プロローグ
町外れの小さな公園に、濃密な血の臭いが立ち込めていた。
遊具といえば春の風に吹かれ寂しげに軋るブランコと、昼間に子供が作った砂の城を残した砂場、それにペンキの剥げて錆が浮いた滑り台があるだけ。
手入れが行き届いておらず雑草の伸びたその公園に、まるでマネキンのように無造作に一体の屍が転がっていた。
手入れしたはずの長い髪は泥と血に薄汚れている。
スーツはボロボロに引き裂かれ、もはやその身は裸に近い。
きめの細かい肌には裂傷が無数に刻まれており、致命傷と判断できるものが幾つもある。
会社員らしい若い女性が無惨にもいたぶられた末、命を奪われていたのだ。誰がなんの為にこのような行為を行ったのであろうか。
答えを知るのは血溜まりのなか、凄惨な死を迎えた彼女を取り囲むように立つ、六つの人影だ。
「よくやった、上出来だ」
そのうちの一人、大鴉のような漆黒のマントを纏った男が満足気な台詞を口にすると、その言葉を受けた残り五つの影がひざまづく。
集団の筆頭らしいその男は、見れば見る程異様な風貌の持ち主だった。
手には黒地に銀糸で悪魔を意味する、逆五芒星の刺繍された手袋をはめている。それに握られたものは、先端に握り拳大の水晶髑髏を取り付けたステッキである。
銀に染まった総髪の為か、壮年のようにも老人のようにも見える年齢不詳の外見だ。
しかしその眼は奇妙なほどの力強さに溢れ、凶々しい輝きを炯々と放っていた。
「………やはり、獲物は若く美しい女性に限るかと思いまして」
平伏す影の一人、痩身を仕立ての良いスーツに包んだ髭面の男が冷淡に恐ろしい事を口走る。
「何を言いやがる、殺すなら男だ。それもとびきりの美少年がいいに決まっているぜ」
スーツの男へ甲高い声で反論したのは、鼻の下にちょび髭を生やした小肥りの中年男だった。
点々と血が染みついたエプロンを掛けた、牛や豚の解体作業場からそのまま抜け出してきたような格好だ。
一見人の良さそうな容貌をしているが、その顔には卑しさと残忍さを一面に押し出した、気味の悪い笑みが貼り付いている。
「その通りだ、気が合うな肉屋よ」
豊かな口髭を蓄えた巨漢が、凶猛に口元を吊り上げ、肉屋と呼ばれた男の言葉を支持した。
四肢を覆う無骨な甲冑を纏った巨躯からは、熊や虎のような大型の猛獣に似た印象を受ける。
「私は女の子がいいわね、泣き叫ばせるとゾクゾクするわ………」
恍惚とした口調で語るのは、やや黒みがかった赤髪を夜風になびかせる妙齢の美女。
髪と同色のドレスに見事な肢体を包み、整った顔に毒花を思わせる妖しい笑みを浮かべている。
「…………」
そして四人のやり取りを無言で、恐ろしいほど冷ややかな眼で睨んでいるのが、西洋人に混じったただ一人の東洋人。
背の低い、黒の着流しの男である。
刀傷だらけの貧相な痩せ顔に、餓えた山犬のような激しい殺意を宿した瞳が異様なまでにぎらついている。
スーツの男が肩に担いでいるのは、穂先にコウモリの意匠が施されたグロテスクな長槍。
エプロンをかけた小太りの中年男の手には、牛や豚などの解体に用いられる鉈のような形状をした大振りの肉切り包丁。
甲冑の巨漢の腰に下げられているのは、その身体に見合う長大な両刃の剣。
ドレスの美女の腰には護拳と呼ばれる、柄と一体化した鍔に秀麗な細工が施された細身のサーベル。
着流しの小男の腰に差されているのは、黒鞘に納めた飾り気のない大小の二刀。
五人全てから血の臭いが漂うあたり、どうやら女性を死に至らしめた凶器は彼らの手にある得物らしい。
「さて、始めるか」
一言呟くと、銀髪の怪人が、マントから小さな壷を取り出す。蓋を開けると鼻が曲がりそうな臭気を放つ、黒くどろどろした液体が姿を見せる。多数の香料や毒薬を混入し、腐敗させることで魔術儀式用の染料となった人間の血液である。
吐き気を催す臭いに混ざり、微かに甘い花の香りがした事から判断するに、邪霊を呼び出す為のものらしい。魔術において、特定の花の香りは低級な死霊を呼び寄せる効果があると信じられているのである。
男がそれを壷から地面へ零すと、腐汁はまるで意志をもつように自在に地面をはいずり回り、瞬く間に直径3メートル程度の魔法陣を描き出す。
見計らうように、スーツの男が哀れな犠牲者を魔法陣の中心へと運び、準備は整った。
マントの怪人が髑髏のステッキを右手で高々と掲げ、淀みなく呪文を詠み上げる。
「アギダ・メダ・メガ・メダ・アンブリダ・アギダ・メダ・メガ・メダ!!
やれ、大いなるものよ。この世が生まれる以前から天と地をおしなべる真の支配者よ。闇の王よ。疫病と戦乱の皇帝よ。とこしえに死者のおさめ主よ。願わくばここに来たりて我が願いを聞きたまえ!!
アギダ・メダ・メガ・メダ・アンブリダ・アギダ・メダ・メガ・メダ!!」
呪文を唱えると同時、目に見えないおびただしい数の気配が、魔法陣へと集まっていく。
まるで魔法陣から沸き上がる障気とも言うべき異様な空気に惹かれ、透明な獣達が群れをなして押し寄せて来ているようだった。それら全てが、全身を斬り刻まれた女性を目指している。
時間にして数分たらず、魔法陣の吐き出す障気が途絶えると変化はすぐに起きた。女の身体がバネ仕掛けのように、勢いよく起き上がったのだ。
双眸にケダモノじみた意志を宿し、半開きで血とよだれを垂らした口元からは、ぎしぎしと音を立てて伸びてきた太い牙が覗き、肌が青黒いぬめぬめとした両生類のような色合いに変色していく。
「久しぶりだったが、案外上手くいくものだな。では………仕上げといくか」
ステッキを手元で弄ぶ男に、怪物へと変化した女が牙を剥いて飛び掛かる。鋭い爪が男の肉体をえぐろうとした瞬間、甲高い激突音が鳴り響く。
怪物の一撃を、男は片手のステッキで、軽々と受け止めていた。涼しい顔で身体に回転を加えて、攻撃をいなす。たったそれだけで無様な前のめりに体勢を崩した怪物の後頭部を、すかさずステッキが殴打する。
ごっという鈍い打撃音が響くと、怪物は顔面から地面に落ちていく。
それに続くのは肉の潰れる嫌な音だ。しかし、口や鼻から血を滴らせながらも怪物は立ち上がり、獣のような唸りを上げてマントの男を睨みつける。
それにさしたる感情を抱く様子もなく、男はマントについた砂埃を軽く払うと、
「……首を斬れ」
冷淡な命令を口にする。
瞬間、五つの殺意が膨れ上がった。
長槍、肉切り包丁、サーベル、長剣、日本刀。
その全てが、一斉に構えられていた。
「へへへ、このままただ首切りするだけじゃあ、面白くねぇ。一人手足一本ずつ貰うってのはどうだ?」
涎を垂らさんばかりに、卑しい喜悦に歪んだ顔で小肥りの男が提案した。
それを聞いて、着流しの男を除いた三人がにやりと気味の悪い笑みを浮かべたのを肯定とみたか、言い出しっぺが駆け出した。
その小肥り体型からは想像もできないほど速い動きである。
獲物をねらう肉食獣を思わせる低い姿勢で接近し、肉切り包丁が振るわれた。
一足遅れて怪物が爪を突き立てようとするが、男の動きは遙かに俊敏だった。
下方からすくい上げるように昇る包丁が、肉と骨の断ち切られる形容し難い音を立てて右腕を斬り飛ばす。
顔面に飛沫いた鮮血をべろりと美味そうに舐め取ると、距離を取るように男が飛び退く。
次に前へ出たのは、長身痩躯のスーツの男だった。
手にした槍は、穂先から石突きまで一本の鉄塊で出来ている。
柄の先端には翼を広げたコウモリの意匠。そのコウモリの頭から鋭い刃が伸び、翼自体も斧刃となっており形状的にはハルバードに近いか。
その異形の槍を重さを感じさせない動作で軽々と振りかざすと、地面すれすれに薙ぎ払う。今度は左脚が大腿部から生大根のように軽々と切断され、弧を描いて宙を舞った。
片手片足になってバランスを崩し、怪物が地に伏せた。しかし、それでも牙を剥いてこちらを威嚇している。それに対して、今度は甲冑の男が前へ出た。
「さあ、好きに打ち込んでこい」
堂に入った様子で、長剣を中段に構えて挑発する。
その言葉を理解しているのか、一本だけの脚でふらふらと怪物が立ち上がった。
ぐっと膝が折れたかと思うと、その身体が天高く飛翔する。まるで深山に出没するという、一本脚の妖怪をみているようで、不気味な光景であった。
一気に距離が詰められ、爪を振るい、喉元に牙を突き立てようと激しく襲いかかってくる。
しかし、男は巧みに剣を捌いて爪と牙を防ぎ全く怪物を寄せ付けない。
重厚な鉄塊が鋭く振るわれる度、輝く剣尖が空を舞う鳥のように縦横無尽の軌跡を描く。それだけ見ても、かなりの技量の持ち主である。
しばし怪物の攻撃を受けていた男だが、やがて飽きがきたのか、やや距離をとると剣を大上段に構え、振り下ろした。
怒濤のように打ち降ろす、必殺の一撃。
使い手の体躯と腕力、得物の重量を乗せた剛剣が怪物の左腕を切断した。
腕の断面がおびただしい血を吐き出す中、すでに怪物から視線を外した甲冑の男の脇から真紅の人影が駆け抜けた。
四人目は、亀裂のような笑みを浮かべたドレスの美女だ。
細く鋭い、三日月を思わせる刀身のサーベルを右手に構え、髪とドレスの赤い色が闇夜に翻る。
踊るような動きで身体に回転を加えつつ怪物に接近し、その勢いを乗せたサーベルで残った右足を払う。
女性の華奢な腕と細身の刃から生み出されるとは思えない強烈な斬撃に、とうとう最後の足も膝の上辺りから切断された。
しゃあと赤い雨が、美女の髪や顔に生々しい血痕となって降り注ぐ。
それを浴びた彼女の顔には、恍惚の表情が浮かんでいた。
耳を塞ぎたくなるような絶叫が轟き、血の海で怪物がもがく。両手両足をもぎ取られた芋虫のような状態だが、牙をがちがちと噛み鳴らし、猛獣の唸りを上げる辺り、未だその闘争本能は失われていない。
それに対して何の感情も浮かべず、最後のひとり――黒の着流しの小男がゆっくりと血の海へ歩み出ていく。
ばちゃ、ばちゃ、怪物が動くたび、鮮血が飛び散る。次第に、その動きは激しくなっていく。
ばちゃ、ばちゃばちゃ、ばちゃばちゃばちゃばちゃ。
ばちゃばちゃ、ばちゃばちゃばちゃ、ばちゃばちゃばちゃばちゃばちゃ。
そして、ひときわ大きな水音が鳴った。
すべての四肢を失いながらも、怪物は空中へ跳んでいた。
着流しの男の首に牙を突き立てるため、一直線に跳んでいく。最期の力を込めた捨て身の一撃。
対する男も手にした日本刀を構える。刀身を返して刃を上に向け、自らも怪物へ跳んだ。
闇の中で交差する、ふたつの影。
刹那のうちに、決着は付いた。
ひとつの影は血刀を手に、音もなく地面に降り立ち。
ひとつの影はいびつな弧を描き、不吉な水音と共に地面へ叩きつけられ。
最後に残された頭部を失った無惨な屍が今度こそ完全に動きを停め、血の海へ沈む。やや遅れて、黒い鞠のようなものが鈍い音を立てて落ちてくる。生首であった。
鏡のように滑らかな断面に、ぽつぽつと小さな血の珠が浮かび、やがてそれは真紅の濁流へと変わった。身体に残った全ての血を出し切るように、流れていく。
そしてマントの怪人は、地面に転がった首を掴み上げると、満足げにうなづいた。
「まず一つ……今回は上手くいったが、次からは恐らく邪魔も入るだろう。目的の達成までに、多くの血を流せ、殺人鬼達よ。真の悪魔となりたければな」
不気味な台詞を口にすると、怪人達は人間離れした動きで闇夜の中を疾走し、溶けるように消え失せた。あとには無惨な屍と血の海、そして儀式に使われた魔法陣が残るのみであった。




