C‐0104 異界迷宮
「あー暇だー眠いーあつ、くはないけどだるいー」
「まだ三十分経ってないだろ」
「そうなんだけどさ。すること無いって結構きついな」
「寝てりゃ良いだろが。んじゃ俺は寝るから静かにしてろよ」
「日口君はマイペースだなー」
「ほんと、羨ましい、よ」
「中川君、さっきから顔色悪いけど大丈夫?」
「優也、話しかけ、ないで、くれ」
「え、ど、どうしたの」
「う、もうだめ吐きそ」
「うわやめろ真人こっち向くんじゃねえ窓の外にやれ」
「ごめん明良我慢できねっう、うっぷ、おえぇぇぇぇぇぇ」
「ぎゃー!俺の服がー!」
「あ、ご、ごめんっぷ」
「やめろこっち来んな。つか何また吐こうとしてるんだよ!」
「お前らうっせーな。俺が寝られねーだろーが。って何があったんだよ!」
「ああ、真人が吐いた」
「は?」
「あいつ、乗り物酔いしやすいんだよ」
「あっそ、起きて損した」
「お前ほんとマイペースだな」
今僕たちは、王都の北へおよそ百二十トレク(百八キロ)のところにある迷宮都市グラドリアへ馬車で向かっている。
そこは、現在世界で四つその存在を確認されている異界迷宮のうちの一つを中心に発展した街だ。
この世界には迷宮と呼ばれるものが三種類ある。魔物が何らかの力を使って作ったと思われるもの、自然にある洞窟などに魔力が集まり核を作るもの、いつ誰が何のために作ったのか全くわからない異空間につながっているものの三種類だ。
一つ目と二つ目は部屋と通路だけからできているもので、特にこれといった特徴も無い。鉱脈につながっているのでなければ魔物のたまり場でしかない。一般に言われる迷宮は三つ目だ。
迷宮の中に平原、森、砂漠、海、山などがあり昼夜もあり、それぞれの層は転送魔法陣でつながっている。
何度か異界迷宮の広さを調べようとしたらしく、グラドリアにある迷宮〈ハルシャリード〉の広さは第二十四層まで分かっている。
今分かっているなかで一番広い第十五層は二千×二千トレク以上あるらしい。
過去にはそれだけ広いのなら中に街を作れないかと考えた国があったらしいが、作っている最中に魔物の群れに壊されたとか。
あの後も何度か中川君が吐きそうになった、というか吐いたがそれ以外に何事も無く迷宮都市グラドリアに着いた。もう夜の九時くらいだったし吐きはしなかったが僕も結構つらかったのでその日はすぐに寝た。
「これより迷宮へ向かう。第一層と第二層は石造りの通路と部屋だけだ。
分かれ道がたくさんあり、何度も階段を上り下りさせられ、トラップも現在地を分からなくさせるようなものばかりだ。
一応付き添いの騎士が地図を作るが、君たちも気を付けていてくれ。また、出てくる魔物は王都周辺のやつらより強い。たぶん大丈夫だろうが、曲がり角からの奇襲には十分気をつけてくれ」
王国軍の団長から迷宮での注意点とかを言われた後は、実際に迷宮に入る。
入り口は、よく分からない白色の建材が使われた三階建ての建物の一階の、直径八-三十二レク(約7.5メートル)の転移魔法陣が床に描かれた部屋にある。
迷宮のどこに出るかは完全にランダムで、周囲五十レク以内に人や魔物のいない小部屋。
帰ってくるときは、最初の小部屋か、五の倍数の層と次の層を繋ぐ転移魔法陣の奥にある帰還用魔法陣を使うと、迷宮の入り口がある部屋の隣の部屋に出るらしい。
どのパーティーも付き添いは迷宮に行ったことのある人がやるみたいで、僕たちには三十代くらいの背の高い茶髪の男と青髪青目の青年、ニレス・ワグナーさんとルイス・ハミルトンさんが付き添いをやる。
迷宮へはそれぞれのパーティーが五分ずつずらして入る。僕たちは最後だ。
王国軍の団長は召喚された日に後ろに控えていたムキムキの爺さん。
最初見たときは驚いた。なにせ老人が騎士十人と打ち合っていたのだから。
しかも老人は剣先を体に掠らせることもなく圧勝していて僕たちはしばらく開いた口がふさがらなかった。
それはさておき、僕たちが迷宮に入る時間になった。ワグナーさんが魔法陣の中央にある白銀の渦に触れるとその直後には迷宮の中にいた。
「皆様、準備はできましたでしょうか。……それでは行きましょう」
ハミルトンさんが先導して僕たちは迷宮の中を進む。迷宮の通路は人が六人並べるくらいの大きさで、壁や天井が照らしている。
通路を切るように壁や床に裂け目があり石橋が架かっていて、底を川が流れている場所を時々見かける。
二、三分ほど歩いていると、ぼろ布を身に付け粗末な鉄の剣を持った深緑の肌をしたまるでゴブリンのような何かが何体か遠くから近づいてきた。
「あれらはゴブリン。一般には醜悪な見た目と繁殖能力の高さで知られています。もっとも弱い魔物ですが、最も数の多い魔物の内の一つです。
倒す際に気を付けなければいけないことは……返り血を浴びないようにすることくらいでしょうか」
ハミルトンさんの言うようにゴブリン五体は中川君と山江君によって瞬殺された。その後も何度かゴブリンが来たが、僕は皆の右後ろに控えているだけだった。
そして二十五、六個目の分かれ道を曲がったとき、そいつは通路の向こうにいた。
ワイルドボア
僕は、誰かとパーティーを組んだときに必ず足手まといになると思ってせめて知識だけでも、と王城の書庫でさまざまな本を読んだが、読んだ本の中の一冊に図付きで解説されていた。
単体でランクB、集団になるとランクAとも言われる体長二メートルを超える黒い皮膚に赤い牙が特徴的な猪。
直線を駆ける速さは騎馬の倍以上であり、ワイルドボアの突進は地竜でもいないと止められないといわれている。
向こうも僕たちに気がついたようだ。充血した二つの瞳が純粋な殺気と共に向けられる。
心臓を鷲掴みにされたような感覚。僕たちはただ立ち竦むのみだった。
ワイルドボアの体から白い魔力が漏れ出す。身体強化魔法を使ったのだろう、足に魔力を集めているのが分かった。後ろ足を曲げ、突進す「横に飛べ!」
ハミルトンさんに言われて右に飛ぶ。すぐ横をワイルドボアが駆け、T字路の壁にぶつかった。
ワグナーさんと僕は同じ方向に避けたが、他の皆は反対側にいる。
ワイルドボアは壁に激突したのにもう起き上がろうとしている。
「今の私達ではワイルドボアに勝てません。最初の小部屋で合流しましょう」そういってハミルトンさんたちは通路の向こうへ行った。
「私たちも行きましょう。幸い走っている最中のワイルドボアは直進しかできませんから何度も曲がれば追いつかれることも無いでしょう」
ワグナーさんと僕は通路を右へ左へ何度も曲がっていった。最初のうちは追いつかれそうになったけどいつの間にかワイルドボアを撒いていた。
今歩いている石橋は三十レク以上もある長い橋だ。下をすごい勢いで川が流れている。
「もうワイルドボアはいないですね」
「ええ、私たちを見失ったはずです。大きく迂回すれば元の部屋に戻れるはずです」
「ワグナーさん、そろそろ昼食を……なっっっ!」
ワイルドボアから逃げ切れたのでそろそろ休憩をしようと思いワグナーさんのほうを振り返ったら、片手剣を高く振りかぶっていた。僕の首目掛けて。
咄嗟に前へ転がった。頭上を剣が通り過ぎていく。僕はすぐに起き上がると後ろを振り向いた。
数メートル先にいるワグナーさんは申し訳なさそうに、それでいて必ず殺すと僕に明確な殺意を向けている。
「なんで?どうして僕を殺そうとするんですか、ワグナーさん!」
「すまない、君が生きているといろいろと不都合があるんだ。せめて自分が殺される理由くらいは知りたいか。君はもう死ぬんだから教えてあげるよ。
君は召喚された人間の中でただ一人《勇者》の称号を持っていなかった。
君は勇者の称号を確認したことはあるか?まあ、無いだろう。そもそも君達に発行したステータスカードからは称号やスキルの詳細を確認する機能が省かれているからな。鑑定スキルを使われないよう意識誘導も掛けられていたけどね。
称号《勇者》は、全ステータスに三倍の補正が掛かり召喚者に対する軽度の隷属魔法、意識誘導魔法及び精神安定魔法が掛けられる。
今まで死と隣り合わせの生活を送っていたわけでもないのに初めて魔物を殺して平常心を保っていられる。
それはこの世界でもおかしいことだよ。しかもそれをおかしいと思わない。まあ君だけは不思議に思っていたようだけど。
君たちを召喚した日に説明したと思うけど二週間後にはローツェ教皇国の重鎮が来る。そのときに勇者の称号を持たない君は教皇国の支援を取り付けるときに邪魔でしかない。
そういうわけでフィリス王国の上層部は役立たずに隷属魔法をわざわざ掛けるよりも殺しておいたほうが良いという結論に至った。
あのワイルドボアは君と二人きりになるための口実を作るために連れて来た。ああ、もちろん勇者に怪我をさせないよう使役された魔物だけどね。
あと、魔物の大氾濫が起きるってのは半分嘘だ。確かに魔物の大氾濫は起きるけどそこまで規模の大きいものではない。
勇者が予言したのは今から百年以上も後の事。だから―――安心して死んでくれ」
一通り話すとワグナーさんは剣を構える。右足を踏み出す。剣を大きく振りかぶり僕の首へ―――咄嗟に左腕の盾を翳す。
直後とてつもない衝撃が伝わり、グキッという鳴っちゃいけない音が左腕からする。衝撃に流されるまま橋の端のほうへ吹き飛ばされる。
「へえ、今のに反応するんだ。僕としてはあまり苦痛を与えたくないんだけどな」困った風に言いながらも剣先は僕へ向けたまま。
盾は思いっきりひしゃげ、左腕の感覚が薄い。それでいてすごい痛い。骨折をしているかもしれない。たぶん次は無いだろう。
隠れられる場所の無い迷宮の通路では逃げてもすぐに追いつかれて背中を刺される。なら、後残っているのは―――下
「な、なにを……まさか!まて、報告書が――――――」
僕はそこまで高くない手すりを乗り越え飛び降りる。上から声が聞こえた気がしたが、濁流に呑まれてすべて聞き取れなかった。
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「ここは…どこ?何で僕はここにいるんだっけ?」川岸に倒れていた優也は濡れた体を起こした。そして、折れた左腕を見て、激痛と共に、この二週間ほどの記憶が流れ、そして理解する。
「ああ、そうだ。僕は襲われたんだ。」