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 一日というのは長いようで短い。

 それは人生最後の一日でもあまり変わらないようだ。気づけば夜になっていて、夕食も食べ終わり、子供たちも遊び疲れて眠ってしまった。

 もう二度と子供たちと会うことは叶わない。そのことを考えると、さっきまではなんともなかった目頭が少しだけ熱くなる。

 ……後悔したって仕方ない。

 決めたじゃないか、自分で。俺は子供たちの前では死なないと。子供たちを悲しませないためにも、俺は消えるんだ。消えて、永遠にこの場所からいなくなる。

 自分の部屋の前に立つ。当たり前だが、長い間使ってきたこの部屋ともこれでお別れだ。

 ノックをしてから扉を開けて入ると――

 そこには月明かりに照らされた少女がいる。

 暗い窓の外を見つめる死神の少女は、窓から入ってくる微かな月明かりで光っているように見えて、その幻想的な光景に一瞬、これは夢なのではないかと疑ってしまう。

 少女が振り返る。影に隠れて表情はよく見えないが、闇に浮かぶ紅色の瞳はこちらに優しい視線を向けている。

「なあ、俺の『最後の一日』はお前に誇れるものだったか?」

 少女は俺に向けていた視線を逸らした。

「子供達は幸せそうだった……けど……」

 視線は遠慮がちにもう一度俺に向けられる。

「後悔、してるでしょ」

「ああ。やっぱダメだった」

 雰囲気が暗くならないように努める。できるだけの笑顔と共に続ける。

「後悔しないように過ごしたつもりだったんだがなあ。……………今も、すごく後悔してる」

「……そう」

 少女は顔を伏せて悲しそうに呟いた。

「だからってわけじゃないんだけどさ。俺、旅に出ることにしたんだ」

「子供、悲しませないために?」

「手紙読んだのか」

「……うん。ごめんなさい」

 俯いたままの、バツが悪そうな謝罪。

 俺はそんな少女に近づいていくと、その小さな頭にポンと手を置く。

「いいよ。むき出しにしたままだった俺がいけないんだし」……それにお前に読んでもらいたかったのかも知れない。

 少女への想いは言葉にはならず胸の内で反響するだけだった。

 誰でもいいから俺の決意を知っていてほしい。誰でもいいから俺がどんな気持ちを抱いて死んでいったのか知っていてほしい。

「誰でもいい」なんて、そんな一方通行の欲望は誰かにぶつけるべきじゃないんだ。だから、そう。……これでいいんだ。

 少女はいつの間にか顔を上げて俺を見つめていた。頭に置かれた手をどけようとはせず、心配そうな眼をしている。

『心配させてはいけない』

 そんな長年の癖は俺に笑顔を強制する。表情の切り替えと共に、沈んでいた気分も切り替えて、先程の少女の疑問に答える。

「旅に出るのはさ、子供たちを悲しませないためってのもそうだけど、もうひとつ理由があるんだ。人生の最後に、海から昇る朝日ってやつを見たいって。そう思ったんだ。たった半日にも満たない旅になるけどさ」

 言い終えると頭に置いた手を優しく動かして撫でる。少女の悲しそうな表情が少しだけ和らいだような気がする。

「間に合うの?」

 いまだ心配そうな声色で訊いてくる。

「今から出れば、多分空が白んでくる頃には着けると思う」

 応える声は明るく、その不安を払拭できるように。

「分かった。ついて行く」

「じゃあ行くか」

「うん!」

 少女は頭の上に乗せたれた俺の手を取るとギュッと握って恥ずかしそうに微笑した。それを見ていると俺も自然と頬が緩んでしまう。

 この少女と最期の時間を過ごすのも悪くはない。そう思った。


 子供たちを起こさないように、静かに孤児院の裏口から抜け出して、停めてあった荷台付きの自転車にまたがる。

「後ろ、乗れよ」

 少女に声をかける。

「………」

 しかし、返事はない。

「言っとくが自転車を二台も持ち出す気はないぞ」

 横でもじもじしていて、動こうとしない少女を見下ろす。

「……分かった」

 視線を俺に向けず俯いたまま不満げに返事をすると、少女は恐る恐るといった様子で荷台に乗って、俺の腰に手を回す。腕が触れた瞬間にビクッと震えたが、それもすぐに解決したようで手に力を入れてしっかりとしがみついてくれる。

 そんな少女が可愛くて、悪戯をしたくなってしまう。

「こうしていると恋人みたいだな、俺ら」

「バ、バカッ。恋人ってなによ。私は死神なのよ!」

 予想通りに反応を返す少女が微笑ましい。

「俺は死神と恋人でも構わないけどな」

 笑いながら言う。

「ううぅ~~。バカッ。あんたなんてさっさと死んじゃえ!」

 少女が両手でポカポカと背中を叩く。

 朝も『死んじゃえ』って言われたけれどその言葉は意外と洒落にならないんだよな、と口には出さず内心だけで苦笑しておく。

「無駄口ばっかりしてると、朝日見れなくなちゃうから、さっさと出るの!」

「へーい」

 少女が腰に手を回し直したのを確認すると、俺はゆっくりと自転車をこぎだす。

 裏庭から続く建物の壁と花壇に挟まれた狭い道を進んで孤児院の表に出る。そこから門を通って道に出ると、あとは人気のない田舎道を海まで延々と走るだけだ。

 初めからペースを上げすぎて途中で体力が尽きてしまわないためにも、一定のスピードを心がけでゆっくり着々と走っていく。これなら速くて少女を怖がらせてしまうこともないだろう。時間にも多少の余裕はあるはずだ。

 しばらくはお互いに何も話さずに走っていたが、無言の空間に飽きてしまったのか、少女がおもむろに口を開いた。

「ねえ、あなたは幸せだった?」

 抽象的な質問に、どう答えればいいのか迷ってしまう。

「いきなりそんなこと訊かれてもな。よく分からないな。お前はどう思うんだ?」

「私には答えられないよ。……だって何が幸せなのかは人それぞれで違うんだよ。牧師のお父さんに拾われて、育てられて、一緒に孤児院を作って、孤児の子供たちを育てる側になって、お父さんが死んじゃってもひとりで抱え込んで、もうすぐ死ぬ」

 自身の人生を見た目年下の少女に把握されているというのにはさすがに驚いたが、それがまた少女が死神だという確信を強固なものにする。

「私に言えるのはこれくらい。あなたの人生がどんなものか分かっていても、あなたが幸せかどうかなんて分からないの。実の親に捨てられたから不幸? 育ての親を若いうちになくしたから不幸? 短い人生だから不幸? 傍から見れば、あなたの人生はお世辞にも幸せなものだったなんて言えない。けど、本当に不幸なだけだったの? 幸せかどうかなんて結局はあなた次第なの」

「そう、か」

 ペダルをこぎながら思い出す。真っ先に浮かぶのは孤児院の子供たちの笑顔。

 俺の人生は不幸だったのか? 誰からも同情されてしまうような人生だったか?

「あなたが幸せと言えば、それは幸せな人生になるし、不幸と言えば不幸な人生になるの」

「……俺は、きっと幸せだった。他人から見れば不幸な人生だったのかも知れないけど、俺は間違いなく幸せだったんだと、思う」

「………」

 少女は俺の回答を聞いても何も言わず、ただ俺につかまる手の力を強めて身体を押し付けてくる。

「どうした。寒いか?」

「……違うの」

 少女はギュッとしがみついたまま、か細い声で続ける。

「ごめんね……ごめんね……」

「いきなり謝ってどうしたんだよ」

「だって、あなたは幸せだったのに。それなのに……」

「可哀想か?」

 声に反応してビクッと少女の身体が揺れる。

「……可哀想、なのかな。よく分からない。けど、あなたは選ばれただけなのに」

「選ばれたって?」

 好奇心と恐怖がごちゃまぜになったような名状しがたい感情が胸の内に渦巻く。

「死ぬ人間が無作為に選ばれるの、世界のバランスを整えるために。選ばれた人間が偶々あなただった。たったそれだけの理由であなたは死ぬの」

「………」

 渦巻く感情に怒りがトッピングされてどす黒く染まる。なんなのだろう、この感情は。鈍くて、重くて、粘ついて、侵食して、俺を穢す。怒りは矛先を形成する前にドロドロになって崩れ落ちて、渦に回帰する。感情の捌け口が用意されることもなく、だから誰かが傷つくことはなく、俺だけが削り取られて黒く染め上げられる。

「ごめんね」

「……なんでお前が謝るんだよ。俺を選んだのはお前じゃないんだろう?」

「そうだけど、でもあなたに謝れるのは私しかいないから。あなたが恨めるのも、私しかいないから」

「よく分かんないな」

 俺の中に黒い渦は誰かを恨みたいという感情ではない。矛先が誰かに向けられることもなく、ただそこにあるだけのはずなのに。

 それなのに、少女の言葉を聞いた黒い渦はまるで意思を持ったかのように俺の中を這い回って、やがて背中からそこに触れている少女の身体を犯していくような気がする。

 ――全身に悪寒が走る。思わず身体を震わせた。

「どうしたの?」

 少女が心配そうに訊いてくる。

「いや、なんでもない」

 言って誤魔化そうとするが、右腕だけが痙攣したように小刻みに震え続けている。しがみついている少女にはそれが伝わってしまうのだろう。

「でも、だって震えて……」

 一度息を大きく吸って、吐く。腕に力を込めてハンドルを強く握ると、震えが止まった。

「怖いの?」

 震えの直接の原因ではないが、恐怖がその一端になっていることは確かなので、間違いに便乗して誤魔化すことにする。

「ああ、怖いのかも知れない。死んだら自分がどうなるのか、とかさ」

「天国か地獄か?」

 少女の確認するような声。

「そうそう。天国に行けるのか、地獄に堕ちるのか」

「あなたも天国に行きたいって思うの?」

「うーん。微妙かな。天国があれば行きたいって思うけど、正直なところ、あるとは信じてないから」

「……そう」

「で、本当のところはどうなの?」

「天国や地獄なんて存在しないよ。死んだらそこで終わり。魂なんてないの。だから死ねば全部終わり。あなたという人間は永遠に消える」

 少女は迷いのない声ですらすらと言葉を並べていく。きっと同じ質問を何度も受けたことがあるのだろう。

「……なかなか重い事実だな」

 天国や地獄を信じていたわけではないが、実際に聞かされるとそれなりにショックがある。死んだとしてもそれが完全な終わりではないと、心のどこかで信じたかったからだろうか。

 ふと疑問が過ぎった。どうしてこの少女は俺の質問に親切に答えてくれるのだろう、と。

「なあ」

「なに?」

 少女は俺を見上げて返事をしたのか、息が首筋に当たってくすぐったい。

「お前ってさ、どうしてこんなことしてるの?」

「こんなことって?」

「俺を監視するだけなら、俺に死ぬって事実を伝える必要はないし、俺の質問に答える必要もないはずだろ? それとも、そういう規則なのか?」

「それは………」

 少女はそう言ったきり、言葉を紡ぐことはなかった。




 規則なんかじゃない。

 どうしてか口は動いてくれず、想いは音にならなかった。

 青年が言った通り、私は質問に答える義務はないし、青年に死を納得させる必要もない。死ぬことを伝える必要もあるにはあるが、説明する必要はない。ただ仄めかすだけで十分なのだ。

 言うなれば、私たちは手紙のようなものだ。一方的に死を伝えればいい。その後は一日だけ、予想外の事態が起きないように監視する"保険"になる。

 けれど私は、監視対象にそれぞれに相応しい死を迎えてほしい。信じてもらえなければそれまでだが、信じてくれれば納得できる『最後の一日』を過ごす努力をしてくれる。

 だから私は今回も死ぬことを説明して、青年はそんな私のことを信じてくれた。

 青年は自身が納得できる『最後の一日』を過ごしている。それはすごく嬉しい。

 そして青年は自分に相応しい『終わり方』を決めて、そこへ向かっている。――孤独死を遂げようとしている。それは本当に青年に相応しい『終わり方』なのだろうか? 青年は子供たちに囲まれて死を迎えるべきではないのか。

 私が事実を伝えてしまったせいで、青年に相応しい死を阻害しているのではないのか?

 不安が身体を駆け巡る。

 思わず、青年の腰に回した手に入れる力を強めた。青年の大きな背中に身体を押し付ける。……温かい。その熱は私の中で暴れまわる不安を消し去ってくれていくようで、安心できた。

 ずっとこのままでいたかった。ずっと、私は青年と一緒に………

 ――けれど。

「着いたぞ」

 そんな都合のいい幻想を抱いてはいけない。

 青年の声は私を引き戻す。私は死神で、青年はもう死ぬ。いつだって現実は残酷なのだ。だからこんな気持ちに気づいちゃいけない。理解してしまったら辛くなるだけ。

「うん」

 青年から手を放して、自転車を降りる。そこは砂浜だった。

「なあ。あとどのくらいで日が昇るのか分かるか?」

「分かんない」

 死神の体内時計は、仕事の終わり――監視対象の死だけを感じ取る。太陽の動向なんて分からない。

「だよなぁ」

 予定よりも早くついてしまったらしく空はまだ白んでおらず、辺りは暗い。

「仕方ない、待つか」

 そう言うと青年は砂浜に腰を下ろしてあぐらをかく。

「お前も座らないのか?」

「いい。服が汚れるから」

「そうか。それなら――」

 青年は隣で立っていた私の手を掴むと、引っ張って、組んだ脚の上に座らせた。

「な、なな、なっ!」

「そんな驚くことでもないだろ? それにこれなら服が汚れることもないし」

「そ、それはそうだけど……」

「なら問題ないな」

 そう言って笑う。青年の息が髪を揺らして、くすぐったかった。

 青年の右手は私の手を握りっぱなしで、私を抱きしめるように身体に回されていて。それが温かくて、安心できて、失いたくなくて―――悲しい。

 だって、分かってしまう。死が、青年の死が本当にすぐそこまで来ていることが私には分かる。

 だからかも知れない。私の口は意思に反して言葉を紡いでいた。

「ねぇ。撫でて」

「撫でる?」

「……私の頭、撫でて」

「………」

 青年は無言で左手を私の頭に乗せると、撫でて、髪を梳いてくれる。

「……俺は、君に感謝してる」

 不意に青年が言った。

「君が来てくれて、教えてくれて、良かったと思う。ありがとな………」

 青年は私をギュッと抱きしめる。身体は震えていた。

 耳元で青年の嗚咽が漏れて聞こえる。

 支えてあげたいと思う。でも、私じゃダメだ。死神の私には、ただ黙って抱かれていることしかできない。

 青年の涙が流れ、私の肩に落ちる。死ぬ間際でも、それはやっぱり温かくて。どうしようもなく愛おしくて。

 泣いているのに、震えているのに、それでも青年は優しく私の頭を撫でていてくれた。




 どれほどの時間が経ったのだろうか。

 青年の嗚咽は止み、私を撫でていた手も止まっていた。身体に温もりは残っていない。

 それでも私は抱かれたままで。いつまでも抱かれたままで。

 涙が溢れてくる。今までいくらでも人の死を見てきたはずなのに、私は青年の死に涙している。

 凍っていた死神の心は、青年の温もりで溶かされてしまった……。

 涙は止まらない、止まってくれない。

 泣いたのはこれが初めてだった。



 霞む視界で空を仰ぐ。

 朝日はまだ昇らない。




 ―――今日は、曇りだ。

書き直しただけの作品に付き合っていただいた方、本当にありがとうございます。


この作品を読んで、何かひとつでも心に響くものがあれば幸いです。

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