誰もがヒーローになれる街 ―thy name is―
(長方形の舞台。その舞台の上にもう一つ、「彼方」の客席と舞台がある。向かって右側が観客席で、左側が舞台の舞台。それ等を左を奥に斜に見ており、それぞれの断面が見えている。彼方の舞台の緞帳は暗い紅で模様はなく、その緞帳の両端には演奏家と蝋燭の光。その中は未だ暗く、観客席には人がちらほら集まっているが騒がしく、売り子がいる。そこへ、一人の道化師、舞台の舞台の断面の前を左横幕から中央に歩く。舞台の舞台の観客はそれに気付かない。道化師、「此方」の観客に語るには)
道化師: 私は影法師、憐れなピエロ。さて皆様、賢明なる、あるいは愚明なる市民の方々、喜びと、あるいは哀しみを得ようと集まった老若男女の皆様、今日は劇を見るのに相応しき日です、あるいは昨日も、明日も。どうか尊い沈黙を守っていただけますよう、あるいは彼等と我等と共に踊っていただけますよう、お願い申し上げ、私の事はお忘れて構わない。何故ならこの想いは、片想い。何時か語るが物語。届かぬ思いは夢語。さすれば夢物語とは、何時かを偲ぶ恋の様。全ては何時か想い出に成る。そして事ある毎に思い出す。半ば忘られぬる古き物語の如く、初恋や始ての友情の如く。それを後悔する時が来るかもしれませぬが、それもまた、思い出に。――さて、少し長く来ましたな。ツマラヌ戯言ながら、我が思いが伝わるか、心配なのでございます。しかしあまりの言葉は無粋。そろそろ、幕を上げてみると致しましょう。星の如く散らばる無数のト書きは、装置の乏しい舞台でありますが、それ故に皆様の反応により、如何様にも姿を変え……。
(道化師、右横幕へ退場する。それに合わせて彼方の幕が上がる。舞台、上がった時に人物はおらず明かりはない。次、語り手、独白)
お前は何がしたいと語った時、果てしなき闘いの幕が開ける。
何時だって問題はそればかり、何時だってそれを考える、
この世界という舞台で、自分は何を踊るかを。
その「何」が何なのかは解らない、はった誰も教えてくれやしない、
自分はこのままでいいのだろうか、この毎日に意味はあるだろうか、
そもそも答えはあるのだろうか、あってもその答えで満足できるのだろうか、
答えを問う己が何者かも解らないのに。或いは、問う事を止める事が解答か?
だけど前へ進んで行く、何も成せないというのなら、
それは初めからいないのと同じだから、それは寂しいものだと思うから。
だから、それを何か素晴らしいモノだと思い込んで、今日も往く。
誰もが寝静まった夜に旅立ち、闇を斬り裂く星を追う、
朝日に追いつかれない様に。
風を歌に、星を客に、
今日もまた月の下で踊るのだ――
序幕『誰もがヒーローになれる街 ―thy name is―』
「バカばっかりだ。世の中はバカばっかりだ。全く、ムカつくぜクソッタレー」
其処は星条旗がはためきアンクル・サムと世界を照らす自由の女神の御座す「New Glory」と呼ばれる合衆国のかつての首都であり今の首都、夢が現実になる街「Big Malus Seed」、その東か西辺りに建つとある安っぽいが小洒落たファミレス。客の楽し気な会話に混ざり、少しアップテンポなジャズが流れる。壁には綺麗な壁紙の代わりに客が自由に描ける黒板があり、映画か何かであろう台詞から今日の献立のメモ、リアルタッチの似顔絵から漫画の一場面を描いたものまである。カウンターには音楽の流れる四角い黒い箱が在る。これは店の備え付けだが、この近くに陣取った者は勝手に使える。ジャズ程にはほとんど客の駄弁る喧騒にかき消されて聴こえないが、今も音楽が流れていた。歌詞はこうだ。「Amazing grace! How sweet the sound. That saved a wretch like me! I once was lost but now am found; Was blind but now I see―」――時に、主を讃美する歌までCドッグが光の剣を振り回しちゃあ、何かもう色々と残念だと思う。高校教師の親父が教え子と心中するくらい残念だ。閑話休題。
そんな雑多な者達が思い思いのランチタイムを過ごす中、車が右往左往するのが見える窓をバッグに、如何にもチンピラめいた男が大きく身体を椅子に預け、ナポリタンを五つ又の食器で突ついていた。ラフで薄汚れた格好であり、見た目と品性は一致している。その喋りは軽い感じで、口調と知性は一致している。
ナポは勘違いしたラーメンのようにトマト風味の赤い油だまりでギトっており、熱湯で茹でたというより冷や水でふやかしたと言っていいパスタは噛むたびにグミよろしく歯にネトつくという塩梅だ。煙草の煙で炒めたような不健康な野菜の歯ごたえたるや安物のタイヤかと思うほどで、その味たるや一切合財味付けがしておらず素材の味を存分に生かしているように思われた。クールだね、ステキだね。よく食べるよ。
「よくクソッタレな映画で悪役が弱い者イジメしたり、ガキが『殺すぞ』とか云ったり、主人公に銃向けて『お前に俺が倒せるかよ』なんて笑うクソシーンあるだろ? アレを見せ付けられるたびに俺ァ『なーんであんなに自信満々なんだろう』って思うワケよ。そういうクソッタレは決まって自分がやられそうな時にこう言うんだ、『助けてくれ、殺さないでくれ』ってな。とんだピエロだよ、ムカつくぜだぜクソッタレー。ああいうクソを見せ付けられるたびに俺ァ頭が痛くなる。バカな奴ってのは見てるだけで腹が立つ」
だが安男は気にせずそれを食っちゃる。特に味も気にせずに、むしろ不味い方が刺激的だとでもいうように。男は下品な音を立ててナポをすすった。
「そうね、バカは嫌ね。バカは嫌」
一方、その男の台詞に、男の目の前に居るブロンドヘアーの女性がそう応えた。5ドルのストロベリーセーキをもて遊ぶようにストライプの筒でジャラジャラ掻き回す。
見た目は一級品で、大人の女性で、何処ぞの家出したおじょーさまという感じ。高級ワインの様な芳醇さ、上流貴族の様な優美さ、天才絵画の様な艶めかしさ、天然果実の様な瑞々しさがある。一方、その言葉や仕草はあどけなく、幼い。利発そうな顔にかかわらず、男の声に相づちを打つものの、ちゃんと考えて打ってるかどうかも解らない。田舎の生娘の様な無防備さ。淡く微笑みがちな顔は、眠たげな子供にも見える。
しかし、男はそこに惹き寄せられる。「男」と言っても、ナポを食ってる男ではない。性別的な男なら、例え人間の男でなくとも、魅了されずにはいられない。それは物理的なモノではない。呪いに似た、精神的、存在そのものから来る魅力である。
伝わるだろうか。此処に感じる蠱惑を。その愚かさが女を見た目より滑稽に、子どもに魅せ、しかしそれでも解ってしまう上品さが、性的魅力が、一層その愛らしさを引き立たせる。道化師の言葉を借りれば、「極上の酒を醸すには混じった色を賑やかに、澄んだ処を少なくして、間違いだらけの間から、真理の光をちょいと見せる――そうすれば後は勝手に、相手が都合の良いように解釈するものだ」という所か。さながら「I keep my undies in the icebox」とでもいう様に、客の要求に応えるためにわざとおバカなフリをする「黄金の髪の美女」の様に。例えその台詞の意味が解らずとも、地下鉄の風に舞い上がるスカートのシーンなら知っているだろう。尤も、実際に見た事のある者はその知名度に対しては少ないだろうが。実際のシーンはあっさりだ。とまれ、彼女はまるでマリリンであった。言うなれば、身体の完成度に追いつかぬ知性を持った「歪んだ卵」。何時までもネバーランドの住人でいたい「永遠の叡痴」であった。
そして何よりエロい。滑らかな髪、張りのある肌、豊満な胸、曲を描く腰、眩しい太股といった見た目は勿論、その言動、身体を壁に預けたり、憂うような流し目で見たり、ストローを口で咥えたり、そんな仕草がどれをとっても一々エロい。男ならば見ているだけで股座が熱り勃つ。「魔法の薬」の様に本能を殴り付けて来る。それでいて安物娼婦の様な低俗さは無く、むしろ逆。その愚かさは、愚かを知りながらやる高貴の児戯。
そのエロスの前には物事は何もかも児戯になる。その前には、男は皆、莫迦になる。愛才妖精に取りつかれ狂った犬に成る。夜の女王に夢魔の中に誘われ果てる。朱色の月を落とす。その香りの前では上質なワインも泥水と化し、その肉の前では柔らかなパンでさえも自ら腐る。
尤も、そんな神の血と肉の前に居るこの男……この男は別な様だ。大して女を気にせずに、目の前の特に美味くも無さそうな飯をカッ食らう。別にこの女に無関心なわけではない。出なければ、何十年も連んだりしない。しかし今は腹が減っているのだ。だから飯を食べる。それが真理。
いやまあ、マジな所を言えば……妖精に莫迦される以前に、既にこの男が莫迦なだけと言えなくも……まあ、兎も角。
女はそんな男を眺めながら、特に何も思って無さそうなフリをして、その酔うそんなぼんやりした表情で、女はもう一つ「バカは嫌ねえ」と言う。
「そうだ、バカは嫌だ。全く世の中はバカばっかりだ」男はそう言いながらナポを平らげる。お次は日射率の足りない白肌のピザだ。チーズが伸びないので服の汚れる心配はない良心設計。「このクソッタレな世界がまともなクソッタレなら、今ごろ3~4人ヤっている」
「そう言って何時もビビるくせに」
「ビビっちゃいない。ただ狙いを定めてるだけで……」
「『殺すぞー、殺してやるー、絶対殺すぞー』。子犬みたいに吠えている。本当にヤる度胸なんてないくせに。本気でヤるなら、そう言う前にヤるものよ」
「お祈りくらいしたいだろ。いきなりズドンは嫌なもんだ。だが俺はヤる時ゃヤるぜ」
「Bow―wow―bow」
「Bang―brame―bangだ。この前はアレだ、安全装置が外れなかった。やっぱり何時でもやれる体勢で無きゃならん」
「Bow―wow―boooow」
「それ止めてくれ」
男はふてくされた顔をして、それを見た女は「chuckle」と笑う代わりに「bubble」と細長い筒に口を突っ込んで白い泡をたてた。
「俺はヤるときはやる男だ」
「That's what she said?」
「茶化すなよ」
「殺しはイヤよ?」
おもむろに自分の腕を枕にして、気紛れな猫が日向ぼっこでもする様に机に寝そべった。短めの髪が机に触れる。瑞々しい唇から歌う声はベッドの上の様に眠たげ声で、ストロベリーの様に甘かった。
「いいや、バカは全く死ねばいい。バカは死ななきゃ治らねえ。クソ痴呆は死ねばいい。クソ精心患者も死ねばいい。働かねえクソニートも働けねえクソ老人も『死ぬとは思ってなかった』とか『魔が差した』とかいう悪を気取ったクソガキどももミンナ死刑だ。そうすりゃちったあこの世界はマシになる。ええおい? そう思うだろ? しかし誰もそうしない。奴らはスカトロマニアだからな。ゲー、だね」
男は大きく身体を机に預け、ガツガツと食器で皿を叩いた。
「まあそんなことはどうでもいい。確かに少し言い過ぎた。別に俺だって好きで殺しなんかしたくない。ただ、少し緊張しているだけだろう。認めよう。だがやっぱりよ、俺ァは思うに、そういう命乞いするクソッタレはバカなんだよ。だってそうだろ? デメリットはつきもんだ。相手に敵意を向けるなら、自分にも敵意が向けられる事を考えにゃならん。相手に拳を向けるなら、殴られる事を考えにゃならん。相手に指を指すのなら、自分も刺されている事を考えにゃならん。だがその他大勢の大体の奴らっていうのはだ、相手に向けた銃口が自分には向けられないと考えてやがる。全部自分の都合の良い通りになると思ってる。上手くいくと思ってる。自分がピンチになるなんて思いもしない。思考を放棄したクソバカだよ。自分のレベルをわきまえちゃいねえ。己の程度を理解しろって」
「成程納得」憂いを秘めたような、ビロォドの微笑みで女は言った。「で、頭のいい批評家さんは何が言いたいの?」
「だからつまり……」男は残りのピザを平らげて、ロクにかまずに飲み込んで、どかりと椅子に身を預けた。「『覚悟』が必要だって事だよ。何かを成し遂げる時にはよ。『次の瞬間に俺は死ぬ』っつー覚悟がな。そして俺にはソレがある」
そして食後の一杯とでもいうように煙を飲んだ。銀メッキの箱を取り出して、カチリとやって光を灯す。手慣れたように葉先に火をつけ、まるで何度も練習したようにカッコよくピンと蓋を閉じる。葉先が紅く灯って、口から灰色の息が出る。
「俺はバカは嫌いだ。だがバカをするのは嫌いじゃない。皮肉なことにそのバカと覚悟は紙一重だ。FOOLとCOOLは上一重だ。解るだろう?『バカにされる』か『バカたる』か。そこんとこの違いを知っている奴だけが、このクソッタレな世の中に一発キめられる力があるんだよ」
そう言って男はビシリと煙を持った指先を突きつけた。女はそれを微笑してみた。そしてウェイターが「コーヒー如何ですか?」と尋ねてきた。
「あ、ども、ありがとうございます」にこやかに笑いかけて来るウェイターに対し、先まで強気であった男は道端を歩くハトの様にすこすこと頭を下げて礼を言った。「けど、俺、コッチですよ」と言って男は空になった皿を指差した。
「解ってますよー」
ウェイターは笑顔で黒い液体をなみなみと注いだ。
「女給さん、あと彼にサワーグレープをお願い」
「はい、かしこまりました」
「嘘だよ。嘘嘘。いりません」
男は右手を大袈裟に振りながら、女のオーダーに対してそう言った。
「はあ? そうですか。では、ゆっくりしていってくださいね」
「あ、はい、どもー」男はだらしない笑顔で礼をした。礼をしつつウェイターが行った後もウェイターの後ろを見ていた。「美人でポニーテールで声も良くて健康そうな足つきでおまけに胸がデカいと来たもんだ。それに何より肌がキレイだ。女性は肌で決まる。いざヤるとなって服を脱いで、赤めた湿疹や黒ずみの一つでもあったらげんなりだ。女性の良さというものは抱きしめた心地良さで決まるんだ。いや、別に白色主義じゃないがな」
男は下品な笑みを浮かべ、そのスカートのふくらみを横目で見ながら言っていた。
「HENTAI」
女は寝そべったまま、ニヤリと言った。
「ちげーよ人類学だ。つまりだな、可愛い女は男と寝る、子どもができる、血が残る、であるからしてどういうかメスが強いオスを勝ち取りだな、あー遺伝子を残し、であるから強い生存の戦略をだな、どんな女が魅力的で……残し…………DNAを……」男は黒い液体を一気に飲み干した。爽やかな酸味と豊かな香りと心地良い歯ごたえを感じる。新食感。「兎に角だ。俺はやれる。バカをやる覚悟がある。バカを気取る覚悟がある。例えソレが『本当に無駄な努力』だったとしても、いや無駄な努力だと解っていても、俺は敢えてとって魅せる。お前はどうだ。『莫迦にされる』か『莫迦にさせる』か、『笑われる』か『笑わせる』か。どっちだ」
男は女を見つめてそう問うた。女は身体を起き上がらせ、「知れたこと」とでもいうように軽く答えた。
「それは私の決める所じゃないわ」女は身体を起こして言った。「私は影。貴方に従って踊るだけよ」
光を浴びれば浴びるほど、その影は黒く彩るでもいうように。まるで螺旋階段を上る勝者に寄り添う獣のように。女は水が滴る猫のように麗しく湖畔に凍る月の様に妖艶だった。
男はその返事に満足したように煙を消した。
「決まりだ」
Damn、と鉄塊が机に叩きつけられた。それは星のように怪しく黒光りしていた。それはこの小さな塊にどれ程の敵意と暴力を詰め込んだらこうなるのかというような、悪意と反吐の結晶だった。
手にしてみればあらピッタリ、手にスムーズに馴染みます。手軽なサイズながらも鉛を超音速で相手に放ち、ちょっと命を奪うのにこれほど手頃なものはそうありません。しかもこれは安全装置の無い剛の者。リリカルでキルゼムオールな商品です。使い方はにっくき相手に先っぽ向けて、泣き叫ぶ声をガン無視して、ちょっろっと人差し指をただ引くだけ。ね、簡単でしょう?
「今からやるぞ」男は鉄塊に手を乗せてそう言った。「此処でやる」
「トイレは済ませた?」
「ちびる役は俺じゃねー」
「ティッシュは持った?」
「自己満足じゃねー」
「素面かな?」
「酔ってねー」
「またお腹痛くならない?」
「ピザは野菜だ、健康的だ」
「忘れ物は?」
「コレとお前があれば十分だ」
「そう」女は満足したように眼を閉じて、ゆったりと最後のシェイクを飲みほした。「じゃ、やる?」
「やるともさ」
そういうと、男は手を女に向けて突き出した。親指、中指、薬指の三つをくっつけて、人差し指と小指をピンと張る。女もまた男に習ってその形にして手を突き出す。そして前者の三つの指を「chu」っとそれぞれくっつけた。
「愛してるぜ、ハニー・ムーン」
「私も愛してるわ、マイ・フェア・クラウド」
男と女は楽し気だった。女は実は気付いていたようであるのだが、だから男は最後の最後まで気付かなかった。男は黒光りする鉄塊を持ち、皿を踏みつけコップを倒し、机の上に立ち上がった。
「野郎ども強盗だ! 静かに頭を下げて手を上げろ!」
「はいはーい、英雄になりたいなら今の内よ。天国で自慢できるわよ~♪」
それに続いて先までのゆったりとした雰囲気はひらりと一転、気紛れな猫はおてんば姫へと早変わりし、軽く踊るような手つきでふらりと立ち上がる。その横で、おてんば姫を抱きかかえ、銃口をチラつかせる騎士様曰く、
「変な真似はするなよ! でねえと俺のバレットで手前らのケツマンコ犯しまくってヒイヒイ言わせてや『BOOOOOOOOOOOOOOOM!!!』」
爆発音が鳴り響いた。しかしそれは男の黒物のせいではないし、女のせいでもありはしない。ファミレスの窓の外、何か大質量の物体が、急速に地面に落下した音だった。ファミレスはすっぽり影に覆われて、辺りが「しーん」と静かになった。音が逃げ出したようだった。男と女はゆっくり後ろを振り向いた。ファミレスの客もそれを見た。
けれど見ずとも解っていた。それは何処かもう既に、使い古されたお約束の様に、ホラー映画で鏡に何かが映った様に、次の展開が解っているかのような振り向き方だった。
交通がバッタリ消えていた。今しがたまで右往左往していた車たちが消えていた。代わりに視界一杯に灰泥の塊が座っていた。巨大なグミ。というかクソ。「なまけものの鏡」よろしく脂肪の塊で膨らんだ蛞蝓。十階建ての建物を超える巨体。驚きでやや誇張が入っているかもしれない。固形のようでありながら液体のような流動体。弾力を持ち糸を引くような腐った図体。増殖する癌細胞の肉塊。スモッグを溶かしたスライムといった塩梅で、如何にも不健康そうで不味そうな色である。黒い、というより光がない。痣の様な死斑と土左衛門の様な腐敗具合は赤鬼レベルを超えており、バスタブでその身を洗えば水が野菜屑か吐瀉物の様にぐずぐず濁る。身体を画く規則正しい混沌模様は連続的に運動し、下水の様な、煮磯の様な、色々なモノが混ざって腐った匂いがする。しかし量だけはあるようで、それを物語るように道路は砕かれ陥没していた。
みづかね(アルゲントゥム・ヴィヴム)は本体は表面張力と自重と重力により楕円体を維持しながら、アメーバの様に触手(?)をウネウネさせ、道行く車を喰べていた。というよりも飲んでいた。車は触手の中に吸い込まれた。吸い込まれているのは車だけではなく、交通標識、信号機、電光掲示板、辺りの建物、そして生物までも呑まれていた。呑まれた者はコークに入れられた様にじゅわっと溶け、或いはハエ取り棒よろしく外側にくっつき、いずれにせよソイツの一部となった。その身体には肉や植物や機械やゴミや様々なものが合わさっていた。
凡そありえない光景だった。まるでパニック映画のワンシーンのようだった。頭が可笑しくなったと思っても仕方なかった。
全く持ってスケールが違った。
だがそれはCGでも心の病でもましてや酔ったワケでもない。事実であり現実だった。真面目であり素面だった。明確な真実であり確固たる「本物」だった。その光景をファミレスの観客達は辟易した顔で眺めていた。青空から女の子が落ちてきたような顔だった。「青天の辟易」という奴だった。客は「ああ、また何か起こったのだな」と頭を痛めた。
灰泥はファミレスに向かってナメクジの様に這って来た。触手を先に先行させ、パーキングエリア停められてあった車をクッキーの様に取り込んで、看板をプレッツェルの様にスっこ抜き、看板を板チョコのようにバリバリ砕く。徐々にその巨体がファミレスに近づき、近づくほどに異臭が漂い、漂うほどに空気が汚れ、汚れるほどに「ぐじゅるぐじゅる」という軽く正気度が失いそうな音が染み渡る。
――BRAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAME.
そして灰泥が口を開いた。正確に言えば口ではない。というか何処が口だかわからないしそもそもあるのか解らないし、どっちが前か後ろかも解らない。ただ身体の中心辺りがぐぱっと横に割れただけだ。それが口だと観客達が思ったのは、腐った生卵のように滴る灰泥が涎に見えて、アレが物を取り込む場所だと解って、アレに入れば命が終わると思ったからだ。そしてそれは実際そうである。喰われればスライムの一部となろう。しかし観客達はその場を動かなかった。理由は単純明快で、逃げられないと解っていたからだった。
灰泥は大きく口を広げ、ファミレスに覆いかぶさるように身体を倒す。太陽の光をさえぎって、ファミレスが全て影に包まれる。徐々にその巨体が落ちて来る。
空に開いた穴のように、太陽を喰らう蝕のように、地獄の釜の蓋が開いたように、勉強していない試験日のように、何十分とかかる停車駅までに迫りくる便意のように、どう考えても納期に間に合わないという絶望にも似た仕事のように、ゆっくりと、だが確実に。
「お、お、お……」
そのような一連の出来事を、黒物を握ったままの男はそれを呆気にとられて見つめていた。口をあんぐり開けたまま、身体と銃口を客に向け、顔だけをの灰泥に向けていた。男は自分が何をするつもりなのだったかさっかり(さっぱり+すっかり)忘れ、客の方も強盗のことなどさっぱり忘れていた。男の今日のハイライトは、すっぱり異形の怪物に取って代わられたのだった。
だが男はそれで終わるような役ではなかった。他の客が驚き眼を見開き何も言えなくなる中で、男は何かを言おうとしていた。バカをする勇気があったのだった。口先だけではなかったのだ。
だから男は言うのだった。バカげた男なりのその言葉を。男は異形の呪縛を切り払い、その場所男はなけなしの力をもってこう言うのだった。四角い黒い箱から流れる厳かながらも優しい音が終わると共に。
《それでは次の曲イってみましょう!『Sugar, spice and everything nice』な『ノナメア』が送るグルービーなニューシングル、曲名は――》
「お、お助け――――っ!」
巨体がファミレスに落ちると同時に、しっかりとオチをつけたのだった。ずしーん。
『WUUUUUUUUUUUUUUUUUUUUUUUUUUUUWWWW!!!』
転調(Modulation)。地震警報を知らせるが如く、けたたましい騒音が街全体に鳴り響いた。それは異形が出現した標。何、ジャンルは何かだと? パンク? /メタル? オルタナ? そんな分類は学者か資本家か近代合理至高の設定好きに任せて置け。つーかどれもロックじゃねえか。ムカつくぜクソッタレー。うるせえ、えんびフライぶつけるぞ。兎に角、一等ノれる奴だ。ぐだぐだ言う奴は薙ぎ払え。その力があるならな。
そしてソイツには、ソレがある。それを証明するは今なお響く軽快音。ヤバい奴が現れた緊急警報。うるせい奴らがバカ騒ぎのまた舞台を始め合図である。
「何だ」「何が起こった」「オイ見ろよ」「何か巨大なものが」「現れた」「おはぎか」「ゴミ袋か?」それとも「ボルボックス?」「何が何だか解らんが」「逃げた方が」「いいようだ!」
幕が上がると共に入り乱れるは黄色や赤の歓声狂気。闇鍋の如くあらゆる役者が目マ狂しく掻き混ざる。それら役者は何も人間族とは限らない。
名前はまだないとでも言いそうな寝子族、首から下が鳥の風翼族、生ものな身体を持った海人族、八本の手足を生やした蜘蛛族、馬の下半身を持った騎馬族、そんな獣人や人獣はまだ解りやすい。単に耳や尻尾が記号で付いただけはなく獣も獣、獣の部分は全身毛むくじゃらで全く獣で、人っぽいのは二足歩行という所だけ。
同様に美麗で耳の尖った白星族、髭を生やした銀地族、大人でも1mにも満たない中人族、大きな体躯と怪力を持った隠霊族、小さくてヘンテコな小鬼族といった亜人も解りやすい。
だが中にはまるで不可解な者もおり、頭だけが四対の足を生やして走る者、逆に首から上が無い者、衣だけが何かの形をして浮く者、生魚に生足を生やした者、黒髪で作った丸長帽子に眼玉を付けた者、一対の翼を回転させて飛ぶ球体、螺旋するのっぺらな者、太い楕円体に細い一対の脚を生やした者、空を飛ぶ極彩色の粘液、四肢や眼口といった器官の複数ある者。超現実主義の体現者であり、ヒトにとって既存の生物をちょっと改変しただけでは済まない者もいる。
彼等は異界者。外の世界から来た異形者。この世界に招かれた客人。見知らぬ国から来た異人さん(エトランゼ)。誰も見知らぬ異邦人。
その様はまさしく「Nightmare City」。怪物達が飛び回り熱狂極まる学園祭の中、集音拡声器の許容量を突破した様な音が炸裂する。うごめく輩は百鬼夜行の妖怪跋扈、夜を練り歩く魑魅魍魎。奇妙奇天烈摩訶不思議。ベントラーがエイリアンでぬらぬらゆらゆらげっちゅーどんちゅー意味不明。超常怪物大集合。実に様々な姿、形、色の者がそこにいる。人外の者が其処に居た。彼等彼女等其れ等が演じる役は様々だ。
一つはとにかく逃げる役。
「ヤバい逃げるぞ!」「押すなバカ!」「落ち着いて行動してください!」「『皆逃げろ! あのドロドロに触ると死ぬぞ!』」「キタッ! 俺達の王がキター!」「『憂鬱な世界を踏みつぶしてくれ!』」「『いあ! いあ!』」「神いいいいいいっ!」「向こうでやれえっ!」
静かに大人しく座って見るというやり方は此処の観客は知らないようです。というよりも役者と観客という境目があるのかどうか。敵は観客席さえも呑み込んで、縦横無尽の大乱闘。ならば観客さえも此処では役者と成りましょう。
そこに高い風切り音が鳴り響く。重苦しい音と大袈裟なアラームを斬り裂いて、快活なプロペラ音が鳴り響く。
《WARNING!! A HUGE UNKNOWN CREATURE “MAD MUDDER” IS APROACHING FAST!!(訳:ヤバい。)
毎度よろしくコチラ『ナンチャッテ・ニューク・ネットワーク臨時放』略して『NNN』! 今日も独断と偏見に満ちた面白いニュークなニュースをお届けします! 真面目に聴くと損するぜっ! 実況はワタクシ、【麗しき霊人】テルーがお届けします!》
もう一つは高らかに状況を伝える役。
拡声器が空気の振動を増幅させ、空に高音が鳴り響いた。そこには空飛ぶ回転翼機がいた。乗員は後部座席に音声変換器を持った文字通り透き通る肌を持った半人半霊の女性と撮影機を持った背中に黒翼と口にエラと毛むくじゃらの脚を持った合成獣人の男性。操縦者は旧来の人間族の男である。彼ら彼女らは回転翼機に乗って現場を撮影していた。
《さーて何処からともなく現れた灰泥の申し子ガルガンチュア・ブラックホール! 乾留液のようなげちょげちょだー! 彼奴は街を西に向かって進撃中! 脱兎も野次馬も車も建物も障害物も呑み込んで、ネトネトと道路を爆走中! 大気が怒りに満ちて耳がいてえ! 鎮まれっ! 鎮まりたまえーっ! 何故その様に荒ぶるのかーッ!》
興奮しているのかそれとも地なのか、カメラマンに「今にも飛び降りるんじゃないか」と心配そうに襟元を掴まれながら霊人は開けたヘリのドアから実況する。と、
――Blink.
《ん?》チカチカッ、と遠くで光が瞬いた。その次の瞬間、《うわっ!?》Snap!、とシャッター音の様な音と共に、ヘリの後方から飛び魚の様な光が奔った。それは灰泥に正しく当たり爆発し、炎と煙を巻き上がらせる。霊人は驚いて着弾点に眼を遣って、次いで発射点に眼を返す。
そこには戦闘機の集団がやってきていた。そのその下には大仰な甲殻に身を包んだ装輪装甲車が丸蟲のように灰泥に向かって突っ込んでいく。
《おーっと我後方に機影発見!『P/TH―21型』に『PBⅡ』! 皆様空にATTENTION PLEASE! アレ誰だ!? 鳥か!? 飛行機か!? 否! アレは天使! 黒い天使! 天使の師団『特機隊』! 袖幕から地獄の使者の御到着ダァー!》
装甲車から出てきたのはこれまた大仰な甲殻をしょった物々しい重歩兵。莫迦みたいな大火力備隊。彼等はもう一つの敵に抵抗し闘う役。誰がために戦うサイボーグ戦士。
国土安全保障省対界局特級特殊機動隊「SSS(Super Special Service)」。異界という彼岸より来た異形者に対する為に新設された異界専門の組織である。
SFよろしく「VANQUISH」な攻殻武闘服の強化外骨格に身を固めた彼らは「界異」と呼ばれる超常事件に対して作られた特別の機関、その中でも特に戦闘に秀でた少数精鋭、資格や経歴を無視した実戦主義、階級なしの「人の狼」である。
素での実行能力は勿論の事、彼等が着る論理的な人間工学のうんぬんが超理論的な物語学がどうこうして造られた戦闘衣はオーパーツと呼べるほど凄まじい実行能力を備えているとされており、単体で戦車並の攻撃力と防御力と戦艦並の火力装備と小型宇宙服並の環境適応能力と攻撃回転翼機並の機動力と戦闘機並の速力があるとかないとか言われてたり言われてなかったりするとロボット工学の権威が言っているらしいのである。
《目標、何かヤバ気な灰泥! 無闇に攻撃するな! 触手に注意して接近する!》
司令と思われる者がそう合図した。chが自動照準され念線で部隊に合図が伝わる。それに対して部隊があれこれ応う。
《しゃーらっせーご命令承りましたぁドゾー?》《アイコピー》《し、静まれ、俺の腕よ、怒りを鎮めろ……仲間まで攻撃するんじゃない……ッ!》《消えろ消えろ消えろ消えろこの世は束の間の影法師死ね死ねね死ね皆全て死ね》《主よ、我に力を》《ザコにしては図体がでかいな…じゃまだ》《図体がデカいからって鈍間じゃないぞ! 鞭が来る!》《死ぬがよい》《腐ってやがる……まるで電源コード入れ忘れた夏場の冷蔵庫の中身のようだ》《そう言えば俺、この前、リュックに魚肉ソーセージ入れてたんだけどドロッドロに溶けてさー。いやそういう事件あったよねって話。五年前に死んだ子供の遺体がドロッドロに》《ヒャッハー! 汚物は消毒だあ!》《ヘドロなどあの戦いの中ではほんのチャチな兵器に過ぎぬ!!》《不謹慎ってレベルじゃねーぞ》《つかーコレ「人類が生み出した悪夢」じゃね?》《何あの……何?》《取り敢えず撃とうぜ! 殺せば死ぬ!》《クロォック・アァップ》《メインシステム、戦闘モード起動します》《Kilroy was here!》《じゃー戦争映画はどーなのさっ》《遺伝子の欠片まで焼き尽くしてやるガガガー!》《Урааааааааа!!!》
《山戯てないでサッサと行くぞ!》
《《《了解、隊長(Sure, sir)!》》》
強化外骨格の脚部を〈歩〉から〈滑〉に変更。足部の底から車輪が現れて、電気駆動により急速に回転する。混凝土との摩擦により加速し、「Kiiiin」という甲高い音と共に灰泥に向かって展開する。その姿は獲物に向かう狼のようであり、意思疎通の取れた蜂の様にも思われた。
それらは一瞬で灰泥の触手に薙ぎ払われた。
《《《こんなハズは――っ!?》》》
もう一つは抵抗し闘う役、もといその他大勢よろしく呆気なくやられる役。
御覧の通り演じられる役は様々だ。逃げ惑う人間達。破壊される建造物。神の到来を確信する信者。銃を撃ちまくる自警団。げちゃぐちゃに進撃する灰泥。いっぺんに阿鼻と興歓に包まれる。その光景は正に「核の落とし子」でも現れたかのようなガンギマリなムービーショー。先までの喧騒に包まれしかし見た目は平和だった街は、今やパラリラとラリったように大喧騒に包まれる。それを半霊は実況する。
《おーっと特機隊あえなく撃沈! ちとウェイト差が厳しかったか!? しかしこの灰泥何処へ行く!? 目的地は無何有郷、此処じゃない何処かへ真っ死ぐ……ららら? 頭に影か? いや、そんな! あの触手はなんだ!? って、うわああああああ! こーどをあげろーっ! 触手がコッチに! コッチにいいいいいいいいいいいい!?》
そして逃げる者が居れば向かう者がおり、謎があるところには探偵がおり、敵がいるところには彼らがいる。演じられる役で尤もスポットライトを浴びる役。
拍手と喝采を万雷に浴びるであろう、その役は――
《うわあああ「うらあああああああああああああああッッッ!!!」》
一閃にして七つ、光が闇を斬り裂いた。高音の悲鳴に低音の雄叫びが重なった瞬間、ヘリを叩き落とそうとしていた灰泥の触手が斬り裂かれた。更にソイツが「SNAP」と指を弾くと、
「我流抜剣術――〈伝雷(DEENRAY)〉!」
斬り裂かれた触手の斬口から「CLAP!」と電撃が奔った。それはウサギかヘビのように触手を跳ね飛び回り刺し貫きそれ自体が刃と化したように触手を斬り裂き、あっという間に触手を根元までボロ雑巾のように引き裂いた。灰泥の何処が根元かはさて置いて。
だが一本切っただけでは触手の猛攻は止まらない。千切りにされた触手を呑み込んで、我先にと次々と新たな触手が喰らい付く。
「我流抜剣術――〈風牙(HUGA)〉!」
その叫びと共に男が「武音ッ!」と剣で線を描くと、その剣筋から見えない風が発生した。一線の気流は凄まじい圧力と鋭利さを持って男に襲いかかる触手に襲いかかり、それらを見えない刃で断ち斬った。
その様はまさに疾風迅雷快刀乱麻。歓喜のままに銃火の最中に飛び込んで、バッタバッタと目に映る敵を薙ぎ倒す。
彼こそがスポットライトを浴びる役。光の下で踊り狂う役。拍手を浴びる役。喝さいを浴びる役。そしてそれ以上に畏怖と異様の眼を浴びる役。その役とは――
《Hero is Here! 彼等が参上! ドラゴン倒す英雄ダーッ!》
何処からともなく颯爽と現れ、ヒーロ―よろしく悪しき敵を倒す役である。
「うらららららららららららららららあ――ッ!!!」
灰泥は更に触る手を伸ばしてくる。それに対して空中で男が剣で迎え撃つ。舞台に躍り出たとでもいうように暴れ回る。
幾本も伸びて来る触手は濁流のようで、何重にも重ねられた斬撃もまた濁流のよう。ガトリングのように斬撃を飛ばす。闘いは「怪獣VS人間のような何か」という感じ。剣を振るう見た目こそ人間であるものの、化け物と怖じけず怯まず対等のように相対するそれはもはやヒトかどうか怪しくなる。
しかしそれでも触手の数は全く減らない。一本減らせばならば三本、三本減らせばならば十本とでもいうように、斬れど斬れども、むしろそれ以上に生えてくる。
これにはたまらんとでもいうように、男は一時撤退して先程の霊人が乗っていたヘリに不時着する。再度「武音ッ!」と弧を描き、起きた気流を推進力のように操って、霊人が開けていたドアから強引に割り込んだ。
「苦刃ッ! 何度斬っても減らねえなオイ! RPGよろしく無限増殖か!?」《わー先程ありがとうございます! ほらカメラ撮って撮って! 彼、なかなかクールですよ!》「なら核があるのがお約束だが、そもどうやって近づくかねえ……」《お強いですねえYOU! お名前を訊いていいですか!?》「後にしてくれまだ来てる。しかし文字通り斬りが無いな。スケールが違いすぎ……って、うおっ!?」
男は思わず手で顔を覆った。爆炎と爆煙が男の目の前で炸裂したからだ。眩しいフラッシュが光り、熱でゆらりと空気が歪み、風で男の服をはためかせる。爆発に呑まれなかったのは素早く反応して離脱した操縦士の凄腕である。カメラマンは慌てて手すりにつかまり、男は自重移動だけで身体を支える。
《はわ――――――――っ!?》
しかし霊人が開けたドアから身体を躍らせた。足を付ける舞台もなく、空の中に命綱なしのバンジージャンプ……
「Boy!」
男が素早く扉に滑り込み霊人に向かって何かを伸ばした。とぐろを巻いた何かするすると伸び、器用に霊人の身体に巻き付く。何処から取り出したのだろうか、男の手に剣はなく、代わりに長い鞭があった。そして巻き付き切ったのと同時に独楽のように素早く引き勢いよく打ち上げて、もみくちゃに回転する霊人を受け止めた。
「あ、あああありがとうございます死ぬかと思いましたまあもう死んで「余計なことスんじゃねーこのタコ!」」
男は霊人の台詞に被せ、怒りを隠さず空に怒鳴った。するとこんな声が返って来た。
「kde!"#$%&@+*?!33NYU+1F31D%%%イ”イ”イ”イ”|V0VV 15 7|-|3 71|\/|3.com./// :-)」
「何だって?」
「int WINAPI WinMain{ Syulum*2 bat ai kanアアアアアア・・・―――・・・052-332-1071㌕㌫㌔㌶㌧㌃㌍㌘㍑アナタハソコニイイマスカ????♪☆:-P(・c_,・ )> <」
「解んねぇよぅ。何言ってるのかさっぱり解らねぇ。現界語喋れよぅ。そんな訛りのキツイβ方面の苔沼に潜ったまま喋るような言葉で謝られても困るんだぃょぅ」
「通じてるじゃないか……。ならENGLISHでおkか?」
「それでいい。だがスラングやインサイドジョークをパブリックで使うのは不細工だ。手前の世界のノリを相手の世界にまで持ち込むもんじゃない。それにそういうのはアングラだから楽しいんだ。外から来て表面だけパクった資本主義が音頭とったら白けちまうよ」
「そうか。で、話を戻して、いやースマンスマン。けど、眼の前は一掃できだだろ?」
「うるせータコ! Noobがテキトーにタル爆破されても迷惑なんだよ!」
そして実際タコである。
彼(?)はぶよっと肥ったコムのような人型に、ヒゲのように無数の触手をウネウネさせた顔を持っていた。白でも茶でも赤ではなくカビた不味そうな色だったが、頭が丸く膨らんでいた。もうちょっと正気度を削れば異常極まりない非ユークリッド幾何学的な外形を持つ多くの建造物で封印されそうな感じである。そのおかげかどうかは知らないが、タコは翼も推進力も持たずに、気球よろしく空にふわふわ浮いていた。
空に居るのは彼だけでない。翼を持った獣人、生身で浮く超能力者、機械の身体や、蟲の身体、箒に乗ったり、精霊に乗ったり、よく解らない者だったり、先程吹き飛ばされた特機隊も復帰して、怪獣と闘ったり、逃げ遅れた者達を保護している。様々な多世界の者達が集まった、異種間ならぬ異界間群である。何処からともなく颯爽と現れ、ヒーロ―よろしく悪しき敵を倒す役、それは何もこの口の悪い男とぶよっとしたタコだけではない。
彼等はランナー。この街で踊る演走者。街を走り、音を奏で、火を噴いたり焼かれたり、矛で突いたり貫かれたり、立ち向かったり砕かれたり。華やかな光と賑やかな音の中、怪物と闘ったり闘わなかったりする者達である。
そんな役者が回る中、男はチンピラめいた眼でタコを睨めつける。それに対して臆することなくタコは肩(といか手足)をすくめ、その見た目に反しては紳士的に応える。
「そりゃいきなりは悪かったが、お前もあまり相手を刺激するなよ。相手が悪者かどうか解らないのに。事故かもしれないじゃないか」
「は? 気安く『お前』とか言うなタコ」
「いや確かに初対面だが、じゃあアンタもタコタコ言う……」
「つーか『悪者かどうか』ってそれジマで言ってんのか爆弾男。酔ってんのか? 思いっクソ色んなモン呑んでるじゃねーかあの工場廃棄物。本人に悪意があるかどーかは問題じゃない、やっちまったかどーかが問題なんだ。何なら俺も事故を起こそうか?」
「いや俺も前まではそーいうタイプだったんだがな。けどもしあの灰泥が何かの子どもで迷子になって怯えてるだけだとしたらどうする?」
「何だ、問答でもやりたいのか。なら俺はこういうよ。どーもしねーよ駄呆が。現場を知らないクレーマーみたいなこと言いなさんなや。問題はすぐそこまで来てんだよう。哲学やってる内に銃で撃たれちゃ『ぐう』の音も出ないし、あーだこーだ哲学吟じても目の前で起こっている事実は事実。そして先ずは目の前の事を対処しなければ次の問題には進めない。文句言うなら今すぐ他の案を出しなさい。出ないなら邪魔せず眼を瞑れ。どのみち同情が通じるのは見た目がマシな奴だけだ。そうだろう? あんな灰泥じゃ同情の『ど』の字もわかねーよ」
「いや、だからつまり何事にも理由というものがあるのであり自分にとっての正義があるのであり悪魔とは別の宗教の神であり、それを無視するのは遺憾と思うのだよ。アレが悪くて血とはさらなる大義ある血で洗い流されるとか言うのはどうかとなぁ……」
「ドストエフスキーでも呼んだかクソナード。熱病の様に他者の言葉如きにコロッとイカれるお前の心で何を語る。ましてやお前は実際に借金したことあるのか? 借金取りを殺したことは? その娘を殺したことは? ねーくせに共感とか感化とか『俺は解ってる』アピールして中立気取ってんじゃねえぞ惚痴が。つーか他者の言葉じゃなくて自分の言葉で物を語れよ。できないならブログかSNSにでも貼り付けて内輪の大将で好い気になってろ。学校でやる現代文の授業を否定して作者の気持ちを否定して人それぞれとか責任感も信念も自身も無い事言いながら手前勝手の感想で自己満足ってろ」
「そんなカリカリすんなよ。財布と女でも盗られたか?」
「俺ァソロプレイヤー何だよ。社会不適合者なんだ。口が悪いなら謝っとく、スマン」
「あー……まー、別にいいけどさ。俺もどっちかというとソロだし。ランナーってのは、本来、そういう奴の事を言うんだし」
「お前は良い奴だよ」そう言いながら男は銃を撃っていた。先程までその身に銃は何処にも見当たらなかったのだが。代わりに先の鞭が何処にもない。「ま、別に俺だって好きで殺生なんてしないさ。適当に痛めつけたら大人しくなるんじゃないかねえ?」
「それが乱暴だって言ってんだけどなあ。まあ、そりゃ安全圏からの言い分だが」
――BRAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAME.
奈落から風が抜けるような、大地がぐらりと揺れる様な、津波が進むような、大きな低声が辺りに響いた。いや声ではない。ソレは灰泥が身体を揺らす音だった。
「Boy! 静かにしやがれ!」
男は残弾を気にしてないように両に持ったトリガーを引く。弾丸は火薬の爆破を呑み込んで、五倍音速で地面にのたる灰泥に向かう。しかし効果があるかどうかは微妙である。弾が小さすぎて着弾しているのかどうかも解らない。むしろ大きくなっている? 十階程の大きさは今や二十階程度になっている。与えられる攻撃まで喰い散らかし、自分のエネルギーとしているようだ。
ただし、全く意味がないワケではないだろう。襲い来る触手に弾丸を打ち込むと、その触手は腫物のように膨らんで、膿を撒き散らすように爆破し知己千切られた。炸裂弾である。あまりよろしい光景とは言い難い。それに、意味が無くてもあるとは言い難い。
どういう構造かは解らないが、このままでは蜥蜴の尻尾切りな様だ、或いはタコかイカの触手切りか、灰泥の触手は切っても撃っても次々と再生しまた伸びて来る。
《おーっと、こうかは いまひとつの ようだ。どうですかジョンさん、やれますか!?》
「名前付けんじゃねー馴れ馴れしくすんじゃねー頭に乗ってくるんじゃねー」
霊人は左腕を死神の鎌のようにジョンの首に巻き付けて、マイクを持った右肘でジョンの頭をグリグリやる。恐怖しているのか興奮しているのかはたまたその両方か、やけにハッスルしておりジョンの声は届かない。恐らく酔うと性質の悪いタイプである。
《しかしこのままだと負けてしまうかもしれませんにょ!?》
「『にょ』って何だ萌えアピールかかますぞゴルァ。だが敢えて一つ言っておこう。プロにとって『やれる』か『やれない』かは問題じゃない。『どうやるか』が問題なんだ。」
やって当然なのである。出来て当然なのである。その路を往く「プロ」にとって、仕事をやり遂げるのは当然の事なのである。
《ならその心とは!?》
そうだなあ、とジョンは左手を用心金に引っ掛けて、銃をくるくる回して灰泥の塊を見つめた。ヘリは灰泥の斜め四十五度よりやや小さめの位置に居る。高差は三百m程度だろうか。
「おい操縦士さん、もう少し灰泥の上に動かしてくれ! それとMr.タコ!」
「いや『さん』付けされても……」
ヘリの近くでタコはまだ浮いていた。触手の先がぷくっと脹れたかと思うと、そこから黒い液体が噴出され、それが触手に当たると同時に爆破した。
「いいから来てくれ、良い方法があるんだよ!」
「初対面のくせに図々しい奴だなあ」タコはそうぶつくさ言いながらもやってきた。見た目に反して律儀なタコだった。「で、何すんだよ」
「こうすんだよ」
ジョンはタコの頭を鷲掴みにした。どぴゅっと僅かに液体が漏れる。霊人が《ジョン選手振りかぶってえ~》と実況する。「ちょ、まっ」とタコが言うのと「オラ死ねえええええ!」とケイが叫んだのは同時であり、《投げたああああああッ!》と言う実況の元タコは「何をするだあああぁぁぁぁ……」と灰泥向かって飛んでった。
「一発かませ特攻野郎。我流抜銃術――あー……〈娯爆(GOBACK)〉」
BANG、とジョンが一発銃を撃った。音速を超えたそれは銃撃音と共に結果を見せる。
弾丸は真っ直ぐタコの腹(と思われる場所)へと向かっていき、その身体を貫いた。すると途端にタコの身体がぶくぶくと肥っていき、それと同時にモスグリーンの表明がヴァイオレットに変わって行き、そして、
BOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOM!!!
盛大に爆発した。
《うわあああああああああああああ!?》
カメラマンは慌てて手すりに掴まりジョンは自重移動だけで身体を支える。先程の経験が生きたのか、今度は霊人も叫びながら手すりに掴まってしゃがみ込んだ。それは真っ白で甘そうな爆発で、バニラシェイクのような爆発だった。
しかし爆発は先のソレの比ではない。カメラのレンズが煌々と光る。熱で肌がチリチリと火照る。ヘリが風圧にあおられ激しく揺れる。爆炎が建物に遮られ街の道路に従って線状に広がる。触手を吹き飛ばすどころか、それを伸ばす灰泥の身体(?)も大きく削り取っていた。後地上で闘っていたランナーも数十人吹っ飛んだ。灰泥は辺りにブラックレインを撒き散らしまるで溶けたアイスといった塩梅で、醜くその巨体をとろとろにしていた。
「HO HO HO! Jackpot! 良―く燃えとるわい、火力だけはいっちょまえじゃ」
《え、あの方は? まさかのたこ焼き? グリグリモグモグ?》
「GOOD LUCK」
《他人事のようにいけしゃあしゃあと!? てかさっき思いっきり『死ね』って……》
「いやそれは『灰泥死ね』って意味で言ったんだよ。それにアイツなら大丈夫だ。きっとアイツは帰ってくる。俺はそういう事を知っている」
《あの人初対面って言ったじゃないですか! てかさっき殺生しないって……》
「バーローお前アレだよ、状況判断だよ。一瞬で見極めたんだよ。アイツのー、何だ?、アレだ。力っつーか、気合的なアレを?」
《すっげーふわっとした感じ! タコ焼きだけに! イェァッ! ……って、何処行くんですか》霊人はヘリから飛び降りようとするジョンを掴んだ。《守ってくださいよ!》
「だあほ、なして俺が」
《さっきは助けてくれたじゃないですかーっ!》
「ノリだよ。ほら手を離せ。身体が冷える。そんなに助けて欲しいなら妖怪ポストにでもハガキ出してろ」
《げはー。界異は現場で起こってるんです! 彼奴に喰べられたら如何に半霊の私と言えど南無南無(Nom Nom)されてげっちゃイヤーンな事になっちゃいますよーっ!》
「『イヤーン』て何だイヤーンて。死ぬのが嫌なら部屋の中でマスかいてろ」
《もう死んでますぅ!》
「お前もしかしてその持ちネタ言うために引き止めたワケじゃ……うわやべっ!」
ジョンはその身に落ちた影に気付き、霊人の腕を振り払ってヘリのドアからアイキャンフライ。するとジョンの頭上から破壊音が聞こえてきた。金属がもぎとられる音。灰泥の触手がヘリの尻尾を圧し折ったのだった。
《鬼いいいぃぃぃぃ……》
という亡き声と共にヘリはひょろひょろ回転しながら落ちて行き、街のどっかで墜落した。彼女らがフライになってない事を祈ろう。
「鬼(Oni)じゃなくて人間(Human)だよ」ジョンは煙を上げて落下するトンボを見ながら呟いた。しかしすぐさま身体をひるがえし、落下線上にいる巨大泥団子を睨みつける。「『鉄は熱いうちに打て』、だ。燃えている間にケリ付けてやるッ!」
そう叫んでジョンは銃を大きく振りかぶった。
いや、銃は銃ではなかった。先まで銃であったモノは形を変え、巨大な鎚へと変わっていた。銃は先端から螺旋しながら巨大化し、その姿を変化する。くじゃりと捻じれながら転調し、その設定を一新する。相、構造、重量、寸法、それら全てが明転する。
壱 弐 参 肆 伍 陸 漆 捌 玖 拾
成就あれ 成就あれ 成就あれ
天にまして仰ぎ奉る 掛けまくも畏き 神とか呼ばれる大きな貴方よ
願わくば御名を崇めさせ給え 願わくば御名を祈りさせ給え
Nearer, my Star, to Thee, Nearer to Thee!
E'en though it be glory that cremateth me; still all my song shall be.
唵 婆娑羅摩利支 蘇婆訶 唵 婆娑羅天照皇 蘇婆訶
ふるべ ゆらゆら ゆらゆらと ふるべ
ふるべ ゆらゆら ゆらゆらと ふるべ
「謳え、ホシフルイッ! BGMは『BOSS 07 (maou)』!」
――WYYYYYAAAAAAAAAAAA!!!
開幕咆哮と共に調子の良い何処かで聞いた事のある音楽が流れ始めた。ジョンの高らかな叫び声に、応えるように星が鳴る。その雄叫びは歓喜に似て、万雷の拍手のような歓声であり、あるいは小難しい事は全てパンクにしてしまえという乱暴、だが明朗な遺志の表明であった。鎚の唸りは空に響き渡り震わせて、ジョンの心を奮わせる。それは心臓の鼓動に似ていた。
その二つの叫びに灰泥が気付いた。羽虫を追い払うように触手が無造作に襲い来る。それに対してジョンは両手でしっかりと柄を持ち、全身を捻ってぶん回す。流れに抵抗することなく、鎚の重さをそのまま振り抜く。
――Ooooooooooooooooooooze!!!!
けたたましく鳴る叫びと共に二つの巨大な質量が衝突した。真っ向からの正面交差。二つの接触面を中心に同心円状の衝撃が広がる。激しく気流と気圧が乱れ空気がぐらりと目眩に歪む。
次の瞬間、日蝕のように太陽を隠す物体があった。それは宙に情けなく飛んで行く触手だった。斬り裂くといったものではない。ただ力任せの引き千切り。吹き飛んだ触手は宙を舞って何処ぞの高層ビルに激突し、それをジェンガの如く粉砕した。
その間にも五つも六つも休むこと無く新たな触手が伸びて来る。それに対しジョンの鎚が片っ端から打ち返す。重力に抗うこと無く、空を落ちることに怯むことなく、滑らかな動きで鎚を振るう。
それ等しなるように跳ね返された触手は辺りの地面にのたうち回り、ムチのように混凝土を砕いて行く。ビルや街路灯、木々や自動車、勿論、通行人AやらBやらを巻き込んで、ランナーもそのおこぼれを無理やり喰らい、先ですらズタボロになっていた周辺は瞬く間にさらにズタボロになっていく。まるで歩く局地戦場と言った所か。建造物は砕かれて、所構わずひび割れて、砂塵の煙が立ち込めて、瓦礫の雨が降り注ぐ。
「手前ちょっとは他の奴のこと考えろ!」「うおーすげえ! アイツつえー!」「お前一人でやってると思うなよ!」「ぎゃああああウチのオフィスがあああ!」「よっしゃああいけー!」「どっちが怪獣か解んねえよバカヤロー!」「アホー!」「ボケー!」「死ねー!」
歓声三割が悲鳴七割で拍手と野次が響く中、一方、ジョンは「YA,HA――ッ!」と自分の世界に没頭したようにそれらを無視する。ジョンは次に来た触手も叩き返し、次に来たものも打ち砕き、次に来たものをブチ抜いた。その余りの止まる気配のない快進撃に、灰泥は触手を止めた。だが、それは怯えたというワケではない。というよりも、疑問する様だった。何故、こうも突っ込んでくるのか、と。
だがジョンは止まらない。というか止まれない。「落下の法則」に従って重力加速度(G)の分だけ加速する。加速した分だけ止まれなくなる。止まれなくなった分だけ重くなる。重くなった分だけ力が増す。
そしてジョンは触手の網を抜けきった。眼前には丸く重鎮する巨大な灰泥。
ジョンは鎚を大きく振りかぶった。鎚と合わさり一個の落下物となり、灰泥に向かって急行した。大気にあおられて髪と服が大きくはためく。口に入るはずの酸素が逃げていく。ジョンは鎚を振りかぶり、猛烈に回転しながら灰泥に向かって突っ込んだ。
「我流抜鎚術――星落(SAYLUCK)!」
――AAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAUM!!!
鎚の高らかな雄叫びと衝撃音が重なった。空気が爆発するような音と共に、灰泥が勢いよく弾かれた。巨大な水風船が破裂するような音と共に、黒と緑で濁った液体がどっと溢れ返った。下水のような醜悪な臭いが撒き散らされる。それは「Sloppy」と流れる内臓に似ていた。
「これで終わりじゃねえよなあ!?」
おう、まだこれで終わりではない。
灰泥は溶解した鉛の様に形を失った水銀の様に反芻された野菜くずの様に或いは夏場のリュックの中にほったらかしにしていた魚肉ソーセージの様にぐじゅぐじゅと身体を揺らめかせ、夥しい腐臭を漂わせる。それでもダメージは無に等しい。いくら灰泥の部分を剥ぎ取っても本体に、核に届かなければ意味がない。故にジョンは攻撃の手を休めない。
ジョンは鎚を上に掲げた。ぐにゃりと鎚が明転し、その姿が頭でっかちの身体から頭から足までスラリと伸びだ細身になる。
ジョンは槍を灰泥に突き刺した。傷口に塩を塗るように、ぐにりと容赦なく突き立てる。腹の奥まで届く様に、ずぷりと強く捻り回す。相手が痛いかどうかも構わずに、無理矢理力任せに突き立てる。突き刺さると再度、その槍は形を変化した。槍の先端が筒のような形になる。ジョンが手で持つ部分には引金が出来ている。
「果てろッ!」
ジョンがトリガーを引くと共に、堰を切ったように暴力が筒の先から弾け出た。その箇所が紅く膨れ上がり、灰泥がぶくりと肥え太る。それは今にも破裂しそうな程に膨れ上がり、一刺しで膿がどびゅると出そうな程に腫れ上がり――急速にしぼんでいった。
「何……っ!?」
不意に立ち位置が陥没した事でジョンは大きくバランスを崩した。それと同時に「不味い」と思った。バランスを崩した事にではない。灰泥が急激にしぼんだ事に対してだ。
QUEEEEEEEEEEEEEN――――
高音が鳴り響いた。そして見えるは曇天斬り裂く蒼穹。荷電粒子が物質中で光速度を超える時に発せられる色が濁った灰泥の内部で透き通る。そこには高速回転する閉じたポリプの様なものが在った。それが発するはまるで巨大な光電子式汎用計算機の加粒子砲染みた天使の歌声。その歌声は光を固体相にまで圧縮する。徐々に音は高くなる。幾何学的な高周波。耳をつんざく金属音。あからさまなチャージ音。意志を力に変える音。そして息を目一杯吸い込む音。何の為に? それは吐き出す為に。
灰泥は前の前の「敵」に抗うように息を吸い込んだ。周囲の空気が振動し回叫音が鳴り響く。それは滅却の為の最終勧告。退かねばならない緊急警報。
その恐ろしい音を聴き、特機隊とランナー達は逃げ出した。一人であたふたと逃げる者がいれば、他を抱えて走る者もあった。その行いは正しいだろう。これがゲームならば相手が技を発動する前に止めるという手もあるだろうが、悲しいかなこれは現実、触らぬ何とやらに祟りなしというものだ。「コマンド:逃げる」が良手である。
ジョンもまたこの場を離脱するために、急いで槍を抜こうとした。だが抜けない。先端が絡めとられたように動けない。ジョンはワケも解らず恐怖して慌てて逃げ惑う者達以上に焦っていた。何故ならジョンは幸か不幸かハッキリと、その恐怖の正体を知っていたからだ。ある一つのキーワードを連想していたからだ。そのワードとは……。
――爆縮。
BRAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAME!!!
「E=mc^2」の方程式に従って、光の直線が街を呑んだ。それは真っ黒に濁っていた。極度まで圧縮された力の塊が臨界点を突破して、ついにその暴力を解放させた。まさに破壊光線。絶対破壊電磁ビーム。物質が速度限界を超えて光子に変わる。純粋なエネルギーの奔流が軌跡を描く。無垢なる力が薙ぎ払う。空気が歪む、景色が歪む、音が歪む、身体が歪む。それはまるでメテオ。「リトルボーイ」や「ファットマン」がそうである様に、その暗黒の太陽はたった1gで90兆Jの物理エネルギーとなって光輝く。それ程までに「存在」のエネルギーとは、かくも強く、硬く、深く、怖く、眩しい。
一瞬だけ光ったと思うと、次の百分の一秒で光速する粒子と高エネルギーの電磁波が周囲の物体を影が映りこむくらいに発火、黒い絵の具の様に溶解させ、その次の三秒後で文字通り音速の衝撃波が周囲を破壊、太陽風にも似た熱線嵐が土辺り一面を溶解・蒸発・吹き飛ばし、建物の破壊音を呑み込んで、何が起こったかに気付く間もない者達と共に街の端まで貫いた。爆轟する空気は真空を造る程凄まじく、爆発で吹き飛んだ諸々の瓦礫は、その真空を埋め合わせる様に吸い寄せられて再び飛ぶ。肉を失い砕けた骨は僅かにこびり付いた血肉と交じり、風圧に押し流される間に研磨され、物を語らぬ、清濁をこれでもかという程に併せ持った桃色の真珠と成る。灰泥が気流に巻き上がり粘つく「黒い雨」となって降り注ぐ。
そんな暴力の奔流の中から、一つの卵が弾け飛んだ。しかし卵というにはとても大きく、普通の人間くらいならすっぽりと入りそうだった。事実、その中には人が入っていた。中に入っているのはジョンだった。卵は弧を描いて宙を舞い、壁に当たる瞬間に「Clap!」と割れた。硬質な破片はぐにゃりと弾力を柔軟性を持ち、するりと動いて衝撃吸収材のようにジョンの背と壁の間に挟まった。
「っぶねー、死ぬかと思った……ありゃモロに喰らえば確一だな」
ジョンは腰を抜かしたようにクッションの中に収まりながら呟いた。クッションの表面は溶けており、ぐつぐつと気泡を立てながら煙を立てていた。その事にジョンは酷く顔をしかめた。自分の腕がそうなったのと同じくらい顔をしかめた。
しかし呆けている場合でもなく、クッションに手で軽く叩きながら「ありがとな」と言って立ち上がる。次いで、そこに居るはずの灰泥を見た。
灰泥は変わらずそこに居た。しかし、その姿は変わっていた。形は変わっていないのだが、それは明らかに大きくなっていた。多分当自比二倍にはなっていた。それは初め50m程だったのが迫力を出すため近年のビルの高層化に従い大きくなるメテオの申し子の様に、または最も迫力がでるように大きさが伸縮自在な汎用人型決戦兵器な様に、または母性を大切にしてシーンごとに大きさが変わる風の谷の姫姉様の胸の様に、真面目に考察する者を嘲笑う様に姿形を変えていた。何故、こんなにも大きくなったのか。
その答えは周りにあった。というのも、周りの炎が消えていた。ガソリンが引火しても燃えた炎も民家のガスや電気が爆発しても得た炎もランナーや特機隊が放った炎もタコの爆発で起きた炎もみんな消えていた。あるはずのものがなって、薄ら寒く感じた。
それ等の炎は全て灰泥に喰われていた。人間が食料を噛み砕いて熱量にするところを、アレは炎を食べてそのまま熱量にしていた。しかも喰っているのは炎だけでなく、手の届くもの分別なく喰らっていた。人も人外も植物も建物も皆喰べた。光も風も音も傷も食べていた。アレは何でも食べるのだった。或いはそんな己すらも。触手を持つアメーバは見境なく何でも食べていた。喰ったものは全て消化して、消化するほどにソレは大きく成長し、魔法使いの弟子が桶に水を溜める様にどんどんどんどん増えて行った。
まるで「奇妙な果実」。腐敗物の溶けた下水を吸い上げ育つ果実。カラスに突かれ、雨に打たれ、風に弄ばれ、太陽に腐り、落ちていく果実……奇妙で悲惨な果実。
(それにタコの爆発によるダメージも、俺が与えた傷も再生している。周りの物を吸収して直しているのか? 何でも? まるで縮退炉だな。じゃーさっきのは縮退砲って感じか)
心臓を見たことがあるだろうか。大体、それであっている。生脈と動脈が張り巡らされた心の象。しかもよほど不健康な生活をしてるのか、生活習慣病でグリーンとパープルで着色だ。それを身体から抜き取ってしばらく空気に放置すれば良い具合に白くなる。
灰泥怪獣は息をする様に、或いは食料を咀嚼するように、「THROB」と不気味に身体を脈打たせ自らの存在を示していた。
(化け物だな……)だが別に嫌悪感があるワケではない。ただ純粋にその力量を感じただけだ。(恐怖はない。敵意を感じないからか?)
というよりも幼稚。行動に意志がない。振り払われる触手でさえ、ただ何となくという感じ。蚊をその羽音が鬱陶しいからという理由だけで殺す感じ。仏殺、戒滅、極落な感じ。地面のアリのその命を尊いとなど思わずに潰す感じ。その様な無為さ、無造さ。一体、何を目的としているのか。
「だが大きさ程度じゃ驚かない。そんなら蟻と人間の差の方がまだデカい。蟻は5mm。コッチは2m。その差、実に400倍。それに比べれば大した事などてんでない」ジョンは右手を横に掲げた。「SYURURI」と液体のようにクッションがジョンの右手に集まって手の平で回転し、「牙心ッ!」螺旋を描いて棒となった。「いや例えどれだけ大きくとも、コッチには一等関係ない。相手がいるのなら……ケンカを売る……までだ!」
――AU! AU! AAAAAUUUUUUUUUUUUUUUUUM!!!
「お前の星を魅せてみろッ!」
ジョンと棒が叫んで走った。それに応じて触手が唸る。その動きは無造作で脈絡なく、「いたから襲う」とでも言うような感じでジョンに向かう。ジョンもまたそれ等を乱暴かつ無造作に倒して前に進む。次々迫る触手を殴り、建物の壁だろうが構わず走り、怒涛裂破で突き進む。ふとその姿が黒く陰る。ジョンを押し潰すように触手が降る。ジョンは逃げも隠れもせず走りも止めず、その影になった部分に棒を穿った。
「我流抜棒術――〈影牢(CAGELAW)〉!」
途端、影から幾本もの三角形が飛び出した。厚さの概念のない二次元立体が触手を斬り刻む。斬り飛ばす。斬られた部位が乾留液のように「どろろ」と垂れる。触手が斬られると同時に影も斬られ、分散した影はさらに多量の槍と成る。しかし――
「クッソ……!」
体力は無尽ではない。まして繰り出されるのは一撃一撃が必死に迫る攻撃である。ジョンは着実に疲れていた。
それに対し灰泥は努力をあざ笑うように宙にその手をくねらせる。いくら灰泥を斬ってもその心臓である核を叩かない限り意味がない。脂肪を切り取るようなもの。疲れた気配は全くない。そもアレに体力や気力といったものがあるのかどうか。感覚すらあるのかどうか解らない。全ての攻撃が無視される。底なし沼の様に喰われてしまう。
効果があるのか解らない先の見えない闘いは、想像以上に気力を奪う。砂漠に霞む蜃気楼のように。混凝土に漂う逃げ水のように。「本当にこのままで勝てるのか?」という疑問が身体を蝕み、「何時になったら」という不安が込み上げる。まるで終わることのない流れ作業。思考を麻痺させ停止させる。そして不思議かな、そのような思考停止というものは、時として混乱よりも思考を疲労させる。疲れた思考は寝ぼけたように宙をたゆたう。
実際、不意にジョンの思考は噛み合わない歯車のように空回り、一瞬、思考が止まった。その隙を突かれて大きく触手にど突かれた。素早く棒が変化してジョンの前で壁となるが、、傷を防げど衝撃までは防げない。肺を圧迫され文字通り息を詰まらせ、吹き飛ばされたジョンは壁にぶち当たる。
しかしそれを気付けとしてジョンは意識を覚醒させる。止めをさすように迫りくる触手に対し、振り絞るような叫びと共に、怒涛の叫びと共に棒を突き出す。
だが、突き刺すような痛みが腹に走った。どうやら骨が何本か折れたらしい。
(Boy! 駄目か……っ!?)
力を込める為の腹は痛み、棒を握る手も覚束なく、おまけに視界も呆けるときたら、もうドギツイ衝撃を覚悟するしか他になかった……その時だった。
「――ATTACK」
空気が変わる。転調の様に、幕を変える様に。
一閃にして一つ、だが十の触手が斬り裂かれた。苦渋の相が浮かんでいたジョンの目の前に進行していた触手もまた、その一太刀で縦一文字に斬られた。
ジョンは触手の残骸が自分に飛び散るのも忘れて、その突然の光景にを凝視した。しかしすぐ我に返り、その光景を作り出した本人を探し出した。その本人は視線を彷徨わすジョンの目の前に落ちてきた。
そこには外套に身を包んだ騎士と、それに付き添う子どもがいた……そう思った。
「大きいね……あの子、大人しく出来る?」
「YES」
「じゃあ、お願い」
「YES」
少女の願いに短く応え、男は長剣を手に灰泥に向かって駆け込んだ。それを迎えるように触手が唸る。
「ATTACK」
男は襲い来る触手を軽やかに両断した。しかもその斬撃は波と成り空を斬り、十把一絡げの如く他の触手まで叩き斬る。
「ATTACK」
一合にして十いや二十、あれほど暴力に満ちていた凶器が呆気なく飛んで行く。男の剣が一振りされるたびに稲妻のような爆撃音が響き渡り、斬撃波が飛翔する。
「ATTACK」
その剣は無為。まさに暴風。剣戟が旋風のように斬って掛かる。男は恐焦ること無く、怯むこと無く、無造作に触手を叩き斬る。その行いはあまりに当然、あまりに自然。
「ATTACK ATTACK ATTACK ATTACK」
斬、斬、斬、斬。流れるように触手を斬る。面白いように斬れていく。その動きに迷いなく、ためらいもなければ疑問もない。ただ淡々と刃を振るう。それが自分だとでもいうように。いやそこに意志はない。ただ剣としてそこにある。目の前に相手が居るから、そしてそれを相手せよと言われたから、ただその理由だけで彼は斬る。その動きは、美しい。
軽やかに剣の軌跡が描かれる。襲い来る触手さえ、一種の舞台装置に見えてくる。演出効果に見えてくる。一緒に踊っている様に見えてくる。自分から切られに行っているように見えてくる。「強い」とは、こうも「美しい」のか。斬り裂かれる触手が、空で唸る剣戟が、地を蹴る踏み込みが、此処り良いリズムを取って奏でられる。まるでステップを踏むような剣の戟。剣の劇。舞踏のように音が鳴る。淡々と、タン、タン、と。
斬!
何時の間にか触手は全て斬られていた。たが彼に一切の疲労の色は見られない。その様はまさに泰然自若湛然不動。凡そ乱されることはなく、凡そ侵されることはない。
その剣戟は静かであった。例えるならそれは星。或いは海、或いは空、或いは地。大きなものは皆静かだ。だがそれを見る者は雄々しさを感ぜずにはいられない。
圧巻する様な剣戟と、刃が振るわれる速度に相反して、音は静かに流れて行き、動悸が静かに激しくなる。派手さは無く、お互いの息遣いと刃と刃がこすれる音だけが妙に響く。ぶつかり合う刃から立ち昇る、血の匂いがする、鋼の匂いがする。
彼に特別なモノは何もない。剣術は基本、体術は基本、特別な技はそこにない。催眠術だとか超スピードだとかでなければ時を止めることも断じてない。傷を癒す魔法は無く。星を落とす魔法は無く。闇を切り裂く聖剣はなく。愛する者を蘇らせる秘術は無い。男の攻撃はただの斬撃。奇抜な技も伝統の型もない、名前のない無為の断ち。
それでも、だ。それでも、全く負ける気がしない。舞台において名俳優の登場は、それだけで大きく雰囲気を変える。もはや先までの絶望的な空気は既になく、落ち込んだ曲調は勝利BGMへと転調する。敗北フラグは打ち砕かれ、揺るぎない勝利と栄光が約束される。彼の者の存在はそれ程までに強大だ。彼に負ける気配は全くない。例えるなら結末の知っている舞台劇。先がどうなるか解らないという緊張感はそこになく、予定調和とも言える、様式美とも言える安心感がそこにある。観客は、そんな様式美をただ楽しむ。
斬新な技はなく、派手な見た目は無く、格好の良い音も、奇抜な戦術も、演出する装置もない。しかしだからこそ、口虚ろはない実が其処にある。ああ訂正しよう。それは舞台劇などでは断じてない。何故なら演出など何処にもないから。要らないのだ、そんなもの、その場で踊る「本物」にとって。戦士がそうである様に、選手がそうである様に、本物は演出無し、外連味無しの、掛け値なしの実力で、小説以上の奇を生み出す。いや例え役者であっても、それは同じ話。舞台の内容だけでは、意外と劇はツマラナイもの。ソレを面白くさせるのは、演じる役者の一挙手一投足、極められた動きは美しく、それだけで一つの世界を造り上げる。むしろ劇とは、本物の役者に追随する影でしかない。
彼の者の強さの理は何なのか。その答えは至極単純。ただ圧倒的に、能力が高いだけ。単純な力、力の塊、無貌の力。それ故に小細工では止まらない。ただ真正面から叩き斬る。その鍛え抜かれたパワーとスピードに物を言わせ、力ずくで打ち負かす。例えば硬質な鋼を鍛え上げ剣に生成する所を、ただ重さと量に物を言わせて鋼のまま相手に向かってぶん投げるかのような力技。ただその鋼の量が、街を破壊する灰泥より上というだけだ。
コレは止まらない。無理だ、コレは。コレは無理だ。本能がそう認めている。空から降って来る隕石を、鉄砲か何かで防ごうというくらいもう無理だ。
――その問いに答えよう。
剣士が灰泥を見据え、呟くようにそう言った。いや剣士ではない。剣は黙して語らない。ならばその声は、背後に見守る女か? それとも、己の心が発する声か? そうであれば、それは、己がこう語ってほしいと言う願望の声か? その声は、不思議とその場の誰もが聞こえていた。
――俺は剣。ただ相対するモノを斬り裂く刃。
しかしそれ故に、基本故に、ソレは力以外では上回れない。彼に特別なものがないように、彼は特別なモノでは打ち砕かれない。
――俺は悩まない。
そこに神も悪魔も関係ない。主張も理由も意味もない。
――目の前に敵として現れるなら……
ただ無為に、無垢に、無造作に、
――叩き斬る……までだ。
男は一気に駆け込んだ。一片の躊躇もなく切迫し、男は大きく剣を奮い、相対する者を薙ぎ払った。その力の、なんと雄大な事か。魂が、星の様に、万有引力の様に惹かれる。誰も彼もが見惚れていた。誰もがその手と足を止め、眼をその男に向けていた。
全ての登場人物は、彼の前に脇役となっていた。舞台の役者さえ、観客と成っていた。
彼は多くを語らない。刃がそうである様に。しかしだからこそ、人は彼に己の姿を重ねられる。その心意気に勇気を貰う。RPGの中の勇者の様に。そう、彼こそは、己の理想が具現化した存在なのだった。
故にこの勝負に勝者は居らず敗者は居ない。是と相対するは己と相対する事と心得よ。
QUEEEEEEEEEEEEEN――――
突如灰泥は唸りをあげた。それは怒りか、悲鳴か。否。否否否。千辺否。万辺否。いないいないばあ。灰泥に感情はない。感情はない。そのはずだ。だが違うのなら。これが感情の芽生え。恐怖という感情の芽生え。心の萌芽。爆発。超新星。大法螺吹き! 順ってその大いなる力はその周りの世界にある全ての物質を感化せしめ、たとえば、時計はいそがしく十三時を打ち、礼節正しい来客がもじもじして腰を下ろそうとしない時に椅子は劇しい癇癪を鳴らし、物体の描く陰影は突如太陽に向かって走り出す。心は直線的な突風と成って交錯するために、何本もの飛ぶ矢に似た閃光を散らす真空を造り出す。
だが哀しいかな、それが灰泥の限界だった。もし彼がせめて野生のトラ程の知能があったのなら、彼の前では死を覚悟し、絶望し、抵抗の意志さえなくなるだろう。
そしてもし「人間」であれば、それでもなお立ち向かわずにはいられないだろう。
何故なら、彼は星であった。空を越えてまで辿り着きたい星であった。その星の輝きは物語や映画がそうである様に物理的な距離と時間を超え、人の肉と魂を燃やした。身体が震える。心が奮える。絶頂する。「試してみたい!」――己の全力をぶつければどうなるのか、天多の役者が彼に挑む理由が、此処にあった。
BRAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAME!!!!
光が堰を切って溢れだした。輝かない光。あらゆる色が混濁した真黒の光。光は音を置き去りにして、視認と同時に相手を喰らう。その力に区別はない。ただ真っ直ぐ通るだけ。
だが、今は、その力が向かう先には彼奴がいる!
力の奔流が大気を呑む。速い。眼で追えない。ただの人間には避けられない。鋭い直観を持った獣人の寝子族や、加速神経素子により強化された機人以外には。もしも避けられたとしても、空間を侵食する光子に滅せられる。
「――ATTACK」
だが男は捕らえている。その力を掌握している。男はその暴力を叩き切った。それだけでなくその力を呑み返した。
男が振るった斬撃は衝撃波となり、それが力の濁流を呑み込んで、灰泥に向かって押し返す。光が奇妙な音を立てて逆流する。金属を削り取るように、放電するスパークのように、眼が覚める夜のように逆流する。
灰泥はその光景を見ていた。眼があるのであればだが。しかし確かに感じていた。自分の吐いたゲロが自分に押し戻されるということを。己をはるかに超える強者というものを。その者は何も主張せず、理由さえもありはしない。感情も感動もありはしない。ただ剣を振るうだけ。その剣に何の意志も乗せずに。ただ相手を斬るだけに剣を振る。
何と恐ろしい事だろう。
もし相手が己に酷い憎悪や敵意を持っているならば、涙くらい出ただろうに。しかし相手は全く何の意志も無い。肯定はおろか、否定もしない。人間とは、心を持って何かを成す存在ではなかったのか? アレは本当に人間なのか? 灰泥はそれがただ恐ろしかった。
だがそれでもやはり眼を離せなかった。何故ならその力は美しかったから。地震や津波や台風がそうである様に、無為にて雄々しきその力は、ただただ心を圧倒した。
その剣は問答無用。我、全身全霊、問答無用。
ソレは何者の言葉も代弁しない。正義も悪も関係ない。ただの銃剣が、神罰という名の銃剣がそうである様に。嵐が、脅威が、炸薬が、心無く涙も笑顔も無いただの恐ろしい暴風がそうであるある様に。奮う刃は相手を選ばず、奮う刃に意志はない。ましてや「何故」などと問いはしない。戦う意味など己に無い。鬼に逢うては鬼を斬り、神に逢うては神を斬る。皆諸共に叩き斬る。それが「剣」! 容易く、無慈悲に、呆気なく。故に嘆く理は何処にも無い。いやその嘆きさえも、諸共に――
――WRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRR!!!
灰泥の絶叫が鳴り響いた。声を上げず振動した。だが目の前の現実はどうにもできず変わらなかった。問答無用で、さも当然の如く殺されるコックローチのように。
己の力を呑み込んだ更なる力は容易く己を呑み込んで、呆気なく吹き飛んだ――
「もっと上だー」「要度5。意識不明。重度の打撲と下半身が……」「凄かったな。大怪獣襲来って感じ?」「もっと上だって。煙出てるとこ」「新人にしちゃ上出来だな。今から飲みに行くか?」「道路どれくらい出直ります?」「いやあ……大灰獣は強敵でしたね」「いいっスね」「この程度の被害で収まったのは奇跡だな」「二日三日くらいだなー」「奇跡じゃない。そんな曖昧なものじゃない。純然たる行動の結果だ」「皆さん災害マニュアルに従って行動を」「ぶは! 先輩、その台詞は臭過ぎですよ」
まるで辺りは戦場跡。未だ地面に燻る火は消えず、立ち上る煙は収まらない。高層ビルはビスケットのようにへし折れており、随分と見晴らしがいいはずなのだが見える空は煙で出来た曇天だ。チョコのように熱された混凝土が空気をゆらりと歪ませて、その上に自動車や街路灯や植物やイヤーンなみんちゅが粉砂糖のように散りばめられる。
その戦場跡を様々な姿形の役者が動いていた。身体を伸ばして高所の者達を助ける役。あるいは空から怪我者を探す役。巨大な腕と足で瓦礫を動かす役。周囲に雨雲を作り火を消す役。眼を瞑り建物に取り残された者を探す役。砕けた建物を直す役。折れた植物を治す役。千切れ飛んだ脚をくっつける役。警察を先頭に、皆、己の身体、能力、術、才能を使い、自分の役を行っていた。あるいは役に立てず、瓦礫に埋まり助けを待っていたり、一部が溶けたように消えていたり、意識不明で壁に身を預け倒れていたりする者もいた。
だが救助する者達もされる者も、慌てず叫びもせず、落ち着いたものだ。慣れているというワケではない。現に皆が皆というワケで無く、怯え泣く者は少なくない。それでも多くは何処か楽しい劇の終わったような、あの微熱にも似た余韻を含ませて、先程の莫迦騒ぎを笑い飛ばして復興作業という名の後片付けを続ける。
それもそのはず。ソレ等はこの街がような舞台で在る事は承知の上なのだ。むしろあらすじも見ずにツマラナイというのはお門違いということである。
「何モンだったんだ、あの『キルロイ』は……」
しかしそんなモノ達がせっせせっせと働く中、ジョンは瓦礫に座り込んでいた。その身体の傷は歩くのも困難なはずだが、もうすでに回復していた。破れた皮膚も折れた骨も治っていた。尋常ではない回復力だった。とはいえ服はボロボロのままだが。
棒に変化させたホシフルイに体重を預け、くわえた紙巻型の葉っぱの先を灰色に燃やした。その葉っぱの横には「NEVER KNOWS BEST」の文字……などはない。其処まで気取り屋じゃない。「ジタン」でも「マルボロ」でも「ラッキ」でも「ホプ」でも何でもいい。煙が入ればそれで結構。拘る方ではなかった。ジョンはごくごく普通の煙を飲んで、男と少女が去って行った方向をぼんやり見ていた。
特に気になるのはあの男。大灰獣を倒したあの蒼い騎士。剣を振り回していたあの剣士。まるで巨人のソレのような豪快さ。技術も戦術もお構いなし。相手の事情や意志もお構いなし。ただ圧倒的な力で突き進む、清々しいまでの力技。形振り構わないゴリ押し。その姿は竜巻か地震といった災害か、山か海が動いているのではないかと錯覚してしまった。
それ程までの問答無用。それ程までの泰然不動。あのお構いなしさ、何処かで聞いたことあるような……。
「煙は身体に悪いよ」
「チゲーよたこ焼き。これは世界樹の葉を燃やしてんだよ。身体にいいんだよ。品種改良の量産品だがな。つかデメリットのないメリットなんてありえないんだよ」
「焼けてねーよ」
一つ言えば三つ返すジョンの言葉に、タコはその一言だけをサラリと返した。
そのタコは正にタコだった。首から下がスッポリ無くなり、あるのは頭にあったタコだけだった。愛と勇気だけが友達の逆バージョンとなっていた。ただしその姿は軟体海洋生物のようにべたっと地面に這うのではなく、すくっと触手を縦に伸ばし姿勢正しく背を伸ばして立っている。
「というか、お前アイツ等を知らんのか。田舎者だな」
「どーせTVがあるくせに見ない田舎者だよ……で、あの男は?」
「彼奴は【BLADE】。麗しの姫君、野の花に従う銀星号はBLADE」
「ブレイ……アレがッ!?」興味なさげと言うか信用なさげだったたジョンは、その名を聴いて腰を浮かした。「呼んでも無いのに何処からともなく『不気味な泡』よろしく現れて問答無用で大技ぶっぱしてその場の敵も舞台も根こそぎ打っ壊して帰って行く、あのはた迷惑な『ブギーマン』――ッ!?」
「その通り。問答無用、一刀両断。最強の凡庸にて遊劇の中庸。神殺し、否、神話殺し。如何なる神話の矛もアレを傷つける事は叶わず、如何なる空想の盾もアレを防ぐ事は叶わない。どんなBADENDも一刀の下、無感動に容易く呆気なく、HAPPYENDにしてしまう事から冠された名が〈機械仕掛けの剣〉。英雄も竜も諸共に、迷わず斬り裂く銀月の刃。まさに生ける伝説だ」
「……ソウが」
「そうだ、アレが「チクショウがああああ! 俺のハイライト盗りやがってえええええ! 野郎、ぶっ飛ばしてやら《アホ~~~~~~っ!!!》あああああ――っ!??!?」」
二重三重に入り乱れる声に激烈な大砲蹴り(ドロップキック)が合わさった。大砲蹴り、それは格闘技の浪漫である。何だかんだ言って単純なのが心に来る。
ジョンに蹴りを入れたのは霊人だった。見るとジョンの背後にはギャグ漫画よろしくこんがり焼けて頭が爆発して服が新手のダメージ加工のようにアレンジされ「無人島生活三か月目突入」といった様なNNNのメンツがいた。どうやら皆、無事だったようである。故に彼女は置いてけぼりにされた恨みを脚に込めて放ったのだった。
霊人はジョンの背骨に蹴りを喰らわせた瞬間、そのインパクトで空中へとバク転し、軽やかに着地した。身軽である。しかしそのはず、戦場は常に危険と隣り合わせ、戦場キャスター足る者、常に体力と健康はキチンとしなければならないのだ。もう死んでるが。てかそもそも霊人に物質的な体重はない。あっても21gである。
だが侮るなかれ、その一撃は親父の拳よりも痛い。霊人の一撃はここからが凄い。妖精霊族や妖怪化族は相手の魂とか心とか何かそんなものに接触できる。それはこの半人半霊である怒れるキャスターもそう変わらない。此処において、枯葉身体という防具を貫通無視して魂への直接攻撃が出来るのだ。そして比較的容易に鍛え上げられる身体と違い魂は虚ろなモノ、ましてや今のジョンの心は怒りで我を忘れフラれてすぐ男に言い寄られる女以上に無防備……故にその攻撃はまさに金的必殺、脳天直撃、振動パックでしびれちゃう、ジョンの身体に電流走る、クリティカルヒットしたのだった。
ジョンの意識は抵抗する間もなく風前の灯火よろしく吹っ飛んで、しかし物理的には全くその場を動かなく、結果ふつんとPCよろしく強制終了、燃え尽きたように身体を折り畳んだ。葉っぱがタオルのように宙を舞った。
ばたーん。
《このスカポンポーンっ! よくも放っていきやがりましたねクソッタレーおかげでヘリがバッドリー・ブレイクですよこのバカーん!》霊人はその胸ぐらをつかみ無理やり立たせ激しく前後させながら丁寧な言葉で怒鳴り散らした。《貴様の血は何色ですかこの冷血非道ブルーハワイそりゃ危険地帯に侵入するのは自己責任ですしそも助けてもらっておいてこんな事言うのも厚顔ですがそれでも良心とか倫理とか道徳とかそんなふわっとしたご都合主義は貴様にナイアガラないのですかああああッ!!? うぅん? ノックしてもしもしもしもし!? おいィ? どしたあ!!? ……え、何ですかカメラマン。え、気絶してる? え、私のせい? ……あらまホント》
ぱっと手を離すとジョンは頭から地面に倒れた。「五寸」と鈍い音がした。ちょっと悪いと思ったが、アッチも相当悪いことをしたと思うので良しとした。
そんな痴話喧嘩をする周りでは灰泥の残骸が散らばっていた。ソレ等は酷い匂いを発しながら、フレッシュにびちびちと跳ねるものがあれば、「腐臭~」と空気が抜けるように縮んでいくものもある。少なくとも食べられるものではない。
何だかその様は「ダーティー・ボム」を連想させた。何て言うか、公害っていうか、石油流出事故っていうか、放射能をゆんゆんしそうな汚染物質流出事故っていうか、或いは大和の小学生の子供が習字の時間にハッチャケた感じ? ああ、戦争とは何と醜い争いだろう。争いとは愚かな事だ。戦争に意義など無い。戦争に価値など無い。だから戦争に行った者達にも価値はない。感謝? しないよんなの。だって戦争なんて下らないもんね。ただただ可哀想だよホント。あー可哀想可哀想。可哀想だなあ。無駄な事やってホント御愁傷様。そして人はそんな糞みたいな戦争映画で今日も感動する。スカトロかな?
「全く、ヤレヤレだぜクソッタレー。とんだ災難だ」
《ええ全く、残ったのがゼラチン状の下水って何処の環境漫g……ってうわあーいMr.TAKOさん!?》霊人は不意に聞こえて来た声に無意識に応え、その姿を認識して驚いた。そこには例のタコがいた。……胴体がないけど。《生きてらしてっ!?》
「タコ『さんさん』て日干しかよ。まあ、元々俺はああやって自切して逃げるのが処世術なのよ。ほら、コッチの世界でもいるだろ? えーと……」ゆっくしりたタコは触手の一つをぺちぺちハゲ頭に当て、やがて思い出してこう言った。「『kamikaze ants』?」
《あれ自爆ですよ……》何処の大和魂ですかとツッコみそうになったが、タコが大和を知らない事を考えて止めた。それよりタコが直立する姿は何だか不安になるので止めて欲しいなあ、と思う。《まあ何はともあれ、一件落着ですか》
「だといいけどねえ」
《え? それはどういう……》
「あー……まだ事後処理が残ってるって事」
《ああ、なるほど》
霊人は納得して肯いた。実際、自分も此処でボーっとしているワケにもいかない。戦闘シーンはハイライトだが、事件は何も警察と犯人のカーチェイスだけではない。そんな派手な部分ばかり見るのは三流だ。むしろ問題はその後。戦争よりも戦災復興。世の中には敵が多いが、ちゃんと助ける人達もいるという事を知らせるのが自分にとっての役割だ。
そう思い霊人は軽くタコに別れを告げ、カメラマンを引き連れて、最後にジョンに「ゴメンね」と少し悪ふざけし過ぎた事を謝って、救援者への取材に行った。
なお、タコはこの後何処かへ行き、ジョンはこの後数時間は眼を覚まさずほったらかしにされていたとサ☆。
てっぺんぐらりんぱらりのどんどハレルヤ。
ある日、世界は変異した。
二十年以上前に世界を狂乱に陥れた莫迦騒ぎ。世界に巨大な門が現れた時、後に「大祭害」と呼ばれる現象の下、現世に異界が出現した。まるでジャンルの違う別々の物語をごちゃ混ぜにする様に、星がぶつかり合う様に、空想の秘境、神話の怪物、伝説の宝具、その様なヒトの文献や夢物語に描かれた既知の存在はおろか、全く見た事も聴いた事も想った事もない存在まで混入し、世界は狂気としかし確かな喜々に包まれた。とある敬虔者は黙示録の前触れだと言い、とある経営者は金儲けのビッグ・チャンスだと思い、とある英雄願望は意気揚々と異形の世界を迎え入れ、とあるコソ泥は怪物の口の中に跳び込み、とある好奇心旺盛な者は怪物を捕まえて研究し、とあるこんな展開を望んでいた者は部屋の銃器を手に取り、とあるか弱きその他は無視と逃避を決め込んだ。何処ぞのデジタル統計によればこの祭害による人類を含めた動植物・場所・物質等全存在の三千分の二が死亡・消失・行方不明となり、それ以上の異世界が溢れたという。
日常はいとも容易く破壊され、現実は無慈悲に容赦なく突然に、抵抗する間もなく呆気なく砕かれた。それはあまりに無差別で、それはあまりに乱雑で、それはあまりにテキトーだった。現実と夢想の境界はあやふやとなり、映画のスクリーンの向こう側が溢れ出し、第四の壁は綺麗になくなり、役者と観客は入り乱れ、舞台と席は入り混ざった。
そんな中、国際連合を解体しそれに変わる形で旧人類の世界に住む生物・無生物を代表する者が集まる場として造られた世界統一機関である現界連合「日のあたる青い晴星(UNION EARTHER)」と、多様な異界を代表する場として造られた異界秘密結社「黄金狂世界(A∴O∴)」という二大組織が世界を統治。彼等は大災害と共に世界七カ所に出現した現れた巨大な「門」、後に至高天に至る叙事詩にちなんで「望の門」と呼ばれる門を中心に、周囲を隔てる「世界壁」を建設した。そして自然とその中が異界から来た住民や大災害にさらされた現界の住民の居場所となり、後にそのような街を其処に住む市民は(無論、皮肉を込めて)「壁地」と呼び、メディアは爆心地(と無論、かつての同時多発テロ)に由来して「G07(グラウンド・ゼロ・セブン)」と呼んだ。
更にそれに付随するように黄金狂世界と現界連合が協力し民間依頼請負組織を設立。一般市民でも組合に登録すれば能力・資格・経歴を問わず依頼の形で配布される異界に関する事件、俗に「界異」と呼ばれるソレを解決する制度が発足し、そのような彼等を賞金稼ぎ(バウンティハンター)と電気羊な非合法医療器具の運び屋になぞらえて「ランナー」と呼び、犯罪解決・目標確保・未開地探索に是が当たった。尤も、人間族はおろか異界族も、表面上では受け入れるものの、内心では黄金狂世界などという胡乱な異能集団になど従いたくないという者が少なくなかったが……しかし混沌する街の中、前振りなく起こりかつ既存の法律に当てはめられない界異に緊急に柔軟に各々の所存で対処する構造は便利であり(また責任転嫁・放棄でき)、情報の交流場も必要とされており、不安な情勢のなか何らかの繋がりを求め、何よりこんな世界に成って腕を試したい奴らは一杯いたので徐々に浸透していく事となる。
兎にも角にもこうして新たな世界の構図が出来上がり、子どもの落書きか出来上がり、設定を詰め込み過ぎて空中分解するような、御伽噺というにはとうてい滅茶苦茶で娯茶誤茶なお祭りの舞台が出来たのであった。
しかし、そんな莫迦騒ぎも今は昔……。
――――序幕 終