1章の1
授業も終わり、F県見島市の県立神代高等学校1年C組教室には甘美な怠惰が満ちていた。
校内には遅くまで残らず、用事が無ければ早く帰宅するようにと勧告が出されているが、それに従おうと思っている者はほぼ皆無である
三日前には市内で猟奇殺人事件が起きたというのに、暢気なもの等とは決して言えない。こうした事件が身近で発生したとしても“自分は大丈夫”と楽観するのが、遊び盛りの高校生の大多数の特性なのだ。
五月にもなると既に一定の交遊グループが出来上がっており、カラオケやゲームセンターや買い物へ繰り出す相談、部活へ向かう声など様々な会話が飛び交っているが、中にはそれらに余り関わりをもたず独り寂しく教室をあとにする者もいる。
――――狗賀志郎も、そんなやや社交性に欠けた少年であった。
高くも低くもない標準的な背丈に反して、四肢は筋肉質に引き締まってがっしりとしている。首から肩にかけての筋肉も太く、ちょっとやそっと殴られたくらいでは倒れそうもない力強い印象がある。
顔立ちはそこそこ整っており、笑顔を作ればある程度の好感を他人から獲得できそうなものなのだが、長く伸びた前髪の間から覗く今年で16歳を迎える少年としては異様なほど剣呑な光を帯びた眼と、無愛想な“へ”の字に結んだ口元がそれを完全に打ち消してしまっている。
彼は静かに教室のドアを開くと放課後の校舎をこれまた静かに歩いて、ある場所へと向かっていった。
自分の背中を追い掛ける好奇心に満ちた視線に、煩わしさを感じながら………。
錆び付いた扉を越えて、やってきたのは屋上。春とはいえやや風が強く冷たいが、それが今はかえって心地良い。
「ふう………」
詰め襟のボタンを外し、安堵の息を吐いて学生鞄から取り出したものは煙草――銘柄はマルボロだ――であった。
ポケットの中にある使い古しのジッポライターで火をつけ、さも美味そうな顔で肺に煙を吸い込み鼻から吐き出す。
高校一年生にしては一連の動作にやけに貫禄がある。
空腹にも睡魔にもかなりの耐性があるが、煙草だけは我慢できない。これをやめたら多分俺は死ぬ、と心の中で断言してみる。大袈裟な物言いだが、その位喫煙という行為は志郎にとって重用なのだ。
ひととき至福の時間を愉しむとフィルターの根本まで短くなった煙草を携帯灰皿にねじ込み、じろり、屋上と校舎を繋ぐ鉄扉を睨んで、
「………バレてるから出てこい、長谷川」
冷淡な言葉を投げかけた。
「あ〜ららぁ、鋭いねえ」
悪びれない口調で、女生徒が扉から姿を表す。
女子としては少し高めの身長に、肩まで届く程度に伸ばした特徴的なクセ毛。良く動く、ややつり眼がちな瞳が好奇心旺盛な猫を思わせる。
大きく張り出した胸に、短い丈のスカートから伸びる長い脚。太股の白さは眩しい程だ。
その高校生とは思えないスタイルの良さが健康的な色気を放つ、間違う事なき“美少女”であった。
長谷川琴美…………どういうわけかは知らないが、志郎に対して興味を持っているらしく、事あるごとに話しかけてくるクラス委員である。
正直、志郎は彼女が苦手だ。
悪い奴ではないと思うのだが、あの瞳に心の中を見透かされているような気がしてどうにも落ち着かない。くわえて、あの特徴的なハスキーボイスでまくし立てるように喋られては、彼のような口数の少ない人間では対応しきれない。
「……何の用だ? 煙草吸ってたのを注意とかか?」
ふてぶてしく、紫煙で輪を作りながら聞いてみる。
「そんなセコいマネしないわよ………第一私も吸うんだから」
ほんの少し、志郎は驚いた。明るく社交的だが基本的には真面目な奴だと思っていたので意外だった。
言葉通り、スカートのポケットから出てきたのはバージニア・スリム。
志郎のものよりも遥かに高級な某ブランドのライターで、口にくわえたそれに火を点ける。
「放課後は吸いたくなるよね、禁断症状っていうか」
たまに大学生やOLと間違えられるという大人びた容姿と裏腹に、歳相応な笑みを作る。不覚にも一瞬見とれた。
「………お前、案外不良だな」
「煙草、他の人には内緒よ」
分かってると答え、しばし、他愛ない会話をする。と言っても喋るのは殆ど琴美で、志郎は適当に生返事と相槌を返すばかりであったが。
その会話の流れで琴美はこんな質問をした。
「ねえ、剣道部入らないの?」
「………入らねえな」
声にあからさまな不機嫌を込めて言った。
「何で? 確か剣道有段者でしょ」
「剣、嫌いなんだ」
これには彼女も唖然とした。一切淀みなく断言したので、流石にかける言葉が見付からない。
「好きでやってたわけじゃないんだよ………忌々しい」
心底から嫌悪を剥き出しにして、ヤニ混じりの唾を吐く。普段から冷淡な志郎には珍しい感情の吐露だった。
ぎりっと音を立てて歯を噛みしめた口元から、長く鋭い犬歯が覗く。激しい表情が獣を思わせる。
彼に対して“ワイルド”とか“男らしい”とか、そういう評価を下す女子も幾人かはいるが、それ以上に“怖い”という者が多いのが琴美にも少し理解できたであろう。
「ごめんね、嫌な事聞いちゃって」
「別に、お前が謝る事ないだろ。んじゃ、俺そろそろ帰るから」
「待って、私も行くよ。一緒に帰ろ?」
返事を待たず、ぴたりと傍らに寄ってくる。
出来れば一人で帰りたいのだが、琴美の強引な性格は既に周知の事実なので諦めることにした。
やれやれめんどくさい、と口の中で呟き、錆び付いた扉を開ける。
本人達が思っていたよりも、時間がたっていたらしい。
太陽は西に傾き、少し薄暗くなった校舎を二人で歩く。
グラウンドから届く運動部のかけ声や音楽部の奏でる楽器の音色が、寂しくこだましていた。
志郎は帰宅部で、琴美も今日は委員会の仕事はない。のんびり二人で寄り道しながら帰宅することとなった。
寄り道に選んだのは、とある喫茶店だった。
安くて美味い金のない学生の味方。ダイエットブームに媚びず、しっかり甘いケーキが食べられると評判である。
琴美はカフェオレとアップルパイを頼み、志郎はブラックコーヒーとチーズケーキ。
美味い美味いと目を輝かせてケーキをパクつく女子に対して、男子は相変わらずの仏頂面を崩さない。
もそりもそりとマズそうな顔で切り崩したケーキを口に運び、ブラックコーヒーで早々と胃の中へ流し込む。味わっているようには見えない、雑な食べ方である。
「ほんと、美味しくなさそうに食べるよね」
「この顔が素なんだよ……ケーキは美味かったぜ」
ケッと吐き捨てむくれた顔でそっぽを向く。何が楽しいのか、無邪気な顔で笑う彼女を直視するのに珍しく少々の気恥ずかしさを感じたのだ。
琴美の笑顔に眼のやり場を失い、所在なさげに視線をさ迷わせると、パトロール中であろうパトカーが、店の側の道路を走って行った。
「……最近、パトカー増えたな」
げんなりと、窓の外を眺めて呟く。
「そりゃ、あんな事件があればね」
学校付近の住宅街にある、小さな公園で起きた猟奇殺人――――片田舎の静かなはずの街を三日前から、最悪の形で賑わせている凶事である。
被害者は全身を執拗に切り刻まれ、四肢を切断されていた。更にその死体は地面に描かれた奇妙な紋様の上に打ち捨てられ、頭部を持ち去られている。
絵に描いたような悪魔崇拝の儀式を思わせる異様な現場は、現役の警察官ですら慄然としたという。
「カルト犯罪か。まさか日本の、しかもこんな地方で起きるとは思わなかったね」
窓から見える道行く人々も、どこと無く早足で帰途についているように見える。確実に恐怖は根を張ってきているのだ。
「なあ、仮にこの街のどこかに、殺人行為の組み込まれた黒魔術の儀式を実践して、更にその首を持ち去った変態野郎が潜んでいると仮定してだな………そいつの最終目的は何だと思う?」
琴美は苦々しい笑いを口元に浮かべ、言った。
「それは、悪魔を呼び出すんじゃないの? 生贄まで捧げてるんだから」
志郎は笑いもせず少しの間虚空を見上げ、
「やっぱりか」
短い台詞とともに深い溜め息を吐いた。
「その悪魔、呼び出すのに一人で足りるのかねぇ………」
まるで、これからも殺人が続くのを予想しているかのような口ぶりだった。
……どうにも、暗い雰囲気になってしまったと志郎は感じた。というか、明らかに女と二人でいる時にやる話ではない。
気まずそうに沈黙した彼を見かねたのか、ことさら明るい声音で琴美が聞いてくる。
「ところでさ、進路ってもう決めてる?」
「ん? ああ、大学はいくつもりだけど。それで、店を継ぎたい」
へえ、と意外そうな顔で呟き、
「狗賀君の家ってなにやってるの?」
「骨董屋」
さらに意外だった。
無骨な彼に骨董屋という単語はあまり結びつかない。というか明らかに、芸術とか風流とかいうものを介するタイプではなさそうなのに。
「お前似合わないとおもってるだろ。まあ気持ちは分かるが、これでも結構勉強してるんだぞ?」
苦笑混じりだが、普段よりずっと楽しそうな顔だと思った。本当に骨董屋を継ぎたいのだろう。
「なれるといいね」
「なるさ」
琴美の言葉に、笑顔で返す。二人で静かに笑い合う。
――――でも、骨董みたいに、剣は好きになれないの?
喉元までせり上がったその言葉を、琴美はどうにか飲み込んだ。
時間は少し飛んで、その日の深夜。
狗賀志郎と長谷川琴美。
この二人の腐れ縁は、この夜から始まった。
小さなテーブルと桐箪笥、そして型の古いテレビが置かれた畳張りの自室で、狗賀志郎は胡座をかいて刀の手入れをしていた。
その手に握られているのは漆塗りの黒鞘に納められた刀と、鍔なしの白木の鞘の脇差しである。
「……………」
無言のまま手慣れた動作で刀の柄を握り、音も無く抜刀する。
申し分なく研がれた刀身には一点の曇りもない。その斬れ味を体現するかのように電灯の光を反射し、凶々しくも鮮烈に輝いている。
井上真改――――『大阪正宗』とも呼ばれる名刀である。今現在用意できる武器の中では最上のものだ。
本当なら安物の刀で済ませたいところだが、今夜の相手は相当に手強いらしい。念には念を入れて挑まなくては命に関わる。
もう一本の脇差しは現代の作だが、こちらも実戦には差し支えない出来だ。
この他にも棒手裏剣と合口を既にジャケットへ仕込んである。人間相手ならこれだけでも十分なのだが、今夜の相手には殆ど威嚇程度にしかならないだろう。しかし、気休めでも無いよりはマシだ。
「さて、今夜も殺りますか」
武器満載のジャケットを身に付け、使い古しの竹刀袋へ入れた刀を担いで志郎は家をあとにした。
一緒に仕事をする同業者は今夜が初陣らしい。
共倒れ等という結果にならないよう、サポートしてやらなくては。
「大丈夫………心配ないから」
長谷川琴美は自分を見つめる両親を安心させるようにというよりは、自分に言い聞かせるように言って玄関の扉を開け放った。
右手には表面に無数のルーン文字が刻まれた、節くれ立った杖を握っている。
「さあ、行こう!」
気合いを入れるように頬と太ももを掌で叩き、身を翻す。すると一瞬のうちに彼女の身体を漆黒のローブとマントが包み込み、頭にはコーンハット――俗に言う“とんがり帽子”だ――が現れる。
「エスネイビー・ヒークスム!」
呪文を唱え軽い動作で杖に跨ると、その身がまるで強風に吹かれた羽根のように浮遊する。
見えないエンジンを積んでいるかのような勢いで、彼女は夜空を引き裂き推進した。
「殺さなきゃ殺されるんだ………迷わないよ、私は魔女なんだから」
その呟きは誰にも聞かれる事なく、唸る風の中へと消えた。
月の光を厚い雲が覆い隠していく。まるでこれから地上で繰り広げられる戦いを、月が眼にする事を遮るかのように。
暗闇の中で風に吹かれ怯えるようにざわめく木々が、一層の不安を煽る。
「まだかな……?」
高校生が腰を下ろすにはやや頼りない大きさのブランコに尻を預け、志郎はひとり退屈そうに公園で紫煙をくゆらせていた。
ここは三日前、殺人事件の起きた現場。今夜からともに事件を追うパートナーが指定した待ち合わせ場所である。
魔法陣や血痕などは綺麗に片づけられているし、今更幽霊だのが怖いとも言わないが、はっきり言ってこんな場所で待ちぼうけを食わされては気分が良いわけがない。
「ったく、拝み屋稼業の初陣で遅刻かよ」
不機嫌そうな口調でヤニ混じりの唾を吐く。これだけの動作で、育ちの悪さが滲み出るようであった。
狗賀志郎は『拝み屋』だ。
拝み屋とは心霊現象や呪いといった世間的には“胡散臭い”と認識されているものを扱う、所謂『オカルト業者』を指す。
もちろん大多数はインチキだが、その大多数の偽物に対してほんの一握りの本物が存在する。そういった本物の拝み屋達は独自のネットワークを張り巡らせ、幾多の組織を結成し、様々な活動を行っているのである。
当然ながら組織それぞれの活動方針も多岐に渡る。
心霊現象の解明や魔術師によって呪いをかけられた人間の解呪、人に害を及ぼす怪物の駆除といった良心的な事を行う組織もあれば、攻撃的な魔術・呪術を駆使しての暗殺などを手がける組織もある。
ちなみに、志郎が所属するのは『ファウスト』という名の組織だ。
古今東西、魔術に関するあらゆる知識や物品を求める研究機関としての性格が強い組織であるが、その活動理念はかなり過激。
他者の研究の成果を強奪する事をある種の偏執狂的なまでに推奨し、その方針のままに動いた結果、今まで数多くの対立組織を壊滅に追いやっている。
魔術に関する知識とは基本的に秘匿されるべきものだ。中には、組織に古くから受け継がれてきた秘術・奥義もある。
そういった知識を容赦なく奪おうとする『ファウスト』を、不倶戴天の敵と見なす連中は多い。
つまり、決して評判の良い組織ではないのだが、敵の研究の成果を入手した者には報酬を惜しみなく与えるので志郎自身は気に入っている。
それはさておき二日前のこと、その『ファウスト』のメンバーから連絡が入った。
内容は単純明快である。
魔術を扱える人間を一人パートナーによこすから首無し殺人を調査せよ、というもの。
志郎は魔術や除霊法といった業を使えないので、実体のない幽霊の類の相手はできない。なのでこれには大助かりだ。
相手が了承してくれれば、これからもチームを組みたいくらいである。
しかし、そのパートナーとやらはまだ姿を現さない。時刻は約束の時間をすでに10分以上すぎて、現在22時13分を示している。
少し眠気を感じ、欠伸をする。これから化け物相手に殺し合うかもしれないのに暢気なものだと自分でも思う。
しかし、だらけてばかりも居られない。
公園のすぐ外にある自販機に目をやり、眠気覚ましにコーヒーでも買おうと立ち上がろうとした時、彼の視界の端に人影が映った。
(来たか……あの格好、間違いねえよな)
街灯に照らされ、闇夜の中から切り絵のように浮かび上がった人影が公園に入ってくるのが見えた。
体型から判断するに、相手は明らかに女性だ。
身を包むのは、やや丈の短いワンピースのようなローブ。その上からマントを羽織っている。頭にのせられているのは、つばの広い帽子。
ローブもマントも帽子も、墨を流したような黒で統一されている。
手に握られているのは、節くれ立った杖だ。
一見適当に小枝を切り落としただけの棒きれのようにも見えるが、表面に刻まれた無数のルーン文字が、それが魔術を行使するための魔具である事を主張していた。
その姿を一言で表すなら『魔女』だ。
ファウストはどちらかと言えば西洋魔術寄りの傾向があるので、魔女が派遣されたところで別に驚く事ではない。
相手は今日がデビュー戦なのだ、ここは相棒として先輩としてせいぜい手助けしてやろう。
気軽に考えながら、相手へ志郎が近づく。
「よお、初めまして。俺は……」
名前を名乗ろうとした瞬間、彼女が息を飲むのが分かった。どうやら驚いているらしい。
「どうかしたか?」
「く、狗賀君……」
その声――特徴的なハスキーボイスだ――に、聞き覚えがあった。
いつも何かと自分を気にかけ、今日の夕方も一緒に下校したあの同級生のもの。
「まさかお前………」
確かめるように、噛みしめるように、ゆっくりと名前を呼んでみる。
「長谷川……琴美か?」
すると、相手が応えるように頭の帽子を外す。
現れたのは、円い瞳に困惑を色濃く浮かべた琴美の美貌であった。
「そうか、お前の母ちゃんも魔女なんだな……」
「うん、うちのご先祖って、大昔に魔女狩りから逃れる為に、ドイツから日本に渡ってきた魔女なんだってさ。うちは代々の魔女の家系なの」
なるほど、と志郎が短い返事を返す。
初めは面食らったが、知らない相手ではないという事で両者とも良い意味で緊張が抜けてしまったのだ。ベンチに座り、夕方の続きのように会話を紡ぐ。
「おっと、喋ってばかりもいられないわね。調査を開始しましょうか」
軽やかな足取りで立ち上がると公園の中央付近へ移動し、足下を指さした。
「ほら、ここよここ。ここに魔法陣が描かれていたの」
当然ながら、そこには既に魔法陣の痕跡は無い。
「もう消されてるじゃないかよ」
琴美が薄く笑顔を作ると、ローブから一枚の写真を取り出し、志郎の眼前へかざして見せる。
「見てこれ、写真。ファウストの幹部が警察に横流しして貰った本物よ」
相変わらず仕事が速い。
さすがは『ファウスト』、よほど首無し殺人を行った相手の術が食指にふれたらしい。
「どれどれ……うわぁエグいな」
生々しい血痕の残された魔法陣に、芋虫のように四肢を切られた死体が見事に写されている。
それだけで、普通の人間ならば嘔吐ものの衝撃写真だ。
手足と頭を切断されているだけではなく、全身の至る所に刻まれている致命的な傷も凄まじい様相を生み出していた。
「この魔法陣を描くのに使われていたのは、何だ?」
「警察によると、腐った人間の血。私らに言わせると、あれは魔術用の染料ね。人間の血液に、香料や毒薬を混ぜて腐敗させて作ってあった」
人間の血や脂は魔術道具の材料となる。魔術の知識としては基礎中の基礎だが、やはり耳にして気分の良い話ではない。
「ちなみに、魔法陣は低級な邪霊を呼び寄せる為のもの。犠牲者の遺体には、邪霊を呼び寄せた痕跡があったわ」
「ふむ……」
呼び寄せようとして失敗したから殺したのか、初めから呼び寄せて殺すつもりだったのか、まだ判断は出来ない。
だが、強大な力を持つモノを呼び出すにはそれ相応の儀式と供物が必要となる。付け入る隙は十分あるはずだ。
「とにかく、俺はこれから少し見回りに行く。お前も来い」
すると、志郎は足下の土を一掴みつまみ上げ、臭いを嗅ぎ始めた。
「あの……なにやってんの?」
「臭いを覚えてんだよ、魔法陣の染料が残ってないかと思ってな」
「そ、それなら私持ってるよ。魔法陣から直接採取したやつがあるの」
ローブから土の詰められた小瓶を取り出す。どことなく、瘡蓋を思わせる赤茶けた色が生々しい。
「でかした、それ貸せ」
言い終わるより早く小瓶を奪い取ると、蓋を開けて臭いを嗅ぐ。鉄錆と土、腐敗した血肉の強烈な悪臭が鼻を突き刺した。
「うん………この臭いだな」
パグ犬みたいにくしゃっと一瞬顔を悪臭に歪めると、膝をついた低い姿勢を取る。
地面すれすれに顔を下ろし、ふんふんと鼻を鳴らしながら公園の外へ行こうとする志郎を、琴美が慌てて追う。
「ちょっと、犬じゃあるまいし!」
「その発言、ある意味正解だ。うちの家は山犬の神様を奉る宮司の家系でな、時々俺みたいに犬並に鼻の利く人間が生まれるんだよ」
驚いた顔の琴美へ、にやにやと笑いかえす。これでも魔術結社を自称する『ファウスト』の構成員だ。剣術や体術以外にも、これくらいの芸当はもっている。
「ほら、とっとと行くぞ。この臭いが町内のどこかに無いか探して、あとは敵を見つけ次第始末する」