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パンク・フィクション ―PUMP ZAPTION―  作者: 雑多
黒と虹と祭り彩る星々(おもちゃ)と ~The Parade of the Mad-Mud Dolls~
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一人が二人で二人が一人 ―Boy Meats Girl―

 第壱幕 第壱場『一人が二人で二人が一人 ―Boy Meats Girl―』


 時は灰泥界異が起こり始めるずっと前。場所は研究室染みた息詰まる部屋。役者は二つ、小道具は一つ。人間、ダレカ、ナニカ。誰も見ぬ舞台で会話する。

「『柔らかい石』、『始まり種』、『原初の暗闇』、『真理の扉』――これが石屑を黄金に変え、泥水を不老不死の葡萄酒に変える伝説の万能触媒、超高密エネルギー具現体。あらゆるヒュレー舞台エイドスが、あらゆる緞帳デュミナス世界観エネルゲイアが、あらゆる可能性が未分化の状態で内包された『愚者のホーエンハイム』、か」

 ――良ければ使いなよ。何、見返りは要らないから。

「Huh。キャベツ畑やコウノトリを信じる私にポルノを突き付けて置いて『良ければ』か。つくづく、マのつく薬だよ、お前の様な存在は。莫迦に付ける薬だな。涙が出るよ。喘ぎながら使わせてもらおう。だが冷静なうちに、一応訊いて置く。何が目的でこれを?」

 ――目的? 必要かい? 納得の為の理由が。まあ欲しいのならば、それもあげよう。そうだね……月並みな事を言えば、世界を面白く、かな?


 世界に負けた。だから魔法使いになる事にした。

 ……何でそんなことしちゃったかなー。

 路行く者達を尻目にして、三十路に王手をかけた人間の男は街に備え付けられたベンチに座っていた。眼に付く種族は様々だった。眼に付く三者の内二者は人外という割合で、人と獣が混ざっていたり、獣そのものが二足歩行したり、それは獣じゃなくて虫だったり魚だったり、腕脚が一杯あったり首から上が無かったり、全身金属だったり鉱石だったり、気体だったり液体だったり、噂の怪人だったり悪魔だったり、色々だった。

 彼等彼女等其れ等は何処に行くのだろうか。それは自分には解らない。解ることは、着いて行きたくても行けないという事だ。

 そんな彼の種族は無敵の人のその一つ、いわゆる「M―SHOCK」という奴だった。嗚呼、自分は今までに費やした時間に値する何かを成しえられたのだろうか? このまま生きて、何か出来るのだろうか? 幸福も、不幸も無く、ただ一切は過ぎて行く日々。何の役に立っているかも解らない、コンビニのレジ打ちを続けるような日々。救えない。

 お祭り騒ぎが起こって早二十年。現界に異界が乱入し、様々な怪物、妖怪、悪魔、精霊がこの世界に漂流した。ハレとケはクルクル回り、ハイ&ローなエブリデイ・ファンタジー。もはやミュージックやナラティブで夢を語るまでもなく、既にこの街は酔いどれ天使の夢の中。失われた十年を通り越し、今や狂騒の二十年を過ごす「ゴッサムシティ」だ。

 そんな煽りを特に喰らったのが経済迷走期と呼ばれるいわゆる「造られた10年」世代……バブルよろしくガンギマリのように金も土地も者も何もかもが回る世代である。伝統ある企業ほど蚊帳の外で、大きな企業ほど泡の如く弾けた。金を稼ごうとする奴ほど失敗した。正常性バイアス? コンコルド効果? いやそんなんじゃない。理由は単純。何故かって、ファンタジーに金の臭いは似合わないから。

 柔軟な企業ほど闇鍋に溶け込み、後先ない中小企業ほど莫迦をやった。花火の如く派手に爆発するものもあれば、その勢いで空まで飛んだものもあった。往々にして大気圏外まで飛んで行き、ついぞ母なる星に戻ってくることはなかったが。

 けれども「星に願いを」という奴で、他の企業もそれにあやかい上手くやる企業ほどネタに走り人外を雇い人外向けの商売をするようになった。そこにおいて基底知識は役に立たず、由緒ある常識は鼻で笑われるのが今の常識となっていた。異界による物資の流出は旧世代の技術や資源の価値を著しく減らし、ソレを扱う企業を路頭に迷わせる。新たな価値観は旧式の卒業証書や資格を鼻で笑い、大事にしてると懐古主義の一員にされる。少なくとも、今までほどには役に立たないのが実情だ。無論一枚岩というワケではなく、伝統を守ろうとする団体や事なかれ主義の政府派閥はいるものの、とても大きな流れには逆らえない様である。伝統を莫迦にするわけじゃない。ソレは当時の者達が造り出した汗と涙の結晶だ。ただ、この時代には不必要というだけだ。そして今もその時代は続いている。

「あークソ、思い通りにならねえもんだなあ……」

 背の低くなった葉をチビチビと吸いながらそう毒づく。その葉は何処ぞの吸い殻捨ててあった燃えかけの吸いかけ(シケモク)だ。新しいのを買う余裕などない。持たざる者には辛い時代になったものだ。そう男はベンチで一人嘆く。

 大体なんだ、あの格好は。黒エルフが警棒を携えて、オークがリクルートスーツを着てやがる。お前らが使うのは剣と魔法じゃないのかよ。しまいにゃ犬が紳士服を着て誘蛾にステッキ突いてやがる。ARMMOじゃないんだぞって。

 世界が先へ進めば進む程、立ち止まる者は置いて行かれる。スマートな携帯はとても便利であるものの、持ってない者にはアウエー感ハンパないのと同じように。そして自分は持っていない。あるのは型遅れの携帯だけだ。

 まるでヤクの乱交パーティーだ。もう普通のプレイじゃ満足できないというワケだ。莫迦になった者勝ちか。莫迦になる免罪符がここにある。それを堂々と掲げはしゃぐ莫迦どもが煩く煩わしく恨めしくも羨ましい。自分はそんな世界に入り込む勇気はない。いや、というよりついていけなかったというべきか。

 二カ月前のことを思い出す。いや、事の始まりはもっとは初め、莫迦騒ぎが起こった時点だろうか。祭りが起きた瞬間の事を記憶している者はいないとされる。それは汚いモノに蓋をするように、その時の衝撃が大きすぎたせいだと言われるが、そも知覚出来なかったからと言われている。敢えて曖昧かつ断片的な証言で表現すると、者によっては空間にヒビが入りそこから異界者が堕ちて来たとも、透明だった者が徐々に色を持ち実体化したとも、人の口から這い出てきたとも言われる……ともかく。そんな莫迦騒ぎが起こってからというものの、会社は常に騒めき立っていた。それほど大きくはないが硬派で安定した会社。そういう会社ほど出遅れた。簡単に言えば自分の脚でレースをしている中でいきなり戦闘機を渡された状態。意味が解らないかもしれないが状況はまさにそれだった。

 無論、ただの一般が戦闘機を操縦できるわけがない。しかし中には天才というものがいるもので、度し難い莫迦というものもいるもので。そして文字通り地道を走るのと、運よく戦闘機を操縦できるのとでは雲泥の差がありすぎた。

 だがそれでも良かった。それは博打に勝った正当な権利である。問題は、それを見て思ってしまった事である。

 ――もしかしたら自分も「そう」なのではないか……と。

 何という勘違い。駄呆ここに極まれり。自分にも力があると思ったか? それとも自分にしか出来ない事があると思ったか? 特別だと思ったか? 愚かな。誰もが所詮はネジの一本だ。違いがあるとすれば、それは大きいか小さいか。そこん所を知らない会社は賭けをした。理論も知識も根拠もない、「なんとなく(フィーリング)」という名の大博打を。博打は敗者を暗く照らす。だがやらなければ負ける事はありえない。そして逃げる事は負けではない。だというのに、あの社長さんは……。

「堅気な人ほど酔った時に何しでかすか解らん、か」

 莫迦事にもそれ相応の知識と知恵というものが必要なのだと、あの人は知らなかったのだ。ここまでくると噺は早い。会社は簡単に不渡りを起こし借金作って「BangBangBang」跳満、ピエロよろしく回った末に結局通さん。雀の涙(退職金)が出たのはいいが、次の巣(職場)は紹介してもらえなかった。結果、出来上がったのが一人のプーさん。路頭に迷うロンリーウルフだ。それでも他の同僚はどういうわけか上手くやりやがったと噂に聞く。だが自分には解らなかった。何をすればいいかなど。

 そこでふと眼に入ったのがアレである。一カ月で魔法使いになれるという予備校。いや、憐れみの眼で見られるのも無理はない。生暖かい眼で見られる方が傷つく。冷静になって見れば自分でもどうかしていたと思う。

 だが憧れだったのだ。子どもの頃の夢だったのだ。

 解るだろ? 魔法だぞ? それは今や現実で、物語の存在じゃないんだぞ? それに興奮しない奴なんて、不感症か気取り屋だ。それに今の自分は無敵の人。失うモノなど何もない。霊感商法とマジモンの霊能力者が混在する今の時代、博打とばかりに崖から勢いよくアイキャンフライだ。……いや白状しよう、ヤケクソだ。

 しかしまあ駄目だった。空を飛ぶどころか火の弾すら出なかった。明らかに詐欺ゴトだった。というか一カ月でなれたら苦労はしない。文字さえ何を書いてるかサッパリだった。一カ月で外国語をマスターできるなら今ごろ「ごちゃまぜの塔」が建っている。

 しかしそのシロサギはこういうのだ。「上手くいかなかった? ならもっと良い方法がありますよ」。そんな方法あるはずないのに。だが「次こそは」という狂った気合が感覚を麻痺させる。その結果がこの様だ。借金してまで買ったというのに、何の花も開かなかった。

(とある世界には「最終喜械エンドジョイ」なるものがあるらしいが……異界のモノが入れ混ぜるこの世界なら、それもどっかに流れ着いてるかも知れない)

 大丈夫だろうと思って座り込んでたら何時の間にかみんな先に行っちまった。そしていざ勢いよく崖から飛んでみたものの、今度は崖から落ちるどころか「クロックダイル」に追われてる。慌てて追いかけたが滑って転んですっぽんぽん。今や追われる身のこの体たらくでは家に帰るわけにもいかず。せめて自分に出来る事は、己にかかる火の粉が家まで降りかからないように、外でグダグダとフラつく事だ。いや、怒られるのが恐いからではない。怒られている内は華だ。もっと怖いのは……。

(「『これがどん底』などと言っていられる内はどん底ではない」というが、まさにそれだ。終わりたいと思っている間はまだ大丈夫。まだ理性が働いているから。怖いのは何もかも諦める事。そういうタイプは、何も残さず消えるから性質が悪い)

 蝋燭を消すようにふっと終わる。遺書を残す気力もない。そして此処は辺獄リンボ。蜘蛛の糸を垂らして期待させるようなそんな地獄。終わりたいという奴は、上手に生きたいのだ。安心が必要なのだ。走り切って疲れている者に声援を掛けたって、そんなものは死者にムチ打つのと同義です。何故なら本気で終わろうと思う人は、もう十分に頑張っていて、頑張るも何も、もうこれ以上何も出ない状態なのですから。なのに「頑張れ」だの「生きろ」だの娯楽商品なその他大勢向けの無責任な台詞で救われたというのなら、それはただの甘えだったという事だ。死の恐怖は死んだ者だけしか語ってはいけない。

 最近、「死にたい」で単語検索して見ると真っ先に「ライフライン」の電話番号がでかでかと出てきて無性に笑った。何故笑ったのかは自分でも解らない。ああこういう機関があるのだなと、他にもこういう奴がいるのだなと、そう思って笑ったのかもしれない。そしてSNSやお悩み相談ならまだしも、相手が何か返事をしてくれるわけもないのに無意識にこうやって単語を打ち込む事実を冷静に考えて、割と自分はギリギリなのではないかと思い薄ら寒くなった。疲れているのかもしれない。

(って死んでたまるかっつーの。それで死ぬのは、何か如何にも社会に疲れた、ありきたりな負け組じゃねーか。んなTVのニュース見てるババアに「最近物騒ねえ」なんて感想される要素の一つになってたまるか。手前に俺の何が解る)

 しかし実際どうか。道端でぼけっと立つだけの役に立ってるのかどうかも解らない警備員アルバイトのようなツマラン人生。莫迦にさえなれやしない。酒の場の笑い噺にもならないなら、さっさと終わった方が時間を無駄にしないだけ生産的だ。ならばさっさと終わらせてくれ。せめて痛みも哀しみもない終わり方が、ソイツにとっての救いだろう。だけど意外と何時の時代にも何処の場所にも、お人好しという者がいるもので。

(「アイツ」はどうなったんだろうか。いきなり助けに来られても、迷惑だっての)男はアイツの顔を思い出す。何かと世話を焼いて来る母親面したアイツを。小さい時はもっとオドオドして、可愛くくっ付いて来てくれたと言うのに。(ってイカンイカン、思考が良く出来た弟妹に対する出来の悪い兄のソレだ。いや、実際、出来は良くねえけどよ……)

 ルサンチマンの遠吠えだ。こんな状況に成っても、プライドだけは一人前だ。男は頭を振って、次いで「はあ……」男は上を煽いだ。溜息が空に吸い込まれる。

「こんなになっても空は蒼い」

 路を歩く者達は今や人外の方が多くなったが、空の蒼さと街の喧騒は変わらない。太陽の色は白く、雲の色もまた白い。客を引く誰かの声、騒めく意味のない雑音、緑色の植物、色の変わる信号。マフラーから出る煩い排気ガスや葉っぱから出る疲れたスモークが、街を薄く覆っている。

 けれどもちゃんと時代は動いていて、そして自分は置いて行かれた。自分は尽く失敗し、そして誰も助けてくれない。それが今の結果。勝者が居れば敗者がいる、それは今も昔も変わらない事である。もしかしたら、そう物事は変わってはいないのかもしれない。

「お前、こんな所に居たのか」

 そして、自分が辿る路もそう変わらない。


「ヒャッハー金だしな!」

 鳩尾に角男の蹴りがめり込んだ。男は喉にせり上がるものを何とか抑えた。

 人気のない小さく開けた路地の裏、日の光もほとんど当たらず、湿気たかび臭い匂いがする場所で、男は三人の男と蹴りボールをやっていた。道具が足りないのでジャンケンでボール役は男である。これは紛れもない善意であり任意である。

 三者の男は誰もが人ではなかった。トンガリ耳も機械身体も手がシザーな奴も三人ともかつてい言われた人とは何処か違いを持っていた。

「ハッハー! ランナウェイできると思ったがファックユー!」

「スイートスイート! 炭酸の抜けたバニラコークよりスイートだぜ!」

 機械がトンガリ耳にパスをした。ボールの身体が面白いように宙を浮く。ヤニの溶けたコーク色の体液が口から飛ぶ。地面の衝撃が内臓を圧迫する。

 彼等は借金取りだった。その借金とは、ボールの夢の代償だった。負け犬に残った残骸だった。太陽に近づこうと蝋の羽根で飛んだ、順当な結果だった。

(一体どうしてこうなった?)

 ボールは薄れゆく意識で考えた。いや、考える気力は既にない。その考えは記憶に残らず自分でも解らず、ただ流れるように脳裏を流れる。

 何処で何を間違えた? いや、そもそも自分は今まで何かを選択したことがあっただろうか? ない。全くない。流されていただけだ。その結果がこの様だ。だからこれは正当な結果。不運でも不幸でもない、当然の行きつく先。

 しかし大祭害メイルストロムの被害者は人だけではない。人に常識があったように、人外にも常識があった。人の常識が崩れたように、人外の常識も崩れたのだ。全く未知の世界に来た分だけ、その被害は大きいだろう。

 大祭害によって人間社会は大混乱に陥り、終末論を唱える新興宗教が雨後の筍の様にサンバしたが、混乱したのは人間側だけではなかった。気付いたら何時の間にか此処にいたという異界者が少なくなかった。来たくて来たワケではない者も多くいた。そもそも異形同士が異形だった。元から人間界を感覚しており来たかった者もいるが、その者さえ突然の旅立ちだった。むしろ人間がうウヨウヨいる中いきなり自分一人だけがアウェーな場所に出現させられるという事となり、精心的被害を喰らう方が多かったとされる。見た目が危険な者や意思疎通すら出来ない者は問答無用で捕らえられ食材や資源のない被祭地が潤った。中には親や家族からはぐれた子の怪物が大量に誕生し泣きわめく集団も発生した(無論、この同情をそそる噺が人間と怪物の緩衝に多分に役に立ったのは言うまでもない)。

 だがそんな混乱も時間経過で風化していき落ち着いて行き、今ではめっきりすっかり割かし両者は上手くやっている。そう、上手くやっているのだ。肌が白いか黒いかで戦争する愚かな猿も、こうまで何もかも壊れたのなら、そんな事は莫迦莫迦しいと流石に気付く。何せ彼奴等の価値観にしてみれば、芋虫の様に背骨を這わす骸骨が、貴族の格好をした豚が、ぷかぷかと浮かぶ風船が「人間」という事に成るのであり、俺達は「人間ではない」という事に成りえるのだから。「人間」などただの言葉に過ぎん。

 何、簡単な噺だ。一度雨に濡れたならば、もう雨に濡れる事を不快に思うことはない。最初こそは唾を吐いたが、今では酒を酌み交わす仲だ。むしろ歓喜してたね。「リアルゾンビに銃乱射できる」って。そして実際、湧いて出たゾンビや銃撃ってたし。グールとの区別もついてなかったし。『The Running Man』もかくやだったし。『Dawn of the Dead』よろしくショッピングモールに立て籠もって撃ってたし。流石銃社会、思考が違う。コレが豆腐メンタルな社会ならCOMICよろしく「人類VS人類の敵」なDEATH☆GAMEの始まりだろうが、どうやらこの街の奴等はもうちょっとタフらしい。まあ後に奴等ゾンビは基本的権利を訴えたので今ではマシンガントークでドンパチしてるが。

(いっその事何もかも壊ればよかったのだ。こんな世界になってもまだ経済があり学歴があり階級がある。金を稼がなきゃならんし、働かにゃならんし、人付き合いもある。面倒な。いっそ原始時代に戻れば良かったのだ。生きているだけで生きられるまで粉々に退化すれば良かったのだ。中途半端に混ぜやがって。ああ、せめて植物人間に変異すれば良かったなあ。そうすれば呆と突っ立てても光合成で過ごせただろうに。花になれば何もしなくとも綺麗だと言われただろうに。何もかも諦められるくらい終われれば……)

 今や異形の魔法や超能力とも呼べるものは機械技術に応用され、人間の哲学やアイデアというものは異形の存在でも注目されている。鶏頭三歩で忘れるというワケではないが、もはや普通に人間と異形が同じ道路を歩き、同じ言葉を交わすのは普通な事、非日常はとっくに日常となっている。ハーフエルフがどうとか、獣人がどうとか、ミュータントがどうとか、異形がどうとか、純潔がどうとか、コミックやノベルなどの物語はしばしばそのような文化の仲違いや差別を描くものだが、意外と人間も怪物も環境適応能力は高いのであり、異種交流能力も高いのであり、故に高度社会性生物足り得るのであり、むしろ憧れと羨望さえ抱くのだった。というかそもそもこんなWSOGMMカオスとした社会の中で、差別何てわざわざするのは時代遅れもいいとこである。

 ……まあ勿論、そう全部が全部上手くいくわけではないのだが。一重に「界異」と総称しても様々な世界があり、中には世界大戦中の異界が流れてきた時もある。

 そして怪物が人間に害を与える様に、人間もまた怪物に害を与える。人間よりもはるかに高い技術を持つ銀地族や美しい容姿を持つ白星族、他にも珍しい幻獣や人獣といった現実化した夢想ともいえる存在を、いや子どもの情景とも言える彼ら彼女らを、どうして放って置く事が出来ようか。人さらいならぬ異形さらいは、異界関連犯罪の中でもトップに挙がる。それをいちいち取り上げて異形のせいだという者は、「人間社会では事件が全く無かった」と豪語する無知な頭でっかちでなければならないだろう。だが、実際、異形の理由によるいざこざは後を絶たない。

 結果、生まれるのが弱者が更なる弱者を探す負の螺旋デフレスパイラル。その実態、働けば働くほど身体を壊し逆に出費が嵩んでいく貧民労働ワーキングプアの如し。無限の問いと無謀の解、無数の正義と芥の悪。

 ここが世界の溜まり場だ。流れに乗れず溜まり場に溜まってしまった渦巻だ。肥料に使うゴミ溜だ。そのゴミ溜を潤すように、ボールがまた一つ大きく吐いた。初めは汚いと思っていた汚物の海も、もはや自分自身が汚れてしまえばそう汚いとは思わなかった。「『最悪だ』などと言えるうちは、まだ最悪じゃない」という事だ。いっそ何もかも駄目になってしまえば、もう何も駄目なものはないのだった。

 身体の節々は疼くように痛く、眼は霧がかったように見ずらく、耳は水の中にいるように聞こえず、喉は焼けつくように熱く、鼻孔を通る匂いは甘酸っぱい。血の気が失せていく感覚は一種恍惚的でもありオーガニズムのソレに等しく、しかし吐き気は二日酔いと徹夜と車酔いをミックスしたソレの三倍だ。情けなくて涙が出る。何もかも有耶無耶に水に流されて、前の前がボヤけた状態でボールはぼんやり考えた。

 ダンさん来て、蹴飛ばされ、ボールはぼんやり考えた。逃げられないのは自分だが、ええと、これから、どうしよう。どうしよう。

(死のう)

 その瞬間、

 ――BOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOM!!!

 路地裏に爆発音が鳴り響いた。

 空から何かが落ちてきた。建物の屋根を引っ掛けて、砂煙を噴き上げて地面を砕いた。混凝土の破片を撒き散らせ、何処かの壁に盛大にぶち当たってやっと止まった。周囲が見えなくなるほどの埃が漂い、堕ちてきた何かは壁の影に隠れて見えない。

 トンガリ耳がその音に驚いて力んだ。同じく驚いた受け取り手の機械身体の脚は空を蹴った。ボールは止まることなく飛んで行き、情けなく転がった。それは図らずも爆発音の中心に向かって転がっていた。

 人外はその爆発に呆気にとられ、ボールもまた霞んだ意識で条件反射のようにそれを見ていた。あまりに大袈裟な爆発は瓦礫ごと他の音さえ吹き飛ばしたかのように思われた。先までの卑しい笑いと惨めな呻き声は消え、まるで嵐の前のように、はたまたホラー映画の不気味な静けさのように、辺りは静止画よろしく「SCENE」と鎮まった。

『ぐ、あ……』

 だがそんなものは知らないとでもいうように、くぐもった声が聞こえてきた。それは弱々しい声だった。幼い少女の声のようだった。相手がそう聴こえさせたのか、或いは己がそう聴きたかったのかは解らない。何故なら少女かどうかなど、彼等には解らない。

 実際の姿は、神秘のベールの様に、或いは謎の白い光線の様に砂煙が纏わりつき、壇上の者達には一切見えない。しかし、私達はその幕の裏側を見る事が出来る。

 端的に言えばソレはグロ肉。或いは先まで身体に纏わりついていたドロドロの脂肪が今まさに取れた様な、そんな感じ。形は人間のソレの様に見えるものの、その身は腐った様に崩れ、泥のように溶けており、タールの様に粘ついていた。B級映画のゾンビの様に。強酸でも掛けられた様に。しかしその崩れゆく肉は痙攣し、不定形の生物の様に脈打ち、溺れる様に泡立つ。ソレ等を隠す衣服はなく、醜い肢体が羞恥の元に晒される。これ以上は語彙力が足りない。何、それでは物語にならない? なら頑張って言語化してみよう。

 例えるならそれは無数の蚯蚓か芋虫か百足かが肉団子になって出来損ないの四足歩行になったもの。而して無限の書架から引き出す未知の本の様に葡萄酒によった屍骸は己さえ自分か何者か解らない。その味はレンガをのせてミンチとミルクをのせてファンタをかけてソースぶちまけて卵黄乗せて醤油をかけたプリンターから出たみそしるの味。既存の存在で例えるなら「スパゲッティ・モンスター」。或いは「Deep Dream」。或いは名状しがたいあざとい「白痴の魔王」にして「原初の混沌」にして「餓える虚空」。「テケリ・リ」とでも鳴きそうな粘液状生物で、その身体は「遊星からの物体X」、その色は「宇宙からの色」、世界を外側から見たらこんな感じかも知れない。その実、その身体には一つの世界が詰まっていた。既存・非既存の生物・非生物を強酸の闇鍋に放り込んで溶かし合わせた様に身体はドロヘドロと変異して吐瀉物キメラする。それはあまりに混沌としており、而して言葉で区別するには混然とし過ぎた。HINOTORIよろしく囚人たちが辺境の惑星でメタモルフォーゼしたような部分はまるで鳥の肝か肉を詰め込んだ風船の様で、ナイフで刺すと「ぶるるん」と震え、魚の腐ったような臭いのする緑の粘液が出るだろう。そしてそれを直視すれば1D3/1D20くらいで正気度を失い、世界を犯す恋の元に触手プレイをかました後、開花ENDを迎える。蛹を破り蝶は舞う。なお先から何処かで見たような名前が出ますが、この物語はおちゃらけですが、時におちゃらけが人を殺し生かす事はリアルですが、イジワルする実在の組織とは一切関係ありません。

 しかしそのいずれもミステイク。水を手の平で掬うように、言葉を語れば語るほど、それは本質から外れて行くようだった。むしろ米酒を飲んで「のまのまイェイ」と空耳する様に語る程それは姿を変えていった。言語化する事態が間違っていると、愚かな賢者は気付かない。奴は「赤い洗面器の男」であり、「世界一面白いジョーク」であり、「鮫島事件であり」、「牛の首」なのだ。テントが無い事を長ったらしい哲学に仕立て上げる者は、ホームズに「バ、バカ///(照」と叱られよう。頭では理性的になればなるほど夢から覚めて行くように。しかしてその夢は何処にもいかず、眼を瞑っているだけに過ぎない。

『IDNO<A-35b> Run; auto rexover progxxm……Faxl: error<lost dxta>. /texp rxstxrt, xpdaxe……crxatx cxde. OK. boot xp. Skip->minlife [EOW]』

 と、その時、少女が濁音ノイズ混じりで呟いた。というよりも身体を震わせた。するとソレは、見る見るうちに、まるで糸の繊維が交じり形となる様に、或いは植物のツタが絡み合う様に、その形を変えていく。

 崩れた肉は白磁のような白く滑らかな色艶と幼い子ども特有の柔らかな肉質へ。抜け落ちていた髪は痛みのない豊かな量へ。指は長くしなやかに伸び、脚はスラリとしかしふくよかに伸び、ボディラインは控えめなしかし先が期待できる体形へ。眉とまつげを綺麗に揃え、瞳は相手を惹きつけるように魅惑的に、しかし漂う雰囲気は湖畔の如く静穏に。身体から漂う香りは仄かに甘く、かぐものに高価な酒のような酔いを覚えさす。身体に纏う黒く装飾性のない無地のドレスは穢れのない無垢を表し、かつ秘密を覆い隠す事でよりその内の神秘性を高めている。その裏側に感じるは、かくもヴィーナスの様な無限の美。此処に、匠の技がちょっとした遊び心で思い出を残しつつ光って唸りますね。

 なんということでしょう、あっという間に吐き溜めの吐瀉物のようなゴミクズが愛しさと切なさと可愛らしさを兼ね備えた第二次性徴の少女に早変わり。まるで大地ガイアにもっと輝けと囁かれた結果、泥から造られた「全ての贈りパンドーラー」。やがて砂煙が晴れて男たちの眼に映った頃には、腐った虫食いだらけの醜い果実は、煌めく濃厚な蜜を滴らせる蜜芳醇で可憐な甘い果実となっていた。

「おー……おおお? 何が降って来たかと思えば泥沼に咲く一輪の花と来たもんだ」

「HYAHAHA! おいおい可愛いぜ、どっかいっちまう前に捕まえるか?」

「少しは不思議に思わんのか駄呆。だがしかし、まあ随分と弱っている様に見えるな」

 三者はそれぞれ違う言葉を発し、しかしどれもが同じ態度を取っていた。つまり、か弱き獲物を狙う強者。相手を蹂躙して当然だと初めから決めつける者。男は己の中にある欲望を隠すつもりは微塵もなく、先まで蹴っていたボールも忘れ、醜く顔を歪ませていた。

 しかし少女はそれに対し特に意に介することはなく、小さく首を傾けた。

「……どうして、そんなにも『そう』なの?」

 問いかける言葉には、何の感情も籠って無かった。機械的な原始反射であった。

 問う双眸は風のない海のような静けさで、しかし光の届かない路地の裏では、夜のナイトメアの様に底が見えてこない。そして悪夢ニンフは幼い肢体の無垢性と脆弱性を利用して、容易く相手の心に付け入る。騙す。油断させる。

「あ? 何がだ?」

 だから人外達はソレに全く気付かない。果実に歯を立てる者が、必ずしも喰らう側ではないという事に。むしろ生物学の世界においては、ただ喰われるだけの生物などそうそういないという事に。そして気付いた時には、もう遅い。

「どうして貴方達はそんなに強気でいられるの? 相手に×されるとは思わないの?」

「HAHAHA! 状況見て話せよジョーチャン。どう見たって俺達が強者だろ」

「どうしてそんなに都合よく思えるの? 相手が自分より強いって思わないの?」

「ああ? 何言ってんだコイツ? 意味ワカンネー」

「どうして解らないなら理解しようと努力しないの? 自分が全てだって思えるの?」

「……段々苛ついてきたな。お前こそ俺達を舐めてるだろ。もっと泣きわめけよ」

「どうして泣きわ」

「『どうしてどうして』うるせえな! ちったあ自分の頭を使えよッ! お前は今から俺達に好きなように遊ばれるんだよ! お前如きが俺達から逃げられると」

 訂正しよう。気付いた時にはもう遅い、は間違っていた。気付く暇などなかった。

 少女の影が男三者を呑んでいた。光よりも速く影が二次元立体の剣の様に伸びたかと思うと、キレイ・サッパリ・スッポリと、少女の影が、灰泥が、ゴミ袋の様に男三者を包んでいた。泥は圧縮機械の様に三者を噛み砕き、その返り血が少女の顔や服に飛び散り、奇術師マジシャンのマントの様に泥が開けた後には、もう彼らの姿は何処にもなかった。

「どうして相手に泣きわめく時間を与えな、きゃ、……いけないってんだあぁオイ?」

 静かな憂いを携えていた少女はその姿を変えていた。見た目の形は変わっていない。しかしその雰囲気は、水にインク垂らすように、ぐにゃり言葉の途中で変わっていた。今や女はくつくつと下卑た顔で笑っており、その笑い方は彼にそっくりだった。先まで男たちが見せていた笑い方に。

「あ。あーあーあー。全く、ヤレヤレだぜクソッタレー。これだから駄呆は嫌いだよ。自分が勝つと思ってやがる。都合の良いように進むと決めてやがる。少しは漫画を視なさいよ。調子に乗ってる奴は皆、正義の元にヤられるのさ」少女は右手で前髪をかき上げて、辟易するように反吐を吐いた。「薔薇の冠・歓喜の月木・第一玄義『この一連を献げて、聖母が御告げを受け給いたるを黙想し、その御取り次ぎによりて謙遜の徳を希わん』――大祭害ニッケルオデオンによる力を、誰から貰ったかも解らぬ力を、己が才能と驕り高ぶるな。況や他者には常に誠意と敬意と礼節を持て。敵と闘う時も、年下に物を教える時もだ。侮るからこういう事になる。己の程度を理解しろ。ま、悪魔たる蝋人形がこんな説教ロウ語っても、本末転倒という所だが」

「す、凄い……」

 その声に少女は億劫そうに振り向いた。そこにはボロ雑巾のように成り果てた男がいた。両手両膝を地面に突き、小さな少女を見上げるように見ていた。その顔は恍惚として、不意に現れた幸せに惜しげもなく笑顔を振りまいていた。 

「た、助けてくれてありがとう。君の名前は……あ、いや、その前に、俺の名」

 少女はボールの顔を蹴飛ばした。前振り無しの突然だった。少女は悠然と男に近づき、その華奢な脚を振り抜いていた。だが丸太でもぶん回したのかと思えるほどの威力であり、男はボールのように壁に飛び、鈍い音を立てて跳ねた。

 男は何が起こったのか解らなかった。蹴られるなどとは微塵も思っていなかった。しかし少女もまた蹴ろうなどとは思っていなかった。というよりもその行いはあまりに無造作で「蹴り」という体さえ成してなかった。少女は市役所の窓口まで歩くような何気ない足取りでボールの元まで歩いていき、無様に倒れ咳き込み呆気にとられるソレの髪をひっつかみ無理やり立たせて首を傾けた。

「なあお前……もしかしてこれから面白い事が始まると思ったか? この日この時この場所で突然ラブストーリーが始まると思ったか? BOY MEET GIRLよろしく空から落ちてきた女の子がヒロインになってくれると思ったか?『The Green Door』が二十もならない社会的弱者の少女に会わせてくれると思ったか? ヒロインを性的に所有しかつ異性から無条件の承認と必要を受けられると思ったか? そんな楽観的観測だけ詰め込んだ誰からも愛される物語の主人公になりたいのなら、薄暗い湿った部屋に一人引き籠ってエロゲに感動して涙しながらマスターベーションにでもふけってろ」

「な、何っ、何を……」

「いや解る。飛び散った血を舐めて、お前のことはもう理解しょうかした。他人の言葉ばかり詰まった頭でっかち。自分の商品価値も理解していない量産品。栄養もないし薄味だったよ」その瞳はあまりに自然。冷ややかでもない侮蔑でもない。ただあまりに見慣れたものを見る瞳。自動車が走る道端で死んでる犬猫を見る瞳。そこに感情など何処にもない。その犬猫がどう処理されようがどーでもいい。ましてや処理されなくともどーでもいい。「お前にとって私は特別かもしれないが、俺にとっちゃお前など十把一絡げ、その他大勢な端役の『通行人Aエキストラ』だ。文字通りの『何処にでもいる普通の何とか』だ。しかし、今は質より量だ、腹だけは脹らませてもらおうか」

 そう言って相手が近づいて来る。

 え? 終わり? 自分の人生これで終わり? こんな呆気ない終わりで? いやそんなはずがない。此処で何か大逆転があるはずだ。例えばそう、誰かが助けてくれるとか、それで何やかんやでその誰かと共闘するとか、更にどうこうしてその誰かと仲良くなるとか、そんでもってゆくゆくはアッチ方面もお世話して……。

(ありえねえよ、そんな事)

 暴走しそうな思考に釘を刺した。周りが熱くなればなるほどに、冷静になるのが彼だった。そんな経験、君にはないか? ないのなら、まあ、そのままでもいいと思うよ。知らずに生きて行く方がずっと楽だ。

「どうせ最後だ、訊いてやろう。何か言い残す心意気は?」

 相手がそんな事を訊いてきた。残す心意気だと? 自己主張激しい餓鬼じゃあるまいし、この枯れた大人に、何の言葉を望むんだよ。いざ遺書を書こうとして、何も思いつかなかった時の気分でも語ってやろうか?

「別に」

 しかしそんな気力はとうになかった。正直、面倒くさかった。だから彼はそう言った。子どもの頃に描いた夏休みの絵日記を思い出した。前頁、「特になし」。

「だからお前は駄目なんだ」何処までも億劫そうな声だった。言葉一つにとても労力と気力がいるとでもいうように、お前如きに会話するのは時間の無駄だと言うように。「しかし有り難く思うがいい。お前のような雑多ツマラン通行人にも、それなりの役を与えてやろう。というワケで……」

 そうして少女はクスリと笑った。それは邪気あどけない笑みだった。それでいて血を浴びたその顔は妖艶なのだから、吊り橋効果よろしく恐怖を興奮と間違えても仕方のない事だろう。それは歪んだ真珠バロックの笑みだった。幼くして性に悦ぶ娼女ニンフの様に、逆に大人のままになお夢を見る白稚モンローの様に蠱惑だった。

 その娘は可愛らしい笑顔で男を喰らう。

 その黒糖マスコヴァドの肢体は牛乳を甘美に際立たせ、その黒洞ブラックホールの様な歯のある膣は惹き寄せた蝶達を蜘蛛の如く喰らい散らす。いや、この少女は間違いなく女性である。ならば彼女の方こそ、蝶と言えよう。ならば彼女こそは狼のハードキャンディーを喰らう赤ずきん――歯のあるカオス・セオリとでもいえようか。

 死を予感した男の一物は倦怠した精心にかかわらず、不躾な程に熱り勃っていた。自意識などというものは、無意識の前には無力だった。男は魔女による「魔法のラブジュース」を食らった様に逃げられない。夢魔が男をその存在事喰らい上げる。その顔は徐々にこちらに近づき、そして耳と脳をぞわぞわさせる声で言った。

「いただきます」


「……四人ではこんなものかのう。回復には程遠いな。それに人外三人は硬くて筋張っててぱさぱさして不味いし、男は薄めすぎたレモネードのように気持ち悪いぜ。市販のレモネードの三倍希釈並に薄いわ。げー、ですね」

 そう言って、右手を軽く口に当てて、「cough」と小さく咳をした。その評論家じみた科白にさえ、何の悪意もこめられていなかった。単なる反応として言っていた。

 それは少年が言っていた。その路地裏には、一人の少年しか立っていなかった。

 と、そこでふと何かに気付いたように、少年は自分の右手を見た。次いで親指と中指の腹同士を合わせ、「SNAP」と中指を強く手の平に叩きつけるように弾いた。すると不思議なことに、人差し指に小さく「born」と火が揺らめいた。その火はマッチやライターによるものではない。火でもないかも知れない。それは100以上の複雑な化学反応を経て燃焼反応を起こす現象、つまり「可燃物が与えられる熱エネルギーによりその物質を構成する原子の運動が激しくなりその過程で電子レベルで分解しされた可燃物が酸素と結び付き酸化し酸化した可燃物を構成する電子が情報値エントロピーの高い励起状態となりこれが値の低い安定した状態に戻る際に放出される際に前後の値の差額分だけ光エネルギーとして変換・放出される現象」ではない。その様な一切の物理化学ではない。

 それは自然秩序セオリーの法から外れた「魔のアンチテーマ」。王道に牙立てる「邪道ジョーカー」。未分化のデュミナス開花エネルゲイアさせる「摩訶不思議アリストテレス」。世界を震わせ常識のゆらぎ(Fluctuation)を捉える「実証主義バズワード」。既存の平和な世界に牙を立て、眼と耳を塞ぎ口を噤んで朝日から逃れ、親しい誰かの優しさに背を向けて、今が幸せだと勘違いせず、美しい愛に唾を吐く、外法、違法、愚かな行動、皆が寝静まった真っ暗闇で崖っぷちに向かう全力疾走。

「成程、魔術師だったのですのね。元の人間は使えなかったようじゃが……身体に合わなかったか、自信が足なかったか。魔術とは自ら『陽のあたる居場所スポットライト』を外れる業……幸福で、平和な、素晴らしき社会を『NO!』と否定し、親の心配を、友の親切を、師の忠告を『ありがとう』と振り切って、世界を穿孔する業だす。自分勝手で、独り善がりで、利己的でない者には使えねえ。ましてや己に愛想を尽かした者にわ」

 少年はさらに「SNAP」と宙を横切るように弾指した。その軌跡に合わせて炎が走り、蛇のようにとぐろを巻く。蛇は少年の言うことに抵抗せず、少年の命に反乱せず、巧みに操られるままとなっていた。

 少年は魔の法など見たことない。ましてや知識としてさえ頭になかった。だがそれは飽くまでも「なかった」であり、今は確かに頭にあった。

「なかなか便利そうですわ」少年はひとしきりひとしきり遊んだあと、満足したように微笑を浮かべた。だがすぐさまそれは消えた。「けれどもこの薄味加減はたまらねえな。回復するどころか、余計に意識が薄れた気がする、す……? あれ、というよりも……」

 少年は何かに気付いた。物語の落丁のようなその姿に。少年は無表情のまま、ぼんやりとした声で呟いた。

「ええと、僕は、誰だっけ」だれだっけ。かれは ぼんやり かんがえた。たっているのは ぼくなのだが ええと ぼくは だれだっけ だれだっけ。わたしがそなたで、そなたがわたし。そもわたしとは、なんじゃいな。ややこしや、ややこしや。ややこしや、ややこしや。その頭には、己の事は何も無かった。「ダめだ 何も 解ラナい…… い苦ら 食べテも 身足サれ名い…… 他べレバ タべて 逝くホドに…… かつテノ 奮い 絵ノうエニ…… アたらシイ 餌を 核ヨウ煮…… 元ノ 素ガタ我 き得てイク…… マるで にツきの ぺ遺児が…… 矢ブれて 閉マッた みた胃ニ…… なら モっと 食ベな蹴れバ…… 亡くした 文 たべナく――」

 《FREEZE!》と、そこにその少年を痺れる声が貫いた。《動くな! 全員ゆっくり手を上げてコチラを向け! ……いや、もう、全員ではないようだが》

 電波越しのくぐもった様な高い音。重苦しい機械音。それは街のスペシャル・ポリス。暴力に対する暴力装置。混沌世界で生み出された人間力のその一つ、異界省警備局特級特殊作戦機動隊であった。彼らは路地裏で何やら界異の様な事が起こっているという通報を聴き、此処に来たのだった。

 と言っても、彼らは特殊部隊……ただの界異なら警察の舞台だ。それでも彼らが来たのはワケが在った。それはその界異の内容が、今、彼らが追っている界異と似ていたからだ。まるで灰泥の様な界異に――特機隊はすぐさま古典音楽のような規則正しさを持って路地裏の入り口を取り囲み、容赦なく銃口を少年に向けた。

 一方、少年その姿を見た瞬間、素早く脳裏に走るモノを感じ取った。しかしソレは不確かで、ノイズのように欠損し、ついぞ何かの意味を成すことはなかった。

 だがこの場で一番妖しいのは誰かという事くらいは見当が付いた。

「た、助けてください! へ、変な怪物が、か、彼らっ、彼らを……!」なので少年は先までの無機質な態度を一変させ、か弱い小鳥を演じ始めた。眼には涙、声には色を、特機隊に走ろうとして転んでも魅せた。それでも振り絞る様に科白を言った。「お願い、助け」

 《ふざけるな》だがしかし、特機隊の一人がその科白を一蹴した。押し殺した声だったが、強い殺気が漏れていた。《多くの界異を見てきたんだ。お前が見た目通りの子猫プッシーじゃない事は予感できる。そして俺達はその『もしかして』だけで十分に引金を引く》

 そして実際そうである。その意志は鋼の如く重く硬いが、その意志が引く引金は羽根のようにとても軽い。クチバシは油断なく少年の身体に向けられて、何時でも柔らかな四肢を抉り取れる体勢だ。堅牢に満ちたその骨は、見た目通りの攻性なのだ。

 それを見た少年は憑き物が落ちたように眼が座った。どっかりとステージの真ん中で、「あーそうっスか」とふてぶてしく両手を上げた。その惜しげもない変わり様は不気味であった。「こうまでも物事とは簡単に変わり得るモノなのか」と、そのあまりの不確定な儚さが、自分に置き換えると恐ろしくてたまらなかった。

「それで?」少年は小悪魔の様に笑って魅せた。「可愛い少年にその銃を突っ込むと?」

 《撃て(FIRE)――ッ!》

 無数の弾丸が叩き込まれた。まるでスコールのようだった。銃火と激音が落雷のように耳をつんざき、弾が豪雨のように大気を穿った。その小さな塊にどれほどの敵意と暴力を詰め込んだらそうなるのか、銃口から吐き出された弾丸は音をすっかり置き去りにして、喰らうように貫くように、少年を蹂躙する牙をむいた。

 弾丸は削岩機のように少年の身体を引き裂いた。赤い絵の具が子どもの落描きのように飛沫を散らし、ハウリングがパンク・ロックのように鳴り響く。銃火が暗い路地裏を照らししかし硝煙がその景色を覆い隠すように立ち込める。竜巻のように周囲の壁を巻き込みながら飛ぶ弾丸は華奢の少年の身体を容易に貫いて、背後の壁さえも粉々に撃ち砕いた。

 《銃撃、止め!》

 特機隊の念線に声が走った。その合図と共に、特機隊の銃撃が止む。ただでさえ薄暗く視界の悪い路地裏は、今や硝煙と砂煙でさらに見えなくなっていた。だが、これ程の銃撃である。結果は火を見るよりも明らかだ。相手が普通の者ならばこれで戦闘は終了しよう。やがて視界が晴れた時、結果は自ずとそこに在る。

 ……まあ、映画や舞台でスれた観客なら知っての通り、

「あ。あーあーあー」

 このような展開においてやられる役者など、そうはいないのだが。

「何だ、もう挿れたのかい? 小さすぎて気付かなかったわ」

 少年は嘲るようにせせら笑った。滴り落ちる液体が静まった路地裏に反響し、飛び散った物体が壁にぶち殺した蠅のように沁み付いていた。

 その身体は一言で言うなら縫い目の荒々しい服。ただしその生地は皮膚である。少年の身体はミキサーに手を突っ込んだようにささくれ立ち、中身の綿が零れ落ち、腕がチーズのように糸を引いて垂れ下がり、水分が無くなってボソボソになったハンバーグのような体だった。

「銃弾ってコミックやアニメでは何か弱々しいっていうか頼りないよのう。それより殴る方が強いっていう(笑)」

 しかしなんと、その傷跡はみるみるうちに塞がっていった。太い糸のようなものが傷口から幾つも生え、繊維のようにその穴を塞いでいく。身体のパーツを繋げていき、着ていた服まで構成し、すぐにその見た目はすっかり元通りになっていた。

「というわけで、僕はやるならこれくらいがいいと思うのですぜ」そう言って、少年は右手を特機隊へ差し出した。そして中指と親指を擦り合わせ、「『たゆたえど沈まず(Fluctuat nec mergitur) 火よ(Feu)――』」弾いた瞬間、「『暴れろ(arcenciel)』」

 音と熱が弾け飛んだ。SNAP、と花咲くように開いた爆炎は狭い路地裏からロケットのように噴き上がり、路地裏入口にたむろしていた特機隊を吹き飛ばす。

 特機隊はその恐ろしい威力にどよめいた。が、すぐに立ち直る。これくらいの危険など日常茶飯事の部類である。彼等にとって曲芸師よろしく死線を綱渡りする事は三度の飯より慣れた光景だ。ましてやこの混沌世界で魔法など普遍的ではないものの、そう珍しいものではない。特機隊はすぐさま陣形を建て直し、油断なくさらに相手の力量を認識し、自分の力の矛先を向けた。

 が、その矛はすぐさま震えた。

「泥り」とした闇が少年の影から立ち上がる。闇は蜜のような糸を引く。糸が千切れた蜜は玉となって宙に浮かぶ。浮かんだ玉はやがて影に落ち、「泥ん」とした飛沫を上げる。二次元存在は三次元立体へと姿を変え、粘度を持って宙に舞う。

 アレはもはや「力」という段階ステージとは違っていた。格上というワケではない。そんなレベルではない。少年漫画にありがちな、「強い奴に会えてワクワクする」といった範疇を超えている。「もしかしたら」とか「ああしてれば」とか、そんな一瞬の後悔すら湧かせない程に、「どうあがいても絶望」という事実を叩き付けられる。

 アレは「ナニカ」。覗き返す深深淵ミラー。星を吸い込む黒洞々(ヘイドン)。花咲き笑う不安のオディロン。無貌にて這い寄る混沌ケイオス。生物が暗闇に恐怖する時、それは暗闇に潜む何かに恐怖するのではない。「何かいるかもしれない」という「不可解」に恐怖するのだ。いや違う。是は「恐怖」ではない。是は、「不安」だ。不安だった。その心を何に例えよう。夜、一人道を歩いていると、見知らぬ子どもに出会った所を想像しよう。音は無く、光は無く、ソレはその場にあまりに似つかわしい。異質なのだ、とどのつまり、感じるのは本能的な「違和感」だ。なまじ見知った人の姿をしているだけ恐ろしい。「中に誰もいませんよ」と「ハハッ」と瞳孔の開いた能面で笑いかけて来る夢の国の鼠くらい恐ろしい。アレは笑った顔を真似しているだけだ。アレは人の皮を被った化物だ。中に怪物がいるという事を振り払おうとする程にそれは現実味を増していく。「変身カフカ」するナニカの様に喜劇的に姿を変えていく。

 それは若者が将来に感じる漠然とした不安の様な、そんな具現化した「敵」だった。しかし同時にそれは決して曖昧なものではなく、今、此処に、眼の前に、己に、確固として、誤魔化せない、不可避の存在を持って立ちはだかっているのであった。

 まるで神話の「見るなのタブー」。工場の公害廃棄物よりも濁った瞳は見つめ返す程に深淵さを増していくようで、ともすればその瞳に鏡のように映し出される自分こそが次の瞬間、何か禍々しい怪物になるかもしれないという奇妙に切迫した不安があった。

 それは根源的な敵だった。「未知」という「不明」という、「解らない」という敵だった。その闇は全てのモノを分け隔てなく、分別なく呑み喰らう。不安が物理的な距離を跳び越えて、光よりも速く心を襲う。空気一つ動かない静かな通りで、神秘と憂鬱が滲み込む。そこに情けもなければ敬意もない。目的もなければ意志もない。

 敵意さえ、ない。

 アレにとって「喰らう」とは、日常行動の一つなのだ。息をするのと同じなのだ。自然なのだ。当然なのだ。故に否定する余地すらない。話し合う機会は与えられない。「理不尽」といえば理不尽だろう。だが猫が蟷螂を弄ぶのに道理も何もないであろう。

「今がまさにその時であると、何かが心に告げていた」。今こそ身体と魂は一致して、ソレを倒さねばならなかった。だが「いわゆる果実・・の命運はあまりにはかなく 微かななき声を途切れ途切れに漏らすばかりだった」。具現し歩いてきた「何時か来るその時」と闘わねばならぬと心は嘆き、嘆きに身体は震え動いた。誰もが次に身に降りかかるであろう死を予感せずにはいられなかった。而してその瞬間は不意に交通事故で死ぬほど呆気なく、お膳立てされたハイライトなど当然なく、死に様に何も魅せつけられないと心は奇妙な確信を感じていた。こんなにも簡単に死ぬのかと涙が出た。そんな子どもの玩具の羽虫のように殺されるのは嫌だった。テニスラケットで蜻蛉を無造作に叩いた己の少年時代を思い出した。ラケットに肉塊がこびりついた。

 《う、撃てええええええええッ!》

 それでも抵抗せんとしたのは気高さと訓練から来る賜物、流石と褒めて良いシーンだ。「撃ちてし止まむ」と絶対的な絶望にも立ち向かっていけるのは、良くも悪くも己の程度を理解せず、必死の結果を信じ込まない「愚者ファース」の特権と言るだろう。目の前が断崖絶壁であろうとも、思い切って飛び込めば、未知なる可能性が掴めるかもしれない。

 無論、大抵の行き着く先は明白だが。

「お祈りの時間です」無垢たる子どもは敵意の雨に身を裂かれつつ、「SNAP」と指を弾き優しく微笑む。「土は土に、灰は灰に、闇より出づる魂はネアンの闇に還るがいい」

 少年は文字通りの顔に張り付いた薄ら笑いでそう言った。ごっこ遊びをする子どもの様うに自分でも意味の解らぬ言葉を羅列した。泥々とした灰泥が、少年の周りに海の様に広がっていく。その海からは悪魔の様に、黒い触手が伸びてくる。

 もはや彼等は理解した。「ああ、コレは勝てない」と。RPGの魔王にLv.1で立ち向かっても運があれば何とかなろう。ありえない事ではない。だがこれは現実で、気合とか奇跡とか補正とか、そんなものが介入する事は一切ない。

 だが撃つことを止めなかった。目の前の現実を否定するためにただ撃った。銃は麻薬に似ていた。撃っていないと呑まれるのだ。銃火が体温とでもいうように、銃音が心音とでもいうように、止まれば死ぬとでもいうように、狂ったように銃を撃つ。

「『天にましまし我等が父よ、願わくは皆を崇めたまえ。父の慈しみと御恵によりて、我等の糧を祝したまえ。我が汝を愛するように、今日も汝も我を愛したまえ。我と力と栄えとは、限りなく汝のものなればなり。In Nomine Patris, et Filii, et Spiritus Sancti.』」

 しかしその不安は止まらない。それはどうしようもなくどうしようもない。空に満ちる夜のように、一歩、一歩と近づいて来る。良手があるとすれば背を向けて逃げる事であろうが、その背を向ける事さえ不安であり、故に出来る事は銃撃だった。そしてそんなことをしても意味はなかった。

 その不安は笑っていた。不敵に、静かに、ニヤリと口を歪ませて、銃弾などものともせず、子どもがおもちゃで遊ぶように、何事も楽しむような感じで、無邪気とも言える笑みで、天の使いのように微笑んでいた。その微笑みが言っていた。

 ――所詮お前等はこんなものだ、と。

「『AMEN』」

 闇に包まれた。


「失敗したか」

「……ッス」

「やれやれじゃな」

「スミマセン」

「謝る事は無い。幾ら謝っても許さんから。ましてやその謝罪は相手への申し訳なさではなく、己への罰の恐怖から来る謝罪だ。そして謝っても現状は何も回復しない。必要なのは謝罪ではなく理解と反省、そして結果だ」

「ぅ……悪い」

「……くすっ、冗談だ。そうしょげることはない」

 そう言いながら目の前の女性は麗しく、そして優しく微笑んだ。そんな彼女の周りには不思議な事に、泡の様に、星の様に、幻燈のやまなしの様に、名前ばかりが膨らんだシャボン玉の様に、幾つもの水の塊がぷかぷかと、かぷかぷと宙に浮いていた。その大きさは様々で、絶えずその形と色を変えていた。そして産まれては消えていた。

 水の塊は実にゆらゆらと浮いているので、見ているだけでアクアリウムの様に心が安らぎ、ともすれば夢の中の様に、母の子守唄の様に、「眠りそうだ」と感じさせず、「抵抗しよう」という意志さえ伴わせず、自然に、何時の間にか、眠ってしまいそうだった。

(相変わらず、海の様な女性だった。それも夜明け色の瑠璃色ディープ・ブルー。眠たげなラヴ。その白星族のような美しい見た目は、とても人間族とは思えない。ゆったりと波打つ豊かな長髪と、母性的な身体の線と、粛然とした気品を持ち、しかし穏やかな優しさを感じる女性。それでいてそう老いてもいないのに何処か威厳を感じさせ、また大きな力を持っているであろうのに、まるでそうと感じさせない、海の様に、空の様に。同じ場所に居るだけで何だか落ち着いて来る。その口から出る瑞々しい言葉は、まるで夜に浮かぶ月の雫……どれほどの賛辞を述べてもまだ足りない。かくも両腕を失った「貝殻の女神ヴィーナス」が、見られる者の姿ではなく見る者の思想により無限の美を持つ様に。

 ――そしてどの賛辞も真に迫らない。いやむしろ語れば語るほど、その真から遠ざかるように思われた。所詮、言葉は抽象の手法……大海を得るに、手の平ですくうが如し。言葉は何かを語るにはあまりに不完全過ぎる)

 と、ジョンは述懐する。しかしこれはジョンの感想ではない。他観的で、客観的な感想だ。他者の継ぎ接ぎの感想に過ぎない。ジョンは滅多に己の感想文を造らない。

 今、ジョンはとある建物の中に居た。華やかな都会も少し離れれば、すぐに静かとなり田舎となる、それは街の片隅にある教会だった。少しだけ高く丘になった場所に立てられていた。陽光の布団と小鳥の子守唄の中、時折吹く風に揺られながら眠るのが似合う……そんな牧歌的な雰囲気であった。因みに、教会と言っても何の神様を信仰しているのかをケイは知らない。確か、来る者の信じる神様を賛美するという、何とも邪教めいた節操ない教理だった気もする。尤も、教会に言わせてみれば「ダレカが信じるナニカを信じている」だけなのだろうが。……おっと、話が逸れた。閑話休題。兎も角――

 その教会は〈海のマリステラ〉と呼ばれる建物だった。小さくもなく大きくもない。窓の外からは子どもの声が幽かに聞こえ、近くには果樹園や野菜畑と、小さな川と水車が見える。裏手には気になる程ではないが大木があり、さらに向こうのより高い丘には風車が見える。賑やかだが静かな、海の波や風の音のような、そんな場所だ。

 して、そんな場所の一室で、机の向こう、悠然と腰を据える彼女は何者か。麗しき令嬢、彼の者の名は……

「あまりからかわないでくれ、メリュー」

 ジョンは首元に右手を回しながらぼやいた。その右手には白銀の腕輪が在った。

 この建物の主だろうか、ケイは彼女を「メリュー」と呼んだ。ジョンはそんな彼女に会うために此処にいた。というのも先の大灰獣灰泥界異の件に関しても、ジョンが自主的に行ったというよりも、彼女の個人的な頼みなのだった。彼女と彼には何か私的な縁があるのだろうか? 然れども是は別の物語で候。

「すまん。私もくだんの噺は聞いておる。姫君の剣が来たならば、それはもう災害にあったと諦めるのが早い。ケイも知っているだろう?」

 姫君の剣。その名を聴いてジョン、改めケイは先の戦闘を反芻しながら、その剣について考えていた。……曰く、全く持ってツマラン奴。

 アレは演出というものを知らん。者が物語に感動するのはどういう点か。敵が倒される事か? 世界が救われる事か? 謎が明かされ、恋が実り、誰もが幸せになる事か? いや違う。演出だよ。過程だよ。どれだけ努力したかであり、どれだけ苦労したかであり、どれだけそれでも立ち上がったかだ。そこに魅力というものが生まれる。その点、アレは何でもやる。アレの前には、如何な奇天烈で荒唐無稽な神話も形無しだ。あまりに容易に呆気なく、敵をブッ飛ばして、王をブッ飛ばして、悪魔をブッ飛ばして、ついでに神様までブッ飛ばす「莫迦げた喜劇ミステリア・ブッフ」だ。命令とあらば囚われた娘のために泣く泣く事件の片棒を担ぐ父親を悩むことなく叩き斬り、エロゲ―よろしく未知の不治の病を一瞬で治し、千年の謎もたちまち解いて、どんな死亡フラグも別れフラグも無造に圧し折る。「もう全部あいつ一人でいいんじゃないかな」っていうレベル。ルールのないゲームよろしく、「何でもあり」というのは存外ツマランものだ。チート・プレイが面白いのは最初だけ。達成感がなければ、EDを見ようとも思わない。

「その情報は少し偏りすぎじゃろ」ケイの顔を見て、弁護するように言った。「達人ヴィルトゥオーソにして名人マエストロ。大抵は民衆も戦士も、彼と彼女に憧れているよ。街のヒーローよろしくな。黄金狂世界でさえ少なくない。演目の様式美というものだ。オチだけで成り立つ物語は二流だとまでは言わないが、彼の圧倒的な演武、演技は見ていて心地良い。いわゆる『王道』に似ているな」

「奴にはその道さえ不要なんだよ。アレにかかればどんな神話も伝説もたった一行、『彼が上手くやりました。めでたしめでたし』で御仕舞さ」

「しかし『簡単すぎてツマラナイ』と観客たる主は言うが、登場人物からしてみれば誰もがハッピーエンドになりたいものじゃろう? それとも主はエンターテインメントのためにご都合な悲劇を求めるか? 自分がヒーローになるために憐れなヒロインを欲するか? 白馬の英雄となるために無条件の承認と必要を与えてくれる囚われの姫を望むか?」

「そりゃあ、それは……」ケイは痛い所を突かれたように顔をしかめた。しかしすぐ、頭を振って「Huh」と笑う。「ま、資本主義ですしね。そういうのも必要でしょうぜ。悲劇の舞台と不幸な役者、そしてそれを楽しむ観客! 物語の完成形とは少数のサディストと多数のマゾヒストによって構成されるのだ。そしてそれを革命する時に絶頂カタルシスが生まれる、RPGのラスボスを倒す様にね。無論、現実は『ラスト』ボスなど死ぬ時までありえないし、ハッピーエンドの条件はハッピーな時に死ぬ事だが……ま、兎角、世の中には敵と報酬が必要なのだ。然らば、そういう『Poupée de cire, poupée de son』が必要とあらば用意するのが今時でしょう。鼠にかかればネバーランドだって何度も行ける。夢から醒められたら困りますからね。エンターテインメントは面白ければいい。羊は思考停止している方が都合が良い。ソレで喜んでいるのだから問題も無い。そうともさ。頭でっかちの啓蒙思想な哲学者など、問題提起して悩ますばかりで、一つの解答も用意してくれやしないじゃないか。フロイトよろしく『赤い靴』は売春婦の噺だとか『マッチ売り』は街売りのキャバ嬢の噺だとか子ども向けの童話まで何でもかんでもプロパガンダと結びつけるくらいなら、道化て楽しんでいる方がマシだよ。まあそりゃ、往々にしてそーゆー寓話は子供向けの皮を被ってるんだがな。おやつにはターキッシュ・デライト、『魔法のドラッグ』でも食って寝ろ。『Lucy In the Sky With Diamonds~ Ah~ Ah~♪』」

「ふっ、主はそう言うか。まあ、それでいいなら、それでいい。兎角、まあ、あの人は今は全盛期の力はないと聞く。砕け散った姫君の力を回収する為に『匹敵』の呪いがかけられているらしい。といっても、そもあの人の力は姫君のものだが。それにあの人はBLADE……あの人が強いのではない、強いとすればソレを奮わせるものの強さ。鏡の様に、湖上の月の様に……。物語をどう導くかはその持ち手次第だ」

「姫君の騎士様、か」

「憧れる?」

「No way.」穏やかに微笑を湛えるメリューに向かって、ケイは肩をすくめた。「しかしあのレベルでも氷山の一角でしかないかも知れんのだよな。やれやれ、莫迦莫迦しくなるぜ」

「主だって氷山の一部だろうに」

「カキ氷の方がまだ頭が痛い」

 そう言いながら右手を上げて肩をすくめ、自嘲気味に軽く笑った。

「だがお主だってそんな力があれば嬉しいだろう? まして誰かに必要とされればな」

「ケッ。俺は俺の為にヤってんだ。観客の為に踊ってるワケじゃねーんだよ」

「だが、需要と供給というものがある。得たいものには、それなりの仕事が必要だ。『仕事だけの人生』はツマランが、最後の時には『仕事した』と思いたいだろう? 結局、お主の望む所は、そういうことなのだから」

 その科白にケイは押し黙った。図星というワケではない。例え図星であったとしても、頑として認めないだろう。ケイが応えた返事は、何処ぞのライ麦畑の住人よろしく、「Boyチェッ!」とやっただけだった。

「もういいだろ、戯言だ」先までの空気を吹き飛ばすように、ケイはため息をついて言った。「問題は、次にどうするか、だ」

「ふむ、そうじゃな」メリューもそれ以上間延びさせることもなく、その言葉に応じた。耳に髪をかけ、少しだけ思案する。「まずは確認しよう。此度の広域重要指定界異『小人・C317号』に続く発端を」そう言ってメリューは「tap」と長い指で机を小突き、語り始めた。「事の起こりは灰泥の出現。ある時突然、泥のような怪物が出現した。それは赤子の大きさにも満たず、手の平にも乗せられるほどのものだったらしい。そして実際に手の平に乗せたものは、一瞬にしてその身体を喰われた」

 泥は喰えば喰うほど大きくなった。それはすぐさま大の大人の大きさを越え、大型トラック程の大きさにもなった。相手を喰らい、自分の血肉にするような怪物は珍しくない。特異な点は、喰らう対象は何でも良く、また喰った者の性質を受け継いだ事だ。

 ――ホラーなら「The Body Snatchers」か「Grand Dolls」といったところだな。

 まあ、な。兎も角、ソイツは何でも喰らった。肉や草木は勿論、剣も、火も、銃弾も、建物も、機械も、殺意や敵意も、自分を支えているはずの大地さえ。そして喰らった姿、声色、性格、能力、記憶……そのようなものをほとんど受け継いだ。ただ、ドリンクバーで調子に乗った結果は、言わずもがなだが。最終的に喰われた数は明確で百、そこでようやく止める事が出来た。因みにそれは倒したのではなく、自壊したのだ。突然蒸気を上げ、渇き、腐敗し、溶けたらしい。未完成だったのだろうな。

 だがそれで界異は終わらなかった。同様の界異が未だ続いている。しかし発生日時や場所は出鱈目だ。故に今は厄介事請負人ランナー達、さらに黄金狂世界自身も出てきて虱潰しに当たっているのが現状だ。初めは悪戯妖精ペッポか集合した怨悪霊の類か、或いはその両方だと思われていた。が、どうやらそれらの怪物は人工怪物「AM—Artificial Monster—」であり、何者かの思惑にそって動いているらしい。

「そして今回起こったのが大灰獣界異。アレは今迄の中で一等大物であり、遂に〈エルラの手〉……黄金狂世界も此度の界異を『Homunculus』と特号ネームドした。私がお主に任せていたのは、灰泥の退治及び調査に使う核の回収だったのじゃが……」

彼奴ブレイドがブッ飛ばしてしまったのである、合掌」

 メリューが言葉を濁したのを引き継ぐように、握った両手を広げて「パー」という風に、ケイはシニカルに茶化して言った。

「が、そうでなはいかもしれない」が、メリューは口調を変えずにそう言った。「まだ奴は生きている可能性がある」命というものがあるのならだが、とその後に小さく付け加え、台詞を続ける。「『観測霊』が吹き飛んだ、というより飛び散った大灰獣を追っていたのだが、その中に一等強い力を持つ破片があった。その破片が落ちたあたりで、また人が食われる界異があった。証言によると『空から女の子が落ちてきた』とか『男とどろどろに溶け合った』だとか迷走した事ばかり入ってくるが、きっと灰泥怪物の事だろう」

 別に別に隠すつもりも伏線にしても回収するつもりが無いので詳しく説明すると、彼女の言っている「一等強い力を持つ破片」とは、先に路地裏でサッカーをしていた者達をグリグリモグモグし、特機隊をAMENラーメン冷ソーメンした子ども(のようなもの)の事である。どうでもいいがこの時に出る麺類の名前でその者の住んでいる地域が解る、らしい。神は死んだ(笑)。

「成程、その破片が本体か。中々しぶとい。……追跡は?」

「いや、見失った。先にも言った通り、アレは他を喰らって己とする。外見はおろか、中身もな。途中で撒かれてしまったよ。しかも、どうやら人間の姿を取ってるらしい」

「まっ、この世界じゃ人間の姿じゃなくても『NORMAL』だがな」

「ふふ、違いない」

 そこまで言って、メリューは言葉をいったん区切った。いったん落ち着かせるように。今までの会話を沁み込ませるように。次の言葉が大切だという様に。やがてメリューは口を開き、少しトーンを落として言った。

「灰泥は無作為に喰らっており、その界異を見た者は『命を弄んでいる』と言う。だが、私はそう思わない。確かに狂気じみた気はするが、そこには真摯を感じる。確かな己の正義があるのだ。遊ぶと言うよりも、恐らくアレは実験なのだろう。それも一過程でしかない……ソレが何処に辿り着くかは、解らないが」

 思案する様な言い方だった。その思案は界異の主を害悪の主ではなく、一者の誰かとして思案していた。何故こう言う事をするのか、と。少なくともケイはそう感じた。

「そう言えば、中には『親』という保護者を見出す者もいるそうですね」

「そうだな。それが安全の為か、生きるお手本の為かは知らないが、『ムーピー』よろしく相手の心を読んでその相手のどんな好みの姿でも変身して、無条件に言う事を聴くらしい」

「まるで美少女ゲームだな。偶然出会ったキャラと大立回り。机の引き出しから『青タヌキ』が出て来て『力が欲しいか!!』とトチってる。詰まる所、『落ちもの』だ」

「或いは他を模倣して進化していく『ミーム』か。ただ、反射的に対象を喰らい知識として真似するだけの個体より、飽くまでも対象を手本にとどめそこから後は己自身の意見で発展し学習していく固体の方が有能な様だ。その様なものは、明らかに能力の質が違うらしい。前者を量産品マスプロとするなら、後者は正規品ブランドという所か。無論、莫迦と鋏が天才と剣より弱いという事ではないがな」

「莫迦でも天才でも、常人には人肉嗜好やってる時点で異常ですよ」

「ははは。そうだな。普通はそうだ。少なくとも、今の、此処は」

「ま、でもこの手の邪神セッションときたら、お約束的にはアレじゃね? 亡くなった愛する者を生き返らせたいとか、ぼくのかんがえたさいきょうの生物を造りたいとか、軍隊を作りたいとか、ラスボスなら世界を滅ぼすとか、そんなじゃね?『It's alive! It's alive!』的な。或いは『静かな丘』で神様復活させるとか、『どうあがいても絶望』で『思い出のマドニー』した後に死んだ事に気付かずに生前の習性で家族を演じて……ホラー造る奴って精心病んでるな。まあ一番傍迷惑なのは面白くも無いのに面白いと思って特に理由も無く暴れる奴だけど。いるよなあ、そういう道化師ルーニー。その心意気は買うけどさ」

「お前はすぐそうやって物事を『お約束』だとか『設定』だとか、物語調で捉えるな」

「クセなんだ。病気好きにしてみれば『離人症』、分類好きにして見れば『ゲーム脳』って所ですかねえ? 後者の方は原義が違うし、アレを信じる奴こそゲーム脳と言わざるを得ませんが。ま、どんな『公害怪獣』が来てもメテオ(『綺麗な爆弾』の隠語。『NUKE』とも言う。『New York』とは多分関係ない、多分)撃てば取り敢えずKOだ。それがこの国のお得意スキルだろ?」

「得意ではないし、自国でそれは流石に頭が爆発しているという奴だがのう」

「ならよくあるポッと出の目立ちたがり屋な劇場型犯罪だ。どーせ壊される事に定評のある『世界を照らす自由』さんがまたまた壊されるくらいだよ。ま、いずれにせよ、そんなに気負う事は無いって。真面目だなあ」

「往々にして物事は楽しんで居ればそれで良い。かくも娯楽小説を読むように。だが何時だって、それを真面目に読む者がいる。真剣に見る者がいる。或いは、そうとしか生きられない者が。それは是非ではなく、愚賢でもない。どちらも一つの生き方だ。……それに、何時、何処に、何があるか、解らないからのう」

「そりゃ、まあ、そうだ」ケイは口に笑みを浮かべ、ならば、とケイも真面目な顔つきで言った。「敢えて尋ねるが、メリューの終着駅は何処なんだ? この界異の解決か? 灰泥の創造主を捕まえたいのか?」

「知っているだろう? 私の役目は、誰かの代わりに謎を解いてしまう事ではない」そう言って、メリューは幽かに微笑んだ。「私の役目は見守る事だよ」

「そして少し立ち止まって考えてもらう事、か。『お前はそれでいいのか』と」ケイもまた軽く笑いし、肩をすくめた。「ならば敵は『Don Quixote』、か。救えないな、俺も、敵も。ま、でもつまり、俺は最終的に灰泥の親玉を捕まえればいいんだろ?」

「此方は彼方に見せるだけ」

「Huh、そうかよ。まっ、いいさ。言う通りにするよ。『頼まれたから』、俺の行動原理はそれだけだ。世界平和や滅亡で動くのは英雄の行動原理。一般人の行動原理は、『仕事だから』、だ。そして仕事に私情は無粋だし、意味を問うのは野暮なもんだ。現実は物語の様に、何にでも価値があるワケじゃないし、ましてややりたいからやるワケでもないんだからな。先立つ物が貰えるなら、意味もなく刺身の上にたんぽぽだって乗せるさ」

「そういう考え方は、ちと寂しいがのう。後、それはたんぽぽではなく食用菊だ」

 こらこらとたしなめるように、困ったように笑って言った。

「困る事ない。俺が行くよ。例え相手が同情を誘うような都合良く教育された試験管ベビーだろうとも、ジャバウォックやブージャムよろしくに正体の無いナンセンス故に如何なる正体を持とうとも、此方は問答無用で己の星を振るうまでさ」と、ケイは白銀の腕輪を左手で叩いた。ソレに応じるように、腕輪は静かに《War……》と振動した。「それに、どうせ俺は断れん。いや、断る事も出来るけど……とまれ、別に『もしかしたら』で構わんよ。同情や正義なんてのは胡散臭いが、『お人好し』と『お節介』は舞台の路であり華である。そうして星と役者は回る。事件や不幸がそうである様に……そうだろう?」

「それを決めるのは、私ではないよ……けど、ならそれで話を進めよう」メリューはニヤリとするケイに、親が子の無謀な遊びを見る様に、困りながらもやはり笑って、やがて肯き、こう言った。「『――任務ミッションを与える。更新は無し。依頼クエストの定める『小人・C317号』に相対せよ。解決方法は受注者に任せる』」

「『応頼(Alright)』」

「さて……ならば、先ずコレを尋ねてくれ」

 そう言ってメリューが手を掲げた。すると宙に浮かぶ水の塊の一つから、「Pop」と一匹の小魚が現れた。小魚は何やら書類をくわえており、ふよふよとケイの元へ近づくと、その書類を差し出した。ケイがそれを受け取ると、小魚はシャボン玉よろしく「Pop」と弾けて消えた。

「コレの助けと、此度の大灰獣の破片が在れば核に近づけるかもしれん。後者は此方で保管しているので、後でシルキーにでも案内させよう」

「おしら様」

「いや、どちらも蚕じゃけどな」

 ケイはニヤリと笑い、メリューはウーンと苦笑いした。しかし渡された書類を見ると、ケイも眉をひそめた。二カ国語(一つは英語。もう一つはパソコンか何かに通せば現界語で999カ国語、異界語を含めばその千乗程度を弾き出す四次元コード)で載せられているのは、何処かで見た事のある女の子の簡易記録。写真と名前と、十三桁から成る世界保障番号――クラスフォームは「I」、クリアランスレベルは「3」、つまり「親族の知れる身分情報」。ケイは溜息をついて、次いで息を吸って、深呼吸気味に溜息を誤魔化す。

「……どうしてもコイツに頼らなきゃいかんのか?」

「言っただろう。灰泥は見た目では解らぬ。主の〈星奮〉で一々叩くわけにもいかんしの。尤も、星奮で精心感応すれば見破れるかもしれんが……何日掛かるかのう?」

「『インヴィジブル・ピンク・ユニコーン』を見つけるくらい」とケイは向こうを向いた。そのユニコーンが何者か解らない人は、まあ、「徳川の財宝を見つける方が早ーわ」とでも言ってるとでも思えばいい。徳川の財宝の意味が解らない人は辞書を引いてください。或いはお父さんかお母さんに訊いてください。「まあ、ゾウの方なら見つけられますかね。酒を飲めば、天にも昇る気持ちで踊り回る」

「ははは。愉快だが、現実でなきゃ客に見えん。故に、是を一緒に連れて行け。とは言っても、中身も変わる灰泥には、是も必ず効果があるとは言えんが……まあ、そうでなくとも、いるだけで力になる子だよ。まだまだ幼いが、頼りになる。会った事ないかのう?」

「実際に会ったのは二、三度だけ。それもすれ違って挨拶したくらい。聴く所によると『大人しいけど愛嬌があって、品行方正な、礼儀正しい奴。女の割には、というのは偏見か、まあ兎角、冷静に状況を見て大局的に判断できる、歳の割にはしっかりした……教科書的な、模範的な良い子である』、と言われている」

「教科書的、か。まあそうだな。ふむ、好感じゃないか」

「いや、だから『言われている』だって。他観的で、客観的感想だよ。俺らみたいなランナー(ヤクザ者)にしてみればあんなアンチョコなど甘ったるいニシン……いやそうじゃなくて、そういう問題じゃなく……解るだろ?」

「知ってる、協力プレイは苦手な事はな。だがパートナーくらいは必要だと思うぞ」

「げろげろ」「こらこら」「お世話様。けど俺は『グース』の世話になるつもりはないのさ」

「気取り屋な一匹狼だ。如何にも古風なランナーらしいな」やれやれと肩をすくみ、しかし微笑む。「けど、主が一匹狼なのは、ランナーだからというワケではない。私がランナー登録を勧めた時もそうだったな。『属するのが嫌だ』とか何とか言って」

 ランナーに登録する方法はそう難しくない。最寄りの市役所かソレと提携した秘密結社ギルドに行けば試験など無しにすぐ登録できる。此処、〈海の星〉でも発行している。自動車教習所で免許を取得するよりも簡単だ。年齢も素性も性別も能力も資格も経歴も問わず、必要なのは後でアウェイしない「自己責任」という了解だけである。なので職歴・学歴の無いNEETでも大丈夫。試験や審査や面接も要りません。しかも何時でも申し込みは可能であり、申し込んだ瞬間から成れます。今、我々は君の働きを望んでいる。働きたくないでござるの人もレッツ・ランナー。

 ただそれだけでなれるのは本当に一応レベルの下位ランナーであり、中位や上位の「ランカー」になるためには不定期に現界統一で行われる知恵でも体力でもコネという名の情報戦略でも実力主義的な試験や優秀な経歴が必要となる。そんなランナー数はこの国で言うと千者に対し百者程度、解りやすく例えると行政・司法・軍・教育・市区役所諸々を含めた国家・地方公務員数よりちょっと多いくらい。また下位ランナーは全体の八割、上位と成ると百者、最位とされるトップランナーは十者である(上・最位は上限数が決まっている)。因みに登録するのは簡単だが逆に登録抹消されると再登録するのは非常に難しく、またランナーの犯罪はランナーで対処するのが暗黙の了解となっている。

 登録の利点は円滑な報酬の取得や依頼の斡旋、情報交換、身分証明、他ランナーと比較した総合順位の把握とそれによる信頼と信用の獲得、限定解除など様々。中位ランナーともなれば下位行政並みの権力を持てるし実行も出来る。その中でも特に重要な利点は「限定解除」と「依頼斡旋」である。前者は、異能者が横行する今の時代、緊急事態には異能を異能で制する必要もあるだろうという自衛の精神によるものだ。また未成年は未成年というだけで色々とお断りされる事が多いので、そのような偏見や弊害を無くすためのものでもある。後者は、難民がどれだけ仕事にありつけ難いかを考えれば合点がいくだろう。例え不可抗力で突然にワケの解らぬ世界に飛ばされてきたとは言っても、例え就労ピザという概念のない世界でも、現界にとって不法滞在である事に変わりはない。なので仕事を貰えるこの制度はとてもありがたいのだ。だからやっておいて損は多分ないし、やらない利点もあまりないのだ。

 だが敢えて登録しない者も珍しくない。我が物顔で世界を統治する黄金狂世界が嫌い、単純に属するのが嫌い、登録する必要を感じない、社会と歩調を合わせるのがただ単に面倒くさいなど理由は様々。実際、登録しないアマチュアでもランナーの様な行動は可能であるし、ランナーでしか出来ない事はないし、ランナーだからと言って必ずしも優遇されるわけではないし、ランナーではないからといって実力がないワケでもない。そこら辺は叩き上げとキャリアの関係と同じである。またランナーだからと言って安全や権利や資格を保障されているワケでもない。ランナー制度は飽くまでも年齢制限や性差といったものを取っ払う制度であり、自分の持っていない何かをくれる制度ではないのである。勿論、何でもアリというワケでもない。そこん所は己の道徳とか倫理とか常識とかそんな超自我的なアレに従って行動しなければならないし、酷ければしっぺ返しを食らうだろう。

 ……とツラツラと書いたが、ぶっちゃけるとよくある「ハンター制度」的なアレである。というか異界交流という七面倒臭い移民問題を当事者に丸投げした制度である。一般常識を問わないのではない。問い様がないのだ。グローバル化以上にグローバルしている今の世では。自己責任とは響きの良い言葉ではない。人それぞれという名の言い訳なのだ。

 因みに、便利屋たるランナー制度は民間組織であり、その形態は私立探偵や民間軍事会社に近く、如何なる大事件も民事訴訟で済ますのが原則だが、世界公共組織である現界連合が形を整え、黄金狂が金と力を出した組織である。その点でランナー制度は黄金狂のおかげといえる。因みに何処の異界の馬のようなモノの骨かも解らん物体とも知れぬ異界集団であり革新派の黄金狂が保守派の現界連合にどう思われているかはお察しである。保守派の異界民からの反応はもっとお察しである。同じ宇宙人でも火星人と金星人の仲が良いとは限らない。彼等にとってはどちらも宇宙人同士なのだから。尤も、青い星からみればどっちも宇宙人で一括りなのだけど。まあ兎角、なので派閥が無いと言えばそーでもない。

 尤も、勿論、実際はこれほど単純な一枚岩ではない。ランナー制度は世界統一機関である現界連合と黄金王国が組織した場であり、民営でありながら世界的な統一規格をもっているワケだが、しかしそれでも細々とした設定は国や地方によって微妙に変わる。そこは地方自治法や州法的な大人の事情である。それは普通だろう、情報ツールの発達したネット社会でも戦争は亡くならないのに(突然の社会派)。例えば先の「異能使用の限定解除」だが、ヤパーナではランナーでも未成年に対して異能使用に色々と厳しい制限があるものの、規律ある民兵であり自由な国家の安全にとって異能が必要であるこの街にとってはそもそもランナーでなくとも異能使用がそう厳しくない。また幾らランナーで依頼の斡旋が保障されていると言ってもやはり見た目があまりに違う異界者を良く思わず無視する者が多いのもまた大人の事情、というか世間の眼である。また「一匹狼」がランナーの代名詞だったのは初期の噺であり、今時は群れたりするのもそう珍しくなくなってきている……これをプロ意識が無くなったと嘆くべきか、平和になったと喜ぶべきか。というかまだ大祭害エイプリルフールが起きて十年、制度が出来たのも同期……まだまだ認知度も理解度も共通度もお察しなのが現状である。

 まあ小難しい行政や公務員の仕事内容など世間一般の者は知らなくても生きていけるので問題無い。哲学者や物理化学者は何時も自己満足する様に頭を大きくして喚き散らすが、そんなのはしたい奴に任せておけばいいのである。幸福な市民はそれらを黙って呑み込めばいいのです。それが市民にとっての幸福です。幸福である事は市民の義務なのです。

 しかしいずれにせよ、ランナーに現界の肩書など無用である。何故なら相対する者は異界の者。異界にとっては現界の者が異界の者。なれば既存の名誉の勲章も、自由の勲章も、プレジデントの経歴もキング・クイーンの資格もこの職場では大して意味は無いのだ。勿論、世界の長には常に敬意を払うという立派な異界者も居る事には居るが。

「敵を倒せばお金が貰える、良い時代になったもんだ。まさに『ドラゴンバスター』、竜と英雄の世界観だな。『荒事屋ランナー』だ。RPGだ」とケイは笑う。

「ゲームなら明確な悪と正義の区別があろうよ。だが大祭害は既存の正義や悪の定義を無意味にし、既存の常識を打ち砕いた。世界を焼き野原にした。そこからまた新たな芽を吹かすには、正義であろうと悪であろうと、鮮烈な力が必要だ。戦災復興という名の焼畑農業の様に、或いは古今東西の終末論の様に――世界救済の条件が、現世での苦難や世界破滅という終末論カタルシスなのも可笑しな噺かもしれないけどね。けど、少なくとも、今はそんな時代だ。戦争がそうである様に、その力は文字通り未来を眼に灼き憑かせ、肉と骨と魂を、核融合し踊り回る星の様に熱く熱く錬鉄するから。良いか悪いかは別として、戦争以上にエネルギーのある発電所は、人の手で造られる中ではそうあるまいよ……まあ、それで出来たのが原発だし、その力が何処へ向かっているかは解らんがな。

 そしてお前は今や『回しランナー』という役で動くキャラクターだ。ランナーには利己的な者が多い、というよりも利己的になるための制度がランナーだ。何処に飛んで行くかは解らんが。他のランナーや国家機関や民間組織の助けも借りず、己だけでやろうとする者達だ。だが、『チームワーク』くらいは出来んとな」

 因みに現在のこの街の犯罪対処は大体「難度(Rank)F~Dの事件は警察及びランナーが、難度E~Cはランナーが、難度B~は特機隊及び高難度ランナーが対処」している。と言ってもランナーが仕事をするかどうかは気分であり、黄金狂世界は余程の事でない限り不貞寝を決めるかおざなり。この難度は対象界異の特徴――危害、心惑、知能、群集、範囲、大小、敵意、信念――によって十段階の強度(Level)・要度(Importance)・急度(Priority)が振り分けられた後に総合値として難度(Rank)が決められる。その難度を具体的に、TPOで変わるが、便宜的に分類すれば、F「お使い・迷子・小競合などの小さな依頼」、E「殺人・強盗などの事件」、D「ボス級・強敵出現」、C「街全域に関わる事件」、B「国全域、いわゆる警察庁広域重要指定事件」、A「セカイ系」、S「ウチュウ系」、Ex「シンワ系」となる。また、利己的なランナーは「協力プレイは恥ずかしい事である」という認識が一般であるので、あまり群れたりはしない。RPGは四人パーティが至高なのさ。多すぎても少なすぎても駄目です。警察の方も大抵ヤバい界異に関わらず、関わっても後始末程度である。けれども警察などと兼業でランナーになる者も少なくないので、一概には言えない。ああそうそう、ランナーは公務員でも副業として認められています。そこの受付係さんもレッツ・ランナー。

 そして先に海の星の彼女が「小人・C317号」と言ってた事からも解るが、灰泥界異は「Cランク」となっている。小人界異はかつてなら同時多発テロ並のニュースとなっており、此度の大灰獣界異などはそれこそ飛行機が何処ぞの世界貿易センターに突っ込む程の被害だったが、それでもCランクだ。飽くまでも「かつてなら」という所だろう。これは裏返すとそれだけランナーの質も高い事の証左である。「ひどいレベルでバランスが」云々。というより「District 9」よろしくな世界壁という名の隔離地区もとい特別行政区より外に出ない界異は全部がCランクになる。世界壁は夢の国の著作権並に厳重であり、B以上は滅多にない。Aなどはそれこそ少年漫画よろしく世界滅亡的な黙示録クラスである。Sなどは宇宙破壊大帝クラスで、Exなどは多世界・次元破壊大帝クラスだ。まあそんなクラスは先ずお目にかからず、かかってもここまでいくと暇を持て余した神々の戦いなので一般市民にはどうでもいい。そんなものが見たければインフレしまくった漫画か最強議論スレかMUGENでも見ればいい。しかし私は思います。何でもアリは意外とツマラナイ。ルールの無いゲームと同じ。チートプレイが面白いのは最初だけ。派手だから見栄えは良いですが、実際にやってみれば過ぐ飽き……え、面白い? さいですか。閑話休題(ここからも閑話)。で、そんなランナーである彼、つまりケイの実力ランクは――

「何だ、俺の実力を疑ってるのか? 刃の形は人それぞれ、杓子定規じゃ測れんよ」

「疑わないなどとは言わない。それは思考停止だ。だから信じている。信頼もしている。しかし数が多い方が、色々と都合が効く事は確かだろう?」

「使いこなせりゃな。それに集団クエストは苦手だ。そりゃ、莫迦騒ぎは楽しいだろうさ。悩むこと無く、一緒にお祭り騒ぎできたなら……ただ、ああいうのは如何にも面倒で」

「難儀な事だ。だが覚えておくといい……私の言葉と思って」

「親みたいなこと言うなあ」

 と、そこまで言って口をつぐんだ。親みたい、といった事に後悔した。自分でも無意識の内に自覚していたという事か。親、だってさ。

 実際、命の危険が掛かっている以上、助けになる知り合いは多い方がいいだろう。少なくて何か誇れる事もない。解っている。結局の所、最後の最後、頼りになる者というのは、自分以外の誰かである。今の自分にはできない何か、そういう事が出来る誰かである。難しい事ではない。TRPGは皆でやった方が楽しいという事だ。

 ならば何故、そうしないのか。ただ何となく気に入らないからか。それとも他と同じように右向け右をするのが嫌なのか。そんな意固地に、何の意味がある。自分を心配してくれる者の気持ちを断るだけの価値が、何処にある? 子どもじみた我が儘である。ケイはそんな自分にため息をついた。けれども何処かで確信していた。

 ――きっと、自分は死ぬまでこうなのだろう、と。

 そう思うと同時に、ケイはまたため息をついた。肺に空気を満たし、それを抜くのは心地が良い。脱力という奴だ。ソレと同じように、ウンザリする自分に脱力し、「そうマジに考えるなよ」と何でもない風を気取るのだ。

 ケイはバツが悪そうに自嘲した。そしてかぶりを振って、

「ま、とにかく行ってくるわ。今度こそ朗報を期待してくれ、【遥かなるアルトマーレ】」

 子どもがやるように、自己完結で話を切った。

「ああ、待っているよ」

 ケイは不敵に笑って言い、メリューはそれに対して小さく笑った。

「ああ、待っててくれ。……あ、それと、」そう言って、背を向けかけたケイは一つ、思い出したように付け加える。「その言い方、何?」

 そう、ケイは宙を指差してそう言った。「その言い方」、つまり彼女が今使っている古風な威厳のある言い方。普段のこの人はこんな口調ではなく、もっとおっとりした、けれども洗練繊細な、瀟洒な育ちの良い物言いだったと記憶している。尤も、彼女は状況により喋り方を変えるし、こんなのはEngにしてしまえば変わりないのかもしれないが。

「う? ああ、いえ……たまにはこういう趣向も好きかなあ、と」

「……そうどすか」

 些か恥ずかしそうに照れて頬を掻くメリューに対して、ケイは目を細めて何ともいえ無さそうな朗らかな微笑みで相対した。天然の姉の失敗を見る弟のような気分だった。優しい気分になれました。まあ実際に家族に天然なんていたら軽く殺意の波動に目覚めるだろうが。自然っていう奴は遠目で見ている内が華だよ、いやマジで。別々に暮らすイトコは毎日顔を合わせないから、小言を言う祖母の鬱陶しさを知らない。

「何の噺だよ。ま、何でもいいんじゃないの? 口調なんて、どうでもいいさ」

「またそうやって今日の晩御飯を訊いたような答えを返す」

「そりゃアレだ、一々、愛だのなんだの言わなくても解ってくれると思ってんだよ。例え育て甲斐がないと思われても、お母さんの作る料理なら何でも美味……やれたれ、また長話だね。止めよう。今度こそ、俺は行くよ。じゃあな、あばよ、いってきます」

「はい、いってらっしゃい」

 ケイの言葉に、メリューは目を伏して微笑みながらそう言った。ケイは今度こそやっとそれに背を向けて、対し手の甲をひらひらさせ応え、扉に手をかけ、「だけどその前に……少しだけ遊ぶか、ガキどもッ!」同時に歓声が上がった。扉の後ろでジッとして、何時何時綺麗で優しいお姉ちゃんとの小難しい噺が終わり、カッコ良くて楽しいお義兄ちゃんが遊んでくれるかと待っていたのだ。だからケイはこういう。さあ何処からでもかかってこい。剣でも魔術でも異形の爪でも、勝てたら何でもおごってやる! やれやれ、仕事に出発するのはまだ当分先の様だ。舞台は永遠じゃないんだぜ? ま、楽しいなら良いけどさ。

 過去の失敗を恥じれど、恐れど、小言を言えど、何度も自分を期待させる胆力は、ケイが持つ力の一つだった。いや、何、特別な力じゃない。社会人とは、そんなものだろ?


 失敗した。失敗した失敗した失敗した。

「失敗した」って何度も書いてる文面は少し恐怖だけど、パソコンでCOPY&PASTEしている場面を想像するとなんか滑稽。アナログだとしても書いてる内に「何やってるんだろう」って冷静になりそうなもんだけど。というか時間がIt‘s MOTTAINAI。だけど静になる度に狂いたくなる。狂気とはメンタル安定剤の一つである。攻撃を受け手も狂々くるっと回転して360度元通り。右から来たものを左へ受け流す省エネ使用。しかしそれは正しく堂々巡り。そんな事を考えたって事態は一向に好転しない。ああ、恐怖に立ち向かうという選択肢が出てこない時点で、これはともかく重傷だ。

 此処は公園である。名前はまだ無いし、多分この先もきっとない。けれども街の皆には「遺跡公園」と言われて親しまれている。どこで生まれたかとんと見当つかぬが、きっと大祭害パラダイス・シフトで運ばれてきたのだろう。その名の通り辺りには古ぼけ崩れた何かの建物がことことあり、石床を突き抜け背の高い草木が生え、獣や人の子の良い遊び場になっている。観光にもデートにも打ってつけ。ただし夜は幽霊が出るのでイヤーンな事をするにはちと向かぬ。好事家はどうか知らんが。大祭害以前からある「セントラル・パーク」と呼ばれる公園をぶちぬく形で流れ着いたので、今では何だか十字架の様な形に成っておる。かつては景観のためにどちらか一方を壊すかどうかでかなり論争が起こったのだが……けれどもこれは別の物語。どちらも自然な様で人工的に造られた公園。そう言えば、何やら寓話的に聴こえるから不思議である。一方、東方の「Shinjuku Gyoen」なる場所はジャングルみたいになって恐竜が出るとか何とか。Shinjuku Gyoen――それはTokyoの直中に残された現代の秘境(※この舞台は世界劇場であり実在の人物・団体・Shinjuku Gyoenとはあんまり関係ありません)。

 割れた地面から水が溢れ、大木が倒れ、建物が崩れているが、長い時間放置されてきたのだろう、自然はそれらを穏やかに過ごしやすい場所へと変えている。小鳥が鳴き、子どもが遊び、遺跡らしく何やら夢見心地めいたバージェス動物群が歩いていた。鳩にしてはやけにデカいなと思えばソレはドードーであり、芋虫かと思えばアユシェアイアであり、むしろアーケオプテリクスが餌をねだる鶏と化しており、他にもパークのアイドル・ヴェロキラプトルや風の谷よろしくなディアトリマがいて失われた世界もかくやである。てか危ねえ。そんな中、「FAILED」の文字をヘビーローテーションさせる人間が一人。

 この、大きな噴水のある公園でベンチを占領し、猫のように身体を丸めて横たわり、悶々シクシク鬱々と自分の不幸を嘆く少女は「秀真ほつま路花みちか・マリステラ」。お腹はすいて、服は崩れ、外套は解れ、野球帽は穴開き、リュックは汚れ、一カ月以上も屋根のある部屋で寝ていなかった。というのも、彼女は今ある者に追われていた。

 彼の者の名は「DUN」。ダダンダン。借りたお金を返さない不履行者を容赦なく踏み潰す怖い人。それはお天道様の下で働く堅気とは違う者。彼らは大口族ライカンのような鼻を使った探索術も風翼族ハルピュイアのような空を使った移動術も持ってはいない。だが不動産バリの伝統的な情報網とローラーよろしくな人海戦術が彼の獲物に必死をかける。そのシツコサときたら、ビリー・ベルさん家の屋根裏の蛞蝓さんくらいシツコイ。

 今まで良く逃げ延びた方だろう。家に帰らず、交通機関も使わず、後が付く情報機器も使わず、あまり誰にも迷惑かけず。日の光の影のように身を隠し、混凝土に漂う逃げ水のように逃げてきた。しかし、それもそろそろ限界か。

 残金は幾らだろうとポケットの財布を頭の中で開けてみる。コンビニ弁当に換算して安いのだったら五十個くらいだろうか。一日一個ずつ食べるとして五十日は生き残れる。けれどもこれは大事なお金。お金お金というのは浅ましいけど、やっぱり生きるためにはお金が必要。だからいざと言う時以外は使いたくない。

 けれどもお腹はくーくーです。ご飯が欲しいと訴えます。お腹と背中がくっつきます。パンが無ければケーキを食べればいいらしいです。卑しい私には公園の木の根をかじるのがお似合いです。渋さと甘みが絶妙です。タンパク質は鴉や鳩で十分です。カラスがミミズや昆虫を運びますが、それよりもパンの耳が欲しいです。寄生虫? 認識しなければ存在は確定しないんです。波動関数の収縮です。でもカブトムシと木の蜜を奪い合うのはもう嫌です。ああそうか、カブト虫を食べれあばばばばば。

 最後に人間らしい食事をしたのは何時だったかと考える。アレは昨日か一昨日の晩。確か糖分の足りない頭でフラフラと公園を歩いていたら猫の集会ならぬ家なき者の集会に会ったんだっけ。皆で集めた消費期限切れのお弁当とかパンとかを分けあってさ。頼りない街灯の灯りをつまみに乾杯してさ。世の中の不満やけれども見つけた小さな喜びを語り合ってさ。アレは美味しかったし、楽しかったなあ、あははははははー…………あー。

(死ぬんじゃないかな、私)

 路花は背もたれに小さく額を打ち付けた。そろそろ本気でヤバかった。頭が良い具合に残念だった。情けなくって涙が出た。そのしょっぱさでご飯が食べられそうだった。というか食べた。何だか生きていくだけなら割とどうとでもなるものだなあと思い始めていた。意外とこんなんになっても生きられるという事に人間の強かさとちょっとした敬意を感じ始めた。代わりに文明的な生活と自尊心と女性としての恥を諦めつつあった。

 というかよくよくあの公園の集会を思い出してみると酷く酔っ払っていた。エサが貰えると思って寄って来た五匹くらいの野良犬が何時の間にか二匹になっていた。家なき者の手には赤黒の大きな肉斬り包丁が輝いていた。美味しさと楽しさの順当な代償だった。弱肉強食の世の中を知った。残飯を喰らっているであろう彼らのソレはとてもイヤーンな臭いだった。自分がせーてきに頂かれなかったのはきっと偶然だ。いやどーなんでしょ。グリグリモグモグされちゃったのか知らむ? 酔ってたしよく覚えてない。

(もう寝よう。寝てれば難しい事考えなくてすむ。お腹がすくのも忘れられる。きっと次に眼を覚ませば良い事あるよ、ハム太郎……ハム食べたい。いっそもうずっと寝ようかな)

 頭が痛い。やはり酒など飲むべきではなかった。成人してないのにアルコールを飲んだら莫迦になる、とお義姉ちゃんによく言われていたのに。ごめんなさいお母さん。ありがとうお父さん。これはきっとGOSHが与えた罰なのですね。

 罪深き者よ、汝の名は捨てろ。その罰は影となって現れる。逃げ切れられるものではない。もはや日の光は浴びられまい。ひとたび太陽の元に出てしまえばその罰はさらけ出される。砂漠に投げ出されたミミズのように、己の罪に悶え苦しむ。もうお前が影を動かしているのか、影がお前を動かしているのかも解るまい!

 そら、今にも影が狙っているぞ。

 ほら、メリーさんよろしくに。

 さあ、貴方の背後にDUNさんが……

「君が『【涙流星ながれぼし】HOTSUMA Mytear MariStella』か?」

 背に声がかけられた。硬質な男の声だった。何てことない声だったが、路花はソレを背筋に走る冷たさと混同した。とてつもなく冷ややかな声と錯覚し、その声の主は日陰者、お天道様の下を歩いてない声な気がした。

「もしもし、君が秀真路花マリステラか? ベンチで寝ている子ども、君だよ。用があるんだが、世界番号を言って……おーい、寝てるのか?」

 きっと声の主はイライラしている。早く応えない事に怒っている。早く応えなければ自分の背中にトンファー☆キックが飛んでくるかもしれな恐い! SOS! SOS! ほらほら呼―んでいるっわー。きょーおーもーまただれっかー、乙女のピンーチー♪

 いや待て待て冷静になれ。クールだ、クルクルクールになるんだ「Don't panic」。まだ相手は解ってない。コチラが秀真路花マリステラだという確証がない。ならばこのまま寝たフリをしてれば通り過ぎていくかもしれない。台風のように、地震のように、クラスで名前を呼ばれたように、黙っていればなべて世は事も無――

「写真を見る限り雰囲気は似てるんだが」

 おっとととっとーっ! 身バレしてたわーい! 黙っていれば自分の都合の良いように進むほど現実は甘くありません。自ら積極的に動かないと世界は変わらないんです。

 とはいってもどうするか。相手が強硬手段に出るのは時間の問題。ここは慎重かつ大胆な選択肢が望まれる。クイックセーブは出来ないぞ。シンキングだ。シンキングするんだ秀真路花マリステラ。頭の筋肉フル稼働。今この場を丸く収める方法、それは……。

(ヤるか!)

 亡き者にしてしまえばノープログラム!「ノープログラム」? そうだとも、これ以上に優れた解決法などありえませんぜ!(←頭に栄養が行っていない思考)

 路花は背後の者との距離を測った。一撃で仕留めなければ意味がない。仲間を呼ばれたら面倒だ。だが相手は男。生半可な攻撃では仕留めきれない可能性がある。ならばコチラに近づこうとしたその瞬間、その間隙を狙って一気に仕掛ける!

 路花は懐に手を隠した。すると何やら手が仄かに光り出した。しかも「BZZT」という弾けるような音が響き出す。蛇か竜の様に激しくうねり、奔り、迸る。そのうねりは円を描かない。その音と動きは徐々に激しくなり、相手を呆然とさせる力を蓄える。

「まあ寝てるなら都合良い。『なりすまし』とか『のっとり』とかした『ナマズ』の場合もあるし、今の内に生体認証と霊体認証もやっとくか、などと独り言気味に免責宣言をしつつ……悪いが、ちょっと失礼するぞ」

 そして背後の男が手を伸ばした……その瞬間、

(今ッ!)

 路花の姿が掻き消えた。余剰エネルギーが光子となって散逸し、TVを消す様に「Crackパキン!」と硝子の割れる音と共に一瞬で消失した。消失したと同時に男の背後に路花がいた。催眠術だとか超スピードだとかでは断じてない。恐怖や恋慕がそうであるように物理的な距離を跳び越えて、路花は「おう――っ!?」と驚く男の背後に跳躍した。

 その瞳は「無駄にオッドアイ」。文字通りの虹彩異色眼。まるで燃え盛る星の様に、虹色に、路花の左眼が変光していた。路花は移動と共にすぐさま次の行動を実行した。人差し指を男に突き出し力を放つ。想いを込めて技名を叫ぶ。蓄積された意志が一気に駆け出す。鋭き想いが文字通りの電撃発火と成って炸裂する!

「必殺!〈PSI・エレクトリック×バアアアアア「”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あッ!?」」


「何ズレた事してんだゴルァ!」

「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいぃぃぃっ!」

 ケイはギャグ漫画染みた焦げ付きアフロで「お前敵か!? 俺の敵だな? 違うならすぐ謝れ」というふうに怒鳴った。ベンチに座ったケイの姿は、まるで電気と炎に包まれた様に、服までボロボロだった。なので今はホシフルイに服を修繕させている。ホシフルイさんマジ便利。蟹の様な足を何本も生やし治療する。

 ソレに対し路花は深々とベンチの上で土下座して横に座る男に謝罪した。その姿は悲しいほどに弱々しく、けれども哀しいほどに滑稽だった。

 男の名はケイというらしい。彼の話を聴くに、自分に何か頼み事があって来たらしい。それなのに悪い人と勘違いしてビリビリしてしまうとは。路花は頭をベンチに擦りつけながら自らが招いた過ちを嘆いた。このようなコミック染みたお約束、落ち着いて判断すれば避けられたはずだった。物事を争いありきで考えるのは良くないと、本当に強い人は争わないようにする人だと、大好きなお義姉ちゃんは言ってました。なのに、なのに……ああ、私の心は荒んでしまったのね。

 などと「よよよ」と路花は一人悲しみに暮れる。そんな自分の世界にトリップする路花を見て、ケイはそれを打ち切るようにため息をついた。

「さっきの消える奴は『瞬間移動テレポート』か。全く、何処ぞの戦闘民族みたいな事してくれやがる」ケイは櫛にしたホシフルイで髪をとかしながら言った。しかも瞬間移動(サイヤ人)だけでなく「電撃エレクトロ」と「発火パイロ」も使えるとは。中々に多彩だと褒めたい所だが、その力を直に食らったケイは溜息をつく。「小さな見た目とは裏腹にアグレッシブな女だ。教会で見かけた時はもっと御淑やかな奴に見えたが……やっぱ見た目じゃわからんな。これだから異能者サイコは困る」

「あ、差別発言ですよ」路花は背を丸めたまま顔を上げてそう言った。その顔にある両眼はどちらも同じ色に戻っている。どうやら力を発動している間だけオッドアイになる設定らしい。「設定ゆーな」ごめんなさい。「あ、いえ別に。兎も角、そーいう『やっぱり~は』とか『~だから』とかいう偏見思想ステレオはイカンですね。そりゃ、そういう世間の白い目がある事は知ってますし、自分の異常ズレは自覚してます。就職試験で皆がリクルートスーツを着てるのに一人だけ私服で来て『やっぱ俺って何処か可笑しいのか?』とか思うくらいには自覚してます」

「アー、そういう時あるよなあ。『うわー、皆、真面目だなあ』と思うよなあ、ってそれ単に世間知らずなだけぢゃ……」

「とまれ、大祭害の世じゃなくとも、そんなのはノンノンです。人の肌は白ければ黒い。吸血鬼が太陽が怖いとは限らない。異能者が気狂いとは限らない。況や世界そのものが異常とされる大祭害の世じゃ今更ですね。ネットで言ったら大炎上です」

「んな軽々しく言うかよ。自己主張激しいガキじゃあるまいし、一々言葉狩りよろしくな敏感肌のアレルギー患者と相手するつもりもない」

「げー。じゃあ内心で呪詛悶々というワケですか!? そんな事されるくらいなら私の顔を殴ってください! 知らぬ所で陰口言われるより一発イヤンとされた方が気が楽です! ささあずいっと! さささどうぞ! 右の頬も左の頬もぶってやってくださいましましっ! 貴方の気が晴れるまで! だけど命だけは勘弁してください!」

「バイオレンスな奴だな……」とケイは胡乱な目つきで路花を見た。

「すみません。ちょっと今頭に血が回らなくて、何というか……」

「素が出るか」

「お恥ずかしい……」

「ま、元気が在るのは良い事じゃネーノ? 表情がコロコロ変わって可愛らしいさ」

「可愛らしい女の子が勝気な笑みでニヤリとするのは良かですねえ」

「まあ昔の軽小説的なアスペげふんげふんサイコ」「はい?」「でもない。間違った意味での唯我独尊系ヒロインなんて現れたら俺は問答無用で大人にするけどな。精神的な意味で。ツンデレとかいう暴力系ヒロインにはコチラも暴力を辞さない」

「暴力を振るう人はイヤーンです……(泣)」

「(でも殴ったらいい反応しそうだ、コイツ)まあ、陰口も殴るのもしやしないよ。痛覚共有ミラータッチされたら阿保らしいしな」

「まっ、失礼な。そんなタチヤーナ・ポッポカルトさんみたいなイジワルしません」

「左右で眼の色の違う奴は要注意だ。『目は口程に物を言う』というが、俺の知り合いの男は眼で見ただけで相手の脳髄に直接命令を叩き込むからな。催眠術だって余裕で可能。他にも因果逆転の眼を持った奴もいる。つまり光景を認識するのではなくて、認識が光景になるんだ。イメージがリアルになるのだな。文字通りの『Veni vidi vici』だ」

 眼というのは、古今東西、魔術的な意味を持つ。他にも他者の視界を操ったり、視界内の未来を観たり、相手の心を読んだり……全く、何処のゲーム設定だよって。ほんとチートだ。リアルチート――とケイはぼやく。

「そ、それは凄いですね。けど私はそんなのできませんよ。できるとしても『目から』『現実蹂躙加粒子砲ギャラクティカブラスト』くらいですね」

「それどういう原理なんですかね……」

「受動的な受光孔が能動的になったようなものですよ。光の速度で放たれる視線に乗せて、原子や分子や荷電粒子を飛ばすんです。いや知らないですけどね」

「そんな何となくで異能とか本当にデタラメ……いや、言うまい。ま、常に神経張り巡らせておく事は悪くない。少なくとも仕事のできない奴よりは」

「ビリビリしてしまってごめんなさい……」

「……もういいよ。悪意はないし、背後から近づいた俺も悪いし、勉強させてもらう」

「ほ、本当に……?」

「ああ、その可愛い顔に免じて許してやるよ。怖いなら精神感応テレパシーでもしろ」

「すわっ。いえいえ、そんな事は……信じますから」

「真面目だねえ」

 と、ケイは上から目線でそう言った。と同時に「是で優しい男をアピールすると共に、一つ貸しが出来たな」と心の中でニヤリと笑い、次いで煙を飲もうと思い、ポケットから取り出してその箱を路花に見せ、路花が頭を縦に振るのを確認して葉に火をつけた。葉先が酸素で真っ赤に燃えて、二酸化炭素と共に灰色の煙が空に消える。

「煙草って良いですよね。私好きですよ、煙草」と路花が眼を細める。

「不良少女?」

「煙草=不良という方程式は偏見ですね。むしろお酒の方がみっともないです。道路をフラフラ歩いたり、電車でイビキかいたり、車で事故ったり、女性を酔わせたりしてイヤーンな事したり。あ、でも酔っ払いのお父さんのお土産とされる伝説の『アレ』は見てみたいかも。四角い箱に紐を結んだ『アレ』です、アレ」

「寿司折じゃないか、ソレ?」

「真ん中のボタンを押すと触手を生やして変形するらしいです」

「スマン、想像してたのと違ってた」

「てかそも私は吸いません。そうじゃなくて、ほら、『紅の豚』とか『風立ちぬ』な感じですよ。もうあまり覚えてませんが、灰色の煙を吹かしながら夜仕事するお父さんの横顔が何かカッコ良くてとても好きで……煙の匂いに落ち着くのも、そのせいかもしれません。父の手はごわごわして、しわしわして、とても良い手でしたね」

「ふーん。そう」とケイは興味無さげに言って、ちらと路花の手を見た。その手は柔らかそうな……ではなく、子供にしては生傷が多く、固く、しっかりしてそうな、働き者の手であった。別に珍しくない手であった。「女性に家守を求めるのは、アナクロかね?」

「?」

「いや、嫌いじゃないけどね。俺もそんな手が大好きさ。『わしらの姫様はこの手を好きだと言うてくれる。働き者のきれいな手だと』」とケイは軽く笑って肩をすくめた。「――で、改めて訊くが、お前が超能力少女、『超人LOCKE』か?」

「んや? 誰ですかそれ?『「さん」をつけろよデコすけやろー』とか『寺へ…』なら知ってますが」

「ヤバい。今モーレツに時代を感じた。えーと、『Doctor Who』的な、って言っても解らんか? いやまあそんな事は置いといて。兎に角、お前が超能力者の路花か?」

「はいっ! 孤児院〈海のマリステラ〉の娘、秀真路花マリステラ、超能力者サイキック人間族ヒューマンです」と丁寧に帽子を取ってお辞儀した。日系か?「学生であり、たまに街の大道芸団『妖精の輪(FAIRY CIRCLE)』でアルバイトしております。天多ある座右の銘の一つは『定言命法』、好きな仮面ライダーは『クウガ』、好きなゲームは『Cave Story』、好きな食べ物は『卯の花』と『パンの耳を揚げたアレ』と『搾菜を一瓶買ってもしゃもしゃやる事』、好きな人は『愛のある人』、そして好きじゃない人は『愛しかない人』です」

「渋いな」

「そして最近の個人的流行は『Minuscule』という小さなムシのアニメです」

「あー、イカロスよろしく蜂が月に向かって飛ぶ奴? 俺もアレ結構好きだよ。シュールで面白いよな。しかも全力で莫迦やってる感じが無駄にカッコいい。テントウムシが戦闘機よろしく高速飛行して景色が霞むように流れる所とか。微妙に寓話的なのも〇(マル)」

「おおっ、知ってますか! ワレは中々良い人だな。で、趣味は『「さぁ」や「Butterfly」を歌いながら壁に頭を打ち付ける事』です」

「情緒不安定なのかお前……?」

「そしてパンの耳をタダでくれるていたパン屋さんがパンの耳を商品として販売しだした事に時代の流れを感じる今日この頃です」

「そんな所で大人にならんでいい」

「ぬーん」

「何が『ぬーん』だ。可愛い子アピールですかコノヤロー」

「因みに、貴方が好きなのは?」

「はん? 俺が好きなのは……『ヤパーナの京訛りの発音で言う「こんにちは」』かな」

「マニアだっ」

「後、『羽根の様にしなって布団の様に柔らかい女性の指』とか?」

「フェチだっ」

「後『蕎麦を噛まずに呑み込む時の喉の感触』も」

「ああっ、解る、凄い解りますぅ。ぐいっと来る喉越しとちょっと苦しい感じが特にね!」

「そして好きじゃないのは『電車で疲れた顔した年老いたリーマンを歌詞にするクソ若い歌手』と『ちょっと人気になると検索ワード上位に来る予備変換機能』です」

「あー……」路花は姿勢よく正座したまま何とも言えないような顔になった。ちょっと親近感が湧いた。「『夢見るシャンソン人形』ですね。恋も知らないのに恋を歌う的な、自分の気持ちを歌う場所がある幸福がありながら絶望を歌う的な。そして後者のは……偉人や英雄やGOSHの名前を検索して、ウィキペディアより何かのゲームが先に来ると、何か残念というか、寂しい気持ちになりますね」

「全くだ。原典への愛が足りん。二次創作如きが出しゃばりおって。む、また親父臭い説教をしてしまった。頭でっかちほどひけらかすのが好きよなあ」

「私はお話聴くの好きだけどなー。ずーっと大学の講義とか聞いていたいです。プロ中のプロのお話を聴くなんて、大学以外に出来ないですからね」

「変わってるなー。大学生でいたいならまだしも、真面目に講義を受けたいとか。けど君はまだまだ大学って歳でもないだろ。高校生ですら微妙だ」

「私の通っている所は歳よりも能力の方を優先しますから。自由でいいですね。まあ、できれば義務教育で卒業したかったですが……」

「真面目な噺か?」

「え? あ、いえいえ、そうじゃないですよ、アハハ」

「そうか。俺は人生相談に慣れてるから何かあったら訊いていいぞ。趣味じゃなくて仕事でやる事もある。その手の社会福祉レベルは、NGOだって目じゃないぜ?」

「アハハ、そですか。なら気が向いたらそうします」

「うむ、そうすれ」

「はい。でも、あ、宗教学に噺を戻しますと……MYTH自体が二次創作の宝庫みたいなものですし、ウィキは原典じゃないですけどねーぇ」

 と路花は目を細め、遠い目をして異を唱えた。しかし解らなくも無かった。特に架空なはずの神話の怪物や伝承の土地や物語の武具が現実に現れる、こんな世界では。言動はチンピラでヤンキーだが、何処となく親近感の湧く人だと思った。何故、子供というのは社会の主流に反する人に憧れるのでしょうね? それはね、反抗期です。

 因みに、先から言っているケイの好みは嘘である。ケイは滅多に己の事を語らない。彼の言葉は殆どお道化ちゃらけ……二酸化炭素の様に台詞を吐く。ただ嘘と言っても虚実ではない。その好みは、この路花という少女の好みであった。資料にそう書いてあった。

 相手と仲良くなる秘訣は、まず相手に合わせる事でぃす。最初から相手自身を褒めるのは諸刃の剣、それは相手を恥ずかしがらせるだけかもしれないから。しかし相手が好きなものを自分も好きだというのなら、それは親近感が湧く事になり、直接的ではないにしろ相手を褒める事に成り、確実に相手との接点を作るのでぃす。相手に直接ベクトルを向けるより、先ずは相手のベクトルの向きに合わせる事から始めよう。自分の感想ばかり言うのは人間関係でも企業面接でも三流でぃす。

「あ、お名前聴くのを忘れてました」と、路花が教師に名指しされた生徒の様に右手をビシッと上げて、次いでケイに手の平を見せてこう言った。「それで、貴方のお名前なんですか(わっちゃあねーむ)?」

「The name is key. チェイス・ジッポ・駆乱芸くらうん。コッチは白銀の星奮」

 《WARー》

「……あ、ホシフルイってその右手首ににある腕輪型の人工生命ゴーレムの事ですか。スミマセン。これはどうも……って、アレ? ケイ、ケイ、何処かで聴いた事が、ええと……黒い、稲妻……エクレノワール」

「何だその美味しそうなかつカッコいい名前」

「あっ、思い出しました。たまにお義姉ちゃんに会いにやって来る下僕さん」

「もう一度チャンスをやろう」

「き、教会に来ては子どもをさらっては食べるハーメルンとか」

「よろしい、ならば公衆面前の前で食べてやろう……性的に」

「ちっ、ちち、違います、年少組の皆が言ってたのです。私は無罪です」路花は怪しげな笑みでケイが出す手をビシビシと指で迎撃しながら言った。まあ、彼は取って食いはしませんよ。その手の仕事を斡旋する事はありますが……いや何でもない。「でも、やっぱり強くて頼りになるお義兄ちゃんだって言ってました」

「ほう? 俺も中々捨てたもんじゃないな」

「って言ったらお菓子くれるって言ってました」

「誰だよそんなデマ流した奴は……というかお前はお菓子が欲しいのか」

「えっ!? い、いや、そんな事……」路花は図星を突かれた様にしどろもどろし、噺を逸らす事にした。「兎に角、ランナーの方ですよね? たまにお義姉ちゃんから噺を聴きます。少し気難しいけれど、頼まれた事はきちんとこなす、ヤる事はヤってる方だって」

「ちょっと言い方がアレなような気もするが、まあ、リップサービスとして受け取っておこう。兎も角、知ってるなら上々だ。その通り、俺はそのケイである。ある時はXYZで気取るCityHunter、またある時は千の技と千の仮面と一のサイコガンを持った宇宙海賊、しかしてその実体は……まあ、何でもランナーだ」

「何それ『MASTERキートン』さんみたいでちょっと憧れるかも」

「Huh、ホレてもいいぜ?」

「悔しい、けど、カッコいい……ッ!(笑顔で」

「どーめ。ノリが良い奴は好きよ?」

「一応、私もランナーの資格は持ってますよ」

「ふーん。確かお前って小学か中学くらいの齢だっけ?」

「自分の年齢など曖昧なのが今時で、私も昔の記憶が曖昧なので何とも言えませんが……まあ、戸籍上はそのくらいと設定されてます。けど私の通ってる学校は小~大までやってて、年齢ではなく能力値で割り振られるのでそういう区分は無いようなものです。まっ、今時は年齢で子供や大人を決めるのはアナクロって噺ですね」

「別に今時でもないけどな。大祭害以前だって将棋やチェスやなんかの異世界だと子供時代から一流だし。子供を何か無垢で社会的弱者な存在と見下したがるのは大人(笑)の悪いクセ……とまれ、原付免許取るみたいに取れるとは言え、ランナーねえ。今年で少年兵の数は百万になるとか一憶になるとか、非正規を含めればその数倍になるとか」

「ランナーは兵士じゃないですょぅ。異界が一杯の今の時代、治外法権や領事裁判権を問うてたら日がくれます。警察や市役所の窓口は待人を超官僚的非効率さをもって餓死させます。その代わりに、年齢・地位・資格等を問わず、法に守られない代わりに法の外で当事者同士で解決する火付盗賊改方よろしくランナー制度が出来たのですから」

「必要悪なんてのはただの妥協だと思うがな。まあ俺もランナーだけど」

「それに私の様な子どもが生き延びる為にはランナーに成る事が必要なのです。ランナー制度は生命の保証や権利の主張をするものではありませんが、加入に種族や性別や年齢の制限はなく、能力を十分に発揮できる場が与えられます。年齢で成人を決めるのではなく、純粋な能力値で成人を決めるのが今時はなのです。まあそんなのはかつての情報社会で既にやっておくべき事でしたが……とまれ、実際、今や私の様な子どもでも超能力のおかげで普通の大人でも出来ない事が出来ますし、身体障碍児でも機械サイボーグ化すればとても強いです。寧ろアレですね。勝手に弱者扱いして進出の機会を与えない方が差別です。少なくとも安っぽい同情言うだけで実際には何もしない者など無用です」

「児童買春が合法化されて確定申告が受けられるような世界観じゃそれも止む無しか」

「ケイさんってちょっと失礼ですね。私はそういう事はしませんよ。それに少女買春なんて別に古今東西でやってる常識です。それをわざわざ鬼の首を取ったよう言うのは逆にアレですね。頭でっかちです。というかそもそも高級娼婦や神聖娼婦に例される様に歴史的にはむしろ売春は知恵ある素晴らしい職業であり、それを罪とするのは多分に十字架教的であり、子供と女性に無垢性を要求するのもやはり十字架教的です。罪を語る時はむしろその罪の由来を問う事の方が哲学かと。そうすれば、固定観念的な『罪と罰』の公式も、もう少し違ってくるのでは? 悪い理由を問うのです。理性的な科学を信仰する癖に、無意味に人殺しを悪と断じるのは、あまりに矛盾した生き方だと思われます」

「――てな感じの事を、お前のお義姉ちゃんが言ってたか?」

「む、何故バレたし」

「あの人はどーでもいい事にわざわざ小真面目に応える『レイニーデイ・アンブレラ』だからな。けどそれは答えじゃない。『生命、宇宙、そして万物についての究極の疑問の答え』などではない。相手の問いに、手前だけに対する応えだ。俺のじゃない。尤も、あの人なら知ってるのかもしれんがな。けど、あまりアレを信用するな。アレは導くのが上手すぎる。正しそうに見える応えより、自分で出した答えの方が良い時もある……多分」

「『――てな感じの事を、お前のお義姉ちゃんが言ってたか?』(ニヤリ」

「それ解ってて訊いてるのか?」

「(笑)。ケイさんはどんな技が使えるんですか?」

「そうさな、例えばゲーム理論や共感覚よろしく五感で感覚した事を数値化できます。理系の必須科目です」

「理系は凄いなあ!」

「hwは勿論の事、Bはアンダーとトップの差まで解ります。Bが85と言ってもアンダーによってはA~Eまで変わるので何も信用できません。ましてやANIMEの知識でw40以上はデブとかとかW50以上は寸胴とかB77のくせに明らかにGカップとか果ては成長期のステータス描く奴はもうね。因みにヤパーナ女史の平均hwは160の55で、Wは65程度らしい。しかし黄金比はW:H=1:1.4とか何とか[要出典]。数値の大小よりも比率が大切です。此処から更に文系理論を使って相手の言動や友人関係から攻略法を素早く構築する事が出来れば一流の商品勧誘者セールスマンになれるでしょう。所で、俺の言ってること解ります?」

「はいはーい! 身長体重は解るんですが、BとかWとかは何ですか?」

「戦闘力」

「えー?」

「因みに俺の身長は190台で体重は67kgと988オンスと11万カラットと7貫と8.4310431002e+27ダルトンです」

「ほほう? つまり約157kgですね、はー、意外とチョーヘビー級」

「うおっ。はあ、成程」「?」「まあ、駄弁は置いといて」「はい」「お前の〈超能力者サイキック〉としての力を貸してほしくて会いに来た」

 そう言って、ケイはコートの内ポケットから人差し指程の筒を取り出した。その筒に結ばれた紐を解くと、それは「Pop」と煙たくない煙を立てて巨大化し、上腕程の書類に早変わりした。

 ケイはソレをぱらぱらとめくり抜けが無いのを確認してから、「これが仕事の内容書だ。確認して要求または辞退の旨を理由を添えて伝えてください」と言って手渡した。

「因みに、任務主はお前ん所のメリューさんだ」

「えっ、メリお義姉ちゃん!?」

「メリお義姉ちゃん……」その言われ方に、ケイは少し呆気にとられた。次いで小さく苦笑した。随分慕われてるのだなあ、と。「その通り、お義姉ちゃんからだ」

「わ、わー、姫メー様からのご使命ですか! それはそれは至福の指差しです! 曇天から差し込む光です! シンデレラに声をかける王子です!」

「誇張しすぎじゃないか?」

「自慢のカッコキレイなお義姉ちゃんですからして、言葉では足りません! その美しさときたら、80年の修行の元ついに悟りを開いた近所のアシュリータ・シャバニョンさんでさえ一目ぼれして俗物に塗れますからね!」

「もはやイジメじゃないかそれ? まあ、お義姉ちゃんが大好きなんだな」

「はい、それはもうっ! 路頭に迷っていた私を引き取ってくれた我等が家、孤児院〈海の星〉のお義姉ちゃんですからして! いえ、例えそうでなくても、誰だって好きになりますよ。あの人はそういう人です」

「そうだ、まるで夜明けの星の様にな。誰のモノでもあって、誰の手にも届かない。触れなば落ちんと水も滴る風情のくせに、いざ触れれば名前ばかりが膨らんだシャボン玉の様に消えてしまう、全くイライラする存在だ。まるで本番行為の無いホステスだ。いや、しようとしないのは此方側か……」

「?」

「Huh。成程、心が読めたって、理解できるワケじゃないタイプか。現代文の何が必要か解らん奴は、そこん所が理解できん。文章が読めるのと、文章を理解するのとは違うンだ。殊になまじ読めると、それに頼りっぱなしになって――釈迦に説教だな。とまれ、『心意気だ!』という事さ。男って奴ァ……」

「おお、『モン・パナッシュ!』ですか。カッコイイですよね、シラノさん」

(やべ、知ってたか……)

「あ、でも一番はお父さんとお母さんと弟ですけどね。お義姉ちゃんはその次です。例え天地が引っくり返ろうとやはり家族が一番です。例え社会的に悪になろうと家族が見守ってくれるなら頑張れます。いやそれ以前に悪い事は悪いと言ってくれるのが良い親と思いますが。ゆーて物心付く前にコッチに飛ばされたので顔は良く覚えてませんが」

「それ親に異能者として迫害された哀しい過去を記憶改竄してるとか、ナイ?」

「えー? うーん、まあそういう事も出来なくはないですが、もしそうだったら調べようがないですよ。お義姉ちゃんに訊いてください」

「いやいや、冗談だよ。真面目に取るな」肩をすくめ、ケイはあまり問わなかった。そういうのは、自分の問題ではない。「とまれ、なら、手伝ってくれそうだな」

「あっ、それは、そのう……私で役に立つなら、立ちたいですが」

 だが路花はにこやかな晴れ顔から空気一転、怪しい空模様の様に手をもじもじした。それにケイは「んー?」と言って、すぐさま察したように「あー……」と言う。

 というのも路花の格好があまり傍目で見ても良いとは言えなかったからだ。元々は女学生らしい今時の服装(よりは幾分か大人しめだろうか)だったのだろう、しかし今の彼女の服は、言葉を選ばなければホームレスのようなソレだった。RPGの初期装備「ただの布」でもまだマシな防御力を発揮しそうだった。

 糸がほつれ穴が開き古着にも使えない程に崩れており、肌は油か泥か薄らと黒ずんで汚れている。髪はボサノバと痛んでおり、爪先はどうやって切っているのかガタガタだ。路上生活児童ストリートチルドレンに紛れても溶け込む程である。それに、それにだ、まあ、何というか、ああ、子どもといえ女性にこう言うのは何なのだが……少し、臭う。

「ダメージ加工ですよ」

 と路花は「HAHAHA」とあっけらかんとそう言った。ケイは冷静に「んなワケないだろ」とツッコむ。

「仲間の調子を調べるのも仕事の内だ。どういう状況なの?」

「だ、大丈夫ですから。路花は大丈夫です」

「いや、それは俺で決めるから。取り敢えず、情報出して?」

「あの、その……」

「大丈夫、怒らないから。ただ情報を纏めたいだけ……ってあー、かなり事務的に話してたな。スマンスマン、ちと真面目に行き過「パキン」ぎっ?」

「過ぎ」の「ぎ」、の部分の声がやや裏返った。何故ならその発音の瞬間、路花の姿が硝子を割る様に掻き消えたからだ。

「――――ッ! お、おお……」

 一瞬、第三者の攻撃かとケイは身構えたが、いや、何て事ない。超能力者にはよくある事であった。その実、路花はすぐにまた空間が割れる様にケイの目の前で現れて、そしてまた頭を避けてこう謝った。

「す、すみません、逃げるような真似して! 場が悪くなると無意識に瞬間移動で跳んでしまって! いや、その、普段はちゃんと自制出来てるのですが、その、何というか、漢というか、ロンというか、ポンというか……」

「ハハハ、いや凄いな。ビックリしたよ。凄い喪失感だった。滅茶苦茶何かとんでもない間違いをしてしまったんじゃないかと思ったぞ」

「ごごごごめんなさいっ」

「いや、いいさ。能力の暴走には慣れてる。電気ネズミよろしく雷落とされたりしないだけマシさ。とりま、まあ、落ち着こうぜ? 飲み物でも買ってこようか?」

「え、あ、はあ……いえ、結構です」にこやかに話しかけてくるケイに対し、おっかなびっくりそう言った。手慣れている、そう思った。まあそうか。そうでなければ、こんな世界でやっていけない。「ぢ、ぢゃあ……自分、身の上噺いいスか?」

 それに対して、ケイはにこやかにこう応えた。

「一行でまとまるなら」

「私の一カ月にわたるという逃亡生活を一行で!?  さっきと言ってること違う!」

 やはりすぐに信用するのはどうかなあと思いました。

「いや、噺を聴かせろとは言ったが、噺を聴いてやるとは一言も言ってないぞ? つか、お前の人生はそんなに大層なモノなのか?」

「ふぐっ。そりゃ、私は、ナルシーじゃありませんので……ごにょごにょ」

 路花はケイから眼を逸らして口ごもった。決して自分の逃亡生活が無駄なモノじゃないと信じたいが、だからと言って胸を張って言える事でもなかった。

「……ある山ンば曰く、『やさしいことをすれば花が咲く、命をかけてすれば山が生まれる』、とか何とか」しかし、ケイは何だかんだ言ってアレである、口ではどうこう言いながらやっぱり助ける感じのキャラである。故にこの時も何時もの様に、「やれやれ()」とでもいうようにため息をついて、こう言った。「仕方ない。金をやるから、何処かで新しい服でも買って、風呂にでも入って来い。お前のその逃亡生活とやらは、その後で聴いてやる」

「え、ええっ、私の様な見知らぬ少女の為にお金を恵んでくれるとは……株でも売ったんですか? 生命保険に入ったんですか? はっ、もしや見返りにアッチ系の事を」

「路花君、ネタでもそーゆー事言うのは止めれ。お兄さん心配しちゃうな」

「美味い噺には裏がありますから。『Equivalent Exchange』。何かを得ようとするならそれと同等の対価が必要です。いやむしろ無ければなりません。それをおざなりにすれば、闇金に怯えるくらい不安な人生となってしまいます。無償の愛は親とGOSHだけです」

「(また大人びた事を……)いや、親だって信用できない奴は出来んぞ。半分ずつしか血は繋がってないし、親同士は血が繋がってないし、繋がってたら色々とイヤーンだし」

「Hmm。そういう人、あまり好きじゃないです。親は大切にしないといけませんよ? どれだけ歳を食ったって、親の子供は親の子なんですから」

「あー、はいはい、解りましたよ、Understood。とまれ、ま、良いんですよ。人助けなんてもう職業病クセみたいなもんだし、お手軽な自尊心の回復さ。君みたいな可愛い子なら誰だって助けるよ。つーか良いも悪いも、そんな成りで連れてたら世間の方が黙っちゃいないよ。おっと、けれど俺は英国紳士じゃないからな。養ってもらおうなんて思うなよ。俺は俺の許容量以上のヤバい事には責任持たないからな」

「むっ、見くびらないでください。私はヒーローが居なければ何もできないヒロインではありません。けど、ありがとうございます。おお、ブルジョワジー! おおブルジョワジー! 男の人に奢ってもらうのは初めてでつ。ならば、心置きなく手伝いましょう! うえっへっへ、路花はきっと頼りになりますぜ、旦那(親指グッ」

「親父臭い言い方だな」と、ケイはそんな路花を見て、肩をすくめて軽く笑った。莫迦をやる子供を見る目だった。優しい目だった「ま、手伝わないからと言って、金をやらんという事もしないよ。元からそんなに期待していないしな。あー、悪い意味じゃなくて、俺はソロプレイヤーでな。お前に会ったのもメリューに言われただけという事だ。まあ尤も、メリューが選んだ人材ならそれなりに一芸がある奴なんだろうが……」

 紹介者の信頼を被紹介者のソレとごっちゃにするのは危険だが、それでもメリューは力のない奴はよこさない。もし少し足りずとも、コチラが縁の下になれば役得か。今の彼女は万全ではないようだが、まあ何とかなるだろうとぼんやり思う。

「一芸どころか多芸です! 罠を作って犬や鳥を捕まえられますし火も起こせられますし食べられる草やお金くれる人が集まる所も一杯知ってます!(ガッツポーズ)」

「器用貧乏って言葉知ってるか?」

「すみません、自分はチョキしか出せないザリガニです(ダブルピース)」

「それ宇宙忍者の前で言ったら『フォッフォッフォッ』て言いながら凍らせられるぞ」

「不束者でスミマセン」

「不束かどうかは俺が決める。手前の価値を手前で勝手にするな」

 やはり心配になって来た。いや、メリューの人の眼を疑うわけではない。ただ、今の彼女は妙に躁うつなようだった。ケイにはそう感じられた。

 しかし仮にも仕事を受けるならプロである。生きているのなら風邪を引いたり冷静じゃなかったりする時もある。だがプロならば、例え万全の状態で無かろうと、何時如何なる時であれ常に依頼人の納得のいく能力を発揮するものだ。というか、そうでないと困る。

「むむむ……解りました。仮にも私を頼って来たなら、無碍にするわけにはいきません!」

「ハッ、そうかよ。成程、実にアイツの義娘らしい。なら、頑張ってもらおうかね」

 ケイはそんな思いを込め、少しキツく路花に言った。タバコの火を消し、立ち上がる。

「は、はい! ケイさん!」それを聴いて路花も心を決めたのか力強く立ち――「解りましたあぁぁんっ!?」

 上がろうとしてヘンテコなポーズのまま固まり、そのまま無様に頭から地面に墜落した。どうやら足が痺れてしまっていたようである。そりゃあ、硬いベンチの上でずっと正座していきなり立とうとすれば無理もない。下が混凝土ではなく土の地面だったのは不幸中の幸いか。いや、そう変わらないか。

 ケイは路花が落ちた瞬間に思わず左眼を瞑り、鈍い音を立てて落下した路花はうつ伏せになったままピクリと動かなくなってしまった。返事が無い。ただのBUZAMAの様だ。

「……大丈夫か?」

 とケイが辟易そうにも億劫そうにも紳士的に手を差し出すと、路花は「GRRR」とくぐもった声で返事した。いや、声というか、この音は……

「あ、あのー」路花は地面に倒れながら、ゆっくりと顔を上げた。「お仕事の前に、ご飯奢ってもらえると嬉しいなー……なんて」

 上目がちに愛想笑いする路花に対し、ケイは呆れたように半笑いした。



 ――――第壱幕 第壱場 終

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