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Flame's Traitor −炎の反逆者−  作者: 紫月 一七
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その3

 そこは本に囲まれた場所だった。

 通路と壁の殆どが本棚で出来ている。部屋全体が本のためにある、そんな空間だ。

 ここは書庫である。

 魔剣が求めている大量の知識が集まる場所といえば、エンが思い付くのはここしかなかった。

 エンは書庫の一角で人目を憚るように魔剣にくっつけ情報と知識を吸収させていた。ジャンルは何でもいいらしく歴史や政治に始まり戦闘指南書や武器について書かれたものなど色々だ。果ては詩集や料理本にまで及んだ。

 何百冊目か解らない本を魔剣に当てると魔剣が光り、


《あちらの正面に置いてある本など面白そうなのだがな、小僧》


 魔剣が指しているのは部屋の中央にある本棚のことだ。そこには『イチ押しのオススメ本』と書いてあった。

 エンは一度それに目をやってから視線を魔剣へと戻し、


「あっちはダメだ。書庫の管理人から見えるし、人も多い。こんな隅っこでさえ気を遣うのに……」


 本を当てては元に戻し、隣の本を引き抜いて剣に当てては戻す作業を繰り返しながらエンが答える。

 それを周囲に気を配りつつやるので、有り体にいって不審者に近い。別段悪いことをしているわけでもないのだが、どうにもそんな気分になってしまう。


《気にするな。本を盗んでいるわけではない。その内容を記録して書庫から持ち出そうとしているだけだ》


「……それなんのフォローにもなってないからな?」


《問題ない。そんなことができるなどとは誰も思うまい。む……そっちの下の本を当てろ》


 そこで突然魔剣から指示が入り、エンは他を飛ばして指定された下段の本を抜き取ると、


「なになに……他人をリラックスさせる小粋なジョーク集? お前何するんだこんなの?」


《戦いには交渉事もあるかもしれんからな。人心掌握術として覚えておいて損はないだろう》


 そういうものなのか、と思い、当てて戻すと一旦作業を中断し、一息をつく。


「なあ、この辺でもういいか?」


《そうだな。あとはやはりあっちの『イチ押しオススメ本』のコーナーを見たい》


 妙にこだわる魔剣。

 エンは再びそちらを見るが、その周辺には席に着いて本を読んでいる生徒もいた。一冊取って見えない場所で当てる手もあるが、何度も往復すると怪しまれるだろう。

 何度か思考するも、この時間帯は厳しいとの結論に達した。


「だから無理だって。どうしてもっていうなら人の少ない時間帯にだな」


《ふむ。ではそれとは別に官能小説が読みたい》


 へいへいと怠そうな感情を声にし、探し出そうとするエンだったが、その手が止まった。

 ……ん? あれ? こいつなんか今変なこと言わなかったか?

 訝しげな眼で魔剣を見て、確認のために聞いてみる。


「おい、今なんて言った……?」


《官能小説だ。なるほど、意味が解らないか。ならば砕いて言おう。――エロいのないのエロいの》


「そんなもんねーよ! 大体戦いに何の関係もないだろ!?」


《何を言う。おおいに関係があるぞ。我の戦闘に対する士気が著しく上昇する》


「そんなことで高揚してると知ったオレの士気がだだ下がりだよ!」


《それはいかん。お前も読んで上げろ。ついでに我に当てろ》


「完全にお前のためじゃないか! オレはそんなの読んでも士気は上がらないからな!」


《ちっ……少しくらい楽しんでもいいではないか。ケチなガキだ》


「お前の個人的な趣味だと認めたな!?」


 エンが詰問すると、魔剣は不服とばかりに深い溜息を漏らす。それから少し口調を落ち着けて、


《解った。一冊だけでいいから当てろ。オススメ本の中にあるはずだ。だから色々と理由を並べて我を近付けんのだろう?》


 なんの譲歩にもなっていない。そして魔剣があのコーナーにこだわる理由が露呈したところで、


「あのなー、言っておくがオススメ本の中にエロいのなんてないぞ?」


《なんだと……? 人間がエロいのを薦めないで一体何を薦めるというのだ?》


「お前は人間に対してどんな偏見を持ってるんだよっ!」


《偏見ではない。煩悩の塊であり、エロい文化を育む者たちだと定義しているだけだ》


「それを偏見と言わずして何を偏見というのか……」


《いいから早くしろ、このエロス文明》


「お前喧嘩売ってるんだよな? そうだよな?」


《先程の本の内容にもあったぞ。『人間……それはエロスである』と》


「くっそ! もっと本の内容を確かめればよかった!」


 本気で後悔し、本棚に手を置いてうなだれていると、足音が近付いてきた。

 エンは騒ぎ過ぎたかと思い、身を強張らせてそちらに向くと正面に立っていたのは制服姿の女生徒だった。

 銀髪の三つ編みおさげに黄色の瞳。ぶ厚いメガネを掛けていた。正しくきちんと着ている制服には『書庫管理代理』と書いてある腕章を付けられていた。

 少女は警戒を解く笑みを見せると、


「何かお探し物ですか?」


 優しく耳朶に触れる声だ。エンはその柔らかな音に僅かに意識を奪われていたが、少ししてから立ち直った。


「あ、いや、ちょっとな。騒がしくてごめん」


「いえいえ。お困りなのかと思いまして声をお掛けしただけですので」


 柔和な笑顔を見せる少女に見惚れていると、横から声が掛かった。


《おい小僧。チャンスだ、聞け。官能コーナーはどこだと》


「聞けるかっ!」


《まさか同種族との会話もままならんとは……》


「いやさっきライナとも話してたし! その落胆するような声はやめろ!」


《よいか? 人間の心理によると疲れて頑張っている人間は好印象のようだ。息を切らせつつ場所を聞け》


「内容的にただの変態だろ!」


《ならば頬を赤らめて聞け》


「それでも変態だし、どんな羞恥プレーだよ!」


《ええい、最後の手段だ! 肩を掴んで真剣に問い詰めろ!》


「徹頭徹尾変態じゃねーか!」


 エンは叫び過ぎて痛くなった頭を押さえた。

 魔剣とのアホな会話を前にしても少女は笑顔を絶やさずに告げた。


「それでは私はこれで失礼します。お探しの本がありましたらお気軽に申し付けてくださいね」


 頭を下げてから反転する。一歩を踏み出そうとしたところで、あ、と声を漏らし、こちらに半身を向けて口元に人差し指を当て、


「やっぱりもう少しだけお静かに願いますね?」


 それだけ言うと踵を返していった。

 可憐な仕種にまたしても心奪われていると、


《あの少女……》


 魔剣が今までとは一転して重い口調になった。それに気付いたエンは気になり問い掛ける。


「あの子がどうかしたのか?」


 魔剣はすぐには答えない。少しの間を置いてから声と光を発した。


《メガネっ娘か!》


「……うん。もう喋るな、お前」


 エンは溜息混じりに言うと、魔剣の最後の望みは叶えずに書庫を後にした。



 次に訪れたのは教室だった。

 一番奥に教卓があり、それを取り囲むように設置された長いテーブルがある。教卓の左右にある窓から光が入り、教室を明るく照らしていた。

 現在は休み時間なのもあって、生徒たちの喋る声や動きで充満していた。

 魔剣の要望でなぜかエンと少しでも関わりがある場所を見て回りたいとのことで、書庫から近い教室を選んだのだった。関わりがあるといっても主に魔法のことばかりなので、エンはそんなに授業に出てはいなかったのだが。

 特に見回る物もないし、魔剣の了承も取り、すぐに出ていこうと背後を振り向く。

 するとそこに一人の男が立っていた。

 エンは驚いて半身を引くと、男は手を後頭部に当て、


「ああ……ごめんよ。驚かすつもりはなかったんだけど」


 壮年の男だった。セミロングの金髪で顔立ちはいいが気弱な印象がある。痩躯でエンより僅かに高い背丈。白い教員用の制服を着ていた。


「クレイル先生」


 エンは彼を知っていた。

 クレイル・ロットン。エンの担任の教師である。担任と言っても教室には殆ど来ないエンにとっては、あまり馴染みのない人物だ。

 クレイルはこちらを見て視線と落とし首を捻って考えた後に、


「そう。エンガード君だったよね……?」


 自信なさ気な声にエンが頷くと、クレイルは胸に手を当て心底安堵する吐息を漏らした。


「はあ、よかった……。ところでエンガード君が教室にいるなんて珍しいね? もしかして僕の授業を受けに?」


「いやちょっと気分転換に寄っただけかな……?」


 エンの答えにクレイルは残念そうな表情で肩を落としたが、すぐに持ち直し、


「そうかぁ、まあそうだよね」


 はは、と笑うクレイル。

 そんな様子に、ここまで無言だった魔剣が声を出した。


《なんだこの影の薄い、幸のなさそうな男は》


「失礼過ぎるわっ!」


 飛び出した毒舌にツッコミを入れると、クレイルの身体がビクッと震えて強張った。


「え、その、僕がなにか失礼なこと言ったかな……?」


 不安そうに問い掛けるクレイル。そんな彼にエンはすぐさま眼前で両手を振って否定の意を見せた。


「違うって。こいつだよこいつ」


 魔剣の鞘をコンコンと叩く。

 それを見たクレイルは僅かに首を捻り得心いかない顔であったが、やがて笑顔を作り、


「と、とにかく僕でないのならよかったよ」


 言うとクレイルの視線が一度教室の中に向けられてから戻り、


「良かったら今度エンガード君も僕の授業を受けに来てよ。人気はないけどね……はは」


 自嘲気味に笑った声と授業を告げる合図となる音とが重なった。


「好きなときでいいからね。いつか来てよ」


「あー、うん。また時間のあるときに」


 薄い笑顔を見せたクレイルにエンは気のない答えを返す。それでも彼は満足したのか、頼りない背中を見せそのまま教卓へと向かって行った。


《おい小僧》


「なんだ魔剣」


《なぜはっきりと言ってやらんのだ? 貴様のような万年平教師に教わることなど何もないとな》


「お前はクレイル先生に何か恨みでもあるのか!?」


《恨みなどあるわけがない。あるのは出所不明の悪意のみだ》


「もっと酷いわ!」


 なぜだか知らないがやたらとクレイルに辛辣な魔剣だったが、エンはあえて深くは触れずに次の目的地へと向かうことにした。



 それからエンが暮らしている寮の部屋などを見て回った。部屋の中に入ると魔剣は『狭い部屋』だの『小汚い部屋』だのと散々な言いようだった。

 そして今、最後にエンがこの学園で最も深く関わっていた場所へと来ていた。

 校舎から続く渡り廊下を挟んだすぐ側、そこに古く小さな建物があった。壁にはひび割れが生じ、所々が傷んでいる。ドアから出た場所には柵があり、中央付近に二体の木製の人形が並べてある。

 ここは剣術の訓練場だった。エンや仲間たちが剣を振って汗を流し、苦楽を共にしてきた大切な場所であった。今やネリスの勢力によって魔法の研究部屋の一室にされてしまっていた。

 エンは拳を強く握る。

 人の思い出の場所にこうも容易く踏み込まれ、塗り潰されようとしている。悔しさや憤りで溢れ出てきた。

 相手に対しての感情だけではない。大切な物を守れなかった情けない自分自身にも、そんな感情が向けられた。

 どちらも許せない。そして奪われた物は必ず取り返す。

 エンの心は決意に満ちていた。


《熱いな……》


 まただった。

 魔剣は呼び掛けでも問い掛けでもなく、独り言を呟いている。まるで隠しきれない感情を無意識に吐き出しているような感じだった。


《小僧。どうやらお前の戦う理由はこれのようだな》


 意識を戻していた魔剣の言葉に釣られてエンの思考状態から引き戻された。


「もしかしてオレが戦う理由を知りたくて、わざわざ案内を?」


《それもある。しかしお前が戦う理由を再確認させるためでもあった》


 そうか、とエンは思った。

 自分はこれから前人未踏の挑戦をすることになる。たった一人で大規模勢力に立ち向かうのだ。そしてとてつもない強さの相手と戦い勝たなくてはならない。

 一介の剣士見習いには、その重圧は計り知れないものだ。だからこそ今一度確認をした。負けられない理由を。自分が取り戻したいものを。その覚悟と意志を以って反逆するのだと。

 魔剣はそれを伝えたかったのだろう。

 エンは一度両手から力を抜くと、開いた掌を見つめた。そこに未来を思い描く。

 ネリスに弾圧される前の、大好きだった訓練所の風景だ。エンが一番取り戻したいものだ。

 深呼吸をしてから、ゆっくりと両手を握り締める。掴み取るようにしっかりと。


《我を抜け、小僧》


 魔剣に促され、鞘から引き抜き正面へと持っていく。

 その輝く刀身に赤い光が反射すると、エンはそこで初めて空が変化していたことに気が付いた。

 青から赤へ。明るさを失う前の空がする最後の表情だ。

 夕焼けから指す光が魔剣を染め上げていた。まるで剣に引き寄せられるように朱の光が剣に揺らめき燃えている。


《これより我々の反逆を開始する。行くぞ、こぞ――》


 言いかけた言葉を途切れさせ、魔剣は照らされたものよりも一層強い光を出した。


《行くぞ! 反逆の意志を通す者よ!》


「おう!」


 二つの影が動き出す。

 失った物を取り戻そうとする少年と、それを叶えるために存在する魔剣。

 その瞳に迷いはなかった。動作に迷いはなかった。思考にも迷いはなかった。

 驚くほどに平静だ。静かにゆっくりと目標に向かっていく。

 ただ、共鳴する二つの心だけが熱く燃えたぎっていた。

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