大切なもの 【月夜譚No.407】
推しは私にとっての薬だ。
嫌なことがあって元気が出ない時、気分が落ち込んでいる時、それこそ体調が悪い時――そんな時に推しの活躍している様子を見るだけで、なんだか少しだけ気持ちが明るくなるのだ。
我ながら、単純な性格をしていると思う。しかし、この〝推し〟という存在がいなかったら、今頃私はどうなっていたか分からない。
いつも鞄の隅に人形を忍ばせて、何かあった時にはそれを見て心を落ち着かせる。それが、一番の薬なのだ。
放課後、近くの公園に立ち寄ってベンチに座る。周囲に誰もいないのを確認して、私はいつものように人形を取り出した。
鞄ごと膝の上に載せて、そっと声をかける。今日あったことを一つずつ話して聞かせ、数学の小テストがあまり上手くできなかったことを言った時だった。
「――何してるの?」
瞬間、喉が攣って背後を振り返る。そこにいたのは、クラスメイトの一人だった。
『そんな子どもっぽいの、まだ好きなの?』
過去に馬鹿にするように言われた言葉が脳裏に甦り、途端に呼吸すら儘ならなくなる。
(――終わった)
絶望にも似た重い感情が胸を押し潰そうとしたその時、彼女はにっこりと微笑んで私の隣に腰かけた。
「それ、好きなの? 懐かしー。久々に見ても可愛いな。あたしも同じの買おうかな」
「――え?」
予想外の言葉に、私は酷い顔をしていたのだろう。彼女は笑ったけれど、嫌な感じはしなかった。
誰かに推しの話をするのは久し振りで、その後は夕暮れを報せる音楽が聞こえるまで、二人で笑いながら時間を過ごした。




