番外編「騎士団長の休日と琥珀のひととき」
春の柔らかな日差しが王都の街並みを包み込み、石畳に落ちる建物の影がくっきりとした輪郭を描き始めている頃。ルカ商会の裏庭では、普段の喧騒とは少し異なる光景が広がっていた。
王都の治安を預かる騎士団長であり、常に職務に追われていたレオンハルトが、珍しく完全な非番の日を迎えていたのだ。彼は軍の正装である金属の甲冑を一切身につけず、動きやすい麻のゆったりとした上着と、飾り気のない丈夫な革のズボンという軽装で商会に姿を現した。
「レオンハルト様、休日は体を休めるためにあるのですよ。わざわざ荷下ろしの手伝いなどしていただかなくても、従業員たちで十分間に合いますのに」
ルカが少し困惑したような声でたしなめるが、レオンハルトの顔には清々しい笑顔が浮かんでいた。
「気にしないでくれ、ルカ。毎日書類と会議ばかりで、体が鈍って仕方がなかったのだ。こうして体を動かし、君の働く姿を近くで見られるのは、私にとって最高の休息なのだから」
そう言って、レオンハルトは南方の農村から届いたばかりの白穀物がぎっしりと詰まった重い麻袋を、軽々と両手で持ち上げた。常人であれば二人掛かりでようやく持ち上がるほどの重量を、彼は顔色一つ変えずに肩に担ぎ上げ、保管庫へと運んでいく。麻の上着の下で、過酷な訓練によって鍛え上げられた分厚い胸板と太い腕の筋肉が、滑らかに動くのがルカの目にはっきりと見えた。
荷下ろしを手伝うレオンハルトの額には、やがて薄っすらと汗が滲み始めた。太陽の光を受けて光るその汗の粒と、労働による健全な熱気を帯びた彼の横顔から、ルカは目を逸らすことができなかった。胸の奥が甘く締め付けられるような感覚に陥り、自分がどれほどこの男に深く魅了されているかを自覚して、ルカは少しだけ頬を赤らめた。
すべての荷物が無事に保管庫へと収められ、昼の忙しい営業がひと段落した頃。ルカは裏庭の隅に置かれた木陰の丸テーブルに、水で濡らして固く絞った清潔な手ぬぐいと、冷やした甘露草のお茶を用意した。
「レオンハルト様、本当にお疲れ様でした。さあ、こちらで汗を拭いて、喉を潤してください。今、特別なお昼ご飯を作りますから」
ルカの言葉に、木箱に腰掛けて休んでいたレオンハルトが目を輝かせて立ち上がった。
「特別な昼飯……。カツ丼ではないのか?」
「ふふっ、今日は特別です。レオンハルト様が重い荷物を運んでくださったので、塩気を効かせて疲労が吹き飛ぶような、新しいまかない料理を作ろうと思いまして」
ルカは厨房に戻ると、大森猪の肉を薄く切り分け始めた。カツ丼に使う分厚い肉とは違い、火の通りを極限まで早くし、肉そのものの柔らかさと脂の甘みを引き出すための切り方だ。
熱した鉄のフライパンに少量の油を引き、細かく刻んだ香草を炒めて香りを移す。そこに薄切りの大森猪の肉を一気に投入した。肉がフライパンの表面に触れた瞬間、激しい熱によって水分が弾け、周囲に強烈な脂の焼ける匂いが立ち昇る。ルカは木べらを使って素早く肉を裏返し、表面がわずかに色づいたところで、あらかじめ調合しておいた魚醤と柑橘の果汁、そして砕いた黒胡椒を混ぜ合わせたタレを回し入れた。
タレが熱い鉄板の上で焦げる香ばしい匂いと、柑橘の爽やかな酸味が混ざり合い、それだけで口の中に唾液があふれ出してくる。ルカはどんぶりにふっくらと炊き上げた白穀物を盛り、その上に炒めたばかりの肉をタレごとたっぷりと乗せた。最後に、彩りと食感のアクセントとして、薄く輪切りにした甘根の塩漬けを添える。
「お待たせしました。大森猪の薄切り肉と柑橘の果汁炒め丼です」
ルカが裏庭のテーブルにどんぶりを運ぶと、レオンハルトの喉が大きく鳴る音が聞こえた。彼はルカから木の匙を受け取り、さっそく肉と白穀物を一緒にすくい上げて口に運ぶ。
「……っ、これは!」
レオンハルトの目が見開かれた。大森猪の脂の甘みが口いっぱいに広がるが、すぐに柑橘の果汁が持つ爽やかな酸味が脂の重さを切り裂き、魚醤の深い塩気と黒胡椒の刺激が肉の旨味を引き立てている。噛みしめるたびに肉の繊維からあふれ出す肉汁とタレが白穀物に染み込み、カツ丼とは全く違う、鋭くも洗練された味わいが彼の味覚を強烈に刺激した。
「美味い……。カツ丼の圧倒的な重厚さとは違い、爽やかなのにどこまでも深く食欲を刺激してくる。荷運びで汗を流した体に、塩気と酸味が信じられないほど染み渡る」
レオンハルトは言葉を発する間も惜しむように、猛烈な勢いで匙を動かし続けた。どんぶりの底にわずかに残ったタレが染みた穀物の一粒まで綺麗に平らげると、彼は深く息を吐き出して長々と背もたれに体を預けた。
「君という料理人は、本当に底が知れない。私の身体がその瞬間に最も求めている味を、どうしてこれほど正確に見抜くことができるのだ」
「それは……私がいつも、レオンハルト様のことばかり見つめているからです。あなたが今、どれくらい疲れているか、どんな味を欲しているか。それを考える時間が、私にとって一番幸せな時間ですから」
ルカがはにかみながら答えると、レオンハルトの表情がふっと和らいだ。彼は立ち上がり、テーブル越しにルカの側へと歩み寄ると、そのままルカの隣に座り直した。
春の心地よい風が木々の葉を揺らし、木漏れ日が二人の足元に淡い斑模様を作り出している。レオンハルトはルカの肩に自分の肩を寄せ、大きな手でルカの少し荒れた手を取り、指の間に自分の指を絡ませた。
「君の手は、こんなにも小さく細いのに、無数の人間を救う魔法の力を秘めている。私はこの手を、そして君の存在そのものを、世界中の何よりも尊いと感じている」
レオンハルトの低い声が風に乗ってルカの耳に届く。彼はルカの手を自分の唇の元へと持ち上げ、指先にそっと温かな口付けを落とした。触れられた皮膚から微小な電流が走るような感覚が生まれ、ルカの背筋をかすかに震わせる。
「レオンハルト様……」
ルカはレオンハルトの肩に頭を預け、彼の力強い体温と、かすかに香る汗と香草の混ざった匂いに全身を委ねた。互いに多くを語る必要はなかった。繋がれた手の温度と、重なり合う呼吸のリズムだけが、二人の間に流れる穏やかで深い愛情のすべてを物語っていた。
木漏れ日の下、喧騒から切り離された裏庭の片隅で、彼らの琥珀色に輝く穏やかな午後の時間は、ゆっくりと、そして確実に二人の絆をさらに深く結びつけていくのだった。




