1章の4
「……ええ、場所はトンネルの近くです。被害者が食われてるんで処理をお願いします。あと車もありますんで。はい、また後で」
報告を終えた志郎は、陰鬱な表情で携帯の通話を切った。
ホームズを仕留めた後トンネル付近で発見したのは身体をまっぷたつに断たれ、内臓や肉を食い散らかされた屍だった。
血の臭いを頼りにガードレールの下に落ちていた首を見つけるのは、死闘の後には中々に骨の折れる作業であった。
志郎の鼻は敵の追跡や消失物の発見にも力を発揮する。だからこそ今回の首無し殺人の担当になったのだが、今日は心身ともに特に疲労が激しい任務だった。
可哀想だがあの犠牲者は行方不明扱いになるだろう。それを考えて更に陰鬱な顔になる。
あと数分もしないうち死体処理班がやって来て、今夜の事件は闇へ葬られるのだ。
こういった魔術や怪物がらみの被害を隠蔽するのも拝み屋の仕事のひとつとはいえ、気分の悪い話である。
あの女性だけでも救えた上、儀式を阻止出来たのは僥倖であった。そうでも考えなければやりきれない。
(だから、少しは元気だせよ長谷川。お前にそんな顔は似合わんさ)
傍らで力なく座り込み、蝋のような蒼白の顔色で肩を抱いて震える長谷川琴美を、志郎は沈痛な面持ちで見つめていた。
初の殺しは深い傷痕を彼女の心に残したようだ。
つい先程まで嘔吐を繰り返していたお陰で頬がげっそりと痩けている。普段の明るい笑みを浮かべる健康的な顔色が嘘のようだ。
瞳も焦点が合っておらず、何かに怯えるように視線が泳いでいる。
髪の毛や顔に付着した返り血は乾き、赤黒い染みのようになっているが、それが放つ血生臭さだけは未だに衰えることなく志郎の鋭敏な嗅覚を突き刺していた。
「長谷川、大丈夫か? とりあえず立て、手ぇ貸すから」
見ていられなくなった志郎が、右手を差し出す。初めはきょとんと子供みたいな呆けた顔をしていたが、やがて言われたことを理解したのか、ゆるゆるとした動作でその差し出された手を握る。
剣ばかり振るってきた、自分のゴツゴツした無骨な掌とは違い、柔らかく滑らかな感触だった。指も細く、思った以上に小さく華奢なそれの感触と温かさへ密かに頬を赤らめながらも、手を引いて彼女を立ち上がらせた。
存外異性に対しては奥手というか、気恥ずかしさばかりが先に来る自身の性質に改めて苦々しさを感じながらも、二人でやや奥まった林へと向かう。
琴美を手頃な岩に座らせ、自分もその横へどっかと胡座をかく。
尻に泥がついたが、どうせ全身泥まみれの血まみれなのだ。今さら気にするほどではない。
「そうだ、吸うか? 少しは気分が良くなるだろ」
自分のマルボロを未だにぼぅっとした琴美の唇に挟み、火を付けてやる。
暗い林の中でほつれた紫煙が昇っていく。無言で一本それを吸い終える頃には、彼女もやや気持ちが落ち着いたのか、
「ごめん、煙草ありがとう」
と、蚊の鳴くような声だが一応の返答が聞けた。
「よし、今はそれで十分だ。後はゆっくり休め。余計なことは考えず寝ろよ」
幼子じみた素直な仕草で、こくこくと頷く。
今はまだ悩むのは後回しにした方が良い。今夜の事件は初陣としてはあまりに凄惨だったのだ。
敵の強大さも残虐性も、何もかもが規格外だった。この二人だけでよく勝てたものである。
まずは生き延びる事が出来たと喜ぼう。
苦悩も後悔も生者のみが持ち得る特権なのだ。
処理班が到着するまでのしばらくの間、二人で何を話すでもなく無言のままでいたが、決して気まずいものではなかった。
ふらりふらりと、頼りない足取りで二人して暗い道路を歩いて行く。
目指すは頼れる闇医者、時田英雄の診療所である。
死体処理班の車に乗せてもらおうかと思っていたが、班長に「シートが汚れる」と思い切り嫌な顔で拒否された為、診療所まで徒歩で向かう羽目になった。
二人とも酷く疲れているのに、これは軽く拷問に近い。
「クソ班長いつかぶっ殺す」と半ば本気の口ぶりで洩らした志郎の独り言が班長にしっかり聞こえていた為ひと悶着あったのだが、本編にはあまり関係ないので割愛しておく。
時刻は既に日付が変わり、一時間を過ぎている。
どちらも全身血染めな上、志郎に至っては人を斬ったばかりの刀が手の中にあった。
もとより人気の少ない深夜の町外れという場所なのでまず人には会わないだろうが、万が一の場合もある。
もしもパトカーにでも遭遇したら冗談抜きで言い逃れの出来ない状況なので、なるべく人目につかないよう注意しながら歩く。
琴美はつば広帽子を目深にかぶり、志郎もホームズがかぶっていた焦げ目のついたソフトハットをどさくさに紛れて失敬している。
二人で深夜の寂しい山道を歩くと、暗闇のなかで靴底が道路をうつ音だけが、やけに空気を震わせて響く。
何者かが背後からつけてくるような不安が生まれ、琴美は時折後ろを振り返りながら歩いている。
暗闇を歩き慣れないのもあって、これまで数回つまずいて転びそうになったほどだ。
対する志郎は疲れでふらつきながらも、闇のなかでも夜目がきいているかのように、スタスタと先を歩いている。
「そんなに後ろを振り向くな、本当にずっこけるぞ」
そう言った瞬間、まさにこけた。
ぐきっと足首から嫌な音を立てて転倒し、琴美が悶絶する。
思わず額を押さえて天を仰ぐと、
「ああああもう面倒くせえな!!」
痛い痛いと騒ぐ魔女を有無を言わさず背負い、歩き出した。
「ちょっと、恥ずかしいから止めてよ!」
「その足で歩けんのか!?こんなとこに置いていけるかよ、黙ってろ馬鹿が!!」
最初はぎゃあぎゃあと文句をいっていたが、やがて自分のせいでまた志郎に負担をかけてしまった事に気付き、「ごめん」と謝ってしまう。
「うるせえ、鬱陶しいから気にすんな」
返答のかわり首に回された細腕に力が入り、ぐぐっと彼女の身体が密着してくる。
「んうっ」と小さく呻きが漏れた。
つとめて平静を装っているが、内心ではかなり動揺した。背負っている彼女の温かさと柔かさは、年若い少年にとってやや刺激的すぎるのである。
ローブ越しでも解る、背中にあたる二つの豊満な膨らみと、背後に回した腕に乗った尻の重みと感触に悶々としながらも、ひたすら道を急ぐ。
(こいつはどうしてこう無防備なんだよ。こちとらお年頃だっての)
学校でも短いスカートが翻って下着が見えても気にせず走り回ったりする琴美の姿を、志郎はよく見かけている。
厳格な生活指導の教諭からはしたないと注意された事もあるが、全く気にしていなかった。
写真部には夏場に水着写真をとらせてくれと頼んだ気の早い者もいたが、彼女は躊躇なく「別にいいけど」といってのけたほどである。
自身の色気を理解しているのかいないのか。
恐らくは理解した上での行動だろうが、それにしても彼には刺激が強すぎる。
「あれ、ひょっとしてドキドキしてる?」
ようやくいつもの調子が戻ってきたらしい。おかしそうに笑いながら更に背中へ胸を押し付け、耳元でからかいを多分に含んだ、囁くような声音と共に吐息を吹き掛けてくる。
精一杯の虚勢でうるせえとぶっきらぼうに返すことで、どうにか面目を保とうとする志郎であった。
「ほら済んだぞ」
「おう、相変わらずはえーなジジイ」
最後に残った右腕の擦り傷に清潔な包帯を巻かれた志郎のそっけなさすぎる台詞に、時田は嘆くようにため息をついた。
「志郎、お前はツラは不味くないんだからその無愛想さと口の悪さをなんとかしなさい」
こめかみを押さえて頭痛に耐える馴染みの老紳士に、今度はうるせえやいと舌を出して毒づいてみせる。子供丸出しだが、時田の前ではだいたいいつもこんな感じである。
まあ、先ほど家の外の庭で全身に浴びた血液を洗い落とす為、ホースからの冷水をぶっ掛けられて強制的に行水させられた恨みもあるのだが。
春とはいえまだ水は冷たく、夜風も冷たかった。丈のあっていない薄い緑の入院着を着て洟をすする姿が少し間抜けである。
ちなみに琴美は姿を見るなり悲鳴をあげた時田に風呂を貸してもらい、ただいま入浴中である。
さすがに他人の家の風呂場でそう長居はしないと思うので、そろそろ出てくるはずだが。
志郎がそう思っていると居住スペースの扉が開き、同じく入院着姿の琴美が出てきた。
窮屈そうに上着を押し上げる胸が否が応でも目に付き、濡れた髪を拭く姿が何とも艶やかである。
「すいません、お風呂ありがとうございました」
大人びた容姿相応に、礼儀もできている。よくできた少女だ。
志郎に見習わせたいと口にする時田に、すかさず志郎が鋭い視線と「うるせえハゲ!」という暴言を送る。
「誰がハゲだコラァ!」とそれには珍しく時田も本気で怒った。
傍らではおかしそうに琴美が笑っている。
楽しい一騒動を越えて、隣り合わせのベッドで時田の煎れた紅茶を飲んで、ようやく一息を入れる。
もう時間が遅いので今夜は一晩診療所に泊る事となった。ちなみに志郎は念のために検査入院扱いである。
病室のベッドは柔らかく、消毒液臭いのが難点だがなかなか寝心地がよさそうだ。
「しかし、ホームズか。あんな奴がこの界隈にいたかな」
「何か気になる?」
「ああいう事件を起こしそうな殺人鬼の情報は結構入ってくるんだよ、ファウストではな。長谷川は、最近ファウストがマークしている組織を知ってるか?」
琴美は首を横へ振るう。 静かな口調で淡々と志郎が語り始めた。
「詳しくは知らんが魔術結社というよりは、殺人狂の集まりらしいんだ。暗殺や復讐代行の殺人とかを行う連中でな。団長や幹部以外はろくな魔術も使えん奴も多いが、残虐性の高い人殺しをかき集めて団員にしてるらしい」
現在ファウストは彼らを次の標的に定めており、その組織も勢力の大半が近隣に集結しつつある。
近いうちに大きな抗争となるはずだ。
相手の組織の性質上そういった殺人鬼の情報が、ファウストでは逐一集められている。
しかし、今夜戦ったホームズも首を持ち去った正体不明の術者も、何の情報もなく突然現れた存在だ。
それがいっそう今回の事件の不気味さを強調している。
「ただ、何かしらの関係があるのは確かだな、ホームズからはあの魔方陣の染料の臭いがした」
「……ほんと凄いよね、狗賀君の鼻」
よせや、と照れ臭そうに苦笑いする。
臭いを察知した瞬間、疾風のように駆け出して驚異的な跳躍力で道を跳ね飛び、見事に殺人鬼に殺される直前の女性のもとまでたどり着いたことを思い出す。
あれも山犬の神を奉る宮司の家系という特殊な血筋から授かった力なのだろうが、今までの身体能力だけ見ても軽く人間の枠からはみ出ている。
学校の体育でもスポーツ万能な印象を受けていたが、あれは能力をセーブしていたのだと理解した。
彼が普通の人間として生きていくためには必須技能であろうが、その制御法を如何にして身に付けたのかが少し気になった。
(やっぱ、武術を長年やってたお陰かな)
彼が武術嫌いなのは知っていたので、こう思っても口には出さなかったが。
「気になるなら時田先生に聞いてみれば? 物知りだし」
「そうだな。もう今日は遅いし、明日にでも聞いてみるべ」
「それがいいよ、私もう眠くてさ」
先刻、ホームズから助け出した例の女性の記憶を操作して、今夜の記憶を曖昧にしたばかりだ。
救急車で運ばれていく彼女をこっそり影から見送った後から猛烈に眠い。魔女の瞳に重い瞼が下がってくる。
魔術の連続使用は肉体だけでなく精神的にもかなりの疲労を伴う。横になればすぐに夢も見ずに眠れるだろう。
「んじゃ、おやすみ」
カーテンが閉められ、志郎がベッドへ身体をどっと沈める気配が伝わると、すぐに安らかな寝息が聞こえてくる。恐らく3分もかかっていない。
琴美も横たわった瞬間から睡魔に身をまかせ、深い眠りへと落ちていった。
カーテンの隙間から、細長い光が部屋に忍び込む。
それに微かな眩しさを感じた志郎が目をさますと、普段目にする木目とは別の見慣れぬ白い天井があった。
「そうか、昨日は診療所に泊まったんだよな」
髪質の硬い頭をガリガリとかきむしりながら、上体を起き上がらせる。
壁の時計を見るとちょうど朝の6時である。
こんな時でも身体に染み付いた規則正しい生活習慣を発揮する自分に苦い顔をしつつ、のそのそとベッドを這い出る。耳を澄ますと、横のベッドからはカーテンごしに安らかな寝息が聴こえた。
琴美はまだ就寝中らしい。自分はもうかなり疲れが引いているが、彼女はまだ眠り足りないだろう。
起こさないようにそっと部屋を出た。
病室のドアを開けると、すぐそこが時田の仕事場に繋がっている。
朝早くから机に向かい何やら熱心に書き物をしている時田に軽く挨拶をすると、怪訝な顔で振り向かれた。
「早いな、もう起きたのか。検査はまた後にするから、今は寝ててもいいんだぞ?」
「いや、ちょっと聞きたいことがあったんだ。昨日俺たちが戦った相手の情報を知らないか?」
昨夜死闘を繰り広げた謎の殺人鬼、ホームズの容姿や能力を話す。
しかし、時田も心当たりは無いようで首をかしげるばかりだ。
「なんだよ、役にたたねえな」
「こら、何だその口の利き方は。昨日も言ったが、お前は目上の者への態度がなっとらん」
「朝から説教すんなよ鬱陶しい」
しばらくの間やや声を荒げて言い争っていると、両者に安眠を妨害されたか今度は琴美が部屋へ入ってくる。
「おはようございますう……」
特徴的なくせ毛が四方八方に跳ね、普段は釣り目がちな瞳は垂れ下がってしまっている。
いかにも寝起きでござい、といった風情である。
「うるさいから目が覚めちゃったよ。狗賀君の声けっこう響くのね」
「悪い悪い」
すこし不機嫌そうに頬を膨らませると、思い出したように、
「ところで、先生も昨日の奴のことは知らないんですか?」
「ああ、残念ながらな」
時田がさも残念だといいたげな顔でため息をはく。
「しかしホームズね。たしか、19世紀のアメリカにそういう殺人鬼がいたな」
時田の言葉に少し興味を引かれたらしい。志郎がへえと声を上げると、パソコンで検索してみる事を提案した。
使ってもいいかと聞いてみると、診療所の主は好きにしなさいと快く了承してくれた。
診療所の隅のパソコンを操作し、検索エンジンで単語を絞り込む。
すぐにいくつかのサイトがヒットした。
「えっと、『殺人医師』ホームズ…………ああっ!!」
突然あがる驚愕の声。
何事かと琴美がパソコンを覗くと、彼女も絶句したまま、時が停まったように硬直してしまう。
そのサイトに掲載されていたモノクロ写真に写った男は、間違いなく二人が倒したあの殺人鬼だった。
震える手で志郎が画面を操作すると、二人にとって恐るべき事実が次々とあらわになる。
そこに記載されていたのは、以下のような内容だった。
『殺人医師』ハリー・ハワード・ホームズこと、本名ハーマン・ウェブスター・マジェット(1860〜1896)は、アメリカの詐欺師、連続殺人鬼である。
ニューハンプシャー州に生まれ、幼少期は賢いが大人しい性格をしたごく普通の少年であったらしい。
その少年が医大生時代に解剖用の遺体を盗み保険金詐欺を働いたことで犯罪者としての思考が確立され、詐欺と殺人に明け暮れる人生を送ることになるのである。
後に活動の場をシカゴへ移した頃から開業医ハリー・ハワード・ホームズと名乗り、この男は恐るべき殺人鬼へと変貌した。
まず、薬局を経営していたホルトンという未亡人と愛人関係となり共同経営者に納まるものの、すぐに店を売りはらってしまう。ちなみにこの時ホルトン氏とその娘は行方不明となっており、彼に殺害されたという説が有力である。
そして1891年から、薬局の向かいに100の客室を備えるホテルを設立。
ホテルが完成した1893年のシカゴ万博のために訪れた客を、次々と毒牙にかけたのである。
実はこのホテルは部屋の壁をスライドさせるとあらわれる迷路のような隠し通路、遺体を運ぶリフト、客を窒息死させるガス装置、解剖部屋、硫酸プール、超高温の焼却炉といった様々な装置が仕込まれた殺人ホテルだったのだ。
これによってホームズは多くの人間を殺し、金品を奪っていた。ホテルの構造を把握しているのは彼だけだった事もあり、長期に渡って犯行が隠蔽され続けた。
経営初期は男性もその被害にあっていたようだが、彼の獲物の多くは女性である。快楽を満たすためだけに殺された者もいたらしい。
後の裁判では27件の殺人が有罪となるが、200名以上の人間がこのホテルで犠牲となったとも言われている。
万博が終わってからしばらくはホテルの客足が遠のいたことから、また保険金詐欺に手をだしていたが、ホテルの共同経営者とその家族の保険金殺人が発覚しあえなく逮捕となる。
ホテルにも捜査が入り、被害者の遺留品の多くが見つかり彼の凄まじい所業が公にさらされた。
35歳で絞首刑となり死亡。
死体を買い取りたいという医学者もいたが、医学から自身の死体を守りたいという本人の希望で、その屍は分厚いコンクリートの下に葬られた。
なお、彼は自分のような悪事をはたらく人間の身体には歪みが発生し、身体のバランスが崩れてしまうという独特の持論を持っていたようだ。
重い沈黙の中、琴美がようやく口を開く。
「死んだ人間を生き返らせて、その人間のもつ性質にあわせた能力をあたえる……それだけでも、かなりの術者ね」
「ああ、大変な仕事になりそうだ」
風が吹いた。
不気味な生暖かい風が、開いた窓から診療所を抜けていく。
そこにかすかに腐敗した肉と血の臭いが含まれている気がしたのは、果たして彼らの気のせいであったのか。
その日の正午、首無し殺人の二人目の犠牲者を知らせる凶報が、町を更なる恐怖へ叩き落す事となる。




