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1章の3

 風のうなりを耳に、長谷川琴美は杖にまたがり夜の空を疾走していた。

 殺人鬼を恐れて外出している人間が少なかった事と目指す場所が町外れであったことが幸いし、人に出会う確率も低かったため堂々と空を飛ぶことが出来ていた。


 脇に抱えた女性のだらりと力の抜けた身体の重みに焦りを感じながらも、目的地を目指す。

 やがて視界の向こうから白い壁の平屋が見えてきた。



 時田診療所は、昔からこの町外れに開業している診療所である。

 狭い庭にはこれまた猫の額のように狭い畑があり四季に応じた花が咲き、瑞々しい野菜が育っている。

 しかし、今はその植物の成長ぶりを眺める暇もない。

 大の大人を抱えているとは思えない軽やかな身のこなしで門を飛び越え、扉を力いっぱい叩いて主人を呼び出す。


「時田先生、急患です!! 開けてください先生ー!!」


 市街地なら近所迷惑だろうが、幸い周囲に民家はほとんどなく、診療所から一番近い民家でもかなり距離がある。


「そんなに怒鳴らなくとも、耳は遠くないんだ。ほら、入りなさい」


 遠慮なく声を張り上げ、殆ど殴りつけるような勢いで扉を叩き続けていると、ほどなく作務衣の小柄な男がひょこりと姿を見せてくれた。


 この診療所の主、時田英雄である。

 初老と呼ぶにはやや遅い年齢であろう。頭の髪の毛は全体的に薄く、白いものが混じっている。

 目元は優しげだが常に泣き顔のようにも見えてやや頼りない。

 しかし腰は少しも曲がっておらず、きびきびと歩く姿には年齢を感じさせない力強さを感じる。


「おや、君のその格好……なるほど、そっちの仕事か」



 時田は琴美の魔女の衣装に一瞬怪訝な顔をしたが、すぐに納得したような顔をして、気絶している女性を抱えてベッドへと運ぶ。

 実はこの時田医師、金さえ払えばどんな犯罪者でも治療するという触れ込みの闇医者であり、魔術師でもある。

 元は不老不死の霊薬の研究者であったが自身を実験台にして研究を続けた結果、時折死に掛ける事もあったが、気がついたら二百年以上も生きていたという筋金入りの研究の虫なのだ。

 現在は自身の研究成果を知らしめるため、新たなパトロンを得るため、せっせと裏家業に勤しんでいる。

 琴美の属する『ファウスト』も彼のパトロンの一つであり、彼に命を救われたメンバーも多い。どうやら、研究機関としての性格が強い『ファウスト』は時田にとっても居心地がいいようで、彼自身もちょくちょく本部に顔を出している。



 脚の傷を止血し、消毒、縫合。血液型を調べて輸血。全く淀みのない手つきで素早く処置を済ませながら、時田が琴美に話しかける。


「この患者はもう大丈夫だ。出血量は多いが、発見が早かったから命に別状はない。ここは私に任せて、早く行きなさい。仲間が待っているんだろう?」


「はい、ありがとうございます……でも、その前に少しお願いが」


「うん? 何かね」


 時田が怪訝な顔をして首をかしげる。


「足が震えるから、景気づけの薬とかほしいんですけど、あります?」


 一瞬、きょとんとした顔をしたが老医師はすぐに小さく噴出し、人好きのする笑みを作って見せた。


「わかった、ただ薬はないから、酒でも出そう。そこに冷蔵庫があるだろ」


 指で示す方へ目を向けると、いかにも年季の入った使用感のある冷蔵庫が二つ、部屋の墨に鎮座していた。


「その中に入ってるから、好きなのを飲みなさい。右側の冷蔵庫だ。左側のは仕事に使う薬が入っているから開けないように」


「すいません、駄目だなあ私、これじゃ狗賀君に迷惑かけちゃうかも」


「狗賀……ひょっとして狗賀志郎か? 君は志郎と組んでいるのかね?」


 冷蔵庫を開けながらの呟きを捕らえた時田が、少しばかりの驚きをこめて琴美を見つめる。

 知ってるんですか? と返すと、懐かしそうな顔で頷いたあたり、どうやら旧知の仲らしい。まあ、裏社会での時田の人脈は広いし、表でも長年この町で診療所を開いているから、志郎と知り合いでもおかしいことはないのだが。


「学校でも同級生なんです。無愛想だけど、一部の女の子には人気あるんですよ。顔もお世辞抜きでマアマアだし、頭もそれほど悪くないし、あとスポーツの成績もいいです」


「そうかね。私はね、あいつが小さいころはよく怪我の手当てをしたもんだよ。爺さんと荒っぽい剣の修行ばかりしていたから、年中生傷だらけでね。中学のころからうちにはあまり来なくなったんだが、どうやら元気そうで安心したよ」


(荒っぽい修行か……なるほど、子供のころの厳しい修行のせいで、剣が嫌いとか言ってるのね)


 時田に聞いたとは黙っておいた方がいいだろう。プライバシーは犯すし、志郎本人もあまり話したくないようだ。パートナーなのだから、いずれ自分から話してくれる位にはなってみせると決意する。


「おっと、話し込んでる場合じゃないや。じゃあ先生、この焼酎もらいますよ!!」


 手ごろな位置にあった酒を瓶ごと掴み、喉を鳴らして直接ラッパ飲みする。

 芳醇な香りと豊かな味わいが舌と鼻に広がり、アルコールの熱が喉から胃を駆け抜ける。なかなかの高級品らしく、時田に対して少し罪悪感を感じた。


「ごちそうさまでした!」


 瓶のふたを閉めると、診療所の玄関へ飛び跳ねるように走る。

 酒に強い体質なのか、酔った様子は殆ど見られない。


「ああ、後でこの患者の記憶を操作してほしいから、また来てくれよ!!」


 わかりましたと後ろは振り返らず返し、魔女は杖に跨ると、再び夜空を飛び去っていった。







 月の光が木立の合間から差し込む暗い林道で、剣戟の音と火花が散る。


 ひとりは剣を構えた少年、もうひとりは槍を構えた異人。



 狗賀志郎と殺人鬼ホームズの戦いの場は、道路脇から伸びる林道の中へと移っていた。


 道路では人目につく心配があったため志郎が敵を誘導したのだ。

 木々の間隔は狭く、槍をなぎ払ったりといった使い方をするには不利な地形であり、ホームズの攻撃の殆どは突きに限定されていたが、それでも攻撃の一つ一つが必殺の威力を持っている。油断のできる相手ではない。


 再び、異形の槍が大気を穿って突き放たれた。


 攻撃自体は単調だ。内心では冷や汗を流しながらもできるだけ小さな動きで身体を横へ平行移動させて回避し、一気に間合いへ踏み込む。

 自身の肉体にひねりを加え、独楽のように回転する。その勢いのまま跳躍し、敵の脇をすり抜けながら首へ斬りつけた。


 過たず喉笛に切っ先が潜り、横一文字に血の花が咲き誇った。


「ぐぶぅっ!!」


 くぐもった声とともに、ホームズが喉元を押さえる。指の間から大量の血液が零れ落ち、地面にびたびたと気持ちの悪い音を立てて赤黒い血痕となって貼り付いた。


 鮮血が間欠泉のように勢いよく噴き出す。しかしその勢いはすぐに衰え、ばくりと口を開けていた裂傷も瞬く間に治癒してしまう。


 何度見ても危機感を煽る光景である。


 痛みはあるようで、顔の下半分を真っ赤に染めながら血走った眼でこちらを睨んでくる。

 常人ならば確実に四〜五回は死ぬほどに斬り付けているのだが、それら全てが悉く治癒してしまうとは、尋常ではない。

 もっと血を流せば或いは失血死させることもできるかもしれないが、気の長すぎる作戦だ。こちらが先に潰される可能性の方が高い。

 やはり、首を落とすか、脳を壊すか、心臓を潰すか、胴を切り離すか。


 結局はこのどれかしかない。


(それにしたって、攻撃力が不安要素だな。今の俺一人の状況じゃあ)


 相棒の帰還が待たれるところだが、彼女は今日が初陣だ。あまり頼りすぎるわけにはいかない。結局、自分の出来る事をやるしかないのだ。


 つらい状況に歯噛みしながら敵に目を向けると、ホームズも再び槍を構えていた。


 腰を低く落とした中段構えだ。石突きの辺りを右手でしっかりと握り、左手は柄に添えて全体を支えている。どことなく、ビリヤードのキューを握るような姿に見えた。


 今までの力任せの振り回すだけの戦法とは違うように見える。


「……?」


 両者間の距離は十数メートル程度に開いている。


 志郎が今までとは違う相手の様子に警戒を強める。それが僅かな動きの硬直を生んだ。


 それを見抜いたか否か、ホームズの足が突如砂塵を巻いて地を蹴った!!


 獣の唸りの様な意味不明の声をあげ、長身痩躯の身体が駆け抜けると、右手一本で槍を突き出してくる。



(これは、受けたらマズイ!!)


 遠間から突き出される槍を回避すべく、背後へ飛び退く。しかし次の瞬間、間合いから逃れたはずの彼の胸元へ、グロテスクなコウモリの意匠がぐんと伸び上がった。

 

 咄嗟に刀でその進路を阻み、心臓を貫かれる事は免れたものの、その衝撃はすさまじく、彼の身体は鞠のように回転しながら地面の上を吹っ飛ばされ、背中を木に強打することでようやく止まった。


 脳を揺さぶられた衝撃に耐え、どうにか視線をこらす。


 そこで見たものは身長とほぼ同程度の長さと、その痩せ型の体躯には不釣り合いな丸太のような太さにまで肥大化した歪な右腕で、グロテスクな槍を握ったホームズの姿であった。

 その異様な姿はシオマネキを連想させる。


 生地の下から強靭な筋肉に押し上げられ悲鳴を上げるスーツの袖を、ホームズは空いた左手で掴むと躊躇なく引きちぎった。

 上等なスーツが哀れにも台無しになってしまったがそれにも構わず、巨大な右腕で槍を掲げて殺人鬼が哄笑する。


「思い知ったか、このホームズが授かった歪みの力を!!」



 頭を打ち付けたせいでやや朦朧とする意識のなかでも、ホームズの得意気な台詞はやけに響く。志郎は不利な状況下でも不思議と冷めた思考のなかで、相手の言葉を分析していた。


(歪み……なるほど、あのアンバランスな身体があいつの能力ってわけか)



 そんなことを考えながら、そろりと動かした右手がジャケットの胸ポケットへと伸び、ほどなく金属の硬さと冷たさが指を伝う。



 敵の動作を確認する。こちらには気づいていない。

 この程度で俺を仕留めた気になるとは馬鹿なやつだ。

 一瞬でも地獄を味わえ。



 びょお、という奇妙な風切り音と共に、白々とした光を放つそれが闇を裂いて投擲された。


 硬いものが柔らかい肉に刺さる小さな音。


 ぴたりと哄笑が止み、時が停まったように林道が静まり返った。



「…………ん、な? あ、ギャアアアアアアアア!!!!」



 数秒後、絶叫が雷鳴のように轟く。

 志郎が投擲した棒手裏剣が、ホームズの左眼を深々と刺し貫いたのだ。

 激痛に身を震わせる敵の様子を好機とみたか、倒れ伏していた志郎がバネ仕掛けのように飛び起きる。

 樹に打ちつけられた背中がズキズキと痛むが、幸い骨は折れていないようだ。それ以外の傷も軽い打撲や擦過傷でしかない。

 つまり、戦闘の続行は可能である。


 そう判断した志郎の行動は速い。

 頭を落とした低い姿勢でホームズに向かって駆けるとすれ違いざま刀を薙ぎ、胴を払う。

 血飛沫が派手に弾け、裂けた腹から腸がこぼれ落ちるが、やはり出血はすぐに収まり時間を巻き戻したように腸が腹へと戻ろうとする。


 しかし、死にはしなくとも痛みはある。


 立て続けの攻撃を受けたことと激痛によってパニックに陥ったのか、巨大な腕が無茶苦茶に槍を振り回す。


 木々を台風のようになぎ倒すホームズの力に慄然としながらも、距離をとろうとした志郎の元にコウモリの斧刃が迫る。

 咄嗟に飛び退こうと膝を折り跳躍に備えたが、その必要はなかった。

 天から飛来し、地面に突き立てられた杖がその攻撃を阻んだのだ。恐ろしいほどの柔軟性と弾力で、魔人の振るう槍が跳ね返される。


 そして、その杖の持ち主たる魔女が音もなく大地へ降り立つ。


 大地から引き抜いた杖を鋭く凪ぐと魔物の舌のように赤々とした炎がうねり、ホームズの顔面をなめる。

 髪の毛と眉毛の焦げる嫌な臭いと共に短い悲鳴を上げた殺人鬼を後退させ、焦げ目のついたソフト帽がばさりと足元へ落ちていった。


 その様子を見た志郎の口元へ、自然に笑みが浮かぶ。


 アゲハチョウのようにはためく黒のマント。


 丈の短いローブからのぞく白い脚。


 年齢とは不相応に大人びた美貌。


 すべてが、待ち望んだ彼女のもの。


「遅いぜ長谷川!!」


「ごめん、大変だったみたいね」


 杖を構え直しながら、全身傷だらけ泥だらけの志郎に申し訳なさそうな顔をする。


「気にすんなって」


 本心からの台詞だが、彼女は気がすまないのか、


「少し休んでてよ、私だけで戦ってみるから」


 と、予想だにしないことを言い出した。


 大丈夫なのかという気持ちは確かにあったが、正直疲労していたので彼にとってもその申し出はありがたい。


「んじゃ頼むわ、やばくなったらすぐ助けてやるから、やって来い」



 刀を鞘へ納め、手ごろな木へ背中からもたれかかる。


 それに代わり、琴美が緊張した面持ちで前へ出た。


 視線の先には顔の火傷はすでに消失しているが、拡張した巨大な眼に憎悪をこめて此方を睨むホームズがいる。




 長谷川琴美の初陣が始まった。



 先手はホームズが取った。


 異様な長さの腕を活かした、遠間からの刺突が襲い掛かる。


 顔の横を槍が通過するだけで張り手をくらったような衝撃が頬を打ち、鼓膜がびりびりと振動する。背後で身代わりになったようにクヌギの木が太い幹を蝙蝠の穂に打ち砕かれた。


 その凄まじい圧力に耐えながらも、琴美は槍を回避した。


「ハイル、西の風ゼフィルスよ! 無意識の海を司る女神たちよ! 我に力を与えよ!!」


 朗々とした声で呪文を唱えると、応えるかのように杖に刻まれたルーンが輝きを放ち、風が舞った!!


 小石や砂塵を巻き込んだ旋風が、ホームズを包んで切り刻む。


「うおおおおお!!」


 たまらず悲鳴をあげるも、風はすぐに止んでしまう。

 全身に刻まれた裂傷も浅いものばかりで、魔人の肉体に備わった治癒能力の前にはあっという間に消えていく。



「やっぱり、そう簡単にはいかないか……!」



 憤怒に彩られた鬼の形相で振るわれる槍を回避しつつ、自身の未熟さに歯噛みした。

 師匠であるファウストの首領が今の魔術を使えば、人間の3〜4人はまとめて細切れにしていただろう。

 比較するのもおこがましいという気持ちも無いわけではないが、いざ実戦にでると自分の未熟さ、幼さが嫌でも目に付く。

 体術に関しても、他のファウストメンバーとの組み手で負け越し中なのだ。


 しかし、大見得を切った以上、無様な姿はみせられない。


 喉から気合をほとばしらせ、魔女の黒影がマントを翻らせて闇を飛翔した。




(ほお、初陣にしてはなかなかのもんだ)



 戦いぶりを眺めていた志郎は本心から感嘆をもらす。


 杖と槍で押し合っては、押し負けて体勢を崩され。


 攻撃を捌こうとしては上手くいかず、もろに正面から受けてふきとばされ。


 その都度、地面を這いずる様に必死で攻撃から逃れ、隙を見つけては杖で相手を打ち据え、拳で殴り、蹴り付ける。


 志郎の上司の冷酷な人形使いなら、「無様」「見苦しい」と評するであろうが、志郎の目には実力以上のものがみえている。



「さて、もう一手は自分で決めてくれよ長谷川」



 その台詞が聞こえていたかのように、ホームズへダメージを与えるための強力な攻撃を叩き込む術を、琴美が組み始めた。


 右手には杖を構え、左手がマントの下に納めていた黒柄の短剣を抜き放つ。

 短剣はアサメイという魔女が儀式に用いる道具である。

 黒はあらゆるものを吸収する色であり、魔女はアサメイに吸収された力を放出し、奇跡をなす。


 思いついたのは、魔を縛る退魔術だった。

 反キリスト的な術の使い手たる自分にできるかどうかはわからないが、成功すれば恐らく戦況を変えることは出来る。術を教えてくれた変わり者の神父に使わせてもらいますよ、と頭の中で断りを入れておく。


 小さく、口の中で聖書の一説を呟きながら、チャンスをうかがう。



 攻撃をかわされ続けた苛立ちを隠そうともせず、ホームズが彼女へ向かい大振りな動作で槍を振りかぶった。


 肩に槍を担ぐような動作から大槌のようにそれを振りおろそうとした瞬間、早口で呪文を紡ぎながら琴美がアサメイを振り払った。



「父は火、子は火、聖霊は火、悪魔の枷! ベタラニヨウ、べジュネ、カシュン! そしてベアイファ・サタヴィアス、マシュファタネルシェ、キーヤキー、バロンス、カトリヤノス! これらの名で呼ばれる神よ、悪魔らを縛り給え!!」


 短剣の先端から鞭状に走った光が、異形の腕へ蛇のように絡みつく。

 強靭な筋肉へめきめきと音をたててめり込む光の呪縛に悲鳴を上げるホームズの懐へ、琴美が飛び込んだ。


 顔面の真下から右膝が垂直に突き上げられる。顎に飛び膝蹴りを叩き込まれ、殺人鬼が強烈なアッパーを食らわされたように仰け反った。



「うわああああああああ!!」


 間髪いれず頭上高くへ跳躍し、渾身の力をこめて脳天を杖で殴打する。


 目玉が飛び出し、耳と鼻から血を吹きながら長身が背中からどうと倒れこむ。次の瞬間には声にならない悲鳴と共に、ホームズが頭をかかえて転げまわった。


「どうよ、魔女の杖の味は!!」


 胸を張って吼える琴美の肩を、いつの間にか隣に来ていた志郎が叩いた。


「よくやった、上出来だぜ。さあ、そろそろ仕留めるぞ」


「狗賀君……」


 志郎が刀の鯉口を切り、琴美も再び杖を構えた。





 頭から夥しい鮮血をこぼしながらホームズが起きあがる。


 頭部に強い衝撃を受けた為か幾分ふらつきが見られ、自慢の得物たる長槍を杖のようにして身体を支え立ち上がった。


 しかし、その眼は憤怒や憎悪などという生やさしい言葉では表現できないほどの暗く濁りきった負の感情を宿し、炯々とした光を放っていた。



「あああああああああああっ!!」



 獣のような絶叫を迸らせ、目玉に突き刺さったままの棒手裏剣を引き抜き投げ捨てる。


 あまりの力に、岩に叩きつけられた棒手裏剣は無様にひしゃげてしまった。



「殺してやる……!!」



 口から出たのは陳腐な文句だが、ホームズから感じられる殺気は今までの比ではない。


 猛獣の檻に裸で放り込まれた方が、まだ生きた心地がするのではないか。

 そう思わせるほどの圧力が、心臓を鷲掴みにする。

 今から何かが起きる。自分たちにとっては確実に良くない何かが。


 志郎と琴美は、本能的にそう確信した。


 刀をもつ志郎の手が指の関節が白くなるほど強く柄を握り、琴美は震える身体でゆっくりと杖を構え直す。


「こんなガキ共に、これを使う羽目になるとは思わなかった……だが、私を怒らせた罪は重い。後悔するんだな!!」



 言うが早いか、ホームズが服を脱ぎ捨て上半身裸になる。



 変化は顔から訪れた。



 まず、先程まで串刺しにされていた左眼がこれまでより更に大きく、まるで単眼に見えるほどに拡張する。


 やはり、それも力一杯風船に息を吹き込んだような急激さだ。

 それだけでも、気の弱い者が目にすれば卒倒してしまいそうなおぞましい光景だった。

 口も耳元まで裂けたように大きくなり、胸にまで届く長く赤い舌が垂れ下がった。頭から滴る血液と相まって、化け物じみた容貌が出来上がる。



 顔の次は身体だ。



 肌が瞬く間に赤銅色へ変化すると、今度は筋肉を軋ませる音を立てて、ひとまわりも大きく膨れ上がる。

 スラックスを引き裂いて現れた脚は、百年の齢を経た大樹を思わせるほどに太く逞しい。上半身の筋肉もまるでそれ自体が堅牢な鎧のようであった。


「ゆクゾぉ!!」


 長い舌のせいか口調が奇妙なイントネーションとなり、声も低く唸るような不気味なものへと変化している。



 最後に、今や象でも一撃の元に殴り殺せそうな巨腕で槍をつかみ、吼える。



 ただそれだけで、空気が震えた。



 志郎と琴美は早鐘のように鳴り響く心臓を押さえつけ、単眼の巨人と化した殺人鬼ホームズと対峙する。



「とんでもねえな……二人でこれを殺るなんざ」



 鯉口を切り、腰を落とした居合い構えをとった志郎が琴美に指示する。



「長谷川、援護を頼む。俺が先に行くからお前は後方から攻撃しろ。隙があれば自分の判断で大技をぶちこめ。飛び道具はあるか?」



「だ、大丈夫。石ころがあれば幾らでも使えるよ」


 足下の瓦礫を拾い、握りしめて応えた。



「よし、じゃあ行くぜ!!」


 勢いよく地面を蹴り、志郎が間合いを詰める。

 対するホームズも、馬鹿げた大きさの腕で槍を突き出す。硬い筋肉に覆われていながらも柔軟に動く腕は、人に悪意をもつ竜の如き脅威となって彼を襲う。

 その速度も、得物を振るうたび巻き起こる衝撃も凄まじいが、退くわけにはいかない。


 グロテスクな穂先を跳躍で回避し、致命傷を与えられる距離に到達した瞬間、相手の首めがけて必殺の一撃を放つ。


 鞘から自身の最も得意とする技の一つを、抜き打ちに走らせた。


 田宮流居合い術“稲妻”の太刀――!!


 志郎が学んだ剣術の流派は三つ。

 鹿島神道流、薩摩示現流、そして田宮流居合い術。


 名は体を表すという言葉の通り、雲間を閃くひとすじの雷光の速さと鋭さを備えた剣が、敵の首を斬り落とさんと襲いかかった。


 しかし、巨体に似合わぬ俊敏さと柔軟な身体でホームズも“稲妻”を回避しようとする。


 結論からすれば敵の攻撃を先読みする志郎の立ち回りの勘、実践における経験差が勝った。


 鋭い刃になぜられ、首筋が裂ける。


 鉄を束ねたように硬い筋肉だったが、志郎の技量と合わさった井上真改はそれを見事に削ぎ取った。

 やはり痛みはあるようで、首から血飛沫を流しながらわずかに体勢を崩す。


 苦し紛れに振るった槍はむなしく木々を粉砕するだけで、志郎には届かない。


 相棒が安全地帯に避難すると、すかさず琴美が追撃する。


 右手の人差し指で小さな石礫を弾き、ホームズへと発射した。

 古武術の技である、小石や木の実を弾いて攻撃する“指弾”と似ているが、武術にあらず。

 これも魔女・長谷川琴美の駆使する『魔術』の一つだ。


 その石礫はまるで弾丸のような勢いで、敵めがけて飛んで行く。

 残念ながら眉間などの急所にまでは届かず、異形の右腕に進路を阻まれたものの、それはドリルのような回転を活かし、筋肉の中へ潜り込む事に成功した。

 めりめりと肉へ食らいつく石礫の激痛に、ホームズが苦悶をあげて呻く。



 魔女術“妖精の矢”。

 スコットランドの魔女イゾベルが、悪魔から授かったと云われる邪法である。

 古来より邪悪な妖精は強力な弓矢で人や家畜に害を及ぼすと言われており、この術はその邪妖精の矢と同じ力を秘めている。

 指で石礫を弾き、動物や人間を射殺するという至ってシンプルな攻撃魔術だが、使用する石礫の大きさと術者の腕前によっては大口径の拳銃なみの威力を発揮するのだ。


 何よりも石さえあればいくらでも使用可能な手軽さから、琴美はこの術が気に入っている。

 命中精度に関しては自信もある。破壊力は低いが、いまの自分の力でホームズをしとめようとは考えない。


 現在の自分は援護役だ。

 相棒たる狗賀志郎がその刃を存分に振るい、敵を斬るための手助けを全力で行えばいい。


 実力の無さに落ち込むのは後回しにして、自分に出来ることを精一杯やろう。


 ポジティブな思考が、脳を冷静にし、視界をクリアにする。それが敵の動きを先読みし、的確な攻撃を可能とした。その援護に後押しされ、志郎の剣裁きもますます冴える。


 一刀を手に決して臆することなく斬りつけてくる志郎の猛攻と、遠距離からの琴美の狙撃にホームズは徐々に劣勢へ追い込まれていった。



「そこっ!!」


 また、琴美の繊手が石礫を弾き出す。

 立て続けに撃ち出される“妖精の矢”が、どすどすと音をたてて太股や胸板にかじりつく。

 眉間を狙った本命の一撃は回避されたが、ゾリッという厭な音をたてて頬骨の辺りの肉を削ぎ取っていった。



 ぐおおと唸り、ホームズがわずかに膝を落とす。


 その機会を逃すほど、志郎は愚かではない。構えが正眼から、刀の位置を頭の右上にまで高く掲げた八相に変わる。


 それは、薩摩示現流“蜻蛉”の構え。



 別名『二太刀要らず』と呼ばれるほど、一撃必殺に重きを置く、示現流剣法の強さは有名だ。

 その太刀は受ければ死ぬとまで言われ、実際幕末には示現流剣士の一撃を受け止めたものの、自身の刀の鍔で顔面を強打して死亡した侍までいたというから凄まじい。

 その示現流の剣が志郎の人間離れした身体能力と合わさった時、『ファウスト』内部でも恐れられる程の力を生む。

 剣術・体術の腕前だけならファウストの幹部クラスにもひけはとらない技量を持つ少年剣士の刃に、気迫の渦が竜巻のように絡み付いていく。



「チェエエエーーー!!」




 示現流独特の気合い“猿叫”を喉から絞り出し、志郎が走る。

 その声だけでも、鳥を射落とせそうな殺意が含まれていた。

 リーチの大きすぎる右腕と長槍では、懐に入れば対処が難しい。そう考え、志郎は一気に突撃した。

 大蛇がうねるような軌道を描き、槍が幾度となく突き出されるが、それらは尽く志郎の肉体を貫く前に紙一重でかわされてしまう。

 示現流に後退はない。

 蜻蛉(とんぼ)のように前にのみ進み、全身全霊を込めた一刀を振るうのだ。

 人外の腕力を乗せた槍が、身体をかすめていく恐ろしさすら今は眼中にない。

 瞬く間に志郎は敵の攻撃をかいくぐり、自身の刀で相手を引き裂く事の出来る距離へ到達した。

 ホームズがあわてて左手で拳骨を作り、大げさなモーションで拳を振りかぶる。志郎を殴り飛ばすつもりであろう。


 その一撃だけでもまともに受ければよくて重体、下手をすれば命を失うほどの殺傷力が込められているだろうが、当たらなければ意味はない。


 繰り出す前に、その攻撃を潰してしまえばいい。



「うぅらあっ!!」


 肩から体当たりの要領でホームズにぶつかり、次いで流れるような動作で鳩尾に頭突きを叩き込み、拳をかざした半端な格好のまま後ろへ下がらせる。


 次の瞬間、攻撃体勢を崩したホームズめがけ、天を突いて掲げられた白刃が一切の慈悲なく振るわれた。



「チェストォ!!」



 剛剣一閃!

 左の首筋から右の腰まで、捻り込むような動作で刃を袈裟懸けに振るった。

 咄嗟に筋肉に力を入れ、ホームズも耐えたが既に手遅れだ。鎖骨のあたりにぞぶりと刃が潜り込む。

 相変わらず鉄のように硬い筋肉だが、名刀の斬れ味と志郎の技量があわされば斬れない道理はない。


 まずは、鎖骨や肋骨を砕く感触が生々しく手元へ伝う。


 続いて、斬り開かれた厚い胸板が顔面へ焼けるような熱さの鮮血を噴き付けてくる。


 最後に、切っ先が鼓動する心臓を抉る確かな手応え。


 その手応えを手元の柄に残したまま、全身全霊で刀を振り抜いた。



「うおおーーーーっ!!」



 殆ど断末魔に近い絶叫が迸った。

 木偶のように立ちすくんだ魔人の巨体がぶるぶると痙攣しながら、肉の裂け目から凄まじい量の鮮血を噴き散らす。


 数秒の間を置き、伐採された樹木のように前のめりに赤い紐のような血を棚引かせながら崩れ落ちていく。



「ざっ、ざまあ、みろってんだ……!」



 体力も緊張感も既に限界に近い志郎が、息も絶え絶えに喘ぎながら毒づく。

 刀を振り抜いた勢いはそのままに、倒れこむように膝をついてしまった。今までの激戦の疲れが一気にどっと岩のような重さを伴って身体へ降りてきたようだ。

 本人の思っていた以上に、ホームズとの死闘は過酷だったのである。

 身体中に浴びた血液ともうもうと立ち込める血煙、そして疲労に霞んだ視界でホームズを見やると、尋常ではないほどに苦しんでいた。

 引き裂かれた胸を左掌で押さえつけ、巨腕で天を仰ぎ、口と鼻からおびただしい量の血を吐き出し、殺人鬼が悶絶する。


 心臓を完全に真っ二つにしたかどうかは判別がつかないが、今までの攻撃のなかでは最もダメージを与えられたようだ。にんまりと志郎の顔に笑みが浮かぶ。

 吸血鬼は心臓に西洋サンザシの杭を打ち込まない限りは滅びぬという話はよく知られている。

 この殺人鬼ももしかしたらそういった弱点を抱えた魔物なのかもしれない。ああいうものは、最後にどういう方法で倒すかが重要なのだ。

 おぼろげにそんな事を考えながらも、これが絶好のチャンスだという事を思い出す。


 これを逃せば次どうなるか分からない。

 だが、今の自分には少し荷が重い。悪いけれど彼女に頼もう。


「長谷川、でかいのをブチかましてくれ!! 脳を壊すか、心臓を潰すか、首を落とすか、胴体を切断するかしないと、あいつは死なない!!」




 志郎の言葉を受け、琴美は杖を構えて口の中で小さく呪文を唱え始めた。

 杖に刻まれたルーンが淡い光を帯びて幻想的に輝くと共に、黒衣の端々から小さな紫電が乱れ飛ぶ。

 焦らず、ゆっくり、丁寧に、術式を完成させる。


 心臓を抉られる痛みに胸を押さえてホームズが立ち上がろうとする姿が目に入ったが、不思議と琴美は落ち着いていた。



 大丈夫、失敗なんてしない。


 きちんと殺せる。


 待望の術式の完成に、口元へ小さな笑みが浮かぶ。

 ふと前を見ると、苦しげに顔をゆがめた殺人鬼が自分へ凶眼を向け、再び槍を構えていた。

 ふらつきながらもぐっと猫科動物のように腰を屈め、飛びかかって来ようとする動作が見える。琴美が大威力の魔術を行使しようとしている事に気づき、それを阻止するつもりらしい。


 だが、こちらが術を撃つ方がきっと早い。



 魔女が凛々しく杖を掲げた。



 殺人鬼が魔女へ槍を突き立てんと、闇夜を一直線に跳躍する。


 瞬く間に距離が狭まり、魔女の豊かな胸にコウモリの穂先が迫った。


 危険と感じた志郎が飛び出そうとするのが視界の端に映った。


 もはや距離は数メートルしかない。このまま槍は彼女の心臓も肺もまとめて破壊し、胸と背中の風通しを良くするかに思われた。


 しかし、それよりもほんのわずかに速く、魔女が夜の静寂に朗々と響く声でその言葉を解き放つ。



 ――――北欧の雷神が下す、正義の鉄槌の名を。






「“ミョルニル”!!」






 光の柱が天と地を繋ぐ。


 裁きの雷が落ちたその先は、殺人鬼の頭部である。


 頭蓋骨が、脳が、髪の毛が、眼球が、耳が、鼻が、歯が、ハンマーで殴られたスイカのようにあっけなく粉々に爆ぜ、一瞬の悪夢を見せる。



 歪な弧を描いて、頭を失った巨体が地面へ激突する。全く勢いを殺さぬまま肉を潰し、骨を砕けさせながら地面の上をゴムボールのように数回跳ね、三〜四本の木を巻き添えにしてぶち折りながら、ようやく止まった。


 とめどなく流れる血の海に、魔人の骸が沈んだ。


 下顎から上が綺麗に弾け、長い舌が馬鹿でかいヒルかミミズのように血溜まりで小さくひくひくと蠢いているのが生理的嫌悪を煽る。


 傍らには槍が持ち主を失い、がらんと音を立てて放り出された。

 グロテスクなコウモリの穂先からは犠牲者のものであろう、血と臓物の臭いが漂っている。


 そして全身を返り血で深紅に染め、魂の抜けたような顔で死骸の傍らに立ち尽くす、琴美の姿だけが残った。


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