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過労で倒れかけの騎士団長を「カツ丼」で救ったら、なぜか溺愛され始めました。  作者: 水凪しおん


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第11話「ルカ商会の産声と広がる熱狂」

 長かった視察と交渉の旅から王都へ戻ったルカは、すぐさま商会の設立に向けた具体的な行動を開始した。


 手始めに、下町にある自分の食堂を拠点とし、隣接していた空き家を買い取って壁を打ち抜き、大規模な厨房と食材の保管庫を持つ施設へと改装した。建物の正面には、新しく削り出された立派な木製の看板が掲げられた。そこに深く彫り込まれた『ルカ商会』という文字は、朝日を受けて誇らしげに周囲へその存在を主張していた。


 商会の開設から数日後、ルカが苦労して契約を結んだ生産者たちから、第一陣となる荷物が続々と王都へ到着し始めた。


 早朝の澄んだ空気の中、荷車を引く馬のいななきと、木箱を降ろす労働者たちの力強い掛け声が商会の前に響き渡る。ルカは荷下ろしの現場に立ち、次々と運び込まれる食材を自らの目で確認していった。


 南方の農村から届いた白穀物は、湿気を防ぐ厚手の麻袋にぎっしりと詰められていた。袋の口を開けると、真珠のように白く丸みを帯びた粒が顔を覗かせ、ほのかに土の甘い匂いを放っている。北の森林から氷詰めで運ばれてきた大森猪の肉は、かつて市場の隅で埃を被っていたものとは全く違い、鮮やかな赤色と純白の脂身が美しい層を成していた。そして、琥珀茸は特有の深い芳香を放ち、周囲の空気を瞬時に山林のそれへと変えてしまうほどの質の高さを誇っていた。


「素晴らしい……。どれも最高の状態だ」


 ルカは思わず独り言をこぼし、食材の放つ圧倒的な生命力に胸を高鳴らせた。中間に介在していた悪意ある商人たちを排除し、生産者から直接買い付けたことで、食材の鮮度と質はこれまでにない水準に達していたのだ。


 ルカは新たに雇い入れた数名の料理人たちを率いて、すぐさま仕込みの作業に入った。拡張された厨房にはいくつもの巨大な鉄鍋が並べられ、底から燃え上がる炎が大量の油を一気に熱していく。大森猪の肉を叩くリズミカルな音が幾重にも重なり合い、かつての小さな食堂時代とは比較にならないほどの活気と熱気が空間を支配していた。


 営業が始まると、ルカ商会の前には開店を待ちわびていた人々の列が瞬く間に形成された。


 提供されるカツ丼は、食材の質が向上したことにより、その味わいをさらに深いものへと進化させていた。一口噛みしめれば、大森猪の強烈な旨味が新鮮な肉汁とともにあふれ出し、香ばしく揚げられた衣が甘辛いタレと絶妙に絡み合う。それを最高の状態で炊き上げられた白穀物がすべて受け止め、口の中に至福の調和をもたらすのだ。


 労働者たちや騎士たちは、どんぶりに顔を埋めるようにして夢中で匙を動かした。彼らの額には満足げな汗が浮かび、店内には途切れることのない咀嚼音と深い感嘆の息が満ちあふれていた。


 ルカ商会の圧倒的な人気は、下町の平民たちだけにとどまらなかった。


「商会長のルカ殿はおいでか」


 ある日の午後、仕立ての良い上等な衣服を身にまとった男が店を訪れた。彼は王都の貴族街で名の知れた伯爵家の使いだった。


「主人が、近頃王都を騒がせている『カツ丼』という料理に大変興味を持たれてな。我が家の厨房でその料理を振る舞ってはもらえないだろうか。謝礼はいくらでも弾むと言っておられる」


 その申し出に、ルカは静かに、しかし断固たる態度で首を横に振った。


「お誘いは大変光栄ですが、お断りいたします。カツ丼は、身分に関係なく、この熱気あふれる空間で、出来立ての熱い状態をかき込んでこそ真価を発揮する料理です。もし伯爵様がお望みなら、ぜひこの商会まで直接足をお運びください。最高の席と料理をご用意してお待ちしておりますと、どうかお伝えください」


 ルカの毅然とした言葉に使いの男は驚愕したが、やがてその誇り高い態度に押されるように引き下がった。数日後、噂を聞きつけたその伯爵本人が、平民の服を身にまとってお忍びで店を訪れ、どんぶりの底が見えるまで無心にカツ丼をかき込んでいったという出来事は、商会の名声をさらに高める結果となった。


***


 その夜、すっかり客が引き払って静まり返った商会の奥の執務室で、ルカは机に向かって分厚い帳簿と向き合っていた。ランプの黄色い炎が、細かい数字の羅列を淡く照らし出している。


 扉が静かに開かれ、レオンハルトが入ってきた。彼はルカの向かいの椅子に腰を下ろし、湯気を立てる香草茶の入った二つの陶器の杯を机の上に置いた。


「今日も一日、すさまじい忙しさだったな。商会の運営は順調か」


 レオンハルトの労うような優しい声に、ルカは羽ペンを置いて顔を上げた。疲労で少しだけ目の下に影ができているが、その表情は明るく満ち足りていた。


「はい。生産者の皆さんにも、予定通り十分な利益を送金することができました。手紙には、新しい農具を買えたことや、子供たちに十分な食事を与えられるようになったことへの感謝が綴られていました。……私が思い描いていた循環が、少しずつですが形になり始めています」


 ルカは手元にあった手紙の束を撫でながら、誇らしげに微笑んだ。


「すべては、レオンハルト様が私の背中を押してくださったおかげです。あの時、あなたが一緒に戦うと言ってくださらなかったら、私は今でも不安に怯えて、小さな店の中で縮こまっていたはずですから」


 ルカの言葉に対し、レオンハルトは静かに首を振った。


「私はきっかけを与えたに過ぎない。ここまで商会を大きくし、人々の信頼を勝ち取ったのは、他でもない君自身の強さと、料理に対する深い愛情だ」


 レオンハルトは机の上に伸ばされていたルカの手の上に、自らの大きな手を重ねた。わずかにざらついた剣士の掌の感触と、そこから伝わってくる強烈な熱に、ルカの心臓の鼓動が不意に早くなる。


「君が立派な商会長として成長していく姿を見るのは、私の何よりの誇りだ。だが……」


 レオンハルトの瞳の奥で、静かな熱を帯びた感情が揺らいでいた。彼は身を乗り出し、ルカの顔のすぐ近くまで顔を寄せた。


「どれほど多くの人間が君の料理を求めようとも、君の隣にいる権利だけは、誰にも譲るつもりはない。私は、君のすべてをこの腕で守り抜きたいと、本気でそう思っている」


 極めて真っ直ぐに放たれた情熱的な言葉に、ルカは息を呑んだ。ランプの光に照らされた彼の横顔は息を呑むほどに力強く、そして美しかった。ルカは重なった手から微かに指を絡ませ、レオンハルトの思いに全力で応えるように、はっきりと頷いた。


「私も……レオンハルト様の隣にずっといたいです。あなたが戦いから帰ってきた時に、一番温かくて、美味しい料理を用意して待っているのは、私でありたい」


 静かな夜の執務室で、二人の視線は熱く絡み合い、互いの呼吸の音が重なり合うほどに距離が縮まっていた。冷たい夜風が窓を叩く音も、二人の間に流れる濃密で甘い空気を揺るがすことはできなかった。ルカ商会という新たな城の奥深くで、彼らの絆は誰にも引き裂けないほど強固なものへと結実しつつあった。

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