6章の7
「きええええーーーーッ!!」
奇声を迸らせ、志郎の斬撃がスカイスタンへ放たれる。
正眼、八相、上段、下段、脇構え、霞と、構えを目まぐるしく変化させながら、考え得るあらゆる角度で斬りかかる。
対するスカイスタンは身を捻りながら黒い剣を的確に振るい、志郎の太刀を受け流す防御姿勢を崩さない。
端からは一方的に志郎が攻めているように見えるかもしれないが、実際にはマントの裾すら未だに切っ先へ捉えることが出来ない。
身体を軸にした回転運動に、斬撃のことごとくが不気味なほど自然にいなされる。
(……なんだこりゃ、気持ち悪ぃ)
焦燥と嫌悪が、じわりと胸に広がってくる。
ただ剣を合わせただけで、これほど不安を生む相手は志郎も初めてだ。
今まで戦ってきたどんな相手とも違う。スカイスタンには生命ある者が本来持つはずの熱やエネルギーといったものが感じられない。
しかし、幽鬼を思わせる掴み所のない気配の底には、肉体はおろか魂をも凍結させるほどの冷たい悪意があるのが分かる。
「ふっ」
と、軽く息をはいて、スカイスタンの爪先が地面を滑る。アイススケートのようになめらかに、音もなく。
そして、剣を振るった。
左右から疾風の速度で繰り出す凶刃が志郎を襲う。
「ぐっ!!」
身を反らしてかわすものの、Xの字を描くように、鎖骨から胸元までの皮膚が裂けた。
一瞬、鉄が肌に触れる冷たい感覚があるが、それはすぐに鋭い痛みへ変換される。
「チェエエエッ!!」
しかし、そこで歩みを止めず、反撃のために踏み出す。まだ薄皮を斬られた程度だ。
蜻蛉の構えからの斬り下ろし。猿叫と示現流の太刀が唸りを上げる。
切っ先が頭部を捉えた。
だが、頭蓋骨を割る手応えも血飛沫も無く、切っ先が宙空を通過して足元へ突き刺さっている。残像だ。
スカイスタンは魔鳥のように跳躍し、すでに間合いから外れている。
瞬間移動のような素早さだった。
そして着地と同時、再度間合いを詰めて突進してくる。
片手突き。高速で伸びる黒い切っ先を、刀でかち上げた。甲高い音が響き、呆気なくスカイスタンの掌からサーベルが弾かれる。
好機とばかり、大きく踏み込む。だが、気付いた。
敵の悪魔のような笑みに。
風切り音が耳朶を打つ。
「うおっ!?」
咄嗟に頭を沈めて回避した。間一髪、首の高さを妖風が通り抜けていく。
持ち主の元を離れたはずの剣が、高速で旋回しながら襲いかかったのだ。
続いて、薙ぎ払いと突きが来る。まるで見えざる手に操られているように、剣が空中で閃く。
一手一手が鋭く、攻撃を捌いた腕に痺れが伝う。
「さすがだ。並の相手なら、大抵今ので終わるのだがな」
嘲りを込めた口調で、スカイスタンが言った。
見えざる手に操られたサーベルはひとりでに宙を浮遊し、既に主人のもとへ帰っている。
肝が冷えたが、逆に少し冷静にもなれた。
相手は剣士や武術家でもなく、悪魔の力を司る妖術師なのだ。
こちらも臨機応変に戦わなくては勝ち目がない。
呼吸を整え、納刀。
むやみに得物を振り回すばかりでは体力を消耗する。
一手一手に精神を集中させるのだ。
柄頭に手をかけた抜刀術の構えで、迎え撃つ体勢を取った。
「ほぅ、そうきたか……」
スカイスタンが、ゆるりと剣を持つ手を頭上へ掲げた。切っ先が天を差す。
鍔のドクロの意匠が青白い炎を吐き、刀身を包む。
「行くぞ」
そして、高速で剣が振るわれる。
うぉん、と黒い刃が鳴いて、そのつど刀身から剣圧を伴う鬼火が走った。
志郎目掛けて青炎が津波のように押し寄せてくる。素早く跳んで避けたが、一面火の海となった視界が熱と炎で眩む。
それでも五感を研ぎ澄ませて、敵を探した。
「そこかっ!!」
後ろに気配を感じ、抜刀する。
抜き打ちざま、背後に刺突を放った。
直感通り、スカイスタンが背後に回り込んでいる。
鳩尾を狙う突きは僅かに退いて外された。しかし、そこで攻撃の手を止めず、更に真っ向から斬り下ろす。
田宮流居合い術“富士山”だ。
鋼が激突音を奏で、刃が軋む。
脳天から股間まで、真っ二つにするつもりで叩き落とした一刀を、妖術師は片手一本で受け止めていた。
そのまま、鍔迫り合いに突入する。
「ぬ、うぅ……!!」
「おやおや、そんなものか?」
刀と剣が、金属の擦れる音を立てて絡み合う。
今度は岩のように重くなって動かない。
枯れ木を思わせる痩身からは想像もつかない力で、スカイスタンが押してくる。
重心を移動させてなんとか崩そうとしても、相手も巧みな体捌きでそれを許そうとはしなかった。
やはりスカイスタンは強い。
認めたくはないが、魔術だけでなく剣術も達人の領域だ。
「この程度で死んでくれるな。お楽しみはこれからだぞ」
ふいに圧力が消え、スカイスタンが鍔迫り合いを解いた。
互いに飛び退き、再度距離を取る。
「次は、彼らと遊んでもらおうか。
冥界と地と天のボンボーよ。広い道と十字路の女神よ。汝、手に松明を持ち夜を徘徊する者よ。昼の敵よ、来たれ」
サーベルを杖に見立てて振りながら、妖術師が不気味な呪文を唱えた。
黒魔術による攻撃が来る。
「闇の友にして闇を愛する者よ。
汝、雌犬が吠え、温かい血が流れるときに歓喜する者よ。
汝、亡霊とともに墓地を歩きまわる者よ。
汝、血に渇く者よ。
汝、身の毛立つ恐怖で人間の心を震え上がらせる者よ。
ゴルゴーよ、モルモよ、千変万化の月よ。我らが犠牲に恩寵の眼差しを向けたまえ」
3世紀ギリシアの教父ヒッポリュトゥスの著書『哲学的思想』に記された、女神ボンボーの守護を求める祈願文だ。
ボンボーとは、ギリシア神話における多くの魔術・妖術の守護神ヘカテの別名。
豊穣と月の女神であるが、生け贄を好む冥界の神としての顔も持ち、古代では名を口にする事すら憚られる「名もなきもの」と恐れられた。
ボンボーは夜になると血走った眼をした地獄の猛犬、小鬼、悪霊、騒霊といた妖怪・亡霊の群れを従者として引き連れて地上をさ迷い、人間に悪夢や狂気を引き起こす原因になるという。
動物の中でも、犬だけがその姿を見る事が出来るとされており、深夜の遠吠えはこの恐ろしい女神の来訪を告げると信じられてきた。
伝承を再現するように、スカイスタンの周囲に不気味な遠吠えが鳴り響く。
月光に照らされた妖術師の足元で、影が異様な気配を孕む。
そこから産まれた26個の赤い眼が志郎へ一斉に視線に向け、切り絵のようにじわりと魔獣が滲み出た。
それは13頭の、血走った眼と闇のような毛並みを持つ、筋骨隆々とした体躯の犬だった。
見事なほどに黒々とした体毛と、血肉を喰らい舐め啜る期待に満ちた真っ赤な口と舌のコントラストが、異常なほど鮮明だ。
夜の神の従者である、猛犬達を呼び寄せたのである。
そのすべてが志郎を獲物と見て吠え猛り、地を蹴立てて跳んだ。
「ちっ」
舌打ちと共に唾を吐くと、敵の群れに対して身構える。
先頭の一頭目。
喉元へ飛びかかってくる頭へ切っ先を叩きこむ。
グキャッと硬い手応えがして頭が割れた。
脳ミソを撒いて崩れ落ちる姿には目もくれず、周囲の気配を探る。
一息つく暇もなく、複数の獣臭と殺意が凄まじいスピードで接近している。
返す刀で、円を描いて薙ぎ払う。
ギャウンッ!!
甲高い悲鳴をあげて、今度はまとめて三体の胴が分かれた。
鈍い切断音が連続し、六つの黒い肉塊が空中から地面に叩きつけられた。
あとは煙のように屍が溶け、血痕だけを残して闇に還っていく。
四頭が一瞬で殺られたのを警戒してか、犬達が僅かに退いて包囲が緩む。
これ幸いと、志郎が疾駆した。
取り囲まれれば、一気に敵の爪牙の餌食となる。
動きを止めず、常に動いて戦うのだ。
「チェエエイッ!!」
パチンコ弾のように四方八方を跳ね、一匹ずつ確実に減らす。
猿叫と共に刃を振るうたび、獣の断末魔が轟き、鮮血が飛散した。
だが、さすがに無傷とは行かず、徐々に細かい傷が増えていく。
正面。三日月のように裂けた赤い口蓋が、顔面を砕こうと迫る。
「ふっ!!」
下段から切っ先を摺り上げる。
上昇する銀の斬線が、犬の鼻先から眉間まで垂直に貫いた。これでちょうど10頭目。
きりきりと回転しながら、鼻面が裂けた黒犬の巨体が弾け飛び、視界が一瞬遮られる。
それに姿を隠して、もう一頭が横から躍り出た。
しまった、と口にする暇もなく、脇腹に爪を叩き込まれた。肉が深々と抉れる。
思わず顔をしかめると、更に追撃が来た。肩口に噛みつこうと牙が迫る。
「ぐぅっ!!」
回避しつつ、素早く斬撃を放った。太い首が切断され、頭部を失った身体がどぅと地へ倒れ伏す。
「ああああああっ!!」
しかし、手傷を負った代償は大きく、両脚に激痛が走った。
停滞を見逃さず、残る2頭の犬に、右の脛と左のふくらはぎへ噛みつかれたのだ。
ボリッゴリッという骨を齧られる、背筋の凍る音と感覚が脳に伝う。
「離れろ、犬ッコロ!!」
左の犬の頭を刀で串刺しにし、右の犬の眉間を棒手裏剣で貫く。
どうにか全ての犬を倒したが、予想以上のダメージを受けてしまった。
激しい痛みに膝が震える。
「いや、お見事。さすがは狼の末裔よ」
「そりゃ、どーも。じゃあ、さっさと来いや……」
歯を食い縛り、踏ん張って立つ。
まだだ。まだ戦える。
「……では、お言葉に甘えて。これに耐えられたら褒めてやろう」
スカイスタンが、再び剣を高く掲げた。
ただそれだけの動作で、凄まじい殺気と悪意が周囲に満ちる。
今までの攻撃とは違う。スカイスタンの本気の一撃が来る事を否応なしに察知した。
剣尖が渦巻き状の奇怪な文様を描く。そして、
「エド・エグラ・エギオン・ベストール!!」
鋭い声の詠唱と同時の、高い跳躍。
マントを獲物に襲い掛かる猛禽のように広げ、スカイスタンが猛然と迫った。
「うおおおおおおおおおッ!!」
尋常ではない速度の一撃だ。よけられない。
腰を落として受け止める。
だが、細腕から繰り出されたはずのその斬撃が、信じられない程に重かった。
衝撃に負けた身体はサッカーボールのように吹っ飛び、転落防止の鉄製フェンスに激突してようやく止まった。
「う、が……!」
まずは、しこたま叩き付けられた背中が痛む。その直後、頭を揺さぶられた嘔吐感がこみ上げた。
激突の凄まじさを物語るように、背中を預けたフェンスは飴細工さながらにひしゃげている。
風雨に晒され老朽化した代物が、よくもってくれたものだ。
下手をすれば今ので落死してもおかしくはなかった。
いやに冷静な頭で、そんな事を考える。
裂けるような笑みを浮かべて剣を携えた黒影が、再び志郎へ接近していた。
「くそ」
力なく悪態をついて立ち上がり、刀を振るう。
何でもいい。小さな手傷でも相手に負わせて、とにかく流れを変えたい。
だが、無情にも全ての太刀筋は読まれ、流されていく。
「この……」
面打ちを繰り出そうと振りかぶった。
しかし、振り下ろす暇もなく、今度は横合いからサーベルの柄頭を脇腹へ打ち込まれた。
「ぐああ!!」
あばら骨が折れる感覚がして、げぼりと口から胃液があふれる。
(やべえ、こりゃ本気で死ぬかもな……)
激痛に蹲る志郎を、スカイスタンが冷酷に見下ろしている。
状況は、未だ彼に勝利の可能性を見せてはくれなかった。




