無視していた。
魔物にもレベルが存在し、他の生物や魔物を殺すことによって成長する。
自分の縄張りに入られたりすぐ近くにいるならともかく、人の言葉をある程度理解できる魔物は滅多な事では腹の足しにもならない優也のような相手を襲わない。
ゴブリンもそのことは本能で理解しているのでそういった魔物は避けるように行動している。優也は知らなかったが。知らぬが仏というやつだろう。
そもそもそれだけの知能があるのはランクA以上の魔物なので、遭うこと自体がほとんど無いのだが。
==========================================
南に向かって進み始めてから二週間。魔物はすべて避け、弱そうな魔物のときは背後からの一刺しですべて倒した。
しょっぱい草も生えていたので、塩分の不足を心配せずにすんだのが良かった。
途中にりんごのような味の果物と桃のような果物も生っていたのを〈アイテムボックス〉に入れていたので、この日も白パンとその辺に生えている草と果物のサンドイッチを食べた――『魔物の肉を喰らい、泥水を啜ってでも生き延びる』と宣言したは良いものの、やっぱり美味しい物を食べたいので、白パンだけは出来るだけとっておいてある――優也は南へと向かう。
一時間ほど歩いていると、遠くに何かが小さな山のようになっていた。
ゆっくりと近づいてみるとそれは馬車だったものだ。四台の馬車がひしゃげて一箇所に纏まっていた。
あたりにはまだ新しい血がバケツを零したように撒かれていてたくさんの死体もあった。
すぐに魔物が寄ってくると思いその場を離れようとした優也は、一番原形をとどめている馬車(ただし他の三台に比べれば)の中に女の子?がいるのに気付いた。
その馬車は鉄格子が付けられていて、それのおかげで少しはひしゃげずにすんでいたのだろう。鉄格子の中に人?がいるということはおそらく奴隷なのだろう。
ただ、優也はそこにいるのを人と呼んで良いのか分からなかった。なにせ頭に動物の耳があり、後ろには尻尾がちらちら見えていたからだ。むこうも気付いて、優也をじっと見つめる。
(あれ、今、尻尾、動かなかったか?あの耳、頭についているのか?そんなまさか、ラノベやアニメじゃあるまいし・・・・あ、そうだ。ここ異世界だった。てことはあれが獣人か)
勝手に自己解決した優也は、回れ右して戻「………あ、ま、待って、おねがっゲホッ、ゴホ。たす、て。ちがう。わたし、わるく、ない。いや、しにたくない」・・・ろうとして、止めた。
後ろから聞こえてきたのが、二週間前の自分に似ていたからだ。
自分の命を大切にするならば、わざわざ檻と枷の鍵を探して助け出すのは危険でしかない。
どんな魔物が近づいてくるか分からないし、助けたところで食料の消費が早くなる。
優也は生きるためならば、奇襲に夜襲、卑怯に嘘はったり、何でもやるつもりだったし、街に付いたとして金が無いなら盗み、何かあったなら他人を壁にして自分だけ逃げ切れば良いとまで考えていた。
なのに優也は、女の子を見捨てる気にはなれなかった。無意識のうちに、道を踏み外すことへの躊躇いがそうさせたのか。
馬車のところへ戻ると近くに散乱している死体の服を漁ると、三人目の少々でっぷりとした男のポケットから鍵束を取り出して十本以上ある鍵を一つ一つ挿していった。
「……え?、助けてくれるの?」まさか本当に助けてくれると思ってなかったようで、驚きの声を上げる。
「静かに。魔物が気付くかもしれない」七本目で檻の鍵が開き、曲がった扉を無理やりこじ開けて手枷足枷も同じようにして開ける。
体を打ったようなので、中級ポーションを渡す。ポーションは打撲だけでなく鞭で受けたのだろうあざも治した。
「立てる?」
「うん・・・ありがと」
ほんの十文字にも満たない会話だが、二週間以上一人だった優也の、真っ暗な心の隅に小さな光が灯った。そんな気がした。
(助けた以上はきちんと面倒を見ないとな。余計なものはすべて切り捨てるつもりだったけど)「僕はたきも……ユーヤ・タキモト。これからよろしく。……ええと「猫人族のミーナ・ファティア。これからしばらく、よろしく」よろしく、ファティア」
街へ行くボッチのサバイバル生活に、猫耳の獣人が加わった。